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結界が緩むという事
「今は高位の魔道師たちがごっそり出かけていてどこもかしこも結界が緩んで危ない時なのにおまえ、少しは自覚しろよ」
 ユリウスの言葉にあっとクロードは納得する。 それは結界に緩みが生じているということ。 で、なければ他の国の魔道師が易々とこの国へ入ってはこれないだろう。 
 もっともレイモンドール側から高位の魔道師の手引きがあれば違うかもしれないが。
「明日には州城から迎えが来てくれるらしい」
 ユリウスは物思いに沈むクロードを不審そうに見る。
「……それにしてもあいつ、食事でもしながらって言いながら結局何も食べさせてくれなかった」
 クロードのつぶやきにユリウスが反応する。
「あいつって?」
 クロードはつい、ユリウスに答えてしまう。
「市で知り合った人、食事でもしながら話ししようって茶屋の二階に誘われてさ……」
「何だと?」
 クロードの話は凄い剣幕のユリウスに遮られた。
「お前自分がどんな無謀な事をしたか解かっているのか」
 勢いよく立ち上がって膝から本が滑り落ち、酒の入った杯は音をたてて床に転がった。
 実はその前に上着を質草に入れて族に襲われたが、それは言えるわけがない。
「それで何も危害を受けなかったんだろうな、クロード。おまえは大事な体なんだ。少しは自重しないか、まったく」
「ごめんなさい」
 はあとわざと大声を出してユリウスは溜息をついて目の前の少年を見る。
「本当にどうしようもないがきだ」
 現王コーラルがせめてあと五年でも生き永らえたなら少しはましになるのだろうが、それは無理だろう。 例の兆候が現れた王はよくて三年、大概は二年ほどで亡くなるのだ。
 そして、そのがきに執着しているのは他ならぬユリウスなのだが。 ヴァイロンが亡くなってこの数百年、ゴートの廟から必要な時以外、出ることも無かったはずが何を思ったか竜印が完成する前の王の半身にこんなに深くかかわるとはユリウスも思っていなかった。
 この子を見るまでは……ヴァイロンに瓜二つの子供。 だがいつもと違うことをしているのが吉と出るか凶と出るか。 それは、ユリウスにも解からない。が、クロードに関わることは止められない。 今更、すべてをモンド州ゴートの廟にいるルークに今迄の半身のように任すなんてできない。
「どうしたのユリウス?」
 黙ってしまったユリウスの顔を見上げるクロードにユリウスが屈みこむ。
「何すんだよっ」
 そのままおでこに口付けられて真っ赤になってクロードが抗議する。
「久しぶりだと思ってさ。遅くなったけどお帰りのキスだよ、クロード」
 ユリウスが目を細めてにたりと笑った。
「くそー! 俺部屋に戻る」
 悪かったとちらっと思っていたのに油断も隙もない。


 次の朝、ボルチモア州の州旗を立てた馬車が宿の車寄せに何台もつけられた。 そのものものしさに宿屋の者たちが右往左往する。 そしてその中の一際大きい立派な馬車から美しい身なりの貴人が降りたつ。
「トラシュ・ゴイル・ヴァン・ドミニク殿下であらせられる」
 従者の慇懃(いんぎん)な声に宿屋の主人が慌てて膝をついた。
「よい、頭をあげてくれ。それより私の客人がお世話になっているらしいな」
「お早いお着きで。しかもトラシュ様が直々にお越しくださるとはうれしいですが政務が滞りますでしょう?」
 宿の玄関口まで出てきたユリウスが作り笑顔で言った。
「このボルチモア州内で族に襲われるなど大変申し訳ありませんでした。族はすぐに捕らえて厳しく処断致します」
 トラシュが許しを請うようにユリウスに手を差し伸べる。
「トラシュ様、そのような事。命に別状があるでなし、どこの州にでも山賊、盗賊の類はおりますよ。取り締まるのはもちろんですがどこからでも湧いて出るようなもの。今回の事はお気になさらないで下さい」
 ユリウスは営業用の笑顔でにっこりとトラシュに向けて微笑んだ。
「クロード、行くよ」
 ユリウスに腕を取られてクロードが不貞腐れる。
「昨日の今日でこんな事言うのはどうかと思うけどどこにも行かないからさ。手を離してよ、小さい子みたいじゃないか」
「小さい子だろう、やってる事は」
 冷たくユリウスが言った。
「まあ暫くは仕方ありませんね」
 ラドビアスにも言われてがっくりとクロードは手をひかれたまま馬車に乗り込んだ。



 プリムスからケスラーへの道は花崗岩で舗装されていて乗り心地が今までと格段に良い。 そのためか、ニ刻ほどでケスラーに着いた。 大理石が多用された首都サイトスも美しい都として名高いが、ケスラーもなかなかだとクロードは思った。 モンド州の州都、エリアルは黒曜石の都として知られているのと対照的に眩しいほどの白い都だった。
「綺麗な所ですね」
 クロードが建物に光が反射するのを目を細めながら見ている。
「そう言ってもらえると嬉しいね」
 トラシュは朗らかにクロードに笑いかけた。
 クロードは首をかしげる。 好人物に見えるが。 本当に隣の州の公子をボルチモアに悪意を持って誘い込もうとしているのか。 考えすぎなんじゃないのとユリウスを見た。
 町の様子からこのボルチモア州がかなり豊かなのだろうと解かる。 花崗岩を産出し、大きな河が広い平野に何本も流れて北に位置している割に安定した農作物が採れるのだ。 そこで桑が栽培され良質の絹が作られている。 街の隅々まで舗装された道が続き、上水、下水道も整備されていた。
 レイモンドール国の三十ある州の中でも頭一つ抜きん出ている州。 それがここボルチモア州であった。 そのことは勉強で習っていたが、話しに聞くのと実際目で見るのとは大いに違う。 ボルチモア州候ドミニクはやり手なのだろう。 そうだからこそ実力があって上昇志向の強い州候がサイトスの魔道師庁の存在など厄介払いしたいと考えることがあってもおかしくない。
 そして今は州宰として詰めていた魔道師たちがこぞって各州を留守にしているのだ。 河に囲まれた大きな中州になっている土地に盛り土をしてそこにボルチモアの州城は建っていた。 その広大な敷地の中に入る為には、東西南北各場所のどれかの跳ね橋を降ろして入らなければならない。 クロード達を乗せた馬車は山側を下った西側の跳ね橋から州城へ入った。 馬車は主城を離れて敷地の一角にある小宮の前に止まる。
「今日はお疲れでしょうからこのままこちらでお寛ぎください」
「ドミニク様にご挨拶をしなくては失礼になりましょう」
 ユリウスが眉をひそめる。
「父上がそのようにと言ったのですよ、ユリウス、気を使わないでください。主城には明日私がお迎えに参りますよ」
 どさくさに紛れてユリウスの手を取ってトラシュがユリウスを馬車から降ろす。 案内された小宮はユリウスの居城に似た小さな城だが内装はかなり美しく三階建ての中はどれも凝った造りになっていた。
 クロードは一つ一つ戸を開けて見ながら歩いていたがこの小宮にほとんど警備の者が居ない事に気付いた。 まあ州城の中で何かあるわけもないか……しかし、他もこことまではいかないにしても警備が薄いのなら何か訳があるのだろう。 例えば他に兵を集めているような……。 昼間プリムスからの道中そんな事を考えていた所為か何を見ても怪しく思ってしまう。