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第五十話 謝罪と赦しと

長いです、今回。


 その日、朝からエリカは落ち着かなかった。


 まあ、考えても見て欲しい。勢い込んで『私も探しに行くわ!』なーんて言ってたのに、いきなり『帰ってきます』である。エリカの心情たるや大荒れもいい所だ。マリアが手紙を持ってきた日から気もそぞろ、マリアに『エリカ様、動揺しすぎやろ?』と言われる事十二回、ソニアに『エリカさま、みっともないわですわよ?』と言われること三十四回、『エリカ様……いい加減にして下さい!』とエミリに怒鳴られる事三百二十五回を数えた。

「……今日よね?」

「十四回目ですよ、エリカ様」

「あ、あう!」

「大丈夫、今日ですよ。ですから落ち着いてくださいませ。取りあえず、エリカ様が飲まれようとしているのは紅茶ではございません」

「へ?」

「それはインク壺です」

 エミリの言葉に、自らの手の中をマジマジと見つめたエリカは、慌てて手に持ったインク壺をテーブルに戻した。額には珠の汗が浮かび、それをエミリはじとーっとした目で見つめる。

「あ、あははは。じょ、冗談よ? 飲もうなんて思ってないから!」

「……それも紅茶ではございませんよ?」

「え? ……え、ええ! そうね! これは紅茶ではないわね! これはペン立てね!」

 慌てたようにペン立ても戻し、今度こそ紅茶に口をつけ『あつっ!』なんて言って涙目になりながら、犬の様に舌を出すエリカを見つめ、エミリは大きな溜息を吐いた。

「……慌てすぎです、エリカ様。落ち着いて下さい」

「……落ち着けないわよ。むしろエミリ、貴方なんでそんなに落ち着いてるのよ?」

「私も決して冷静ではありませんよ?」

「嘘ばっかり」

「嘘ではありません」

 どうです? と小首を傾げながら、エミリは両の手をエリカに見せる。

「……汗びっしょりじゃない」

「顔に出ませんので、私は」

「……可愛げ無いわね」

「そうですね。否定はしませんが……それでも緊張してますよ、私も」

 開いて見せた両手をぐっと握りこみ。

「……コータさまに何と言われるか。今まで通り、あのお優しい微笑みを向けて下さるのか。それとも、罵倒をされるのか。声の限りに罵られるのか。考えると、夜も眠れません」

「……貴方がコータに声の限りに罵られるなんて、想像つかないわね」

 そう言いながら、小さく溜息をつく。

「罵られるなら、むしろ私の方ね」

「エリカ様?」

「だって、そうでしょ? 『此処は私の領地よ!』なんてコータに大見得を切った癖に困ったことがあったらすぐコータ頼み。あまつさえ、策なんて無いって言ってるコータに向かって、何でもかんでも一人でやるのは止めてよね! ですもの」

愛想つかされて出ていかれても仕方ないわね、少しだけ寂しそうに笑って。

「……ねえ、エミリ」

「……はい?」

「その……」

 ――言いよどみ。

「……コータ、さ」


 まるで、捨て猫の様な目を見せて。


「……また、私達と居てくれるかな?」

「……どなたに伺えば宜しいのでしょうね? 私も聞きたいです」

 二人揃って溜息、のち苦笑。

「……まあ、考えても仕方ないわね」

「そうです。それに……仕事を残していれば逆にコータ様に嫌われてしまいそうですし」

「……そうね。明日はラルキアの大使も来るし、早めに仕事を終わらせ――」

「エリカさまっ!」

 エリカの言葉を遮る様。

 執務室の扉がドーンと音を立てて開き、ソニアが室内に飛び込んできた。およそ、お姫様のする行動とは思えないはしたない姿に、エリカは眉を顰め。

「……ソニア、はしたないわよ。貴方、もう少し落ち着い――」

「コータさまが! コータさまが帰ってこられました!」

 ソニアのその言葉に、言いかけた言葉を胸の奥に落してエリカが駆けた。まるで、疾風の様に。

「……はしたないなど、どの口が仰られるのですかエリカ様」

「そんな私についてくる貴方に言われたくないわよ!」

 二人して屋敷内を駆ける。後ろの方で『ず、ずるいですわ、お二人とも!』なんてソニアが騒いでるが気にしない。優雅に、エレガントに、でも全力疾走。玄関まで一息で駆けて。

「……コータ!」

 扉を開け、横付けになった馬車から丁度降りてくる、その姿。

「――あ」

 少しだけ。


 ほんの少しだけ、照れた様な。


「……エリカ、さん」


 それでも……何時もの様に、飛びっきりの、優しい笑みを。


「その……」


 柔和な、優しい笑みを。


「……恥ずかしながら、戻ってまいりました」



 エリカの心の奥を揺さぶる、声。



 聞きたくて。


 聞きたくて、聞きたくて。


 笑いかけて欲しくて、話しかけて欲しくて。


『ダメですよ、エリカさん?』なんて、少しだけ困った顔で叱って欲しくて、でも頑張ったら『よく頑張りましたね』なんて褒めて欲しくて、頭を撫でて貰いたくて、抱きしめて欲しくて。




 ――ただ、愛して、欲しくて。




 何を話そう?


 どう、謝ろう?


『御免なさい』と。


『私が悪かった』と。


『もう、貴方ばかりに頼らないから』と。


『ずっと、傍にいて欲しい』と。


 再び浩太に出逢った時、紡ごうと思っていた言の葉達は喉の奥から出てくる事もなくエリカの胸に落ちる。その、言い様の無い言葉たちが、外に出たいと胸の扉を叩き、何か言葉を紡がなければと思い、それでもそれだけでは到底足りないから、だから、だから、せめて精一杯の笑顔を見せようと、いいや、そんな事思わなくても勝手に口角があがるその気持ちを抑えきれず、ならばえいやそのままと言葉を紡ぐために口を開き、でもやっぱり何かこう、胸に残る、思い出に残る言葉を残したいと思い、でもでも、そんな作った言葉ではなく本当の気持ちで『コータ』には挨拶したいと思い、結局エリカが選んだ言葉は。


「お、おか――」


「おい、コータ。何時までお見合いをしている。さっさっと降りろ」

「……相変わらずシオンさんは全力でシオンさんですね」

「乱読でならした私だが、一つだけ読まないものがある。空気だ」

「読めない、ではないんですね?」

「当たり前だ。敢えて読まないんだよ、私は」


「え……?」


 年の頃は、浩太と同じぐらい。


 赤、というよりはオレンジに近しい長い髪をポニーテールに纏め。


『きつい』というより、『意志の強い』と評した方がいい、茶色の瞳。


 もしもエリカが日本人であるのなら、『新高山!』と評すであろう、女性を象徴する豊かな二つの双丘、加えて細くくびれた腰。


「……」

 先ほどまで照れで真っ赤に染まっていた頬を別の意味で赤く染めるエリカに、隣にいたエミリはそっと両の手で耳を塞ぐ。その仕草を、シオンを相手にしながら目敏く見つけた浩太は一瞬心の中で首を傾げ……そして、気付く。

「あ、い、いや! 違うんです!」

「……なんで」


 無論。


「誤解! 誤解ですから! え、エリカさん! 話! 話を聞いて下さい!」

 そんな言い訳、エリカに通じる筈もなく。




「……なんでアンタはどっかに行く度にポンポンポンポン違う女連れて帰ってくるのよぉ!!!」




 ――仰る通りである。取りあえず、シリアスは裸足で逃げ出したようだ。


◇◆◇◆◇◆


「……ねえ、エミリ。私はこんな時どうすれば良いのかしら?」

「僭越ながら、私も悩んでおります」

「そうよね? 悩むわよね? 私達、コータにどう謝ろうか悩んでいたのに、帰ってきたコータの傍には妙齢の美女、よ? ラルキアで一体、何をしてきたのかしらねぇ!」

「あ、いえ、エリカさん?」

「……」

「そ、その」

「……」

「…………何でもありません」

 エリカの執務室。エリカ&エミリの、まるで刺す様な視線を受けながら正座のまま浩太は一人身を縮める。これだけ緊張したのは入行二年目にヤのつく自由業の方に取り立てに行った時と……ソニアをテラに連れ帰った時ぐらいである。

「コータさまぁ~」

 正座をする浩太の足の上には子猫宜しく、くっついて甘えるソニアの姿があった。これは別に浩太に石抱をさせている訳ではなく、ソニアの感情の発露が浩太に対して『ごろにゃん』するという形で現れたに過ぎないのだが……浩太にしてみれば拷問に過ぎない。

「その……ソニアさん? そろそろ、膝の上から退けて頂ければ嬉しいのですが」

「……え?」

「いや、『え?』と言われ――あの、なんで泣きそうな顔になるんですか?」

「コータさまは、わたくしに退けろと仰られるのですか? 久しぶりにお逢いできたのに、もうソニアは要らないと、そう仰られるのですか?」

「いえ、そういう訳では無いのですが!」

「甘えても良いと、我儘を言って良いと、そう言ってくださいましたよね?」

「言いました。確かに言いましたけど! ですが、その、今上に乗られると、その、お、重みが――」

「わたくしが太ったっていうんですかぁ!」

「ええ、ええ、言われると思いましたよ! 良いです! ソニアさんは羽根の様に軽いですからそのままで良いです! ですからその泣きそうな顔を辞めて下さい!」

「えへへ。コータさまぁ~」

 浩太の言葉に、語尾にハートマークでもつけそうな勢いの甘ったるい言葉を残しながらソニアはその胸に顔をうずめ、自分の頭をぐりぐりと押し付ける。まるで猫が匂い付けをする様なそんな姿に、浩太の頬も緩むというものであろう。足は壊滅的に痛いが。

「……随分楽しそうね、コータ。そんなに正座が好きかしら?」

「そうではありませんよ! ありませんけど!」

「……え?」

「ああ、嬉しいです! 嬉しいですよ、ソニアさん!」

「……へぇぇぇぇーーーー!!!」

「いや、で、ですから!」

 パニック。いや、どちらかと言えばカオスか。

 執務室内で繰り広げられるドタバタ悲劇……喜劇を眉を顰めてシオンは見つめる。

「……当家の当主がお見苦しい所をお見せし、大変申し訳ありません。陛下の教育御指南役をお務めなされていた、シオン・バウムガルデン様でございますね?」

 そんなシオンに頭を下げながら、エミリが紅茶を差し出す。

「シオン・バウムガルデンだ。有難く頂くよ、エミリ・ノーツフィルト嬢」

「私の事をご存じなのですか?」

「エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム公爵の懐刀、ノーツフィルト家の可憐なる一輪の花、社交界のアイドル、まだまだあるぞ?」

 君が思っている以上に、君は有名人だよと笑って――笑いかけて。

「……ノーツフィルト嬢?」

「どうかエミリとお呼びくださいませ」

「では、エミリ嬢。私の目が壊滅的に可笑しくなってない以上、君が今カップに注ごうとしているのは紅茶ではなく、インクだと思うのだが?」

「コータさまにはこれで十分でしょ?」

 にこやかにそう笑んで見せるエミリに引き攣った笑みを無理やり作って……その後、大きく溜息を吐いて見せた。

「……モテる男は辛いな」

「しょうもない事言わないで下さい!」

「ふむ。まあ、このままでは話も進まないしな」

 シオンは見た訳ではないが、ホテル・ラルキアでは大立ち回りを演じたのは聞いている。そんな浩太が自らよりも幾らか年下の女性の怒気にすっかり縮こまってしまっている姿は――趣味が悪いと承知しながら――中々面白い見世物ではあるが、それでは話が進まないと思い直しシオンは口を開いた。

「お初にお目にかかる、エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム公爵閣下。私はシオン・バウムガルデン。王立学術院の主任研究員だ」

「……エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムです。ロンド・デ・テラの領地を先代陛下から賜っております。以後、お見知りおきを」

 服の端をちょんと摘まんで優雅に頭を下げるエリカに、シオンは堂々と胸を張って鷹揚に頷く事で答える。一体、どちらが偉いのか謎の構図である。

「……シオンさん」

「なんだ?」

「貴方が全力でいつも通りなのは、もう一周回って尊敬に値するんですが……エリカさんは公爵ですよ? もう少しこう、あるでしょう? 対応の仕方が」

 国王であるリズに対してもタメ口上等のシオンである。言っても無駄かと思いながらも、一応諌める意味でシオンに苦言を呈す浩太。が、思わぬ所で横槍が入った。

「お言葉ながらコータ様。シオン様のご対応は間違っておられません」

「エミリさん?」

「シオン・バウムガルデン様は王立学術院の主任研究員の要職に就かれております。爵位自体はエリカ様の方が高いですが、職制上はシオン様の方がエリカ様より上です」

「……要職なんですか、主任研究員って」

「王立学術院長、副院長に次ぐ役職です」

「……シオンさんなのに?」

「……私にはその意味は解りかねますが……シオン様は少なくとも、王立学術院で三番目に職位の高い方です」

「職位自体は三番目だが、権限は五番目だ。主任研究員は私を含め三人おり、先任権はあとの二人が持っているからな」

「……」

「……なんだ、その眼は?」

「シオンさんなのに?」

「言いたいことは腐るほどあるが……まあ私なのに、だ」

 一般的に『貴族は偉い、平民は偉くない』と思われがちであり、一面の真実だけで見ればこれは必ずしも間違いでは無いのだが、ことフレイム王国の職制上に限って言えば多少話が違ってくる。国家の成立過程における点もあるが、大きな要因は他国に類を見ない巨大で優秀な組織、『ラルキア大学』を持つ点であろう。

 ラルキア大学の卒業生の六割は民間企業や実家、例えばクラウスであればホテル・ラルキア、ベロアであればサーチ商会などにそれぞれ就職し、フレイム王国との繋がりは……公職という面では絶える事になる。こうなってしまえば話は簡単、『貴族は偉い、平民は偉くない』の図式で良いのだが、問題は残りの四割、つまり国政を動かす官僚組織である『王府』や、ラルキア大学を包括する学問専門機関である『王立学術院』などに奉職した場合、話はややこしくなってくる。

 王府や王立学術院に奉職した場合、彼らは『国王』に仕えることになる。言ってみれば国王の直臣だ。そして、貴族階級も同様に国王に対して忠誠を誓い、所領の安堵を言い渡される。こちらも国王の直臣なのだ。

 直臣同士であるのならば、そこにある身分の上下は職制上の身分の上下になる。誤解を恐れずざっくり書けば、中央官僚の局長クラスと田舎の官選村長、一体どちらが偉いのか? という話なのだ。

 ……そうは言ってもそれはあくまで『建前』の話、王府の局長クラスの人間は平民階級も多いが、自分の部署の部下にはともかく、無位無官でも貴族には一応頭を下げるものである。特に、どれだけ領地が辺鄙な所にあり、腹の中では小馬鹿にしていたってエリカは国王の姉である。臣籍降下していたとしても、コメツキバッタ宜しくペコペコしても可笑しくないが、まあそういう点ではやはりシオンはシオンだった、と言う事だが。

「……そんな事、誰も私に教えてくれなかったのですが?」

「コータ様は誰に対しても腰が低いではないですか。粗相なさることは無いと思いましたので」

 エミリに笑顔でそう言われると、浩太としてもぐぅの音も出ない。紛れもない事実である。

 余談ではあるが、現在執務室にいる人間の中で誰が一番偉いかと問われると、石抱ならぬソニア抱をしてそろそろ足が限界に達しそうな我らが松代浩太氏が一番偉い。何せ国王陛下の召喚に応じてフレイム王国に来た、言ってみれば国賓なのである。二番目はソニア、三番目にシオンが来て、四番目がエリカだ。エミリはエリカ付のメイドであり、国王陛下であるリズから見れば陪臣、この中では最も地位が低くなる。最もエミリを『エリカ付』ではなく、『ノーツフィルト家子爵令嬢』と見ると直臣の娘という扱いになり、執務室内の地位の順位は変わらずとも、その意味合いは大幅に変わってくるのだが……長くなるので割愛させて頂く。

「シオン・バウムガルデン。陛下の教育御指南役を三年に渡って務めた才女ね。対面は初めて、よね?」

「間違ってはいないよ、フレイム公爵閣下。あまり社交界には興味が無かったのでね」

「あら、勿体ないわね。貴方ぐらい容姿が美しければ社交界の主役になれたでしょうに」

「色恋沙汰はあまり趣味ではないので」

「そう。なら――」

 そう言って、エリカがギンっと擬音のつきそうな視線を浩太に向けた。

「――あまり、浩太にちょっかい、かけないでくれるかしら?」

「……これはこれは。独占欲の塊の様な言葉を頂いてしまったな。なんだ? コータは貴方の『モノ』なのかね?」

「わ、私のモノって! そ、そうじゃないわよ!」

「なら、貴方に文句を言われる筋合いはないな。色恋沙汰は趣味では無いが、興味が無い訳ではないからな」

 ふふん、と勝ち誇った様な顔を見せるシオン。対してエリカは鬼も裸足で逃げ出しそうな素敵な形相で睨みつける。浩太? 縮こまっている。

「……年増」

「……ほう」

「確か貴方、もう二十六……七? それぐらいじゃなかったかしら? それなのに浮いた噂の一つも無いなんて……あら? その容姿以上に性格に難でもあるのかしら?」

 大正解である。無論、エリカは嫌味の一つという意味で言っているのだが。

「……こう言っているが……浩太? どう思う?」

「そこで私に振りますか!」

 絶叫。こういう時の女性の会話に入り込むと良い事にならないのは、知識よりも経験が訴えている。

「コータ?」

「ああ、もう! わかりました! わかりましたよ!」

 膝の上のソニアに『申し訳ありません』と頭を下げて降ろし、痺れる足を抑えて何とか立ち上がる。少しだけよろけたのはご愛嬌であろう。

「その……エリカさん」

「……何よ」

 ぷくーっと拗ねたように頬を膨らませ、若干涙目上目遣い。なんだ、この可愛い生き物。

「その……シオンさんとは何でもありませんよ?」

「……」

「……」

「……何よ、その浮気した亭主みたいな言い訳」

「確かに私もそう思いましたけど! いえ、そうじゃなくてですね!」

「おいおい。何も無かった、は酷いんじゃないか、コータ」

「オッケー、ちょっと貴方は黙って居てくれませんかね?」

「……へえぇぇぇ。ちょっと、シオン? 貴方、コータと何があったのよ?」

「いえ、ですから何も――」

「コータは黙ってて!」

「え、ええぇ~」

 理不尽。喋れと言いながら黙っていて! である。まあ、今更ではあるが。

「何、大した事ではない」


 流し目で。


 艶っぽく、腰に手を当てて。


「私の恥ずかしい姿を……見られただけだ」


「異議あり!」

「却下!」

「いや、本当に! シオンさん、貴方何言ってるんですか!」

「本当の事だろう? あんなに私を興奮させて……その上、早く入れてと浅ましくおねだりまでさせておいて」

 賢明な読者諸兄はお気づきであろうが、知識の事である。

「へぇぇーーーーーーー!」

「いや、違うんです! いえ、違うと言うのも何だか違うんですが! その、確かに恥ずかしい姿は見たんですが……そ、そう! そうなんですよ!」

 ピコン、と浩太の頭の上で電球が光る。このどうしようもない状況を打破するマジックワード。そんな言葉が浩太の頭の中に浮かび、思いの丈をぶちまける様に口を開く。



「シオンさんは何時だって恥ずかしいんです!」



「おい! あんまりだろう、それは!」

「だってそうでしょ! 折角素晴らしい頭脳と美貌の持ち主なのに、なんで貴方はそんなに残念なんですか! 謝って! 神様に本気で謝罪して下さいよ! 人類の損失で本当に済みませんって、ちゃんと頭下げて下さいよ!」

「本気で泣くぞ、お前!」

「随分仲好さそうね、二人とも!」

「どこをどう見たらそうなるんですか!」

「どこをどう見たってそうでしょう!」

「ああ、もう!」

「ソニア様、お紅茶はいかがですか?」

「ええ、頂きます。頂きますが……宜しいので?」

 平常運転、紅茶を次いで回るエミリに、ソニアは訝しげな顔を浮かべ。

「……いつも通りではありませんか。平和で良い事です」

 そう言ってエミリはこの帰ってきた『日常』を愛でるように、大輪の笑みを見せた。


 ……まあ、インク瓶は手放していなかったが。


◇◆◇◆◇◆


「えっと……」

「なに? さっさとその辺にでも座れば?」

 豪華な調度品も、大層な絵画も無い、簡素なエリカの私室。『取りあえず帰って来たんだから当主である私にちゃんと挨拶しなさい』と、まるで売られていく可愛い子牛の様にエリカに拉致された浩太の現在の居場所である。ちなみにソニアやエミリあたりが猛反発したが、当主特権で押し切った形だ。権力の濫用? 活用である。

「……何だか怒られる時はいつもエリカさんの私室の様な気がしますね」

「なに? なんか言った?」

「何でもありません」

 肩を竦め、座る場所を探しながら……まあ、色々弁明もあるだろう、立って応対することに決めて浩太はエリカの瞳に自らの瞳を合わせる。

「……何処から……ああ、何から、ですかね? 何から話せばいいのでしょうか?」

「何からでも良いわ。私も言いたいことあるし」

 そうやってじとーっとした目で見つめられ、浩太は溜息を一つ。真向いのエリカも同様、小さな溜息を吐いて見せた。

「その」

「あの」

 沈黙。同時に喋りだした二人は、気まずそうにその視線を避ける。

「……」

「……」

「こ、コータから、どうぞ?」

「い、いえ。エリカさんこそ」

「ううん、その私のは大した……話じゃないことは無いんだけど、その、こ、コータから」

「い、いえ! エリカさんからどうぞ! その、れ、レディーファーストで!」

「れ、レディーファースト? あ、そ、そう? そ、それなら、その……」

 モジモジと。

 上目遣いでチラチラと浩太を見やり、口を二、三度開閉。

「その……」

 やがて、意を決したように拳をぎゅっと握りこみ。



「ご……ごめんなさい!」



 勢いよく、頭を下げる。

「え、エリカさん?」

 そのエリカの姿に、浩太はポカンと口を開ける間抜けな姿をさらしてしまう。シオンの事でこってり絞られるとばかり思っていた彼にとって、エリカのこの行動は想定の範囲外だだった。

「ど、どうし――」

「こ、コータばっかりに頼らないって、自分の領地なんだから自分で頑張るってアレだけ偉そうに言って、なのに、なのに結局コータに頼りっぱなしで! 自分で何にも考えることをせず、コータに任せとけばいいやって……コータなら何とかしてくれるって!」

 

――一筋。


 エリカの頬を、振らない雨が伝う。

「……ごべ……ごべんなざい……こーたに……こーたばっかりに……」

 振り場所を、覚えたかのよう。

 滂沱の如く涙はエリカの頬を伝って床に落ちた。

「……エリカさん」

 頬に伝わる涙を人差し指でそっと、拭って。

「……謝らなければならないのは、私の方です」

「そんなこ――」

 喋りかけた唇に、拭った人差し指をそっと、当てて。

「……ラルキアで、ホテル・ラルキアの経営に関するお手伝いをさせて頂いていたのです」

「……」

「本館総支配人のクラウスさんはとても出来た御仁でした。柔和な応対、困難にも立ち向かう勇気、解らないことに対して、素直に頭を下げて乞い、願う事の出来る人間性……素晴らしい方です」

 溜息、一つ。

「昔、私が貴方に言ったことを覚えておられますか?」

「言った……事?」

 ええ、と一つ頷き。


「『一緒に、この『テラ』を良くして行きましょう。私だけではなく、エリカさんだけではなく、二人で、皆で……テラを、良くして行きましょう』」


「……あ」

「……お恥ずかしい話ですが、結局私は一人で全部解決しようと考えてしまいました。内乱一歩手前の状態で混乱し、パニックになり、当り散らして」


 そして、飛び出した。


「……本当にお恥ずかしい話です。何が『皆で良くしていきましょう』なのでしょうね。情けなくなってきますよ」

 肩を。

 何時ものように、肩を竦めて見せて。

「私一人で出来なければ、貴方がたに意見をお伺いするべきでした。何でもかんでも自分でするのではなく……本当に、私は何度言えば良いのでしょうか。『人に頼る』と、『分らない事は分からない』と頭を下げると、たったそれだけの事が幾つになっても出来ない。もう、いい年なのに情けないですよね?」

「そ、そんな事無いよ! コータに頼りっぱなしで……私が、私たちが追いつめたんだもん!」

「そんな事は……ああ、これがダメなんですね」

 苦笑を一つ。

「……そうですね。過度の期待に応えようと、無い知恵を振り絞った結果がコレです。無論、出来ない事を出来ないと言わずに、一人で頑張ろうとした私にも責任はあります。ですが」



 人に全てを押し付けた、貴方がたにも責任はある、と。



「――貴方が、私を追い詰めました。私も手伝うと言いながら、その責務を放棄し、全てを私に押し付けた」



 冷たい声が、部屋に響いて落ちた。



「ですから――エリカさん」



――どうぞ私に謝罪を、と。



「――あ」

 足元から世界が崩れそうな、そんな感覚。

 視線の先に映る浩太は、いつになく冷たい色を瞳に湛えたままじっとエリカを見つめている。

「そ、その」



 ――何時もの様な、笑顔を見せて欲しい、と。



 ――何時もの様な、声で話かけて欲しい、と。



「……あの……そ、その」



 ――許されない、と。



 ――もう、この人の傍にいることは、叶わない、と。


「……さあ」


 そう思うことが、何よりも辛く、悲しく、苦しく、それでも、謝らないという選択肢はエリカにはなく。



「……ごめん、なさい」



 空がバラバラになり。



 地がコナゴナになり。



 エリカを取り巻くその世界が、全て音を立てて崩れ落ちそうな、そんな感覚の中で。



「……はい、許します」



 そんなエリカの世界を再構築してくれたのは、やっぱり浩太の言葉。

「――え?」

「私も謝罪します。何でもかんでも一人でやるなんて、やっぱり出来ないんですよ。特に私は平凡な人間です。天才でも、秀才でも、ましてや超人ではない。それを自分で全て抱えて、勝手に怒って八つ当たりした事、謝罪します」

 済みませんでした、と。

 頭を下げる浩太のその仕草を、呆然とエリカは見やる。

「その……エリカさん」

「……」

「……」

「……」

「……エリカ、さん?」

「……へ? あ、ああ! うん、な、なに?」

「その、私は謝罪をしたのですが……やはり、許しては頂けませんか?」


 まるで、捨て犬の様。


 不安そうな色を浮かべる瞳に見つめられ、慌ててエリカは首を左右に振る。


「ゆ、許す! 許すに決まってるでしょ! 大体、私達が――むぎゅ!」

 動く口を、浩太の人差し指が軽く抑える。人を指す以外で大活躍である、人差し指。

「はい、そこまでです。私の方が悪い、いいえ、私の方が、というのも美徳なのでしょうが……今回のケースだと、やはりこうするのが良いでしょう?」


 即ち、『どっちも悪い』と。


「私の国では『喧嘩両成敗』という言葉もあります。お互いの悪い所を悪いと自覚し、謝る。これで」


 どうか、ご容赦願えませんか? と。


 何時もの様な、柔和で、優しく、ほっとする。



 エリカの、大好きな笑みを見せる……浩太に。



「うわ! ちょ、え、エリカさん!」

「ばか! ばかばかばかばかばか!」


 ――我慢、できず。


また我慢する必要も感じないエリカは、自らの心の望むまま浩太の胸の内に飛び込み、その顔を埋めた。

「も、もうダメかと思ったんだから! こ、コータに捨てられちゃうって、そ、そう思ったんだから!」

「……一体、どういう勘違いを為されたらそうなるんです?」

「だ、だって! コータ、見たこと無いぐらい怖い顔してたし! そ、それに、私が悪いって、本当にそう思ってたんだもん! も、もう、許してもらえないって! 傍に居たらダメだって、そう言われるって、そ、そう思ったんだもん!」

「……そんな事、言うはず無いでしょう?」

「だ、だって! そ、その……ううううう!」

「はい、どうどう」

「馬じゃないもん!」

「……まあ、馬は『ううううう』なんて鳴きませんしね?」

 そう言って、少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべる浩太。憎らしく、頬の一つでも抓ってやりたいそんな表情に、それでも愛おしさが募る。

「……何でしょうね。ある程度、『すっきり』したいというのもあったんですよ」

「……すっきり?」

「人を許すよりも、自分を許す方が難しいですからね。しっかり怒って、ちゃんと謝罪して、きちんと許して貰う。何時までも抱え込むより、こちらの方が良いでしょう?」

「……」

「……あれ?」

「言いたいことは分かったけど……それじゃ、その為に、その、コータは私を……泣かせたの?」

 じとっとした目を下から向けてくるエリカ。その視線に、浩太は少しだけ苦笑を浮かべる。

「まあ……そう言われると、否定は出来ませんが」

「……酷いよ、コータ」

 すん、と拗ねたように鼻を鳴らして先ほどよりも深く、浩太の胸に顔を埋めるエリカ。

「……申し訳ございません」

「……許さないもん」

「困りましたね、それは」

「……ふん!」

「エリカさん? 折角仲直りしたのですから、どうかお許し願えませんか?」

「……」

「エリカさん?」

「そ、その! ゆ、許して欲しかったら、そ、その、あの、えっと、こう」

「何言ってるか分かりませんよ?」

「だ、だから! ゆ、許して欲しいなら――」


 もっと。


 力強く、ぎゅっと。


 体がバラバラになるぐらい、強く強く、抱きしめなさい、と。


「仰せのままに、お姫様」

 頬を赤くしながら、そっぽを向く我儘なプリンセスに苦笑を一つ。

「……その……ごめんね」

「こちらこそ」

「自分勝手に怒って、貴方を追い詰めて」

「お互い様ですよ」

「貴方ばかりに頼って、貴方が何でもできるって、全部、全部貴方に頼りきりで」

「頼られる事を嬉しいと思ってしまった私のミスでもありますよ」

「……」

「……」

「……その」

「はい?」

「……その……コータ?」


 これからも。


 ずっと、テラに居てくれる? と。


「……ちょっと」

「……はい」

「なんでそこで顔を逸らすのよ! 何? もうテラに居たくないって事!」

「い、いえ、そうでは無いのですが!」

「じゃあ何! 泣くわよ! 結構いい年だけど、わんわん泣くわよ!」

「それはちょっと困る……ではなく。えっと、実はですね?」

 テラ経済が壊滅的な状態であった事。

 ロッテに、その事態を打開する方法があった事。

 ロッテに力を貸して貰う交換条件として、浩太はテラに帰らず、王都にて暮らす事を了承した事。

「……」

「……」

 説明を受ける間、エリカの顔色は赤くなり、青くなり、また赤くなると百面相を続け。

「……な」

「……」

「なによ、それ! コータ、貴方そんな条件飲んだの!」

 全ての説明が終わり、エリカ火山は噴火した。

「ちょ、エリカさん! 落ち着いて! 落ち着いて下さい!」

「そりゃね、確かに私たちが悪かったわよ! でも、そんな人身売買みたいな方法、認めるわけ無いでしょう!」

「いえ、ですがそれでテラの経済は」

「ええ、格段に良くなったわよ! でもね? そんなの認めないわ!」

「認めないと仰られても」

 エリカを抱きしめたまま、困ったような表情を浮かべる浩太。

「……行く」

「はい?」

「ラルキアに行く! 行って、ロッテと直談判してくる!」

「ちょ、エリカさん! 何言ってるんですか!」

「だってそうでしょ! そんな勝手な事――そうだ! 今回、ライムとラルキアの講和会議の場所として領地を提供するんですもの! その交換条件としてコータを返して貰うわ!」

「あ、い、いや……エリカさん?」

「後は……そう! ソニアよ!」

「内政干渉の危険! いや、ダメですよ、エリカさん! それは不味いです!」

「何よ! ソニアは何の為に王女だと思ってるの! 折角の地位、ここで使わないでいつ使うのよ!」

「少なくともこの為に王女の訳ではないですよ!」

 望む望まないに関わらず、ソニアは生まれながらの王女である。念のため。

「とにかく! 私は貴方が何と言っても必ず貴方を取り戻して見せるわ! どんな方法を使っても、何をしても、絶対よ!」

 そこまで、言って。


「その……コータは、いや?」


 先ほどまでの気炎は、ナリを顰め。


 浩太の胸の中で、不安そうに見上げる視線と、ぶつかって。


「……その……ラルキアの方が……いい?」


 そんな不安そうな、それでいて何かを期待するような瞳に。


「……あ」

「これが、答え、ではダメですかね?」


 先ほどよりも、少しだけ腕の力を強める浩太の腕の中で。


「……ダメ、じゃない」


 その腕の力を懐かしく、嬉しく――何より、愛しく思いながら。



 エリカは先ほどよりも深く、深く浩太の胸に顔を埋めた。



◇◆◇◆◇◆



 ――サラエボに響いた一発の銃声が、遠い東洋の島国に民主主義をもたらした、というといささか言い過ぎであろうか?



「……」


 グラスに浮いた氷と琥珀色の液体。目の前で繰り広げられる色のコントラストに臨みながら、ゆっくりとその液体を口腔から喉に流し込む。グラスと氷がカランというハーモニーを奏でた。


「……ははは。やば、柄にもなく緊張してるよ、私」


 グラスの中で氷を手遊びながら、緊張を隠す様に少しだけ、薄く笑んで。


「……明日、やっと逢える」


 前言を翻すようだが、サラエボに響いた一発の銃声が、遠い東洋の島国に民主主義をもたらした、というといささか言い過ぎであろう。


 サラエボに銃声が響かなくとも、世界のどこかで銃声は響いていたであろうし、その流れの中で膨張を続ける日本は確実に対米戦争に突入し、国力の違いで敗戦を強いられ、アメリカ式の民主主義を輸入する結果に至ったと、そう思う。因果という観点からみればサラエボの銃声は一つのファクターであろうが、それは別にサラエボで無くても良かっただろう。


「ここまで来て、『実は別人でした~』だったら、ギャグだよね」


 だが。


 サラエボの銃声が第一次世界大戦とその後の欧州の枠組、更には第二次世界大戦を引き起こしたこともまた、事実である。


「ううう、ダメダメ! 弱気になるな、私!」


 それは、確かに一つの偶然だったのだろう。


「明日、逢えるんだもん」



 だが、その偶然の重なりを必然と呼び。



「……楽しみだね」




 その必然の重なりを更に、運命と呼ぶのであれば。




「――ねえ、浩太」




 きっと。




 この再会は、『運命』なのだろう。





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