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第二章 4月25日 今日から二人は恋人同士

 4月25日(金) 

 

 『強くなければ、生きていけない。優しくなければ、生きている資格がない』

 初めて聞いたその時より心に刻み付け、何度も反芻してきたフレーズだ。

 でも……たまにそれが虚しく思える時もある。

 優しい人は悲しい。

 いつも誰かに遠慮して、自分を殺してしまう。

 甘えさせて、許しすぎて、自分を失くしてしまう。

 いつも誰かの強引さの、“強さ”の犠牲になる。

 強くなければ生きてもいけないんだ。

 “強さ”があってこその“優しさ”なのだ……。

 渚さんは……もう諦めてしまうかもしれない。

 杉坂のやり方は気に入らないが……。

 冷静になって考えれば、その方がいいのかもしれないと言う思いもある。

 三年で部活をやれる時間は、どんなに長くても二学期までだろう。

 進学とかを希望していれば、一学期や二年で引退も有り得るんじゃないだろうか?

 だから二年の仁科達に譲るべきだ……とは言えないが……。

 渚さん自身がそう思っても不思議ではないし、そういう事も思いやれる人だとも思う。

 まあ、渚さんの進路を俺は知らないけど……。

 その辺、どうするんだろうか……?

 進学校の光坂を選んだって事は、俺みたいに“近いから”とかでなければ、少なくとも入学当初は大学に進学するつもりだったんだとは思うが……。

 身体の事を考えると、進学は厳しいかもな……。

 元々病弱ではあったが、去年の様に長く体調が悪かった事は今まで無かったと思う。

 その原因はいまだ不明だとも母から聞いた。

 つまり……治ったかどうかも判らないって事だ。

 完治したのかもしれないし、たまたま今は小康状態なだけかもしれない。

 それを考えると……進学出来るかも微妙だし、部活どころじゃないんじゃないか?

 いや、だからこそ、彼女のささやかな望みを叶えてあげたいとも思うけども……。

 ああっ……堂々巡りだ……。

 がりがりと煮詰まった頭をかきむしる。

 昨日聞いた仁科の過去と、合唱部に賭ける彼女と杉坂の想い。

 渚さんの優しさと、彼女の抱える事情。

 『そもそも演劇部は正規の手続きを踏んで作ろうとした物では無かった』

 そんな風に自分に言い訳してしまえば、納得してしまえそうだ。

 どの道、俺にはもうどうしようもない……。

 渚さんや先輩達が決める事だ。

 結局そんなわかりきった結論しか出ぬまま、いつの間にか古河パンの前に来ていた。

 「ちいス……」

 「おう……なんだぁ?今日はいつにも増してシケた面しやがって、エロ本でもお袋さんにみつかったか?俺も経験有るが、ありゃあキチィよな?人が必死に隠しておいたモンをわざわざこれ見よがしに机の上とかに置きやがって!どうしろってんだよ!?気不味いだけなんだから、見て見ぬ振りしてくれりゃあいいのによぉ。なあ?」

 秋生さんは勝手に納得して腕を組んでうんうんと頷いたかと思うと、握り拳で力説し始める。

 だが、悪いが今はつっこむ気にもなれない。

 「はぁ……」

 「はぁ……じゃねえだろ!お前に預けてある俺のエロ本は無事かって訊いてんだよ!」

 「ええっ!?」

 そういう事かよ!

 相変わらず理不尽な怒りを向けてくる人だ。

 まあ、これがこの人なりの発破のかけかただって事はわかっているが。

 「大丈夫ですよ……デスなノートくらい厳重に保管してありますから。親にも勝手に部屋に入るなって何度も言ってますし」

 「それならいいけどよ」

 「それより……その……昨日の渚さん、どこか変わった所は無かったですか?」

 「……その事か……」

 俺が渚さんの名前を出すと、急に秋生さんは神妙な顔つきになって腕を組む。

 ビンゴか。

 やはり渚さんは昨日の事で落ち込んでいるんだろう。

 それとも……ショックでもっと酷い状態に……?

 「思えば、あいつが家に帰ってきた時から既におかしかったんだ。いつも以上にぼうっとしていやがって、店に入ってきても俺が声をかけるまで気付かなかったみてえだし、かと思えば妙にそわそわもじもじしてやがるし」

 ……そわそわもじもじ?

 「夕飯時になっても心ここにあらずって感じでな。ほんのりと顔も赤いし、瞳も潤んでいやがった。それで俺にはピンときたぜ。これは“恋する乙女の目”だってな」

 ……恋する乙女?

 秋生さんの表情に妙な自信の色が混じる。

 何だ?

 この人は何の話をしてるんだ!?

 「フッ、モテる男は辛いぜ。だが、愛する娘の恋心を無碍にする訳にもいかねえ。丁度早苗の奴が『秋生さん、渚、お風呂わいてますよ。どちらか先に入って下さい』って言ってきたから、俺の方から切り出す事にしてやったんだよ。『愛する渚よ。どうだ?一緒に風呂に入らないか?』てな」

 いやいやいやいやいや……。

 裏声での早苗さんの声真似までまじえて、秋生さんは自慢気につっこみ所しかない話を続ける。

 かに思えたのだが……、

 「そしたらよ、あいつはこう言いやがったんだ!『えっ?お父さん、何か言いましたか?』『渚、お風呂わいてますよ』『あっ、は~い。じゃあお父さん、わたし先に入りますね』『いや、だから一緒にだな……』『お父さんとはもう一緒に入らない約束です』て、どういう事だてめえ!?」

 「知りませんよ!」

 いきなり理不尽過ぎる怒りのままに胸倉を掴まれ、ようやく独り芝居にオチがついた。

 え~と……つまり……渚さんはあんま落ち込んでる感じでは無い……のか?

 てか……岡崎さんと何かあったのか?

 恐らくあの後に……。

 …………。

 まさか春原さんって事は無いよな?

 「まあ、渚さんが元気そうなら、それでいいんです」

 「いい訳ねえだろ!!渚が俺以外の男を好きかもしれねえんだぞ!?はっ!!その余裕……まさかテメエかゴルァッ!!」

 「ちょっ!違いますって!!」

 胸倉を両手で掴まれたまま吊り上げられ、首を絞められたままブンブンと揺さぶられる。

 この人は家族の事が絡むと尋常でないパワーを発揮するのだが、いつも八つ当たりされる身としてはたまった物じゃねえ。

 「おかっ……岡崎さんじゃ……?」

 「岡崎だぁ!?誰だそいつは!?」

 「前、渚さんが……ここに男連れて来たって……秋生さんだって……薄々気付いてたでしょ?」

 「まあな」

 俺の言葉に、秋生さんはあっさり認めて手を放した。

 ようやく苦しさから解放され、胸元を押さえながらケホケホと咳き込む。

 ったく、この人は……とぼけるだけならともかく、どうしてわざわざ首絞めたりするかな?

 「まあ、渚の方はそんな調子だ。で、てめえの方は、一体何を心配してたんだ?」

 そして、これまでの事など全て無かったかのような、落ち着いた年上の雰囲気で訊いて来る。

 初めからそうしてくれよ……。

 「演劇部の件でちょと……」

 「演劇部?」

 「ほら、前に俺も誘われてたじゃないですか」

 「ああ、あれか……」

 言われて思い出したかの様な素っ気無さと、感情のこもらない乾いた声。

 それに違和感を覚えながらも、そのまま続ける。

 「一度廃部になってた物を渚さんが再建しようとしていたんですが……今、唯一の顧問候補を他の部と取り合う形になってまして。それで……渚さんは相手に譲るって言ってしまったんです」

 「……なるほどな。なら、もうお前が悩んだって仕方ねえだろ?部活はやれなくなっちまったが、代わりにあいつには彼氏とラブラブでイチャイチャな学園生活が待ってるんだ……って、俺の渚とラブラブでイチャイチャだとぉ!?ふざけんなぁっ!!」

 「いや、だから、いちいち自分で言った事に切れないで下さいよ」

 まあ、確かにそういう事なら……もうこの件はいいのかな……?

 少なくとも、生徒会選挙が終わるまでは進展する事は無さそうだし。

 結局俺的には……渚さんが元気そうなら、正直何でもいい。

 「じゃあ、これで」

 「おう」

 どこかスッキリしない物の、秋生さんも言うように俺がうだうだ考えていても仕方が無い。

 昼食のパンを手早く選んで、俺は古河パンを後にした。

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