時は元禄、世は情け。
藩主を隠居して黄門となった光圀公は、お供の者をひき連れて、諸国漫遊を兼ねての世直しの旅に出た。
「アーッ、いーい匂いだ!!御隠居、御隠居!そろそろ昼にしませんか?」
(ほら、はじまった……八兵衛、さっき茶店でお団子を食べたばかりじゃないですか。もう、この大食漢のせいで旅の路銀も残りわずか……ここは老人特有の聞こえてない振りでやり過ごすとしますか。)
「御隠居!!御隠居ってば!!」
「……」
「聞こえねえんですかい?」
「……」
「チッ、ボケ老人が!!」
(!!……聞こえてます。聞こえてますぞ、八兵衛!!この天下の副将軍に舌打ち&“ボケ老人”扱いとは、イイ度胸ではないですか!!八兵衛よ、ここが旅先でなければお前の首と胴はとっくにおさらばしているのですぞ。しかし、今の私は越後のちりめん問屋のしがないご隠居……今回は注意だけで許してあげましょう。)
「コレッ、八兵衛!!……って、あれ?」
黄門様が後ろを振り向くと、八兵衛の姿はそこにはなかった。
「格さん、八兵衛はどこに行きましたかな?」
「さて?ところで、御隠居。今夜の宿はプロテイン持ち込みOKの旅籠にしていただきたいのですが」
格さんは二の腕に隆々とした力こぶを作り、その力こぶ具合を入念にチェックしていた。
(……この、筋肉馬鹿が!!)
「助さんは知りませんかな?」
「……えっ、いや、存じませんが」
助さんは答えながらも、その視線は前を歩くお銀のある一点から動かなかった。
(また、お銀のおしりばかり見て……)
「おーい、御隠居ー、こっちですよー!!」
黄門様が呼ばれた方に目をやると、いつの間にか八兵衛は街道沿いの鰻屋の前に立っていた。
「しょうがない奴だなー。御隠居、ちょいと早いですが、お昼にしますか?」
「ハッハッハッ、しょうがないですねー。そうしますか」
格さんの問いかけに黄門様は明るく答えたが、その腹の内は別だった。
(……そうきたか、八兵衛。侮れぬ奴!!……しかし、鰻は私の好物。ここは見逃してやりますか。)
そのとき、助さんはというと……街道を歩く娘に流し目を送っていた。
「大将、うな丼6人前!!」
「へい、毎度!!」
黄門様御一行が鰻屋の暖簾をくぐると、八兵衛は既に注文をしていた。
「!? これこれ、八兵衛。弥七はまだ来ませんよ」
「あーそうでしたっけねーってありゃ?大将もう6人前焼いちゃってますよ。こりゃだめですねー」
「ハッハッハッ、やっぱり、フン!、お前は、フン!、うっかり、フン!、八兵衛、フン!だな!!」
格さんが食前の筋トレである片腕指立て伏せをしながら言った。
(……格さん、何言ってやがるんだよ!!コイツはわざと多く頼んで2人前喰らう腹積もりなんだよ!!お供のお前がそんなことも気がつかないなんて、どうしょうもねーな!!ていうか、何で食前に筋トレ?……もう頼りは助さんしかないな)
黄門様がそう思った時、娘さんの黄色い悲鳴が飛んできた。
「いやだー、お客さんったら、エッチー♪」
「えへーえへへへ♪」
(……あーもう、名前通りだよアンタは――助さん。お前の両親も、もう少し考えて名前を付けてくれたらよかったのに……所詮、印籠だけが私の味方か)
お供のあんまりな姿を見て黄門様は憂鬱になり、顔色が悪くなった。それを八兵衛見逃さなかった。
「あれっ、御隠居。顔色が悪いですぜ。お腹でも痛いんですかい?」
「いやいや、八兵衛……」
八兵衛は黄門様にみなまで言わせなかった。
「おい大将!鰻は腹痛には好くないよなー?」
丁度うな丼を運んできた大将に八兵衛は聞いてみたが、大将の答えを聞く間もなく、八兵衛は続けた。
「ここはひとつ、御隠居の分はあっしが無理にでも平らげます」
そう言うと八兵衛は黄門様のうな丼をヒョイと片手で奪っていった。
「ちょっ、ちょっと八兵衛」
「駄目ですぜ、御隠居には長生きしてもらわないといけませんからねー!!」
「ちっ違うんです。八兵衛……」
「あっしのことならお構いなく。大事なお金で頼んだ物。無駄にしちゃぁ罰が当たりますぜ。おいっ、大将!御隠居には茶漬けを頼むぜ!!」
「あいよ!!」
「いただきまーす!!……あ〜うめーうめぇ!!」
「へいっ!茶漬けお待ち!!」
ボーゼンとする黄門様の目の前にご飯と梅干だけの粗末な茶漬けが差し出された。
(……うぬぬ!!このくされ外道が!!わしの大好きな鰻を奪いおって!!……もう、今度という今度は堪忍袋の緒が切れましたぞ!!)
「えーい!!もう許さん!!助さん、格さん、懲らしめてやりなさい!!」
「……」
「えーい!!助さん、格さん……」
返事のないお供の姿を見つけて、黄門様は愕然となった。
(あーあーどうしょうもねーなーもう……泣きてーよ。二人揃って外でナンパかよ。もう吉原でもどこでも行って来いよ。もう、こうなったら印籠を、印籠を出すしかねぇ。八兵衛よ、権力の恐ろしさというものをとくと教えてあげましょう……今回ばかりは“うっかり”では済ませませんぞ!!)
黄門様はついに三つ葉葵の紋所が刻印された印籠を八兵衛の目の前に突き出した。
「えーい!!この紋所が目に入らぬか!!八よ!!」
「……御隠居、目に入ったらエライことですよって、ごっそーさん」
黄門様の必死の行為も虚しく、八兵衛は何食わぬ顔でうな丼3人前が入ったお腹をさすり、爪楊枝でシーシーしながら受け流した。
「ぐっ、ぐぬぬ……」
黄門様は悔しさの余り、その場に崩れ落ちてしまった。
「ほらほら、言わんこっちゃない。御隠居、血圧高いんだから気をつけましょうよー」
八兵衛は黄門様の体を支えながらも、内心ではこう思っていた。
(一応つっこんでやったけど、このジジイもモウロクしてきたな……食うだけ食ったし、そろそろおさらばとするか――)
八兵衛がその後、どさくさに紛れて肝串を10本お持ち帰りしたのは言うまでもない。
ただし、半分の5本は助さんから頼まれたものである。
今日は帝劇、明日は三越。
水戸のご老公一行は、今日も世のため、人のため、東海道を西へ西へと下っていくのであった。
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