第95話 救世主の遺産
三又槍で突きかかって来たギルマンに、ゼノスは無造作な蹴りを叩き込んだ。
槍がへし折れ、ギルマンの鳩尾に足跡が刻印された。
臓物を吐き出して倒れるギルマンの屍を蹴散らすようにして、ゼノスはそのまま踏み込み、リグロア王家の剣を横薙ぎに振るった。
ゼノスを避けてマチュアに襲いかかろうとしていたギルマンが3匹、大量の消化器官をビチャアッと空中にぶちまけながら真っ二つになった。
マチュアだけではない。彼女に付き添われて横たわっている、裸の若者。この男にも狙いを定めて、ギルマンたちは凶暴に群がって来る。
三又の槍先が、鋭い牙が、赤毛の裸男とマチュアに襲いかかる。
それらの襲撃をゼノスは、大型の長剣で薙ぎ払った。
ギルマンたちが一まとめに両断され、血よりも大量の臓物を噴出させる。
「人間風情がッ!」
統率者と思われる大柄なギルマンが、猛然と挑みかかって来た。
骨格も筋肉も歪にねじ曲げ、しかも大量の茸を腫れ物の如く生やした身体が、しかし侮れぬ速度と剛力で三又槍を突き込んで来る。
リグロア王家の剣で、ゼノスは受け流した。
茸まみれのギルマンが、受け流されまいと踏ん張る。
大型の長剣と金属製の三又槍が、がっちりと交わって動かなくなった。
「このギルマンロードと、まともに渡り合うとは……」
極彩色の茸に群生された顔面が、間近から牙を剥いて睨みつけてくる。
「貴様、単なる人間ではないな……?」
「つーか人間じゃねえんだけど、気付いてくんねえもんかなぁあああああ」
ゼノスの全身で、服が破けた。筋肉と獣毛が盛り上がり、翼が広がり、尻から毒蛇が生え、背中からもう2つの頭部が隆起する。
「なっ……何……!」
驚愕するギルマンロードの眼前に、魔獣人間グリフキマイラは出現していた。
「きっ貴様、貴様は……!」
「はっはっは、そろそろ何か変身セリフでも考えてみよっかなぁー! えーと」
左足を、ゼノスは思いきり前方に叩き込んだ。鉄槌のような蹄が、ギルマンロードをぐしゃあっ! と蹴り飛ばす。
腫れ物のような茸がいくつか破裂し、どろりとした血飛沫が汚らしく散った。
恐らく胞子か何かが混ざっているのであろう血液をドロドロと垂れ流しながら、ギルマンロードはしかし倒れつつも敏捷に跳ね起きて三又槍を構える。
「魔獣人間……ゴルジ・バルカウスの遺作というわけか」
「ふっふっふ、天呼ぶ地呼ぶ人が呼ぶ! 呼ばれてなくても出て来ちゃう正義の魔獣人間グリフキマイラ、ここに見ッッ参!」
考えついた変身の口上を叫んでみながら、グリフキマイラは尻尾をうねらせた。
マチュアに襲いかかろうとしていた1匹のギルマンが、ゼノスの尻から伸びた毒蛇に噛まれ、悲鳴を上げて絶命した。
その屍の近くで、マチュアが言う。
「あのうゼノス王子……それ、どこかで聞いた事あります」
「うーん、駄目かなー」
タテガミの上から頭を掻くゼノスに、ギルマンロードが襲いかかった。
「魔族の力を……! 中途半端に取り込んだだけの粗悪品が!」
罵声と共に叩き付けられて来た三又槍をかわしながら、ゼノスは剣を振るった。
リグロア建国の戦いで用いられた、と伝わる刃が、ギルマンロードの身体を横薙ぎに叩き斬った。
どろりとした血が、内臓が、一緒くたに溢れ出し、だが即座にズルリと引っ込んでしまう。
半ば両断されたギルマンロードの肉体が、噴出しかけた臓物を傷口から吸収していた。その傷口が、ボコボコと生えてきた茸によって塞がれる。
ギルマンロードの身体は完全に、再生修復を終えていた。
「ふっ……はははは無駄よ無駄! 紛い物の怪物の力で、我ら純粋なる魔族を殺める事など出来はせぬ!」
叫び笑いながら、ギルマンロードが突進して来た。三又槍が、まっすぐグリフキマイラの左胸に向かって来る。
ゼノスは身を翻した。三又の穂先が、まっすぐ肩の辺りをかすめた。
同時にリグロア王家の剣が、右下から左上へと振り上がる。
振り上げたその刃に、ゼノスは剛力を込めていた。
自分にとって他人に自慢出来る唯一の特性である、この馬鹿力を、ただ闇雲に振り回すのではなく一点に集中させ、斬撃と一緒に叩き込む。そして相手の体内で炸裂させる。最近、会得した剣技である。
全身で思いきり後ろを向くような形にゼノスは、リグロア王家の剣を振り切っていた。
右下から左上へとギルマンロードの体内を通過した刃が、グリフキマイラの前方でぴたりと止まる。
ゼノスの背後で、ギルマンロードの身体が、斜め真っ二つになりながら破裂した。
無数の茸が、それらを生やした肉体が、爆発したかの如く木っ端微塵にちぎれて飛び散り、もはや再生不可能な肉片となってビチャビチャと河原を汚す。
裸の若者の傍らで息を呑んでいるマチュアに、ゼノスは獅子の顔面で微笑みかけた。
「必殺、爆裂斬り……ってのはどうだい嬢ちゃん」
「……変に凝った名前よりは、いいと思います」
誉めてくれたのだ、とゼノスは思う事にした。
何匹か生き残っていたギルマンたちが、悲鳴を上げながら川の中へと逃げて行く。
戦う相手がいなくなったのを見回し確認してからゼノスは、裸の若者に声を投げた。
「さてと。おーい、そろそろ起きろコラてめえ」
腹立たしいほど秀麗な寝顔に赤い髪を貼り付けたまま、裸男は目を覚まさない。
川に放り込んで顔でも洗ってやろうか、とゼノスが思いかけた、その時。
矢が、飛んで来た。
リグロア王家の剣で、ゼノスはその矢を叩き斬った。
光の粒子が、キラキラと飛散する。光で構成された矢であった。
「……見事な腕だな、魔獣人間よ」
何者かが、木陰からそんな言葉をかけてくる。
大柄な身体に、黒い全身甲冑をまとった男だ。顔から爪先に至るまで、一ヵ所の露出もない。
同じような装いをした者たちとゼノスは以前、戦った事がある。白い鎧を着た少年。青い鎧を着た少女。黄銅色の鎧を着た大男。
今、木陰に佇んでいる男が着用しているのは、黒い鎧である。色は違う。が、あの者たちと無関係であるとは、ゼノスは思えなかった。
「てめえは……」
「そう目くじらを立てるな。おぬしを狙ったわけではない」
黒い騎士姿の男が、木陰から歩み出て来た。
その力強い手に握られているのは、金属製の長弓である。上下の両端から、短剣よりもいくらか長めの刃が伸びている。
そんな弓から放たれたのであろう光の矢が、自分に向かっていたのではない事くらいは、ゼノスにもわかる。
この黒騎士が光の矢で仕留めようとしていたのは、まだ意識の戻らぬ裸の若者だ。
「……そいつぁ、魔法の鎧か?」
ゼノスは、とりあえず訊いてみた。
「同じようなもの着た連中を、俺ぁ3人ばかり知ってるんだがな」
「ほう……魔法の鎧を、知っているのか」
「戦った事あるんでな。そいつを着ると、えれぇ強くなるってのも知ってるつもりだ」
獅子の両眼で、山羊の双眸で、荒鷲の瞳で、ゼノスは黒騎士を睨み据えた。
「そんなもん着てながらテメエ、裸で気ぃ失ってる奴を物陰から不意打ちたあな……気持ちいいくれえ恥も外聞もねえ野郎だぜ」
「そのくらいせねば倒せぬ相手よ……その怪物はな」
言いつつ黒騎士は、キリッ……と長弓を引いた。
光の矢が生じ、つがえられ、裸の若者に向けられる。
マチュアが慌てて両腕を広げ、裸男を背後に庇った。
その前にグリフキマイラが立って、黒騎士と対峙している。
「そこを、どけ」
弓矢を下ろそうとはせず、黒騎士は言った。
「その怪物は危険なのだ。そやつが少し機嫌を損ねただけで、村や町の1つや2つは容易く滅びる……そうなる前に、息の根を止めておかねばならぬ」
「こいつぁ俺が拾ったもんだ」
呑気に気絶し続けている赤毛の裸男に、ゼノスは左手の親指を向けた。
「生かすか殺すかは俺が決める……てめえは消えな。今なら見逃してやる」
「ふふっ、その怪物を……貴様ごときが殺せると思うかっ!」
黒騎士が、弦を手放した。
引き伸ばされていた長弓が、勢い激しく元に戻りながら、光の矢を飛ばす。
その矢が、しかしグリフキマイラの踏み込みと同時に砕け散り、光の粒子となった。リグロア王家の剣が、一閃していた。
「てめ、嬢ちゃんがいる方に平気で矢ぁブチ込もうとしやがるたあ!」
次の矢が放たれる前に、ゼノスは斬り掛かっていた。
金属の長弓がくるりと動いて、リグロア王家の剣を受け流す。
それとほぼ同時に、上下両端の刃が閃いてゼノスを襲う。
かわしたが、完全にはかわせず、微かに鮮血がしぶいた。
グリフキマイラの脇腹の辺りに、鋭く裂傷が走る。
皮膚を切られただけの浅手だが、この長弓が、接近戦においても侮れぬ殺傷力を発揮する武器であるのは、どうやら間違いない。
「なりふり構っては、いられんのでな……!」
いくらか自嘲気味な声を発しながら黒騎士が、長弓をブンッと回転させる。
短剣よりも少し長めの刃が2本、淡く白い光を帯びながら、立て続けにゼノスを襲った。
光の矢と同質の輝きをまとう斬撃を、後方へと跳んでかわすグリフキマイラ。そこへ黒騎士が、なおも斬り掛かる。
「赤き魔人は、ここで仕留める! 邪魔立てはさせぬ!」
斬り掛かって来た長弓を、ゼノスは剣で受け止めた。その剣を右手で持ったまま、左手を伸ばした。
猛禽の足そのものの形をした左手。それが、黒騎士の頭を掴んだ。
魔獣人間の握力が、カギ爪が、黒い魔法の兜をミシミシッ……と圧迫する。
「うっ……ぐ……ッ!」
圧迫される兜の中で、黒騎士が呻く。
斬撃の長弓は、リグロア王家の剣と交わり噛み合ったまま、微動だにしない。
「頭、潰れちまう前に……死に際の台詞、何か考えな」
猛禽の爪で、黒騎士の兜をメキメキと少しずつ凹ませながら、ゼノスは言った。兜だけでなく頭蓋骨が凹むのも、時間の問題だ。
「おらおら、早く考えて喋らねえと言語中枢までグチャッといっちまうぞう?」
「ま、待って下さい、ゼノス王子」
マチュアが、おずおずと声をかけてきた。
「黒い鎧の御方も……あのう、事情がおありのようですけど」
「あー、やめときな嬢ちゃん。この野郎に説得は、たぶん通用しねえ」
ゼノスは遮った。
「何者なのかは知らねえが、とにかく殺る気満々なのは間違いねえ。殺さなきゃ止められねえよ」
「わ、わかりました説得はしません。お願いをします」
マチュアは、小さな両手を握り合わせた。
「黒い鎧の方、お願いです。この綺麗な男の人を、殺さないで下さい……ゼノス王子も、その人を放してあげて下さぁい……」
「……だとよ」
放り捨てるように、ゼノスは黒騎士を解放した。
解放された男が、黒い甲冑をガシャッと鳴らしながら倒れ込み、片手で頭を押さえて呻く。
「うぬ……き、貴様もどうやら赤き魔人に劣らぬ怪物か……!」
「ま、そう思うんなら殺しに来りゃいい。いつでもな……ただし、これだきゃあ覚えとけ」
言いつつゼノスは、黒騎士に剣を突き付けた。
「てめえは今、マチュア嬢ちゃんに助けてもらったんだ。この先、何をしやがるにせよ……嬢ちゃんに迷惑かかるような事だけは、するんじゃねえぞ。したらどうなるかってのぁ今、思い知ってくれたよなあ?」
「……心しておこう」
リグロア王家の剣に追い立てられるようにして、黒騎士はよろよろと立ち上がり、後退りをした。
「この場は退く……だが1つだけ忠告しておくぞ魔獣人間よ。早いうちに、出来れば今すぐにでも、その怪物を殺しておいた方が良い。そやつが目を覚まし、万全の状態となってからでは……殺したくとも、殺せなくなる」
「怪物……なのですか、この方は……」
マチュアが言うと黒騎士は、陥没しかけた兜の中で微笑んだようだ。
「小さな聖女殿、貴女にはいずれ命の借りをお返ししたい……その者は、美しい人間の皮を被った恐るべき怪物だ。外見に騙されて御身を危険に晒さぬよう、お願いする」
「怪物でも、心の優しい方々はいらっしゃいます!」
マチュアは叫んだ。
「マチュアは今まで、人間じゃない方々に何度も何度も助けていただきました!」
「そうだな。その赤き魔人も……あるいは、優しい心の持ち主なのかも知れん」
よろりと背を向け、歩き出しながら、黒騎士は言った。
「だがな、いくら優しい心を持っていても……ただ道を歩くだけで、大勢の人間が死んでしまう。そんな者の存在を、許しておくわけにはゆかぬのだよ……」
よろめきながら木立の向こうへと消えてゆく黒騎士を、じっと見送りながら、マチュアが声を震わせた。
「怪物でも、心の優しい方々はいらっしゃいます……ゼノス王子のように……それに、それに……」
彼女が誰の名を言おうとしているのかは、考えるまでもない。
ゼノスは空を見上げ、心の中から語りかけた。
(嬢ちゃんが寂しがってるぜ、メイフェム殿……)
あの黒騎士のせいで自分たちは、竜の御子を仕留め損ねたのか。
あるいは、黒騎士が竜の御子を崖下へと射落としてくれたおかげで、自分たちは助かったのか。判断が難しいところではある。
あのまま戦いが続いていたとして、自分たちは果たして勝てたのか。麻痺毒で弱っている竜の御子を、しかし結局は仕留められず、自分たちが3人とも殺されていた可能性は否定出来ない。
バルムガルド軍兵士4000人近くを、単身で大虐殺した怪物である。そう簡単に倒せるわけはないのだ。
その怪物が今、意識を失っている。とどめを刺す、絶好の機会ではある。傍らに、もう1匹の怪物がいなければの話だが。
「まいったな……まさか、あんな化け物がいやがるとは」
クローラーイエティが、小声を発した。
他にドッペルマミー、リザードバンクル、計3名の魔獣人間が木陰に身を隠して戦いを見守っている。
いや、戦いはすでに終わった。
3人が介入する暇もなく、ギルマンロードは殺され、黒騎士は撃退されたのだ。たった1人の、魔獣人間の剣士によって。
あの黒騎士が何者であったのかは結局わからぬままだが、この頭が3つある異形の剣士も、正体は不明である。
シナジール・バラモンの作品ではないとすれば、あの岩窟魔宮の前の主であった、ゴルジ・バルカウスとかいう者の手による魔獣人間であろうか。
とにかく、その3つ首の魔獣人間が、気を失った竜の御子を担ぎ上げて歩み去ろうとしている。
「くそっ、逃がすか……!」
木陰から飛び出そうとするリザードバンクルを、ドッペルマミーが止めた。
「待てよ……あれに勝てるつもりか?」
たった1人でギルマンの群れを殺戮し、黒騎士を追い払ってのけた魔獣人間。
見たところ、下手をすると竜の御子に劣らぬ怪物である。
「あれを倒す必要はない……要は、あの裸で気を失ってる奴に、とどめを刺せればいいんだ」
人間の若者の姿で運ばれて行く竜の御子を睨みながら、リザードバンクルは言った。
「俺たち3人がかりなら、そのくらい出来ない事はないだろう」
「……よく見ろ」
クローラーイエティが、目がどこにあるかわからぬ毛むくじゃらの顔で、ちらりと視線を投げる動きをした。
法衣姿の小さな少女が、1人いた。3つ首の大柄な魔獣人間と歩調を合わせるべく、短い足をちょこまかと慌ただしく動かしている。
「俺たちが3人がかりで荒っぽい事をやれば、あの子を巻き込んで潰しちまうかも知れんぞ」
止めようとするクローラーイエティの太い腕を、リザードバンクルは振り払った。
「そのくらいの犠牲……! 今この機会を見逃すわけにはいかないんだよッ!」
弟を殺した怪物に、とどめを刺す事が出来る。
それだけではない。竜の御子を討てば、魔族の帝王の地位を譲る、という約束をデーモンロードが守ってくれるかどうかはともかく、魔族の中で強い発言力を持つ事は出来るだろう。そうなれば、バルムガルドの民衆を守れる。魔物たちを利用して隣国ヴァスケリアを征服し、バルムガルドを富ませる事も出来る。
その機会を逃すわけにはいかない。
木陰から飛び出そうとしたリザードバンクルを、しかしその時、凄まじい衝撃が襲った。
悲鳴すら封じられるほどの、衝撃だった。
少量の鮮血を宙に散らせて、リザードバンクルの身体は吹っ飛び、大木に激突し、ずり落ちた。
蛇に似たものがヒュンッ……とうねって宙を泳ぐ様が、辛うじて視認出来た。
鞭、のようである。それが今、リザードバンクルを打ち据えたのだ。
「だ、誰だ……!」
クローラーイエティが狼狽し、見回している。
答えたのは、女の声だった。
「さあ……誰かしらね」
少し離れた所で、その女は木にもたれ、立っていた。
魅惑的な凹凸が、むっちりとした筋肉で強調された身体。
その全身は黒く滑らかな外皮で覆われ、所々が白い羽毛によって衣装的に飾られている。
背中で折り畳まれた翼は、左右で形が異なっていた。右が皮膜、左が羽毛。
蛇のような鞭が、彼女の左手にシュルッと収納されていった。黒い手甲のような外骨格をまとう前腕。五指は、まるで鋭利な5本の刃物である。
「魔獣人間……」
ドッペルマミーが息を呑み、言った。
「あんた、シナジールの作品じゃないな。ゴルジ何とかって奴の作り遺しか……そういった連中が、あの竜の御子を護衛してると。そういう事なのか?」
「あの3つ頭の奴もそうか? 竜の御子が、俺たち以外の魔獣人間を何人も手下にしてやがるって事なのか?」
クローラーイエティが、叫ぶように訊く。
返答の変わりにビシッ! と鞭が鳴った。
女魔獣人間の左手から伸びたそれが、地面を打ったのだ。
「質問が多いわね……鬱陶しいったら」
苛立たしげに言葉を紡ぐ唇は、美しい。綺麗な口元と形良い顎には、人間の美女の面影が残っている。
だが顔の上半分は、猛禽だった。大型のクチバシが、庇のように突き出ている。
「私が教えてあげられる事は、ただ1つ……今すぐこの場を立ち去らないと、貴方たちは死ぬ。それだけよ」
女魔獣人間は、ゆらりと踏み出した。その足は、地面を掴み裂いてしまいそうな猛禽の爪を生やしている。
「立ち去って、2度とタジミ村には近付かないように……何も言わず今すぐそれを実行しなさい。大事な事だけど、2度は言わないわよ」
「何をぬかす……!」
リザードバンクルは聞く耳を持たず、斬り掛かって行った。
鋸のような剣がブゥンッ! と凶暴に唸って女魔獣人間を襲い、だが受け流された。
鞭しか持っていないと思われていた彼女の右手に、光が生じ、それが実体を得て長剣と化し、振るわれたのだ。
受け流された剣をリザードバンクルが構え直している間に、勝敗は決していた。
女魔獣人間の左手から伸びた鞭が、ドッペルマミーの全身に幾重にも巻き付き、溶け蠢く肉体を包帯の上から締め上げている。
右手の剣は、リザードバンクルに突き付けられている。
左右の手でそれぞれ1名ずつ、男の魔獣人間の動きを封じながら、彼女は長い左脚を後方へと柔軟に跳ね上げていた。
猛禽の爪が、クローラーイエティの左胸の辺りを、突き刺す寸前で止まっている。
「あぐっ……が……っ」
ドッペルマミーが悲鳴を漏らした。
巻き付いた鞭と鞭の間から、溶けかかった肉体の一部がブシュブシュッと搾り出されてしたたり落ちる。
その身体から、しゅる……っと鞭がほどけた。
締め潰される寸前で解放されたドッペルマミーが、その場にベチャッと尻餅をつく。
「これでわかったでしょう? 私、あの人たちと比べれば全然弱いけれど」
小さな女の子を従え、裸の若者を担いで歩み去って行く、3つ首の魔獣人間。その後ろ姿をちらりと見送りながら女魔獣人間は言い、左脚を下ろした。
「それでも、貴方たち3人を……道連れにする事、くらいは出来そうね」
「そう……みたいだな」
心臓を蹴り潰されずに済んだクローラーイエティが、左胸を押さえて後退りをする。
女魔獣人間の右手の剣は、まだリザードバンクルに突き付けられたままだ。
「何だ……何なんだよ、お前らは……」
リザードバンクルは呻いた。
「この国は……いつから、こんな……バケモノだらけに、なっちまったんだ……?」
「その事に関しては……デーモンロードを仕留め損ねた私たちにも、責任はあるわね」
意味不明な事を言いながら、女魔獣人間がようやく剣を下ろしてくれた。
「だからこの場では、貴方たちを殺さないでおいてあげる。この場でだけは、ね」
「……お言葉に甘えて、この場からは退散した方が良さそうだな」
クローラーイエティに助け起こされながら、ドッペルマミーが言う。
「行くぞ、リザードバンクル……事情は不明だが、とにかく複数の怪物が竜の御子を護衛している。これはデーモンロード様に報告して、対策を練らなきゃならん事態だ」
「……貴方たち、デーモンロードに臣従しているの?」
女魔獣人間が、別に咎めたり嘲ったりするふうでもなく訊いた。
「見ればわかるだろう。俺たちはな、デーモンロード様に従って生きるしかないんだよ」
リザードバンクルは答えた。
「俺たちが魔族の一員として戦い続ける限り、この国は守られるんだ」
「…………」
女魔獣人間は、何も言わない。
リザードバンクルもそれ以上は言わず、仲間2人と共に背を向けて歩き出した。
ここは、立ち去るしかない。
恐るべき力を持つだけではなく、どうやら悪運も強い竜の御子を、確かにそう容易く倒せるわけはないのだ。
が、絶望的なまでに倒せない相手ではない事はわかった。
「あの、黒い鎧を着た奴……」
ドッペルマミーが、呟くように言った。
「あいつを上手いこと味方に出来れば……竜の御子に勝てるぞ、俺たちは」
勝つ。竜の御子を倒す。
それに成功すれば、デーモンロードのバルムガルド支配は、いよいよ揺るぎないものとなるだろう。
男たちは魔人兵あるいは魔獣人間となって戦いを強いられ、その代わり女子供は平穏に暮らせる。そんな体制が、ずっと続く事となる。
(……それのどこに、問題がある?)
リザードバンクルは思う。他2人の魔獣人間も、そう思っている事だろう。
男たちが命懸けで戦って、女子供を守る。
人の営みとは古来、そういうものであったはずなのだ。