橙の章 12
*
23:52
一足先に、自身の城から離れたヴィンセント伯爵は、丁度城の裏手側、回るコーヒーカップやメリーゴーランド等の視認出来る、やや開けた場所に立っていた。
視認出来るといっても、それはヴィンセントの視力が常人よりも数倍優れているというだけで、既に閉園しているパーク内は当然の如く闇で覆われている。
ここが決闘状の指定場所。
指定された時刻までは、あと少し。
天倉竹という、最大級の敵を討ち滅ぼす機会をうっちゃってまで、騎士団の主はその闇の中にぽつりと、ヴィンセントは立っている。
表情こそ平然としたものだが、彼からは周囲の暗黒を歪ませるほどの鬼気が、隠し切れずに溢れ出ている。
積年の恨み。
長年の望み。
それが今宵、漸く叶うのだ。
ヴィンセントは、煮え滾るような精神を鋼鉄の理性で抑えつける。
まだ。
まだだ。
まだこの内にある想いを、解放する時ではない。
豪奢な鎧に身を包んだ王は、自身を制する為に目を瞑り、深く息を吐く。
溢れ出ていた全身の鬼気が、緊張するように彼のうちに収まる。
冬の冷風よりも冷たい、一陣の風が巻き起こり、微かに音を奏でていた、初秋の昆虫らの鳴き声が一斉に停止し、一切の空気が凍り付いた。
風が吹き止み、王が瞼を持ち上げると、闇よりも暗黒の色をした、白色隻眼の女が現れていた。
「こんばんは。時間通りですね」隻眼の女は、まるで朝の挨拶をするかのように自然に声をかけた。
「――天野カガチ」
ヴィンセントは彼女の声を聞いて、歓喜に全身を震わせ、独り言のように呟く。
「漸く――、漸くこの時が来た」
彼の中に閉じ込められていた、たった一つの感情が溢れ出る。
殺意。
そのあまりにも分かりやすい、そして普通であれば、その気迫だけでも卒倒してしまいそうな、敵意を向けられても、白い外套を纏った女の表情は全く変わらない。
どころか楽しげな微笑すら浮かべている。
月光を背に、怪物は囁く。
「あの子の方は良いのですか? あなたの娘では話になりませんが。
――とはいっても、何かしらの思惑があって、娘を残してあなたはここに来たんでしょう。
余計なお世話でした。そんな事は私が気にする事ではないですね。どうせ結末はわかっていますから。
それよりも、剣も盾も連れず、一人でここに来た事を褒めてあげましょう。
あとは――、この20年で、殺し合いをする覚悟は出来ましたか?
坊や」
「うおおおーーーーっ!」
騎士団の王が咆哮を上げ、大地が震える。
「時は来たっ!!
我は騎士団の主、征服のヴィンセント!
秩序の、そして我の敵、天野カガチ!
20年前受けた屈辱を晴らすため、
今宵、我は貴様を滅ぼすっ!!」
征服主は腰元の剣を抜き、目の前の白色隻眼の女に飛び掛る。
「来なさい。この20年でどれだけ成長したのか、殺し合いながら確かめてあげます」
白い暴君は、凍るような微笑を作り、徒手空拳でそれを迎え撃った。
盾掌が挙げた開幕宣言のほぼ直後。
パレード二つ目の催し。
轟音を鳴らし、怪物と魔人の血戦が開始した。
*
23:54
城の前にたどり着くと、後方と前方から聞こえる激突音とは別に、緩やかな音色が竹の耳を擽った。
竹は城の中に入り、昼間歩いた時と同じルートを辿る。
廊下を抜け階段を上ると、城外でも聞こえていた音色が徐々に大きくなっていき、王の間の扉を開くときそれは最大音量で竹の耳に到着した。
アレクサンドラは玉座に座り、ヴァイオリンを奏でていた。
たった一人の演奏会に、たった一人の観客が漸く到着した。
到着後、竹は特に何もせず、扉の前にぼうっと突っ立ったまま、その演奏に聞き入る。
彼女の演奏は城の外から聞こえる、凄まじいまでの戦闘音を全て飲み込み、嚥下し、自身の音に重ねている。
ありていに例えれば、それは戦場にいる者たちを奮い立たせる戦闘曲。
しかし、彼女の奏でる音には、それだけではない何かが混じっている。
それが何なのか竹にはわからなかった。
その後、演奏は1分ほどで終わり、アレクサンドラはヴァイオリンを下ろし、ドレスの両端をつまんで、丁寧に竹にお辞儀をした。
「ごきげんよう、アマクラ。話すのは久しぶりですね」
「ああ、お久しぶり」竹は会釈を返した。
当然の事だがどうやらアレクサンドラは、騎士団としての彼女として、今この場にいるようだった。以前のフレンドリーさは一切見当たらない。
これから決闘をするのだから、当たり前である。
とはいえ、竹はこういう重い空気は得意ではない。
しかし、何も言うべき事は見当たらず、会話の糸口もない。
竹は黙って玉座の前で立つ、アレクサンドラを見ることしかできなかった。
対するアレクサンドラも、無言で竹を見ている。
「……」
「……」
薄暗い王の間に、沈黙が流れる。
城外からは相変わらず、激しい戦闘音。
そして、アレクサンドラの足元のケースから、聞こえる機械音。
「……時計?」
「そうですね。時間までは、まだ少しだけ間がありますから」
ほぼ無意識に口から出た竹の呟きに、アレクサンドラが頷き返した。
「……」
「……」
また沈黙。
カチコチと時を刻む音が、この空間を支配する。
見つめ合う形で停止している二人。
すると、アレクサンドラを見ていた竹が、ある事に気付いた。
「……それがお前の武装なのか?」
彼女が身に纏っているのは、鈍色の無骨な鎧ではなく、一見、上品なドレスのように見える。
これから命を落とすかもしれない戦いがあるというのに、そんなに軽装で良いのか、という疑問とおせっかいを混ぜた発言だった。
だがそれは余計なお世話だったようだ。
「ご心配なく。これは極限まで軽量化された最高品質の鎧です」アレクサンドラは、優雅に自信溢れる表情で頷いた。
「……そう。なら良いんだけど」
良いんだけど、その格好は気になる。
特に胸の辺りが。
薄手のドレスだからなのか、この前会った時にはさほど気にならなかった、胸がこれでもかと強調されていた。
さすがに外国人は、発育がよろしくていらっしゃる。
ぶっちゃけると、竹がアレクサンドラの武装の薄さに気付いたのは、胸に目がいった為である。
それからすっと、竹の視線は特盛に釘付けだった。
「ええ。そういえば、アマクラ。あなたが仲間に頼んで持ってきてもらったものって、やっぱりそれだったのね」アレクサンドラは、竹の左手に持たれた物を見ながら言う。
「ん? ああ、まあな。でも何でその事を知っているんだ?」竹はそれに曖昧に頷きつつ、聞いた。
名残惜しかったが視線は、アレクサンドラの顔に戻す。
あまり見過ぎて、気付かれるのも気まずいので、これからはチラ見にする事に決めた竹であった。
「とぼけるのは止してくれますか?」
「とぼける?」
責めるようなアレクサンドラの言い方に、竹は困惑しながら聞き返した。
「ええ、このパーク内中に仕掛けておいた盗聴器とカメラ全て破壊したのは、あなたでしょう?」
「は? カメラに盗聴器? いや、知らんけど……でも、あー、って事はオレがおいちゃんに電話した時のも盗聴されていたわけだ。だから知っていた、と。……でも本当にその事は知らないな。それを壊したのはオレじゃないよ」
「え? だったら誰が?」
「知らん。オレ等以外の奴だろ。そのカメラと盗聴器が全部壊されたのっていつ?」
「……夕方ね」
「だったら尚更オレじゃないだろ。それはお前ら騎士団が証明出来る」
「どうして?」
「だって、お前、というかあれは三番目の部下かな? そいつ等が、ずっとオレを監視していたからな。今度聞いてみろ。――まあ今度があればだけど」
玉座より一段下にいるはずの竹が、見下ろすようにアレクサンドラを笑った。
その言葉が、アレクサンドラと三番目の部下たちだけでなく、今このパーク内にいる騎士たち全員に宛てられたものだと、アレクサンドラが理解した時、彼女の足元の時計から、やや大きめのぼやけた音が繰り返された。
それは今日の断末魔か、
明日の産声か、
それとも今日の産声か、
何も変わらぬ断続面の無い世界で、日付だけが変わった。
「――時間です。剣を取りなさい、アマクラ」アレクサンドラは相変わらずヴァイオリンを手にしながら、玉座のある、一段高くなっている場所から静かに下りる。
竹は無言で夜月を鞘から抜いた。
それを見て、アレクサンドラが言う。
「この前のようにはいきません」
「この前?」竹が首を傾げる。
「秋野邸で、あなたに殺されかけました」それにアレクサンドラは、眉を顰めながら言った。
「……ごめん、忘れた」
竹の発言にアレクサンドラは、肩をわなわなと震わせる。
「……忘れた、ですって?」
「記憶にございません、って奴だ」竹は皮肉な笑みを浮かべる。
「頭にきた――やっぱり私はあなたが嫌いだわ」アレクサンドラは、一瞬、秋野の館にいたときのようなフレンドリーな口調で言った。
「……あ、そう。まあだから断ってくれたんだろ。オレがミス(プロポーズ)した時」
竹はやっぱり、美少女に面と向かって嫌いって言われるのは堪えるなあ、と思いながら言った。
「……ええ、そう。やっぱりミスよね。漸くすっきりした」
「そう。なら良いけど……てかそんなことよりも、お前は武器を取らなくて良いの?」
「ご心配なく」
柔らかなブロンドの巻き毛を揺らし、橙色の瞳を持った少女は、竹を睨みながら決意の篭った表情で言った。
「秩序の為に戦います。
秩序の敵を滅ぼす為に。
それが命を賭した戦いであっても、
私は一歩も引きません。
私は騎士団の王女、アレクサンドラ・ワーナー。
アマクラタケ――私はあなたが嫌いです。
だから、死んでもらいます」
時計の長針が、決闘に記された時刻よりも一つ分進んだところで、アレクサンドラが手に持っていた、ヴァイオリンの糸巻き部を竹に向ける。
直後、ヴァイオリンはタタタン、とともすれば気の抜けたような軽い音を連続で叫び、数発の銃弾を発射した。
未熟な奏者は指揮を執り、再び音を奏でる。
3番目の催しは、実に慎ましやかな音にて始まった。
|