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橙の章 04
 声の主は女性だった。
 竹はその声の主が誰なのか、一瞬では思い浮かばなかったので、すぐに頭の中で人物表を検索する。
 自分の名字を独特のアクセントで呼ぶ女性には、何人か心当たりがあったが、その全てがあまり良い相手ではない事は明白だった。
そして該当する人物にたどり着いた。
「…………アレクサンドラ?」
「正解。少し間があったけど、まあ許してあげるわ」
「それはどうも。それで何? オレに用事があるらしいけど」
「ええ、用事っていうか報告ね。すぐに済むわ。だからそんな嫌そうな声出さないで」
「ああ、ごめんよ」全く無意識だったが、知らず知らずのうちにそういう声を出していたらしい。
 まだ口をつけていない、アイスティーの水面を見てみると、確かに嫌そうな顔をした自分が映った。
「良いけどね。あなたが『騎士団』を嫌っているのは知っているから。私だって自分の命を狙っているとわかっている人たち相手には、好感情は持てないもの」
「だよな。まあ個人的には、お前の事を別に嫌っているわけではないから」
 竹は自分に言い聞かせるように言って、嫌そうにしていた表情を半ば無理やりに元に戻した。
「あら、嬉しい事言ってくれるじゃない?」
くすくす、と電話越しにアレクサンドラが笑うのと、怜からの竹への視線が厳しくなるのは同時だった。
「それじゃあ、あまり長電話だとクロサワに怒られそうだから、手短に言うわね。今私はどこにいるでしょう?」アレクサンドラは楽しそうに問題を出した。
 唐突に出された問題に、竹は首を捻る。
「どこにって、そりゃ当然本国だろ? お前はこの前帰って行ったじゃないか」
「残念、外れです。もう少し良く考えてくれないと、問題出す方はつまらないじゃない」
 まあそりゃそうだろうな、と頭で頷きながら竹はもう一度良く考える事にした。
「ヒントは、チェックメイトと夏の終わり」
「チェックメイトと夏の終わり?」
何か格好良いヒントだなぁ、なんて感想が浮かんだのも束の間、竹はすぐにその意味に気が付いた。
「……あっ! もしかして今この国に?」
「それじゃあ、まだ半分。でももうわかっているんでしょ?」
「……」竹は認めたくない現実を、認めてしまうのが嫌で黙り込んだ。
「随分と子供っぽい抵抗をするのね」アレクサンドラは呆れたような声で言う。
 竹はその言葉にムッとして、もう半分の正解を口にした。これもまた子供っぽい行動だった。
「――ヴィンセントがこっちにいるのか?」
「大正解。まあそういうわけだから。ご報告までに」
「……マジかよ。嘘じゃないだろうな?」
「嘘言ってどうするのよ。騎士たるもの誠実であれ。王の娘たる私が嘘を付くわけがないじゃない」
「……まあそりゃそうだろうな。それでどこにいるんだ? まさかこの街じゃないだろう?」
「ええ、さすがにその街じゃないわ。私たちが今、というか今後根城にするのは――」
 竹はその場所の名前を聞いて、多分ここ最近で一番驚いた。
「……まぢかよ」
今度は嘘だろ、とは言わなかった。
騎士は嘘を付かないのだと、知っていたし、彼女自身も今言ってた。
そして何より、アレクサンドラの告げたその場所が、この極東の国では騎士の王たるヴィンセントに最も相応しい場所であると、竹自信納得してしまった為である。
 竹は軽い放心状態になり、アレクサンドラに何も告げずに、無言で携帯を怜に返した。
怜は返された携帯をつまらなげに眺めて、電話を代わらずに、ぽちりと通話を終了させるボタンを押すという暴挙に出た。
 さすがにその行動には、魂の抜けかけていた竹も驚いた。
「っうぇ。良いんですか? 勝手に切っちゃって」
「別に話しは済んだんだから、良いだろ。もしまた何かあればまた掛かってくるさ」
 竹はまあそれもそうか、と納得してしまった。
 それよりも問題なのは――
「ヴィンセントがこちらに来ているそうだな」怜はどうでも良さそうに、恐らくその筋では、今年の一番の重大な事件になるであろう事柄を言った。
「……そうみたいですね」
もしかしたら、さっきの電話はドッキリとか、勘違いとか聞き間違いとか、もしくは夢だったんじゃないか、なんて竹の抱いていた希望はあっさりと崩れ去った。
「……洒落にならねぇぞ」最悪の事態に悪態をつき、竹は頭を抱える。
 ただでさえ賞金首の集まっているこの国だ。
このままいくと確実にこの国は、戦場になる。
「ふん。確かにあの秩序大好き戦闘狂が来たからには、この国は良くて戦場、悪くて地獄になるな。でもまあ別に良いんじゃないか。協定を違反しない限り、私にもお前たちにも奴等は手出ししてこない。それに戦場とは言っても、表沙汰にはならないだろうし、一般人には迷惑はかからないだろうからな。結局、私たちには関係のない話だろ」
 そう。
少なくとも休戦協定を結んでいる竹たち十三夜や、黒澤怜には騎士団は手出ししてこない。
つまり自分たちは、かなり確実性を持って安全であるということ。
だが竹が頭を抱える問題はそこではない。
そもそも竹は自分たちの安全など、もとより考えていない。
それは騎士団如きでは、自分たちを本当の危険へと晒す事は出来ないという、ある種傲慢な、自分たちへの絶対的な自信と確信。
 だから竹が頭を抱える要因となるのは、それ以外。
自分たち以外の存在に、危険が及ぶ可能性があるということ。
 竹はしかめっ面で頭を掻きながら立ち上がった。
「ん? どうした? どこへ行く?」
「用事が出来ました。帰りましょう」竹は左右にあった荷物を両手に抱えた。
 怜はそれを座ったまま、先ほどよりも一層つまらなそうに見る。
「急な話だな」
「ええ、急な話でしたから」
「何の用事だ?」
「わかっているのに聞かないで下さい」
「わかっていて聞いたんだがね……大神と山吹の事か?」
「はい。あと秋野もです」
「……一人増えてるな」
怜は頬をひくつかせながら言った。
「この前増えたんです」荷物を抱えてその場で直立中の竹は、無表情で肩をすくめて答える。
「君と言う男は……何故、好き好んでそんなに色々と背負い込む。呆れて物もいえん……」
「そうですね。自分でもそう思います。その場の流れで適当に決めてたらこんな感じに……ただ、まあ約束しちゃいましたから」
「ふん。そうか。まあ良いさ、別に私には関係のないことだからな」
 そう言いつつも怜は不満そうな顔をしていた。
 さっさと帰りたかった竹だったが、その表情の意味がわからなかったので、知識欲を満たす為に質問した。
「何だか不満そうですね」
 直球だった。
「別に? その約束をした相手が全て女というのは、どうなんだ? というか最近のお前は少し度が過ぎるんじゃないか。翠のと蒼いのに加えて、紅いのも? 加えてさっきの子も怪しいな。まあ天倉も健康な男子だから仕方ないのかしら? 所詮、保護者の私には関係のない話だけど。なんて事はこれっぽっちも思っていない。ああ、思ってないさ」
「……」
 地雷だった。
 少なくとも直球で行くべきではなかった。
「……えっと、じゃあ……帰りましょうか? オレはこれから行くところありますから」
 激しく動揺した竹は、その言葉しか頭に浮かばなかった。
 都合が悪くなると逃げる、という男性特有のヘタレ技能だった。
 しかし当然、怜はそれを許さない。
「駄目だ。帰らない」
「いや、でも用事があるんですが……」
「そんなもの明日以降にしろ。確かにあいつらは協定の内容には含まれていないから、確実に騎士団の標的になるだろうが、別に一刻を争うわけでもないだろ。約束云々は解っていないだろうが、お前が傍にいる程度の事は当然調べがついているだろうからな」
「……まあ確かにそうかもしれないですけど」
 下手に竹の周りの人物に手出しをして、何らかのリスクを負う可能性がある場合は、騎士団はその対象を後回しにするだろう。
「でもどうして、明日以降にしなきゃいけないんですか? もうこれ以上ないくらい買い物もしましたし、オレとしては今から行って、さっさと用事を片付けたいんですけど。いや本音を言えば、ずっと先延ばしにしたいんですけどね」
 竹は両手に抱えた荷物を胸の辺りまで上げて、怜に見せるようにして言った。
「どうしても何もない。今日はまだまだ私に付き合ってもらうからな。その程度の買い物で終わると思うなよ?」
「うえっ?! まだ何かあるんですか?」疲れた顔で驚く竹。
「当然だ。私が決めた。何か文句あるか?」
 腕を組み半目で竹を睨む怜は、人差し指で二の腕を、とんとんと叩く。
「……いや、文句というか。怜さんらしくないなぁと」
 言いながら竹は、立ちっぱなしで会話しているも阿呆らしかったので、荷物を一度左右に置き、どさりと座りなおす。
「む、どういう意味だ?」
「いつもの怜さんだったら、こんなに引き止めたりしないじゃないですか」
いつもだったら、「好きにしろ」とか冷たく言って解散したはずだ。
「私だって、普段と違う時くらいあるさ。それともそんなに嫌なのか?」
 いつになく我侭な怜。
「嫌っていうか、何でまた今日に限って?」竹はわけがわからない、と納得がいかないの中間の表情を作る。
「……気にするな」
 怜は一瞬困ったような表情をした後、そう言った。しかしそれを見た竹の知識欲に火がついてしまった。
「気になります」
 即答する竹。
「……じゃあ教えてやったら、今日一日付き合ってもらうぞ?」
「……了解です」
 怜の交換条件に、竹は観念したように、頷いた。
知識欲が勝ってしまったというよりも、我侭怜ちゃん相手に座りなおした時点で、既に負けていたのかもしれない。
「今年の夏は、結局一回も二人で出掛けられなかったからな。その分の埋め合わせだ。それとお前は、目を離すと駄目だという事がわかった。この無自覚恋愛体質&歩くフラグ回収男め。少しは自重しろ」
「な」
 酷い言われようだったが、何故か否定できない竹であった。
「そういうわけだ。今日は一日私に付き合え」
「……はい」
 あまりの言われように、しょぼーんと頷く竹。
「そんなにつまらなそうにするな。今日一日付き合ってもらうのだから、礼はちゃんと考えている」
そう言って、ニッコリと微笑む怜。
「何ですか? ……っ?!」
その微笑みに期待して聞き返す竹だったが、何故か悪寒が過ぎり、警鐘に従いすぐに首を横に振った。
「あっやっぱいいです。別にお礼とかいらないんで、今日一日付き合わさせて戴きます」
「いやいや、遠慮するな。前払いしてやるから。ほら、これがお礼だ」
 怜はそう言って顎で『お礼』を示す。
 果てさて怜の言う『お礼』とは、竹の目の前で鎮座している、黒い液体の事であった。
 不味さが折り紙付のそいつは、氷がいい感じに溶け切って、見るからに絶好調だった。
「奢りだ。ついでに間接キスもプレゼントだ」とろける様な怜のお礼だった。
「……いやー、遠慮しますよ」
はははー、と乾いた笑いで爽やかに辞退する竹に、
「それはお前が飲め」と怜は有無を言わさない口調で言う。
「…………いやいや」
「飲め」怜は悪魔のような微笑を向ける。
「………………いえっさー」
 竹は死地に向かう兵隊のような心持ちで、不味くて評判のそれを一気に飲み干した。
「っっうぐえっ!!」
 それは味覚神経が全て抹殺されるような味だった。
 怜はその光景に目を丸くしていた。
「驚いた。まさか何も入れないで飲むとは思わなかった」
 そう言って怜は、竹が頼んだアイスティーを竹に差し出す。
慌てながら竹はそれを口にする。
 味がしなかった。
 もう一度口に含む。
 やはり味がしなかった。
 あまりの破壊力に、竹の味覚神経はお亡くなりになったようだった。
「麻痺してるだけだろ」
 絶望に打ちひしがれた竹の表情に、満足したように薄く笑いながら怜は言った。
「さて、じゃあ移動するか。とりあえず、荷物を置きに一端車に戻るぞ」
 竹はアイスティーを必死に啜りながら頷いた。
 夏休み最終日、久しぶりの竹の怜の休日は、ほのぼのと平和であった。

             *

 ベンチに座る二人の姿は、その場所に誰よりも溶け込み、一枚の絵画のように美しかった。
「どうしました?」
 その場所では場違いに、本を片手に座っていた、甘いマスクをした若い外国人男性が、隣で電話していた少女へ聞いた。
「……切られた」ブロンドでやや癖のかかった巻き髪の美しい異国の少女は、不満そうな声でそれに答える。
「どちらに? って聞くまでもないか。アマクラはそんな事しないか」
 やれやれと大げさな手振りで、言う外国人男性。
「でしょうね。まあ良いわ、伝える事は伝えたし」
 美少女は綺麗な手で持った、オレンジ色の携帯電話をぱちりと閉じて、鞄の中へと仕舞う。
「ならOKでしょう。多分明日辺り、来るんじゃないですかね」
「それが協定違反だって、わかっていても?」
「それが、アマクラって奴ですよ。どんな結末になるかはわかりませんが、覚悟を決めてください、サンドラお嬢様」男性は髪をかき上げて軽薄そうな笑みを浮かべる。
「わかっているわ。エドワード。お父様も言っていた事ですしね」
 はぁ、と憂鬱そうに溜息をついたアレクサンドラ・ワーナーは、明るく深い琥珀色をした瞳で目の前に流れる喧騒を眺め続けるのだった。
お読み頂きありがとうございます。
夏(紅)の名残も終了し、次話からが本当の意味で秋(橙)の開始となります。
まだまだ続きますので、どうかお付き合い下さい。
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