第二章 4月21日 奇跡の種明かし
お昼休みが終わる少し前に二人と別れ、私は自分の教室に戻った。
ある連中から話を聞く為だ。
教室を見渡して、机で話している三人組を見つける。
一人は知らない顔が居た。
他のクラスの生徒なのだろう。三人の中で一人だけ立っているその男は、スラリと背は高いが、後は眼鏡をかけている事くらいで他にこれといって特徴も無い男だった。
と言うか、三人とも眼鏡だな。
まあ、別におかしな話をする訳ではないのだから、聞かれてもかまわないだろう。
「すまない。少しいいだろうか?」
「えっ?」
「うおっ!坂上智代じゃん!!」
声をかけると、その知らない奴にフルネームを呼ばれて驚かれる。
失礼な奴だ。
こういった反応には慣れてはいるが、当然いい気はしない。
と、そう思っていたのだが、
「初めまして!中村です。よろしく!」
突然両手で私の手を握ろうとしてきたので、反射的に後ずさって避ける。
どうやら悪意は無い様だが、いきなり女の子の手を握ろうとする奴があるか。
おかげで、何となく話辛くなってしまったじゃないか。
「……で、坂上何か用?」
「あっ、ああ。お前達に訊きたい事がある」
その空気を察してか、座っていた……ええっと……名前が出て来ないが、とにかくオーキの友人の一人が促してくれた。
「何?」
「オーキが学校を休んでいるようなんだが、お前達何か知らないか?」
「えっ?そうなの?」
まずは気になっていた質問をしてみたのだが、三人は驚いて顔を見合わせるだけだった。
何も知らないと言う事か。
「土曜日から休んでいるようなんだ」
「へえ……そう言えば土日集まろうかって話も無かったね」
「……お前達、オーキの友達なんだろう?気にならないのか?」
「いやあ、てっきり……」
そう言って、座っている二人は意味有り気に私を見る。
てっきり……何だと言うんだ?
「えっ?どういう事?まさか、やっぱり川上君と坂上って付き合ってるとか!?」
そう言う事か……。
一人慌てた様子の長身の男の言葉で、ようやく腑に落ちる。
「別に私とオーキは付き合っている訳では無い……」
自嘲で目を伏せながら本当の事を答えた。
すると、長身の男は何故か胸を撫で下ろす。
「よかったぁ。じゃあ、坂上は今誰とも付き合って無いんだね?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「だったら、僕にもチャンスが……」
「いや、中ちゃんには無いから」
「無いね」
「ええっ!?そんなぁ……」
二人からつっこまれ、中ちゃんと呼ばれた長身の男は勝手にうなだれていた。
「まあ、後で携帯ででも本人に訊いてみるよ……って、坂上はオーちゃんの携帯の番号知らないの?」
「携帯!?……ああ、そういえば、すっかり忘れていた……」
あいつと買った携帯電話の事を思い出す。
そういえば、買ったきり一度も使っていなかったな。
買った日は説明書を読んだりしていて遅くなってしまったから迷惑だろうとかけなかったし、次の日も学校でギクシャクしてしまったから、何となくかけ辛かったんだ。
そしてそれ以降は、電話どころでは無かった……。
「知ってるなら、自分でかけてみたら?」
「ああ。そうする事にする」
家に帰ったら、あいつにかけてみよう。
これでひとまず収穫が有ったな。
「……それだけ?」
「えっ?ああ、すまない。もう一つ訊きたい事が有ったんだ」
再び促されて、もう一つの目的を思い出す。
オーキに電話をかける事で頭がいっぱいになっていた。
「宮沢から聞いたんだが、お前達は一年生の時オーキと同じクラスで、球技大会の時も一緒だったんだろ?」
「うん」
「それで……お前達はどう思ってるんだ?その、決勝でのオーキ行動とか、他のクラスメイトに対してとか……?」
「決勝?ああ、あれね……」
他の生徒達の耳が気になって、語尾が小さく曖昧になってしまった。
横目でそれとなく周囲を窺う。
今の私の行動を、名取達が知ったら気を悪くするだろうか?
でも、どうしてもこいつらからも聴いておきたかった。
人の数だけ主観があり、例え同じ物事でも捉え方は人それぞれ違う。
そんな当たり前の事を、私は解っていなかった。
知ってはいたが、直ぐに忘れてしまう程度の認識だった。
だから自分で確かめもせず、簡単に人の話を鵜呑みにしていたんだ。
名取はオーキを、決勝を直前で投げ出した無責任で飽きっぽい男だと言った。
宮沢の話では、それまで一緒に戦ってきた仲間を外された事に抗議する為に、勝利の栄光を棄てた仲間想いの男だった。
じゃあ、実際にあいつと共に戦ったこいつらは、一体どう思っているのだろうか?
「まあ、しょうが無いんじゃない?それまで見向きもしてなかった人間に、急に決勝になって横から口出されたら、そりゃ怒るよ」
「……えっ?」
思わず私は訊き返していた。
“仲間”と言う単語が一つも出なかったからだ。
私はまた、オーキは仲間や己の道義を貫く為に試合を放棄したのだと思い込んでいたのだ。
「直前でいきなりメンバー代えて、勝てる訳無いしね」
「待ってくれ!その……よりチームを強くする為にメンバーを代えたんじゃないのか?」
「あ~、まあ、普通はそうなんだろうけど、オーちゃんに言わせたら『多少動けたって、所詮サッカーの素人は大した戦力にならない』らしいよ」
「よく解らないんだが……そう言う物なのか?」
「まあ、要するにバスケとかバレーと違って、サッカーって基本的に足でやるじゃん?だから他のスポーツと勝手が違うし、フィールドも広いから経験者でないと“どう動いたらいいか”がまず判らないんだって。野球みたいにただ飛んできたボール捕ればいいって訳でも無いしね」
3人の中で一番仕切っている感じの奴の説明で何となく言いたい事はわかったが、それでも私は小首をかしげる。
「そうだろうか?私もサッカーは子供の頃に男の子に混じってやった事があるが、ほとんど何も知らなくとも何とかなっていたと思う。それに、お前達だって本格的にサッカーをやっていた訳では無いのだろ?」
「まあ、そうなんだけど、少なくとも僕等はオーちゃんの戦術を理解してたから」
「戦術?」
「今、子供の頃は知らなくてもやれたつってたけど、それって戦術も何も無い草サッカーの話じゃん?で、球技大会も所詮学校行事だから、本気で戦術とかまで突き詰めてやってくる所は無い。それじゃあ上手い奴が多いチームが勝つに決まってる。だからオーちゃんは言ったんだよ。『アソシエーション・フットボールをすれば、例え戦力で劣っていても勝ち目はある』って」
「ん?アソシエーション?サッカーじゃないのか?」
「サッカーの正式名だね。ここでは“組織的なサッカー”って意味だろうけど」
「組織的な……それで勝てるのか?」
「実際決勝までいったし」
「ああっ、そうか……」
「まあ、もちろんオーちゃん個人の実力あってこそだったけどね。相手も動き回ってパスを回せる人間は数人だけだから、エースを経験者の足立君にマークさせて、僕等でパスコース潰して、後はオーちゃんが何とかするみたいな」
「何とかって……」
「いやぁ、しちゃうんだよあの人。結局、サッカー部でも1対1で抜けたの居なかったし」
「そうそう。本当に『カンナバーロ』に見えた時あったね」
「カンナバーロ?」
「えっと、イタリアの選手だっけ?」
「うん。イタリア代表の世界屈指のセンターバック。オーちゃん昔目標にしてたらしい」
「山ちゃんもサッカー結構詳しいよね」
「観るのは好きだからね」
「ああ、それと、球技大会みたいな試合は、きっちり守った方が勝つ……らしいよ」
「そうなのか?」
「草サッカーって、皆が皆攻めようとするか、あんまやる気なくて後ろに居るかのどっちかじゃん?本気で体張ってまで守ろうって奴は居ない。つまり、どのチームも守備はザルなんだよ。だから、皆できっちり守って、攻めあぐねて相手が前に出てきた隙をついてカウンターしかければ勝てるって訳」
「まあ、カウンターは割と国際試合でもオーソドックスな戦術だしね。イタリア伝統の“カテナチオ”とか」
「カテナチオ……?」
「“かんぬき”って意味で、まるで城門に鍵をかけた様な堅い守りと、そこからの速攻がアズーリ、イタリア代表伝統の戦術。オーちゃんもイタリアファンだから、真似したんだと思う」
「まあ、オーちゃんは格ゲーとかでも守り重視でカウンター狙いだけどね」
「ああっ、そう言えばそうだったな……」
あいつと戦った時の事を思い出す。
あの時もあいつは守ってばかりだったな……。
「そうか……お前達が決勝まで勝ち進めた理由は何となく分かった。でも、それだけの事が出来るんなら、決勝だって勝てたんじゃないのか?」
「いや、だからそれは無理だって。てか、ぶっちゃけ元のメンバーでも無理じゃね?って思ってたし。まあ、中野君だけ入れ替わるなら有りだろうけど、他は余計だったね」
「戦術に対する向き不向きも有るしね。ゲームでも戦士とかアタッカーばっかりじゃ勝てないじゃん?格下相手なら攻撃力で圧倒出来るけど、ボスとか格上とやる時はまず相手の攻撃を受けても崩れない盾役とそれをフォローする回復補助役が居無いとダメだし」
「すまない。ゲームはあまり詳しくは無いんだ」
「ん~、運動が得意な奴って攻めたがるじゃん?でも、不用意に攻められると、そこに穴が出来てそっから崩れるから、それなら積極的に動かない人間の方がマシって事。事前に指示しても、ぶっつけ本番じゃ理解出来ないだろうし、何より守るの嫌がるしね」
「なるほど……では、やっぱりオーキは勝ち目が無くなったから見限ったと言う事か?」
「ぶっちゃけね。もちろん余計な口出しされて、それまで積み上げてきた物を台無しにされて怒ったってのもあるだろうけど」
「それまで一緒に戦ってきたお前達を代えられた事に、腹を立てたんじゃなくてか?」
「ん~、それも有るかもだけど、さすがに勝てると思ったらやってたんじゃない?『これだから物事を表層でしか判断出来ない奴等は困る』とか大会の後ゲーセンで言ってたし」
ズーーーーーーーン!!
「「「うお!?」」」
目の前が真っ暗になり、耐え切れず私は膝から崩れ落ちた。
家に帰ってからも、私の気分は沈んだままだった。
ぼんやりと携帯電話を眺めながら、昼休みにオーキの友人達から聴いた話を思い出す。
勝ち目が無くなったから見限った。
余計な事をされて、積み上げてきた物を台無しにされた。
表層でしか物事を判断出来ない奴。
全て私にも当てはまる事じゃないか!
見えかけていたあいつの事がまた解らなくなった。
いや、違うな。
私は自分に都合の良い答えを、それが真実だと思いたかっただけだった。
みのりや宮沢は励ましてくれたけど、やはり私にはもう……。
ブーン!ブーン!ブーン!ブーン!
「うわあ~~~ぁ!!」
持っていた携帯電話が突然震えだした。
「しまった!驚きのあまり放り投げてしまった!壊れていないか?」
これがバイブレーション機能と言う物か。
という事は……誰かからの電話がかかってきたって事じゃないか!
でも、私の携帯電話の番号を知っているのは……まさかオーキ!?
天井に当たって床に落ちた携帯電話を慌てて拾い上げ、急いで通話ボタンを押す。
「もしもし?私だ!オーキか!?」
「ええっ!?……何言ってんのねぇちゃん?僕だよ」
しかし電話から聞こえてきた声は、弟の物だった。
そう言えば、オーキの他にも家族には番号を教えてあったんだった。
「何だ鷹文か……どうしたんだ?お前も家に居るんじゃ無いのか?」
「いや、急いでたから、電話の方が早いと思って……それより、ねぇちゃんテレビつけてよ。○チャンネル」
言われるままにほとんど視る事のないテレビをつける。
するとそこに映っていたのは、病院のベッドの上でインタビューを受ける男性の姿だった。
目元がモザイクで隠されていて、声も加工されている。
でも……まさか、この男は……!?
「これって、にぃちゃんじゃない?高校生のK君ってなってるし」
鷹文の言う通りTVの彼の顔の下には、『事故現場から女の子を救った高校生K君』と書かれていた。
間違いない。オーキだ。
でも、どうしてあいつが病院に……!?
事故現場……!?
まさか……何か事故に巻き込まれたのか!?
「ねぇちゃん?ちょっと、ねぇちゃん聞いてる?」
電話からの弟の声が聞こえない程、私はニュースに釘づけになった。