第二十七話 賢い王女と賢くない幼女
ずっとソニアのター……あれ? エミリのターン?
ソニア・ソルバニアという一人のプリンセスを分析しようとすると、一見迂遠な道程に思えても、父王カルロス一世から語るのが最も早い。
現ソルバニア国王カルロス一世は先代王フィリッペ二世の三男に当たる。フィリッペ二世は三男であるも、自らの子供の中で最も聡明で在ったカルロス一世を後継に選んだ。乱世の時代であるのなら、もしくはフレイム王家の様に正室・側室の別があるのならばともかく、平和な治世の、それもそれぞれ同腹の子である長兄・次兄を差し置いてのカルロス一世立太子である。当然、宮廷は揉めに揉めた。長兄派、次兄派、カルロス一世派入り乱れての政変にまで発展。後に『ソルバニア王家の血の十日間』と呼ばれるこの政変は長兄の病死、次兄の事故死、長兄派・次兄派貴族十三人の所領没収によって幕を閉じる事となるが、当時十八歳であったカルロス一世はこの政変で二つの事を学ぶ。
一つ、王位の継承権は長子相続が基本。カルロス一世は即位してすぐ、ソルバニア継承法を制定。長子相続を基本とした細かな序列を法的に定めた。決して兄弟仲が悪かった訳では無いカルロス一世にとって、自らの王位継承により『不慮の死』を遂げた兄二人の事は心の片隅に暗い影を落としたのである。
そして、もう一つ。『王家の子女は、所詮国王の駒』だという事実。父王の意向により自らの運命を左右され、『だから自由にしても良い』という一種復讐的な思考こそ無かったものの、国家の発展の為には王族は犠牲になるべきという考えをカルロス一世は持つ事になる。
それでは、ソニア・ソルバニアという一人の女性を分析しよう。
ソルバニア国王カルロス一世の第十一子にしてソルバニア王位継承順位第十五位。ソルバニア王国の正統なプリンセスである。あるがしかし、前述の王位継承法通り、ソニアの王位継承権は十五番目。医療技術がそこまで発展している訳ではないオルケナ大陸にあっても、ソニアを除く十四人が事如く『病没』など、到底起こりうる事態では無い。王位継承権第十五位などあって無い様なもの。それはつまり、ソニアに『血をプール』する役割が期待されていないという事だ。彼女は生まれた瞬間からソルバニア王女であったが、同時に生まれた瞬間からソルバニアの外交の道具として生きる使命を負っていた事になる。
ソニア自身、自分の置かれた役割をほぼ正確に認識していた。彼女は聡く、ソルバニア王家の、しかも直系の姫として生まれた自分の『価値』を誰よりも深く認識しており……同時に、それは『ソニア』で無くとも良い事も認識していた。他国が欲しいのは『ソルバニアの姫』であり、『ソニア・ソルバニア』という一人の女性ではないと言う事を正確に理解していたのだ。十歳の少女が、である。
聡いソニアは更に気付く。自身が『凡庸』とはかけ離れた存在であり、そしてその非凡さは、嫁ぎ先でプラスに働く事は決して無いと言う事に。彼女を求める多くの人々は彼女自身の才覚が欲しい訳では無い。『ソルバニアの姫の旦那』という肩書が欲しいだけで在り、それが手に入るのであれば、姫に才能など必要ない。むしろ、可愛いだけのお人形の方が都合が良いのだ。
王族に生まれたから当然、と言えばそれまでの話。だが、少しだけ考えてみて欲しい。彼女はまだ若く、しかも見目麗しい『女の子』である。寝物語に聞いたお姫様と騎士のラブロマンスに憧れを抱き、自分だけを見て、自分だけを必要としてくれる男性が現れる事を願ったとしても……それを責めるのはあまりにも酷であろう。
だからこそ、彼女はコータ・マツシロに出逢った時に震えたのである。
大陸に確固たる地位を築くソルバニア国王に対して一歩も引かない弁舌。深く深く、ソルバニアの蛇に噛まれながらもその鎌首に一筋の、しかし確かな傷をつけたその手腕。十分評価に値する、素晴らしいその交渉術に魅了された。もしかしたら、この人なら私を……『ソニア・ソルバニア』を必要としてくれるのではないかと、そう思った。そう思ったから『嫁に行け』の台詞にノータイムで頷いたのである。少しだけ……本当に、少しだけ、期待を持って。
ソルバニアに噛みつくこの人であるのならば、『ソルバニアの姫』では無い、『ソニア・ソルバニア』を必要としてくれるのではないか、と。
……が、蓋を開けて見ればどうだ。ソルバニア王国より突き付けられた難題にどういう方法で挑むのか、期待しながら見ていれば……何の事はない、やった事は『賄賂』に対して便宜を図り、それによって自らの地位を守る方法。別に、賄賂自体を否定するつもりはソニアにはさらさら無い。権力者が綺麗なままでいる事など到底できず、ある程度清濁併せのむのも器量の一つである事はソニアとて理解している。理解しているがしかし、『納得』するかはまた別の話。特に、自らが震えた相手がそんな『凡庸』である事を彼女は許せなかった。
……考えて見れば、随分な話である。要は勝手に期待して、勝手に憧れを抱き、勝手に失望して、勝手に憤りを覚えているだけの話だ。持ち上げられて落とされた浩太こそいい迷惑であるが、どれだけ賢かろうがソニアはまだ十歳なのだ。市井の子供として生まれていれば、まだまだ親に我儘も言うし、愛情を受けて育ってもおかしくない、そんな『子供』なのである。
だから……ソニアは衝動的にパルセナの街に飛び出した。なんせ自分は利用価値充分の『ソルバニアの姫』だ。その姫が失踪したなどあってはならない事態だし、恐らく浩太も真っ青になって探す筈である。意趣返し、というほど性質の悪いモノでは無いが少しぐらい心配すれば良いという我儘と……少しぐらい心配して『欲しい』という十歳の少女らしく、しかし聡いソニアらしくない、軽率な行動。エリカでは無いが旅先でのテンションの高さがそうさせた、とでも言うべきか。
さて……重ねて、言おう。
ソニアは自身を見て欲しいと願った。『ソルバニアの姫』としてではなく、『ソニア・ソルバニア』としての自分を見て欲しいと、真に、切に願っていた。そして、この突発的な行動が皮肉な事に彼女の願いを叶える事になる。
彼女は攫われたのだ。『ソルバニアの姫』としてではなく、『十歳の愛らしい容姿をした少女』として……その筋の需要を満たす、『玩具』として。
◇◆◇◆◇◆
「んーーー!」
両手を後ろで縛られ、口には猿轡をはめられた格好でソニアは小汚い倉庫に放りこまれていた。
「うるせえ! さわぐんじゃねえ!」
眼の前の二人組、ノッポとチビのチビの方が倉庫に積んであった木箱を蹴り上げながら怒声をあげる。その言葉と行動に、思わずソニアの体が強張った。
「おい、チビ。大事な商品だ。傷つけるんじゃねえぞ」
「へ、へい、アニキ。気をつけます」
ノッポにそう言われ、チビはぺこぺこと頭を下げる。『本当に分かってんのか?』なんて溜息をつきながらノッポは瓶に残った酒をぐいっと飲み干す。
「へ、へい。それにしてもアニキ、ついてましたね!」
「……まあな。まさかこんな上玉が夜のパルセナの街を一人で歩いてるなんて……親は馬鹿か?」
「へへへ。どうせ親は夜の街で遊んでるんでしょうよ。なんせここはパルセナ! 快楽と欲望の街ですぜ? タガが外れても仕方ありませんや」
「……世も末だな。こんなガキおいて遊び呆ける親がいるなんてよ」
「だから俺らの商売が捗るんでさ~」
「まあな」
ノッポの返答に気を良くしたか、チビがその視線をソニアに向ける。向けられたソニアは涙目になり、必死に視線からその身を逸らそうと体を捩り……捩る事により、着衣が乱れ、ソニアの太股が露わになる。
「……」
チビの喉が、ごくりと鳴った。
「……アニキ」
「駄目だ」
「後生です、アニキ!」
「駄目に決まってるだろうが! 商品キズモノにするバカが何処に居るんだよ! そんなに飢えてんなら艶街行って来い!」
「……でも」
「大体、こいつなんてまだガキじゃねえか! なんだよ、お前。そんな趣味があったのか?」
「いや、そうじゃないんですが……でも、こんな上玉もう二度とお目にかかれないかも知れないんですぜ?」
「……お前な? いいか? 『新品』だから価値があるんだぞ? 『中古』になったら一気に価値が落ちるだろうが」
「じゃ、じゃあ、口! 口だけ!」
「……お前は……」
「アニキ!」
両手を合わし、拝みこむ形を取るチビにノッポが大きな大きな溜息をつく。
「……口だけだぞ」
「アニキ!」
やれやれ、と言った風に首を振るノッポとは対照的に、喜色を浮かべるチビ。
「……へへへ」
やがて、チビの視線が上から下、舐める様にソニアの体を移動する。そのあまりの気持ち悪さに、ソニアの肌が粟立った。
「んーーーーーー!」
「おうおう。その嫌そうな顔、たまんねぇな~。へへへ……それじゃ……」
そう言って、下卑た笑顔を向けチビがソニアに手を伸ばす。気持ちの悪いその笑顔をと、伸ばす手に、思わずソニアが眼を瞑り。
「ソニアさん!」
「へぶぅ!」
耳朶を打つ声に、瞑った目を開けて。
そこに立つ、『騎士』を見た。
「んんーーー!」
溢れ出る、歓喜。
正にソニアに手を出さんとしていたチビは横っ面に浩太の拳を受け、もんどりうって地面に倒れ伏している。ちらりと視線をやれば、浩太がけ破ったであろうドアがプランプランと揺れている。
「コータ様!」
「ソニアさん、大丈夫ですか!」
コータの言葉にこくこくと、壊れた人形の様に頷くソニア。そんなソニアの姿に、浩太もほっと安堵の息をつく。
「な、何だてめえは!」
何が起こったのか分からず呆然としていたノッポが、はっと意識を取り戻したかのようにがなり出す。その言葉を受け、ゆっくりと浩太がノッポに視線をやり。
「――っ!」
……その視線に、思わずノッポが凍りつく。
「……」
絶対零度の、視線。
この世の『負の感情』の全てを込め、相手を射ぬくかの様な視線。
「……怒っているんですよ? 私は」
その声がソニアの耳に届いた瞬間、先ほど以上にソニアの肌が粟立つ。
「コー……タ……さま?」
「……自らの身分も年齢も考えず勝手に夜の街を出歩く子供にも」
「……あ」
「そんな子供を、自らの欲望の為だけに利用しようとする下種にも」
「……」
「……何より」
一息。
「……そんな風に、子供を一人きりにしてしまった自分自身にも!」
殺気。
狭い倉庫内を満たす様な、純度の高い、殺気。
その殺気に当てられたか、寒くも無いのにソニアの体が震える。
「……あ……ああ……っ!」
声にならない声が、ソニアの口から漏れる。
「こ、コータさ……ま?」
ソニアは知らない。
ソニアの知っているコータ・マツシロは、こんな人間では無い。
頭が切れ。
ソルバニアの王にすら、一歩も引かない強い志を持ち。
巧みな弁舌で、他を圧倒するのに……女性絡みでは、途端に弱くなる様な、そんな人間だった筈なのに。
「……魔王……」
その姿は、正に魔王。
「……っく……くそがーーーー!」
コータの放つ殺気に、耐えきれなくなったか。
「辞めろ、チビ!」
ノッポの焦った声が狭い倉庫内に響くが……間に合わない。チビの放った拳が、浩太の頬にめり込んだその瞬間。重力に逆らうかの様、体が空中に大きく弾き飛ばされた。
……浩太の、体が。
「「「……は?」」」
幾つもの声が、重なる。
ソニアの。
ノッポの。
……殴った、チビ自身の声も。
「……っ……」
殴られた頬を、押さえてよろめきながら……浩太が相も変わらぬ殺気を放つ。放つ……のだが。
「……えっと……あ、アニキ?」
「え? あ、ああ?」
「その……あいつ……多分、めっちゃ弱いです」
『効率化』の名目により、多くの事務は簡素化され銀行実務は一昔前に比べて随分と楽になった。なったがしかし、それは同時に支店人員の削減という負荷を各営業店に課す事になる。かといって、銀行業務が基本客商売のサービス業である以上、どうしても『効率化』出来ない業務、『顧客対応』は残る。つまり、基本的に『顧客数』は変わらない、或いは増えているのにも関わらず、対応する人数が減るのだ。一人の人間が担当数を増やせば良い、と言うモノでも無い。顧客担当者だって人間だし、あまりにも一人の負荷が増えればパンクするのは自明の理。なら、どうするか? 答えは簡単、昔なら任せられない様な……要は、新人に毛が生えた程度の行員を『顧客担当者』に回すのである。
銀行員、とはある種特殊な職業だ。会社にも寄るのだろうが、多くの銀行員は『社長』と呼ばれる実権者と面談する機会が他の業種に比べて圧倒的に多い。精々二十三から二十四程度の若手が、自分の父親よりも年齢が上の、その会社の『トップ』と対等に、或いは下手に、会社によっては『上から』モノを申すのである。しかも、大学を出たばかりの若手が、曲がりなりにも『銀行の顔』として。『何にもわかりません』というボンクラでは困るのだ。
当然、銀行員は必死で勉強する。交渉事と言うのは突き詰めれば心理戦であり、究極『上』にいる者が最終的に勝つように出来ている以上、金融は勿論、政治、相場の流れ、担当先が所属する業種動向から、隣接業界の業種動向、または新規参入の望める業種の動向や、果ては地域の冠婚葬祭まで、ありとあらゆる情報を持って顧客に望む。話す『カード』が多いと言うのは武器であり、『銀行員は何でも知ってるね~』と言わせる事で心理的に『上』に立ちやすいからだ。『この人が言うんだから、まあ間違いないだろう』と思わせれば勝ち、ある意味では詐欺師と一緒である。
とはいえ、交渉相手も人間だ。覚える知識も有限である以上、どうしても『知らない』事も出て来る。知らない事が出た時の対処法は大きく二つ。『知りません』と頭を垂れて教えを乞うか、『ああ、それですか』と知ったかぶりをするか、のどちらかである。
そして……浩太はこの『ああ、それですか』が、抜群に巧かった。言い方は悪いが、要は『ハッタリ』は得意なのである、浩太は。
考えても見て欲しい。中肉中背、幼い頃から勉強ばっかりして来た浩太だ。体育の成績だってそんなに良く無かったし、別段体を鍛える趣味なんてモノも無い。正直、人を殴ったのも人に殴られたのも、幼稚園以来である。彼に出来るのなんて精々、『俺、強いです』という雰囲気を出す程度だ。
「こ、コータ様! だ、大丈夫ですか!」
大丈夫な訳が無い。余程鍛えているか、余程相手が弱いか、或いは余程のマゾヒズムの持ち主で無い限り、殴られて大丈夫な訳が無い。
「……大丈夫ですよ、ソニアさん」
でも、浩太は男の子。ニヤリと不敵に……笑おうとして、痛む頬を引きつらせながらも、取りあえず笑顔をソニアに見せる。
「全然、大丈夫に見えませんけど! 足! 足がぷるぷるしてますわ!」
「これは……武者振い、です」
「嘘ですわよね! 明らかに足に来てますわよね!」
異世界補正でもかかれば良いのだが、現実は非情である。残念ながら浩太は浩太、弱いままだ。
「その……お前、何しに来たんだ?」
先程までのシリアスな空気は何処へやら、呆れた様にノッポが浩太に問いかける。人間、一周回ると意外に冷静になるものだ。
「当然、ソニアさんを助けに来たのですが?」
「……それでか?」
「ええ」
「えーっと……それは、何か? 突っ込んだ方がいいのか?」
「何をです?」
「……あのな? 言っとくけどチビに殴られて吹っ飛ぶってどんだけ貧弱なんだよ? そんなザマで良く助けに来たなんて言えるな?」
「残念ながら、私は荒事が苦手なんですよ。喧嘩も殆どした事がありませんし、武術の心得も無い。正直、さっきあちらの男性を殴った手がとても痛いです」
「じゃあお前何しに来たんだよ!」
ノッポの絶叫に、縛られて、助けに来て貰っている事も忘れて思わずソニアは頷きかける。本当に、浩太は何しに来たんだ? と。その視線に気付いたか、浩太は苦笑しながらソニアの頭を一撫で。
「……そうですね」
ちらりと自らがけ破ったドアに視線を飛ばし。
「……時間稼ぎ、でしょうか?」
「お手柄です、コータ様」
声と同時。
「な、なん―――ぎゃふ!」
「チビ!」
まるで弾丸の様に飛び込んだ『ソレ』がチビを蹴りあげる。宙に舞うチビに、ノッポの絶叫が響いた。
「……少し格好がつきませんが……後はお願いしますね、エミリさん」
「承りました」
威風堂々、そう言って立つエミリに満足そうに微笑み。
「……あ。これ、やばいかも」
安心で、気が抜けたか。
「こ、コータ様!?」
ソニアの言葉を最後、浩太は意識を手放した。
◇◆◇◆◇◆
「……ここは?」
見知らぬ天井。お約束とも言えるそんな言葉を脳内で呟き、浩太がゆっくりと体を起こす。
「お目覚めですか?」
「……エミリさん?」
声のする方に視線を向ければエミリの柔和な笑顔がそこにあった。
「……ここは?」
「私達が宿泊している宿屋です」
「……えっと……あの男達は?」
「私が『始末』させて頂きました」
「『始末』って」
「殺してはいません。パルセナの官憲に引き渡しただけです」
「……強かったんですね、エミリさん」
「僭越ながら私はエリカさま付のメイドです」
「……それが?」
「『姫』であるエリカ様の寝室にまで、男性の近衛騎士が同室出来るとでも?」
「……なるほど」
メイドで在り、護衛。それがエミリ・ノーツフィルトと言う女性である。子爵令嬢のやる事では無いと思うが。
「大体、コータ様は私に『任せた』と仰ったでは無いですか。私の力量は存じ上げているのかと思っていましたが」
「『任せた』とは言ってませんよ? 『お願いします』と言ったんです」
「……それはどう違うのでしょうか?」
「最悪、私一人残して逃げてくれれば良いと」
「……」
「まあ良く考えれば女性の足で大の男から逃げきれる訳無いんですが……ははは、面目ない。恐らく私も少し気が動転していたのでしょう。エミリさんの姿を見た瞬間、『ああ、これで大丈夫』と――」
「コータ様」
「――思って、ってえ、エミリさん!? 手! 手が!」
きゅっと。
力強く……それでいて、儚く。
「……二度と」
「は、はい?」
「二度と、自らの体を犠牲にする様な言葉を私の前で言わないで下さい」
「え、エミリさん?」
「自らの重要性を、少しは認識して下さい。貴方はテラを発展させ、エリカ様に慕われ、ソルバニア王ですら一目置く――」
そこで、溜息。
「……詭弁ですね」
「……」
「お願いですから、御自愛を。貴方に何かあると……私が、悲しいです」
頬を、赤く染め。
瞳を潤ませて、そういうエミリ。
「……」
「……」
「……わかりました」
「約束、ですよ?」
「約束します。二度と言いませんし、自分の体を大事にします」
「私の為に、約束して下さいますか?」
「ええ、約束します」
「……」
「……」
「…………嬉しい、です」
まるで、誕生日のプレゼントを貰った少女の様な、ふんわりと、優しい微笑み。
「っ!」
普段のエミリのイメージからはかけ離れた様な、蕩けきったその笑みに思わず浩太が顔を逸らす。何故って、だって……あまりにも、その笑みが魅力的過ぎて、思わずずっと見ていたくなるような、そんなほほえ――
「……エミリさん?」
「はい?」
「『アレ』……何してるんですか?」
「……ああ」
浩太の、視線の先。
腰に手を当て、仁王立ちになったエリカと……正座をして、瞳を潤ませるソニアの姿があった。
「え、エリカ様」
「……なに?」
「そ、その……あ、足が……」
「足? 足がどうしたの?」
「その……し、痺れて……」
「痺れて?」
「せ、正座を……そ、そろそろ……」
「……」
「……あ、あの」
「……」
「……え、えっと」
「……」
「……」
「……」
「……何でも、無いです」
「……よろしい」
潤ませた瞳の涙の量を先ほどよりも多くし、ソニアがエリカを見やる。
「……エリカさん」
「……え? あ! コータ! 良かった、目を覚ましたのね!」
コータの声に振り返ったエリカは最大級の笑みを見せる。非常に魅力的な笑みだが……その後ろの光景があんまり過ぎて、何とも言えない。
「ソニアさんの正座、そろそろ辞めてあげたらどうですか?」
「何でよ? 悪い事をしたら叱る、当然でしょ?」
「いや、そうですけど……」
「ソルバニアの姫だからって私は遠慮はしないわよ? 子供の躾は大人の仕事よ」
「そうなんでしょうが……まあ、そう言わずに」
「……本当に、貴方は甘いわね。まあ良いわ。ほら、ソニア。正座はもう良いわ。コータに言う事、あるでしょ?」
エリカの言葉に、まるで生まれたての小鹿の様にプルプル震えながらソニアが立ち上がる。歩くのも辛そうになりながら、一歩、また一歩とコータのいるベットに近寄って。
「……申し訳、ございませんでした」
そう言って、深く深く頭を下げる。
「……わたくしのせいでコータ様に怪我を負わせてしまった事、反省してます。申し訳ございませんでした」
尚も頭を下げ続けるソニアの肩に、そっとコータが手を置く。
「大丈夫ですよ、ソニアさん。一発貰っただけです」
「ですが!」
「本当に。ちょっとイイ所に入ったのと、安心しきって気が抜けたのでみっともなく気絶してしまいましたが、もう大丈夫ですよ」
素人判断は危険だが、浩太自身今は何とも無いのでこう言って置く。第一、『精密検査していないので何とも言えませんが』なんて、言える訳も無い。そもそも、精密検査なんてオルケナでは出来ないし。
「……本当でしょうか?」
「本当です。だから、ソニアさんは心配しないで良いんですよ」
そう言って、ソニアの頭を一撫で。その浩太の姿に、ソニアは眦を下げ、エリカは『全く』と不満げに頬を膨らませ、エミリは苦笑でその姿を見守っていた。
「……ソニアさんは、『ソレ』については心配しなくても良いです」
……だから。
「……え?」
優しく撫でていた、浩太の右手が不意に拳骨に形作られソニアの頭の上で鈍い音を響かせるまで、何が起こっているか把握出来なかった。
「何を考えているんですか、貴方は!」
「こ、コータ……さ……ま? え? え?」
「こんな遅い時間にまだ子供の貴方が出歩いて良いと思ってるんですか! 今回は何とか間に合ったから良いものの、本当に取り返しのつかない事になったらどうするつもりだったんですか、貴方は!」
「で、でも、コータ様は、怒ってないって……」
「私が殴られた事については怒ってませんよ! 私が一発貰ったぐらいでソニアさんが無事だったのならこんなの安いモノです。ですが、貴方が勝手に街に出たのは駄目です! それについては怒ります! さっきも言ったでしょ!」
「え……え?」
「ちょ、ちょっとコータ! 貴方、何してるのよ!」
「怒ってるんですよ!」
「お、怒ってるって、ソレにしたってそんな小さな子に」
「小さな子だろうが大きな子だろうが関係ありません! 悪い事をしたら怒る、当たり前です! 大体、正座をさせてた人の台詞じゃないでしょ、それ!」
「あ……はい」
何時にない、コータの激しい剣幕に思わずエリカも黙りこむ。
「そ、その……コータ様?」
「なんですか、エミリさん!」
「お、怒っているのは分かりましたが……そ、それでも、『殴る』のは……少し、やり過ぎでは?」
「教育です!」
「い、いえ、それにしても」
「愛のある体罰は指導です!」
「……はい」
エミリ、撃沈。愛の無い体罰は虐待だが、愛のある体罰は指導なのである。浩太の中では。
「……かり」
「はい?」
「嘘ばっかり!」
「何がですか?」
「『愛』なんて無い癖に! わたくしの……『私』の事なんて、どうでも良い癖に!」
「……」
「どうせ、コータ様だって……貴方だって『面倒』だと思ってる癖に! 私なんて、居ない方がいいと思ってる癖に! 心配した? ええ、そうでしょう! 私が居ないと困りますもの! 『ソルバニアの姫』が攫われたなんて、そんなの困りますものね! どんな難癖を、どんな面倒を押し付けられるか、分かったモノじゃないですもの! それはそれは心配した事でしょう!」
言葉が、一人でに宙を舞う。止まる気配も……そもそも、止めるつもりも、無い。
「私なんて、どうせいても居なくても一緒ですもの! 貴方がたが心配したのは『ソルバニア王の第十一子』であって『ソニア・ソルバニア』では無いんですもの! そうでしょ? だって、私なんて――」
「ソニアさん、私は『異世界人』です」
「――いてもいなく……え?」
「ヤメートの商人なんて大嘘です。私はフレイム王国の『勇者召喚の儀式』で召喚された、普通の銀行員です」
「……何をいっているんですか?」
「私の『秘密』、ですかね?」
浩太の気負いの無い台詞に、思わずソニアは辺りを見回す。視線の先に、額に手を当てて天を仰ぐエリカの姿が見て取れた。
「……本当……ですの?」
「ええ」
「ゆ、勇者召喚なんて、そんなお伽噺……」
「嘘ではありません。ね、エリカさん」
「……本当よ」
苦々しい顔を見せるエリカ。
「……フレイム王国が『なんとなく』召喚した『勇者』が私。でも、フレイム王国は隣国と不穏な仲でしょう? 私がいると不味いから、王宮から追い出されたんです」
「……」
「さあ、ソニアさん。それを知ってどうしますか?」
「どう、とは……」
「ソルバニアに報告しても良いでしょう。『フレイム王国は勇者召喚の儀式を行ってコータ・マツシロを召喚した』と。その事は、充分外交カードになりませんか?」
「……なりますわね」
なんせ『追い出して』まで隠したかった『秘密』だ。それをソルバニア王に告げれば、間違いなく外交の道具として使うだろう。恐らく、カルロス一世なら嬉々として。
「……ですが、何故私にそれを?」
「そうですね……まあ、これは私が悪いのですが……」
そう言って、ポリっと頬をかき。
「ソニアさん、私は正直貴方の事が嫌いではありません。というか、どちらかと言えば好きです」
「……愛の告白、ですか?」
「いえ、そういう訳では……というか、流石にソレはもう少し大きくなってからにして下さい――エリカさん、そんな眼で睨まないで下さい」
コホン、と一息。
「色々紆余曲折はありましたが、何だかんだで一緒に暮らす仲です。仲が悪いよりは仲が良い方が良いし……それに、純粋に自分に『好意』……というか、『興味』ですか? ともかく、関心を持って貰うのは嬉しいモノです」
「……」
「比翼の鳥の、連理の枝の様に過ごせるかどうかはともかく……仲良くして行こうと思う相手に、隠し事は失礼でしょう? だから……」
私は……隠し事は辞めますよ、と。
「……」
「さあ、ソニアさん。私は隠し事は辞めましたよ?」
「……」
「何でこんな事をしたか、教えてくれますか?」
「……」
「……」
「……さびし……かった、です」
「……はい」
「……『私』を、『ソニア』を見て欲しかったです」
「……ええ」
「だから……『心配』をして欲しかったです」
「……心配しましたよ、随分」
「……申し訳ありません」
「いいえ。私も悪かったですし」
「……」
「……」
「……さびし……かったです」
「……」
「甘えたかったです。『ソニア』を見て欲しかったです。相手をして欲しかったです。拗ねて見たかったです。心配して貰いたかったです。愛されたかったです。我儘も言ってみたかったです。こうやって、怒られてもみたかったです……」
潤んだ瞳から、大粒の涙を流し。
「……さ……ざびし……ひっく……がっだ……でずぅ……」
泣き顔の、まま。
ソニアはコータの胸に飛び込んだ。
「……気付いて上げられなくて、御免なさい」
「ひっく……ゴーダざまは……わるぐ……」
「いいえ。私、言いましたよね? 『何より、自分自身に怒っている』って」
「ひぐ……はい……」
「本当は、私に怒る資格なんて無いんですよ。ですから、ソニアさん?」
私に怒っても良いんですよ? と。
「……ひっく……ぐ……怒っても?」
「ええ。怒ってもいいですし、拗ねても良いんです。『私の相手をもっとして』って言っても良いんです」
「でも……その……いいん、ですか?」
「当然」
「そ、その……で、でしたら……その……」
「はい?」
「そ、その……け、けーき、を」
とっても美味しい、ケーキ屋さんがあるので。
そこに……連れて行ってくれませんか、と。
「……喜んで、『ソニア』さん」
『お姫様』ではなく、『ソニア』と。
「……あ……は、はい!」
そんな浩太の言葉が、妙に嬉しくて。
ソニアは顔を綻ばし、もう一度浩太の胸に顔を埋めた。
マメ知識は次回も休みですよ?