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神封巫女伝 作者:栗田隆喬
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第一章(8)


  ***

 旅衣の乾いた麻布が、冷たい体にはとても暖かに感じられる。栗色の髪はまだ湿って重たかった。
 旅立ち前にひと眠りできるかとも思っていたが、星の形を眺めるとその余裕は無かった。東にはすでに明けの星が輝いている。間もなく空も白み始めるだろう。
 ユニは干し草の中で、まだぐっすりと眠り込んでいる。アミネはすやすやと寝息をたてるユニの髪を、起こさないようにやさしくなでた。
 しばらくユニの寝顔を見つめ続けるたアミネは、意を決して立ち上がると、そっと荷物を背負い、音を立てずに外に出た。
 小屋をふりかえる。
 ――さよなら、ユニ。
 巫女の旅立ちは見送らない習いだった。明けの靄にかすんだムラはひっそりと静まり返っている。
 ムラの入口を守る門番でさえ夜半過ぎに扉を開け放つと、見送りに当たらぬように脇の見張り小屋に籠もっていた。いつもなら一晩中消されることのない寝ずの明かりも、薪をくべるものがなく、小さな熾火になって細い煙を上げるばかりだった。
 ――みんな、さようなら。
 門をくぐると、一人、アミネは明けの一つ星を目印に暗い森へと続く道を歩き始めた。
 日の昇る前の空気は、草木の湿り気を含んで張り付いてくる。
 後ろを振り向きたくなるのをこらえ、止まりそうになる足をひたすら前に前にと動かし続けた。止めてしまったら、振り向いてしまったら、辛くなるだけだから……。
 そのうち、アミネは駆け出していた。

 あたりは少しずつ明るくなってくる。
 新しい一日の訪れを告げる鳥の鳴き声。こずえの間からは、輝き始めた青い空が見える。さわやかな風が吹くと、木々は枝を揺らして露になった朝霧のしずくをこぼした。
 神のいなくなったはずの森。だが、木々は光りに輝き、森は穏やかだった。
 アミネは泣きながら歩き続けていた。
 ――なんで、なんで、なんでっ。
 よこしまな神に立ち向かう、シルメトの巫女だったのに。イアの威光に従う、シルメトの巫女だったのに。
 たくさんの辛くて厳しい修行。もう、どんなことにも動じない聡明さと、強い意志を持った巫女に、なったはずだったのに。
 数多あまたの神々や精霊を封じ、その働きを認められていたのに……。
 それが今は、ハイワエの巫女。
 シルメトと違い、仮名や真名を明かし神を従える力や才がなくとも、祭祀の手順さえ覚えていればハイワエは務まるものだった。そんな位にまで降格されて、一人で辺境のムラに向かっている。
 大巫女様の前でいわなくても良いことを言った結果だった。
 神殿の奥、鏡の間。遠く離れたミヤコにいます大巫女との、神鏡を通したやり取りが、一語一句、繰り返し繰り返し思い出されてくる。
 どうしてあの時、どうして、どうして……。
 沸き起こってきた思いに、再びアミネは走り出した。
 全力でかける。
 道は上り坂。息が上がってくる。体中が、心の臓が、悲鳴をあげている。
 だが、アミネは余計に早く走った。
 きつければきついほど、苦しければ苦しいほど。
 木々が、木漏れ日が、空気が、周りの景色がだんだん混ざり合ってくる。手足がしびれて、思うように動かなくなってきた。
 ムラを出てからもう何度、こんなことを繰り返しているだろう。動けなくなって倒れるまで、アミネはそのたびに全力で森を駆けた。
 頭が真っ白になって、すべてを忘れるまで。嫌な自分が、どこかに消えてしまうまで。
 できればこのまま死ねばいいのにと、心のどこかで願いながら。
 駆け続けたアミネは身体の平衡を崩し、道沿いにそびえる樫の木のもとに倒れた。まるで見えないなにものかに、足を引っ張られるような感覚だった。
 全身を巨木の幹に預け、眼をとじる。荒い息を整えるように深く呼吸を繰り返しても、息苦しさは変わらず、動きのとれない全身は今にも痙攣しそうだった。
 ――こんなに走っても、なにも変わらないのに。なにも、変わらないのに……。
 急に、胸のあたりに暖かさを感じる。胸の奥の方が、くぅっと小さな手で握られているように、痛みとも、暖かさともつかない感覚が広がって行く。
 アミネは、全身の力が抜けていくのを感じた。
 木の葉を通して、まぶしい輝きと緑の光が差し込んでくる。それは、閉じた瞼のうらからも、はっきりと感じられた。
 感覚を失いつつある身体に、硬くごつごつした木肌の奥深くに潜む、川のような水の流れが不思議と気配で伝わってくる。
 穏やかな風が火照った頬を撫でた。額から滴り落ちる汗を冷ましていく。心の臓が少しずつ落ち着いてくるにつれて、こもったように聞こえなくなっていた耳は、奥の方から張り詰めが取れて、遠くに響く、かすかな沢の水音が届きはじめた。
 疲れ果てたアミネの意識は、水音に誘われるように、そのまま眠りに落ちていった。
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