第二章 4月21日 それぞれが背負う物
壁にかけられた秒針の音だけが教室に響いていた。
オーキは悪く無い。
いくら勝つ為とは言え、それまで一緒に頑張ってきた仲間を勝手に代えられたんだ。
仲間思いのあいつが怒るのも当然だろう。
でも……、
「やはり私は、厭きられた……いや、愛想を尽かされたのだな……」
結局、それは同じ事だった。
むしろ、あいつが厭きっぽい訳では無く、私が失望させたのだと思い知らされただけだった。
「愛想をつかされた?」
「オーキ君とぉ喧嘩しちゃったみたいなの……」
不思議そうな顔をする宮沢に、代わりにみのりが珍しく神妙に答えてくれた。
「まあ、そうだったんですか……よろしければ、事情を詳しく聞かせてもらえませんか?」
「……詳しくも何も、先週の火曜日の放課後に、一方的に別れを切り出されたんだ……さよならだって……」
「先週と言うと……ああ、バイクに乗った方達が来られた時の事ですね……?」
あまり訊かれたくはないが仕方ない。
無言で頷くと、宮沢は納得した様に一度頷いてからまるで諭すかのように穏やかに話し始める。
「確かにあれは、川上君は怒るかもしれません。私も教室から見ていましたが、とても危険だと思いましたし、大勢の人が見ている前で闘ってしまった事も、よくなかったと思います。何か学校側から罰を受けたりはしませんでしたか?」
「いや、何も……事情を説明したら、教師はわかってくれたんだ……でも、あいつは……」
「そうですか……ひょっとしたら、だからこそ尚更厳しい態度を取ったんじゃないでしょうか?坂上さんに反省してもらう為に」
「反省ならしたし、ちゃんと謝ったんだ!なのにあいつは、『お前は何もわかって無い』って、『被害者面すんな』って私に言ったんだ!前は自分が悪いみたいな事を言っていたくせに……訳がわからない……!」
思わず荒げてしまった声を押さえながら、直ぐに直情的になってしまう自分が恥ずかしくなって宮沢から視線を逸らす。
きっとこんな事だから、あいつに愛想を尽かされたんだろう。
すると、一瞬の間の後みのりが「あ~あ、そういう事かぁ」と感嘆の声を上げた。
「何がそういう事なんだ?」
「つまりぃ、『被害者面するな』って事はぁ、『自分が加害者になる事も考えろ』って事じゃないかなぁ?」
「私が……加害者に……?」
「私もそう思います。もちろん坂上さんに怪我が無かった事が一番ですが、お咎め無しで済んだのも、相手の方達にもそれ程怪我が無かったからじゃないでしょうか?」
「先に仕掛けて来たのはあいつらだから正当防衛だ。それにちゃんと手加減くらいしている」
私が加害者呼ばわりされるのは心外だ。
早とちりした私は思わずムッとなってしまう。
だが、次に宮沢が語った話に、私は強い衝撃を受ける事となる。
「坂上さん。私には兄が居たんです」
「ん?ああ、そう言えばそんな話をしていたな。あいつらもお兄さんの友達だとか。それがどうかしたのか?」
「兄は……バイクの事故で亡くなりました」
「えっ……!?」
一体何を言われたのか、直ぐには理解出来なかった。
あるいは、脳がその単語を認識したくはなかったのかもしれない。
なくなった……?
死んだって事か?
宮沢のお兄さんが……!?
バイクの事故で……!?
「兄がバイクに乗っていて運転を誤ったのか、それともバイクに追突されてしまったのかは分かりません。事故の事は誰も話したくない様で、訊いても皆さん口を閉ざしてしまうんです。ただ、バイクと言うのはそれだけ危険な物だと言う事です。乗っている側であっても、倒れた時に打ち所が悪かったり、下敷きになってしまう事だって有ります」
伏目がちで辛い話をしながらも微笑を絶やしていない宮沢が、かえって痛々しかった。
私が鷹文を亡くしかけた時と同じ、いや、それ以上の悲しみを、彼女は味わっていたのか。
「もちろん、一番悪いのは脅しとは言えバイクで人に向かっていった相手の方達です。でも、例えそうだとしても、もし誰かが大怪我を負ってしまっていたら、そして万が一最悪の事態が起きてしまっていたら、果たしてお咎め無しで済んだでしょうか?周りの人達も、それまで通り坂上さんに接する事が出来るでしょうか?何より、坂上さんはご自分を許せますか?」
「……」
直ぐには言葉が出なかった。
もし相手を死なせてしまったら?
そんな事、微塵も考えた事も無かった。
悪いのは、自分勝手で他人の迷惑を考えない奴等の方で。
そんな奴等がどうなろうと、知った事ではなかった。
痛い目に遭うのは、自業自得とさえ思っていた。
「あのね。智代ちゃん……これは私の知ってるおじさんの話なんだけど……」
宮沢の話に呆然としている私に、今度はみのりがそう前置きしてから語りだす。
「もう10年くらい前の事なんだけど……その人は車を運転中に子供をはねてしまったの」
「えっ……!?」
子供を……はねた……!?
鷹文が車の前に飛び出した時の光景が脳裏に甦り、私は蒼白になってうろたえた。
「信号を無視して自転車で飛び出してきたから、避けようが無かったみたいで……それ程スピードは出てなかったんだけど、倒れた時の打ち所が悪くて……その子は亡くなってしまったの」
まさか鷹文をはねた人の……?
初めそう思ったが、続きを聞いて違うと気付く。
そういえば、10年前と言っていたんだった。
「それでね……そのおじさんがどうなったかと言うと……勤めていた会社を首になって……相手の遺族への賠償とかもあったから、とても暮らしていけなくて……それが原因で次第に奥さんともうまくいかなくなって、結局、離婚して家族はバラバラになっちゃった……」
それは、不慮の事故で全てを失った男の話だった。
みのりの表情は普段の明るい彼女からは考えられない程暗く、どこか寂しげだった。
「でもそのおじさんは、今でも罪の意識に苛まれてて……遺族への償いを続けてる……オーキ君はきっと、智代ちゃんを守りたかったんだよ。それは単に他校の人達からってだけじゃなくて、あらゆる物から、智代ちゃんの可能性を……未来を守りたかったんだよ……」
「私の……未来を……?」
その瞬間、あいつが今までかけてくれた言葉の波が私を包んだ。
そうだった……。
オーキは、いつも私の事を考えてくれていた。
私の事をあれこれ心配してくれていた。
それは、他でもなく私の願いを叶える為。
私の未来を守ろうとしてくれていたんだ。
初めて出会ったあの日も……。
いきなり私を騙して喧嘩を売ってきたあの時も……。
あいつは私に普通の女の子で居ろと言ってくれた。
その為に、どんなに私が攻撃しようとも、倒れずに居てくれた。
この学校に来た目的を話した時も、真剣に考えてくれて、私の覚悟を試しながらも、最後は協力してくれると言ってくれた。
そして、徹夜までして今後の計画や必要な情報をノートにまとめてくれた。
仲間を増やそうと、みのりや宮沢を紹介しようとしてくれた。
あいつは本当に全力で私を手伝おうとしてくれていたんだ。
それなのに……私はいつしか、あいつが隣に居る事が当たり前だと思っていた。
何があってもずっと傍に居てくれるのだと、あいつの優しさに甘えていたんだ。
そして私は、全校生徒が見ている前で軽率に闘ってしまった。
一歩間違えれば、取り返しのつかない事になっていたかもしれないのに。
「私は……あいつに裏切られたとさえ思っていた……私の目的に協力してくれると言ったのに……何があっても私の味方でいてくれると信じていたのに……どうして『さよなら』なんて言うんだと……でも……先にあいつの想いを裏切る様な真似をしたのは、私の方だった!あいつは、オーキは常に私の為を想って色々してくれていたのに、私は……自分の事しか考えていなかったんだ!最低だな……愛想を尽かされて当然じゃないか……!」
あいつが言った通り、私は何もわかっていなかった。
昔あんな思いをしたと言うのに。
あの頃の私じゃないと思っていたのに。
危険な行動でみのり達を心配させた。
オーキの想いを考えもしなかった。
その自覚さえなかった。
何も変われていないじゃないか!
同じじゃないか!
他人の事なんて考えない奴等と。
自分の事しか考えない奴等と。
一体どこが違うと言うんだ!?
「大丈夫だよぉ。オーキ君は智代ちゃんの事を想って怒ってるだけだからぁ、きっと仲直りできるよぉ」
「うっ……うわぁぁぁぁぁぁん、みのりぃぃぃっ!!」
立ち上がったみのりが、背後から包むように抱きしめてくれる。
その温もりが心に染みて、寸での所で堪えていた堰を決壊させた。
「落ち着いたぁ?」
「ああ……すまない。取り乱してしまった……」
私が泣き止むまで抱きしめてくれていたみのりが離れていく。
目の前には、宮沢が淹れ直してくれたコーヒーが湯気をたてていた。
二人とも優しいイイ奴だな。
私の過去も知っているし、そして宮沢は……。
そこでふと思い当たる。
ひょっとしてオーキは、宮沢のお兄さんの事を知っていて私と引き合わせてくれたのか?
似た想いを共有出来る存在として……。
あいつなら有り得る。いや、あいつの事だ、きっとそうなのだろう。
ああっ、ダメだ。
感動したらまた目頭が熱くなって……。
「それでぇ、オーキ君も協力する事になってた智代ちゃんの目的ってぇ、何かなぁ?」
みのりの問いで気が紛れる。
助かった……と思って隣を見ると、大きな眼鏡の奥の大きな瞳を好奇心でキラキラさせた、いつもみのりがそこに居た。
少しだけ不安を覚えた。
「……お前達になら教えてもいいだろう。どの道すぐにわかる事だからな。二人はこの学校の前の桜並木が伐られてしまう事は知っているか?」
「うん。知ってるよぉ」
「はい。とても残念ですが……」
「そうか……私がこの学校に編入してきた目的は、その伐採計画を止め、桜並木を守る事だ。その為にまず、今度の生徒会選挙に生徒会長として立候補しようと思う」
「……」
「……」
胸を張って答えると、二人は余程驚いたのか、無表情で言葉を失っていた。
それも仕方がないだろう。私の過去を知る二人なら、尚更驚くはずだ。
しかし暫くすると、何故か二人は苦笑を浮かべて顔を見合わせる。
「智代ちゃ~ん……それはオーキ君怒るよぉ」
「えっ?」
「生徒会長目指してる人が、皆の前で喧嘩したらダメだよぉ」
「さすがにそれはちょっとマズイですね」
「わ、わかってる!だから、その事はもう十分反省したんだ!」