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橙の章 15
           *

それは、20年も前のお話。
若かりし日のヴィンセント・ワーナーは、両親とともに本国を離れ、秩序を乱すものを滅ぼす為に世界中を飛び回っていた。
日々が常に死と隣り合わせの、流浪の旅だった。
その流浪の旅は、ヴィンセントを鍛えるという、武者修行の意味合いも含まれていた。
常日頃より、各国を渡り歩いていた当時の騎士団の王、ヴィンセントの父は自分が本国を空ける場合は、彼の妻、つまりヴィンセントの母親にそれらを任せることが多かったのだが、なぜかその時だけは、彼の妻も付き添って西へ東へ、秩序を守るために旅を続けていた。
ヴィンセントの父は、騎士団の運営をその一時だけ側近に全て任せていた。
その旅は、ほぼ1年に渡った。
何も起こらなければ、あと半年は続いたであろう。
だが、続かなかった。
続ける事が出来なくなったのだ。
彼らの旅に、一人の女が強制的に終わりをもたらしたのだ。

           *

23:59
「合格点です。さすがに魔人などと、呼ばれるようになっただけの事はあります。剣の一振り一振りに甘さが消えて、速度と力強さは段違いに増している。あれからかなりの回数の、命をやり取りを行ってきたようですね」
ヴィンセントがその剣技をもって、カガチの左肩に浅い切り傷を負わせる、数分間の攻防を終えて、肩口から手の甲まで滴る血を一舐めして、天野カガチは感嘆と賞賛の声を上げる。
 ヴィンセントは、カガチの言葉には反応せず、自らの肉体の充実に高揚した精神を、静かに受け止める。
冷たく燃える精神。
 20年前は、圧倒的な力の差に、一太刀も入れることが出来なかった、相手を圧すだけの戦闘技術。
 脳からの命令を受け、即座に爆発的に躍動する、筋繊維の一筋一筋。
 あらゆる業火に身をおき、あらゆる苦行に耐えてきた。
その結果、心技体の充実をみた。
彼にとって、今こそが人生の絶頂期。
だが完成ではない。
完成するには、まだ一つ足りない。
20年前の惨敗の記憶。
それを払拭しなければ、彼は完成できない。
それに彼の内に、一つの疑念が生じていた。
20年たった今でも鮮烈に覚えている。
ヴィンセントの記憶では、天野カガチはこんなものではなかったはずだ。
だが、その記憶を確かめようにも、記憶を共有している者はいない。
――既にいないのだ。
そんな事を考え、感傷に走り出しそうだった、ヴィンセントの心中をまるで読んだかのようにカガチが発言する。
「20年前のあなたの両親の死は無駄ではなかった、いや、言い換えましょう。20年前、私がわざわざ、あなたの両親を殺したのは無駄ではなかった、といったところでしょうか」
「……何を言う? それも貴様らの言うところの、歴史なのだろう?」ヴィンセントは、当時を思い出しながら、奥歯を噛み締めて言う。
 天野カガチ。
 元、天岩戸の最高位『天照』の地位に就き、そして、その全てを『黒の書』、全ての歴史を記した書物に従っていた女。
それも最初から。
生まれた時から。
生まれる前から。
「ええ、まあそうなのですが、私としては心配だったのですよ。あなたの両親の強さは、予定通りのものでした。予定通り過ぎて、つまらないほどに。ですが、その息子。あなたがあそこまで弱いのというのは、予定外だったんですからね」
「……なんだと?」
「黒の書に書かれた通りだと、あの当時にあなたは、既に最低でも私に一太刀浴びせられる程度の、実力を持っているはずだったんですよ。しかし、20年前のあなたは弱すぎた。戦う相手を間違えたのかと、心配してしまったくらいです。まあ今、予定通りの実力は、持ってくれたようなので安心しましたが」
「……一つ質問だ。という事は当時は、貴様らの歴史通りには、いっていなかったという事か?」
 ヴィンセントの質問に、カガチは頷く。その表情は笑顔だった。
「その一つだけを見ればそうですね。ですが、それは一側面でしかない。結果的にあなたは、その復讐心から、歴史通りの強さを持つことになった。今にして思えば、あなたの両親を殺す、という私の行動は、もしもあなたが弱かった場合に備えての、予防策だったのでしょうね。実際、もしあなたが当時に歴史通りの強さを持っていた場合は、20年後の今も、大した成長は見込めなかったはずですから。つまり帳尻は合った、ということです」
「ふん。だがそれは結果論であろう。もし、我があのまま弱かったとしたら、どうする?」
「どうしたんでしょうね。それはあくまで、歴史を調整しているだけの、私ではわかりません」
「歴史を調整、か。まるで、貴様が歴史を作っているかのような台詞だな」秩序を守る男は言った。
「当然でしょう? 脚本家の書いた舞台を演じるのは、あくまでもこの世界にいる人々なんですから。ですが、その殆どが脚本の内容を知らない。故に起こる出来事は、予定通りの事ばかりではありません。だからこそ、脚本家に近い位置にいる私たちがそれを修正し、調整しているのです」隻眼の女が微笑する。
「――つまり貴様が死ねば、歴史を調整する者はいなくなり、貴様らの思い通りにはいかなくなるというわけだな?」
「調整者は私以外にもいますが、私が死ねばある程度は、滞るでしょうね」
「なるほど。良い事を聞いた」ヴィンセントは猛禽類のように笑い、剣を構えなおした。
 ヴィンセントが剣を構えなおしたのを見て、カガチが言う。
「あなたが、殺し合いをする覚悟を持ち、そして私と戦うだけの力を持った事は、わかりました。ここからは私も本気で戦うとします」
 そう言って、カガチは5メートルほど後方にある、メリーゴーラウンドの場所まで軽やかに跳躍し、一体の白馬の横に立った。
 ヴィンセントはカガチのその言葉に、自分の記憶が正しかった事を知り、彼女の次の行動で、抱いていた疑念の正体を知った。
 カガチはおもむろに屋根と土台に繋がった、白馬を固定している支柱へ左手を伸ばすと、それを力任せに――引きちぎった。
「……っ!!」
 ヴィンセントが過去の記憶の戦慄に、身を震わせる。
それを微笑して眺めながら、怪物は、その急造の凶器を片手に言う。
「――第2ラウンド。開始ですね」
 直後、凄まじい暴風音を乗せて、セラミックの白馬が騎士王をめがけて飛んできた。
「くっ……」
 十メートルに満たない距離からの、力任せの投擲をヴィンセントは、身を低くする事で辛うじて、かわす。
 白馬は、ヴィンセントの頭上を通り越し、50メートル後方で地面に激突し、地面を削る高い音を奏でながら、バラバラに分解する。
 しかし、カガチの攻撃はそれで終わりではない。
その音がヴィンセントの耳に届くよりも早く、次の馬がメリーゴーラウンドより引きちぎられ、ヴィンセントへ向けて飛んできていた。
ヴィンセントは、息つく間もなく、それを避ける。
カガチは、投げ放ったものの行方を追う事はせず、一体、また一体とメリーゴーラウンドの屋根の下を、優雅に舞い踊るかのように走り回り、吊り下げられた凶器を、根元から、あるいは途中から引きちぎり、引き抜き、破壊し、ヴィンセント向けて連続で投げ続ける。
一撃でも食らえば、致命傷になり、掠っただけ、戦闘不能に陥るであろう、速度を持った絶望感を覚えさせられる攻撃は、次々と続く。
それを受け流すことも、受け止める事も出来ず、ヴィンセントは避け続ける。
一つ、また一つと避ける度に死を連想させられ、背筋が凍り、吐き気がするほどに精神が削られる。
これが太陽の下の昼間、もしくは、このテーマパーク自体が煌びやかに開園中であったのなら、ここまで厳しくはなかったであろう。
だが今は、テーマパークは既に電飾を落としており、月明かりだけが頼りの真夜中である。
全く視界が利かないわけではないが、それでも劣悪な状況には変わりない。
戦況は圧倒的に不利だった。
だが、次の瞬間には自らがただの肉塊へと変わる、そんな絶体絶命ともいえる状況の中、ヴィンセントの口元は抑えきれぬ感情で歪んでいた。
騎士団の主としての顔ではない。
幾人の猛者を屠ってきた、ただ一人の戦闘狂。
その始まりにして終着点。
白い暴君、天野カガチが過去の記憶そのままの実力で、自分と相対している。
その事実が、彼に狂喜の笑みを浮かばせ、彼の五感全てを鋭く研ぎ澄ませていく。
「はははっ」ついにヴィンセントは、声に出して笑い始める。
 対してカガチは、微笑を崩さずに投擲を続ける。
 白い外套が、回転木馬の天井の下で舞う。
 しかし、それにも終わりが訪れた。
 彼女の凶器、メリーゴーラウンドの馬たちを全て、投げつくしたのだ。
 ヴィンセントはそれを好機と見て、狂ったように笑いながら距離を詰める為に走り寄る。
だがカガチは、全てを投げ尽くした直後に、今度は別のアトラクションまで駆けていた。
彼女が到着した次の凶器は、空飛ぶ兎の遊具だった。
ヴィンセントは、カガチが空飛ぶ兎を上下に稼動させる、横の支柱の根元から引き抜いたのを確認すると急停止して、それを回避することだけに専念する。
決して背中を見せることは無い。
兎の弾丸が、怪物の両の手から放たれる。
カガチは、一定の速度で投げていた、先ほどのメリーゴーラウンド弾とは趣向を変え、繊細に緩急をつけながら、しかし豪快に投げつける。
それをヴィンセントは丁寧に、迅速に、一つ一つ冷や汗を掻きながら、そして、やはり笑いながらかわしていく。
彼の後方でトラックが正面衝突したような、心地よい激音が積み重なる。
二人の周囲は、ここが数分前まで夢の国であったとは、思えない惨状となっていた。
――凄いですね。
カガチは、投擲を続けながら、声に出さずに素直に感想を述べる。
今までの投擲。
その全てが必殺のものであり、勿論、殺すつもりで投げている。
自分は決して、手を抜いてはいない。
ただの人間であれば、最初の一投目で粉々に粉砕していただろう。
多少心得がある人間、賞金首、賞金稼ぎの上位ランカーでも、片手で数えられる数の投擲で、葬れていただろう。
だが、それをこの男、ヴィンセント・ワーナーは、あくまでも普通の人間でありながら、有効打どころか、体の一部分にも掠らせることなく、全てを避け続けている。
驚嘆を通り越して、拍手を打ち、賞賛すら送りたくなる。
しかし、その行為は、この恐るべき偉業を達成し続けている、彼を侮辱することになり、そして今は、殺すか殺されるかの真っ最中、そんな事をしている暇などありはしない。
カガチは、拍手を送る代わりに、変わらず微笑み続けた。
最後の空飛ぶ兎が、ヴィンセントの横をすり抜けて、落下すると先ほどの再現のように、ヴィンセントがカガチに向かって駆け出し、カガチはヴィンセントの刃圏に入る前に、再び距離をとった。
彼女が次に手にした弾丸は、大きなコーヒーカップ。
カガチは、それを片手で一つずつ持ち上げ、ここにきて初めて力任せに投げるだけでなく、意図的に横回転を掛けて同時に投げつけた。
今まで一つだけでも、身を削る思いで避けていた暴力が、倍の数に変わり、更に回転をかけることで直球から変化球に変わる。その急激な変化に、誰がついていけようか。
カガチが投げつけた、二つのコーヒーカップは、弧を描くようにヴィンセントへ飛んでいく。
だが、今まで防戦一方だったヴィンセントは、それこそを待っていた。
今までの投擲は全て、不規則な回転で飛んできていた為、ギリギリまで見極めなければ避けられなかった。
しかし、たった今、カガチが投げたコーヒーカップは両方ともが、規則正しい回転。
ならば、変化する方向は自ずと予想することが出来る。
更に、弧を描く変化球は、直線的に飛んでくるものと比べると、こちらにたどり着く速度が確実に落ちる。
ヴィンセントは、弧を描いて向かってくる、その一瞬のタイムラグをつくように、コーヒーカップ弾を避けながら、じわり、とカガチへの距離を縮める。
自身の攻撃が届く距離。
自身の攻撃が当たる距離を目指して。
それに対して、カガチは相変わらず、二つの凶器を規則正しく、横回転させて投擲し続ける。
一歩、一歩。
一足、一足とカガチとヴィンセントの距離が縮まっていく。
既に、二人の距離は5メートル弱まで近づいていた。
そして、回るカップの演舞場の残りの弾数が4となる。
回数に換算して、あと二回。
その投擲を避ければ、自分の攻撃が届く間合いになる。
そんな風に、ヴィンセントは終わりの見えたカガチの攻撃に、時間にすら換算できないほどの刹那、張り詰めていた気を緩めてしまった。
そして、カガチにはその刹那の時間で十分だった。
カガチは、両手に持った二つのコーヒーカップを投げずに、まだ引き抜いてさえいないカップをヴィンセントへ向けて、蹴り飛ばしたのだ。
カップは不規則な回転で、飛んでくる。
意表を突かれた、ヴィンセントだったが、飛んできた弾丸は、蹴りで飛ばされたものだからなのか、今まで投げられてきたものよりも幾分遅い。
問題があるとすれば、距離の近さと不規則な回転くらいだったが、5メートルの距離は逆に彼に視界を確保させ、不規則な回転も距離の近さから、変化を生むようなものではなかった。
ヴィンセントは、冷静さを失う事無く、それを避けた。
しかし、ヴィンセントが先ほど気を緩めた、一瞬の失策が形になるのは、この後だった。
カガチは両手に持っていた、コーヒーカップの二つを、蹴り飛ばしたカップをヴィンセントが避けるとほぼ同時に、しつこいくらいに同じ速度、同じ横回転で投げつけた。
ヴィンセントは、それを視認すると、今までと同じように、着弾点を予測して回避の動作に入った。
ここまでは問題なかった。
だがその次のカガチの行動が、ヴィンセントの本能を直接、ハンマーで叩くように警鐘を鳴らした。
二つのカップを横回転で投げつけたカガチは、その直後に、最後に残ったコーヒーカップを左手で持ち上げて、全力で(・・・)――振り下ろした。
ヴィンセントの顔が凍りつく。
縦回転で投げつけられた、コーヒーカップは弧を描いて飛んでいた、前の投擲とのタイムラグを埋めるほどの速度で、ヴィンセント向けて飛んでいく。
それは、ヴィンセンに自身の先入観、心の隙、刹那の油断を後悔させる暇もなく、ましてや前の二発の回避動作から体勢を変える事など許すはずもなく、横回転で飛んでいた二つのコーヒーカップにぶち当たる。
一つ一つの弾丸でしかなかった、三つのコーヒーカップは、盛大な音を立てて木っ端微塵に炸裂した。
「――あ」
――死。
目の前に飛び交う無数の弾丸。
その一つ一つに、死が明確に刻まれている。
そんなものが目前に迫ってきては、常人であれば、足が竦んで動けなかったことだろう。
達人であれば後方、もしくは左右に避けたことだろう。
 しかし、あろうことかヴィンセントは、そのセラミックの弾幕に向けて突っ込んでいった。
 それは、後方、左右に避けた場合に弾幕が拡散して、手に負えなくなるものである、というのを判断しての行動ではない。
 このままでは負ける。
 このままでは殺される。
 だが負けたくない。
 だが殺されたくない。
 それは意地と拒絶。
 自分は目の前の敵を、滅ぼさなければならない。
 ならば、ここで引くことなど出来るわけがない。
 それは決意。
 その三つの要素、そして鍛え上げてきた、20年の歳月が、勝利への一歩を踏み出させるべく、彼の肉体を前進させたのだ。
「ぬおおおおおおおおーーーー!!」
 獣のような咆哮を上げて、ヴィンセントはその嵐の中をひるまずに進む。
 右手に持った、その剣で破片を破壊し、弾丸を紙一重のところでかわし、鎧の上から肩を、足を、わき腹を打ち抜かれながらも一直線にカガチを目指す。
 規格外のものなど、何も持ち合わせていない。
ただの人でありながら、鋼鉄の意志によって、魔人と呼ばれるまでになった、血まみれの日々。
それを背負って、男は弾幕を突破する。
――綺麗ね。
 カガチは、文字通り身を削りながら自分を目指す、その無様な男の姿を、その無骨な心の在り方を、ただ単純に美しいものと感じた。
 故に一歩も動けなかった。
 動きたくなかった。
 本当なら、コーヒーカップの弾丸の後に続き、その圧倒的な脚力を持って自身を弾丸と化し、ヴィンセントに引導を渡すつもりだった。
 だが、カガチはそれをせず、向かってくる男の様を一瞬でも長く、記憶に留めることを選んだ。
 そして口から、体から血を滲ませて、ヴィンセントは全ての弾幕を突破し、カガチとの距離をゼロにした。
 その時には既に、彼の持つ剣は折れ、身に着けた鎧は原型を留めていない。
 いくら間合いを詰めても、攻撃手段がなければ、何も出来ない。
 二人は体が触れ合いそうなほどの近距離で、微動だにしない。
「お見事」カガチが微笑みながら言った。
 はあはあ、と途切れるようなヴィンセントの息遣いが、静寂の闇夜に響く。
「我は……貴様を……打ち滅ぼす」
 真っ直ぐに、口元に笑みを浮かべて、ヴィンセントを見つめるカガチに、途切れ途切れでヴィンセントが言った。
「どうぞ。剣が折れた今でも、それが出来るのならば、やって御覧なさい」カガチが頷く。
 ヴィンセントは、折れた剣を捨て、自分の背中に手を回すと、その手には一丁のデザートイーグルが握られていた。
 ヴィンセントが今の今まで決して、背を見せなかったのは、その為。
 切り札を背中に隠し持っていたのを、悟らせない為だ。
 それを見て、カガチは思い出したように言う。
「ああ、そういえば、あの剣はあなたの父親、そしてその銃は、母親が使用していたものですね」
一際美しく微笑むカガチに、ヴィンセントは答えず、その銃口を彼女の額に当てて、引き金を引いた。

3発の発砲音。
直後に女の頭蓋から吹き出る、脳漿と血液。
闇に色彩が生じる。
月光を浴びて、絢爛と輝く血は、白い外套を濡らす。
 ぐしゃり、と力なく倒れるそれを、臨死の狭間。
点滅する視界と意識に収め、
征服主は低い音で、勝利の雄叫びを上げた。
お読み頂きありがとうございます。
まだまだ未熟な文章ですが、どうかお付き合い下さい。
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