長い黒髪と、その身に纏った黒いぼろ切れのような服が、ひび割れた硝子の隙間から吹き込む風になびき、まるで別の生き物であるかのようにはためく。
黒い瞳、少女はただまっすぐに前を見据え、その瞳の先にはしかし何もない。主を無くした人形に、ただ朽ち果てる他に与えられる運命はない。
――。
少女の耳にははっきりと、扉を開ける音が聞こえた。
刹那にして灰色の部屋が色づき、色彩に溢れる。ただその一事で少女の胸が希望に躍り、主が来るのを出迎える。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
豪奢な光沢のある黒いドレスの裾をたくし上げながら玄関まで走り、挨拶をする少女に主は苦笑しながら。
「ただいま、エルフェリス」
艶やかな黒髪がさらりと指に流れる。
なでつけられる髪の感覚に少女は酔いしれたように頬を染めた。だが主の体にまわして組んだ腕はがっちりと放そうとはしない。
「おいおい、そんなことをされていたら着替えられないよ。エルフェリス、良い子だから離しておくれ」
「はぁい……」
しぶしぶ離れる少女に、またも苦笑する。
「また後で、相手してあげるからね」
「……」
少女はそれに沈黙で答えた。
ご主人様はいつもそう言って相手をしてくれたことなどないのだから。でも、お仕事が忙しいことはわかっているつもりだ。嫌われたくない、だから聞き分けのいい良い子でいないと。
「そういえば、今日の夕ご飯は何かな?」
そんな少女の様子は気にもとめず、主は着替えながらそう話を振る。
「魚介類のスープと子牛のステーキです」
「へぇ、そうか。君が肉を使うなんて珍しい。今日は何かあったかな?」
思わず、むっとしながら少女は答えた。
「今日は私がこちらにきてから三年目の日です」
「あはは、そんなに怒らなくても良いだろう? ちょっとした冗談だよ」
「嘘です。ご主人様は、きっと本当に忘れていました」
着替えの手を止めて、主は上着のポケットを探った。一つの小さな箱を取り出して、少女へと差し出す。
「そんなことはないよ、これが証拠さ」
「これ……は?」
「プレゼントだよ、開けてみると良い。気に入ってもらえると、嬉しいがね」
「わぁ……」
そこにあったのは、透明に輝く石をはめた指輪。
「本当に、良いんですか?」
「もちろん」
ご主人様は、いつもこうして私をからかうのだから。それでも……いつも、その手に乗ってしまうのはそれを楽しんでいる私がいるのだろうか。
「ありがとう、ございます」
指輪を取り上げ、左手の――薬指へとはめる。
「おいおい、そんなつもりの指輪じゃあないんだが」
「じゃあ、どうしてぴったりなんです?」
「あ、いや、それは、だな……」
困っているご主人様が可愛くて、つい微笑んでしまう。
もう一度、その体を抱きしめ。
「本当に有り難う御座います、ご主人様」
指にはまった輝きを見る。首の関節がきしみ、嫌な音を立てた。
それはいつしか光を失い、暗い灰色の部屋と同じ色になっていた。
抱きしめた主の香りも、今や遠い。
「……」
そして少女は今日も、廃屋の一室で在りし日の記憶に浸る。
いつか、その追憶に溺れ死ぬことを願いながら。 |