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4月8日:永遠の冬

 ・7/16 細かい修正をしました

 すでに日も落ちたゲーセンからの帰り道、俺にはもう一つ寄らねばならない所があった。

 『古河パン』

 昔から行きつけの小さなパン屋だ。

 大体閉店間際のこの時間に、この場所に来ることが俺の昔からの日課となっている。

 「ちぃっす」

 「いらっしゃい・・・なんだテメェか」

 中に入ると、とても客商売にはそぐわない目つきの悪い長身の男がレジに立っていた。

 あろう事か咥えタバコで……。

 店主の『古河 秋生』さんだ。

 一見の客なら、まず「間違えました」と逃げ出しそうだが、俺はガキの頃からの常連であり、秋生さんにはよく遊んでもらっていたから、すでに免疫が出来ている。

 結構いい歳なのだが、未だにガキ大将をやってるような人で、よく店番を放ったかして店の前の公園に出没しては、子供達と一緒になって遊んでいる困った人だ。

 「ホラよ。今日のテメエの分だ」

 まるで子分に分け前でも渡すかの様に、秋生さんが袋を投げ渡してきた。

 おそるおそる中のブツを確認すると、深緑色をした物体がぎっしり詰まっている。

 一応売れ残りのパンなのだが、これだけ余っていると言う事は、やはりあの人のパンは今日もまったく売れてないのだろう。

 「えっと……さすがにこんなには食えないんですが……」

 「ああん?育ち盛りだろうが!それぐらい食えっ!」

 「いや、でも、他に配る分が無くなるんじゃ……?」

 「安心しろ。ちゃんと他のにも一つずつハズレが混ざるくらいはまだ残っている」

 その台詞を聞いた俺は、あの人の影を探して店の奥を覗いた。

 が、残念ながら現れてはくれないようだ。

 「ん?どうした?」

 「いや、今のを早苗さんが聞いてなくて良かったなと」

 “早苗さん”というのが“あの人”こと『古河 早苗』さん。この人の奥さんだ。

 秋生さんも実年齢より十分若々しいが、早苗さんはさらに別格で、俺が物心つくかつかないかって時からまったく見た目が変わっていない。本当に仙女か女神様か宇宙人なんじゃないかと疑いたくなるほど綺麗で可愛らしい人なのだ。

 これで二人には俺より二つ年上の娘さんが居るのだから、世の中不公平である。

 ウチの両親なんか、俺が生まれた時からオジサンオバサンだったと言うのに……。

 ちなみに、ここのパンの大半は秋生さんが焼いており、なかなか美味いのと評判なのだが、一部早苗さんが焼いたパンは破滅的である事でも有名である。

 にもかかわらず、お茶目な早苗さんは毎週怪しい新作パンを発明しては、それを毎日焼いてしまう為、いつも必ず売れ残りが出る。

 売れ残りのパンは閉店後に秋生さんが近所に配って回るのだが、さすがにただでも早苗さんのパンばかり配るわけにもいかないので、日頃世話になっている義理で俺が処理係をやっている訳だ。

 「今のは“誰の作った”とは言ってないからセーフだろ。それに早苗は今、夕飯を作っている。渚と一緒にな」

 滅多に見せる事の無い穏やかな笑みを浮かべながら、秋生さんは思いがけない事を言った。

 “渚”というのが二人の娘さんで、同じ光坂高の先輩でもある『古河 渚』さんなのだが、彼女は病気で長く床に臥せっていたはずである。

 子供の頃から体が弱く病気がちだったが去年は特に酷く、ついには出席日数が足りなくて卒業出来ず留年してしまったのだ。

 「渚さん治ったんですか?」

 「ああ。いや、まだ油断は出来ねえが、熱はもう下がってる。暫く様子を見て大丈夫そうなら、復学させるつもりだ」

 「そうですか……」

 ひょっとしたら、このまま学校を辞めてしまうかもと半ば覚悟していたが……まあ、とりあえず一安心か。

 早苗さんもずっと心配していたし、この秋生さんですらどこか空元気気味だったからな……長い冬が終わり、ようやくこの家にも遅い春が来たってところだろう。

 「ホラ、こいつも持っていけ」

 だからなのか、今日の秋生さんは気前がよく、袋をもう一つ渡された。

 念の為中を確認すると、菓子パンや普段は滅多に残らない惣菜系まで入っている。

 「そっちはオフクロさんにな。間違ってお前の分渡すんじゃねえぞ」

 「別に、ウチの家族もとっくに了承済みですよ?」

 「バカヤロウ!一個や二個なら冗談や茶目っ気で許されるが、袋の中全部早苗のパンなんて、ただの嫌がらせじゃねえか!」

 じゃあ、俺はずっと嫌がらせをされ続けてたんですか……!?

 そんなツッコミが喉まで出かかったその時、いつの間にか店の奥に人が立っている事に気づいた。

 それは長い髪を大きなリボンで結んだ見た目ハタチ前後の綺麗なお姉さんで、実際にはハタチ近い娘の母親である、噂の早苗さんその人だった。

 「げぇっ!!」

 俺の反応を見て振り返った秋生さんが“しまった!!”という顔をする。

 だが、もはや後の祭りだろう。

 「私のパンは……私のパンは……」

 案の定ショックを受けた早苗さんの瞳がうるうるとし始め、

 「ただの嫌がらせだったんですね〜〜〜〜〜〜!!」

 そして涙の雫がこぼれ落ちると同時に、叫びながら店の外へと駆け出して行ってしまった。

 「早苗!んがぐぐっ!俺は大好きだ〜〜〜〜〜〜!!」

 慌てて秋生さんも店に残っていた早苗さんのパンを口いっぱいに頬張ると、同じく叫びながら彼女の後を追いかけて行ってしまう。

 そして店には俺一人……。

 営業中の、それも一応客が来ている店を無人にするなんて常識的に有り得ない事だが、ここでは日常茶飯事だったりする為、ご近所さんや常連で最早驚く人はいない。

 まあ、どうせすぐに二人仲良く帰ってくるだろう。

 閉店間際のこの時間に客が来る事はあまり無いが、一応留守番をしておく。

 最早これも俺と秋生さんとの暗黙の了解なのだ。

 「お父さん、お母さん、お夕飯出来ましたよ〜……あれ?」

 すでに空のトレーばかりとなった見慣れた店内をぼんやりと眺めていると、背後から懐かしい声がした。

 軽く驚きながら振り向くと、同じくキョトンとしていた少女は、俺を見て顔を綻ばせる。

 「オーちゃん……じゃなかった。オーキ君です」

 「どうも……別にオーちゃんでいいですよ」

 「じゃあ、オーちゃんです」

 いや、わざわざ言い直さなくても……。

 妙な律儀さが微笑ましいこの人が渚さんだ。

 二つ年上のお姉さん……なのだが、そのおっとりとした性格と儚げな印象からか、どちらかと言うと守ってあげたくなる妹みたいな感じがしてしまう。

 もっとも彼女にとっても俺は、年下の男の子“オーちゃん”なんだろうけど。

 彼女とも十年来の付き合いで、小中高と同じ学校に通ってはいるが、特別親しいって訳でも無かったりする。

 家が隣な訳でも、親が特別親しい訳でも、部活や趣味が一緒な訳でもない二つ年上の女の子との接点なんて、有って無いような物だろう?

 行きつけのパン屋のお嬢さんで、友達の娘さん。顔はよく合わせてはいるが、道で会ったら挨拶する程度の関係でしかない。

 「お久しぶりです。オーちゃん」

 「お久しぶりです。調子いいみたいですね」

 「はい。もう大分良くなりました。お医者さんとも相談して、様子を見て大丈夫そうなら、また学校にも通えそうです」

 「そうですか……」

 「オーちゃん、学校は楽しいですか?」

 「えっ……?」

 その他愛の無い世間話の一つでしかない問いに、俺はすぐに答える事が出来ず、

 「……“微妙”……かな……」

 と、言うのが精一杯だった。

 「テメエ、ソコは嘘でも「学校超楽しいです!!俺超ハッピーです!!」って答えるトコだろうが!!」

 「ぐぅっ!!」

 いきなり背後から逞しい腕が首に回され締められる。

 いわゆるスリーパーホールドだ。

 声を聞くまでも無く、こんな事をしてくるのは秋生さんである。

 直前まで気配を感じられなかったが、さては店の外から様子を窺っていやがったな!

 「お父さん、オーちゃん苛めちゃダメです!私、嘘を答えられても嬉しくありません!」

 娘に止められて、ようやく舌打ちしながら不良親父は腕を放した。

 「たく、確かにお前、中坊の頃の方がまだマシな面してたしな……何か部活でもやったらどうだ?まだ二年になったばっかなんだし、何とかなんだろ?」

 「いや、特にやりたい事も無いんで……」

 「サッカーもか?」

 「何度も言いましたけど、プロになれる訳でもないし、もうサッカー漬になる程やりたくはないんで……」

 俺は小中とサッカーをやっていた。

 大好きだったが、正直才能無くて、チームも弱かった。

 それでも最後の一年間は一念発起して、これで結果が出せなきゃ止めようって自分を追い詰め……自分でも本当に頑張ったと思う。

 だがその結末は……“最悪”だった。

 敗軍の将は兵を語らず。

 だから俺はもう、サッカーをやる訳にはいかないのだ。

 「それにウチのサッカー部の雰囲気とか監督とか正直ムカツキますし、戦術も俺には合いそうにないんで……」

 「じゃあ野球は?投げる方はともかく、お前バッティングはなかなかいけるじゃねえか」

 「いや、秋生さんや草野球のオジサンの球が打てても、現役高校生の球が打てるとは思えないんで……」

 「なぁにぃ!?上等だ!表にでやがれ!!」

 「お父さん!」

 「秋生さん。今から勝負だと、渚の作った折角のお夕飯が冷めてしまいますよ」

 腕を掴まれ外に連れ出されそうになったところを、早苗さんがやんわりと止めてくれた。

 娘命の秋生さんの泣き所を絶妙につくあたり、さすがである。

 「ちっ……じゃあアレだ。彼女でも居ねえのか?」

 「いませんよ……」

 「じゃあ作れよ!気になってる子くらい居んだろ?とっとと告っちまえ!!んで、とっとと結婚しちまえ!!」

 いや、それは電撃婚すぎるだろ!

 「秋生さん、オーキ君はまだ16歳なので結婚出来ませんよ」

 早苗さん、問題はそこじゃないから……!

 「お、同じ学校の方ですか?」

 渚さんまで……やっぱりこういう話には興味津々ですか?

 「いや、だから……そんな余裕ないんで……」

 「はあ!?」

 苦し紛れの俺の答えに、秋生さんは信じられない事を聞いたという顔をする。

 「部活もやってねえクセに、彼女作る余裕がねえだあ!?カーーーーーー、信じられねえ……!俺が学生の頃は、部活やりながらだって彼女の一人や二人居たぞ!」

 「二人……居たんですか?」

 その失言に、早苗さんが笑顔ですごむ。

 「あっ、いや、もちろん早苗と付き合い始めてからは、早苗一筋だ」

 「“からは”……ですか?」

 「いや、だから、アレだ。今のは彼女くらい居て当たり前って意味でだなあ……」

 「ごめんなさいお父さん……私も彼氏さん居ないです……」

 「お前はいいんだ渚!俺の娘なんだからな!」

 よくわからん理由だが、とにかく人に取られたくは無いらしい。

 すると、名案が浮かんだとばかりに早苗さんがパンと手を叩いた。

 「そうだ!ウチの渚と付き合ってみてはどうでしょう?」

 浮かんだのは爆弾だった!

 「ええっ!?」

 「なぁにぃぃぃぃぃぃぃっ!?」

 渚さんは赤くなって声を裏返らせ、何故か秋生さんは俺の胸倉を掴みかかってくる。

 「テンメェェェェェェッ!!親の前で告るたあ、いい度胸だなあ!!」

 はあ!?訳がわからねえ!!

 「いや……別に……渚さんの事は……何とも……」

 「何だとコラァ!?ウチの渚が気に入らねえだとぉ!?」

 どっちだよ!?

 「お父さんダメです!オーちゃん苦しがってます!」

 「そうですよ秋生さん。大切なのは、お互いの気持ちです」

 笑顔で火に油を注がないでくださいよ!!

 「俺に内緒で……いつの間に両想いになりやがったんだテメェェェェェェェッ!?」

 それは早苗さんに訊いてくれよ!!

 「止めてくださいお父さん!私、オーちゃんの事そんな風には思ってないです。あっ、でも、大切なお友達です」

 「ん?そうか?」

 渚さんに完璧にふられて、ようやく俺は開放された。

 いや、わかっていた。わかっていたけど……。

 やはり少し悲しい……。

 「そうですか?それは残念です……」

 心底残念そうな顔をしてくれるのは大変嬉しいのですが、もう勘弁して下さい早苗さん。

 「とにかく、テメエはさっさと彼女作りやがれ!!いいな!?」

 「……はい……」

 「じゃあ、とっとと帰れ!店閉めて晩飯にすっぞ!渚がせっかく作ってくれたメシが冷めちまう」

 「はい……じゃあ、パンありがとうございました……」

 「おう!」

 「おやすみなさい。また来てくださいね」

 「おやすみなさいです。オーちゃん」

 古河家の面々に見送られながら、追い出される様に俺は家路についた。

 ドッと押し寄せる疲労感と、安堵感を感じながら……。




 古河パンから歩いて5分程、学校や駅前商店街からも微妙に距離のある住宅地にある、特別大きくも無い普通の一軒家が俺の家だ。

 いや、“普通”と言うには語弊があるか……。

 家の近くまで来ると、ダンボールが山積みになったガレージの片隅で、一人荷物と格闘する母の姿があった。

 俺の家は主に服飾関係の卸をしている。

 親父は外回り中心で、商品の発注発送管理といった実質的な業務がお袋の仕事だ。

 今は各取引先に送る荷を作っているのだろう。

 「あら……おかえり」

 こちらに気付いたお袋が、しゃがんだまま言った。

 「……手伝いは……?」

 「これで終わりだからいいわ。ありがと」

 「……ああ、古河さんトコからまたパンもらってきたから」

 「そう……また今度お礼を言っておかなきゃねえ……」

 短く無駄のない、まるで業務連絡の様な会話を終えて家に入る。

 長い溜息。

 あの人を見ていると、いたたまれなくなる。

 早苗さんと違って、ウチのお袋は日に日に老けていく。

 いや、おかしいのは早苗さんの方で、それが普通なのだとわかってはいる。

 わかってはいるが……。

 朝から晩まで、家事をして、仕事をして、痴呆が進み始めた祖母の介護をして・・・。

 この人は……幸せなのか……?

 不眠症で、夜中に一人すすり泣いているのを見たのは、一度や二度じゃない。

 最近ますます仕事の事で親父と怒鳴り合っている事も増えた。

 「……彼女作れと言われてもな……」

 笑いがこみ上げてくる。

 お袋も親父も、結婚するときは幸せを夢見てたんだろう。

 子供を産んで、家を建てて、事業を興して。

 お袋は昼夜働き詰めで、親父は駆けずり回って頭下げて回って。

 雨の日も風の日も、頑張って、頑張って、頑張りつづけて……。

 そのなれの果てが今なんだ……。

 笑うしかないだろ……?

 誰もが幸せになる事を望んでいる。

 でも、なれる人間は限られている。

 自分はなる自信が有るかと訊かれたら、

 はっきりと“無い”と答える他ない。

 だって……俺は『社会不適格者』だ。

 商売下手な親父や、お袋以上に不器用な俺だ。

 学生である今ですら生き辛さを覚えているのに、社会人になって巧くやっていける自信なんて有る筈がないだろう?

 ましてや他人を、惚れた女を幸せにする事なんて……絶対に無理だ。

 秋生さんは本当にスゲエよ。

 何だかんだで、いつもあそこの家は幸せそうだ。

 あの人の様になりたいと思った事もある。

 でも、俺は秋生さんの様にはなれない。

 その事は嫌というほど思い知らされてきた。

 結局俺は、俺でしかなく、俺として生きていく他無いんだ。

 例え、身も心も不器用で人見知りで、チビで胴長短足で、何をやっても巧くいかず、オマケに呪われているのかと思う程不運であっても。

 だからせめて、俺は俺の生き方を貫くと決めた。

 俺が俺でいられる内は……。



 まあでも、お袋が早苗さんじゃなくて本当に良かったとは思っている。

 だって、早苗さんが実母だったら……、

 俺はエディプスになっちまうだろ……。

 ようやく長い一日が終わりました。

 智代メインと表記しつつ、2話目にチラッと話しに出ただけだったりするので、「早くだせ!」と思っている方も居るかと思いますが、登場はもう少し先になります。

 1話分のテキスト量も長いし、文章も拙いので見限られないか心配ですが、オーキ共々どうか長い目で見守ってください。

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