橙の章 19
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一人、また一人と紙くずのように彼方へと吹き飛ばされていく部下の姿を、助けに飛び出したい衝動を必死に押さえつけ、網膜に焼付け、記憶に刻み付ける。
彼らに、この選択しか与えられなかった自身の力不足に、慙愧の念が湧き上がる。
体があらぬ方向にひしゃげる部下たちを、見届けていくうちに、軋みを洩らしていた奥歯が、がきりと噛み砕ける。
口内から血を垂らし、握り締めた拳から鮮血が滴り落ちる。
それでもルートヴィヒは、一歩も動かない。
彼に勝機をもたらす為に、命を賭した部下たちの忠義に報いる為にも、決して動くことは出来なかった。
それは、責任感などという生易しいものではない。
最愛の部下たちの命を使った、文字通り使命感である。
だが、その決断も簡単にできたわけではない。
瞬間的に見えた決断にも、迷いはあった。
否、その迷いは情けない話だが決断をした後にも、しこりのように残っていた。
それは部下の命が惜しいから、などという理由ではない。
いくら部下を大切に思っているとはいっても、それ以前にルートヴィヒも、そして部下たちも騎士である。
一度戦場に出れば、勝利よりも、秩序よりも尊いものなどありはしないのだ。
だから卑怯といわれるのは構わない。
それが秩序の為になるのなら。
非情といわれるのも仕方ない。
それが主の為になるのなら。
しかし、秩序を守る為に居るはずの自分が、秩序を乱す事は許しがたいことだった。
だから迷った。
部下を増やすことで、使用する事を避けてきた『盾』としての力を、ここで使うべきなのかと。
そのシコリを取り除いたのは、部下たちの後押しの声ではなく、金棒を振るい部下を嬲る舘花への怒りでもなく、突撃を唱えるのと前後する形で、入園門の方向で立ち上った一筋の光りだった。
それが『剣手』、エドワードの聖剣によるものだという事は、すぐにわかった。
彼が何ゆえ彼の宝具を使用したのかは不明だが、それが少なくとも秩序の為、我が主の為の行いであることは間違いない。
エドワードを好いているわけではないが、その点だけは信頼出来る。
あの男は、盾の自分と対を成す、我が主の剣なのだから。
そして、『剣手』が秩序の為に、剣を使用したのだ、『盾掌』たる自分は秩序の為に盾を使用すべきだろう。
例えそれが、掟に反する秩序を乱す力だとしても。
自分は王の盾であり、
あらゆるものから、王を守らなくてはいけない。
あらゆるものから、秩序を守らなくてはならない。
そんな当たり前すぎて、遠くに追いやられていた事実を、思い起こしたのだ。
小さく、あるいは大きく呻き声を上げながら、怪人の振るう金棒により彼岸花が花道を形成する。
ルートヴィヒは、ただひたすら待つ。
75本の花が全て散り逝く時を。
その一瞬にルートヴィヒは全てを賭け、部下たちは命を賭けたのだから。
舘花は、一人ずつ同方向から飛び掛ってくる騎士たちを、その手に持った鉄塊でその都度、迎撃していく。
一人ずつ同方向から、というところが若干腑に落ちないところであったが、考えたところで正解がわかるわけでもなかったし、ましてや相手が何かを企んでいたところで、わざわざ思考を巡らす意味もなかった。
何が起ころうと、舘花がやることは一つだけだった。
一人一振。
それは作業に近かった。
感覚としては、幼稚園児が投げるど真ん中のスローボール。
それを何十球も、ただ機械的に打ち返すだけ。
いつも通り(・・・・・)、退屈な時間が経過する。
騎士団の三番目というから、多少気を張っていた自分が馬鹿らしくなる。
とはいえ、例えそれがつまらない事でも、この時間を請け負ったのだからやり遂げる。
その責任感の強さゆえに、今回、竹は甲斐の策を丸のみする形で、舘花に助力を願ったのだろう。例えばもしもこの場にいるのが、格下相手に必ずといっていいほど油断する松田であれば、ここまでルートヴィヒを足止め出来てはいなかったはずだ。
しかし、真面目にやるという意味であれば、十三夜の戦闘畑の中では自分よりも飯泉の方が適任なのではないか、と舘花は考える。
だが、すぐに思い直す。
加減をしない、いつでも全力投球の飯泉では、後々話がこじれたであろう。
舘花は失笑して、これまた絶好球にしかならない、60球目の騎士をはじき返した。
さて、彼らは何の為にわざわざ一人ずつ、無謀とも無意味とも言える行為を、ひたすら繰り返しているのだろうか。
ルートヴィヒたちが取った作戦の意図はこうである。
25人の仲間を失った事で、舘花直人という人物が、自分たちとはステージの違う化け物だという事はわかった。
例え76人一斉に飛び掛ったところで、先の25人と同じく、返り討ちに合うことは明白である。
それだけの違いを持った、相手にどうやって一矢報いる事ができるのか。
弱者は弱者なりに道を見つける。
彼らがその道を辿る為には、クリアしなければならない条件が二つあった。
一つ目は、『重力を操る』という舘花の能力が、どの程度のものなのかを測ること。
放たれた銃弾すら地面に叩きつける、破格の異能。
その力の及ぶ範囲は、舘花曰く半径2メートル弱らしいのだが、ならばその半径2メートル圏内に人間の大きさ、人体が近づいた場合、どの程度の影響力を持つのか、というのを調べる必要があった。
人を圧死させる程の力を持つのか、地面に叩きつけるくらいの力を持つのか、それとも体に何百キロ、何十キロの錘を付けられる程度のものなのか、その力を測る。
しかし、測るといっても当然、何らかの計器を用いるわけではない。
その測定方法は、75人全員が同じ速度で舘花に近づき、その時、どのくらいまで速度が落ちるのかというものだ。
正確ではないが、それは一つの指標にはなるだろう。
最悪、近付いた者は先ほどの弾丸のように地面にめり込む事になっただろうが、それはないだろう、というのがそもそも彼らには前提としてあった。
もしもそれが可能であるのなら、先ほど25人の部下たちを屠った際に、舘花があの巨大な鉄塊を振るう必要はなかったからである。
そして、その前提は正しかった。
時速30キロほどで走り寄っていった部下たちは皆、地面にめりこむ事無く、舘花の2メートル圏内に入った直後に、その速度がおよそ時速10キロ程度まで落ちるだけで済んだ。
弾丸を打ち落とすような重力を操れるというのに、対象が人間に変わっただけで、たかが20キロの減速で済むのは、ある種不可解で、果たしてそれが本当に舘花の全力なのか、という不安はあったがルートヴィヒ達には、それを検証する術も余裕ない。
なので、ルートヴィヒはそれで良しとし、第一条件のクリアとした。
例え舘花が手を抜いていようが、今この戦闘で舘花に近付けることが、確認出来ればよかった。
遠距離からの攻撃を持たないルートヴィヒが舘花を打倒する為には、近付かなければならないからである。
舘花に近付く。
これがどんなに危険な事か、ルートヴィヒ以下、彼の部下たちは目の当たりにし、体を持って知っていた。
彼の2メートル圏内に近付いた瞬間。
眼で追えない速度で、一瞬のうちに金棒で吹き飛ばされる。
ある程度、常人以上の動体視力を持ったルートヴィヒでさえ、追いきれていない。
静から静。
振り始めと振り終わりの瞬間。
そこまでしか見えていなかった。
そもそもルートヴィヒは、単純な戦闘力なら、十人いる隊長格の中で最低の部類だろう。
得意な武器もなく、戦闘では、とりあえず主より与えられたレイピアを使用している程度だ。
普通に近付いては、そんなルートヴィヒが彼の部下と同じ末路を辿る事は、絶望的なまでに確定している。
そんなルートヴィヒがどうやって舘花に近付き、更にその一撃を避ける事ができるようか。
――避けることは不可能。
それが彼らの総意であった。
彼らは正しく自分たちの、そして隊長の実力を把握している。
そこから下される結論は、未来予知に近いほど、正確なものである。
ならばどうするか。
答えは一つ。
避けることが出来なければ、受け切ってしまえば良い。
ここまで仲間がなす術もなくやられているというのに、何を馬鹿な事を考えているのか、と思ってしまいそうだが、ルートヴィヒならそれが出来る。
王の盾たる『盾掌』ならば、それが出来る。
なら最初からそうすれば良いのだが、受ける事が出来るといっても、それはあくまで一方向に限る話である。
ルートヴィヒの持つ『盾』は、舘花の『重力』のように全方位に対応していない。
彼が持つのはあくまで『盾』であり、『鎧』ではない。
それ故に、彼の部下たちはルートヴィヒに見せる。
舘花が、どのタイミングで金棒を振るい、どこで振り終わるのかを。
それが二つ目の条件。
ルートヴィヒに、そのタイミングを覚えさせるという捨て身の方法。
だから彼らは、わざわざ同じ方向から、同じ速度で、一人ずつ舘花に飛び掛っているのだ。
それが、彼らの見つけた唯一の道だったから。
――しかし、彼らは知らない。
それが全くの無意味。
勝利の道だと信じて疑わなかったその道が、決定的な敗北の道だという事を。
弱者の見つけた一本道に、死の足音が近付き始めた。
72人目の部下が宙を舞う。
タイミングは完璧に記憶した。
73人目の部下が吹き飛ばされる。
自分の右手と左手に持った武具を確認する。
74人目の部下が地面を転がる。
一気に時速30キロで駆け寄る為に、大きく息を吸い込み、呼吸を停止させる。
そして――75人目の部下がひしゃげる音を耳にした瞬間、ルートヴィヒは舘花へ向けて走り出した。
おいおい、芸がなさすぎじゃないの?
舘花は同じ方向から走ってくる男を見て、呆れたように息を付き、次の球に備えて打撃体勢を取る。
舘花の2メートルまで近付いたと同時に、ずしり、とルートヴィヒの体に重圧が圧し掛かる。
時速30キロあった速度が、三分の一まで減速する。
ルートヴィヒはそれでも構わず、倒すべき敵に1センチでも近付こうと足を、体を前に進める。
76球目の人球がストライクゾーンに入った瞬間、舘花は金棒を振るった。
それは全く同じ速度で、ルートヴィヒに襲い掛かった。
次の瞬間、がきんという甲高く鈍い音が両者の耳に届いた。
舘花の両手には、いつもの会心の手ごたえはなく、敵を打ち砕くはずだった金棒は、褐色の男が突き出した左腕一本、正確にはその掌で受け止められていた。
そして、舘花が驚きの表情を作るより早く、ルートヴィヒが呟いた。
「――アイギス」
その呟きの直後、金棒を受け止めていたルートヴィヒの掌が薄紅色に光る。
すると薄紅色に光った掌を嫌うように、舘花の金棒が後方に弾かれた。
アイギスの盾。
ルートヴィヒの掌に仕込まれた、ありとあらゆる厄災を弾く宝具。
「うおっ?!」
全く予期していなかった事態に、舘花の口から戸惑いの声が飛び出し、足がよろめく。
「くたばれええぇぇぇいっ!!」
吸い込んでいた息の全てを肺から吐き出すように、叫びながらルートヴィヒは体勢の崩れた舘花に向けて、右手に持ったレイピアを突き出した。
勝った。
ルートヴィヒはそう確信した。
75人の部下を犠牲にした、勝利への道を踏み外す事無く自分は辿る事が出来たのだと。
しかし、その勝利の確信が、悪寒となり、これ以上ない死の恐怖となってルートヴィヒの全身を駆け巡るのは早かった。
いや、その恐怖が駆け巡るより早く、ルートヴィヒの体が自分の意思に反して動いたのだ。
何かに引き付けられるように。
当然突き出したレイピアは当たらず、その引き付けられた先には、弾いたはずの巨大な鉄塊が待っていた。
「むんっ」
舘花は崩れた体勢のまま、力任せに打撃圏に引き付けられてきたルートヴィヒへ対して、金棒を再び振るった。
「ひっ……ひぃ?!」
ルートヴィヒは、事態を把握する暇もなく、反射的に左手を突き出した。
それは迫り来る死を拒絶するだけの、実に本能的な行動。
しかし、それは幸運にも彼の命を救った。
再度、先ほどと同様に、ルートヴィヒの掌から遅い金属の音がする。
「またっすか」
一度ならず二度までも、必殺の一振りを受け止められた舘花が、残念そうな声で言った。
ルートヴィヒは舘花の言葉で、自分がそれを受け止めたのだと理解すると、泣くような声で「……あっアイギスっ!」と叫び、アイギスの盾が金棒を弾くとすぐに、その場から重い体で這うように離脱した。
またしても金棒が弾かれた舘花だったが、今度はよろめく事無く、その場に踏みとどまった。
だが体勢こそ崩さなかったものの、既に打つべき人球は舘花の射程距離からわずかだが、離れてしまっていた。
なので舘花はそれを追うことはせず、惨めに逃げていくルートヴィヒの背中を見送った。
嫌悪するような視線で。
ルートヴィヒは、ガチガチと歯を打ち鳴らして必死に舘花から離れていく。
それは極寒の地で、寒さに震えているかのようだった。
そう、彼は事実、寒気によって震えていた。
自分が命からがら助かった事に安堵はなく、死の恐怖によって。
勝利の道を踏み外す以前に、そんな道などなかったのだと、ルートヴィヒは思い知らされたのだ。
20メートルほど距離を取ったところで、それを思い知らせた舘花が、自分の後を追ってきていない事に気付く。
それでも安心出来なかったルートヴィヒは、もっと距離を取ろうと、ともすればこの場から逃げ出してしまおうと思った。
たった一度の接触。それだけでルートヴィヒの心は折られていたのだ。
ルートヴィヒは足を縺れさせながら、地べたを這う。
しかし、そんなルートヴィヒを制するように、突然、地を震わす轟音と眩いばかりの閃光が、自分の後方に位置する舘花よりも遥か後方で巻き起こった。
それにルートヴィヒは、意外そうな声を上げて、その場で停止した。
その光りは、『剣手』エドワード・エルガーが聖剣を使用した光りに他ならない。
何故、2度も聖剣の光りが上ったのか。
あの一撃必殺の代名詞である、剣が日に二度も解放される事は今までなかった事だ。
エドワードが対している相手が、どこの誰かはわからなかったが、彼はそこまでに苦戦しているのだろうか。
そんなにも強敵なのか。
わからない。
わからない。
わからない。
数秒か数十秒か、地鳴りを撒き散らす光が消えた。
そして、震えながら混乱するルートヴィヒは、その光りが収まると――見た。
周囲に広がる、赤い血を。
倒れ付す百人の部下の姿を。
部下の血と肉の香りが鼻孔を刺す。
「…………ちっくしょうっ……!! くそっ! 情けないっ! 俺は最低だ!!」
ルートヴィヒは自分を軽蔑するように吐き捨て、振り返る。
振り返った視線の先で、巨大な金棒を持った化け物が自分を見下ろしていた。
それを視界に入れた時に、ルートヴィヒの体はガタガタと震え始め、ルートヴィヒの心は戦いの激情を取り戻した。
理性が戦いを望み、本能は逃亡を望んでいた。
その鬩ぎ合いを征したのは、理性だった。
「こぉのっ、言う事を聞け!」
ルートヴィヒは、逃亡を訴え、今尚震える体に言う事を聞かせる為に、右手に持ったレイピアを左太ももに刺す。
突き立てたレイピアを引き抜くと、左足の鎧の隙間から血液が漏れ、震えが止まった。
そしてレイピアの血を振り払うと、舘花を真正面から睨み付けてみせた。
しかし、舘花はそれを無視するように、ぶつぶつ呟く。
「今のが合図かな? いや違うか。あれは竹じゃないし……だったらまだか」
そう言って、舘花は金棒を構えなおした。
それは向かってくる球を迎え撃つ為の打撃姿勢。
無視しているようで、しっかりと再燃したルートヴィヒの戦意に、気付いていたらしい。
その近付く者全てを打ち飛ばす構えを見て、ルートヴィヒは動けない。
それは先ほどのような恐怖ではなく、75人を犠牲にしてまで張った策を打ち破られてしまった今、自分が舘花を打倒する策が致命的なまでにないからである。
いや、策なら一つだけ残っていた。
それは玉砕覚悟の突撃。
それで舘花を倒せる確率は限りなく0に近いものだったが、すでに倒せるかが問題ではない。
散っていた部下の行為を無意味なものにしない為に、そして危うくそれを無意味なものにしてしまいそうだった自分への戒めである。
しかし、ルートヴィヒが覚悟を決め、一歩を踏み出そうとした時、舘花がそれを制した。
「それはやめといた方がいいっすよ? 攻撃を弾くのがその宝具力っしょ? その宝具の力は面白いけど、それじゃあ俺には勝てない。さっき俺の攻撃を受ける事が出来たのは、一度目は必然だけど二度目は偶然だ。三度目はない。まあそれでも来るなら良いけど。逃げようとした時は、あまりの情けなさにやる気なくなったけど、今はちょっとやる気出たし。ただで睨まれるのはムカつくんだわ」
「ふん。もうあのような無様な姿はみせない。俺は騎士団の三番隊隊長として、最後まで戦う。――アイギス」ルートヴィヒが、隠す必要のなくなったその盾の名を呼ぶと、左の掌が薄紅色に輝く。
「あ、そすか。じゃあ来いや。……あと、そうだ。同じバッティングを繰り返すだけってのも退屈すぎるから、ハンデとしてこの金棒だけで相手してやるよ。それに本気だすと、さっきみたいに逃げ出しちゃいそうだから」
わかりやすい舘花の挑発。
その挑発にルートヴィヒはすぐに乗った。
傷ついた足の痛みも、折れた心も忘れたように、不敵に笑う舘花へ駆け出す。
左掌を突き出しながら。
その走るのには適しているとは思えない妙な格好。
その意図を舘花は理解して、可笑しそうに笑う。
――そこに打ち込めって事だ。
舘花が言葉で挑発したのに対抗するように、ルートヴィヒはその身を持って挑発する。
それはただ勝利するだけなら、乗る必要のないものだったが、退屈していた舘花には魅力的なものに映り、何より挑発に挑発で返されて、戦闘職としての対抗心が燃え上がらないはずがない。
「おもしれえ。乗ってやるよ」
舘花はすぐにルートヴィヒの挑発に乗った。
そして、走り寄るルートヴィヒが射程距離に入った瞬間に、両手で握った金棒を突き出されたバッティングポイントに向けて、思い切り振った。
そのスイングスピードは、先ほどよりも数段速いものだった。
当然、ルートヴィヒはそれを追いきれない。
がいん、という衝突音。
左手に仕込んだアイギスの盾は、その能力を発揮し黒い金棒を弾く。
「……ぐうっ」
しかし、ルートヴィヒの唇から、苦痛の声が洩れる。
弾いたはずの衝撃が、左手から体へ浸透したのだ。
何故。
その理由を考える間もなく、ルートヴィヒの左手に次の衝撃が走る。
がきん、という衝撃音。
薄紅色に光るアイギスの盾が、巨大な金棒を弾き、同時にルートヴィヒの体に再び衝撃が伝わる。
「硬え」
舘花の嘆息したように呟きの声に合わせるように、三回目の衝撃がルートヴィヒを支配した。
がきり、という金属音が、ぼきり、という骨の折れた音に混じって聞こえた。
左手が折れた。
それを認識するのと、ルートヴィヒの体が後方に飛ばされる同時だった。
しかし、足が地面から離れ、自分が部下たちと同じく宙を舞うのだと、理解したルートヴィヒの理解を打ち崩す現象が起きる。
後方へのGが掛かったのは一瞬。次の一瞬には、ルートヴィヒの体が舘花の振るう金棒に引き付けられていた。
――ああ、そういえば、さっきもこんな風に引き寄せられたんだったな。
ルートヴィヒの左手からぐしゃり、という音がして、今度こそ褐色の男は後方へと吹き飛ばされた――かにみえた。
「あ、やっべ」
ルートヴィヒを打ち飛ばした舘花が、焦ったように言った。
すると、宙を舞おうとしていたルートヴィヒの体が、上から何かに抑えつけられたようにして、地面に叩きつけられた。
「あーあーあー。金棒だけって言ったのに、重力操作しちゃったよ……まあいっか。その前に勝負は付いてたし」舘花の苦笑い交じりに自分に言い聞かせるような声が、地に伏すルートヴィヒの耳に届く。
ルートヴィヒはその声で、叩きつけられた衝撃で、失いそうになった意識を繋ぎ止めた。
しかし、体には変わらず重圧が圧し掛かり、指一本動かせない。
上から舘花がルートヴィヒに話しかける。
「えっと、神具と宝具の力比べは俺の勝ちなわけっすけど、何か言いたい事あります? あ、動かれると面倒なんで、暫くはこのままの状態で」
ルートヴィヒは、指一本動かすことの出来ない状態よりも、そしてこの質問の後には自分が殺されてしまうのだろう事よりも、神具と宝具の力比べという言葉に反応した。
「……やはり、その金棒は神具だったか」
「あっれ? 言ってなかった、てか気付いてなかったんだ? てっきり気付いているものだと思ってたのに。じゃあ今更だけど言っておくわ。俺の金棒は、獲物を引き寄せる力を宿しているんだ。しかも本物の鬼が持っていた金棒だぜ」舘花が気分良さそうにyeahとイよりもヒに近い発音で言った。
獲物を引き付ける力を備えた鬼の金棒。
それが舘花の持っている神具だという。
それにルートヴィヒは、自分がその力を体験するまで、――いや、今この瞬間に舘花が口にするまで気付かなかった。
それは、部下たちが同じ方向から、舘花に向かっていってしまったからこその不幸か。
ルートヴィヒが、舘花の神具の能力に気付かなかった理由。
もし部下たちが多方向から攻め入れば、もっと前に認識できたかもしれない。
もっと冷静であれば、最初に引き寄せられた時に気付けたかもしれない。
――否、それは部下たちのせいでもなく、ルートヴィヒが冷静を欠いたせいでもない。
ただ、感情を、理性を、頭脳を、本能を、全てを支配されていただけだ。
スラッガーという、領域に足を踏み入れたことが、決定的な彼の敗因だったのだろう。
しかし、なればこそ理解出来ないことがある。
それは何故、自分の盾までもが負けたのかという事。
獲物を引き付ける力だけでは、いくら神具とはいえ、あらゆるものを弾く盾であるアイギスを打倒しうることは出来ない。
神具と宝具は、分類上区別されているが、一概にその性能に優劣は付けられない。
疑問を抱いたルートヴィヒの眼前に、ずん、と重厚な音がして、その金棒が下ろされた。
金棒は地面に付くと、地表では止まらず、メリメリと音を立てコンクリートにめり込んでいく。
その様子を一番近いところで見せ付けられて、ルートヴィヒの疑問に答えが出た。
それは単純明快な答えだった。
『重力を操る』能力。
それは自分には適用されない。
ということはその異能は、自分以外全てに適用するという事。
つまり、舘花の持つこの巨大な金棒にも、その力は影響を及ぼしているというわけだ。
唯でさえ、とんでもない重さを持っているだろう巨大な金棒である。
それが銃弾をめり込ませ、人が走る速度を20キロ減速させ、今自分が動くことも出来ない重力の中で、どんな重さになることか。
そして、そんなものを軽々と眼で追いきれぬ速度で振るう化け物。
ルートヴィヒは心の中で毒付く。
そりゃ、この重圧を解いた時にはスイングスピードも上がるだろう。
そして、いくらアイギスの盾とはいえ、そんな秩序の外の更に外にあるような、反則的な攻撃を全て弾けるわけがない。
何が神具と宝具の力比べだ。
これは、貴様と宝具の力比べだろう。
ルートヴィヒが心で完全な敗北を認めて、地面に顔を埋めながら言う。
「止めを刺せ」
しかし、舘花は即答する。
「いや、刺さないから」
地面にめり込んだ金棒を引き抜き、肩に乗せる。
そして、どちらか悩むような表情をして、入園門の方向と城の方向を二三回交互に見てから、入園門の方へ歩き出した。
舘花が歩き出してすぐに、ルートヴィヒに掛かっていた重力が消える。
重力が消えると、ルートヴィヒは折れた左手を庇うように立ち上がり、2メートル以上離れた舘花に投げかける。
「……何故だ?」
その問いかけに舘花は、短く、
「合図が上がったから」と言い返す。
「合図……だと?」ルートヴィヒが困惑したように呟くと、舘花が振り返り、その金棒で天空を指し示した。
鬼の金棒が示す先。
白き城の上空に、銀色の月が昇っていた。
「ってことで俺の仕事はここまでなんだ」舘花が金棒を再び担ぎなおす。
「なっ納得出来るか! 去るなら止めを刺してから去れ!!」ルートヴィヒが激昂する。
「だからやんねえから。サービス残業なんて嫌っすよ……ってかさ、そんなことよりも、さっさと他の事した方が良いんじゃないんすか? すぐに治療すれば、まだ間に合うと思うけど」舘花が周囲を見渡して言った。
そこには血を撒き散らし、骨が肉を突き破りながらも、呻き声を上げ、まだ辛うじて生きているルートヴィヒの部下たちの姿があった。
ルートヴィヒはそれに気付くと、傷付いた体を引き摺りながら、慌しく近場にいた部下の一人に近付いた。
まだ息がある。
まだ生きているっ!
散ったと思っていた花には、まだ息吹が残っていた。
ルートヴィヒは、その目に涙を溜めながら舘花を見た。
そして、感謝の言葉を述べようと口を開く。
しかし、それを遮るように舘花が言った。
「……いやいや、勘違いすんなって。それをやったの俺だから。あと忘れんなよ。俺達は、あくまでも、人を超えさせられた化け物なんだっぜ」と舘花が実に人間味溢れた笑顔で言った。
そしてそのまま舘花は踵を返し、その場を歩き去った。
ルートヴィヒはその歩みを見届けず、すぐに自分の傷を忘れたように部下たちの治療にあたった。
その口から、もういない相手へ感謝の言葉を繰り返しながら。
その震える声が、一つ目の戦いの終わりの音となった。
お読み頂きありがとうございます。
思惑に反して異様に長くなった19話です。
なので、どこかおかしなところがあるかもしれません。
何かありましたら、ご指摘ください。
既に自分でわかっている部分で、おかしなところがあります。
三番目にはもっとヘタレてもらうはずだったのに、いつの間にか部下思いの良い奴に……力不足ですね。
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