橙の章 08
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竹が去った後の王の間は微妙な空気が流れていた。
片方の肘を肘掛につき、その腕で不機嫌そうに頭を抱えるヴィンセント伯爵。
その横で、これまた不機嫌そうに、元凶のいた空間を睨み付けるアレクサンドラ。
更にその反対側で、今にも笑い転げそうなほどの笑いをかみ殺しているエドワード。
そして竹が城から出て行ったので、言いつけられていた、門番の役割を一時部下に任せて駆けつけてきたは良いが、現状が理解出来ていないルートヴィヒ。
そんなベストオブ微妙、な空気が10分ほど続いた。
この10分は、エドワードの笑いが収まるのにかかった時間である。現状が理解できていないルートヴィヒは言わずもがな、ヴィンセントもアレクサンドラも、先ほどの事を説明する役には向かなかった。
「いやいや、アマクラも凄いことをやってのけますね」
漸く、唯一説明と進行が出来る、エドワードが口を開いた。笑いが止まったといっても、まだ口元に笑みは残っていた。
「解決士なんて言っておきながら、自分で問題をぶち上げていくんですから」エドワードは笑顔のままかぶりをふって、ワーナー親子に視線を向けた。
その視線に王と王女は何も答えず、それを見たルートヴィヒがやっと声を上げる。
「何があった?! エドワード!」
「ん、ああ。これが傑作なんだが、さっきアマクラが、アレクサンドラお嬢様にプロポーズしていったんだよ」
「なっ?! 何だとっ!?」ルートヴィヒの瞳が極限にまで開かれる。
「それは笑い事ではないだろう!!」ルートヴィヒはそう叫んで、エドワードを睨み、続いて「そっそれで我が王女! まさかその……ぷっプロポーズをお受けになったのですか?!」と悲壮な表情でアレクサンドラに問うた。
「……」
その問いにアレクサンドラは答えずに、代わりにヴィンセントが重々しく口を開いた。
「馬鹿なことを言うな、ルートヴィヒ。我が娘ははっきりと断ったわ」
その答えにルートヴィヒは、ほっと息を付く。
「そういうこった、ルートヴィヒ。だからお前の愛するアレクサンドラお嬢様は、まだ誰のものでもないってわけさ」エドワードがからかうような口調で言った。
「なななななな何を言うっ?! ぶぶぶぶ無礼だぞ『剣手』!!」ルートヴィヒは浅黒い肌の色でもその変化がはっきりとわかるくらいに、顔から首まで真っ赤に染めて言った。
「そうだ。滅多な事を言うものではない。エドワード」ヴィンセントは、難しい顔のまま言った。
「失礼しました、我が主」エドワードは慇懃に一礼して、底意地悪そうにルートヴィヒにだけわかるように笑った。
「……くっ」ルートヴィヒは悔しげに唇を噛んで、エドワードを睨むもヴィンセントが咳払いしたので、それをやめた。
「うむ。それでだルートヴィヒ、お前に言っておくことがある」ヴィンセントは口調を先ほどまでの父親よりのものから、完全に王としてのそれに変えて言う。
「何でしょうか、我が主」ルートヴィヒもそれに呼応して、騎士としてヴィンセンとの前に跪く。
「我は先ほどの一件でアマクラを完全に敵と見做した」
「では、十三夜と騎士団の全面戦争というわけでしょうか?」
「いや、そこまではいかぬ。あくまで我が敵と見做したのは、アマクラ個人であり、十三夜ではない」
「は? それはどのような意味でしょうか」
「つまりこういうことさ。騎士団はアマクラ個人には攻撃を仕掛けるが、十三夜とは協定通り敵対しないって意味だ。幸いにも今回はアマクラ自身が、今日は十三夜のアマクラではなく、解決士として来たって言ったからな」ヴィンセンとに代わって、エドワードが説明する。
「という事は、騎士団は解決士のアマクラを敵と見做す。そういう事か?」
「ああ、そういうこったな」
「なら、もし解決士のアマクラを、手助けするものが現れた場合は、どうするのです? 我が主」ルートヴィヒは期待を込めた声色で聞く。
「我らの敵を手助けするのなら、当然、そやつも敵であろう」
「はっ、畏まりました」ルートヴィヒは、これで漸くあの秩序の敵を葬る事が出来ると、心底嬉しそうに頭を垂れた。
「サンドラも、それで良いな?」ヴィンセントが娘に確認する。
「……」
「サンドラ、聞こえておるか?」
「え、あ、はい。それで良いです」アレクサンドラは、二度目の問いかけで漸く気付いて返事をした。
その様子はあたかも、今までの話は聞こえていなかった風だったのだが、その異変に気付いたのはこの中でエドワードだけであった。
「うむ。では引き続き、ルートヴィヒは門番を。アレクサンドラとエドワードは自室へ。我は少しやることがある。皆、暫くこの部屋には入るな」
ヴィンセントの言葉に、アレクサンドラ、エドワード、ルートヴィヒの三人は一礼して王の間を出る。
アレクサンドラが早足で、自室に戻っていく後ろ姿を、何か神々しいものを見るように見ていたルートヴィヒに、エドワードが声をかけた。
「わかっていると思うが、ルートヴィヒ、いくら敵とはいえ我らは秩序を守る者だ。間違っても一般人を巻き込むような状況、時間、場所では戦うなよ?」
「当たり前だ。いくら我が王女に無礼を働いた輩を葬る為とはいえ、その辺りは当然弁えている」ルートヴィヒは馬鹿にするな、と鼻を鳴らして、門番に戻る為に階段を下りていく。
「そりゃよかった。じゃあ門番頑張ってくれ」エドワードはそれを見て、ひらひらと手を振って途中でルートヴィヒと別れ、自分も自室への道を歩いていった。
――と思ったら、エドワードはルートヴィヒと別れた階段まで戻ってきて、上から階下を覗く。
そしてルートヴィヒいなくなったのを確認すると、アレクサンドラの部屋へ足を向けた。
王の間と同じ階にある、アレクサンドラの寝室の扉の前に立ったエドワードは、分厚い扉をノックする。
4、5回ノックしても返事がなかったので、「アレクサンドラお嬢様、少しよろしいですかね?」と声をかけながらエドワードはそうっと扉をあけた。
扉を開けると、その部屋の主は窓際で装飾の煌びやかな外を眺めて、呆と椅子に座っていた。
ノックしても返事がなかったのは、恐らく本気で気付いていなかったのだろう。
エドワードは、やれやれと苦笑いして、こりゃ重症だと息を漏らした。
「アレクサンドラお嬢様。アレクサンドラお嬢様」エドワードは窓際まで歩いてアレクサンドラに近づき、それでも未だこちらに気付いていない王女の肩を、呼びかけながら揺らした。
「っえ? あ、何だ。エドワード。どうしたの? というか勝手に部屋に入るなんて無礼じゃない」漸くこちらに気付いたアレクサンドラは、本気で怒ってはいないものの、非難の視線でエドワードを見た。
「ノックもしましたし、呼びかけもしましたよ」エドワードは軽薄な笑みを浮かべた。
「嘘? 気付かなかったわ。本当に?」
「我が主と我が王女に誓いましょう」エドワードは軽薄は笑みはそのままに、毅然とした口調で言う。
「……そう、なら本当なのね。ごめんなさい。全く気付かなかった」アレクサンドラは城下の世界を眺めながら、憂鬱そうに吐息を漏らした。
「でしょうね。今のアレクサンドラお嬢さまは普通じゃない」
「……普通じゃない、のでしょうね。どうかしているわ。本当に」
「プロポーズされて、平静でいられる女性はいませんよ」エドワードが少しからかうような口調で言った。
「っ!」ビクリとアレクサンドラが反応する。
その反応になんてわかりやすいんだ、と笑いをこらえながらエドワードが言う。
「とはいっても、あれはアマクラのミスですから。だからあまり気に病む必要はありませんよ」
「ミス……そうよね。あれはミスよね」
「ええ、すぐに訂正してましたから。まあ我が主もお嬢様も全く聞こえていない様子でしたが」
「まさか。お父様はともかく、私は聞こえていたわよ。お父様の代替品として、私をこの国に置いてくれって話でしょう?」
「ありゃま、そうでしたか。だったらそれを聞いた上で、断ったって事ですか。本気で振られたって、そいつはアマクラも気の毒に――でも、だったらどうしてそんな状態に? どことなく表情も浮かない様子ですけど?」
「――そう、見える?」憂いを帯びた表情で聞く、アレクサンドラ。
「そう見えないのは、我が主とルートヴィヒ、あとは今はいませんが『炎脳』(ビアンキ)の馬鹿くらいのものでしょうね」エドワードが言った。
「かもね。でも心配する事はないから。別にどうする必要もないし。今は初めての体験に戸惑っているだけだから」アレクサンドラは少しだけ笑った。
静謐な横顔が窓から差し込む陽光に、揺らいだように見えた。
「そうなんですか?」
「ええ、そうよ。だって私、アマクラの事、大嫌いだもの」アレクサンドラは、その表情とは矛盾した台詞を言った。
「――ああ、殺されかけたんでしたっけ?」
「うん。十三夜を作った理由を聞いたら、殺されかけて泣かされた。だから私はアマクラの事が嫌い」
エドワードは、だったら何でそんな顔して悩んでいるんだ、という疑問は口に出さず、
「では、お嬢様はアマクラと騎士団の戦争を容認すると?」と聞いた。
「勿論。王の命は絶対でしょう」アレクサンドラは、先ほどの悩む年相応の少女の顔から、誇りある騎士団の王女の顔に変えて言った。
「そうですか。だったら、僕はもう何も言いませんよ」エドワードは肩をすくめる。
「ええ、そうして。でもエドワード、一つだけ質問。あなたは何をしに来たの?」
「ん? ああ、アレクサンドラお嬢さまが悩んでいるんじゃないかなと思いまして、僭越ながらその悩みを解消する提案を持ってきたんですが、まあ平気そうなんで安心しました」
エドワードの言葉にアレクサンドラは、窓の外を見ていた顔を凄い速度で、ぐるりとエドワードに向けた。
「その策って何?」
「いやいや、もう良いじゃないですか。心配する事なかったみたいですし」
「良いから言いなさい」
「どうする必要もないのでは?」
「言いなさい」
「ははは、あまり良い提案とは言えませんよ?」
「言え」
「お嬢様言葉遣いが……」
もったいぶるエドワードをアレクサンドラが睨み付けた。
「……失礼しました。それで提案なんですが――」
エドワードは、調子に乗った自分を嗜めるように頭を下げ、主の娘にある提案をした。
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