はじまり
「これは……」
薄暗い廟の祭檀の上、焚いていた炎が何の前触れも無く灰色の煙を細く上げて消えた。
――王に異変が?
「ルーク様、祭壇の火が!」
周りの魔道師たちが怯えたように最上位の魔道師であるルークを見る。
「解かっている、リチャード付いておいで。サイトスに行く」
青灰色のローブの裾を翻してルークは直ちに印を素早く結んで呪文を唱える。
『アルベルト! ルーファス! サイロス!解せよ!サイトスへ通せ』
その声に応えて人一人が通れるくらいの漆黒の闇がぱっくりと口を開けた。
「直ぐに帰ってくるから。この事は口外しないように」
言ってルークはリチャードと呼んだ魔道師を連れてその闇に沈むとその闇は忽然と姿を消す。
廟の内部のように薄暗い石畳の洞窟然とした道を進むこと一ザンと少し。
二人の目の前に双頭の竜を象った彫金が細工されている扉が姿を見せた。 ルークが手前に引いて開けるとそこはうって変わって眩しい光が差す大きな部屋。
そこは先程の廟と同じくたくさんの魔道師たちがいたが室の様子は廟とはまるで違って庁舎のようだ。
「ルークか」
そう言って書類の山に埋もれるように座っていた茶色の髪の魔道師が顔を上げた。
「『鍵』に変化があったのではないかと来てみたんだけど……」
それを聞いて茶色の髪の男は慌てて立ち上がる。
「朝は何も変わったところは無かったが……ルーク、王の執務室へ行こう」
首都サイトスの主城内の廊下を三人の魔道師が足早に王の元に急ぐ。
「今度の王はまだほんのひよっこだろう? その子供はまだ殻つきほどの雛だ。大丈夫なのか?」
赤毛の巻き毛を揺らしてリチャードが横の魔道師をつつく。
「四十一歳をひよっこ扱いとはおまえも爺になったもんだよねえ」
ルークが笑いながらリチャードにお返しとばかり背中をぱしりと叩く。 そんな二人に前を行くガリオールが振り返って厳しく咎める。
「お前達、ここはゴートの廟じゃないのだ、そんな軽口を誰かに聞かれでもしたらどうする」
「はいはい、爺とは言い過ぎました。お年寄りですね」
「ルーク!」
冷たい視線を受けながらも肩を竦めるルークにガリオールは溜息をつく。 話の内容に反比例してその三人はまだ二十代の若者に見えるが……。
「ゴートの廟長としての仕事にルークを専念させてリチャード、おまえがもっとしっかりしてくれなくてはならないと言うのに。いつまでもそんなでは亡きヴァイロン様もお嘆きになられよう」
「もっと大人になれ、という事だ、リチャード……これ以上大人になるのは大変だ。なんせ四百年かかってこれなんだからさ」
ルークが真面目くさった顔を作って言う。
「ルーク、おまえに王の半身を教育させるのを止めたほうがいいな。私の一番の失策だ。」
苦い顔をしてガリオールはまた溜息をつく。
「心配なく、ガリオール、せっせと立派な上位の魔道師を量産してるから」
ルークが苦りきったガリオールの横で笑いながら言った。
レイモンドール国の王は即位の時に魔道と契約を交わし、正式に王となる。
その即位以降、王は魔道の加護を受け、国政に携わるがその在任中外見の歳は変わらない。 つまり不老となる。
しかし、不死では無いため寿命は只人と変わらないと言われている。 だが、外に漏れてくる話はどこまで本当か嘘なのかはわからない。
秘密めいた国レイモンドール。
その実は他国はおろかレイモンドール国の国民さえ解かってはいない。
「ううっ、寒いっ」
肌を海峡から吹く冷たい風が駆け抜けてクロードは首を竦めた。
もうレイモンドール国の首都サイトスでは国花である白霧花が咲き始め、春の賑わいを見せる頃合だ。
しかし北部に位置するここバルザクト・ロイス・ヴァン・ハーコート公爵が治めるモンド州の州都エリアルはまだ冬の名残を色濃くのこしていた。
だいたいがレイモンドール国自体が温暖な国ではない。
一年の大半は冷たい海からの風が吹く寒々しい季節が続き、春が来たと思うと一斉に花が咲き乱れ短い夏を迎える。
「クロード、父上がお呼びだぞ! おまえはすぐに供も付けずに居なくなるから捜すのに骨が折れる」
州城は海を見下ろす小高い丘に造られている。 クロードと呼ばれた少年はその海を望む城壁の上に立っていた。
城壁に立ったところで見えるのは海岸線から僅かに覗く青い色だけ。
直ぐ目の前には国境に巡らされている結界のために一年中、濃い霧が晴れる事がない。
「ダリウス兄様、春はまだ遠いな」
従者を後ろに控えさせて髪を押さえながらこちらを仰ぎ見ている兄に向けてクロードは呑気に答えた。
――従者っていったって俺には端から決まった従者なんていないじゃないか。
心の中でそう悪態をついたが何も言わず兄の方へ向かう。 ダリウスはやって来た弟の姿を認めると主城に向けて歩き出した。
「先ほど、首都サイトスから父上にお客様が来たのだ。高位の魔道師らしいけど……父上に何の御用かな」
レイモンドール国は三十ほどの州に分かれていてそれぞれ州候が自治を任されていた。
その州候を補佐する者として多くの州が魔道師の州宰を置いているがここモンド州は魔道師の州宰がいないため高位の魔道師という存在自体が珍しいものだった。
先を行く兄、ダリウスの漆黒の長くてまっすぐな髪が白いマントの上で揺れている。
――俺と兄様って似てないよな、やっぱり。 こっそりとクロードはつぶやく。
クロードの父、バルザクト・ロイス・ヴァン・ハーコートは公爵の地位にある。
現国王コーラルの兄であるからなのだが、なぜ弟が王位を継ぎ、公爵である彼がこのような辺境の地に州公として居るのかクロードには解からなかった。
しかし、このモンド州の山からは良質の金や銀が採れる。 大半は国の直轄地になっているがその差配は州公に任されている。
それゆえこの土地は国にとって重要である。 そしてもう一つ、この州の半分を有するゴート山脈には魔道教の本山がある為、ともいえる。
ハーコート公は逞しい体躯に釣り合う四角くがっしりした顎に強い意志を秘めた黒曜石のような瞳。
しっかりした鼻梁を持つ高い鼻、情に厚そうなふっくらとした唇。 顎には豊かに髭が蓄えられていてなかなかに堂々としていた。
長男のダリウスはその父親の特質を一人で持ち逃げしたかのようによく似ている。
男らしい風貌と闊達な性格により、彼の評判は天井知らずだった。
次兄のユリウスは十七歳、母親似で亜麻色の髪に薄い水色の瞳を持つ線の細い女性と見紛う美形だ。
ところがニヤリと時々つり上がったように笑う口元のせいで酷薄な印象を与える。 クロードはこの次兄が苦手だった。
なんにおいても顔に出るダリウスと違ってユリウスはいつも突然現れて謀るような顔してクロードにちょっかいを出してはしれっとした態度で立ち去っていくのだ。
――さっきもそうだ。
ダリウスがやって来る一刻も前、クロードは自分の部屋で長椅子に寝ころがって読書をしていた。
いや、していたつもりだったがいつの間にか掲げるように持っていた本は垂らされた右手に持たれてはいたが、今は床に伏せられていた。
何か柔らかいものが頬に触れてきて。
「――ん?」 クロードは眠りから覚めて薄目を明けた。
「兄様! ユリウス兄様」
目覚めた視界一杯にユウリウスの顔があることに驚いて飛び起きようとして、クロードは自分の顔にひたとユリウスの両手がかかっているのを知ってもう一つ動揺した。
――こういう奴だった。 いつも不意をつくのだ。
ユリウスの軽くウェーヴのかかった髪が流れてまるでカーテンのようにユリウスとクロードの周りを囲んでいる。
「よく眠っておいでだったね、クロード。もしかしたらおまえの一大事だっていうのにさ」
ユリウスの唇の右端がニッと上がる。
「何のことです、ユリウス兄様、一大事って何です?」
今度はユリウスの目がすっと細くなった。
普通なら笑顔ってことになるのだろうが、この兄がやると何でこんなに酷薄な顔になるんだ? クロードの思いなど関知するはずもなくユリウスは楽しそうだ。
「サイトスから客が来てる」
「だから?」
「その客はおまえに用があるのさ」
「なんでそんな事、ユリウス兄様が知っている……」
クロードの言葉はユリウスの手がクロードの口を塞いだ為続かなかった。
「……なんだよっ……」
暴れる弟の両腕を掴んで動きを封じるとその耳元にささやく。
「少し静かにしないと教えてやらないよ」
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