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少女文学者・春呼さん はじめてのお便り

作者: 磯崎愛

 はじめてお便りさしあげます。

 あなた、わたしのことをなんて呼びますか?

 わたし、春呼といいます。は・る・こ。

 女の子は名前の呼び方ひとつとってもめんどくさい。そう思わない? 春ちゃん、春呼ちゃん、春呼さん、春さん、いろいろ。それにね、呼の字をふつうに子どもの子にしてくれたらよかったのにって思ったことがどれほどあるか、これを読むあなたに想像できて?

 わたし、日記をつけるのをやめたのです。おばあさまから教わったのだけど、やめました。かわりにこうしてお便りすることに決めたのです。

 どうして日記をやめたか知りたくないですか? それとも、わたしがどういうお家の子だか知りたい? 

 なにか、好きなものとかお話ししたほうがいいのかな。犬をかってるの。ちっちゃな白い犬、名前はリュネット。おじさまはルネ公って呼ぶわ。失礼だと思う。でもあの子はちゃんとじぶんのことだってわかってしっぽをふるの。

 ふしぎね。

 リュネットのことじゃなくて。

 わたし、大人のひとにあんまりおしゃべりしない子だって言われるけど、お手紙になるとじぶんでお話ししないといけないのね。何でも話してしまいそう。言わないでいたことまで。

 この手紙を空きびんに入れて流そうと思ったのです。学校で先生が教えてくれたの。あとタイムカプセルというのも。未来へ向けてお便りするんですって。成人したらとどくそうよ。いまから十年後です。なんだかはてしなく遠いことみたい。

 おもしろいなって思ったけど、わたし、だれにあてて書いたらいいかわからなかった。おとなりの席の子はパパとママあてに書くっていってた。成人のお礼に。えらいなって感じたし、うらやましかった。

 わたし、親がいないから。こないだまでおばあさまと一緒だったの。でも入院してしまったので、いまはおじさまとくらしています。

 日記をかくのをやめたのはおばあさまに見てもらえなくなったから。なんだかきゅうにつまらなくなってしまって。

 文章が上手だって、お話しを書くひとになるといいわってほめてくれたおばあさまがそばにいなくなって、書かなくなりました。やめてしまったの。

 おじさまは忙しくて読んでくれないのです。でもおばあさまは、書くことはつづけてくださいねってお便りくれました。だから今こうして、どこのどなたか存じあげないあなたにお手紙さしあげているのです。

 そういえば、おばあさまはわたしを春さん、と呼びました。おばあさまは雪という名前です。とても寒い大雪の日に生まれたそうです。そのせいか、雪みたいにきれいなひとです。

 あ、思い出した。よそのひとに身内のことをはなすとき、祖母や叔父といわないと失礼だったわ。すぐ忘れちゃう。

 なおすの大変だからこのままでいいですか?

 だって、このお便り、ちゃんと誰かによんでもらえるかわからないんだもの。そうかんがえると気が抜けてしまう。

 わたし、何のために、だれのために、これを書いてるのかしら。この時間を、おばあさまあての手紙をかくためにつかったほうがいいような気がする。

 でもおばあさまは、あ、祖母は、じぶんへのお便りとはべつに日記はかきなさいって。日記じゃなくてもいいから、とにかくなんでもいいから書きなさいって。そう言ってたから。

  日記はよかったのです。したことを並べればよかったから。庭にバラの花が咲いたこと、木のうろにかくれたこと、雨がまどにあたる音を聞いたこと、くもった まどに指で絵をかいたこと、なんでもよかった。かくことがたくさんあった。朝からずっと、何をしたのか、見たのか、聞いたのか、書いていけばよかった。

 でも、おたよりはそうじゃない。

 お便りは、相手のことをおもって書くのですよ、と祖母から教わりました。じぶんのことばかり書いてはいけないそうです。だとしたら、わたしのこのおたよりはあまりよくできていないですね。

 でもわたし、あなたのことなんにも知らないから。知らないひとのことをおもって書くのはむずかしいです。

 お返事がきたらうれしいな。

 そうしたらわたし、いまより少しは上手にお便りできるんじゃないかしら。

 叔父は知らないひとに空きびんに入れてお便りするなんておかしいというのです。わたしの想像力が豊かすぎるといいます。先生だってお話ししたくらいだし、ふつうだと思うんですけど。怒ったみたいにいうのでだめなのかと思ったら、出しなさいといいました。

 名前も知らないあなたへ。わたしのことはどうぞ春呼さんて呼んでください。お元気で。  

                         かしこ




 前略ごめんください。

 権兵衛さん、お返事くださって本当にどうもありがとう。とってもうれしいです。権兵衛っていう字むずかしいですね。いっしょうけんめい練習しました。

 それからわたし、実をいうとあなたをうたがってしまって。おじさま、いえ、叔父がよこしたのかと。でもぜんぜん字がちがいました。字、お上手ですね。達筆というのだと教わりました。わたしもお習字をがんばらないといけません。

 前のおたより、木のうろにいれたでしょ。叔父がそうなさいって言ったから。海に流してもだれにもとどかないって。あそこなら、だれかが見つけてくれるんじゃないかって。

 いうことをきいて本当によかったです。

 わたしのお便り、ほめてくれてどうもありがとうございます。祖母にじまんしました。よろこんでくれました。

 おっしゃるとおり、本はたくさん読みます。なんでも。

 学校がはじまると教科書もらうでしょ。そしたら全部読んでしまうの。その日のうちに。わたし、叔父の家にひっこしたから新しい教科書をもらったのね。それもすぐ読みました。

  休み時間はだいたい図書室にいます。辞書をめくるのが好きです。あと百科事典。おはなしも好きです。わたし、『あしながおじさん』が好きでした。だからこ うやってお便りできてうれしいです。でもわたし、いくら想像力が豊かでも、権兵衛さんをあしながおじさんだと思いません。あのおはなし、ラブレターなんで すよね。

 叔父の幼なじみのおとなりさんに話したら、ジーン・ウエブスターというひとはトム・ソーヤとハックルベリーをかいたマーク・トウェイン の親せきだと教えてくれました。おとなりさんは小説をかいているひとだそうです。わたし、生まれてはじめて作家というひとに会いました。ふしぎな気分で す。そんなにかんたんに作家に会えると思っていませんでした。

 おとなりさんはえらい作家じゃないって笑っていましたが、本を出しているのです。えらいと思います。わたしにまた本を読みに来ていいよと言ってくれたけど、書いた本がどんなのか教えてくれませんでした。わたしには早いそうです。

 権兵衛さんにだけこっそりと打ち明けます。そしてひみつにしてくれるといいのですが、なんだかバカにされたように思いました。

 春ちゃんにはまだ早いってどういう意味でしょう。わからないってことでしょうか。わたし、本をよむのは得意です。辞書もひけます。わかるまで百回よみます。『読書百遍意自ずから通ず』と祖母から教わりましたし、そらで書けます。

 作家のひとがおとなりでたくさん本を読めるのはここにひっこしてきて一番よかったことです。けれど、そういうふうに言われたのはなんだかおもしろくなかったです。

 でもわたし、そうは言いませんでした。

 叔父は思ってることを口に出すといいって言いますが、わたし、できないです。なんだかウソついてるみたいな気持ちになる。それにとちゅうでどうせ打ち切られてしまうし。

 おじの家にはあんまり本がありません。でも辞書と事典はあります。それからレコードはたくさんあります。祖母の家で聞いたことのない音楽をいっぱい聞きました。よその国の音楽です。いつか、わたしも行けるでしょうか。

 権兵衛さんも本をよむの好きですか。どんなご本をよんでいますか。外国には行ったことがありますか。行ったとしたらどこの国ですか。好きな町はありましたか。

 教えてくださったらうれしいです。

 あ、そうでした。権兵衛さんが知りたかったこと、おこたえしますね。

 叔父はわたしを「春の字」と呼びます。

  はじめて会ったときに、春呼ちゃんって呼んだのです。その言い方がなんだかよそよそしくて、わたしを引き取りたくなかったみたいでした。めんどくさいと顔 にかいてありました。だからわたし、すぐにお返事しませんでした。どうもあのときから、叔父とのあいだがぎくしゃくしたのだと思います。 

 でもどうぞご心配なく。

 ここにひっこして三月ばかりたちました。わたしも叔父も、お互いになれてきたようです。リュネットがなついたのですからだいじょうぶ。叔父はこわい顔をしてますし言葉もらんぼうですが、わたしを嫌っているわけではないとわかりました。

 だって、叔父がこの手紙を「権兵衛さん」にわたしてくれたんだってことくらい気づきますから。

 でもどうか、叔父にないしょにしてください。

 しばらくのあいだ、だまされていてあげたいのです。わたしが見知らぬだれかと文通していると思ってもらいたいの。

 おとなりさんが言いました。叔父はむかし、英語でかいた手紙を海に流したのだと。なんだかはずかしくて、でもどうしてか、むしょうにうれしかったです。

 またお便りくださいね。きっとですよ。お元気で。 

                    

                        かしこ




文学フリマで配布した無料誌の転載です。

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