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4月12日:最初で最後のお花見

 土曜日の一限はいきなり古文だ。

 「ふむ……次、川上……は寝とるので木村」

 「あ、はい」

 お茶目な老教師が寝ている俺を晒し者にする度にクスクスと笑いが漏れる。

 普段は極力起きている古文だったが、無理だった。

 ただでさえ寝不足な上に、早朝のバイトとトレーニングに加え、朝っぱらからの智代の襲来と家から学校までの全力疾走だ。

 もはや肉体的にはもちろん、精神的にも疲労のピークに達し、教室に着くやそのまま机につっぷして今に至る。

 ネクタイは智代に預けたままなので、結局ブレザーも脱いだ。

 「ふむ……次、川上……は気持ち良さそうに寝とるので児島」

 「はい」

 幸村先生、ごめんなさい。今日は勘弁して下さい。

 「ふむ……次、川上……は寝とるので、起こそうとせんでよいぞ仁科」

 「は、はい」

 フェイントの都度起こそうとしてくれていたお隣の仁科は、赤くなりながら慌てて手を引っ込め、聞こえてくる笑い声に恥ずかしそうに肩を竦めた。

 ああっ、仁科もホントすまない。

 この借りはいつか必ず……。




 


 

 子供の頃、ヒーローに憧れた


 どんなピンチにも最後は必ず逆転する


 そんなヒーローになりたかった


 でも、現実はそうそう甘くない


 身体が大きい訳でも、運動神経が良い訳でもなく、おまけに喘息持ちの俺だ


 ピンチ自体は日常茶飯事だった


 でも、そこから挽回なんて、出来た事なんて無い

 

 秋生さんや他の人から助けられる事はあっても……


 そもそも相手より弱いから劣勢になるんであって


 相手より弱いのに、どうして劣勢から挽回出来よう?


 小学生になって、それなりに苦い思いをしてきて、現実を知って


 特撮物とかも嘘っぽく見えてきて


 ヒーローになんて成れないんだと


 本当のヒーローなんて居ないんだと

 

 そんな事初めから解っていたさと


 冷めてきていた

 

 でも、ある日たまたまTVで視たサッカーのワールドカップ


 そこに……真のヒーローは居た


 彼は祖国の英雄だった


 けれど何故かスタメンには出れなくて


 それでもチームのピンチの時には現れ


 そのファンタジックなプレイで、たびたびチームを救った


 世界最高の選手達が集うその場所で


 奇跡的とも言える逆転劇を、幾度もやってのけた


 凄かった


 彼が出てくるたび、胸が躍り熱くなった


 そして……改めて確信した


 ヒーローは居るんだと


 やっぱり俺はヒーローになりたいんだと……


 「オーキ、起きろ!ほら、ネクタイもって来たぞ」

 




 


 名前を呼ばれながら身体を揺すられた刺激で夢から覚め、ゆっくりと顔を上げると、目の前に居たのは情熱的なエンジのブルマだった。

 「……ブルマ……」

 「ブルマじゃない。私だ」

 そう言われて白い体操服を辿って視線を上に向けていく。

 するとそこには小高い二つの山が連なり、その雄大さに思わず目を奪われた。

 「おっぱいじゃない。私だ」

 「いや、何も言ってないだろ!てか、智……坂上!」

 美しい少女の口から飛び出た刺激的な単語に、寝ぼけていた頭脳は急激に覚醒し、ようやく今自分が置かれている状況を把握してドッと汗が滲み出る。

 ここは学校で、俺の教室で、何故か他所のクラスの智代が居て、しかもブルマ姿で、他者には聞かれたくない事を口走っていて、当然目立ちまくって注目の的だ。

 「今、私のおっぱいをジッと見ていたじゃないか」

 「っ!!とにかく来い!!」

 ああっ、また言っちゃってるよ……!!

 このままここでコイツと話すのは色々とマズイ!!

 そう判断した俺は、慌てて立ち上がり智代の腕を掴んで引っ張って行こうとする。

 だが智代は足でブレーキをかけて歩こうとはしてくれない。

 「待て。いきなり何だ?すまないが、あまりゆっくりしている暇は無いんだ。制服に着替えないとならないからな。本当は朝のホームルームの後に来るつもりだったんだが、私のクラスは一限目体育で着替えたり移動で時間が無かった」

 「だったら、ネクタイはもういいから着替えろよ。そんな格好でウロウロすんな」

 「そんな格好って、体育の後直接来たんだから仕方無いじゃないか……それとも、私には似合っていないと言う意味か?」

 「いや、そうじゃなくてだな……とにかく今日はもういいから。お前が授業に遅れちまう」

 お前のブルマ姿を他の野郎共に見せたくないだ!!

 などと言えるはずも無く、俺は視線を逸らしながら智代の背後に回ると、いつもよりも薄い布越しに感じる彼女の体温と感触に内心ドギマギしながら退場させるべく押していく。

 「でも、折角してきたんじゃないか」

 「いいから……またいつでもやってくれるんだろ?来週から……な?」

 「!」

 他の奴に聞こえない様、殺し文句を耳元でささやく。

 いや、出来れば恥いので勘弁して欲しいが、こんな人前でやられるよりましだ。

 「うん、わかった。私の都合ですまない」

 どうにか手打ちにしてくれたらしく、振り返った智代は笑顔で謝ってくれた。

 その引き換えに、何か大切な物を失った気もするが……。

 「じゃあ、ネクタイは返しておくな」

 そう言いながら智代は、指で自分の襟首をクイッと広げたかと思うと、

 「!!」

 胸元から長い紐状の物……“俺のネクタイ”を取り出して見せる。

 な、なんて事を……!!

 てか、もしやそれをそこに入れたまま体育の授業やってたのか!?

 「すまない。仕舞う場所が無かったから、一先ずここに入れてしまったんだ……皺になってしまったな……」

 し、仕舞えるんだ……!!

 「き、気にすんな!元々だし……!」

 智代はネクタイの有様を見て本当に済まなそうな顔をしたが、俺は励ます風を装いながら彼女の温もりと芳香の残るそれをさりげなく受け取り、頬ずりして匂いを嗅ぎたい衝動と一緒に素早くポケットにねじこむ。

 「それじゃあオーキ、また放課後にな」

 「ああ。またな……」

 長い髪を翻して去って行くその背を見送ったその後、

 ギラン!! 

 とりあえずトイレの個室に向かった俺の瞳は、さぞかし血走っていた事だろう。







 帰りのホームルームが終わるや否や、「じゃっ」と仁科へ軽く挨拶だけして足早に教室を出た。

 また智代が襲撃してくる事を警戒しての事だ。

 「オーキ!」

 案の定、ほとんど同時に隣のクラスから出てきた智代と鉢合わせとなる。

 間一髪か……危ない危ない。

 「まったく一緒のタイミングで出てくるなんて、気が合うな」

 「……行くぞ」

 周りに互いのクラスメートが大勢居るってのに、尻尾を振る子犬の様に寄って来てそんな事をのたまうので、俺は素っ気無い態度で歩き始めた。

 今更だが、校門ででも待ち合わせるんだったな……。

 「こら、『行くぞ』じゃないだろ?それとも聞こえなかった?同時に出て来て、私とお前は気が合うなと言ってるんだ」

 などと後悔している人の気なぞ知ったこっちゃ無い様で、小走りで隣に並んだかと思うと、同じ台詞を繰り返しながら詰め寄ってくる。

 「ああ、そうだな……で、どうするんだ?直ぐに行くのか?」

 面倒そうに肯定してやって、“どこに”とは言わずに予定を伺う。

 「いや、先にお昼ご飯にしよう。どうせなら桜並木で食べないか?」

 「ほう……花見か?」

 「そういう事だ」

 俺に異存が有る筈も無かった。




 俺達は並木道沿いのひらけたスペースに智代が用意してきたビニールシートを敷いて陣取り、同じく彼女が持ってきた弁当を広げた。

 「いい場所だな。眺めもいいし、桜も綺麗だ。さすが地元住民だな」

 やはり周到に用意してきたお茶を二人分酌みながら、智代が感心してみせる。

 この場所は道側が一段高くなっているので通行人からは見えずらく、また桜だけでなく外側には町の景観も望める、俺が知る上でこの桜並木のベストスポットなのだ。

 「さあ、お花見を始めよう」

 「ああ」

 俺は自然に自分の前に置かれたコップを手に取った。

 しかし、どういう訳だが智代は、何やら俺を上目使いで見つめたまま固まっている。

 「……乾杯しとくか?」

 「あ、ああ!うん!しよう!」

 「じゃあ、乾杯!」

 「かんぱ〜い!」

 ひょっとして、何をしたらいいか分からなかったのか?

 俺が促してやると、慌てて彼女もコップを手にし、コツンとぶつけ合って口に運ぶ。

 「「……ふう」」

 そして互いに中身を一気に飲み干し、二人同時に息をついた。

 それに気付いて顔を見合わせ、その可笑しさに笑い合う。

 「また一緒だったな。やっぱり私達は気が合うんだ」

 「いや、てか……」

 女の子が一気飲みすんなよ!

 と、突っこもうかと思ったが、飲み干すのが本来の礼儀かと思い直す。

 「てか……何だ?」

 「いや、いい飲みっぷりだなってな」

 「乾杯は飲み干すのが礼儀だからな。念の為に言っておくが、普段は一気飲みなんてしないぞ。今のはあくまで乾杯だからだ……それとも、やはり乾杯の時でも少しづつ飲んだ方が女の子らしいか……?」

 自身で作り出した“女の子らしさ”の迷宮に自らはまった様子。

 まったく、微笑ましい限りだ。

 「……あまり笑うな。恥ずかしいから」

 「まあ、そうだな。とりあえず食べよう。いただきます」

 「うん!召し上がれ!]

 照れて赤くなった智代を肴に、箸を手に取る。

 彼女が朝早く起きて作ってきたのは、二段重ねの重箱だった。

 そこにはサンドイッチやら、唐揚げやら、卵焼きやらと言った定番のおかずがぎっしりと詰められており、一応見た目は豪華で美味そうなお弁当だ。

 「……てか、よく見ると結構量有るな……これ二人前どころじゃなくね?」

 「うん。ウチの家族四人で丁度いいくらいだからな」

 四人分か……まあ、女性も混じってだから、実質男三人分くらいだが……。

 「……ひょっとして、弟もここに来る予定とか?」

 「いや、弟は家で待っている。お昼の事は訊いて無かったが、家に有る物で済ませるんじゃないか?」

 「……そうか……」

 智代もそんなに食う方では無いから、どうやら二人前くらいは俺が食わねばならんらしい。

 そうなると……問題はやはり“味”か……。

 俺には“早苗さんのパン”で不味い物に対する耐性が有るが、それでもそれを二人前以上となると、かなり厳しい戦いになるだろう。

 「私は元々そんなに食べないから、遠慮無く好きなだけ食べてくれ」

 智代は挑むような瞳を向け、俺に食べろと催促してくる。

 どちらにせよ、食うしか道は無いのだ。

 ええい、ままよ!

 俺は唐揚げを一つ掴み、覚悟を決めて口に放り込む。

 「どうだ?美味しいか?」

 「……ふむ、普通に美味いな」

 その唐揚げは、十分及第点の味だった。

 味は若干薄目だが肉に下味もついてるし、からっとよく揚がっている。

 うん。これなら何個でもいけそうだ。

 「普通に美味しいって、曖昧だな……普通なのか美味しいのか、どっちなんだ?」

 「だから、まあ、どちらかと言うと……美味い」

 褒め慣れてない所為か、思わずちょっと照れて目を逸らす。

 しかし智代はそれに安堵した様に胸を撫で下ろすと、嬉々として自分も食べ始めた。

 「一応味見はしてきたから大丈夫だろうとは思っていたが、お前の口に合って良かった」

 「このサンドイッチはカツサンドか?」

 次いで気になっていたサンドイッチを手に取る。

 「うん。この前のお返しにと思って、自分で作ってみたんだ」

 「ほうほう……時間経ってるから少ししっとりしてるが、悪くないな」

 「そうか……やっぱりな……どうしてもキャベツやソースの水分でベチョッとしてしまって、お前から貰ったカツサンドみたくサクッとしないんだ」

 「いや、でも、普通こんな物だぞ?購買のと比べたら、遜色無いと思う」

 「そうか……ああ、こっちの卵焼きは自信作だ」

 そう言って、気を取り直して挽回しようとしたのか、出汁巻き卵を自ら掴むと、何故か左手を添えながら俺の口元に差し出してきた。

 て、まさか!?

 「はい、あ〜ん」

 「……いや、自分で食えるから」

 「遠慮するな。それとも、卵焼きは嫌いなのか?」

 「そうじゃなくて……」

 「ならいいじゃないか……ほら、あ〜ん」

 「……」

 何を考えてるんだコイツは!?

 やはりどうやっても引く気は無いらしい。

 俺は一応周囲を確認してから渋々口を開け、口の中に入れられたそれを咥えた。

 「どうだ?」

 そう訊いてくる頬がほんのり染まっている。

 まったく意識して無くもないのか!?

 もう咀嚼しながら、俺の頭の中もグチャグチャだ。

 「甘い……!」

 麻痺した味覚と思考力で判別に時間がかかったが、多分それは状況的な要因だけじゃないと確信を得て率直に感想を述べる。

 「うん。甘くて美味しいだろ?」

 「ん〜、俺はどっちかって言うと、辛い方が好きかな……」

 「そうなのか?」

 「うん。てか、南瓜とかもそうだが、単体ならいいけど、甘い物をおかずに飯食えない性質だから……」

 「そうか……覚えておく……」

 自信作が不興に終わってか、智代はしゅんとなって俯いてしまった。

 失敗だったか?

 でも、人それぞれ好みが有るんだし、我慢するより知って貰った方がいいだろ?

 まして、今後も作って貰うつもりなら……って、つもりかよ俺!?

 「あ、でも……こっちの煮物はよく味しみてるし、御浸しもいい感じだぞ?」

 「……」

 他で励まそうとするも、反応が無い。

 折角の花見なのに横でしょげられてもなあ……どうした物か……?

 「智代、あ〜ん」

 意を決した俺は卵焼きを掴むと、今度はこちらから“お返し”をする事にした!

 「ん?な、何だ?」

 「あ〜ん」

 「べ、別に私は自分で食べれる」

 「あ〜ん」

 「……や、やめてくれ。人に食べさせて貰うのは恥ずかしい」

 「あ〜ん!」

 「……も、もう、仕方の無い奴だな」

 人に散々やっといて、何だその言い草は!?

 俺が声に苛立ちを込めると、ついに智代も観念したらしく、目を瞑っておずおずとその可憐な華の様な唇を開き始める。

 「あ〜ん」

 俺は甘い卵焼きをゆっくりと彼女の口に近づけて行き、

 「あ〜ん」

 ついに開ききったその瞬間、一瞬だけ彼女の口腔をかすめ、閉まると同時に反転させて卵焼きを自分の口に放り込んだ。

 「うん。やはり甘いな……」

 「!!」

 空を食べさせられた彼女が、真っ赤になって俯きプルプルと振るだす。

 そしてついにそれが臨界点に達すると、いつものぽかぽかパンチが飛び出した。

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