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ボルチモアへの旅路
 馬車に一日乗って居るのは結構きついものでその上、ユリウスと差し向かいで二人だ。 中で散々、印の組み手を練習させられ呪文の意味と読み方の問答が続く。 さしものクロードもユリウスに泣きをいれる。
「ユリウスお願い、もう休ませてよ」
 両手を合わせて顔の前に上げる。
「せっかく私が教えてやってるのに……まあ可愛くお願いされたら仕方がない。休ませてやる」
 ユリウスは持っていた外国の文字が書かれている本を広げて目を通し始めた。 気付いてみれば、ユリウスはほとんどの時間を読書の時間にあてている。 何を読んでいるのか外国語の本が多いのでクロードには解からない。 まあ、聞いて説明されても困るので黙っておく。 クロードは、する事も無く窓から外を眺めていた。
 モンド州の州都を過ぎて馬車は山道へと入って行く。 緑の濃い山中のトンネルのようになっている緑に目を奪われていると黒っぽい人影を見た……ような気がした。
「さっき黒いものが……あれ?」
「知らぬ顔をしておけよ、クロード」
 クロードが声を上げたのにユリウスが本を見たまま鋭く言った。
「何で?」
 ユリウスが本を閉じてクロードを見る。
「我らをつけているのさ、いつ仕掛けてくるか様子を見ている」
 ――やっぱり人だったんだとクロードが後ろを振り返るが、もう緑の中に何もかも紛れて何も見えなかった。
「本当は私とラドビアスそしておまえだけならもっと動けるのだが、そうはいかなかったな」
 ユリウスはクロードに指を突きつける。
「これからちょっと隠れている虫を追い出すつもりだから口出しや邪魔するのじゃないよ」
 言うだけ言うとまた本を広げる。 やはりユリウスは気がついていたのだ。 その上で来州の誘いに乗ったのだ。 これはアリスローザに気をつけろと言ったほうがいいのだろうか。 そこまで考えて俺はどっちよりなんだとクロードは苦く笑った。



 日が暮れる前の黄昏時。 小さな集落について他の従者が宿の手配をしている中、ラドビアスが馬上から馬車の窓に近づいて低い声でユリウスに告げる。
「三人確認しましたが、始末しますか」
「いや泳がしておけ」
「はい」
 手綱を引いてラドビアスが馬車から離れて後方へ下がったのを見て、クロードがあわあわとユリウスに尋ねる。
「し、始末って……まさか?」
「殺すことに決まっているだろ、ラドビアスは腕が立つからな」
 前にラドビアスが体を鍛えてるのではないかと思ったことが確かめられたのだが、クロードは嬉しくない。 人殺しの話を淡々と話す、ユリウスとラドビアスに慄然とする。 竜印が完成したら俺もこうやって王の為とかいう理由で人を殺めるようになるのか。
 今夜の宿は寂れた場所にあっては唯一宿らしい佇まいがある二階家で、一階は食堂兼酒屋になっている。 森の中の集落にあってはあまり贅沢は言えないが、州公の子息が二人もいることを考えるとかなり粗末な感は拭えない。
 途中大きな(わだち)に荷馬車が車輪をとられて横転して、従者や下男総動員で馬車を元に戻し、故障箇所を修理している間に時間が思いのほか経ってしまった。 そのせいで今日予定していた宿場町にたどり着く前に日が暮れてしまったのだ。
「他に宿がございませんゆえ申し訳ありませんが、ここでお休み下さいますようお願いいたします」
 従者が申し訳なさそうに頭を垂れるのをユリウスはどうでもいいと手を振って降りようとするが、従者に止められる。
「今、宿から人払いしております。少々お待ちを」
 金貨を握らされたのだろう、宿の主人が他の泊まり客や食事、酒を楽しんでいた客を追い出している。
「旦那様、これで宿には客は人っこ一人いませんぜ」
 宿屋の主人が大意張りで言っているのが聞こえて、クロードは気が塞ぐ。 宿が一つしかないのにそこを追い出された者は野宿するしかないではないか。 自分が追い出されたような気分でクロードは馬車の座席に沈み込んだ。
「食事の用意と湯を沸かすように」
「へへぇ」
 従者に卑屈な返事を返すと宿屋の主人が中へ引っ込むのを確認してから、従者が馬車に戻って来て馬車の戸を開ける。
「お疲れになられたでしょう、ユリウス様、クロード様」
 頷きだけ返してユリウスが馬車を降り、クロードも後に続いた。
「うーん」
 クロードは体を伸ばすようにあちこち体を捻ったりしてみる。 座っているだけなのにやたらと節々が痛い。 明日は馬に乗って行きたいけど……しかし変な奴につけられているんだと思い出して思い直す。
 疲れていたがそれに反比例して胃袋は元気そのもの。 クロードは、羊肉のローストと黒ずんでいるパンをレンズ豆のスープで流し込みながらユリウスを見る。 すると彼は食事にまったく手を付けずに血のようなワインを飲んでいる。
 いつものようにユリウスのお酒の飲み方は酒を楽しんでいる感じがまったくない。 水を飲むようにぐいっと呷るように飲む……これではダリウスではないが誰だって心配になる。
「あのさあ、酒ばかり飲んでると体壊すよ。食事をしなきゃあ」
「ここの食事は食べる気がしないんだ。ほっといてくれ」
 そう言って再びワインを飲もうとしたユリウスの目の前に、スープの入ったスプーンが突きつけられる。
「ほら、スープぐらい飲まなきゃ」
 口元に持ってこられたスプーンを暫く見つめていたが口を開けたので、クロードはユリウスの口へスープを流し込んだ。
「じゃあ、はい」
 スプーンを手渡そうとして差し出したのをユリウスに払いのけられる。 えっ? とクロードはユリウスを見返す。
「このままクロードが飲ませてくれたら食べてもいいけど」
「はあ?」
 何言ってんのとユリウスの顔を伺う。
「このまま酒飲んでたら明日、馬車で吐いちゃうかも」
 ユリウスがなみなみと杯にワインを継ぎ足す。 じゃあ、飲むのをやめろよと思ったがここで俺が折れ時なのかと直感する。
「解かったからワインはもうやめろよ」
 にこにこと口を開けるユリウスを見てラドビアスの日々の苦労を思う。 クロードは大きく溜息をついた。
 割り当てられた部屋に戻り、お湯を使い体を拭いて寝台に入ってみて。 クロードは、いかに自分が恵まれた生活をしているかを感じざるを得ない。 薄い板で作られた寝台は少し動いただけでぎしぎし大きな音がするし、中に藁でも詰めているらしい敷布がちくちくして寝るどころじゃない。 引き上げた上掛けの上部は真っ黒に汚れていて、気付いてしまうと掛ける気もしない。
 しかし、蚤や虱がいないだけでも上等らしいそうだ。 で、蚤と虱って何だ? 放っておかれてはいたが決して衣食住に(きゅう)したことなど無いクロードには、一般の人々の暮らしは今一つ解からない。 慣れない寝台のおかげで寝付かれずごろごろしていると、隣の部屋に誰かが入って行く気配がした。
 ――まさか、族か……? 下の階に従者たちが詰めているからそんな事はないだろうと思いながらも気になる。 クロードは寝台から降りると裸足のまま廊下に出て、そっと隣の部屋の前まで忍んで行く。
「クロードか、入れ」
 中から声がしてクロードは大声を上げそうになって、自分の口を押さえながら入る。 すると入り口近くにラドビアスがいた。
「おまえだったの? ラドビアス、ノックも無しで入っていくから誰かと思ったよ」
「済みません。一階におられるダリウス様の従者の方をかわして、そっと出てきましたので」
「ラドビアス、ダリウスの従者に遠慮しているの?」
 クロードの問いにラドビアスが薄く笑う。
「そうではありませんが、私だけユリウス様と一緒のお部屋というわけにはいきません」
 ――そうなの? そりゃあこっそり後ろ暗い相談をしようとするのは大変だとクロードは部屋の作り付けの椅子に腰掛けた。
「今までの顔ぶれは五名でした」
 ラドビアスにユリウスが頷く。
「放っておけよ、どうせこちらに不審な動きがないか探っているのだろうさ。よもや術を使ったりするなよ」
「はい」
 ラドビアスが心得顔で返事をするがクロードは得心がいかない。


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