第二章 5月1日 天使vs狩猟者 第ニラウンド
ピピーーー!!
ピッピッピーーーーーー!!
ゴールを告げる笛と試合終了を告げる笛が続けて鳴った。
たった一蹴。
それだけでこの場に居合わせた全ての人間は魅了され、そして感じた事だろう。
これが“坂上智代”なのだと。
そして俺は、ただこのシーンを作り出す為だけに天に配されたに過ぎない。
あるいは……俺がサッカーをやってきた事すらも……。
熱狂、興奮、歓喜。
大歓声の中、奇跡の大逆転ゴールを決めた少女はたちまち仲間と、コートに雪崩こんだギャラリーに囲まれ祝福を受ける。
その人の波に逆らうようにして……俺は独りコートを去った。
5月1日(木)
今日も朝刊を配り終えた俺は、“あの場所”でぼんやりと色あせた空を眺めていた。
報われたのだろうか?
続けてきた無駄な努力が。
他に使い道もないと思っていた物が。
『あいつを守れたんだから、本望じゃないか』
そう何度も自分に言い聞かせ、納得させようとする。
だが、その度にあいつの最後のシュートが思い出され、胸に空いている穴に沁みた。
あの瞬間、あの一蹴で、悟った。
負けなければいいと思っている者と、勝利に拘る者の差を。
ずっと負け続けてきた者と、これからも勝ち続ける者差を。
何も得られない者と、全てを得られる者の差を。
この先、俺とあいつの道が交わる事は無い事を……。
「あンた、背中が煤けてるぜ」
不意に、背後からドスを利かせた意味不明な台詞が降ってきた。
「“泣いている”とかじゃなくて?」
「あれ?似た様な意味じゃないの?まあ、どっちでもいいわ」
さして興味も無さそうにとぼけながら、朱鷺戸は長い髪をふわりと浮かせながら俺の隣に腰掛ける。
何でこいつがここに……?
とは不思議と思わなかった。
むしろ以前にもここでこいつと会っていた様な……そんな既視感さえ覚える。
まったく、何処にでも現れる奴だ。
「とても奇跡の逆転勝利をやってのけた立役者の背中には見えないわね……て言うか、昨日は何で先に帰っちゃったの?探してたわよ坂上さん」
「別に……役目を終えたから帰っただけだ」
「それならそうと前もって言ってくれたらいいのに」
「いや、予告してどうすんだよ……」
わかってるんだか、わかってないんだか……。
少し和まされてふっと軽く鼻で笑う。
「苦手なんだよ……ああいうの」
「苦手って?」
「勝った後の馬鹿騒ぎみたいなの……別に嫌ってんじゃないが、なんか冷めちまう」
「まあ、確かに点取った時の春原先輩のはしゃぎっぷりは、さすがに私もひいちゃったけど……」
朱鷺戸の頭にはおもいっきりジト汗が浮かんでいた。
あの人のはもう、点をとったらその後のパフォーマンスまでがルーチンになってんだろう。
ルーチン……か。
「FWは点を取った喜びを素直に表に出す事で、その快感を糧にしてるんだろ。でも、DFはいちいち1つのプレイに一喜一憂してられんからな……直ぐ気持ちを切り替える癖がついちまってんだよ。まあ、性分もあるんだろうが……」
「ああ、なるほど。それは一理あるわね……」
一度は納得してぽんと拳で手のひらを叩いた朱鷺戸だったが、何かに勘付いたかいきなり座ったままかがみこみ、下から覗き込む様にしてジッと俺を見つめてくる。
「ひょっとして……勝った事、後悔してる?」
鋭い御指摘。
それっぽい事を並べて煙に撒こうと思ったが、やはりこいつには気付かれたか。
「まあな……サッカー部の面子を完全に潰す必要は無かったはずだ」
「そう……」
素直に肯定すると、朱鷺戸はふっと微笑み、灰色の空を見上げる。
「心配してるのね。坂上さん達の事」
「……そういえば、俺が帰った後どうなったんだ?」
「それが、あの後直ぐ騒ぎを聞きつけた先生が来て、礼もしないまま解散させられたわ」
「そうか」
「ホント、狙ったようなタイミングで現れたのよね~、一体誰が教えたのかしら?」
「さあな」
白々しく顎に指を当て考える振りをしてから、ニヤついた視線が戻ってくる。
まあ、実際チクッたのは俺じゃあないし。
しかし、それにしても……、
「そんなに気にする必要無いと思うわよ。あんな凄い試合を見せられたら、誰だって坂上さんを認めざるをえないでしょうし。サッカー部だって、これ以上係わり合いになろうとは思わないんじゃないかしら?」
「……」
「でも、オーキ君らしいけどね。そういう・と・こ・ろ」
どうしてこいつはこんなに俺の事を知っているんだろう?
立ち上がって振り返った笑顔は、からかいながらも優しい。
気心の知れたダチといるような気安さと、居心地の良さ。
それでいて、早苗さんのように俺の心の機微まで理解してくれているような……。
ようするに……俺は“癒されてる”んだ。
まだ出会ったばかりの、よくわからない謎の少女に……。
こいつと居ると、凄く“楽”と言うか、“安らぎ”を感じる。
てか……確か昨日……告られた……んだよな?
状況が状況だけに、いまいち真意は掴めんが……少なくとも好意はもたれていると思う。
なら……もう、こいつと付き合っちゃうか?
改めて目の前に立つ朱鷺戸を値踏みしてみる。
……うん、コンマ一秒で答えが出た。
『ケチのつけようがねえ』
顔もスタイルもそこらのアイドルよか上だし、頭もいいし話も合う。性格はちょっと変だが、俺も変人扱いされてきた人間だ。むしろそこも丁度いい。何より俺を理解してくれている。
完璧じゃないか!
それ以上の何を望む?
もちろん、出会ったばかりでわかっていない事は多いが、そんなの瑣末な事だ。
お互いを想う気持ちさえあれば、解決出来るだろう。
ただ……あの発作みたいなのが一抹の不安ではあるが……。
……っとまあ、オチがついた所で妄想はこれぐらいにしておこう。
「さて……そろそろ帰るわ。昨日はありがとな。助かったよ」
踏ん切りつけるべく、礼を言いながら立ち上がると、前に立つ朱鷺戸を追い抜き背を向ける。
「お礼なんていいわよ。見てたらあたしもやりたくなったから、自分から買って出たんだし」
「……おかげで大分楽になった。サンキュ」
過去と現在、二重の意味合いを謝辞にこめ、後ろ手を振った。
学校では、昨日の試合の話題で持ちきりだった。
幸い、話題の中心は劇的な決勝点を決めた智代と、ハットトリックを決めた春原さんだったので、たまに思い出したように『凄かったね』と話しかけられるだけだったが、煩わしい事にかわりない。
「川上君、やっぱり凄いね……私、感動しました」
そうお隣の仁科さんに言われた事だけは、悪い気はしなかったが……。
昼休み、俺は宮沢に会いに資料室に向かった。
昨日の事で、彼女にも色々動いてもらったしな。挨拶の一つでもしておこう。
すると、その資料室の方から黒いカチューシャをつけた髪のやたら長い娘がやってくる。
話題の“ミラクルシューター智代”だ。
「オーキ!」
俺に気付き、嬉しそうに駆け寄ってくる。
見つかった!
いや、別に避けてた訳じゃないが……。
どうせ昨日の事とか詰問されるんだろうと思うと、ちょっとメンドイ。
などと思っていたのだが、
「オーキ!……ってしまったーーーーーーー!!」
ズザザーーー!
走ってきていきなり目の前で崩れ落ちた!
一瞬、ヘッドスライディングでもしてくるのかと思ったよ。
何だ!?
何が起こった!?
「おい、どうした?大丈夫か?」
この異常な事態に俺も心配になり、片膝をついて彼女の背に手を置く。
「オーキ……それがな…………」
潤んだ瞳で何かを言いかけるも、智代は口をつぐんで語ろうとしない。
「どうした!?」
「……すまないオーキ……私と一緒に来てくれ」
肩を揺すって強く促すと、ようやく彼女は俺に寄りかかりながら立ち上がる。
そうして、彼女に腕を掴まれ連れてこられたのは……目当ての資料室だった。
「あら、坂上さん早かったですね……ああ、川上君もご一緒でしたか。いらっしゃいませ~」
「やっほ~、オーキ君」
「おお……」
教室には宮沢の他に門倉の姿も見える。
何だ、三人一緒か。
「有紀寧、実はうっかり私の方から声をかけてしまったんだが……その場合はどうなるんだ?」
「それは……残念ですが無効ですね」
ズウーーーーーーーーン!
またですか!!
宮沢と謎のやりとりをした智代は、またも四つん這いに。
まったく訳がわからんが、とにかく智代は何か重大なミスを犯して落ち込んでいるっぽい。
「オーキ……」
「ん?」
ゆらりと立ち上がった智代の目が座っていた。
「何も見なかった事にしてくれ……」
「は?」
「お前は何事もなかったように一度廊下に戻り、そこで教室から出てきた私に声をかけるんだ」
仰る意味がまるでわかりません。
宮沢は苦笑し、門倉はぷぷっと噴出しそうになって口を押さえていた。
「はい、スタート!」
「……なんか立て込んでるみたいだから、また来るわ」
「はい。すみません……」
「じゃあねぇ、オーキ君」
何か事情を聞ける雰囲気でも無さそうなので、ひとまず退散する事にする。
「オモイオモワレフリフラレ……」
教室のドアを閉める際に念仏の様な物が聞こえた気がしたが、聞かなかった事にした。
ガラッ
暫く行った所で、背後から教室が開く音がした。
首だけ捻って確かめると、丁度出てきた智代と目が合う。
真顔だった。
怖ええよ!
見なかった事にしてそのまま歩みを止めず帰ろうとする。
ダダダッ!
くまさんが追ってきた!
「……」
ところが、瞬く間に追いついたくまさんは、無言で俺の直ぐ後に付いて来るだけだった。
怖くて確認出来ないが、無茶苦茶怒ってるのは発する“気”でわかる。
何だ?
これ何てプレイ!?
「ああ、もう、さっきから一体なんだよ?」
「……それは、私に話しかけたのか?」
「ああ、そうだよ」
観念して話しかける。
正しくは話しかけさせられただが。
だが、それで魔女の呪いでも解けたのか、鬼の形相が見る間に無邪気な天使の笑顔に変貌していく。
「そうか……何か用かオーキ?」
そしてデレた!
俺の左腕に自分の腕を絡ませ、嬉しそうに身を寄せてくる。
一体何がしたいんだ……!?
空いてる右手で痛くなった頭を押さえる。
そういえば……宮沢は何か“まじない”が得意だとかで、たまにやってたな……。
呪文みたいの聞こえたし、どうやらそれっぽい。
「いや、お前に用があるんじゃないのか?」
「ん?……そうだ!どうして昨日、試合が終わって直ぐに帰ってしまったんだ!?」
ようやっとその質問ですか……。
何と言うか……メンドイとか思ってすみませんでした。
「別に居る必要無いだろ?元々俺は部外者なんだし」
「必要なら有る!お前のおかげで試合に勝てたんだ。それなのに、本来なら一番賞賛されるべきお前が居ないなんて、おかしいじゃないか!そもそも、お前は部外者じゃない!立派な関係者だ!」
真摯な表情が間近に迫る。
彼女にとっては、受けるべき賞賛を受けない事もまたフェアではないと言う事なのだろうか?
「それに……私は誰よりお前と喜びを分かち合いたかったんだ!サッカーでは点を決めたり試合に勝った時、仲間と抱き合ったりする物なんだろう?お前とはまだしてないじゃないか!」
真面目な話かと思いきや、いきなり子供みたいに拗ねだした!
……嫌な予感がした。
てか、もう捕まってるから避けようがないんだけどね……。
まさか腕を組んできたのも、初めからそれが狙いか?
「いや、だから、そういうのが恥ずいから逃げたんだ」
苦し紛れに本音を吐露する。
だが、生まれながらの狩猟者である智代さんは、恥じらいながらも攻勢を弛めようとはしない。
「それは……私だって人前じゃ恥ずかしい。でも、今なら誰も見ていないじゃないか」
「てか、そういうのはその場の勢いでやる物だろ。一日経ってやる物じゃない」
「だから、私はその場でやりたかったんだ。それなのに、逃げたお前が悪い」
腕を絡め捕られたままじりじりと端に追いやられ、ついに右腕が壁に接する。
こうなっては是非も無し。
目をつぶって右手を握り、覚悟を決めた。
「わかった。ちょっとだけだぞ!」
「えっ!!」
おもむろに左腕を腰に回し、巻き込むようにして抱きしめ頭に右手を添えてやる。
「んっ……」
直ぐに智代も両手を力強く俺の背に回してきた。
必殺のベア八ッグだ。
正直痛いが、その痛みが蕩けてしまいそうな心と身体を正気でいさせてくれる。
「……オーキ……ありがとう」
「ん、まあ……よくやった」
暫し健闘を称え合った後、智代のおまじない完遂の為の校内一周に付き合わされた。
行く先々で智代は芸能人の如く囲まれ、皆口々に選挙の応援を約束していく。
まあ、それは別にいいのだが……。
「川上先輩も頑張って下さい!」
たまに俺も一緒に応援されるのは何故だろう……?