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皇帝と赤い服の男
作:矢車



【14】


 
 思わず、ナポレオンは目をこすった。事実、夢なのかとも思った。
 赤いフロッグコートに白タイツ、そして刺繍入りの靴。かの頃の格好と違ったのは、かつらを着けていないことだ。彼の自毛は、キラキラと輝く白色、あえて言い表すとするなら、銀髪とでも言えるものだった。彼は、肩くらいまである長い銀髪を、後ろに垂らしている。
 間違いない。この男は・・・・・。ナポレオンは思った。あの、赤い服の男だ。
 「ふふ、我輩が手にかけたあなたがお迎えとは、皮肉なものだ。それとも、我輩は、もう死んだのかな?」
 ナポレオンがそうつぶやくと、男は言った。
 「いえいえ、私はあの世からのお迎えではありませんし、ここがあの世というわけでもありませんよ、陛下」
 かつてと変わらない物腰。それこそが、今目の前にいる男が、赤い服の男である証拠だ。ナポレオンは、驚愕の顔を覗かせた。
 「バカな?!あなたは、間違いなく死んだはず。いや、我輩が確かにこの手で・・・・」
 「殺したはず、と?」
 「・・・・なぜ、生きている?」ナポレオンは、相変わらず不敵な態度を取る赤い服の男に問いかけた。すると男は指を一本立ててその質問に答えた。
 「確か、いつぞや話したと思うが」男は、泳がせていた目をナポレオンに向けた。「私は、死なない。たとえ、首を刎ねられても。如何な権力でさえも、私に死を賜うことは出来ないのだ。ま、もっとも」
 男は、コホンと咳払いしてから続けた。
 「もし、この世界に『神』なるものがいたとして、その者が私に死を賜うのなら話は別だが、ね」
 にわかには信じられない話だ。首を刎ねられても生きている人間など、いようはずも無い。だが、実際にいる以上、信じるしかないのだろう。なにせ、ナポレオンの前にいるのは、あの、「赤い服の男」なのだから。
 ナポレオンは、そんな赤い服の男に訊いた。
 「一体我輩に何用だ?一体なぜ我輩の元に来た?お迎えでないとするなら、あなたが我輩に用があるとは思えないがな」
 ナポレオンの疑念はもっともである。もはや死期の近いかつて皇帝だった男を、ヨーロッパからはるかに離れた孤島に訪ねるなどどんな物好きでもしない。もしそんなことをする者がいるとするなら、それはその「皇帝だった男」によっぽどの価値があるか、あるいは訪ねる側が稀代の物好きかのどちらかだろう。
 しかも、この男の場合、一度ナポレオンに「殺されている」のである。そんなヤツが、わざわざ訪ねて来ようはずが無いのだ。訪ねてくるとすれば、それは・・・・・。ナポレオンは少し、己の来し方に思いを致したが、まあいいか、と半ば諦めかけているナポレオンなのだった。
 だが男は、そんなナポレオンを笑うかのようにカラカラと笑って、言った。
 「ん?何、バカンス、バカンス。赤道直下のこの島は、なかなかバカンスにはいいものでね。それに」
 男は、不意に真面目な顔をして続けた。
 「君の質問に答えに来た。それに、君に用があるのだ」
 え?ナポレオンは首を捻った。我輩は、何かこの男に質問をしておったのか?と。そんな、「?」が顔に書いてあるようなナポレオンの顔を認めてから、男は続けた。
 「ほら、私を『殺した』とき、君は私に質問したではないか。『子供の頃、我輩に何をした』とな。その質問に答えに来たのだよ」
 ああ、あの質問か。ナポレオンは、かつて自分が訊いた質問を思い出して、苦笑いした。
 「何を施したのだ?」
 ナポレオンがかつてした質問をオウム返しすると、男は、かつてのようにフロッグコートから金色の鍵を取り出した。以前と同じく、貴族服をまとった男の持ち物の割にはまるで装飾が無く、ただ金色なだけのものだった。
 だが・・・・・。ナポレオンは初めて見た時とはまた違う感想を持ちつつあった。
 これは、いいものだ。
 ナポレオンが赤い服の男の持つ鍵を初めて見たのは子供の砌だったから、当時はものの良し悪しを見る力はまるで無かった。だが、現在なら、その力は備わっている。なぜなら、ナポレオンは人生の色々な場面で、様々な「最高級品」と出会ってきたからである。それはもちろん、皇帝にまで登りつめた男が唯一持ちえた、一種の役得のようなものだ。
 その「ものの良し悪しを図ることが出来る」老人ナポレオンはさらに思った。
 これは、果たして人間の持っていいものなのか、と。
 ナポレオンは皇帝の頃、「これで国一国は買える」とまで言われた王冠を見て触ったことがある。その王冠は、ダイヤモンドやルビー、ラピスがふんだんに盛られている、大変に美しいものであった。
 だが。ナポレオンはその王冠を頭の中で思い浮かべつつも、思った。
 あの王冠で国一つ買えるのならば。あの鍵は世界を買ってもなおオマケがくるのではないか、と。
 まったく美しくも無く、なんの来歴も無さそうな鍵であったが、目の利くナポレオンをしてそう思わせるだけの『力』が、男の鍵にはあったのだ。
 ナポレオンは、そんな鍵を、まるで何か神々しいものを見るような目で見つめ続けた。すると、男は笑って言った。
 「へえ、君にもわかるようだね。この鍵の価値が」
 ナポレオンは答えた。
 「いや、どういった意味合いで価値あるものかは見当もつかない。だが、価値のあるものだ、ということくらいはわかる」ナポレオンは、まるで鍵の放つ光に目がくらんだかのようにまたたきをしてから続けた。「これは、世界すら買える。もし、我輩が世界の支配者だったとしたら、これをあなたから買い受けるだろうね」
 すると、赤い服の男はニコっと笑った。
 「ええ。確かに。この鍵には世界を買えるほどの、いや、それ以上の価値があるものだろうね。だがね」赤い服の男は、長い銀髪をかきあげてから言った。「これは、あなたには使いこなせないはずだね。いや、絶対に使いこなせない」
 「ふ、言いよる」ナポレオンは苦笑いした。もはやかつてのように、我が身にかかった侮辱に食って掛かるほどにナポレオンは若くなかったし、破格の人間ではなくなっていた。それがため、結局普通の老人が若い者に馬鹿にされたときのような反応しか出来なくなっていた。
 そんなナポレオンに気づいたのか、赤い服の男は言い訳をした。
 「あ、いえいえ。あなただから出来ない、と言っているわけではまったくない。逆のことを言うのなら、世界中を歩き回っても、私しかこの鍵を使いこなせる人間には出会えないだろうからね」
 そう言い訳する男を見て、ナポレオンは苦笑いの程を深くした。
 「それは結局、我輩には使えない、つまりは我輩にとっては無用の長物、ということではないか」
 すると、男は声を出して笑った。
 「それは、その通りなのですがね」
 ナポレオンも、痛む胃を気遣いながらも、笑った。笑いが収まると、ナポレオンは訊いた。
 「で、その鍵は何に使うのだ?正確には、その鍵で、我輩に何をした?」
 「その質問に答えるには」と、男はそう前置きして答えた。「まずやらなくてはならないことがあるんだ」
 「そうか、では、早くしてくれんか」ナポレオンは、また苦笑いを浮かべてから続けた。「で、なくば、質問の答えを聞くより先に、我輩の魂が死神に持っていかれてしまうものでな」
 「はは、違いない」赤い服の男は、そう言ってカラカラと笑うと、右手に持つ鍵を握った。













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