16.疑念困惑、断ち切れず
HRが終わり、一限、二限と時間はあっという間に過ぎていく。――しかし、どうしても夢の事が頭から離れなかった。
曖昧な夢の、曖昧な記憶。時間が経つに連れて薄れていくその中身とは対照的に、妙な胸騒ぎが心の底に澱を成して溜まっていく。
何がそう思わせるのかは分からない。朝の反応からしても、また他の人に話した所で大した反応は得られないだろう。だが、それでも俺は単なる夢と割り切って放置する気にはなれなかった。
根拠も理屈も目的も無いが、十六年越しの初夢には普通ではない何かがあるように思えて仕方がなかったのだ。
――『普通の夢』なんて、それ自体が矛盾してるだろうが。夢なんて大なり小なり奇怪な点があるもんだ。
そう自分に言い聞かせて思考に区切りを打つのもこれで何度目か。とにかく次の体育のために着替えようと思い、鞄を探ってジャージを取り出した。
*****
授業の開始を告げるチャイムに合わせて始まった準備体操を終え、ウォームアップに猫の額……は言い過ぎか。チワワの額ほどの校庭をだらだらと走っていた所、何者かが背後から近づいて来てそのまま俺の横を並走し始めた。
「考え事か?」
隣に位置取ったのは、これで俺と同じ速さとは思えないような軽やかなフォームで走る北瀬。運動部に所属するだけのことはある、と言ったところか。
「朝から少し様子がおかしかったが……何か問題でも起きたのか?」
首の後ろでポニーテールを上下に揺らし、ちらりとこちらに視線だけをやりつつそう話す北瀬は、どこか俺に気を遣っているようにも見える。
「いや、たいした事じゃないんだがな。ちょいと気になることがあって」
「気になること、と言うと」
とんとんとん、たったったっ、と異なるリズムの足音を響かせながらコーナーに差し掛かる。同じ位置関係を保つため、外側を走る北瀬は僅かにスピードを上げた。二つの足音のリズムが更に崩れる。
「今朝夢を見たんだが、その中身がやけに気になってな。何の意味もないように思えるんだが、何か意味があるように感じて」
「……あっさりと矛盾したことを言うものだな」
その顔に苦笑を浮かべつつ、僅かに茶化すような口調で北瀬はそう言った。
「仕方ないだろ。一応『思った』と『感じた』で分けたし、その辺は察してくれ」
「今時ブルース・リーでもないだろう」
「考えるな感じろ、ってか。んなつもりで言ったわけでも無いんだが」
軽口を交わしながら、比較的ゆったりと校庭を回る。別にタイムを計るでも無く、全員揃って走らなければならない訳でもない。規定数だけ回ればそれでいいのだから、各々自分に合ったペースでのんびりと走っている。
と、コーナーを曲がり切った辺りで背後から亮二が追い付き、かと思えばそのまま驚異的な速度で駆け抜けて行った。
それから更に二、三人、亮二と仲の良い、いわゆる『悪友』と呼ばれる所の奴らが何かぎゃーぎゃーわめき立てながらその後を追い掛けていく。……何やってんだあいつらは。
「ま、些細なことだよ。別に今後の人生に関わるような事でも無いし、なんか適当な理由でも見付けて納得するさ」
何でもないことを主張するように、冗談めいたそぶりを交えつつ意識して軽い口調で話す。
「……ほう。ならば、その適当な理由とやらは一体いつになれば見つかるんだ?」
だが、北瀬には大して効果が無かったようだ。
コーナーを曲がりきり僅かにテンポを遅らせた足音が再び両者の間に響く。
「朝から今までずっと考え続けて、それでも納得が行かず、思考を放棄しようにも何故か心から離れない。……それは、本当にたいした事のない話なのか?」
「……結局は夢の話だぜ。現実にどうなる訳でもなく、そもそもどうあがいても正解なんか出やしないし分かりもしない。それでも気になるってんなら、考えるのが面倒になるまでとことん付き合うしかないだろ」
「つまらないことで自分が勝手に悩んでいるのだから、それをわざわざ他人に相談する資格も無い、と」
「おう。……間違ってないだろ」
「間違ってなければ正しいのか?」
しばしの沈黙。短い直線を抜けて再びコーナーに差し掛かる。
「……ま、いいさ。誰かに話せばきっと楽になるだなんてお決まりのセリフを言うつもりは無い」
ただ。と、そう前置きして
「いつまでもそう困った顔で悩んでくれるなよ。友達の辛そうな表情など、見ていて気持ちの良いものではないのだからな」
「……ああ。悪いな、北瀬」
「とりあえず今は頭より体を動かせ。適当に汗をかいて走り回っていれば多少はその煮詰まった頭もほぐれるだろうさ」
そう言い残すと北瀬はペースを上げ、軽やかなフォームでぐいぐいと先を走っていった。
そのまた先に目をやれば、走り終えた亮二とその連れ巻きたちがぎゃあぎゃあとなにやら騒ぎ、有名スポーツブランドのジャージに身を包んだ中年の体育教師に注意を受けていた。
「……ったく、何なんだかな……」
ふぅ、と一つ大きな息を吐き、それから僅かに視線を上げる。
それから、のろのろと走るクラスメイトたちに紛れて揺れるポニーテールを何とはなしに見つめ続けていた。
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