第二章 4月25日 美しき刺客
それはまさに、感じる事は出来ても不可視の“風”その物だった。
「ん、何だ?ギャッ!!」
「どうした!?グワッ!!」
「か、川上か!?グフッ!!」
脇を疾風が駆け抜けていったかと思うと、次々と後方で上がる男達の動揺と呻き声。
それに振り返ると、追撃してきた男達がほとんど棒立ちのまま順に倒れていく。
疾い……!!
夜目と動体視力には自信の有る俺が、遠目ですらその動きを追いきれていない。
剣道特有の足運びとそれを隠す袴により、さながらホバーの如く地面を疾駆するその動きは、馴染の無い者にとっては挙動が読めず、気付いたら目の前に居たという錯覚を生じさせる。
奴等にとっては、さながら得体の知れない幽鬼か何かに襲撃されている気分だろう。
そしてそこから放たれる一閃は、神速にして正確無比。
闇に紛れ更に見えにくくなった竹刀は的確に急所を打ち抜き、一撃の下に武装した男達を打ち伏せていく。
強い……!!
明るい昼間ならともかく、この薄暗い中であの攻撃を凌ぎきる事は、俺にも出来ないだろう。
例えるならば、智代が天賦の才能とガンダムと言う当時ではずば抜けてハイスペックな機体のおかげで次々と敵を撃退出来たアムロ・レイなら、こいつは神がかったテクニックで量産機とさして変わらぬ性能の士官用ザクを『三倍速い』と言わしめたシャア・アズナブルだ。
「失礼な……彼の様な悪党と一緒にしないでください!」
道着姿の女シャアは、わざわざ足を止めてそんな事を言った。
闇に溶けそうな漆黒の髪を、束ねてそこに留め置く赤いリボン。
その鬼神の如き鋭い眼差しは、心の深奥までも射抜き、そこにある邪悪までも見透かすようだ。
無骨にして神聖な白い道着と紺の袴のコントラストは、彼女の清冽で頑な心を体現し。
月明かりに照らされたその姿は凛として気高く、それだけでチンピラ共を怯ませ寄せ付けぬ威風をまとっていた。
「お、女!?」
「まさか、坂上か!?」
「……生憎、私は坂上さんではありません。もっとも……あなた方を狩る者である事には変わりませんが」
「ひ、ひいいいいいいいいいい!!」
男達は完全に恐慌に陥っていた。
俺達を騙して罠に陥れ、伏兵まで置いた必勝の布陣。
奴等は初めから勝ちを確信し、逃げる獲物を一方的に狩る狩人気分でいたはずだ。
にもかかわらず、気が付けば化け物じみた女の前に成す術なく、自分達が狩られる立場に。
覚悟の無い者達の集団ほど、脆い物は無い。
「こ、こんなの聞いてねえぞ!!」
「一方的にボコれるんじゃなかったのかよ!?」
「オ、オレは抜けさせてもらうぜ!!」
一人が逃亡したのをきっかけに、男達は次々と武器を投げ捨てて逃げ出し、あるいはそこに留まった者も、動揺の内に“月夜の狩人”に屠られていく。
「な、な、な、何だ……?何がおきてる!?」
「そちらが罠を張って伏兵を用意していた様に、こっちも伏兵を用意していた。ただそれだけの事よ」
「か、か、か、川上!?」
そして俺は、この隙に後方で茫然とする村越の前に現れ、某チート軍師の様に自信満々で出まかせを言い放った。
「もっとも、俺の方はそっちの伏兵をも読んで、逆に利用させてもらったがな。この町一番の進学校光坂を仕切るこの俺が、この程度の策を見抜けないとでも思ったのか?」
「ば、ば、ば、馬鹿な!?須藤の奴は俺の事を完全に信じていたはずだ!!」
「まあ、あの人はな。だが、この俺まで保険をかけないとでも思っていたのか?あの人のお人好しは有名だからな。テメエみてえな人間のクズがすぐ寄ってきやがる」
むろんそれは、村越以外の奴等にも聞かせる為のはったりだ。
土手に居た部隊は大半が逃げ出した様だが、奴の側には側近と思わしき男達が数人残っている。
まずはこいつらの戦意を更に削ぎ、一気に大将戦に持ち込んで方をつけるつもりだ。
「さて、村越。この謀略戦、大将同士のタイマンで決着をつけようか」
「お、お、お、おい!お前等何をしてる!?今はこいつ一人だ!!やっちまえ!!」
俺が大仰に構えてみせると、村越は取り乱しながら側に居た男の腕を掴んで無理矢理前に出し、背を突き飛ばしながらそう焚きつけると、自分は後方に駆け出した。
仲間を盾に自分だけ逃げようってのか……とことん性根が腐ってやがる。
「う、うわーーーー!!」
突き飛ばされた男が、破れかぶれに殴りかかってきた。
その大振りの拳を斜に身を屈めてかわしつつ懐に肩を入れると、そのまま捻りながら相手の勢いを利用して、右腕一本で吹っ飛ばす。
「わあ!!」
ズシャ!!
向かってきた男は暫く空を飛び、砂利の上に墜落した。
「つ、つええ……!!」
一撃で、それも派手に相手をぶっ倒す事で更に相手をびびらせる。
伝説の坂上智代を破り、この町最強となった男。
村越の必勝の策を看破し逆に陥れた智謀の士。
坂上の他にも、たった一人で数十人の男を蹴散らす女を従えている。
もはや彼等の中の俺のイメージは、勝手に凄まじい物になっているはずだ。
実際に、村越の側近達は身構えてはいる物の皆腰が引け、もはや戦意は感じられない。
それを見極め、俺は勧告する。
「やめておけ。あんなクズの為に怪我したかないだろ?どの道、あの男はもう詰んでいる」
逃亡した村越は全速力で土手を駆け上がり、走りながら首を捻って背後を確認すると、追っ手がいない事を知って足を止め、絶え絶えの息を整えようとしていた。
「チッ……チクショウ!!ハアッ、ハアッ……川上め!!今にみていろ……!!」
その村越が顔を上げると、前方の闇からぬっと人影が現れる。
この4月の寒い夜に、マッチョな肉体を誇示するかのような白いタンクトップ姿の坊主頭。
我等が御大将、須藤だ。
「げえええっ!!す、す、す、須藤!?」
「一つ聞きてえ事がある」
驚愕する村越に、須藤は有無を言わせぬ迫力で問い詰める。
「一緒に飲んだ時、お前が語ってた事は本当か?お前にも兄貴の様に慕っていた男が居たが亡くしちまって、だから俺等の気持ちはよくわかるって話だ」
「あ?あーあー、も、も、も、もちろんだ!な、なあ、兄弟。今日はほんのちょっと魔が差しただけなんだ。み、水に流しちゃくれねえか?な?な?」
「そうだな……」
「……なんて、言う訳ねえだろこのボケがぁ!!」
須藤が油断したと見るや、村越はポケットから折り畳みナイフを取り出すと同時に切りかかった。
ザクッ!!
その一閃は須藤の胸元を切り裂き、タンクトップの右の肩紐を切断する。
だが、
「ぶふっ!!」
それと同時に、須藤の鉄拳が村越の顔面に深々とめりこんでいた。
「よくもまあ、あんな口から出任せを……」
夜気その物の様な呟きに背筋がゾクリときて、慌てて振り返る。
そこには、たった今一人で死屍累々を築いた少女が、表情も無くいつの間にか立っていた。
「まあ、はったりも時には大事だろ?無駄な血は流したくない」
「それは、私への当てつけですか?」
「まあな」
「なっ……!」
道着姿の少女は何かを言いかけたが、苦い顔でそれを飲み込んだ。
現れてからずっと眉一つ動かさなかっただけに、少しだけ溜飲が下がる。
「てか、お前はこんな所で何をやってんだよ?衛武」
この少女名前は『衛武 舞』
剣道では小・中、そしてインハイでも連覇を続ける、全国でも有名な天才剣術小町だ。
中学が一緒だったが、彼女と初めて会ったのは小六の頃にやってた道場巡りの時で……まあ、その時一悶着あった事もあり、中学時代は何かと目の仇にされていた。
「たまたま部活の帰りに、あからさまに不穏な格好をした一団が、貴方の名前を出しながら歩いているのを目にした物で」
「いや、だからって……まあ、一応助けられたんだから礼は言うが、部活やってるお前が喧嘩しちゃマズイだろ?」
「貴方には関係有りません。それより、最近妙な噂を耳にしたので、聞きたい事があります」
「何?」
「貴方が、あの坂上智代さんを倒したと言うのは、事実ですか?」
「ああ」
「そうですか……では、貴方に決闘を申し込みます。私と戦って下さい」
そのとてつもなく不穏な少女は、竹刀の先を俺に向けながら、とてつもなく物騒な事を言ってきた。