表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/193

第94話 凶獣邂逅

 ガイエル・ケスナーが、ガイエル・ケスナーを殴り飛ばした。

 殴り飛ばされた赤き魔人の肉体が、宙を舞いながらドロドロに溶け、包帯に巻かれてゆく。

 地面に激突した時には、魔獣人間ドッペルマミーの姿に戻っていた。

 溶けながらも人型を維持していた肉体が、いくらか原形を失いかけ、包帯の隙間から流れ出している。

 とどめの一撃を叩き込もうとするガイエルに、横合いから魔獣人間2体が襲いかかる。左からクローラーイエティ、右からリザードバンクル。

 麻痺毒を有する触手と鋸状の剣が、ほぼ同時にガイエルを襲う。

 左手でビシビシッと触手たちを掴み止めながら、ガイエルは右手を振るった。刃のヒレが、リザードバンクルの剣を弾き返す。

 何本もの触手を束ね掴んだ左手を、ガイエルはぐいと引いた。クローラーイエティの白い巨体が、引きずり寄せられて来て前のめりによろめく。

 そこへガイエルは、右足を叩き込んだ。

 白い獣毛に包まれた魔獣人間の身体が、前屈みに折れ曲がって悲鳴を漏らす。

 やはり動きが重い、とガイエルは思った。麻痺毒が、蹴りの切れ味を殺している。万全の体調であれば、こんな魔獣人間の肉体など真っ二つに蹴りちぎっているところだ。

 蹴り終えた右足を、ガイエルは逆方向へと振り向きながら突き出した。

 その蹴りを、リザードバンクルが楯でがっしりと受ける。

 麻痺毒に蝕まれてさえいなければ、魔獣人間の楯など粉砕しているところなのだが。

「言い訳か、ガイエル・ケスナー……」

 自身を嘲笑しつつガイエルは、眼前で巨体を折っているクローラーイエティに、右前腕の刃を叩き付けた。やはり、綺麗な斬撃にはならない。

 それでもクローラーイエティは、首と胸の間の辺りから血を噴いて倒れた。白い獣毛が、赤く濡れそぼった。

 赤く汚れながら倒れた巨体が、光に包まれた。

 少し離れた所で溶けかかり倒れている、ドッペルマミーの肉体もだ。

 負傷した魔獣人間2体が、赤い光に包まれている。

 その光は、もう1体の魔獣人間が発生させていた。

 リザードバンクル。頭から胴体まで縦に裂けた大口の中、赤い宝石が強く輝いている。

 その光が失せた時、クローラーイエティは無傷で立ち上がっていた。獣毛が、赤く汚れているだけだ。

 ドッペルマミーも、しっかりと人型を取り戻し、起き上がっている。

 負わせた傷を、すぐにこうして治療されてしまう。先程から、その繰り返しだった。

「汚い戦い方だってのは、自覚してるよ」

 リザードバンクルが、続いてクローラーイエティが言う。

「こうでもしないと、勝てる相手じゃないんでな……」

「……光栄だ。いくらでも卑怯な手を使うがいい」

 ガイエルは苦笑した。文字通りの、苦痛の笑みだ。

「卑怯か……残虐よりは、ましかも知れんな……」

 そんな事を言っている場合ではなかった。敵の魔獣人間は、もう1体いるのだ。

「うぐっ……お、おのれ、私に生み出された者どもが……我が叡智なくしては存在し得なかった者どもが!」

 怒り狂おうとするサーペントエルフに、ドッペルマミーが言葉を投げる。

「おっと、余計な事してくれるなよ。あんた方が手ぇ出すとろくな事にならないってのは実証済みだ……また蹴り入れられたくなかったら、大人しくしてな」

「……美も叡智も理解せぬ、この救いなき者どもに罰を与えるには……この、おぞましい力を使うしかありませんか……」

 シナジールが、何やら覚悟を決めたようである。

 全身に茸を植え付けられたその身体から、ブワッ! と黄色っぽい煙が漂い出した。煙に見えるほど大量の、粉末状の何か。

 胞子であった。

 それが、倒れている屍の1つに、流れ込むように付着してゆく。

「死せる魔族の者よ、さあ我が配下として甦りなさい!」

 ギルマンロードの死体だった。

 胞子の煙に包まれゆくそれは、しかし今や死体ではなくなりつつあった。

 薄れゆく黄色い毒煙の中、ギルマンロードはむくりと起き上がった。溢れ出していた臓物が、その身体にズルズルと吸い込まれる。

 吸い込みを終えた傷口が、茸で塞がれた。

 その部分だけではなくギルマンロードの全身に、鱗やヒレを押しのけるようにして、無数の茸がボコボコと生えてゆく。

「ぐっ、が! ぁあああああああッッ!」

 悲鳴。いや、悦びの絶叫のようでもある。

 とにかく、全身の半分ほどを極彩色の茸に占領されたギルマンロードが、三又槍を振り回しながら地を蹴った。

「こいつ……!」

 何か言おうとしたクローラーイエティが、猛回転する三又槍に叩きのめされて吹っ飛んだ。

 その槍が、回転から突き込みへと動きを変えてリザードバンクルを襲う。

「渡さぬ! この獲物は誰にも渡さぬ!」

「ぐっ……!」

 大型の楯が、三又の穂先を辛うじて受け流す。受け流しきれぬ衝撃に、リザードバンクルはよろめいた。

 そこへさらなる攻撃を加えようとはせず、ギルマンロードはガイエルの方を向いた。向きながら、踏み込んで来た。

「偉大なる帝王、赤き竜よ! 御血筋を今ここに絶やす事、お許し願う!」

 叫びと共に叩き付けられて来た三又槍を、ガイエルは辛うじてかわした。よろめくような、危なっかしい回避になった。

「魔族の帝位は我らギルマン族が継ぐ! 竜族でも悪魔族でもなく、我らがなあ!」

 続いて突き込まれて来た一撃を、ガイエルはかわせなかった。

 三又の穂先が、左胸を直撃していた。火花が散った。

 細かな亀裂を走らせていた胸板の甲殻が、さらにひび割れ、鮮血が霧状に噴出する。

 全てを灼き溶かす竜の鮮血を、しかしギルマンロードは、軽く後ろに跳んで回避した。

 無数の茸によって骨格も筋肉もねじ曲げられてしまった身体が、しかし奇怪なほど敏捷に動きつつ、三又槍を力強く操っているのだ。

 サーペントエルフと同じく、おかしな胞子によって身体能力を高められているのは間違いない。

 そのサーペントエルフが、相も変わらず耳障りな声を発している。

「さあさあさあさあ、そのまま竜の御子を突き殺してしまいなさいギルマンロード殿! 操り人形たる貴方の武功は、すなわち私の武功! これぞ叡智というものムングッ」

 その声が、潰れた。またしても口の中から茸が生えて来た、わけではない。

 包帯が、サーペントエルフの顔面に、頭部全体に、幾重にも巻き付いていた。

 その包帯は、ドッペルマミーの右腕から鞭のように伸びている。

「余計な事をするなと言っているのに……言ってわかってもらえないなら、殺すしかないんだぞ?」

 怒ったと言うより呆れ返った口調で言いながら、魔獣人間は包帯で、シナジールの顔面を容赦なく締め上げている。

「確かにあんたは恩人だし、魔獣人間や魔人兵の生産にも必要な人材だ。でもな、だからと言って殺せないわけじゃないんだよシナジール・バラモン殿。大事なのは、あんたの命じゃあないんだ」

 言いつつドッペルマミーが、ぐいっと包帯を引く。

 くぐもった悲鳴と共に、サーペントエルフの首がちぎれた。

 頭部を失った魔獣人間の屍が、倒れた。全身に生えた茸が、弱々しく萎れ縮んでゆく。

 包帯に包まれた生首を右手に持ち、ドッペルマミーはなおも言う。生首に、話しかけている。

「あんたの頭の中身だけ、あればいい。あの岩窟魔宮は、もともとゴルジ何とかって奴の脳ミソだけで動いてた設備だからな」

 敵の魔獣人間が1体、勝手に減ってくれた。

 戦況が少しはましになったとは、ガイエルはしかし思わなかった。

 シナジールの生死など全く関係なしに猛然と、ギルマンロードが槍で突っ込んで来る。リザードバンクルが、鋸状の剣で斬り掛かって来る。クローラーイエティが、剛力の左腕で殴りかかって来る。

 全ての攻撃が、ガイエルの身体を激しくかすめた。

 全身でひび割れていた甲殻が、何ヵ所か砕けて剥離してゆくのを感じながら、ガイエルは自身の方からも踏み込んでいた。麻痺毒に侵された身体を、無理矢理に躍動させていた。

 刃のヒレが三又槍を受け流し、赤い大蛇のような尻尾がクローラーイエティを叩きのめす。

 爪の生えた蹴りが、リザードバンクルの剣を弾き飛ばした。

「くっ……」

 楯に隠れるようにして、リザードバンクルが後退りをする。

 治療能力を持つ敵をまず始末するべく、ガイエルは踏み込んだ。

 いや、踏み込もうとしたその時。凄まじい衝撃が、胸に激突して来た。

 何事か、などと思う暇もなくガイエルは大量の血を吐き、後方へと吹っ飛んでいた。

 熱いものが、ひび割れた胸部甲殻を穿って体内に食い込んでいる。頑強な胸筋を、貫通している。

 吹っ飛びながらガイエルは、己の胸に突き刺さっているものを辛うじて視認した。

 光だった。棒、いや矢の形に固まった光。

 光の矢とも言うべきものを放った何者かが、岩壁の上に立っている。

 長弓を手にした、黒い人影だった。黒色の全身鎧を、身にまとっているようだ。

 何者であるのかはともかく、こんなふうに狙撃される覚えなどガイエルにはない。いや、ありすぎてわからない。

(俺を恨んでいる者など……それこそ、星の数か……)

 星の数ほどいる中の、ある者は魔獣人間となって戦いを挑んでくる。ある者は、こうして光の矢など撃ち込んでくる。

 バルムガルド人を4000人近く殺しておきながら、バルムガルド国内を堂々と歩き回っているのだ。このくらいの事は、覚悟しておいて当然であろう。

 ぼんやりとそう思いながらガイエルは、まだ吹っ飛び続けていた。なかなか地面に激突しない。

 地面そのものが、なくなっていた。水の音が聞こえてくる。

 ガイエルの身体は、吹っ飛びながら断崖へと投げ出されていた。

 麻痺毒が翼にまで回り、羽ばたく事も出来ぬまま、ガイエルは落下しながら大量の血反吐を空中にぶちまけ続けた。

 呼吸の代わりに、血が溢れて来る。光の矢が、どうやら肺を切り裂いている。心臓にまで達しているかどうかは、わからない。

 迫り来る谷川の激流の音を聞きながら、ガイエルはゆっくりと意識を失っていった。



 ゼノス・ブレギアスがここ数日、しょげ返っている。

 マチュアは歩きながら、出来るだけ明るく声をかけてみた。

「ほらほらゼノス王子、元気出して下さいよぉ」

「んな事言ったって……ティアンナ姫もフェル坊も最近、俺の事全然かまってくんねぇし……」

 大型の長剣を背負った人間の若者が、そんな事を言いながら、法衣姿の小さな少女を伴って森の中を歩いている。そんな形だ。

 タジミ村は、大きくなった。

 近隣の村落を次々と併合している、だけではない。

 このゼノス王子を主力として山間の荒れ地や森林の開墾が行われ、開墾された場所には王国全土から集まって来る人々が住み着いて、今やタジミ村と呼ばれる領域はゴズム山脈の3分の1近くを覆っている。

 まだ開墾されていない山林の1つでゼノスは今、狩りをしていた。

 バルムガルド全土から集まって来た人々の中には、元王国地方軍の兵士も多く、オークやゴブリン程度なら追い払えるくらいに自衛力も高まっている。

 集団戦闘の訓練も毎日、行われているが、ゼノス王子はティアンナ姫によって、それら訓練への参加を厳禁されていた。

 何しろ模擬戦をやらせれば、悪気はなくとも兵士たちに大怪我をさせてしまう。マチュアも連日、意識を失うまで癒しの力を使わなければならなかった。

 ゼノス・ブレギアスの馬鹿力は、単独で大暴れするためのものであって、非力な人間たちに合わせての組織的戦闘に適したものではない。ティアンナは、そう判断したようだ。

 開墾も一段落したし、魔物たちも最近は全く攻めて来ない。

 ゼノスにとっては、狩りくらいしかする事のない日々が続いている。

「なあマチュア嬢ちゃん……俺って、いらない子なのかなぁ」

「そんなわけないです! ゼノス王子はマチュアなんかより全然、皆さんのお役に立ってます!」

 お世辞ではない。事実である。

 ゼノス・ブレギアスがいなかったら、マチュアはもちろんシーリンもフェルディ王子いやジオノス3世王も、それに恐らくティアンナ姫も、今頃は生きていない。

「ティアンナ姫だって、おっしゃってましたよ? ゼノス王子には本当に、いくら感謝してもし足りないって」

「か、感謝してるんならよぉ……もっと俺の事、かまって欲しいっつうか……ぶん殴ったり蹴っ飛ばしたり、して欲しいっつーか」

 ゼノスが俯き、顔を赤らめ、両手の人差し指を突き合わせる。

「電気ビリビリして欲しいっつーか……この虫ケラとかブタとか駄目な子いけない子とか言いながら、頭ぐりぐり踏んで欲しいっつぅうか……」

 ゼノスの呼吸が、荒くなってゆく。

 マチュアは溜め息をついた。こういう所さえなければ、この元リグロア王太子は本当に、英雄と呼ぶにふさわしい人物なのだが。

(ティアンナ姫とも、お似合いなのに……)

 そんな事を思いながら、マチュアはふと足を止め、ゼノスの服を引っ張った。

 見過ごせないものが一瞬だけ、視界をかすめたのだ。

 木々の向こうで、川が流れている。ゴズム山脈の最も険しい辺りから流れて来ている川だ。

 河岸の岩に、誰か打ち上げられていた。岩にしがみつくようにして、ぐったりと倒れている。

「何だありゃあ、身投げじゃねえだろうな……おーい」

 呼びかけながら、ゼノスが歩み寄って行く。マチュアが、それに続く。

 全裸の、若い男だった。年の頃は、ゼノスとほぼ同じか。

 筋肉の形が美しく浮き出た肌に、男にしては少し長めの赤い髪が貼り付いている。

 肌の色艶を見る限り、死体ではなさそうだ。ただ意識を失っている。

 そして、傷だらけだった。裂傷か擦過傷か判別し難いものが、裸の全身あちこちに刻み込まれている。

「大変、お怪我を……きゃっ!」

 マチュアは思わず悲鳴を上げ、小さな両手で顔を覆った。

 うつ伏せで倒れていた裸の若者の身体を、ゼノスが無遠慮に、仰向けに転がしたのだ。

 仰向けになった裸身の、本来ならば隠さなければならない部分に、ゼノスが屈み込んでじっと見入った。

「むむっ。この野郎、俺よりも……」

「なっ何か隠す物を、隠す物を」

 マチュアは見回した。腰に巻ける布でも落ちていれば良いのだが、森の中でそうそう見つかるものではない。

「やれやれ。狩りに来て、人間の肉を拾っちまうとはなぁ」

 ゼノスが、そんな事を言っている。

「知ってるか嬢ちゃん。人間の肉って、あんまり美味くねえんだぜ……お、でもコイツは割と美味そうな方か? 筋肉がいい感じに締まってプリプリしてやがる」

「だっ駄目ですよ食べたら」

 言いつつマチュアも、確かに筋肉が美しく締まった若者の裸身に見入ってしまった。

 要らぬ脂肪を丁寧に削ぎ落とした、まるで名匠の手による彫刻像のような身体である。優美でありながら、しかし力強さをも感じさせる筋肉は、しなやかな野生の猛獣のようでもある。

 思わず頬を擦り寄せてしまいたくなるほど綺麗な胸板に、しかし特にひどい傷が穿ち込まれていた。矢、あるいは槍による負傷であろうか。

 出血が少ないのも、逆に心配である。体内の血が、あらかた川の中に流れ出してしまった後なのではないか。

 濡れた赤毛をまとわりつかせた顔は、息を呑むほどに美しい。秀麗で、しかし線の太さを失ってはいない、男性の美貌である。今は両目を閉じ、形良い鼻で、今にも消えそうな呼吸を繰り返している。

 マチュアは呆然と見つめた。顔に、頭に、かあっと熱いものが昇ってゆく。

(ゆっ唯一神よ、これは試練なのですか? こんな、こんな綺麗な男の人を、は、は、はっ裸でマチュアの目の前に)

 ふらつき、顔を赤らめて目を回しながら、マチュアは唯一神に呼びかけた。

(こんな、こんな試練でマチュアの何を、お試しになろうとおっしゃるのですかぁ……っ)

「ようし、待ってな嬢ちゃん」

 リグロア王家の剣を、ゼノスはすらりと引き抜いた。

「美味い人肉鍋、食わしてやっから」

「要りませんから!」

「あっいけねえ、鍋がねえや。じゃ串にでも刺して焼き肉かな」

「やめて下さい! まず、お怪我を治さないと……」

 マチュアが小さな両手を握り合わせ、癒しの力を発現させようとした、その時。

「……伏せてな、嬢ちゃん」

 ゼノスの口調が、変わった。

 同時に、激しい水音が起こった。

 大量の水飛沫を散らせて、何かが川の中から飛び出して来たのだ。

 飛び出して来た者たちを、ゼノスが斬撃で迎え撃つ。リグロア王家の剣が、暴風のような音を立てて一閃した。

 びちゃびちゃと、何やら嫌なものが降って来てマチュアの周囲にぶちまけられた。

 臓物だった。

 死体が2つ、半ば真っ二つになって横たわり、胴体の中身を地面に垂れ流している。

 こういうものを見慣れてしまっている自分に、マチュアはぼんやりと気付いた。

 その死体が人間のものではないと、冷静に観察する事も出来た。

 人間の体型をした、魚のような生き物である。

 水辺に住む人々に害をなす、ギルマンという生き物ではないだろうか。

 それが2匹、川の中から現れ、襲いかかって来たのである。

 その襲撃を一閃で撃墜したゼノス王子が、マチュアとそれに意識のない裸の若者を足元に庇いつつ、川の方を睨んでいる。

 3匹、5匹……10匹以上ものギルマンが、水中から姿を現し、三又の槍を構えている。

 統率者と思われる1匹が、言葉を発した。

「ほぉう……美味そうな子供がいるではないか」

 他の者たちよりも一回りは大柄なギルマンだった。その身体はしかし骨や筋肉を病んでいるかの如く歪んでおり、しかも大量の茸を生やしている。

 似たような姿の魔獣人間が、確か2回ほどタジミ村にも現れたものだ。

 そんな異形のギルマンが、河中の岩の上からマチュアに向かって、ギラギラと両眼を血走らせている。

 他のギルマンたちも同じように飢えた眼光を放ち、牙を剥いている。

 全身に茸を生やした1匹が、さらに言った。

「女子供への暴虐は禁じられておる……とは言え、戦の最中にうっかり拾い食いしてしまうのは仕方あるまいて。何しろ、腹が減っておるのでなあ」

「何だ、てめえら……」

 ゼノスが、リグリア王家の剣を威嚇の形に振るい鳴らした。

「ってまあ訊くまでもねえか。ゴルジ殿を殺した野郎の、手下どもだな……いいだろ、細切れにして川ん中バラまいてやんよ。魚のくせに不味そうな連中は、美味いお魚の餌にでもなるがいいぜ」

「貴様がそれなりの剣士である事は、よくわかった」

 茸まみれのギルマンが、ゼノスに叩き斬られた2匹の屍を、ちらりと見やった。

「だが所詮は人間。ダルーハ・ケスナーでもあるまいし、我ら全員を相手に出来るなどと夢を見るのはやめておけ。そこな子供と若造をこの場に残し、立ち去るが良い」

「ふん、この野郎を追って来やがったわけか」

 裸で気を失っている若者を、ゼノスは一瞬だけ見下ろした。

「こいつぁ俺が拾った人肉だ。てめえらに食わせるくれえなら、俺と嬢ちゃんで平らげる……フェル坊の奴、まだ肉は食えねえだろうからな」

「だから食べちゃ駄目ですってば……」

 このギルマンたちは今から、ゼノス王子に大虐殺される。助けてはやれない、と思いつつマチュアは目を閉じ、癒しを念じた。

 淡く白い光が、赤毛の若者の全身を包み込む。

 美しい裸身を無惨に彩っていた様々な傷が、固まってカサブタに変わり、ぽろぽろと綺麗に剥がれ落ちてゆく。

 傷は失せても、意識は戻らない。やはり血が流れ過ぎてしまったようである。しばらく養生させる必要がありそうだ。

 今はこの若者を癒す事だけが自分の精一杯だ、とマチュアは己に言い聞かせた。殺されるギルマンたちまで助けてやる事など、出来はしない。

 この世の誰も彼もを助ける事など、出来はしないわ。人間もそれ以外も、大半は助ける価値もないクズばかり。

 マチュアに癒しの力の使い方を教えてくれた女性は、そう言っていた。

 助けてあげる相手には、優先順位をつけるしかないの。最優先の1人だけは、他全員を切り捨ててでも助けてあげられるようになりなさい。私には、それが出来なかったから……

 そう教えてくれた女性に、マチュアは心の中から語りかけていた。

(今……どこにおられるのですか? メイフェム様……)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ