第二章 4月23日 譲れない想い
教室に着いた物の、杉坂や仁科の姿は無かった。
今までは、よく俺と仁科の机をくっつけて二人で食べてたんだが……。
まあ、顧問の件とかもあるし、先輩達の様に部室で食べてるんだろう。
仕方なく自分の席に座り、昼食のパンを食い始める。
ここで食うのもなんか久しぶりだ。
周囲に大勢居る中での食事は、何となく落ち着かない。
よく、食事は大勢で食うほうが……なんて言うが、俺には解らない感覚だ。
そもそも、飯食ってる所なんて、人に見せる物じゃなくないか?
サッカーをやってたから大勢で飯を食う機会が無かった訳では無いが、尚更独りの方が誰にも気兼ねしなくていいから楽だと思っている。
仁科達は昼休みが終わるまで戻ってこなそうだな……。
決戦に備え英気を養うべく、食い終わって余った時間を、腕を組んだ姿勢で寝て過ごした。
仁科達が戻ってきたのは、五限目が始まるぎりぎりだった。
この時間に杉坂と話をつけるのは無理そうだな……。
「最近は他で食べてんのか?」
「えっ?ああ、うん。今後の事で話し合わなければいけない事もあったから、部室で」
五限目の後杉坂を借りる事を、一応言っておいた方がいいだろう。
浮かない顔で次の授業の用意をしている仁科に話しかけると、無理をして微笑んでくれる。
彼女は杉坂の件を知っているんだろうか?
それはまず無いとしても、例の件は彼女達にとっては深刻な問題なのだろう。
それこそ、脅迫まがいな事までする程の……。
「それって、顧問の問題か?」
「どうしてそれを……!?」
「古河先輩とは家が近所で、昔からの知り合いなんだ。大体の事情は聞いてる」
「そう……なんだ……」
一瞬、失望の色が浮んだ。
そして、それを隠すように仁科は前を向いて顔をそらす。
「だから俺としても、どっちかが身を引くような決着は望んでない。俺も一緒に何かうまい手を考えるつもりだ」
「うん……そうだね……ありがとう」
誤解させたかと思いフォローを入れたのだが、彼女は俯いたまま頷くだけだった。
……失言だったか?
しかし、隠しておくような物でも無いし、俺のスタンスを理解してもらう為にも前もって伝えておくべき事だろう。
そうこうしている間に、教師が現れ授業が始まる。
誤解されたままかもしれないが……って、肝心の杉坂の事言ってねえや。
まあ、授業中に話かけると仁科にも迷惑かかるし、目立つからな……。
仕方無いかと割り切り、五限目を寝てやり過ごす事にした。
号令をして五限目が終わると同時に席を立った俺は、そのまま真っ直ぐ杉坂の机に向かう。
「な、何よ?」
「ちょっと面貸してくれ。話がある」
杉坂は俺の顔を見るなり、威嚇する犬の様にあからさまに身体を強張らせて睨んでくる。
バリバリに警戒されてるな……。
ただ、それが後ろめたい事があるからなのか、それとも単に俺が嫌いなのかはわからない。
自分の嫌われっぷりと、杉坂の硬質な態度に、思わず溜息が出る。
「昨日の放課後の件についてだ……」
「!!」
彼女にだけ聞こえるぎりぎりのトーンでつぶやくと、途端、目に見えてに顔色が変わった。
ダメだな……どうやら嘘をつくのはあまり得意では無いらしい。
「わ、私が何したって言うのよ?」
「だから、俺にもわからないから、それについて話を聞かせてくれと言ってるんだ」
動揺しながらも一層逆ギレ気味になる彼女に対し、俺はかなり言葉を選びながら、最後は目を伏せ溜息混じりに言った。
暫しの静寂。
周囲も俺達の雰囲気に気付いたのか、声をひそめてこちらをうかがっている。
真っ直ぐ俺に敵意を向けてきていた杉坂だったが、一瞬視線が泳いだかと思うとハッとなって下を向き、覚悟を決めたようにようやく重い腰を上げた。
「いくわよ」
先だって歩き始めた杉坂は、遠い方の扉に向かっていく。
もう一方に目を向けると、不安そうに俺達を見つめる仁科の姿が視界に入った。
無言で彼女の後に従うと、旧校舎の一室まで連れて来られる。
それだけ誰にも聞かれたくないと言う事か……。
机と椅子は重ねられて後ろに寄せられ、半分程になった教室は、しかし二人では広すぎて。
近くに何も無いと言うのは妙に落ち着かなかった。
「訊きたい事って何よ?」
背中を向けたまま、ぶっきらぼうに尋ねてくる。
しかしその小刻みに震える細い肩が、それが彼女の精一杯の強がりだと伝えていた。
「三年の春原先輩……金髪の人な。あの人がお前の事をかぎ回ってるそうだ」
「!」
あえて脅かすような事を言ってやると、スレンダーな身体がビクンと反応する。
「……だ、だから何?」
「俺なりに調べてみたが、どうやら演劇部の先輩の所に脅迫状が届いたらしい。で、昨日の放課後お前が三年の下駄箱に居るのを見たって証言があった」
「そ、そんなの、ただ下駄箱を間違えただけじゃない!」
「かもな……でも、状況的にも動機的にも、お前が一番怪しいと思われてる。少なくとも春原さんは犯人はお前だと思ってるみたいだ」
「な、何よそれ……?それで、あんたも私がやったと思ってる訳?」
頼りない背中越しに俺を見ながら、そう尋ねてくる。
正直、俺も黒だろうと確信はあるが……それを言っても意固地にさせるだけだろう。
「さあな……問題はもうそこじゃない」
「どういう意味よ?私が真犯人かどうかなんて、どっちでもいいって事!?」
「そうだ。演劇部の先輩達の所にも行って話を聞いてきたが、先輩達は事を荒立てる気は無いそうだ。春原先輩にもそう言い含めてあるから、特に何かされるって事は無いとは思う……」
「そ……そう……」
俺の話を聞いて杉坂は肩の力が抜けたようで、声には少しの落胆と安堵の色がうかがえた。
そこを逃さず、俺はガードの緩くなった所に言葉をねじ込む。
「そうなると、立場が悪くなるのは、お前等合唱部の方だ」
「な、何でよ!?」
俺の言葉が余程予想外だったのか、杉坂は思わず半身で振り返る。
「よく考えろ。いくら事を荒立てたくないと言ったって、脅迫されて先輩達の気分が良い訳が無いだろ?脅迫に屈しないって事は、あちらが折れる事も無い。今後は徹底抗戦しかないって事だ」
「そ、そんなの、私がやった訳じゃ……」
「だから、お前がやったかどうかなんて、もう問題じゃないって言ってるんだ」
目をそらしながらまだとぼけ様とする彼女に、もう一度念を押して黙らせる。
「それにな。もしこの事が仁科や幸村先生の耳に入ったらどうする?仁科が喜ぶと思うか?あいつの事だ、むしろ身を引くんじゃないのか?先生だって、快く顧問を引き受けてくれると思うか?更に、これが噂にでもなってみろ。お前だけじゃなく、合唱部全員が脅迫状を出した卑怯者にされるんだぞ」
「じゃあ、どうしろって言うのよ!?」
一気に追い込むと、杉坂は逆ギレしてヒステリックに怒鳴ったかと思うと、詰め寄って来て俺のYシャツの胸ぐらを掴む。
「あんたなんかに、私達の気持ちなんてわかる訳無いわよ!!りえちゃん、先輩達に気を使って身を引こうかって言ってたんだよ!!何とか必死に説得して止めたけど、このままじゃりえちゃん、諦めちゃうかもしれないんだよ!?折角、元気になって昔のりえちゃんに戻ってきたのに、一年の頃のりえちゃんに戻っちゃってもいいの!?」
「だから、このままじゃ仁科にも不利だって言ってるんだろ?」
「そうよね……あんたはいいわよね!その方がりえちゃん一人占め出来るもんね!!」
訳がわからねえと思いつつも、言葉が出なかった。
間近にある瞳には光る物がにじみ、声も鼻にかかってきている。
ああっ、ホント女は卑怯だ。
泣きゃあ何とかなるんだから。
「……とにかく、古河先輩に謝っちまえ。先輩は優しいから、それでチャラにしてくれるハズだ」
目をそらしながらなだめる様に言ったのだが、しかし杉坂の目はきっと釣りあがる。
「それじゃあダメなの!何とかして先輩達が諦めてくれなきゃ!」
「どうして、どっちかが我慢する事しか考えられないんだよ?何とか両方部に昇格出来れば、それが一番だろ?」
「そんな都合のいい事が出来るなら、初めから悩んでないわよ!!顧問になれるのは幸村先生だけなんだから、部になれるのは残り一つだけなの!それなのに、私達が先に幸村先生にお願いしたのに、何で先輩だからって譲らなきゃいけないのよ!?」
「いや、だからな……」
ダメだ……頭に血が上っていて会話がループしてる。
休み時間も残り少ないし、今日はこの辺にしておいた方がいいだろう。
「もうじきチャイム鳴るから戻ろう。一人でゆっくり考えといてくれ。先輩達の所に行くなら、俺もついていってやるから……」
両手で顔を覆いながらも杉坂が頷いたのを見届けてから、俺は先に旧校舎の教室を出た。
まったく……浅はかと言うか、やるならせめて後先考えてから脅迫しろよ。
いや、もちろん脅迫なんて真似自体善くは無いが。
まあ、言いたい事は言ったし、あいつもそこまで馬鹿じゃないだろう。
それより問題は……このままじゃ、俺が杉坂を泣かせたみたいに思われそうだって事か……。