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ヒポクリット
作:NAO



第二話


 人が白眼視する偽善は、他人に知られない限り偽善ではない。自分が一体、いつ、なんどき、偽善的行為をしたことで、他人に迷惑をかけたのか。
 答えは、否。
 私は逆に他人の役にたっている。ノートを貸し、課題の提出を遅らせるように先生に進言し、似合わないのに褒めて喜ばせたりと、他人に幸福を与えている。こんな私を知れば、きっと誰もが反対し、槍玉に挙げるだろう。
 しかし、私はあえて言う。他人に対する偽善は行うべき、と。
 たとえば、不細工な人間に、不細工、と言った人がいるとする。誰が不細工と言った人間をかばうだろうか。真実を語ることが善であるならば、そう言うことも仕方ないはず。なのに人は、真実を語る人間を糾弾する。そしてあろうことか、被害者と目される人物に同情する。もし、ひどいよね、と言って被害者に同情したとするのなら、それは、何に対して同情したのだろう。
 もっと詳細に言い換えてみる。
「不細工な…さんに、不細工と真実を言うなんて、…さんはひどいよね」
 おそらく同じか、もしくは近い内容になるはず。みんな分かっている。分かっているのに同情するなら、それは立派な偽善ではないのか。
「…さんは、不細工じゃないよ」
 偽善。
「気にしないで」
 偽善。
 一方で。
「性格はとってもいい」
 真実。
「これから綺麗になろう」
 過程的な真実。
 でも、真実はやはり糾弾されてしまう。慰めになっていない、と。その言葉の真意。
 不細工な人。不細工といった人。そこに必ずと言ってよいほど現れる人間。言われた人に、言った人の悪口ばかりいう人間。どうしてそればかりを言って、言われた人を慰めようとするのか。その行動の真意。
 この二つの真意こそ、不細工といわれた人に対する侮辱であり、立派な偽善として大成されている。
 つまり、慰めという一見優しい行為の発端は、不細工な人が不細工であると理解しているから、憐憫の情を寄せているにすぎない。
 ひとつの結論に達し、私はさらに回想する。
 私の中学校時代は、クラスの中で孤立しているという惨憺たる日々だった。嘘は泥棒の始まり、をかたくなに守った私は、ノートを化してといわれれば、面倒だから嫌と言い、あるとき彼氏の写真を見せてくれた女子生徒に、
「…さんには釣り合わないね」
 と、本心を言った。
 髪形がどうかと聞かれたときも、似合わない人には、
「似合わない」
 と、はっきり言った。
 嫌いな人には笑顔すら見せず、露骨に嫌な顔をした。不細工な人には、
「…さんは、顔はあまり良くないけど、性格はとても良いよね」
 と、言った。
 全て私の本心。そして、真実でもあった。なのに、私は忌み嫌われた。真実を言っているのに。嘘は泥棒の始まり。それは真理だった。嘘は、真実を語る私からクラスメイトを、評判を奪っていったのだから。
 苦難の日々を耐え抜き、中学校卒業にあたって、私は私を知る人のない土地の高校へ入学し――仮面をかぶった。
 今の私がそう。顔良し、頭良し、性格良し、加えてクラスの注目の的。これらの内二つは、偽善がくれた。性格とクラスの注目の的がそう。もともと人を見下すことに嗜好を見出し、他人より優れていることを誇りにし、人を操ることに快楽を求めていた私だから、偽善はうってつけの技術だった。中学校時代に得ることの出来なかった評判を、偽善という技術を行使することで手中にした。つまり、他人を見下し優越感に浸るのは心の中で、人を操る快感は、私を性格の良い人間だと思い込ませることで満たされている。仮面をかぶった私を、皆は完璧な人間とたたえる。みんな私にだまされている。これほどの満足感を味わえたことはない。
 私は心中で叫ぶ。
 ――人間はなんて素晴らしい動物なのだろう。
 私は思考するのをそこで止め、先生の授業に耳を傾けた。
「じゃ、先週のテストを返すぞ。今回の最高点は――」
 どうせ私。このクラスで、この学校で主席、生徒総代の私。
「九十八点、直藤」
 クラス中から、どよめきと、やっぱり、という喝采が上がった。私は満足感に包まれた。そして――
 取れない人のほうが不思議。私は百点だと思ったのに、と蔑視した。












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