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神封巫女伝 作者:栗田隆喬
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第二章(8)

 罪深い存在が、消える。世界に、神々に、不調和な調べを奏で続けていた害を為す存在が消える。
 ずっとそうなることを願っていたのかもしれない。
 悲しみを通り越して、アミネの心には安らぎと喜びが浮かんできた。
 目を閉じる。胸元の石からは暖かな感触が広がってきた。
 最期の衝撃は、こなかった。


 恐る恐る目をひらくと、鷲が触れそうなほど間近に迫った嘴を引き戻し、じっとアミネを見つめていた。
 血走り燃えるように輝いた瞳は冷え切って暗い陰が宿っている。威嚇するように広げていた羽根を徐々におろしてたたむと、アミネの身体を押さえ付けていた爪をゆっくりと外した。
 鷲は少し距離をとって、アミネを見下ろした。その姿がゆっくりと消え、やつれた姿のヤツヒに変わった。霞に包まれていたよ
うな周囲も、小さな草葺きの天幕に戻っていた。
 首元を押さえていた力がゆるめられる。
 たき火で暖められた熱い空気が急に胸へ流れ込んできた。今まで気づかなかった息苦しさにアミネは激しく咳き込んだ。
 喉が張り付いている。胸が、芯から焼けるようだった。
 涙目には、すべてが紫色に染まって見える。その色合いと痛みが、心の臓が打つ響きに合わせて強まった。
 しばらく咳きは続いた。
 気づくと、エナイシケの青年の姿は天幕になかった。
 嗚咽の混ざった咳きと、押し殺したようなアミネのすすり泣きだけが、天幕から漏れた。

  ***

 暗い川のほとりにヤツヒは腰掛けていた。
 水に写った月の光を眺めていると、両手に人を殺めかけた感覚がよみがえってくる。それも腕の力でなく身体の芯を流れる力を使っただけに、染みのように拭えない。
 ヤツヒは頭をふると立ち上がり禊のため流れに入った。
 夜空を仰ぐように身を沈めれば川面には月の形がゆらりと揺らいでいる。そのまま川底へと潜れば、ほてった身を流れが冷やした。水の冷たさは頭の芯まで染みるようだった。
 まだ若く、知恵も経験も十分でないことは分かっている。それでも、目に見えぬ世界と通じ、少しのことでは動じない心構えができていると思っていた。
 娘の魂支えをしてやれ、とリリルルに言われ、それがたった一人での魂支えだと分かった瞬間に面倒という思いが突然、誇らしげな気分に変わった。
 その時、気づくべきだった。
 言葉ひとつで心持ちが変わるほど、未熟だったことに。

 浮ついた心で魂支えに挑んだところで、ヤツヒの思った通りにことは進まなかった。
 イアの娘の魂は暴れ、それを無理やりに抑え込もうとするヤツヒの心も乱れた。心の乱れに魂もつられた。自らを御することさえ危うく、己を失うところだった。
 娘の魂が蛇の相だったからに違いない。
 ヤツヒの奥にある鷲の相からすれば、蛇は格好の餌食。落ち着きを失った魂が自ずから動き出せば、蛇に襲いかかるのは当たり前のこと。
 そのうえ相手は、イアの民。
 多くのエナイの末を、勇敢な戦士を、罪なき女子供を殺し、森の神々を封じ、木々を焼き払い、水を汚し、大地を殺してきた連中。
 再びヤツヒに怒りが沸き上がってきた。憎しみが水で冷えたはずの全身を熱くする。
 怒りを腹の底で押さえ、暴れだした魂の勢いを殺そうとする。冷たい流れで身を清めていたはずが暴れる心は収まるどころではなかった。
 水中の景色が消え去り、薄暗いもやの中に、魂が凶悪な気配を伴った鷲の姿を形作り始める。
 血走った瞳がヤツヒを見据えた。
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