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橙の章 22
           *

0:06
 巨大とすら表現できる一本の光りの刃が、深翠と蒼香を消滅させようと凄まじい速度で、地を削りながら襲い来る。

0.3秒。

 蒼香はそれを拒むように、右の手を空中を撫でるように自分の前に持ってくる。
彼女の右手にそれを動かす意思が込められていたのか、宙に浮く9枚の羽根のうち7枚の白刃が、彼女と彼女の後ろにいる少女を守るように、緑影の狼より更に前に出て聖剣の光に立ちふさがった。
 そして、右手を動かしたのとほぼ同時に、左手を何も無い空間を叩き割るような動きで下から振り上げる。

 0.5秒。
 
すると余っていた2枚の羽根が、聖剣を引き抜いたままの体勢で放った光を押込めるように剣を握って、無防備になっているエドワードを射抜こうと左右に距離をとった。
 1分持ちこたえるのが限界、と蒼香は言ったが、彼女は大人しく守備だけに回るつもりはさらさらなかった。
 9枚の羽根と深翠の狼3体、全てを回して1分持ちこたえられるのなら、逆にそのうちの何割かを攻撃に割けば1分持ちこたえる必要もなく、勝利が勝ち取れるはずだと判断したのだ。
 その判断は普段なら決して間違いではない。
彼女とて、今まで命のやり取りを幾度も経験してきたのだ。
彼女自身そういう風な自負もあるし、それは他者から見ても間違いのないものだ。
 その経験からくる判断は、基本的に攻撃的な蒼香の性格を差し引いてみても、通常ならば正解にカテゴライズされるものだっただろう。
 しかし、今回ばかりはその判断は不正解だった。
 いや、そもそも彼女が積んできたと思ってきた経験自体、今の自分には殆ど意味のないものだった事に彼女は気付く。
 それは他人ではなく、蒼香でなければ気付けない、気付かなくてはいけなかった致命的な彼女の欠陥。
 ――彼女が彼女自身として、まともに戦うのは今この瞬間が初めてなのだから。
 蒼香は甘く見ていた。
生という道に当たり前のように、死という穴が開いている、本物の戦場を。
そしてエクスカリバーという、聖なる名前を冠したその剣の威力を。
 間違った、
甘かった、
油断していた、
未熟だった。

0.8秒。

そう理解した時には既に遅い。
 9枚の羽根と緑影の狼3体が、全て防御に回るからこそ持ちこたえられたはずのものに、たった7枚の羽根だけでどうやって、それを止められるというのだろう。
 次の瞬間には光りの刃は、蒼香の甘さを断罪するように7枚の羽根を打ち消し、彼女と彼女の後ろにいる少女を一瞬で、跡形もなく、影すら残さず、この世から蒸発させることだろう。
 ――ごめんなさい。
 蒼香は眼を瞑り、あまりの不甲斐無さに後ろにいる友人に、心から謝った。
 自分を信じて守備を任せてくれたのに、自分はその信頼に報いることが出来なかったのだと。
 だがその心からの謝罪は、
「謝る暇があったら、自分の役割を果たしてくれますか?」
 という実に不機嫌そうな声色で一蹴された。

 1秒。

「――え?」
 その声は、間違いなく深翠のものだった。
 だがその声は、奇妙なことに蒼香の前方から聞こえた。
 深翠は確かに自分の後ろにいるはずなのに。
 その事態に驚き、そして自分がまだ生きている事に驚く蒼香。
 そんな蒼香に更に声がかかる。
 
 4秒。

「驚いている時間も惜しいです、……さっさと残り2枚を戻して全力で守りを固めてくださいっ」
 その声は相変わらず不機嫌そのものだったが、切迫したものがあった。
 蒼香は、疑問の答えを出すのは後回しにして、慌てて左右に飛ばしていた2枚の羽根をまだ消えていなかった7枚の羽根に追いつかせる。
 9枚揃った白い羽根。
 その更に前方で、緑色の狼が聖剣の光を受け止めていた。
 その数は3体ではなく1体。
 だが、先ほどとは明らかに大きさが異なっていた。
 その大きさは、先ほどの3倍程度。
 まるで3体だったものが、1体に集まったような大きさ。
 その巨大化した緑影の狼は光の刃を受け止めながら、未だに事態を飲み込めていない蒼香に向けて、獰猛な獣の顔を張り付かせたまま、口を開くわけでもなく、しかし確かな声で言った。

 8秒。

「全く、勘弁してください。死ぬなんてこれっぽっちも思ってなかったんじゃなかったんですか? さっきの口上がとても安っぽく聞こえますね。別にあなたが死ぬだけなら、ライバルが減って喜ばしいんですけど、今あなたに諦められたら私まで死んでしまうじゃないですか。生憎ですけど私は、こんなところで死ぬつもりはありません」
 やはり間違いなく深翠の声で話す、大きな狼に蒼香は言葉を失う。
「なっ、どっ?!」

 14秒。

「奇妙な声で鳴きますね。どんな生き物の真似ですか。今度教えてください。ってそんなふざけている余裕はありません。良いですか、あと十秒もしたらこの子は、この光に耐えられず消滅します。そうしたら私たちの守りは、今度こそ蒼香の羽根だけです。――もう助けてあげられませんが、大丈夫ですか?」
「――っ」
その挑発と嘲笑と失望が混ざったような声音に、混乱の極みだった蒼香の思考がクリアに染まる。
「――ったり前でしょう。今のくらいで勝った気にならないでよ。ちょっとしたミスじゃない」

 19秒。

 蒼香は声を発していた前の狼でなく、自分の後ろで眼を瞑り、お経のような呪文めいた言葉を延々と呟く深翠に向けて言った。
今の深翠は『神殿』を形成する為の儀式の最中で、完全にトランス状態に入りこちら側には意識がない。
だが、深翠は蒼香の台詞に口元に笑みを浮かべた。
「そのミスに巻き込まれて、死にそうになった文句は後で。では後はよろしく頼みます」
 その微笑みの真意を代弁するように、緑影の狼は言葉を紡ぐと、直後に、じりじりと燃え尽きるように聖剣の光によってかき消された。

 25秒。

 影生物を消失させた美しい輝きを絶やさない光りの束は、その威力を衰えさせることなく突き進む。
 蒼香はそれを受け止めるように、両手を前方に突き出しながら言う。
「こうなったら私だけで終わらせてやる。文句なんて言わせてやらないんだから」
 その瞳に爛々とした蒼い光が灯る。
「恥かかせて御免ね。いくよ――九音っ!!」
 白い9枚の羽根が、花弁のようにくっ付き合い、純白の盾を形どった。
 光の剣が白い盾に受け止められる。
 しかしそれも一瞬。
 じりじりと、見えざる圧力に押されるように蒼香の体が後ろに下がる。
「っく」蒼香の口から苦悶の声が洩れる。
 エドワードのエクスカリバーと、蒼香の天使の羽根。
 この二つの破格の宝具は、宝具としてのランクこそ同じなのだが、元から剣であったものと、急造に拵えた盾では僅かに、そして確実に聖剣の方に分があった。
 
 31秒。

 あと十数秒もすれば、聖なる光は今度こそ二人の少女を滅するだろう。
 蒼香自身、そして対するエドワードも、それがはっきりとした未来としてわかっていた。
 蒼香は差し迫るタイムリミットに焦りながら、頭をフル回転させる。
 エドワードは勝利を確信したように、光りのヴェールの向こうで笑う。

 32秒。

――どうする?
 このまま踏ん張ってみるか。
 持てる力全てを注ぎ込んで、死ぬ気でやれば……
 馬鹿。
それは無理だと既に結論付けた。
 ――どうする?
 羽根の防御崩さずに、深翠を抱えてこの場を離脱するか。
 それも無理。
今ちょっとでも体勢を崩せば、二人仲良くあっという間に蒸発。
 なら、深翠だけでも逃がすか。
 羽根を一枚動かして、彼女にぶつければ深翠を逃がすことくらいは……
 だから無理だっていうの。
9枚全部あるから一応の拮抗状態を作れている。
それが1枚でも抜ければ、あっさりこの世にグッバイ。
 どうするどうするどうする。
 ――あなたなら……どうする?

 38秒。

 いつまでも答えの出ない堂々巡りの自分の思考を蒼香は止め、いつも自分の心の中にいる一人の少年に問いかけた。
 彼ならどうするか。
 どんな苦境も逆境も笑いながら、適当にあしらってしまいそうな少年。
 天倉竹ならどうするか。
 
 39秒。

「――ああ、そっか。簡単なことだった」
蒼香はその答えを見つけると、実にあっさりとした口調でいった。
 別に事態が好転したわけではない。
 事実、彼女の額には珠のような汗が浮かび、光の刃は彼女の盾を圧し、じわじわと後退しつつあり、もうじきこの圧力に耐え切れず死ぬ、という切迫した状況はなんら変わっていない。
 だが彼女の表情には、そんな絶望感は一切見当たらなかった。
 竹ならどうするか、蒼香は答えを見つけたから。
 
 40秒。

「竹なら、きっとああするよね」
 びきり、と光の刃に耐え切れなくなりつつある、羽根の盾に亀裂が走る。
 蒼香はそれを気にした風もなく、うんうん、と力強く頷きながら独り言を続ける。
「それで、きっとこう言うんだ」
 それはすがすがしいほど迷いのない、何かを信じきった声だった。

 41秒。

 蒼香は青蒼の瞳で、光りの向こうにいる聖者を睨み付けるようにして言う。
「まだ勝負は付いてないのに、勝ち誇ってニヤけるのは止めてくれる? 
確かにあなたのステージじゃ私に勝ち目はないけど、それは勝敗とは別の話。
私の羽根は盾じゃなくて、天使の羽根で作ったナイフなんだから。
――あなたの光の力、切り付けて吸い取ってあげる」

 42秒。

 蒼い微笑みの後、花弁のように連なっていた9枚の白い羽根が、光の刃を受け止めながら繊細な動きで空中で形を変える。
 その形は、傘に似ていた。
 白い盾から白い傘に変わった、9枚の羽根は今まで側面で受け止めるだけだった光りを、それぞれの切っ先が集まった先端部で切り裂くように受け止める。
触れたものが天使以外であれば、持つだけで生気を奪い取り、
そのナイフに切りつけられれば天使であっても生気を取られる。
 今まで、前述部の効果だけで光の刃に耐えていた、その白刃が漸く100%の威力を発揮した。

 45秒。

聖剣の力に押し込められるだけだった、蒼香の体への圧力が消える。
 剣と羽根の戦いに、初めて拮抗状態が作られた。

 47秒。

「正直勝っちまったかな、と思ったんだが……いや、さすがにそれはなかったか」
 白い傘に、自らの放った光の刃が吸い取られつつある様をみながら、エドワードが苦笑しながら言った。
「当たり前でしょ。私はまだ死ねないの。それよりもそんな油断してて良いの? 今は拮抗状態だけど、あと何秒かしたら私の羽根の方が、あなたの光を上回るわよ」両手を突き出した体勢で、蒼香が言った。
 彼女の言葉どおり、エドワードの聖剣が放つ光は少しづつではあるが、細く小さくなってきている。
 形勢逆転となるもの時間の問題だった。
 しかし、エドワードはその事実を正しく受け止めているにも関わらず、勝ち誇った笑みを崩さない。
 その微笑を見た蒼香の背筋に、つらら刺されたような悪寒が走る。
 何かやばい。
 本能が危険信号を発した。
「油断? まさか。僕は油断なんかしてないさ。むしろ油断しているのは君の方だよ、お嬢さん」
「……何ですって?」蒼香は、思い描いた悪い予感を振り払うように強気で言う。
だが、口調だけが硬く強張る。
「君の思い描いた通りさ。まあ、何と聞かれたのだから、答えておこうか。
 ――いつ僕が、聖剣の全力を出したと言ったかな?」
 西洋人形のような蒼香の顔が、血色を失い蒼白になる。
「はは、その顔は良いね。好きなんだよな。そういう風に勝ちを確信した者が絶望の底に叩き付けられた瞬間の顔は。それが美少女と来れば文句はなしさ」
 聖者が、酷く邪悪な顔をして狂ったように笑う。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははは」
 恐い。
 蒼香は心の底からそう思った。
「――それじゃあ本気を出すよ。大丈夫、痛くないように最大出力で、一瞬で蒸発させてあげるからさ。僕は見かけ通り優しいんだ」甘いマスクの青年が言った。
 エドワードが持った聖剣から先ほどまで溢れていた光よりも、更に煌々とした光輝が高温の蒸気のように噴出した。
「――エクスカリバー」
 聖者が再び、その聖剣の名を唱えた。
 先ほどとは比較にならない巨大な光の刃が、暴風を伴い細々とした光りに重なるように、放たれた。

 59秒。

 その聖なる光を、白い傘がその姿を消しながら受け止めた時、蒼香の後ろで翠色の声がした。
「やっぱり油断していたのは、あなたですよ。この勝負は、余裕のなかった私たちの勝ちです。蒼香、今すぐその羽根を畳んで私の後ろへ。足が竦んで動けないなら、残念ながらお別れです」そんな言葉をちっとも残念そうな声じゃない口調で、大神深翠は言った。
 蒼香はその声に、「遅いっての、馬鹿っ」と悪態をつきながら、目の前に展開していた傘を綴じて引き戻し、更に自分の能力の限界速度で、後方へ跳躍した。
 同時に遮るものがなくなった、光の刃が圧倒的な速度で直進する。
 そして、その光が深翠の目の前にまでたどり着いた瞬間。
「――『開門』」
 緑翠の瞳を輝かせた少女が、そんな風に世界に呟いた。

 61秒。

 光と暴風にあったはずの世界は、静寂を取り戻していた。
 まるで何もなかったかのように。
 いや、その光景には先ほどと違う点が二つある。
 それこそが、たった1分間の間に、この夢の国で起こった事が夢ではなく現実だったのだと告げている。
 一つは、更なる光の刃によって大きく深く抉られた地面。
 そしてもう一つは、大神深翠の目の前に陽炎のように揺らめき聳え立つ、翡翠色をした鳥居門。
「まだやりますか? 聖剣の担い手」翡翠色の鳥居門の後ろに立つ深翠が言った。
「……いや、やめておくよ。まいった僕の負けだ」エドワードが聖剣を鞘に収めながら首を振る。
「随分、あっさりと諦めますね」ピクリと、怪訝そうに深翠の眉が持ち上がる。
「ああ、この勝負は君たちの勝ちだ。エクスカリバーの最大出力を真正面から打破られたんだ。もう僕に君たちに勝つ術は残されていないんでな」
「そう言って、隙を突こうとしているんじゃないの?」深翠の後ろで、後ろに飛んだ着地体勢のまま蒼香が言った。
「変な勘繰りはよしてくれ。呪いみたいなものでね、聖なる血を引く僕は嘘はつけない。それにいくら隙を突いてエクスカリバーを放ったところで、君たちがその門の後ろにいる限り、僕の刃は届かないんだろ?」エドワードが深翠の目の前にある鳥居門を眺めるように見て言った。
 翡翠色をした、神々しい三ツ鳥居。
 彼女がそれを出した瞬間、全てを焼き払うはずだった聖剣の刃は、行儀良くその門に間を通り、そして通り抜ける事無く、どこぞかに掻き消えてしまった。

その異形の業の名は、『神殿建立』。
『月読の巫女』、大神深翠だけが持つ、神域にまで達した空間製作――いや、それは一つの世界を作り上げる異能。
 本来、その異能はしかるべき時刻と場所で、正しい手順を踏まないと発動させられないはずのものだったのだが、彼女の才気はそれらを全てを凌駕し、どんな場所でも正しい手順を踏めば、それが建立できるようになっていた。
 ただし、今回はその正しい手順すら踏めていない。
今が夜という『神殿』を建てるのに適した時刻だったのは幸いだったが、それでも通常、最低でも1時間は掛かるものを、たった1分で行ったのだ。
それ故に、『神殿』の入り口である『門』が顕在化しただけだった。
――だけで済んだ、と言った方が良いかもしれない。
もしこの場に『門』だけでなく、『神殿』が顕在化していたとしたら、『門』の中を通ったエドワードの聖なる光、それを打倒しうる力量も持った『何か』が『神殿』の中に生まれでていたはずだったから。
行きはよいよい、帰りは怖い。
その『神殿』への『門』をくぐったものは、過去の記憶の記録を読まれ、そのものにとってもっとも困難な力を持った『何か』を打倒しなければ出られない。
今回は、それを生み出す『神殿』の方がなかったため、光の刃を異界へ通すだけですんだのだった。
『月読』。
月の出る夜に見て、月の出ぬ黄泉へ誘う、神の名である。

エドワードは両手を上げて、降参のポーズを取った。
それをみて、二人が言う。
「……そうですね。では信じましょう」
「そうね。信じようか」
「随分、あっさりと信じるんだな」
「信じない方が良かったですか?」
「まさか。僕からしたら、ありがたいことだ。もし、この後戦うことになっていたら、勝ち目がないから、僕は逃げるつもりだったし」エドワードが大げさにかぶりをふった。
「どういう意味?」蒼香が立ち上がりながら聞く。
「言葉通りさ。今日はもうエクスカリバーは使えないからな。この剣には絶大な攻撃力を誇る反面、日に一回しか鞘から引き抜けない、っていう制約が付いているのさ。いや鞘に仕舞わなければずっと引き抜いていられるから、それだと正確じゃないな。正確には、日に一度しか光の刃は放てない、だな。つまり聖剣として機能させるなら、鞘に収めて日を跨がないと駄目なんだ。まあただの切れ味が良い剣として使うなら、別に仕舞う必要もないんだけどな」エドワードが腰元に収められた聖剣を叩く。
 エドワードの言葉を証明するかのように、彼が剣を引き抜く前は確かにあったはずの、ある毒々しいほどの脅威がぽっかりと抜け落ちていた。
「だけど、ただ切れ味が良い剣じゃ、僕がいくら剣の名手でもお嬢さん方みたいな例外とは戦えないだろ。だからこの勝負は僕の負けってことさ。それでどうする? 僕に止めを刺すかい?」
「刺しません」
「刺さないよ」
 二人はきっぱりと答えた。
「どうしてだい? 僕は君たちを殺そうとしたのに、見逃すっていうのかい?」
 深翠と蒼香は敵意のない目でエドワードを見ると、一度だけ息をはいた。
「あなたは勘違いしていますよ。私たちは別に、あなたを殺したくて戦ったわけじゃありません」
「そういう事。今までのは、あくまで正当防衛。あなたに戦う意思がないっていうなら、これ以上は過剰防衛でしょ。そんなことしたら、竹に嫌われちゃうじゃない」
「ですね。そんなのは御免です」
 とてもさっぱりとした口調で、蒼香と深翠はエドワードに言った。
「はは、こりゃアマクラに感謝しなきゃな」エドワードが軽薄に笑う。
「感謝なら後で勝手にしてくれる? それよりも、私たちは生き残ったんだから、さっさと賞品の方を受け取りたいんだけど」
「ああ、そうだったな。じゃあ目出度く生き残ったお嬢さん方には、特別に教えよう。アマクラの力ってやつを」エドワードがさらさらと金髪をかきあげる。
 その舞台役者のように仰々しい仕草に、蒼香も深翠も、早く言えよ、と思ったが口に出さなかった。
 話の腰を折るよりも、黙っていた方が話が進みそうだったからだ。
 聖者は仰々しい手振りで語り出す。
「アマクラの力ってのはな、彼の不思議な魅力、知らぬ間に相手を魅了する自然な暗示さ。単刀直入に言ってしまえば、馬鹿馬鹿しく思っちまうが、彼は一度でも『歴史』の舞台に立った美少女を、恋心で狂わす力を持っているんだよ。お嬢さん方もそうだし、うちのお嬢様もその力の虜になっているしな。今日なんてうちのお嬢様、昼間にアマクラが、プロポーズ紛いの事をした時に、慌てふためいてな、あれは傑作だった」エドワードは、言っていてその光景を思い出したのか、それとも別の何かが面白いのか、くつくつと笑った。
「……冗談でしょう?」蒼香が搾り出すような声で言った。
「どっちが、だい?」エドワードが軽薄な笑みのまま、片眉を上げる。
「プロポ……いや、まずは美少女を〜の方です」深翠が確かな視線で、エドワードを睨むように聞いた。
「冗談なんかじゃないさ。アマクラには、そういう力が備わっている。本人は気付いているのか微妙だけどな。いや、あれは気付いているから気付かないフリをしているのかな。だから、彼は君らの恋心に応えようとしないんだろ。それが紛い物であることがわかっているから」
 信じられない、蒼香も深翠もそんな表情を作り、同時にそれが信じるに値する情報だと、心の中で納得してしまった。
 エドワード・エルガー。
 聖なる血を引く彼は、嘘はつけないのだから。
 そして、その言葉だけでなく、彼女らにも思い当たる節があった。
 自分は、どうしてここまで異常なほどに、彼へ好意を抱いているのか。
 その発端は、『歴史』の舞台上で彼に殺されかけてからではなかったか。
 二人の心に暗澹とした影が落ちる。
 その様子をさも楽しそうに眺める、聖者が続けて口を開く。
「そんな悲観しなさんな、それは仕方のないことだ。失敗したとはいえ、彼は、その銀色の眼で『彼女』を複製して、少なからず『彼女』の力を得たんだから。『物語』の登場人物に『筆記者』が好かれるのは、抗えない事実だろう。なんたって『筆記者』に嫌われた登場人物は、その場で退場させられちまうんだからな」
 絶望の淵に叩き落される、とはこのことだろう。
 深翠と蒼香は、喘ぐように呻き声を上げた。
 その力を失うように、深翠の前にあった鳥居門があやふやに姿を消す。
「これがお嬢さん方の得た、賞品だ。どうだい? 中々に甘美な情報だったろう?」
 聖なる男は、邪悪な口調で言った。
 二人の少女は絶望の海を泳ぎ、声すら出せない。
「さてと、じゃあそろそろ時間だ。敗者は退場させてもらうよ」
 それじゃあ、とエドワードが二人へ背を向ける。
 その様子を呆然と、焦点のあっていない瞳で見る蒼香と深翠。
 直後、二人の意識は金槌で叩かれたような、衝撃で引き戻る。
 エドワードの足が向かう、白い城。
 その上空に、悲しいほど美しい、銀色の月が浮かんだ。
 それを見て、深翠が唇を噛み、蒼香が自分の頬をはたいた。
 情けない自分を奮い立たせる為に。
 自分たちの絶望など、彼に比べれば大したことはないのだと、彼女たちは気付いたのだ。
 自分に向けられた好意が、どこまでも紛い物であることが、わかっている彼はどんなに苦しかっただろう。
 それがどこまでも偽物である事に気付きながら、それを拒絶するほどの非情をもたない彼は、今までそれをどんな苦悩で受け止めていたのだろう。
 自分たちがこんな事で挫けるなんて、今まで苦しめてきた、恋する彼に対する冒涜だ。
 それが与えられた恋心であったとしても、
発端こそ不可避のものだったとしても、
今私は確かに彼の事が好きなのだから、
胸を張れば良いじゃないか。
深翠が噛んだ唇には血が滲み、蒼香がもう一度、自分の頬をはたいた。
自分の情けなさに決別するように。
自分を戒めるように。
「……待って」咄嗟に、蒼香が立ち去ろうと歩を進める、エドワードに声をかけた。
 言われっぱなしは性に合わない。
 ここまで、やられたんだ。
何か言い返してやらなければ、気がすまなかった。
 エドワードは振り向かず、その場に立ち止まった。
 だが、蒼香は次の言葉が見当たらない。
 しかし、その横で全く同じ考えだったのか、深翠が言った。
「……『歴史』だの『彼女』だの『筆記者』だの、随分詳しいみたいですが、あなたは騎士団ではなく、そちら側の人ですか?」
深翠の問いかけに、エドワードは首を振った。
「いいや、僕はどこまでいっても騎士団さ。『白い暴君』や『黒い魔法使い』みたいに、あちら側に属しているわけじゃない。ただ――『彼女』の示す『歴史』通りに動いているだけ」
 そう言うと、聖者は自分で仕立て上げた、蒼と翠との戦場から静かに立ち去った。
 それを、無言で二人は見送った。
 男の台詞で全ての疑問は氷解したし、これ以上あんな男と話す気にもなれなかった。
 破壊し尽くされた戦場に残った二人は、エドワードの姿が見えなくなると、まるでさっきまでの事がなかったかのような表情で話し出した。
「そういえばさ」蒼香がいつも通りの勝気な口調で言った。
「なんですか?」深翠がいつも通りの淑やかな口調で聞き返す。
「気になってたんだけど、おいちゃんの由来って何? 舘花直人じゃどう頑張ってもおいちゃんにはならないでしょ」
「……あとで竹さんに聞きましょう。それよりも今は疲れました」
「そうね。今回あなたには色々言いたい事あるけど、今は正直立っているのがやっと」
「それは私も同じです」
 あまりにどうでも良い会話、さっきまで自分たちが置かれていた状況とのギャップに、二人は緊張の糸が切れたのか同時に噴出した。
 ひとしきり笑うと、聖剣の刃で削られて出来た深い窪みの溝に、ふらふらと座る。
 まだまだ戦える風を装ってはいたが、エドワードとの戦闘で、彼女たちは疲労の限界にあった。
 10メートルはあるだろうか、見事に削られた窪みの底は、夜の闇を吸い取りその色を濃くする。
 その闇に白い足を投げるようにして腰掛ける、黒髪の少女と、金髪の少女。
 金髪の少女が、別に返答を期待していない風に、真横に座る深翠に問いかける。
「ねえ、さっきのってやっぱり本当だよね」
 黒髪の少女が、彼女にしては珍しいどうでもよさそうな風に、真横に座る蒼香に言う。
「でしょうね」
「そっか。じゃあさ、深翠はどう思ってる?」蒼い瞳の少女が聞いた。
「蒼香と同じです」翠の瞳の少女が言った。
「同じじゃわからない」
「じゃあ、せいので言いますか?」
「あ、それ良いね。ついでに竹っぽく言ってみよう」蒼香が弾んだ声で言った。
 深翠が微笑して頷き、二人は揃えて声を出す。
「「せーのっ……
 ――それがどうしたっ!!」」
 
 四つ目の終わりの音は、
「負けないからね」
「負けません」
 そんな、朗らかな二人の美少女の新たな決意表明の声だった。
 
0・09
長かったようで、その実20分に満たない、夢の国での一夜のパレード。
夏と秋の狭間で起こった、
4つの戦場音が奏でた交響曲が、
ここに終曲した。

お読み頂きありがとうございます。
長かった4つの戦いが終わりました。
拙い描写で、未熟さを痛感するばかりでしたが、なんとか書き切りました。
書き切ったといっても祭りが終わった後には、片付けが残っていますので、暫しお付き合いください。
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