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王女交響楽団 橙の章
作:弐乃菜子



橙の章 03


「……えっと、こんにちは?」
竹はとりあえず色々言いたい事はあったが、まず挨拶のお返しをする。果たしてその対応が合っているのか、自信がなかったので疑問形である。
続けてもう一度横に立っている宿禰の姿を見て、一番当たり障りのない発言をした。
「ここでバイトしてるの?」
 ウェイトレス姿なのだから当たり前なのだが、もしこれで違うというお答えが返ってきたのなら、正直竹の中では痛い子にカテゴリされるので、そのまま彼女との会話を切り捨てる事も考えた。まあ違うことはわかっているのであるが。
「うんっ。そうなんだっ」
 勿論、彼女は痛い子ではなかった。
 この頃には先ほどのような、他の客からの注目もなくなっていた。
無関心な現代社会だからというよりは、今の竹たちと宿禰の構図が、単純にウェイトレスと客だったからだろう。
恐らく彼らの中では、『偶然店に来た友人に驚いたウェイトレス』というストーリーで完結しているはずだ。
しかし竹は今のところウェイトレスに追加注文をする予定はない。もし仕事中ならばお引取り願いたいところだった。
なので竹は「今は仕事中?」と一応聞いてみる。
「ううん。今少しだけ休憩もらったところだから、大丈夫」
まだ頬は赤いものの、落ち着きを取り戻した宿禰は横に首を振った。
「そうなんだ」
何が大丈夫なのか意味がわからなかったが、とにかく彼女を今すぐに追い払うのが不可能だとわかった。
「それでどうしたの? 何かオレに用事?」
 何か用事があるから、休憩時間にわざわざ声をかけてきたのだろう。
 だったらその用事をさっさと済ませて、去って欲しかった。
 だから竹は、普段彼女に見せる、学校用の外面ではなく、本当にいつも通りの素の口調と表情で言った。
何故、竹がこうまで執拗に彼女を追い払いたいのかと言うと、正直竹は宿禰の事が苦手だからである。
少し前までは別段、得意も苦手も意識しない相手だったのだが、つい先日花火大会で迷子になったもの同士で花火を見た際に、彼女に対して苦手意識が芽生えたのである。
こういう風に他人を評価することは、自分の周りの人物以外どうでも良く思っている、竹にとってはかなり珍しい事だった。
つまり竹は、少なくとも彼女の事を他人以上には思っているわけである。まあその評価が『苦手』というのは、宿禰にとっては喜ばしい事ではないが、かといって悲観する話でもない、という状態だった。
とはいえ竹はこの事をそこまで考察していないし、当然ながら宿禰は自分がそう思われていることを知らない。
「うーん。用事っていうか、天倉君がいたから挨拶でもしようかなって思って……それだけなんだけど、えっと……」宿禰は怜の方をチラチラ見ながら、何事か考えている様子だった。
 竹はそれを察して、親切心を含めて先に答えてあげた。
 苦手意識があるとはいえ、竹は美がつく女子には甘い人物であり、なぜか宿禰はそういう風に助けてあげたくなる人種だった。
「ああ、この人は一応オレの保護者」
 怜はピクリと片眉を上げて、誰にも聞こえない声で呟く。
「――保護者、ね」
 その声を拾う者はその場にはいなかった。
「あっそうなんですか?!」宿禰は驚きと安心を混ぜたような声で、若干オーバーなリアクションを取り「天倉君と同じクラスの荒川宿禰です」と怜に向かってお辞儀をした。
 それに対して怜は、女性特有の対人専用の別人格で対応を取る。
「黒澤怜です。うちの天倉君がお世話になっております。これからも仲良くしてあげてね」
 それは彼女の素を知らない者からすれば、そして素の怜を知っている竹ですら見惚れるほどに優雅な微笑みだった。
 そんな笑顔を向けられた宿禰は、「はっはい! こちらこそ!! じゃっじゃあ挨拶も済んだから、天倉君っ! また学校でねー!!」と早口で言って、竹に小さく手を振ってから、早足で逃げるように去っていった。
 あんな格の違いを見せ付けるような笑顔を向けられたら、同じ女性だったら逃げたくなるのも当然だった。
 結局、本当に挨拶だけして、去っていった宿禰の後姿を見ながら、竹は苦手な相手から解放された安心感で、一つ溜息をついた。
「学校の友達が、お前に声をかけてくるなんて珍しいな」
「まあ、ああいう感じの子なんで。それにこの前、釜蔵に花火大会に行った時に、ちょっと色々あって一緒に花火見ましたし」
「ふうん」
 心なしか怜の対応は冷たかった。
「さて、話の腰が折れたがさっきの続きといこうか」怜はアイスコーヒーをずずずっと竹の目の前に押し出しながら言った。
「……そうでした」
 宿禰の介入で逸れたと思っていたのだが、どうやらそんな事はなかったらしい。
 竹が三白眼を向ける怜に今度は諦めの溜息をつきかけた時、再びタイミングよく、
「そっそうだった! 天倉君、言い忘れたんだけどっ! お願いがあるんだっ!!」という威勢の良い声とともに宿禰がUターンして戻ってきた。
 その大きめの声に、再び周囲の注目があるのかと竹は目だけで辺りを見回したが、特に注目している人間はいなかった。
 どうやら、既に彼女はそういう人間なのだと、周りから認識されたらしかった。
 たった一度の行動で周囲にそれだけの、インパクトを与える辺りが、一見蒼いのとか翠のとかに比べると、地味な彼女をクラスのアイドルと押し上げている理由であろう。
 まあそんな事は竹にとっては瑣末な問題である。
 それよりも問題なのは、今の宿禰の再登場によって、またもや話の腰を折られた怜が、宿禰がいるにも関わらず、あからさまに溜息をついたことである。
 さっきの対人専用型の怜はもうここにはいない。
 いつもの怜がそこにいて、腰をバキバキにしてくれた宿禰をつまらなそうに睨んでいた。
 しかし宿禰は、もし竹だったら竦んでしまうような視線を向けられても、全く動じていなかった。
 否、宿禰は怜のその視線に一切気付いていなかった。
 何故なら宿禰の視界には竹の姿しかなく、それに伴い彼女は周囲からの視線に気付けるだけの余裕はなかった。
 ナチュラルに怜を無視できるとは、恐るべき存在である。
「それで、頼まれてくれないかなっ?!」
「なっ何を?」
宿禰の勢いと、怜から発せられた不穏当な空気に挟まれて、竹は思わず背筋を伸ばした。
「実は私がここでバイトしている事、誰にも言わないで欲しいんだっ……ダメ、かな? ほら、うちの学校ってアルバイトするのに申請が必要でしょ?」
 もじもじと一生懸命になって、可愛らしく上目遣いで懇願してくる、ウェイトレス型クラスメイト荒川宿禰。
竹はその姿に思わずクラリと来たが、諸事情からすぐに立ち直った。
「――っ別に良いよ? てかそんなの申請しなくても平気だと思うけど」
 苦笑いで言う竹。
 この苦笑いには、真面目な子だなー、という感想以外の事も含まれている。
 主に痛覚と視線。
「あ、やっぱり天倉君もそう思う?」
「うっうん、まあね。別にそんな事であれこれ言う学校じゃないでしょ」
「だよねだよねっ。でも一応って事でお願いっ! 始業式終わったら申請するつもりだからさっ」
「良いよ。わかった」
 竹がそう答えると、ぱーっと向日葵が咲いたように、宿禰の顔が綻びる。
 竹の方はそろろそ臨界点を突破しそうだったので、顔が引きつる。
 その正面では、相変わらずつまらなそうな表情で、竹に三白眼を浴びせ続ける怜。
「あとさっ、ついでにもう一つ頼んで良い?」
「うーん。良いよ。何? 右足にはお別れを言ったから」
「? どういう事かな?」
「あー、いや気にしないでくれ。それでもう一つは何? もうこの際ガンガン言って」竹は半ばヤケクソ気味な笑顔を宿禰に向けた。
 その笑顔に顔の表面温度を上げながら、宿禰は以前この店に来たクラスの女子二人に、言付けを頼むことにした。
「えっと、3週間くらい前になるのかな? 花火大会の少し前だったんだけど、大神さんと山吹さんもこの店に来たの。それで二人にも、私がこの店でバイトしている事、誰にも言わないでって頼んで欲しいんだっ。本当なら私が言うべきなんだけど……ほらっ天倉君って二人と仲良いでしょ? だから私が言うより良いかなって思って。どうかな? 頼まれてくれるかな? もし嫌だったら断ってくれても良いんだけど……」
 竹は眉毛を下げて、捨てられた子犬のような顔で、こちらを伺っている宿禰の姿に、メイドも良いけどウェイトレスも良いなぁと考えながら「OK。忘れなかったら言っておくよ」とそれを快諾した。
 足元で『ぴぎゃ』という妙な音が聞こえた気がしたが、聞こえないフリをした。
「ホント!? ありがとうっ! じゃあ今度何かお礼するねっ!!」
「いや、別に良いけど」
「ううん。それじゃあ私の気がすまないから、お礼させてっ!」その積極的な台詞は、宿禰にしては大冒険だった。
「……わかった。じゃあ期待して待ってるよ」竹は軽く微笑んで言った。
「あんまり期待されるとプレッシャーだけどねっ。じゃあ今度こそまた明日、学校でっ! ゆっくりしていって! それじゃあ失礼しました」
 宿禰はハニカミながらそう言って、最後に怜にお辞儀をして今度こそ去っていった。
「……」
「……」
 少しの沈黙があった。
 この沈黙は恐らく、宿禰が再々登場してくるのではないか、と二人とも勘繰ったからである。だがそのような事はなさそうだった。
 なので竹はどす黒いオーラを発して、宿禰の消えたバックルームの方角を睨んでいる怜に向けて言った。
「……それで怜さん。そろそろ足をどけて欲しいんですけど?」
 怜は先ほど竹がクラリと来た辺りからずっと、竹の足の甲を踏んづけていた。
ミュールで割と思い切り。
変な音がするくらい。
そしてそれは現在進行形であった。
ギリギリと更に強くなっていく、重力という名の人為的暴力。
「ちょっ……怜さんっ!? 本気で止めっ、マジ無理ですって!! あっやばいやばい! 今また変な音したっ?! オレの右足が変な声で鳴きましたよっ!?」
 抵抗の一つでもすれば良かったのだろうが、そうすると更なる恐怖が待っている事を竹はわかっていたので、無抵抗だった。
「何だあの女は? まだあんなのが実在するのか? 一体どこの学園恋愛物だ?」
 怜は竹の降伏宣言を全く聞こえていない風に、ぶつぶつと何かを呟いている。
「怜さんっ! とにかくマジで勘弁してください!! 頼みますから!!」
 竹はテーブルの向こうまで手を伸ばして、怜の肩を揺らした。
「むっ? どうし――あら?」怜はそれで漸く、現状に気が付いたらしく、踏みつけていた足をどけた。
竹は、ほっと息をつく。
「あ、いや。すまん。許容できない事態に混乱していたらしい。顔が真っ青だが平気か?」
「……一応くっついてはいるみたいですね。感覚もありますから」
そうは言ったものの、自分の右足が、どんな状態になっているのか確認するのが恐かったので、下をみる事はしなかった。
「それにしても、一体どうしたんですか? 彼女が何か気に障ることでも?」竹は痛みを抑えながら、怜に聞いた。取り乱す、とは少し違うがあそこまで、怜が前後不覚になることも珍しい。
まあ確かに、怜と宿禰の相性は、竹と宿禰よりも悪そうではあったが。
「いや、別にそういうわけじゃない。なんとなくだ」
 なんとなく、で足を潰されては敵わない。
 竹が抗議しようとすると、怜が氷の小さくなった、コップの表面に水滴のついたアイスコーヒーを目を細くして見ながら、
「まあ気に障ることはあったわけだが」と言った。
「……ですよねー」
 物覚えのよろしい怜だった。
「ああ、それでだ――」
 怜が言いかけたところで、怜のバッグの中から電子音が鳴り響いた。
「……携帯鳴ってますよ? 出ないんですか?」
またもやタイミングよく首の繋がった竹は、目の前に鎮座しているアイスコーヒーを、視界に納めないように怜を見て聞いた。
「出るさ……何だって言うのよ。全く」
怜は溜息をつきながら、小さく呟いて、バッグから携帯電話を取り出す。
 そして、ディスプレイに表示された相手の番号を眺めて、「厄日か、今日は」と言って凶悪な顔をした。
 怜は携帯の通話ボタンを押して、不機嫌そうに一言二言その相手と喋ると、おもむろにその携帯電話を竹に差し出した。
「え? 何ですか?」
「いいから、代われ。お前に用事だそうだ」
「はあ、誰ですか?」
「出たらわかるだろ」
 怜の最もな意見に、竹は差し出された携帯を受け取り、「もしもし?」と良くわからないままに通話を開始した。
「もしもし。久しぶりね、アマクラ」


お読み頂きありがとうございます。
中々更新ペースが上がらなくて、申し訳ありません。未熟。






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