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第96話 魔族の治世

 死屍累々、と言うべき有り様である。

 これほど大量の死体を目にしたのは、あの忌まわしき西国境の戦以来であろうか。レボルト・ハイマンは、そう思った。

 あの時と異なるのは、これら屍が人間のものではない、という点だ。

 再生不可能なほど叩き潰されたトロル。頭蓋を叩き割られたオーガー、潰れて岩肌に貼り付いたバジリスク。臓物丸出しで息絶えているミノタウルス、首を全て引きちぎられたヒドラ。

 元が何であったのかわからぬほど黒焦げとなった焼死体も、10や20ではない。

 死体すら残らなかった者たちは今、大量の遺灰となって、さらさらと風に舞っている。

 ゴズム岩窟魔宮の中庭は、殺戮の場と化していた。

 その虐殺跡の中央に、デーモンロードは立っている。青黒い巨体に包帯を巻いた負傷姿を、しかし堂々と晒して佇んでいる。

「レボルトよ、貴様の言った通りとなったな……」

 隻眼の異相を、苦笑と思われる形に歪めつつ、デーモンロードは言う。言いながら、足元に横たわる巨体を片足で踏み付ける。

「私が負傷すれば、良からぬ考えを抱く者が出て来る……デーモンロード恐るるに足らず、などと侮って馬鹿をやらかす者が出て来ると」

「ぐえぇ……ひい……」

 踏み付けられた怪物が、悲鳴を漏らす。

 筋骨隆々たる巨体のあちこちに、類人猿を思わせる獣毛を生やしている。頭には角、口には牙。凶悪なほど醜い顔面は、今は血にまみれて赤くなりつつ、恐怖に青ざめてもいる。

 そんな怪物の胴体を、片足で踏みにじりながら、デーモンロードは笑った。

「怪我をした私になら容易く勝てると、そう考えてしまったわけかオーガーロード殿」

「ひいぃ……お、お許しを、偉大なるデーモンロード様……」

 このオーガーロードが、負傷したデーモンロードを侮って叛乱を起こした。

 その結果が、この虐殺跡の光景である。

 オーガーロードに同調し、叛乱を起こした怪物たちを、デーモンロードは単身で皆殺しにしてのけたのだ。

 その叛乱の首魁たるオーガーロードが今、踏まれながら命乞いをしている。

「ほ、ほんの出来心でございます……いえ、実はその、そこにおるレボルト・ハイマンめが! 私をそそのかしたのでございますうぅぅ!」

「この男が叛乱を企てるのであれば、もう少し抜かりなくやるであろうよ。貴様のような役立たずは使わずに、な」

 隻眼をちらりとレボルトに向け、にやりと牙を見せながら、デーモンロードは言う。

「そうであろう? レボルト将軍」

「まあ……な」

 レボルトは、曖昧な答え方をした。

 今は、人間の若者の姿をしている。そして左腕に包帯を巻き、首から吊っている。

 あの青い鎧の少女が放った攻撃魔法を、ジャックドラゴンの楯で受けたのだ。

 その結果、レボルトの左腕はしばらく使い物にならなくなった。

 デーモンロードを倒すために利用するならば、オーガーロードのような役立たずではなく、あの者たちだ。

 青い鎧の少女、緑の鎧の若者、それに黒騎士。魔獣人間ゴブリート、メイフェム・グリム。そしてゼノス・ブレギアス王子。

 魔族の帝王デーモンロードと赤き魔人ガイエル・ケスナー、この2つの災厄を討ち滅ぼすために必要な戦力が、揃いつつあるとは言えるのだろうか。

「お許しを……ど、どうか、お許しをぉ……」

 オーガーロードは、もはやそれしか言えなくなっている。

 踏みにじる力を緩める事なく、デーモンロードは言った。

「なあオーガーロード殿。今の魔族、私に不満を抱く者は貴公だけではあるまい? 何しろ人間の、女の肉も子供の肉も喰らってはならぬ、などという命令を出してしまったのだからな。隙あらば叛乱を起こそうなどと思っている者は多かろう……そういった者たちに、貴公から言って聞かせてはくれまいか。デーモンロードに逆らってもろくな事にはならぬと、警告して欲しいのだ」

「い……いたしますとも、ようく言って聞かせますとも!」

 命が助かると思ったのであろう。オーガーロードが、踏まれながら喜んでいる。

「デーモンロード様への叛逆が、どれほど愚かしき行為であるのか! あらゆる魔族の者どもに、心を込めて言い聞かせますとも! 警告いたしますとも! 偉大にして寛大なるデーモンロード様こそが、決して逆らってはならぬ魔族の王者であるという事実を、命ある限り語らせていただきますゆえ、どうかお許しを……」

 もはや何も言わず、デーモンロードは左手を振り下ろした。その左手が燃え上がり、炎の剣が生じる。

 振り下ろされた炎の斬撃が、オーガーロードの首を刎ねた。

 卑屈な命乞いの表情をこびりつかせた生首が、斬撃の勢いで少しだけ宙を舞い、落下し、転がった。断面がこんがりと焼け焦げ、出血を止めている。

 その生首を、どこからか進み出てきた1体のデーモンが拾い上げた。

 左手を振るって炎の剣を払い消しつつ、デーモンロードは命じた。

「その首は晒しておけ。私に叛意を抱く者どもに対して、そこそこの警告にはなるであろう」

 オーガーロードの生首を抱えたまま、デーモンが恭しく一礼し、去って行く。

 レボルトの背後から、複数の足音が聞こえて来た。声もした。

「多少の怪我は問題なし……デーモンロード政権は安泰というわけですな」

 振り向いたレボルトに、シナジール・バラモン……魔獣人間サーペントエルフが、にやりと微笑みかける。この男は死んだ、と報告を受けていたのだが。

 死んだはずの男が、もう2体の魔獣人間を引き連れ、歩み寄って来たところである。

 リザードバンクルと、クローラーイエティ。魔人兵から魔獣人間へと進化した者たちだ。

「安心しましたよ。今の状態で政情が安定してくれれば……バルムガルドは、前よりもずっと強くて豊かな国になる」

「本気で言っているのか貴様……!」

 激昂しようとするレボルトを睨みながら、クローラーイエティが言った。

「俺たちは強くなった。女子供も安心して暮らせてる。確かに男手は足りてないが、それだけ税も安い。何しろ魔族の方々は、人間の金持ちみたいな贅沢をしないからな……俺にはなぁレボルト将軍殿。ジオノス王家のくそったれどもが大きな顔してた時よりも、格段にましな国になってるとしか思えないんだよ」

「ま……これも、あんたのおかげさ将軍」

 言いながらリザードバンクルが、縦に裂けた大口の中で、赤い宝石を輝かせる。

 レボルトの負傷した左腕が、淡く赤い光に包まれた。

「むっ……」

 包帯の中で痛みが失せてゆくのを、レボルトは感じた。

「腕、動かしても大丈夫ですよ」

 リザードバンクルに言われた通り、肘を伸ばしてみる。五指を、閉じたり開いたりしてみる。問題なく動く。

 レボルトの左腕は、完全に治っていた。

「頼もしい者たちではないか、レボルト・ハイマン」

 デーモンロードが、のしのしと近寄って来た。包帯の巻かれたその巨体に、どこからか現れたサキュバスが2匹、しっとりと寄り添い貼り付いている。

 レボルト以外の魔獣人間3体が、恭しく跪いて頭を垂れた。

「もったいなき御言葉でございます、デーモンロード様」

「……シナジールよ、貴様は死んだと聞いていたが?」

「はい。あの鬱陶しい男は死にました」

 シナジール・バラモン、の姿をした魔獣人間が顔を上げ、その美貌をニヤリと歪める。

「奴の脳みそは今、元々ゴルジとかいう奴が埋まっていた場所に収まっています」

「そうか。魔獣人間の製造設備は、確かに問題なく稼動しているようだな」

「あの腐った性格は削除して、魔獣人間関係の知識と技術だけを機能させる事には、何とか成功しましたのでね」

 シナジール・バラモンだけではない。魔獣人間マイコフレイヤー、それにトロルロードとギルマンロードも死亡したらしい。

 凶悪なほど力強い両腕で左右1匹ずつサキュバスを抱いたまま、デーモンロードが鷹揚に問いかけた。

「お前たち、竜の御子と戦ったのだな?」

「はっ……敗れました」

 クローラーイエティが、白い巨体を平伏させる。

「罰は、お受けいたします」

「良い良い。あれに勝つのは並大抵の事ではないからな……それにしても貴様たち、あの怪物を惜しいところまで追い込んだという話ではないか」

 手駒の怪物たちを何体も失ったと言うのに、デーモンロードは上機嫌である。失われた者たちの代わりを、こうして補充出来たからであろうか。

 新たに魔族の戦力となった、3体の魔獣人間。

 4体目、5体目の魔獣人間が、これからも魔人兵たちの中から進化して来るかも知れない。

 そういった者たちが、この3名のように、自ら進んでデーモンロードのために戦うようになったら。

 魔族によるバルムガルド支配は、いよいよ磐石のものとなる。

 磐石であればあるほど、王国内の女性たち子供たちの身の安全は保証される。何しろ人間の男の犯罪者まで、魔物たちが討伐してくれているのだ。そちらは主に、オークロードが担当しているようである。

「デーモンロード様は、お怪我をなされた……」

 リザードバンクルが言いながら、赤い宝石を輝かせようとしている。

「よろしければ、私が治療を……」

「気遣いは無用だ。こやつらに時間をかけて治してもらった方が……気持ちが良いのでなあ」

 嬌声を上げるサキュバス2匹を抱き寄せつつ、デーモンロードが笑う。

 この好色な青黒い悪魔が、人間の女性に興味を示して手当り次第にさらったり犯したりしないのは、まあ幸いではあった。隣国ヴァスケリアでは、竜が人間の王女を奪った実例がある。

 デーモンロードの性欲は、竜のそれとは異なり、サキュバスやラミアやセイレーンといった、人間ではない美女にしか反応しないようであった。

 人間の女子供には一切、危害を加えない。その約束を今のところ、デーモンロードは守ってくれている。配下の魔物たちにも、徹底させてくれている。

 人間の男が女性・子供に対して働くような暴虐を、魔物たちは一切、行っていないのだ。デーモンロードに禁じられているという理由だけで。

 この怪物の、恐るべき暴力に裏打ちされた統率力のなせる業であろう。

(私は……どうすれば良い……)

 この場では口に出せぬ悩みを、レボルトは胸中で渦巻かせた。

(バルムガルドの民を守るためには……デーモンロードによる、この支配体制を……維持し続けるしか、ないのか……?)



 他人に指図する立場の人間が、絶対にしてはならない事が1つある。

 それは、他人に好かれよう愛されようとする事だ。

 ダルーハによる叛乱の際、ヴァスケリア王国正規軍で威張り散らしていた頃から、ティアンナが肝に銘じている事の1つである。

 自分のような20歳にもならぬ小娘に偉そうな事を言われて、良い気分になれるはずがないのだ。

 自分は、嫌われなければならない。憎まれなければならない。大勢の人間に指図をするというのは、そういう事だ。

 タジミ村は、人が増えた。もはや村という呼び名がふさわしくないほどにだ。

 今では、ゴズム山脈の3分の1近くが、タジミ村と呼ばれる領域である。

 バルムガルド王国全土から、人が大勢集まって来る。魔物たちの攻撃によって難民となった人々が、その大半である。

 大量の難民が出るほどの暴虐を、魔族は最初、行っていた。

 最近は幾分ましになったとか、少なくとも女子供に危害が及ぶ事はなくなったとかいう話は聞こえて来る。

 それでも大勢の人間が、タジミ村に流れて来る。その中には、ならず者や無法者としか言いようのない輩も多い。

 聞くところによると、魔族はバルムガルド全土から、15歳を超えた男子を、魔獣人間の材料として狩り集めているらしい。

 それを逃れた男たちが、山賊や強盗と大して変わらぬ集団となって、タジミ村に流れ込んで来たりもする。

 そういった輩が、何かしら問題を起こしてはゼノス・ブレギアスに殺されるという事態が、何度か続いた。

(それはそれで、ある意味……助かってはいたのだけど、ね)

 思いつつティアンナは溜め息をつき、広場を見回した。

 裁きの場として定められた広場である。併合された各村の村長といった、タジミ村の主だった人々の何人かが集まっている。

 ティアンナも今や、その主だった者たちの1人……と言うよりも、そういった人々を権力でまとめ動かす役目を与えられていた。拒否する事は許されず、押し付けられていた。姉であるシーリン・カルナヴァート王母によって。

 バルムガルド国王ジオノス3世の後見人として多忙を極める姉を、妹として支えてやるべきだとは当然思う。国王の叔母である自分に、それなりの立場が与えられてしまうのも、わからぬではない。

 だが人を裁くような役目は、この場にいる村長たちのような、経験のある年長者の中から選ぶべきではないのか。

 ティアンナは姉にそう言ったが、却下された。

 たとえ年少者であろうと、王族に連なる者の命令であれば、よほど理不尽なものでない限り、民衆は渋々ながら従うものだ。シーリンはそう言った。国王の親族であるという権威を振りかざすだけで、些細な揉め事であれば意外に簡単に収まってしまう。そういうものだ、とも。

 国王の叔母であるという立場を最大限に利用し、些細な揉め事を片っ端から処理して欲しい。

 姉にそう言われて仕方なく、ティアンナは引き受けた。

 今、目の前にいる男たちが起こした厄介事のような些末な事件を、起こる傍から片付けてゆく。そんな面倒な役目をだ。

 男が2人、広場に敷かれた筵の上に座らされている。それをティアンナ以下、村の主だった者たちが立って取り囲んでいる。

 2人とも、見るからに血の気が多そうな壮年の男だ。

 名はヴィレンとクラウス。ヴィレンの方が若干、凶悪な人相をしている。

 それもそのはず、と言うべきか、彼は元々バルムガルド東部で100名近い山賊たちを率いていた男であった。それが魔族によって縄張りを追われ、手下たちを率いてタジミ村へと流れ着いたわけである。

 その手下たちは今、ゴズム山中の洞窟に鉄格子を備え付けただけの即席の牢獄に閉じ込めてある。

 一方のクラウスは、かつてバルムガルド王国正規軍に所属していた騎士で、やはり100名近い兵士を率いてタジミ村へと流れ着いた。

 この兵士たちが、ヴィレン配下の山賊団と、殺し合い寸前の乱闘をやらかしたのである。そしてその山賊たちと一緒に今、洞窟の牢獄へと入れられている。

 双方の代表者としてクラウスとヴィレンが、こうして裁かれているというわけだ。

「貴方がたの引き起こした乱闘に、何人もの村人が巻き込まれて怪我をしました」

 出来る限り高圧的に、ティアンナは言った。

「……どう思いますか? クラウス殿にヴィレン殿」

「……先に手を出したのは、山賊どもの方でございます」

 不満そのものの口調で、まずクラウスが言った。ヴィレンが、即座に応じた。

「てめえらが偉そうな口ききやがるからよ……もう正規軍でも何でもねえ負け犬どもが、人見下してんじゃねえってんだよ」

「ティアンナ姫様、こやつらは元々、領民に害をなしていた者どもにございます。このような輩が、ジオノス3世陛下のおわすタジミ村にて居場所を得るなど、あってはならぬ事……即刻、追放なさるべきかと」

「それを決めるのは、貴方ではありません」

 口喧嘩が始まる前に、ティアンナは言った。

 このようなつまらぬ揉め事を、多忙な姉の所まで上げないのが自分の役目なのだ。

「貴方がたを含む198名全員に、2年間の入牢と労役を命じます……理不尽と思われる方、いらっしゃいますか?」

 村の主だった人々に、ティアンナは問いかけた。

 最終的には王族の権威で決めてしまう事になるとは言え、人々の意見に耳を傾けた、という形だけは作っておいた方が良い。これは兄モートン・カルナヴァートから教わった事である。

「恐れながら……」

 1人が、おずおずと声を発した。初老の穏和そうな男性。

 リグエンという人物である。元村長の1人で、今はティアンナの補佐のような事をしてくれている。

「あの牢に2年というのは、いささか過酷に過ぎるのではないかと……確かに乱闘を起こした者たちではございますが」

「人死にが出たわけでもなく、怪我人もマチュア殿が治して下さった」

 別の1人が言った。

「それをお考えになり、どうか今少しの御容赦を……罰則を厳しくするばかりでは、片手落ちというものでございます」

「人死にが出ていたとしたら、入牢・労役では済まないところでしたね」

 言いながらティアンナは、クラウス・ヴィレン両名を睨み据えた。口元では、微笑んだ。

「確かに、この方々のおっしゃる通りかも知れません……入牢と労役、本来ならば2年のところを1年、いや半年に縮めて差し上げましょう。方々、どう思われますか?」

「はっ……妥当かと思われます」

 元村長たちが、口々に賛同してくれた。

「そうですな、そのくらいは必要でありましょう」

「申し分なきお裁きでございます、ティアンナ殿下」

「半年ではいささか甘いような気もいたしますが……まあ負傷した者たちも、あまり重い罰は求めておりませんからな」

 我ながら薄汚い事をしている、とティアンナは思った。自分は最初から、半年にするつもりであったのだ。

 2年という刑期に対して反対意見が出る事は、わかっていた。そんな反対意見にも真摯に耳を傾ける、という形を作っておく。

 それが、政治というものだ。

「お、お待ち下さい! 我々を、この山賊どもと同じに扱うのですか!」

 クラウスが、悲鳴じみた怒声を上げた。

「こやつらは! まるで魔物どもの如く、民衆を大いに害していた者たちなのですぞ!」

「ふざんけんじゃねえ! 誰のせいで山賊なんざぁやる羽目になったと思ってやがる!」

 同じような口調で、ヴィレンも叫ぶ。

「真面目に働いたって、作ったもん稼いだもん全部、税やら何やらで持ってかれちまう! そんなクソ国で権力の飼い犬やってた連中に、偉そうな事言われてたまるかってんだよ!」

「何をぬかすか、この……!」

 ティアンナは言葉で止めようとはせず、ただ片手を上げた。

 10名前後の兵士たちが、裁きの広場に踏み入って来た。そしてヴィレン・クラウス両名を寄ってたかって捕え、引き立てて行く。

 引き立てられながら、なおも喚こうとする2人に、ティアンナは声を投げた。

「貴方たちはまず、罪人であるという自覚をお持ちなさい」

 出来る限り冷たい口調で、高圧的にだ。

「罪人は、正式な罰を受けてようやく物を言う資格を有するのです。罰を受ける前の罪人が何を言ったところで、野犬が吠えているのと同じ事……害獣として叩き殺されても、文句は言えませんよ?」

 こういう物言いをすると、ゼノス・ブレギアスが何故か異常に悦ぶ。

 だがクラウスもヴィレンも悦んだりはせず、兵士たちに連行されながらもティアンナを睨んだ。

 憎悪の、眼差しだった。

 こういう者たちには、徹底的に憎まれるしかない。ティアンナが、共通の敵になるしかないのだ。そうすれば2人とも半年の入牢期間中に、もしかしたら仲直りをしてくれるかも知れない。

 憎悪の眼差しを睨み返しながらティアンナは、連行されて行くクラウスとヴィレンを見送った。

 そして思う。自分は少し丸くなったのであろか、と。少し前のティアンナであれば、あの2名をこの場で斬り殺していたかも知れない。

 かつてヴァスケリア王国正規軍陣中で、バウルファー・ゲドン侯爵の子息を斬り殺したように。

 あの時も、一方的に斬り捨てたりはせず、形だけでも公正な裁きの場を設けてやるべきだった、とティアンナは思わなくもない。そうすればバウルファー侯も、魔獣人間を使っての叛乱などという愚行には走らなかったかも知れないのだ。

 もっとも彼がその愚行に走ってくれたおかげで、サン・ローデル地方はエルベット家の領地となり、親エル・ザナード1世派の強大勢力が出来上がる事となった。

 政治とは本当に、陰惨・醜悪なものであると言わざるを得ない。

 そんな汚らしい人間の政治とは無関係に行動していた若者が、かつてティアンナの傍にはいた。

 彼は、その自由な心のおもむくままに戦い、殺し、結果としてティアンナを守ってくれた。

(ガイエル様……私は相変わらず、薄汚い事をしております……)

「あの、ティアンナ殿下……」

 リグエンが遠慮がちに声をかけてくる。羊皮紙の束を、両手で捧げ持ちながら。

「次のお裁きを……」

「……そうでしたね。案件は?」

「土地の争いでございます」

 受け取った羊皮紙の束に、ティアンナはざっと目を通した。

 裁かれる者たちというのは基本的に、あまり冷静にものを喋る事が出来ないので、一から十まで言い分を聞いてやるのは難しい。だからリグエンが前もって調べ上げ、こうして書類にしてくれているのだ。

 その書類によると、とある村の有力者であったレグスという男が、タジミ村に併合された際のどさくさに紛れて、他人の土地を奪い取ってしまったらしい。

 奪い取られたという者たちから訴えが起こり、レグスの側は元々自分たちの土地であったと主張している。

 書類を読んだ限りでは、レグスの方に非がありそうではある。

「おーい、ティアンナ姫ー」

 声がした。

 薄汚い政治とは無関係に生きている男が、そう言えばもう1人いた、とティアンナは思った。

 ゼノス・ブレギアスが、広場の近くを歩いている。人間の姿で、それも全裸でだ。リグロア王家の剣だけを、鎖で裸身にくくり付けている。

 どこかで魔獣人間になったのであろうが、今は人間の若者の姿に戻り、がっしりと力強い裸体を堂々と晒していた。

 マチュアが付き従い、葉の茂った枝でゼノスの股間を懸命に隠しながら、ちょこまかと忙しく歩調を合わせている。

 この場にいる人々も、ゼノス・ブレギアスの奇行にはそろそろ慣れているので、特に動じた様子はない。

 いささか気になるのは、ゼノスが肩に担いで運んでいる荷物である。

 毛布に包まれた、人間の身体。見えているのは左右の素足だけだ。生きてはいるようだが、どうやら気を失っている。

「ティアンナ姫、肉拾って来たぜー肉」

「だから食べちゃ駄目ですってば」

 ゼノスとマチュアが、そんな事を言っている。行き倒れの旅人でも拾って来たのだろう。

 とにかく一緒にいると疲れるので、ゼノスの事は最近あまり構ってやれていない。

 無論この男には感謝しなければならないし、粗略に扱っているつもりもない。暇な時はもう少し相手をしてやろう、と思いはする。だが今は、暇ではなかった。

「どこかで安静に寝かせておいてあげなさい。くれぐれも食べては駄目よ? マチュアさん、申し訳ないけれど」

「は、はい。マチュアがお世話いたします」

「ティアンナ姫も、あんまり無理すんなよー。何やってんのか、よくわかんねえけど」

 毛布に包まれた人体を担いだまま、のしのしと全裸で歩み去って行くゼノス。マチュアが、枝をかざしたまま慌てて追いすがる。

 彼女には、いつの間にやらゼノスの子守りまで押し付けてしまっていた。ティアンナとしては本当に、頭の下がる思いである。

 男が数人、兵士たちに連れられて、ぞろぞろと広場に入って来た。レグスと、彼を訴えた者数名。

 乱闘事件よりも面倒な裁きが、今から始まるのだ。

 始まる前にティアンナは空を見上げ、心の中で語りかけた。

(私は、汚らしい事をしています……貴方は今、どこで何をしておられますか? ガイエル様……)

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