この物語は太平洋戦争が始まる少し前の出来事。
まだ寒い冬のある日、一面雪景色の広島県呉市の丘の上に建つ一軒家の中で一人の少女が夕飯の準備をしていた。
落ち着いた物腰をしているが、まだまだ幼い乙女のような少女だ。そんな少女の胸に掛けてあるペンダントが煌く。これは彼女の兄が去年の誕生日プレゼントに買ってくれたもので、とても大切にしている。そんな宝物を見ながら少女は鍋に調味料を加える。
「ただいまぁ」
そこへ玄関を開けて一人の少年が入って来た。少年は日本海軍の軍服を着こなしているが、まだ訓練生。そんな彼の帽子や肩には雪が積もっていた。
「お兄ちゃん!? 大丈夫!?」
そこに先程の少女が慌ててやって来た。
「ほら、服を脱いで。風邪引いちゃうよぉ」
「うん。ありがとう――翔香」
翔香と呼ばれた少女は「ほら早く」と彼の私服を持って来る。少年は風呂場の前でその服に着替える。脱いだ軍服を自室の壁に掛ける。その軍服の胸にはネームプレートが付いていた――長谷川翔輝航海訓練少尉、と。
少年――翔輝が着替え終わって居間に行くと、そこにはちゃぶ台の上に温かい夕食が待っていた。
「お腹もうぺこぺこだよぉ」
翔輝は嬉しそうに自分の席に着く。そんな翔輝の反応に翔香は嬉しそうに笑う。
「良かったぁ――今日は寒いからお鍋にしたんだよ」
「へぇ・・・お、今日は土手鍋(広島県の郷土料理)か」
「うん。瑠璃ちゃんが今日いっぱい食材を送ってくれたんだ」
瑠璃とは二人のいとこで、翔輝の幼なじみ、そして翔香と同い年の彼女の親友である少女の事だ。彼女は広島県でも指折りの裕福な貴族である霞家の一人娘で、よく色々な物を送ってきてくれる。
「瑠璃め、またそんな事を・・・」
「瑠璃ちゃんを悪く言わないでよぉ」
翔香は唇を尖らす。それに対し翔輝は苦笑い。
「だってよぉ、まだこの前送ってもらった物が結構残ってるだろ?」
「うん。まぁ・・・」
瑠璃と言う少女は手加減を知らないので困る。だが、それでも大事な友であり家族のようなもの。それに文句の言える立場でもない。
「お兄ちゃん、まだ訓練生だから給料ももらえないしね」
翔香はあまり気にしなく言ったが、それは翔輝の心に見事に命中した。
「うぅ、ごめん。僕がまだ半人前だから」
翔輝が落ち込んだ事に翔香は慌てる。
「ご、ごめん! そんなつもりで言ったんじゃないんだよ」
「いや、事実だし。間違ってないから」
「ごめんなさぁいっ!」
落ち込む翔輝を励ますが、撃たれ弱い彼はそう簡単には戻らない。
「お兄ちゃんごめんね」
「いいってば。それより早く飯を食べちゃおうよ」
苦笑いで言う翔輝に翔香はうなずく。
「うん。そうしよう」
翔香は茶碗にご飯をよそって翔輝に渡し、自分のも用意する。そして、
「「いただきます」」
二人は手を合わせてそう言い、箸を持つ。翔輝は早速土手鍋のメインであるカキを口に入れる。そして、
「うん。おいしい」
翔輝の反応に翔香は天使のような優しい満面の笑みをする。そして自分もカキを口に入れて満面の笑みをする。
「おいしい」
「新鮮だね。瑠璃に感謝しなきゃ」
「うん」
その後食事は会話を交えて進み、あっという間に鍋の中身はなくなった。
満腹になった翔輝はふと横にあった新聞を見る。そこには日本軍の支那事変の中国戦線拡大や米英の日本軍中国撤退命の反対、先の日独伊防共協定をより堅固な軍事同盟に結ぶべきだという意見などで埋め尽くされていた。
「陸軍は苦労しているらしいな」
翔輝は中国戦線の日本軍と八路軍(中国人民解放軍)との戦闘の経緯が書かれた記事を読みながらつぶやいた。そしてふと社説を見る。
「なになに・・・国民世論を重視して対米英戦を主張する陸軍に対し、海軍は対米英戦に極めて消極的。特に海軍大臣米内光政、海軍次官山本五十六、軍務局長井上成美の『海軍左翼三羽』は徹底して対米英戦に反対。国民世論を無視した非国民・・・か」
翔輝は不機嫌そうに新聞をたたむ。
「何言ってんだ。陸軍が対米英戦を主張したところで特に海の向こうのアメリカにどうやってた戦うんだよ。太平洋を歩いて渡るつもりか? バカバカしい。米内大臣や山本次官、井上局長は正しい事を言ってるんだ。国力が何十倍も違うアメリカに戦争を挑むなんて、どうかしてるよ」
翔輝は山本達と同じ対米英戦反対の人間だ。三国同盟も反対。徹底した戦争反対主義者である。
「お兄ちゃん。そういう事人前では絶対に言わないでよね。非国民って言われちゃうよ」
この時代は戦争賛成主義が横行していた。だから戦争反対を唱える者は非国民と言われ、村八分状態にされるのだ。
「わかってる。これは僕の意見だ。そんなのでお前を苦しめちゃ悪いもんな」
「そうじゃなくて、私はお兄ちゃんを心配してるの!」
純粋に兄を心配する翔香の姿に、翔輝は微笑んだ。
「ありがとう。翔香」
翔輝は翔香の頭を撫でる。翔香もそうされるのが大好きだった。そんな二人を、仏壇に飾ってある父と母の写真が見詰める。翔輝の父は満州事変で、母は二年前に病死した――今は、たった二人だけの家族だ。
ささやかな幸せ。それがずっと続けばいい。そう、二人は思った。
時は一九四〇年の冬。後に日本海軍の実動部隊である連合艦隊所属の軍艦の精霊――艦魂達の心の支えになる長谷川翔輝と、その妹翔香の、最後の冬の事であった。
翌年一九四一年の春、いよいよ対米英戦賛成の世論が高まって来た頃のある日、その日翔輝は久しぶりの休日を家で満喫していた。片手にはお茶、もう一方の手には戦争賛成意見をこれでもかと埋め尽くされた新聞が握られていた。
「えっと、仏印(フランス領インドシナの略)とタイが講和を結んだか。良かった良かった」
仏印とタイは去年の終わりに武力衝突していた。それが講和されたという記事が――戦争賛成記事だらけの面の隅に書かれていた。
そんな翔輝の後ろでは翔香が彼の肩を揉んでいた。その時、
「翔輝様あああああぁぁぁぁぁっ!」
突然の声と共に玄関が開き、一人の少女が転がり込んできた。そんな少女を二人は笑いながら迎える。
「瑠璃。どうしたんだよ。そんなに慌てて」
高価な着物を着た少女――瑠璃は嬉しそうな顔で翔輝を見詰める。
「今日は翔輝様がお休みだと聞いて飛んで来たのですわ!」
相変わらず謎の諜報機関を使って情報を集めているようだ。
「瑠璃ちゃん。いらっしゃい」
「翔香。ごきげんようですわ」
女の子同士のあいさつが終わると、瑠璃は翔輝に抱き付く。
「翔輝様。今日は二人っきりでデートを満喫しませんか?」
「え? 意味わかんないんだけど、意味わかんないんだけど」
混乱する翔輝の腕をグイグイ引っ張る瑠璃。だが、そうは問屋が卸さない。瑠璃の横暴に翔香が怒る。
「瑠璃ちゃん。今日お兄ちゃんは疲れてるの。勝手に変な所に連れて行かないでよ」
それに対し瑠璃は不敵な笑みを浮かべ、
「変な所とは失礼ですわ。ちょっと赤線地帯(今で言うラブホテル街)に行ってくるだけですわ」
「絶対にダメッ!」
顔を真っ赤にして怒る翔香に、瑠璃はふふんと余裕の笑みをする。
「相変わらず極度のブラコンぶりですわね。でもあなたはまだ子供ですわ。夜を知ってるからこそ少女は大人の女性になるのですわ」
「瑠璃ちゃんだって知らないくせに!」
「ご安心を。ちゃんと勉強しますわ」
「お兄ちゃんだって童貞なんだからね!」
「それを優しく包むのが女の役――」
「何の話をしてるんだあああああぁぁぁぁぁっ!」
年頃の女の子がしていい会話のレベルをはるかに上回る話をしている二人に翔輝が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「女の子がそういう話をするなよ! って言うか翔香! お前どさくさに紛れて何とんでもない事言ってんだよ!」
本気で怒る翔輝に対し、翔香は唇を尖らせ、こう言い放った。
「だって事実でしょ?」
「う・・・」
彼女いない歴十六年の翔輝にとって、それはとどめの一発だった。その変わりようはまるで萎れた花のように力を失うものだった。
「好きで彼女がいない訳じゃないよぉ・・・」
翔輝だって十六歳の青春真っ盛り。興味がないなんて事は絶対にない。だが、少年の想いと現実は常に反比例。それが世の中であった。
落ち込む翔輝に、瑠璃はまるでお姉さんのように彼を包む。
「安心してほしいですわ。私が、翔輝様を包んで差し上げますわ」
「・・・瑠璃」
「――って、お兄ちゃん!? 何で瑠璃ちゃんと抱き合うのよ!」
桜色の空気が漂う二人の間に入って翔香が怒る。そんな翔香を瑠璃は不機嫌そうに見る。
「今回は私の勝ちのようですわね」
瑠璃は不敵に笑った。いや、勝ちって何?
「る、瑠璃ちゃん・・・さすがの私もこれは許す事ができないよ・・・絶対、許す事が、できないよ」
魔物のような声でつぶやくと、翔香は背中に手を回した。再び両手を前に出した時・・・そこには――トンファーが握られていた。
「――って何でトンファーッ!?」
「ひ、卑怯にもお兄ちゃんの心の隙に入り込んでお兄ちゃんをいいように操り、お兄ちゃんに抱き締めてもらうなんて夢のような事をしてもらうなんて・・・瑠璃ちゃん、この制裁はちゃんと受けてもらうから」
翔香はトンファーを構える。
「ふん・・・望むところですわ・・・」
瑠璃は不敵に言うと、着物の背中に手を入れる。そこから――竹刀を取り出す。
「竹刀!? どこにそんな物入れてたんだよ!」
それぞれ武器を持った翔香と瑠璃が対峙する。え? 何これ?
「いつか・・・こういう日が来ると思ってたよ・・・」
「えぇ・・・私もですわ・・・」
部屋の空気が緊迫していく。翔輝は混乱したまま二人の顔を交互に見詰める。な、何が始まるの・・・?
「覚悟おおおおおぉぉぉぉぉっ!」
「霞流奥義! 雲霞紅龍激いいいいいぃぃぃぃぃっ!」
裂帛の気合と共に二人は間合いを詰め、互いの武器を相手の体に叩き込む。
「うおおおぉぉぉいっ! 二人とも一体何やってんだっ!? 何やってんだよっ!?」
何度か互いの武器を打ち合い防ぎ合った後、二人は一旦間合いを取る。その攻防は完全に本気だった。しかもかなりハイレベルで、止めようと思っても止められるものではない。
翔香と瑠璃は呼吸を整えながら、睨み合う。
「さすがね、瑠璃ちゃん・・・」
「翔香も、やっぱり強いですわ・・・」
じりっ、そ二人の足裏が畳を滑る。無意味な緊迫感が高まっていく。
「最後に・・・一つだけ聞いてよろしいですか?」
「何?」
「もし、違う出会い方していたら、私達は友達になれましたでしょうか?」
瑠璃の問いに、翔香は天を見上げる。その顔は寂しげなものがあった。
「そうかも・・・しれないね・・・」
「な、何言ってんだ!? お前らは現在進行形で友達だろっ!? 親友だったんじゃないの!?」
ニッと男前な笑みを浮かべる翔香と瑠璃。そして――死闘は再開される。
「ふわっちゃあああああぁぁぁぁぁっ!」
「霞流奥義! 煙霞痼疾うううううぅぅぅぅぅっ!」
「うわあああああぁぁぁぁぁっ! だ、誰か、誰か助けてくれえええええぇぇぇぇぇっ!」
翔輝は戦闘状態の翔香と瑠璃から逃げるようにして家から飛び出した。
もうダメ。僕の力ではあの死闘を止める事はできない・・・帰って来る頃には無事に片が付いているよう神に祈るしかない。と、
「これは翔輝様。どうされたのですか?」
家の前に停車してあった霞家自家用車である外国産の高級車のを磨いていた老紳士のような人が声を掛けてきた。翔輝も知り合いの瑠璃専属の執事を務めている神鳴だ。
これは天の助けか。翔輝は彼にすがった。
「神鳴さん! 二人を止めてください!」
「ど、どうされたんですか?」
「家の中で翔香と瑠璃がハイレベルな死闘をしているんです!」
「な、何ですって!?」
「とても僕には止められません! 神鳴さん! 二人を止めてください!」
「わ、わかりました!」
これであの激戦は終戦する。翔輝は安心して胸を撫で下ろした。こんなやり取りを聞くまでは、
「直ちに霞家親衛隊を要請する! 場所は長谷川家! お嬢様の身の安全を絶対条件にするんだ! それ以外のものは全て排除しろ!」
神鳴は車載無線でそう命令した。ちなみに、霞家の親衛隊は日本陸軍のエリートが集結した最強実働部隊の事だある。
「そ、それはダメエエエエエェェェェェッ!」
少年の悲鳴が天高く響く春の平和(?)な日だった。
その後、日本陸軍から買い取った十数両の霞家親衛隊所属の九七式中戦車に長谷川家が包囲されるまで、二人の死闘は続いた。
こんなちょっと危ないけど、それでも幸せな日々がずっと続けばいいと翔輝は思った。この幸せを守る為に彼は軍人になった。大切なものを守る為に人は戦う。それが巨大化したのが国同士の戦争だ。その中には人の数ほどの物語があり、守るものがある。翔輝の守るものも、そんな一つなのだ。
幸せが続くように強くなる。それが彼の想いだった。
でも、運命とは残酷なものだった。
数ヵ月後、翔輝は自分の運命を呪う事になる。それは・・・
翔輝は走っていた。
海軍学校を飛び出して市街を全速力で走っていた。
頭の中はグチャグチャだった。涙が止まらず、後から後からと溢れてくる。先程入った事を信じたくない。でも足は止まらずに進み続ける。
十数分前、学校の休み時間に同期の者と話していた時に教官から知ったその知らせ。
――翔香が・・・倒れたと・・・――
翔輝は転びそうになった足を引きずって持ち直して走り続けた。
もう何も考えられない。今は全力で走るだけだった。
頭の中にあるのは翔香の優しい笑顔だった。他にも怒った顔、泣いた顔、恥ずかしそうな顔、たくさんの彼女の表情が流れていた。
「翔香・・・っ! 翔香ッ! って――うわっ!」
翔輝はつまずいて顔面から転んだ。まわりの人が変な物を見ているような目で見詰めるが、翔輝は気にせずに立ち上がって再び走り出した。
何度も壁や地面に激突するが、そんなのどうでも良かった。ともかく走る。彼はそれだけを実行した。
「翔香! 翔香あああああぁぁぁぁぁっ!」
翔輝は泣き叫びながら走り続けた。
目的地の――呉中央病院へ・・・
「翔香ッ!」
翔輝が病室に駆け込むと、そこには瑠璃と彼女の両親である叔父と叔母、神鳴、医師と看護婦、そして――ベッドで横たわっている翔香がいた。
「翔香・・・」
翔輝は急いで彼女に駆け寄ると、翔香は苦しそうに顔をゆがめ、脂汗を大量に出していた。
「翔香! 僕だよ!」
声を掛けると、翔香は苦しそうに目を開ける。しばらく生気のない瞳で虚ろとしていたが、兄の姿を見つけると、精一杯笑った。
「お、おにぃ・・・・ちゃん・・・」
「翔香。しっかりしろ!」
泣きそうな顔で翔輝が言うと、翔香は嬉しそうに笑う。
「お兄ちゃん・・・泣かないでよぉ・・・私は大丈夫だから・・・」
そう言うが、翔香は辛そうに再び目を閉じる。
「翔香・・・っ!」
「眠っただけです」
医師の男言う。翔輝はほとんど反射的に彼の胸倉を掴んだ。
「先生! 翔香はどうしたんですか!?」
「わ、わかりません」
「わ、わからないって・・・あんたそれでも医者かよ!?」
「わからないものはわからないのですっ。原因不明なんですよ。原因がわからない以上、こちらも何もできないんです!」
医師も必死に訴える。彼はこの病院に赴任したばかりの新人だが、誰かを助けたいという想いは誰よりも強い。だからこそ幼い翔香の命を助けたい。
――だからこそ、辛いのだ・・・
医師の言葉に、翔輝はその場に崩れ落ちた。虚しく床を見詰め、脱力し切った体は微動だしない。そんな彼の肩を瑠璃が抱き締める。そんな彼女の肩も小刻みに震えていた。そんな彼に医師は聞く。
「前兆のようなものはなかったんですか?」
「わ、わかりません・・・。僕は海軍学校の訓練生ですから、家を空ける事も多くて・・・」
「・・・そうですか」
翔輝の言葉に、医師は辛そうな声で――静かに言った。
「この衰弱ぶりから見て、今夜が峠でしょう・・・」
「そ、そんなっ!」
翔輝は泣きながら医師に掴み掛かった。
「先生! 何とかならないんですか!? 翔香の命を救ってください! お願いします!」
翔輝の訴えを医師は辛そうに聞く。が、
「原因がわからない以上、私達にも何もできないんですよ・・・っ!」
医師の言葉に、翔輝は崩れ落ちた。震える瞳で隣にいた看護婦を見るが、彼女も力なく首を振るだけだった。
翔輝は・・・世界が終わったように感じた。
父や母が死んだ時も、こんなにはならなかった。それはそうだ。父は幼い頃に死に、母が死んだ後には翔香がいた。でも――今度は、何も残らない。
翔輝は泣き叫ぶしかなかった。全員が全員翔輝を見ていたから、気が付かなかった。
一筋の雫が、翔香の瞳から流れた事を・・・
その夜、翔輝は二人きりにしてほしいと頼んだが、瑠璃だけはそれに応じず、結局病室には翔輝と瑠璃、そして翔香の三人が残された。
「お兄ちゃん・・・何で・・・泣いてるの・・・?」
嗚咽しながら泣く翔輝の頬を、翔香はそっと撫でる。そんな彼女の手を翔輝は強く抱き締める。その隣では瑠璃も泣いていた。
翔香は小さな声で、ハッキリと言った。
「私・・・死ぬんだ・・・」
「そ、そんな事・・・っ!」
「ううん・・・私にはわかる。自分の体は、自分が一番わかるから・・・」
翔香の言葉に、二人は何も言い返せなかった。それが、肯定の意味だった。
翔香は右手で翔輝を、左手で瑠璃の手を握った。
「私ね、本当は死にたくない。死にたくないよぉ・・・っ!」
翔香は泣きながらそう訴えた。その悲痛な叫びは、翔輝を泣き叫ばせた。
「ぼ、僕が・・・っ! 僕がちゃんとしていなかったから・・・っ!」
自分を責める言葉を並べる翔輝に、翔香は首を振る。
「そんな事ないよぉ。お兄ちゃんは何も悪くない。悪くないんだよぉ」
「違う! 全部、全部僕が悪いんだぁっ!」
悔しそうに唇を噛む翔輝に、瑠璃は何も声を掛けられなかった。だが、翔香は優しく声を掛ける。
「お兄ちゃん・・・ありがとう」
「え?」
「私のお兄ちゃんでいてくれて・・・いつもそばにいてくれて、いつも励ましてくれて・・・たくさんの思い出をくれて――ありがとう・・・」
「翔香・・・っ!」
「お兄ちゃん・・・」
翔香は満面の笑みを浮かべた。
「――大好きだよ」
その言葉に、翔輝の泣き声はより一層強くなった。
次に翔香は自分の親友である瑠璃を見る。
「瑠璃ちゃん・・・今まで私の友達でいてくれて、ありがとう」
「何言ってるんですの? これからだってずっとそうですわ!」
「・・・そうだね。ずっと、友達だよ・・・」
「もちろんですわ・・・っ!」
瑠璃の言葉に、翔香は嬉しそうに笑った。だがすぐに真剣な顔になる。
「でも・・・いくら瑠璃ちゃんでも・・・私のお兄ちゃんを取ったら怒るからね・・・」
翔香の言葉に、瑠璃は泣きながら努めて不敵な笑みを浮かべる。
「それはできないですわ」
「・・・このぉ」
翔香は悔しそうに笑った。
「じゃあ、瑠璃ちゃんにお願い・・・」
「何ですの?」
翔香は悔しそうに笑いながら言った。
「お兄ちゃんは、瑠璃ちゃんにあげる」
「翔香!? 何を・・・っ!」
「だから、お兄ちゃんを・・・幸せにしてあげて・・・」
翔香の言葉に、瑠璃は泣いた。悔しそうに顔をゆがめ、言い返す。
「おかしいですわ。そのセリフは・・・普通男性に言うんですのよ」
「・・・あれ? そうだっけ・・・」
「そうですわ。本当に・・・っ!」
瑠璃の瞳から絶え間なく涙が流れ続ける。そんな瑠璃の手を握りながら、翔香は翔輝を見詰める。翔輝は涙でグシャグシャになった顔で見詰め返す。
「お兄ちゃん・・・お願いがあるの」
翔香は恥ずかしそうに――お願いした。
「抱き締めて・・・」
「あぁ・・・」
翔輝は翔香の体を起こして、しっかりと抱き締めた。その体は折れそうなほど細かった。どうしてこんなになるまで気づかなかったんだろ。翔輝は再び自分を責めた。そんな翔輝の頬に、翔香はそっと口づけをした。
驚く翔輝に、翔香は優しく微笑む。
「お兄ちゃん・・・私は星になって・・・いつでもお兄ちゃんを見守ってるからね。お兄ちゃんは一人じゃないんだよぉ」
「うん・・・っ! ありがとう・・・っ!」
翔香は、天使のような最高な笑みを浮かべ――ゆっくりと目を閉じた。
そのまぶたは、二度と開かれる事はなかった・・・
「う、うわあああああぁぁぁぁぁっ!」
「いやあああああぁぁぁぁぁっ!」
少年と少女の悲鳴に医師達が駆け込んだ時には――全てが終わっていた。
それは、一九四一年四月一日の夜の事だった・・・
その三日後、翔香の葬式が挙げられた。その間、翔輝はずっと泣き続けていた。翔香の遺影を抱き締めながら・・・
翔香を失った翔輝は自殺未遂を起こすまで精神が不安定な状態だった。だが、瑠璃がずっと彼を励まし続けてくれたおかげで、翔輝は少しずつだが元気を取り戻していった。
そして・・・
一九四一年十二月八日、日本機動部隊が米太平洋艦隊の根拠地であるハワイ真珠湾に奇襲攻撃を敢行した。
これが、長く辛い太平洋戦争の始まりだった・・・
開戦後しばらくして、翔輝は立派な海軍士官になっていた。
翔香のいなくなった傷はまだ治りきっていないが、それでも笑顔を取り戻すくらいまでは回復していた。
そんな翔輝は完成したばかりの戦艦『大和』に乗り込んでいた。
その巨体を輝いた瞳で見詰めていたが、方向音痴の彼はものの見事に艦内で迷ってしまった。
ともかく上に出ようと艦内を走り回り、ようやく甲板に出た。そこは一面雪景色で、空からは白い粉が舞い降りてきていた。そんな雪景色の中、翔輝は彼女と出会った。
これから先ずっと彼を支え、彼も彼女の支えになるという、偶然ではなく必然で結び付けられた二人。それが・・・
「・・・大和、と呼んで下さい。それが、私の名です」
風が吹き、翔輝は軍帽を押さえる。そして、軍帽を押さえた格好で翔輝は微笑んだ。
「大和、か・・・。さすが、『大和』の艦魂だな。同じ名だ」
翔輝は少女――大和に近づき、軍帽を取り上げる。軍帽の中からキラキラと輝く長い黒髪が靡く。翔輝はそんな大和の髪を、ワシャワシャと掻き乱す。
「な、何をするんですか!?」
大和は顔を真っ赤にして怒る。翔輝は微笑んだ。
「よろしくな。大和」
翔輝が言うと、大和は顔が真っ赤なのは変わらないが、それは別の意味で赤くなった。
大和は軍帽を被り直し、顔を真っ赤にしたまま微笑んだ。
「はい、少尉」
――これが、運命的な二人の、最初の出会いであった・・・―― |