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第二話 立ちはだかるは、『陸の女王』
「…………いてぇ」
「自業自得ですよ」

 武具工房の中で、ヴァンは顎に氷嚢を着けて悶絶していた。その隣では、青年が男に踏まれた本をパラパラと捲っている。

「ガッハッハ。まさかレラちゃんにあんな切り込み方をするたぁなぁ。坊主。なかなか面白かったぜ」

 そう言いながら、ヴァンと青年にお茶を出すのは、この工房の武具職人だった。ゼックスと名乗った職人に、ヴァンは片手を上げて、青年はペコリと頭を下げてお礼を言う。
 ヴァンは、ゼックスの言った名前に首を傾げる。

「レラ? 変わった名前だな」
「昔あった、極東の国にいた部族の古い言葉で『風』という意味ですね」

 ヴァンの隣で青年がスラスラとその意味を答えると、ゼックスは腕をくんで感心した。

「お、そっちの坊主は博識だな。なんだ、よく見りゃ書士官じゃねえか」
「書士官?」

 再び今度は逆方向にヴァンが首を傾げると、青年はコクリと頷いた。

「はい。名乗り遅れましたが、僕はヒューゴ・レペンスといいます。王都の王立学術院で書士官として働いています」

 ヒューゴはそう言って、ヴァンに右手を差し出した。ヴァンは顎に氷嚢を当てたまま、握手を交わす。

「ドーラ村『ドラグニル工房』のヴァン・ドラグニルだ。よろしく、ヒューゴさん」

 二人が互いに自己紹介を終えて手を離すと、いきなりゼックスが前のめりになってヴァンを見た。

「ドラグニル! まさか坊主、『神の手』と呼ばれる、ジン・ドラグニルの血筋か!?」

 そう訊ねるゼックスの顔は、興奮で真っ赤になっている。心無しか、鼻息も荒い。ヴァンは余りの圧倒感に、椅子ごと後ろに下がる。

「じ、ジン・ドラグニルは、オレのひいひいじいさんだよ。今でも工房でピンピンしてる。あと二百年は生きそうだ」

 ヴァンはそう答えると、後頭部を掻きながら小さなため息をついた。
 ヴァンにとって、『神の手』ジン・ドラグニルはこの世で一番恐ろしい相手なのだ。小さいころに、顔に落書きをした罰でまだ動いている竈の上に吊るされたことは、決して忘れられない恐怖として、ヴァンの記憶に残っている。
 しかし、そんなことなど全く知らないゼックスは、そうかそうか。としきりに感心していた。

「竜人族が長命なのは知っていましたが、ひいひいおじいさんがまだ生きてるなんて、すごいですね」
「御年今年で五百と三十八なんだとさ。オレの親父も今七十九だけど、はっきり言って三十代後半くらいにしか見えないぜ」

 ヴァンがそう言うと、ヒューゴがヴァンを疑いの眼差しでジッと見つめているのに気づく。

「どうしたんだよ、ヒューゴさん」
「まさか、君もその姿で既に四十歳を超えていたりとかは……」
「オレは今年で十六だっつの!」

 ヴァンは言われて思わず立ち上がる。と、先ほど打たれた顎がまた痛みだした。

「ってぇ〜。まだヒリヒリしやがる……」

 再び椅子に座り、氷嚢を顎に当てると、ヒューゴが本をパタンと閉じた。

「そう言えば、ヴァンくんは何であんなこと言ったんですか?」
「…………何でって、何で?」
「いや、さすがにあれは、非常識極まりないかなと……」

 ヒューゴは頬を掻きながら、そう言って苦笑いを浮かべた。
 しかし、ヴァンは首を傾げながらヒューゴに訊ねる。

「防具を見せてもらうことの、どこが非常識なんだ?」
「……へ?」

 ヴァンの言葉を聞いて、ヒューゴとゼックスは言葉を失った。今、この男は何と言ったんだ。
 しかし、ヴァンはそんな二人など気にせずに、うっとりとした表情を浮かべた。

「いや、しかし、あの桜色の鎧、リオレイアの亜種の素材だったよなぁ。『陸の女王』でその上亜種の素材は、ドーラでも数ヶ月に一回くらいしか見れねぇのになぁ。あぁ、もうちょっとじっくり見たかったぜ〜」

 まるで、恋する乙女のような(ヴァンが若干中性的な顔つきにもよる)、恍惚とした表情を見せるヴァンを見て、ヒューゴとゼックスはしばらく放心。数秒して、同時に笑い声を上げた。ヴァンは不審そうに突然笑いはじめた二人を見る。

「何が可笑しいんだ?」
「ヴァンくんたら、すごく紛らわしいじゃないですか、それ!」
「まったくだ! あんなべっぴんさんに話しかけられたのに、顔じゃなくて鎧を見るたぁな。坊主、お前は良い職人になれらぁ!」
「ゼックスさん、それは褒め言葉ではないでしょう! でも、本当に可笑しいなぁ! さすがは武具職人の聖地、ドーラの出身ですね!」
「……何かよく分からんが、最後のヒューゴさんのも、絶対に褒めてねぇよな」

 相変わらず笑い止まない二人を見て、ヴァンは苦笑いを浮かべつつ、ふと、壁の時計に目をやった。
 ヴァンが町に繰り出したのは、ちょうど昼すぎの二時ごろ。
 現在の時刻、三時十分前。

『一時間後に、西側の馬車置き場だぁ』

「やっっべぇ!」

 老運転手の言葉を思い出したヴァンは、慌てて立ち上がった。ヒューゴとゼックスが笑うのを止めてヴァンを見る。

「どうした、小僧?」
「あと十分後に、ミミル行きの馬車が出ちゃうんだよ! すっかり時間忘れてた!」
「何ですって!」

 ヴァンの言葉に、何故かヒューゴまで慌て始めた。一人、仲間に入れないゼックスが、ヒューゴに訊ねる。

「おいおい、坊主はともかく、なんであんたまで焦るんだ?」
「僕もミミルに行くからですよぉ! そんな、急がないと!」
「ヒューゴさんもミミルに?」

 ヒューゴの言葉に、ヴァンも反応した。ヒューゴはブンブンと首を上下に振る。本をすべて積み上げると、ヒューゴはナップサックを肩に下げた。

「とにかく、急がないと! ミミル行きの馬車はどこから?」
「西側だ!」

 ヴァンも自分の荷物をポーチに詰めて、席を立った。それから、ヒューゴが積み上げた本の上半分を持ち上げる。

「あ、ありがとうございます!」
「礼は後でいい、急ごう、ヒューゴさん!」
「はい! ……あ、お茶、ごちそうさまでした!」
「あっ、オレも氷嚢ありがとう!」
「お、おい、坊主ども!」
「「じゃあ!」」

 ゼックスの制止も聞かず、ヴァンとヒューゴは猛ダッシュで工房を後にした。
 一人残されたゼックスが、ポツリと呟く。

「ミミルは東なんだぞ……」



   ◆



 十分後、二人はなんとか馬車置き場に到着した。ヴァンはゼェゼェと肩で息をする。

「な、なんとか、ま、間に合ったぁ……」

 しかし、安堵するヴァンの横で、ヒューゴがポカンと口を開いたまま動かない。

「……どうしたんだ、ヒューゴさん」
「ヴァンくん……」

 ヒューゴが、まるでからくり人形のように、カタカタと首をヴァンに向ける。その顔は、今にも泣きそうだった。

「ここ、西じゃなくて、東……」

 ヴァンの手から、本がバサバサと落ちる。ヒューゴは顔中冷や汗だらけになっていた。
 今から戻っても、馬車には間に合わない。そう二人は諦めかけていた。
 だがしかし、

「おぉ、坊主ぅ。待っとったぞぉ」

 聞き覚えのある声に、ヴァンは自分の耳を疑った。まさか、と思って声のした方を見る。

「おじさん!」
「おぉ、街は楽しかったかぁ?」

 そこには何故か、西にいるはずの老運転手とその馬車がいた。ヴァンは落とした本を拾い集めて、老運転手の元へと走る。遅れて、それにヒューゴが続いた。

「おじさん、何でこっちにいるんだ? ミミルは西じゃなかったっけ?」

 ヴァンがそう訊ねると、老運転手は首を横に振った。

「ミミルはこっちで合ってるぞぉ。ちゃんと言い直したはずだがなぁ」
「……え?」

 老運転手の言葉に、ヴァンの顔が固まる。ちなみに、確かに老運転手の言葉は正しいが、ヴァンはそれを聞く前に、既に街へと繰り出していたのだ。

「え、えっと、まぁ、終わり良ければすべて良しですよ。おじさん、僕も乗ってもいいですか?」

 固まるヴァンの横で、ヒューゴがあたふたしながらもその場を取り繕うとする。マイペースな老運転手は、固まるヴァンのことなど既に忘れ、ヒューゴにゆっくり頷く。

「ええぞぉ。ここからなら一千ゼニーで乗せてやるぞぇ」
「ありがとうございます。さ、乗りましょう、ヴァンくん」
「え、あ、おぉ」

 ヒューゴに背中を押され、ヴァンはようやく我に帰る。そのまま、後ろから馬車に乗車した。

「あれ……?」
「あっ!」

 馬車に乗ると、二人は見覚えのある顔を見つけた。桜色の少女――レラと、レモン色のアイルー――ナタリーだ。二人もヴァンたちに気づくと、目を丸くした。

「あ、さっきのド変態」
「ド変態だニャ」
「ちげーよ!」

 開口一番に酷いことを言われたヴァンは、間髪入れずに否定する。しかし、レラたちはツンとそっぽを向いた。

「坊主ぅ、乗ったなら出発するぞぉ」

 中のことなど露とも知らない老運転手の声が、ヴァンたちに訊ねてきた。分かった、もういいよと答え、ヴァンとヒューゴがレラたちと向かい合うように座ると、前から手綱を引く音と、アプトノスの鳴き声が聞こえてきた。馬車がゆっくりと動き出す。

「あなたたちもミミルに行くなんて、奇遇ね」

 馬車が動き出すと、レラからヴァンたちに話しかけてきた。先ほどのことがまだ少し堪えているヴァンは、無言で気まずそうに頭を掻く。
 すると、レラの隣でナタリーが小さく噴き出した。

「別に、旦那さんはもう気にしてないニャよ。さっきのは、ちょっとした仕返しニャ」
「…………」

 それでもまだ黙るヴァンに、今度はレラが話しかける。

「一応、マナーとして、女性にあんな頼みするもんじゃないってことよ。まぁ、ゲリョス野郎のときみたいに、防具目当てだったんでしょうけど」

 レラはそう言うと、おもむろに両腕の籠手を外し、ヴァンに向かって投げた。ヴァンは、慌てて両手を空中に出してそれをキャッチする。

「……え?」
「さすがに今全部を脱ぐのは嫌だけど、籠手くらいならどうぞ」
「……マジで?」
「別にいいなら」
「見る見る見ます! うおぉ、やったぜ!」

 レラの言葉を遮って、ヴァンはじっくりと籠手を見始める。その隣でヒューゴが、
「良かったですね」
とヴァンに話しかけるが、既にヴァンは、自分の世界に入ってしまっていた。

「ハアァ。この桜火竜の鱗の艶! なかなかこの艶は出ないぜぇ。このリオレイア、すげぇ立派だったんだろうなぁ」
「一ヶ月前に、すぐ近くの丘に出たのよ。確かに少し大きかったわね」
「それに、この甲殻の輝き! 最っ高だぜ〜! あのゲリョス野郎と違って、無駄な傷が最小限で済んでる。武器は太刀か?」
「え、えぇ、そうよ」

 使用した武器を言い当てられ、レラはコクリと頷いた。ヴァンの隣で、ヒューゴが目を丸くする。

「え、ヴァンくん、そんなことも分かるんですか?」
「まぁな。片手剣と双剣だとちょっと判別しづらいけど、傷のこの細さは太刀特有の筋だ。そうとう良い武器で挑んだんだな」
「べ、別に、そこまで良い武器じゃないわよ」

 レラはそう言いながらも、照れているのか頬を赤く染めていた。
 主人のそんな一面を見て、ナタリーが小さく微笑む。

「旦那さん、照れてるニャ」
「照れてるな」
「照れてますね」
「う、うううるさいわね! 照れてなんかないわよ!」

 ナタリーにヴァンとヒューゴも便乗すると、レラは更に顔を真っ赤にした。馬車の中の空気が一気に和やかなものになる。

 が、しかし、

「うわぁっ」
「きゃっ」
「あぁ、本が!」
「ウニャッ」

 突然、馬車が大きく揺れた。レラが運転席に訊ねる。

「おじさん、どうしたの!」
「あぁ、ああああ……」

 レラの問いに、老運転手は答えなかった。ただ、呻き声だけがレラたちの耳に届く。

「……ごめん、籠手返してもらうわね。ナタリー!」
「はいニャ!」

 レラの呼び掛けにナタリーは頷くと、脇に置いてあった自分の武器と、布に包まれた長い包みから、一振りの黒い太刀を取り出す。レラはヴァンの腕から籠手を取ると、素早くそれを装着し、ナタリーから太刀を受け取る。

「貴方たちは、ここにいて!」
「あ、おい! ちょっと待てって!」

 レラはそれだけ言うと、馬車から飛び下りた。ヴァンは、先ほどのレラの言いつけを守らずに、弓と矢筒を背負って馬車から飛び下りる。遅れて、ヒューゴも続いた。

「な……!」
「これは……!」

 馬車から降りた瞬間、二人は戦慄した。自分たちのような矮小なものとは違う、『王』の風格を目の当たりにする。
 そこにいたのは、馬車の二倍はある、巨大な生き物だった。全身を緑の鱗に覆われ、甲殻は鋼に匹敵するだろう、幾重にもついた傷は、皮膚まで届いてはいなかった。翼と尻尾についた棘からは、毒々しさを感じる。その足下で、二つの影が動いていた。

「まさか、これが……」

 ヒューゴが、震える口を何とか開くが、言葉が続かない。だが、それより早く、ヴァンが小さく呟いた。

「『陸の女王』リオレイア……!」


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