番外編 海熊
「あぢい~」
まだ“朝マック”をやってる時間帯だと言うのに、真夏の太陽は早くも全開だ。
ザザーンと定期的に聞こえて来る涼やかな潮騒。
着ているのはTシャツとトランクスタイプの海パン。
更に海の家の裏手の日陰の中。
にもかかわらず……何なんだよこのクソ暑さは!?
じっとしてるだけでも汗が止めどなくにじみでてくる。
てか、日陰でこれじゃ、砂浜は直射日光と照り返しの相乗効果で灼熱地獄と化してるに違いない。
ああっ、もう何でもいいから早く帰りてえ……。
「待たせたな」
カチャリというドアノブの音に目を向けると、暫し暑さを忘れ魅入ってしまう。
真っ白な素足にビーチサンダル。
長くしなやかな脚線美を下からたどると、肝心な所には心憎い赤いパレオ。
しかしその先には、抱き寄せればすっぽり片手におさまりそうな魅惑のくびれ。
そしてその上にある、見ているだけでよだれが出そうな、みずみずしい二つの果実。
颯爽と現れたのは、真夏の戦乙女だった。
「みんなで買いに行った時に実理が選んでくれたんだが……どうだ?似合っているだろうか?」
出来れば隠したい手を片手で制する様なポーズで、恥じらいながら訊いてくる。
いや、似合ってるも何も……。
俺は真っ先に思い浮かんだ言葉を素直に告げた。
「けしからん!」
CLANNAD 〜Light colors〜 番外編『海熊』
きっかけは、智代が宮沢から海の家の手伝いをしていると聞いてきた事だった。
「だから、一緒に海に行かないか?」
「……宮沢が働いてる所に顔出すだけなら」
「なんだそれは?お前は折角海まで行ったのに、海の家にだけ寄って帰るつもりなのか?それとも、何か海に嫌な思い出でもあるのか?」
「……実はな、子供の頃、家族で海の側でキャンプをした事があってな」
「うん」
「テントの中はムシ暑くてな……なかなか寝付けなくて、ついに俺はテントを抜け出して、夜の砂浜に出たんだ」
「そこで、何かあったのか?」
「ああ。その日は丁度新月でな……灯りと言えば遠くで回ってる灯台と、点々とある民家か車くらいでな……」
「ど、どうなったんだ?」
「見上げると満天の星空だった。波打ち際に立つと、空と海の色が同じで、水平線が曖昧でな……まるで夜空が足元まで押し寄せてくるようだった……溢れる涙が止まらなかったよ。世界はなんて美しいんだってな……」
「そんなに感動的だったのか……って、それのどこが嫌な思い出なんだ?」
「それと同時に思い知ったんだ。己の矮小さと、人間という種の愚かさをな……だってそうだろ?あの夜空は、昔ならどこででも見られる物だったんだ。でも、それを難しくしたのは、他でも無く人間だ。この町は田舎だからまだ空は綺麗な方だが、あの日の星空には劣るし、都会じゃほとんど星が無いらしい。馬鹿馬鹿しいと思わないか?」
「人がどれだけ罪深い種であるかと言う事と、海が嫌いな事は関係無いだろ?」
「……だって暑いし」
「だから、海に入れば冷たくて気持ちいいだろ」
「どうせモロ混みだし」
「それは仕方が無いが、少し沖に出ればいいんじゃないか?」
「泳ぎ苦手だし……」
「……結局、それが本当の理由か!わかった。なら、丁度いいじゃないか。私が泳ぎを教えてやろう」
「いや、いいから」
「遠慮するな。こんなに可愛い女の子が、手取り足取り教えてやろうと言ってるんだ。光栄に思え」
こうして、俺は図らずも海水浴に来る破目に。
まあ、他の奴等を連れて行くのは何とか阻止出来たが……。
智代に手を引かれながら泳ぎの練習とか、死んでも知り合いには見せられんからな。
「ところで、鷹文や実理達も誘った方がいいだろうか?」
「ん、そうだな。どうせなら……あっ、いや、やっぱり二人だけで行かないか?」
「二人っきりでか?うん!実は私もそうしたかった!みんなで遊ぶのも楽しいが、やっぱりお前とのデートが一番楽しいからな。お前も同じ想いでいてくれて嬉しい」
おかげで、ますます深みにはまったぽいが……。
で、当日。
海水浴場が混む前にと結構早目に出発した俺達は、電車とバスにゆられて現地についた。
「いらっしゃいませ~。お二人とも来てくれたんですね」
聞かされていた店に顔を出すと、接客中の宮沢がエプロン姿で迎えてくれる。
調理場に立っているのは、お約束のようにいかつい男達。
他のウェイトレス達も身なりは普通だが、何気無い挙止にヤンキー臭がかくせていない。
まあ、宮沢の“お友達”がやってると聞いてたから予想はしてたが……。
「な、なあ、有紀寧。あいつらに作らせて大丈夫なのか?お前が作った方がいいんじゃないか?」
厨房を見て心配になったらしく、智代が不安気に宮沢に訊いた。
しかし宮沢はいつものほんわかスマイルで言う。
「大丈夫ですよ。みなさん“プロ”ですから」
えっ……それって……まさか……?
……あまり深く考えるのはよそう。
「プロ?それは、あいつらは調理師の資格を持ってるって事か?」
いや、だから深く追求しちゃダメだ!
「はい。まだ見習いの人も居ますが、みなさん本職の方ばかりですから」
「そうか。それなら安心だな。言われてみれば、まだお昼には早い時間なのに結構お客さんが居るな」
本職ってカタギのって事だろうか?とか気になったが、とりあえず味は悪く無さそうだ。
智代の言うとおり、既に店内の三分の二程度はテーブルがうまっている。
これからますます混むだろうし、あまり長居すべきじゃないだろう。
「じゃあ、また飯時にでも顔だすわ」
「はい。ああ、よろしかったら、お店の更衣室を使ってもらってもかまいませんよ。裏手から直接外にも出れますし、備え付けのシャワーもありますよ」
おっ、マジか?
公共の更衣室とシャワーは凄まじく混むから、それはとてもありがたい。
「いいのか?店の人間でもない私達が使って……」
「お二人なら全然かまいませんよ。みなさん了承済みですし、お店の方が一段落するまで、使う人もいませんから」
「なら、使わせてもらうか」
「すまないな有紀寧」
渡りに船と宮沢の厚意に甘える事にした俺達は、外でおち合う約束をして、店内にある男女別の更衣室で着替える事にした。
「けしからんって、どういう意味だ?似合ってないって事か?」
白いビキニに腰に赤いパレオを巻いて更衣室から出てきた智代は、先に待っていた俺の素直な感想にむくれてすねて見せる。
「そうだな。こんな大胆な水着は、私みたいな人間に似合う訳が無かったな。いつも制服ばかりだから、手足にだけ日焼けの痕がついてしまっていて凄く格好悪いし……」
「てい」
「うわぁっ!?」
ペシッとパレオをめくってやると、智代は慌てて上から両手で押さえた。
一瞬垣間見えた白いデルタ地帯に、パンツじゃないとわかっていてもドキリとしてしまう。
「女の子のパレオをめくる奴があるか!」
「男のパレオめくる趣味は無い!」
「そもそも男がパレオなんてつけるか!」
「別にいいだろ?どうせ水着なんだし」
「良い訳あるか!水着だとしても、やっぱり恥ずかしいんだ」
「なら、上はいいのか?」
首を伸ばして上から見下ろすようにガン見してやると、暫くジッとしてはいたが、耐えられなくなったのか両手で隠して背を向けてしまう。
少し残念だが、肩や背中のラインにそれはそれでそそられた。
「あまりジロジロ見るな!上だって恥ずかしくない訳ないだろ」
「じゃあ、もっと布地の多いのにすればいいだろ?」
「それだと可愛いのがあまりない……」
ミニスカートと同じ理屈か。
「それに、お前はオッパイが好きだからな。喜ぶと思ってこれにしたんだ」
「ほう……ならもっと見せろ!」
挑発的な悪戯っ子の笑みと理屈にカチンときて、俺は背中から抱きしめる様に襲いかかった。
「こ、こらっ!手をどけようとするな!」
「俺に見せる為にこれにしたんだろ?」
「違う!いや、違わないが……どうしてお前はそうデリカシーが無いんだ!?」
「見てほしいけど、見られたくない、微妙な女心か?」
「うん!その通りだ」
こんな状況であっても、何故か少し得意気に頷く。
その無邪気さに毒気を抜かれ、俺は両手を放した。
そしておもむろに……Tシャツを脱ぐ。
「な、何でここで脱ぎ始めるんだ!?」
「ほら、着ろ」
そしてそれを、何を勘違いしたのか赤くなって動揺している彼女に放って渡す。
「何だ突然?……やっぱり、似合ってないから隠せって事か?」
「似合ってなきゃ無理矢理見せろなんて言うかよ」
「……それだけ似合っているって言いたいのか?」
「まあ……な。出来れば俺の部屋で二人っきりの時は、ずっとその格好で居て欲しいくらいだ」
「そんなにか……でも、さすがにそれは凄く変態チックだから、勘弁して欲しい」
「遠慮するな」
「変態だ……どうして私はこんな変態の為に……」
乙女は後悔の念にさいなまれ、膝から崩れ落ちた。
今更だが、何でも変態扱いされるのはこちらも心外である。
女心うんぬん言うなら、照れ隠しでつい滅茶苦茶言ってしまう男心もわかって欲しい。
「でも、海居るのは俺だけじゃないだろ?その……他にも野郎はいるんだし……な?」
「他の男達には、私を見せたくないって事か?」
「お前が注目浴びてビーチの主役になりたいってんなら、止めんが……」
「そんな物になりたくはない。私もお前以外の男になんて、出来れば見られたくは無いんだ。でも、いいのか?お前のTシャツを借りてしまって?」
「いいよ。元々余分に持ってきてるし。ああ、でも汗臭いかもしれんが……」
「……うん。お前のにおいがするな。ありがたく着させてもらう」
わざわざTシャツのにおいをかいで嬉しそうにしないでくれ!
気温とは別の熱さを感じ、背を向けてそれを隠すと、立てかけておいたパラソルを抱えた。
「よし、じゃあ、帰るぞ」
「うん。そうだな……って、待て!帰るって何だ?」
俺のTシャツに首と肩だけ通した智代に、肩を掴まれつっこまれる。
これはこれで胸が強調される感じになってとてもセクシーだ。
「もう目的は果したんだし、帰りの電車が混む前に帰ろう」
「まだ海に入ってないだろ!泳ぎの練習もしていないし、半分も果たしてないじゃないか」
ちっ、なし崩しに帰ろうと思ったのに……。
「だから、続きは俺の部屋でいいだろ?」
「一体何が“だから”なんだ?お前の部屋では水着にならないと言ってるだろ!」
「え~」
同時に智代がTシャツを下ろして胸を隠してしまった事もあり、ガッカリの相乗効果でうなだれて持っていたパラソルを落とす。
「そんなに残念そうな顔をしないでくれ……仕方の無い奴だな。じゃあ、泳ぎの練習をしたら、一度だけお前の部屋でも水着になってやる。どうだ?」
なんだって!?
思いも寄らぬ智代の妥協案に、さすがに食指が動く。
いや、でもな……あの海に入って泳ぎの練習するのか……。
俺は腕を組み、冷静客観的かつ様々な角度から熟考を重ねてみる。
・すげえ暑い……-1P
・人が大勢いる……-1P
・練習とか恥ずい……-1P
・智代の水着……隠れてしまったので+-0P
・俺の部屋で水着……3P
「…………」
「そ、そんなに考え込む様な事なのか?」
「なあ、やっぱり海で遊ぶだけにしないか?当然、部屋で水着にはなってもらう」
「ダメだ。もう、こんな事をしていても仕方無いだろ?行くぞ」
遂に業を煮やしたのか、智代は落ちているパラソルを片手で軽々と抱えると、もう片方の手で俺の腕を掴んで強引に引きずりながら歩き始める。
クソッ、このままでは傍から見たら、女に手を引かれ荷物まで持たせる情けない男じゃないか。
「俺が持つ」
仕方なく足を速めて隣に並ぶと、パラソルを掴んで海へと向かった。
あちい……てか、いてえ……。
遮蔽物の無い砂浜に出ると、天然のソーラー・レイに焼かれ、体力がみるみる削られていく。
しかし、まずはパラソルを立て自分達の陣地を作らねばならない。
海まで程よい距離で、なるべく汚れてなくて、空いてそうな場所を探して彷徨い歩く。
「これは暑いな……大丈夫か?ここまで日差しが強いと、何も着ていない方があついだろ?私も初めからTシャツを着てくるべきだったな」
隣の智代が済まなそうに俺を気づかう。
元々俺でも大き目だったTシャツは智代にはブカブカで、本来太ももまで隠す程長い丈を腹の所で縛って止めていた。
「そういえば、日焼け止めは塗ったか?」
「いや……」
「それはいけないな。男でも塗った方がいい。場所を決めたら塗ってやろう」
「ああ……」
「なあ、この辺りでいいんじゃないか?」
「ああ……えっ?」
生返事をしながら少し歩き、立ち止まって聞き返す。
「ここでいいんじゃないかと言ったんだ。大丈夫か?何だか辛そうだ」
「ああ、少しぼおっとしてた。ここか?ちょっと混んでないか?」
水辺まではそれ程遠く無いが、前にも横にもパラソルが連なっている。
俺としてはもうちょい人のいない所の方が落ちつくのだが。
「これからますます混むだろうし、どこでも同じじゃないか?それにお前も辛そうだ。早く場所を決めて休んだ方がいい」
「そうだな……ここにすっか」
「うん」
俺がパラソルを立てると、すかさず智代がその下にビニールシート敷き、瞬く間に俺達の陣地が完成した。
「はぁ……」
その日陰に倒れこむように寝転がる。
「って、あつっ!!」
じわりと伝わってきた熱に跳ね起きた。
まるで焼けた鉄板だ。
ああ、そうか……今の今まで直射日光浴びてたんだから、そりゃ直ぐには冷めないよな……。
「大丈夫か?確かにこれは直にだと熱いな」
智代もしゃがんでシートの温度を確かめる。
おのれ、こんなトラップカードが伏せてあろうとは……。
これじゃあ休めないじゃんか!
「クソッ、どうすれば……?」
「海に入るしか無いんじゃないか?時間が経てば冷めるだろう」
「うぐぅ」
最早それしかこの灼熱地獄から逃れる術は無いのか……。
「ああ、日焼け止めを塗らないとな。ほら、塗ってやるからじっとしていろ」
既に抵抗する気力も無く、日陰の中で智代にされるがままに全身に塗りたくられる。
手遅れな気もするが、塗らないよりましだろう。
智代は何が楽しいんだってくらい御機嫌で。
実は俺の方も、彼女の手は柔らかくひんやりしていて、とても気持ちが良かった。
海に入ると、ようやく生き返る。
「どうだ?気持ちがいいだろ?」
「ああ」
「じゃあ、早速練習を始めよう」
「いや、いいって」
「ダメだ。ほら、いくぞ。まずはバタ足からだ」
智代が向かい合って俺の両手を取り、バックしながら非情にもより深い沖の方へと俺を誘う。
それに対し、俺もジャブジャブと水を掻き分けながら進んで行く。
「……どうして歩いてきちゃうんだ?」
「いや、足着くし」
「そういう事か……なら!」
「お、おい!」
俺の戯言に一瞬智代はキランと目を光らせると、急激に引っ張る速度を上げてきた。
腰から胸、首と次第に水位が増してゆき、
「ちょっ待っ!!ゴボゴボゴボ……!!」
段差で一気に足がつかなくなり、俺の体は頭まで水中に沈んだ。
「ブハッ!!殺す気か!!」
たまらず両手両足で水を掻き、必死にもがいて何とか海上に顔を出すと、飲んだ海水を吐き出しながら某上島ばりに叫ぶ。
しかし智代は、何故か少しつまらなそうな複雑な顔をしていた。
「そんな訳無いだろ。もちろん溺れたら直ぐに助けてやるつもりだった。でも、何だ。足がつかない所でもちゃんと浮かべてるじゃないか」
「あのな……」
溺れて欲しかったてのか……。
色々言いたい事はあったが、とりあえず立ったまま平泳ぎをする感じで足の着く所まで戻る。
「泳げてるな……まったく泳げないという訳じゃないんじゃないか?」
「だから苦手は苦手だっての。別に不恰好でいいなら、多少は泳げる」
「それならそうと先に言ってくれ。泳げないと思ったから、特訓した方が良いと思ったんじゃないか」
「じゃあ、もういいだろ?適当に遊ぶだけにしようぜ。既にかなり疲れたし」
「……仕方の無い奴だな」
さっきのダウンもあってか、渋々ながらも智代は折れてくれた。
それから俺達は、腰くらいの所で定番である水のかけっこを始める。
「オラッ!」
バシャ!
「やったな!」
バシャーン!!バシャーン!!
「くっ……!」
バシャ!バシャ!
「わぁっ!負けるか!」
バシャーン!!バシャーン!!バシャーン!!バシャーン!!
「おのれ!!」
バシャーン!!バシャーン!!
「これならどうだ!!」
バシャッ!!バシャッ!!バシャッ!!バシャッ!!バシャッ!!バシャッ!!バシャッ!!バシャッ!!バシャッ!!バシャッ!!バシャッ!!バシャッ!!
普通に水を手ですくってかけ始めた俺に対し、智代はしょっぱなから前傾姿勢になって全身で懐にある海水を丸ごと放ってくる。
しかも一度攻撃すると、ムキになって常に倍の回数を反撃してくるのだ。
これでは割りに合わないと、俺もガードを棄て同じ前傾からの全力攻撃に切り替える。
だが、奴にはまだ一回変身が残っていたらしく、速射モードと化して俺に反撃する間を与えてはくれない。
「…………」
最早棒立ちになって、あいつが疲れるまで水の砲撃を受け続けるしかなくなった。
だが、それで冷静になってハッと気付く。
俺達は周囲から滅茶苦茶注目されていた!
やべえ……周りにすげえ迷惑かけてるよ。
非難してくれていたのか、近くにこそ人はいなかったが、余波だけでも相当な物だろう。
どうやら智代との水のかけ合いは、近くに人の居る所ではやってはいけないようだ。
「そろそろ飯にしない?」
「まだ始めたばかりじゃないか」
「いや、ほら……」
「あっ……」
ようやく攻撃がやんだ所を見計らい、そう提案する。
はじめはムッとした智代だったが、顎で周りを指してやると、ようやく自分が注目の的になっている事に気付き、バツが悪そうに寄って来たので、一緒に小さくなって小走りで浜に上がる。
「お昼には少し早いが、仕方無いか」
「混むと並ぶかもしれないしな。宮沢の所でいいだろ?」
「そうだな。ん?」
「キャーーー!!」
遠くから聞こえて来た悲鳴に、俺達は何事かと沖の方に視線を向ける。
そこに見えたのは、海上を走り回る二台の水上バイクだった。
遊泳区域内を、それも他の海水浴客のスレスレを、むしろビビらせて楽しんでいるかのように走り抜けている。
なんて危険な真似を……!
「おいおい、ヤベーよあいつら」
「まったく、マナーを守れよな……」
見ると前でボードを抱えた二人のサーファーっぽい奴等が勝手な事を言っていた。
いや、お前等もこんな人の多い所でサーフィンすんなよ!
俺が心の中でそうつっこんでいると、いきなり智代はそいつらに向かって走りだす。
「すまない!借りるぞ!」
「えっ!?ちょっ、おいっ!!」
そしてサーファーの一人からボードを擦れ違いざまに奪うと、反転して戻ってきて、そのまま海に向かっていく。
まさか……!
嫌な予感、いや、確信を覚える。
智代は水上バイクを撃退に行くつもりだ。
案の定、ある程度行った所で彼女はボードにのってパドリングをはじめる。
無理だ!
あいつが無茶なのはいつもの事だが、今回ばかりは不可能だ。
サーフィンであいつ等に近付き攻撃?するつもりなんだろうが、そもそも海水浴場というのは比較的波の穏やかな場所を選んで設置されている物だ。
それこそ嵐かどこかで大地震でも起きない限り、乗れる程の波なんて滅多に来ないし、そんな波が来る日は遊泳禁止になっている。
波が来ないのでは近づけても、ボードに立つ事はおろか、かえって危険なだけだ。
「クソッ!!」
智代を止める事も、助ける事も出来ない自分に歯噛みする。
だがその時、俺は水辺に異変が起きて始めていたことに気付いた。
水際が……遠い!?
まさか潮が引いているのか!?
当然引いた分は、それだけ一度にまとまって返ってくる物。
つまりこれは……大波が来ると言うのか!?
再び智代に視線を戻した時、俺は目を疑った。
それまで穏やかだった海に、智代の身体を飲み込む程巨大な波を見たからだ。
それに乗り、ついに彼女はボードの上に立ち上がり、正面から水上バイクに迫る。
そして、
「うおっ!?あぶねえ!!」
「危ないと思うなら……」
ボードから跳躍すると、
「はじめから遊泳区域に入ってくるなぁぁぁ!!」
擦れ違い様の強烈な飛び回し蹴りを放った。
歓声に沸く浜辺に、スーパーヒロインが帰還する。
「よくやった!」
「可愛い~!」
「付き合ってくれ~!」
群がり、口々に勝手な事を言い合う野次馬ども。
「すまない。通してくれ」
それを掻き分けながら、彼女は俺の前に現れた。
「……すまない。仕方が無かったんだ」
そして俺の表情を見るなり、いつもの言い訳をはじめる。
言いたい事は沢山ある。
今起きた奇跡への感動と、坂上智代という少女の持つ天運への畏怖、だとしても無謀で危険な行動への怒り、そして無力な自分への憤り。
だが、今はそれどころでは無い。
「逃げるぞ」
「えっ?あっ!!」
俺はおもむろに智代の腕を掴んで走りだす。
幸いバイクに乗っていた男は、吹っ飛んだ直後もう一台のバイクに拾われ去っていった。
多分死んではいないだろう。
だが、
「ど、どうして逃げる必要があるんだ?」
「アホか!ライフセイバーとかに見つかったら叱られるだろうが」
「でも、悪いのはあいつらじゃないか……」
「本気で怒るぞ?」
「……すまない……」
そのまま俺達は走り続け、ひとまず宮沢の働く海の家に逃げ込む。
神ならざる身の俺に出来るのは、こんな事だけだ。
それでも俺は、このやんちゃな女神を守りたい。
人に可能な範囲内の、あらゆる手段を用いて。
その後、人一倍目立つ智代を連れて浜に戻る訳にもいかず、俺が一人でこっそりパラソルを回収して、結局俺達は昼前に帰る事になる。
どうやら智代的にはそれが一番こたえたらしく、崩れ落ちる程落ち込んでそれを慰めるのに苦労したのは言うまでもない。