第二章 5月5日 必勝祈願
晩飯を食った後のんびりゲームをしていると、蛭子から電話があった。
「もしもし」
「川上か。今日も出やがったぜ!例の坂上モドキだ!」
坂上モドキって……。
まあいい。見つかったのなら、とりあえず話をつけよう。
「そいつは今近くに居ます?」
「おう。目の前に居るぜ」
「じゃあ、代わっ……」
「うおっ!!何しやがっ……ぐあっ!!」
代わってくれと言う前に、ガサゴソと耳障りな雑音が入り、遠くで男の悲鳴が聞こえた。
何だ?強制的に奪われた?
そう思っていると、次に携帯から聞こえてきたのは、ドスを効かせた可愛らしい少女の声だった。
「あんたが、カワカミだか、オオキだかって奴か?」
「ああ。川上の方だ」
昔から『川上大木』とネタにされてきたので、まったく動じる事なくさらりと返す。
「大木の方はどうした?」
って、こいつマジで二人組だと思ってる?
まあ、あの坂上智代をタイマンで倒したってよか、二人組みの方が信憑性があるが……。
「大木は今居ないな」
「んじゃ、おまえだけでいいや。こっち来て勝負せえやコルァ!!」
挑発的な台詞がむしろ微笑ましい。
と言うか、何か懐かしさすら覚える。
うんうん、中学生はこのくらい元気でいい。
だが、問題はそこだ。
「今からはダメだ。明日にしろ」
「なんだと~?さては、公式戦無敗のこのカナコさんに恐れをなしたか!」
ふむ、カナコって名前か……。
ん……?カナコ……?
まさか……あの河南子か!?
その名で真っ先に思い浮かんだのは、昔、道場を見学して回っていた時に出会った少女の事だった。
あの頃はまだ十歳くらいだったが、既に中高生とも互角以上に戦える程の才能を持っていた娘だ。
確かに、あいつなら智代級の化け物に育っていても不思議ではないし、年も合う。
何より……小生意気なノリが昔とちっとも変わってねえ。
この懐かしさはその所為か?
「もしも~し?マジでビビったか~?」
「いや、お前中学生だろ?」
「それがどうした?おまえは高校生だろ」
「中学生をこんな夜遅くまでつき合わせられっかよ。親御さんに怒られるぞ」
「……大丈夫だよ。家、放任主義だし……」
それまで良かった威勢が急にトーンダウンして、感傷が混じった様に感じた。
しかしそれも束の間、直ぐに前以上の虚勢に戻る。
「そんな事はおまえには関係ねえんだよ!やんのかやらねえのかどっちだ!?」
「やんない」
「やれよ!むしろそこはやらせて下さいと頼むとこだろ!?」
「だから、明日にしろって。そしたら大木の奴も呼んでやるから」
「なんだ?やっぱりビビッてんのか?」
「俺は頭脳労働専門でな。お前だって、面倒事は一度で済ませたいだろ?」
あちらの言ってる事は半分スルーしつつ、一方的に場所と時間を指定して電話を切る。
坂上モドキの正体が、あの河南子だったとは……。
どうやら、この件は思ったより楽に片付きそうだ。
5月5日(月)
「おう、来たな。例の物は出来てるか?」
「はい」
今日もバイトを終え古河パンを訪れた俺は、秋生さんに頼まれていた物を渡した。
ポジションと打順の草案だ。
秋生さんは暫く無言でそれに目を通していたが、顔を上げるなりメンバー表を指しながら口を開く。
「……この2番の相良ってのは、昨日お前と一緒に居た奴じゃないよな?」
「えっと、相良さんは学生寮の寮母さんです。昨日居た朱鷺戸は、来れるかどうかわからないそうなんで、来たら代打で使おうかと」
「寮母ってこたぁこいつも女か。練習には来てなかったよな?ポジションもセカンドだし、ちゃんとやれんのか?」
「運動神経はかなり良い人なんで、多分、大丈夫……だと思います」
「まっ、てめえの彼女二人や渚の友達の姉の方なんかは、そこらの男よかよっぽど戦力になりそうだからな。おめえがそう言うんなら、問題ねえんだろう……」
さりげなく俺が二股野朗にされていた。
両方彼女じゃないと訂正しようかと思ったが、余計ややこしくなりそうなのでやめておく。
「とりあえず、これでいいだろう。てめえの打順を5番にする以外はな」
そう言って秋生さんは俺に草案を返してきた。
ちなみにここに書いた5番は……春原さんである。
4番でエースでないとごねそうなので、クリーンナップの5番ならいいかなと思ったんだが……。
「俺が5番……ですか?」
「当然だ。俺がもし敬遠されちまったら、いったい誰が代わりに打つんだ?」
「……」
確かにその通りだ。
ここ数年負け越している理由の一つは、秋生さんが敬遠されるとまったく点が取れない事にある。
今年も例えチャンスで秋生さんに回ってきても、徹底して敬遠策でくるはずだ。
だがそれは、逆にランナーが一人増えチャンスが確実に広がるとも言える。
とすると、実質5番の出来こそが勝敗を分けると言っても過言ではない。
「最終的に決めんのは、監督の俺だ。てめえはいらん気を使わなくていい」
それしかないか……。
春原さんもけっして悪くはないんだが……サッカー以外だと、どうもダメな所しか発揮出来ない人みたいだし。
そういえば、相方の岡崎さんの方も心配ではある。
「あの、岡崎さんは大丈夫なんですか?」
「あん?9番・ファーストだろ?それとも、6番くらいにしとくか?」
ついに春原さんは9番になっていた。
「いえ、むしろプレイ出来るのかなって……?」
「あいつのハンデの事なら知っている。だが、だから何だ?まったくやれねえ訳じゃねえし、練習でもそれなりにやれてただろ」
「それは……まあ……」
「肩を壊して左投げに転向した奴や、隻腕のメジャーリーガーもいたんだ。問題ねえよ」
相変わらず言ってる事は無茶苦茶だが、秋生さんの表情は真剣その物だった。
それで何となく理解する。
これもまた、愛娘の彼氏に対する試練なのだと……。
てか、メンバー集めからゾリオンから、丸ごとそれが真の目的だったんじゃないかと思えてきた。
まあ、他の皆楽しめてんだから、それでいいんだけど……。
「じゃあ、こんなトコですかね……」
「ああ。今日は勝つぜ~!」
「それでは、必勝祈願に新作パンを作ってみたので、お二人で試食してみて下さい」
そろそろ切り上げて帰ろうかと思った所で、打ち合わせが終わるのを待っていたかの様に、出来立てのパンの乗ったトレーを持って早苗さんが現れた。
そうか……学校が休みなんで忘れてたが、今日は月曜だったな……。
見たところは普通の丸いパンだが、それだけに中がまったく予想出来ず不安だ。
「名付けて、『たまたまカツパン』です!」
たまたまって……必勝祈願は!?
つっこみたい所だが、その女神の如き笑顔の前では、俺はあまりに無力だ。
恐らくこれから一週間、毎日食べる事になる物なので、まずは試食させてもらうとしよう。
「いただきます!」
「いただきます」
二人して大仰に手を合わせ、食材への感謝と共に例え何であろうと食う事を天に宣誓し、神仏に祈りながらそれを口に運んだ。
「こ、こいつは……!?」
俺達は一口かじって唸りながらその中を確認し、驚愕する。
柔らかいパンの中にはソースのたっぷりかかったサクサクの衣。
そして、その中には甘くなるまでよく炒められた玉葱のみじん切りと、もっと甘くサクサクした丸い物が入っていた。
これは……クッキー?
いや、この口に入れただけで融けていく柔らかな食感は、まさか……タマゴボーロ!?
たまねぎの“たま”とタマゴボーロの“たま”で“たまたま”か!!
うわぁっ……味は食えない程じゃないが、残念感が半端ねえ!!
ボーロの甘ったるさで、玉葱の甘さ死んでるし!!
てか、普通の卵でいいじゃん!!
ゆで卵とか目玉焼きとかタマゴサラダとか色々有る中で、何故タマゴボーロをチョイス!?
ひょっとして、ボーロがボールと語感が似てるからか!?
いらないよそんなダブルミー二ング!!
何より、カツなのに肉はどうした~~~!?
「い、いいんじゃねえか?肉無しのカツってのもヘルシーで……なあ?」
さすがに苦笑しながらも、秋生さんは同意を求めてくる。
いや……でも……これは……カツと呼ぶのは詐欺なんじゃ……?
玉葱のカツ自体は串カツとかで定番だから有りかもしれんが……。
「えっと……“玉葱カツパン”がいいんじゃ?」
「たまねぎカツパンですか?でも、それだとタマゴボーロが入っている事が不自然ではありませんか?」
はい!不自然です!!
「たまごの“たま”だけでなく、“ボーロ”の方も野球の“ボール”とかかってるんです」
それなら、野菜とキュウリとか、野球の“や”と“きゅう”でかけて下さいよ!!
「じゃあ、“玉葱と卵ボーロのカツパン”で……」
「少しネーミングが長過ぎる気がします。“たまぼーろカツパン”でどうでしょう?」
もうほとんどタマゴボーロ!!
早苗さんも何気に頑固なトコあるからな……概ね新作パンに関してだが……。
やはり俺ではこの人に太刀打ちできん。
すまない……俺はまた世界を救えなかったよ……!!
「もう元の“たまたまカツパン”でいいです……」
「球だけに、たまたま~なんちゃって~」
それが言いたかっただけなんじゃ!?
必勝祈願どころか、本当に今日の試合は大丈夫なのか?と不安になっただけだった。