第二章 4月19日春の嵐
中学の頃
俺達の代にも巧い奴が居た
俺達の代のキャプテンだ
そいつは俺達とは別の小学校から来た奴で
地元では強豪で有名なクラブチーム出身で
学区の関係で俺等の代ではただ一人ウチの中学に来ていた奴だった
技術は群を抜いていて
顧問からの信頼も篤く
三年の試合にもベンチ入りし
一個上の代になると守備の要として定着していた
でも俺等の代になると
そいつが居ても俺達は勝てなかった
昔程大差で負ける事はなくなったが
そいつが守備にかかりっきりでは同じ事だった
相変わらずのワンサイドゲーム
点を取れなきゃ勝てる訳が無かった
それは夏期大会に続いて秋期大会も予選敗退が確定した帰りの事だった
校門の所で俺達は隣の中学の連中に声をかけられた
キャプテンと同じ強豪クラブチーム出身の連中が主力で
県大会の常連で
毎回優勝候補に挙げられる強豪校だった
近い事を理由に何度か練習試合をしてきたが
いつも圧倒され勝負にならなかった
あまりにも実力差が有り過ぎた
そして強かった先輩達が引退したこの頃には
練習試合すら組まれなくなっていた
この日の大会も余裕で予選突破した奴等は
キャプテンに向かって親しげにこう言った
「お前も災難だな……道一本こっちに住んでりゃ、そんな惨めな思いしなかったのに」
「何だと!?」
無言で苦笑するキャプテンに代わって
反射的に血の気の多い副キャプテンが向かって行こうとする
だが俺はいきり立つその肩を掴んで止め
「やめとけ……行くぞ」
「相手にするな」と大人の態度で皆を促すしかなかった
奴等の言った事は事実だから
どんなに悔しくても
どんなにムカついても
俺達が弱い事は
足を引っ張っていたのは事実だったから
情けなくて
申し訳なくて
だからこそせめて恥の上塗りだけはしたくは無かった
「……強くなろう……!」
そう決意を口にする他なかった……
4月19日(土)
「どうしたのその顔!?わかった!敵方のスパイと戦ったのね!どうだった!?手強かった!?」
左目の上に大きな絆創膏をつけた俺の顔を見るなり、あやちゃんは勝手に妄想を暴走させながら詰め寄って来る。
伊達に戦場の傍らで育っていない様だ。
もっと怖がられたり、心配されると思っていたんだが……こんなに瞳をキラキラされるとはさすがに予想していなかった。
「いや、さすがにスパイじゃないけどね……なかなか手強かったよ。20人くらい居たし」
「おおっ!さっすが師匠!一個小隊を一人で撃破したのね!!」
いや、軍隊でも無いから!
「まあ、俺の事はいいから、ストレッチ始めよう」
「イエッ・サー!」
シュタッと直立不動になって敬礼して見せるお茶目な弟子の可愛らしさに思わず吹き出すと、ビキッと全身に痛みが走った。
結局昨日の決着は、後藤田の報告に土手の上に居た奴らが散り散りになって逃げ出した事でうやむやとなった。
俺も河原沿いを歩いてその場を離れたが……警官の姿は見ていない。
ひょっとして……助けられた……のか?
まずそう思った。
もちろん負けるつもりは無かったが、明らかな劣勢だった事もまた事実。
それを見兼ねて彼女が助け舟を出してくれた……と思えなくも無い。
もっとも、河原で一時間近く喧嘩してれば通行人に通報される事もあるだろうし、たまたま出くわさなかっただけで警察が動いていた事は事実なのかもしれないが……。
それに、あそこで水入りにする事は、奴等にとっても悪くない落とし所だった。
元より無名の俺に勝とうと奴等に大した益は無く、もし田嶋までが負ければそれこそ宮沢グループは終しまいである。
奴等と敵対している勢力は多い。
俺と共倒れなんて事になって喜ぶのは、そいつらだけだろう。
冷静にそういった諸々の状況まで見越した上で、熱くなった男達を一言で収め、あわよくば俺に恩を売ろうとしての策だったとしたら……あの姐さん、やはり相当のキレ者の様だ。
まあ、そんな人が居ると判っただけでも大収穫か。
あの有名な宮沢グループの実力を肌で知り、そんな相手にも己の力が通用する事を知った。
そしてまた、これで俺の名も上がるはずだ……。
この勝負、ほぼ目的を果せた俺の勝ちだろう。
身体はそこら中打ち身と筋肉痛でガタガタだったが……。
風が唸り声を上げ、木々を大きく揺らしている。
空を覆い尽くす黒雲は巨大な生物の様に蠢き、今にも襲いかかってきそうだ。
「そろそろ上がろうか」
「え?もう?」
風になびく髪を押さえながら、あやちゃんが不満気に訊き返してくる。
今日も受身の練習だけしかさせて無いし、いつもより早目に切り上げ様としているのだから無理も無いか。
しかしだ。
「風も強いし、いつ降って来てもおかしくないからね。今日は止めておこう」
「……イエッ・サー」
彼女もそれはわかっているのだろう、俯きながらも素直に聞き入れてくれた。
「一人じゃ危ないから、自転車で送ってくよ」
「……うん」
そう提案すると、少しだけ笑ってくれた事が救いに思えた。
チャリを押しながら道の悪い林道を抜け、舗装された道に出た所で先に自転車にまたがり、彼女を荷台に座らせる。
俺が言うより早く、あやちゃんがしっかりと腰に手を回して背中にくっついてきたので、「行くよ」と合図してからゆっくりと発進させた。
「実はあたし……自転車ってほとんど乗った事無いの」
「そうなの?」
「うん……ほら、あまり一つの所に長く居た事無かったし、あまり荷物になる様な大きな物は持たないようにしてたから……」
「そっか……自転車が結構貴重品なトコも有るだろうしね」
「うん……だから、こうやって誰かと自転車に二人乗りするのに、チョット憧れてたかも」
「そ、そう……」
彼女がより一層身体を密着させてきたので、不覚にも微かに背中に感じていた弾力を意識してしまい、思わず声が上ずりそうになる。
まだまだ発展途上だが、将来間違いなくいい女になるだろうな……。
謀不二子みたいになったりして。
グラマラスな女スパイとなったあやちゃんを想像してついニヤけてしまう。
その時、そんな俺を嗜める様に強い風が吹付け、バランスを崩しそうになって片足をついた。
「風強いから、危ないと思ったら降りていいからね」
「うん……そうするつもりだったから大丈夫!」
信頼されてるんだかされてないんだか……と苦笑する他無い。
本当に有望な子だ。
頭の回転も速いし度胸も有る。
体力面の強化と少し慌てんぼうな所を治せば、スパイになるのも夢では無いかもしれない。
だがまあ……やっぱり俺は……。
彼女の案内で辿り着いた所は……山奥の巨大な工事現場だった。
確か都心部からのバイパスを通す為に、森を切り開き、いくつもの山をぶち抜く大規模な工事をしていると聞いてはいたが……。
彼女を傷付けるかもと思い態度には出さないよう努めたが、正直……嫌な感じがすると言うか、妙に落ち着かない場所だった。
そう……確かここは……!
「私のお父さん、今はここに臨時で雇われてて、住み込みで働いてるの。それで、私も一緒にって訳」
プレハブ小屋の前で、あやちゃんは少し伏し目がちに話始める。
医者だと言うから、働いていると言っても作業員では無く、保険医の様な物だろう。
小屋にもそれらしき事が扉のプレートに書かれていた。
「ああ……そうなんだ」
「それでね……その仕事も明日で終りなの……」
唐突に告げられた話に面食らいながらも、そこまでで彼女が言わんとしている事は理解出来た。
嵐が通過するのは明日の朝方だと天気予報は言っていたし、用意とかもあるだろう。
“あの場所”で逢えるのも、今日で終りと言う事だ。
「そっか……」
込み上げてくる感傷は言葉にならず、僅か数日だが自分を師と呼んでくれた少女の頭を撫でた。
そういう事なら、予め言ってくれればもっと色々な事を教えたのに……。
一瞬そんな考えもよぎったが、直ぐにそれを否定する。
元より俺には基本的な事以外教える気は無かった。
これから先、彼女がどんな道を歩むのかは判らない。
だからこそ、早い時期から変な癖をつけるべきでは無いだろう。
それに何より……。
「あやちゃん、確かにスパイとかって一見格好良いけど……」
俺は彼女の両肩を掴み、真剣な眼差しでみつめながら本心を口にした。
「えっ?」
「確かに優秀でなければ成れない物だけど、所詮人に雇われ命令に従うだけの存在だ。常に命を危険に晒し、足手まといなら見捨てられ、不要になれば始末される、ちっぽけな存在だ」
「……」
「君ならもっと凄い物になれる!俺達平和ボケした日本人には絶対出来ない経験を沢山してきたんだ。そんな人間が、一生何かに縛られ、従うだけで終わろうとするな!」
「……師匠!」
最初は驚いて戸惑っていた彼女が、俺の言葉が終わるなり首に飛びつく様にして抱きついてきた。
「凄いね師匠は……まるで本当のお師匠様みたい!」
「あのね……」
「ふふっ……師匠の事は絶対忘れないよ!」
「ああ。俺もだ」
爪先立ちして首にぶら下がる彼女を支える様にして、俺も彼女を抱きしめる。
今まで辛い体験を沢山して、悲惨な光景を幾度も見てきた彼女の存在その物を噛み締める様に。
願わくば、この子の今後の未来が幸多い物である様にと念じながら……。
あやちゃんとの別れを済ませ、古河パンでも戦勝報告をして秋生さんからカツサンドを奢ってもらってから帰宅した俺は、直ぐにパソコンを立ち上げた。
今朝行ったあの工事現場の事がずっと気になっていたからだ。
俺の記憶が確かなら……。
そして検索して出てきた物は、やはり俺の曖昧だった記憶を裏付ける物だった。
数ヶ月前に起きた落盤事故や周囲で起きた土砂崩れのニュース。
それによって大幅に遅れた工期と、それを取り返す為の夜通しの強行作業。
そして工事の安全性や事故の再発を危ぶむ声……。
嫌な予感がした。
もし、只でさえ工事によって軟弱になっている地盤に大雨が降ったら……?
考えただけでもゾッとする。
「いや……まさかな……」
流石に嵐になると判っているのに、工事を続ける訳がないだろう……。
思い浮かんだ最悪の光景を、打ち払う様に首を振って否定する。
あの子はこれまでの分も幸せにならなくちゃいけないんだ。
そう切に願いながら、何も無い事を祈る他なかった。