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第93話 バルムガルドに守護者が生まれる

 前後左右それに上空。全ての方向から、嵐のような斬撃が襲いかかって来る。

 ガイエルは、かわすのが精一杯だった。かわせない攻撃は、両腕で受け防ぐしかなかった。

 暴風の如く連続する、魔人兵たちの攻撃。長剣のような爪を、ガイエルは右腕で受け流し、左腕で払いのけた。

 その度に、鮮血の飛沫が散る。

 両の前腕が、細かな裂傷を刻み込まれ、血まみれになっていた。

 腕だけではない。額、肩に背中、胸板、左右の太股を、魔人兵たちの爪で薄く切り裂かれ、ガイエルは今や全身ぐっしょりと赤く濡れそぼっている。

 全てを灼き尽くす竜の血液ではない。人間の血だ。

 赤き魔人へと変わる時間を、この魔人兵たちは与えてくれない。

「くっ……」

 水音が聞こえる方向へと、ガイエルは踏み出した。断崖の下を流れる、谷川の音。

 そちらへ向かおうとしたガイエルの行く手に、しかし魔人兵の1体が、すでに回り込んでいる。

「崖の下へ逃げようったって、そうはいかねえぜ……おめえさんが空飛べるバケモノに変身出来るって事ぁ知ってんだからなあっ」

 言葉と共に一閃した爪を、ガイエルは倒れ込んでかわした。

 地面を転がり、起き上がろうとした所で、3体もの魔人兵が待ち構えている。

 爪を振り下ろされる前にガイエルは、背中で地面を擦りながら身体を猛回転させた。下半身が跳ね上がり、長い両脚が高速で空気を裂き、弧を描く。

 3体の魔人兵が、その蹴りを喰らってよろめいた。

 蹴り終えた両足を着地させつつガイエルは跳ね起き、踏み込み、左右の拳を立て続けに叩き込んだ。

 目鼻口のない肉塊状の顔面をグシャッ、ぐしゃあっ! と拳の形に凹まされた魔人兵たちが、微かに体液を噴き散らせて揺らぎ、よろめき、だが倒れずに反撃を繰り出す。

 振り下ろされ、または突き込まれて来る爪を、ガイエルは右の回し蹴りで払いのけた。

 その右足に続いて、左足が離陸する。

 ガイエルの身体が、血飛沫の霧を振りまいて竜巻の如く捻転し、長い左脚を斬撃のように振るう。

 魔人兵を2、3体まとめて吹っ飛ばすつもりで放った後ろ回し蹴りであるが、命中したのは1体だけだった。

 顔面にガイエルの足跡を刻印されたその魔人兵が、激しく倒れながらもやはり間をおかず立ち上がって来る。

「ま……負けねえ! 見てろジョリィ、お父ちゃん絶対負けねえからなぁあーッ!」

 叫び、爪を振り立て、斬り掛かって来ようとした、その魔人兵の動きが突然、硬直した。

 他の魔人兵たちも、ガイエルの周囲で固まっている。全員、苦しんでいる。

「うぐっ……あ……」

「な、何だ……これは……っ」

 彼らを苦しめているものが、ガイエルをも襲っていた。

「うぬっ……!」

 頭痛である。見えない手で、頭蓋骨の中身を掻き回されているかのような激痛。

 何者の仕業であるのかは、考えるまでもなかった。

「頑張り過ぎてもらっちゃあ困るのよねぇ、アンタたち……竜の御子ちゃんにトドメ刺すのは、アタシじゃなきゃあ」

 岩壁の上で魔獣人間マイコフレイヤーが、口から生えた触手の群れをウニュウニュと蠢かせている。その蠢きに合わせ、脳を掻き回されるような激痛が、ガイエルの頭の中で暴れ続ける。

 周囲の魔人兵たちも、同じ痛みに苛まれているのだろう。

「なっ……何の、つもりだ……!」

 凶器状の爪を伸ばした両手で己の頭を、うっかり傷付けぬよう押さえながら、魔人兵の1体が苦しげに叫ぶ。

「こいつをっ……倒さなきゃいけないんじゃ、ないのか! あと一押しのところ何で邪魔をする!」

「その一押しはアタシが喰らわしてあげるからぁ、アンタたちはもう引っ込んでなさいってのよん」

 マイコフレイヤーが、触手を震わせて笑う。

「アンタたちの役目はぁ、そのゲテモノ坊やを半殺しにして弱らせる事。とどめまで刺されちゃあ困るのよん……アンタらなんかに魔族の帝王になられちゃあ困るのよォン」

「俺たちの……ッ!」

 魔人兵の1体が、苦しみながら怒り狂う。

「手柄をっ……横取りするつもりか!」

「うふっ……あっはははははは手柄とか言っちゃってるわよ魔獣人間の成り損ないの雑魚どもがァアッ!」

 触手を震わせ、巨体をよじらせて、マイコフレイヤーは笑い狂う。

「ゴミの分際でいっぱしの口きいてんじゃないわよバァーカ! アタシのお役に立てただけで幸せだと思いなさいよねぇえ。ああん、生ゴミを役に立てるなんてアタシってば自然にやっさしぃーい」

「やめろ……」

 魔人兵の1体が呻き、叫ぶ。

「あんたの力じゃ、こいつにとどめを刺すなんて無理だ……最後まで俺たちに任せろ、じゃないと取り返しのつかない事になる!」

 マイコフレイヤーは聞く耳を持たず、口元で触手の振動を激しくした。

 波動も激しさを増し、ガイエルの頭を襲う。

「さぁーて脳みそドロドロにブッ壊してあげるわねェ御子ちゃん。その怪我じゃあ気合いで抵抗なんて出来ないでしょおお? 諦めなさいな、我慢したって苦しいだけよォオオオオオオオン!」

 魔獣人間の耳障りな叫びが、はっきりと聞こえる。確かに凄まじい頭痛だが、聴覚を損なうほどではない。

 脳の働きを、思考を、妨げるほどではない。

 闘志が燃やせない、ほどのものではない。

 ガイエルは、ゆっくりと右手を掲げた。

「ち……ちょっとアンタ、何で動けるのよ……」

 岩壁の上で狼狽しているマイコフレイヤーに、ガイエルは微笑みかけた。この魔獣人間には、感謝をしなければならない。

 掲げた右掌を眼前まで下ろし、軽く顔面を撫でるようにしながら、ガイエルは声を発した。

「悪竜転身……!」

 全身の傷から、鮮血が噴き出した。

 赤い霧のようなそれが発火し、激しく燃え上がった。

 鮮血の霧が炎の嵐に変わり、ガイエルの周囲で渦巻いた。

 呑み込まれた魔人兵たちが、黒焦げの焼死体に変わり、崩れてゆく。

 熱風が、彼らの遺灰を舞い上げながら吹きすさぶ。

 そんな光景の中で、ガイエルは翼を広げ、尻尾をうねらせた。

 真紅の甲殻と鱗をまとう、魔人の姿。炎の嵐を辛うじて免れた魔人兵たちが、遠巻きに取り囲む。

 1度だけ彼らを見回した後、ガイエルは岩壁を見上げた。

 マイコフレイヤーが硬直・狼狽している。

「ひっ……そ、そんなぁ……」

 怯えの声に合わせて、触手の震えが激しさを増す。

 微かな痛みが、ガイエルの頭の中で鬱陶しく疼き続ける。

 苛立ちを、ガイエルは胸の内で燃やした。

 燃やされたものが、込み上げてくる。

 ガイエルの口元で顔面甲殻がひび割れ、砕け散り、白く鋭い牙の列が剥き出しになった。

 整然と噛み合っていたその牙が、ほんの少しだけ上下に開く。

 込み上げてきた少量の爆炎を、ガイエルはそこから解放した。

 ドォン……と吐き出された一筋の爆炎が、岩壁上までまっすぐ伸びてマイコフレイヤーを直撃する。

 無数の茸で構成された巨体が、砕け散って灰に変わった。

 悲鳴を上げる暇も、恐らくは痛みも熱さも感じている暇はなかったはずだ。

 楽に、死なせてやれた。

 魔人兵たちの猛攻からガイエルを救ってくれた、せめてもの礼である。

「さて……お前たちはどうする」

 マイコフレイヤーの死によって頭痛から解放された魔人兵たちに、ガイエルは問いかけた。

「俺は残虐だが、今は貴様らを皆殺しにするよりも優先させるべき事がある。行かなければならない場所がある。立ち去るなら、見逃してやっても良い……いや」

 少しだけ思い直しつつガイエルは、もう1体の魔獣人間を睨み据えた。

 全身に茸を植え付けられたサーペントエルフ……シナジール・バラモン。ティアンナに歪んだ憎悪を抱くこの男を、生かしておくわけにはいかない。

「……貴様だけは、始末しておくか」

「……そ……それは……不可能ですよォオごぼっ」

 口から生えた茸を無理矢理に引き抜きながら、サーペントエルフが声を発した。

「なっ何故なら、貴方に、この者たちを殺す事は出来ない! それは実証済みでしょうがああ」

 血まみれの茸をグシャリと握り潰しながら、シナジールは血を吐いて笑う。

 そんな魔獣人間を護衛する形に魔人兵たちが群れ、ガイエルに襲いかかって来る。

 確かに最初は、この者たちを皆殺しにするのに手間取った。だが、今は違う。

「あの戦いで俺は、思い知ったのだよ。つくづく、身にしみた……」

 ガイエルは右拳を握った。前腕から生えたヒレ状の甲殻刃がジャキッ! と広がる。

 その刃を、ガイエルは横薙ぎに振るった。

「俺が、本当に残虐であるという事をなあ!」

 爪で斬り掛かって来た魔人兵が1体、真っ二つになった。大量の臓物が、潰れながら溢れ出し、半ば液体のようになって飛散する。

 斬撃でありながら、それは粉砕でもあった。

 右腕でそんな攻撃を繰り出しつつガイエルは、いくらか後ろ向きに左足を跳ね上げていた。凶悪な爪を生やした蹴りが、斬り掛かって来た魔人兵の1体を潰し砕く。

 臓物のこびりついた左足を着地させ、軸足として、ガイエルは身を捻り右脚を振り回した。重く鋭く弧を描く、回し蹴り。

 その弧に薙がれた魔人兵が1体、2体、裂けながら潰れ散る。

 間髪入れず、赤い大蛇のような尻尾が宙を裂き、魔人兵たちを打ち据える。肉塊か臓物か判然としない身体が3つ、さらにわけのわからぬ有機物の破片となって、惨たらしく飛び散った。

「重ねて言いますが、貴方はこの者たちには勝てませんよ……」

 もはや戦いですらない虐殺の光景を眺めながら、シナジールがしかし強気な言葉を吐いている。

「この者どもは確かに、魔獣人間には成れませんでした。私が作り上げた時点ではねえぇブグェッ」

 その言葉が突然、潰れた。サーペントエルフの口内から、再び茸が盛り上がって来たのだ。

 魔人兵たちに関してシナジールが何を言おうとしているのか、全く気にならない事はない。だがそんなものは、魔人兵を皆殺しにしてしまえば意味がなくなる。

 ガイエルは左の拳を叩き込んだ。爪を振り立てていた魔人兵の1体がグシャッと原形を失い、様々なものをぶちまける。

 ガイエルは見回した。

 残る魔人兵は3体。無計画な攻撃を仕掛けて来ようとはせず、逃げようともせずに、身構えている。

「……確かに、あんたは強いな。竜の御子とやら」

 3体の魔人兵が、口々に言う。

「本当に化け物だ。レボルト将軍が言っていた通りだぜ」

「ああ。何が何でも、ここで息の根を止めておかなきゃならん」

「そうすりゃ、俺たちが魔族の王だ……この国を救える、みんなを助けられる」

 それ以上、ガイエルは聞きたくなかった。

「誰かを守りたいという思い……美しいものだな。美しいものを抱いたまま、死ぬがいい」

「殺される前に1つ、言っておきたい事がある」

 魔人兵の1体が、進み出て来た。

「俺の弟は、西国境の戦で……あんたに、虫ケラみたいに殺された」

「今すぐ後を追わせてやる。安心しろ」

「頭では、わかってるんだ。あんたはただ、ヴァスケリアを守っただけだってな。一方的に戦争を仕掛けたのは、俺たちの方だ……正しいのは、あんたの方だって事……わかっちゃいるんだよ畜生め……!」

「正しい……だと? この俺が……ふっ、ふふ、ふははははは」

 ガイエルは笑うしかなかった。

「貴様ら俺を、笑わせて油断させようという作戦か! みっ見事なものだ、くふっ、ふっはははははははは!」

「何がおかしい……」

 魔人兵たちが、怒りに震える。

 肉や臓物を練り固めたような肉体が3つ、メキ、めき……っと震えている。

「ここは笑うとこかよ、おい……!」

「こ、これが笑わずにいられるか。俺が正しいだと? 俺が、ヴァスケリアを守っただと?」

 はっきりと、教えてやる必要がありそうだった。

 何も守らない、誰も救わない、ただ残虐なだけの怪物がこの世に存在する事を。

 この者たちにとってガイエル・ケスナーとは、そういう存在でなければならないのだ。

「聞け虫ケラども! 俺はただ、道を歩いただけだ!」

 ガイエルは、笑い叫んだ。

「歩いていたら、うっかり蟻を踏み潰してしまった! あの戦は、要するにそういう事だ!」

「……ありがとうよ。その言葉だけで、俺は遠慮なく……あんたを、ブチ殺せる……ッッ」

 弟を殺された、らしい魔人兵の肉体が、メキメキッ! と震えながら縦に裂けた。

「ヴァスケリアを守るためには仕方なかった……なぁんて言われたら、どうしようかと思ってたとこだ……」

 頭頂部から鳩尾の辺りまで開いたその裂け目が、びっしりと牙を生やしている。それは、縦に裂けた怪物の大口であった。

「いや、そう言われても俺は……アンタを! ぶっ殺してただろぉーなああああああッッ!」

 大口の裂けた身体の表面でも、剥き出しの筋肉のような内臓のようなものが徐々に固まり、しっかりとした外皮となってゆく。ざらついた、爬虫類の外皮だった。

 尻からも、大蛇のような尻尾が伸びて獰猛にうねる。

「ブッ殺す! 大事な事だから何度でも言うぞ? 殺す、殺す! あんたを殺す、ぶち殺す!」

 叫ぶ大口の内部、人間で言うと喉元と胸板の中間辺りに、魔石のような真紅の球体が浮かんでいた。爛々と赤く輝く、球形の宝石。

 両手には、いつの間にか武器が生じていた。左手には、巨大な円形の楯。右手には、鋸のようなギザギザの刃を備えた反り身の剣。

 その剣を振りかざしながら、もはや魔人兵ではなくなった男は叫んだ。

「この魔獣人間リザードバンクルがなぁああっ!」

「魔獣人間だと……!」

 ガイエルのその言葉に応えたのは、シナジールだった。口から茸を引き抜き、血を吐きながら叫んでいる。

「そう! 戦闘経験次第では魔獣人間に進化成長し得る可能性を、私が持たせてあげたのですよ! 魔物たちを相手に、実戦同然の訓練を繰り返してきた者たちです。私が与えてあげた素質を、そろそろ開花させる者が出て来ると思っていたのですよ」

「レボルト・ハイマン将軍が、俺たちを死ぬほどしごいてくれた……」

 2体目の魔人兵も、変異を開始していた。

 その身体を構成する、肉か臓物か判然としない有機物が、はっきり筋肉と臓器に分かれてゆく。

「正直あの男は大嫌いなんだが、これは感謝しなきゃならんな」

 筋肉が、各種臓器を包み込みながら力強く隆起し、全身が一回りほど巨大化してゆく。

 剥き出しの筋肉の表面が、固まって皮膚となり、そこから凄まじい速度で体毛が伸びていった。

 やがて、真っ白な獣毛に覆われた巨体が、そこに出現した。毛むくじゃらの、白い巨漢。

 その右腕だけは、しかし1本の毛も生えていない。代わりに、節くれ立った外骨格に覆われている。

 それは腕と言うよりも、大型の百足である。あるいは芋虫か。そんなものが、毛むくじゃらの胴体から、右腕の代わりに生えているのだ。

 その百足だか芋虫だかが、口から何本もの触手を吐き出し、うねらせている。何やら毒々しい液体を滴らせる触手の群れ。それらが、五指の役割を果たすようだ。

「俺は魔獣人間クローラーイエティ。繰り返しになるがガイエル・ケスナー殿とやら、あんたにはここで死んでもらう」

「そして魔族の王となる、か」

 ガイエルは、嘲笑って見せた。

「どうせデーモンロードあたりが言ったのだろうが、あやつが約束を守るのか?」

「これも繰り返しになるが……デーモンロード様はな、約束は守ってくれるよ……」

 魔人兵の最後の1体が、そう言いながら溶けていた。

 元々わけのわからぬものであった肉体が、ドロドロに溶けながら蠢き、辛うじて人型を維持しながら喋っている。

「もっとも俺は……このままデーモンロード様を帝王とする、魔族の支配体制が続いた方が……バルムガルドのためになるんじゃないかと、思ってるよ」

 溶け蠢く肉体の中から、何やら細長いものがシュルッと蛇のように現れた。

 包帯である。それが、溶解しつつある魔人兵の身体に巻き付いてゆく。

「……ジオノス2世あたりが支配するよりは、ずっとましさ」

 溶けながら蠢く人型の肉体が、包帯で幾重にも巻かれている。そんな姿の怪物が、そこに出現していた。

「そんなわけで、この俺……魔獣人間ドッペルマミーは、今のデーモンロード政権を支持する事にするよ」

「本気で言っているのか、貴様……」

 ガイエルは怒りの声を漏らした。

 魔族に拉致されて人間ではなくなった、言わば被害者である者たちの中から、こんな考えの持ち主が出てしまう。

 デーモンロードの支配体制が、磐石のものになりつつあるという事だ。

 そうして万全の体制を整えた魔族の軍勢が、満を持してヴァスケリアへと攻め込んで来る。

 そうなる前に何とかしなければ、とティアンナは思うはずだ。デーモンロードの支配体制を破壊しておかなければ、などと考えてしまうに違いない。

「貴様らのせいでティアンナが、ヴァスケリアへ帰って来てくれなくなってしまうではないか……許せんな」

「許せないのは、お互い様だっ!」

 リザードバンクルが、猛然と斬り掛かって来る。

 左腕を振るって、ガイエルは応戦した。刃のヒレが、鋸のような剣を打ち返す。焦げ臭い火花が飛び、激突音が高らかに響く。

 その残響が消えぬうちに、2体目の魔獣人間による襲撃が来た。

 クローラーイエティ。毛むくじゃらの白い巨体が、滑らかに敏捷に動いてガイエルに迫る。

 百足のような芋虫のような右腕が、振り下ろされた。五指の代わりの触手たちが、毒々しい液体を分泌しながら鞭の如くしなった。そしてガイエルの、右の二の腕を打ち据える。

 力強い筋肉を、鉄板にも似た鱗で包んだ二の腕。そんな一撃で傷を負うはずもない。ただ触手から滲み出る液体が、鱗から筋肉へと染み込んで来ただけだ。痛くも痒くもない。

 だが突然、得体の知れぬ感覚が、ガイエルの全身に行き渡った。

「うぬっ……!?」

 そんな声を発している間にも、リザードバンクルの斬撃が襲いかかって来る。

 ガイエルは左腕で防ごうとした。が、左腕が動かない。いや動かない事はないが、遅い。

 得体の知れぬ感覚が、目に見えぬ重りとなって左腕に、いや右腕にも両脚にもまとわりついている。

 そんな異状をきたした身体に、リザードバンクルの剣が命中した。

 鋸状の刃が、ガイエルの首筋を激しく擦る。頑強な首の筋肉が、少しだけ切れて鮮血がしぶいた。

「ぐあっ!」

 その血をまともに浴びて、リザードバンクルが悲鳴を上げる。縦に口を裂いた異形の肉体が、シューシューと灼かれて白煙を立ちのぼらせる。

 自滅してくれたか、と思えたその時。縦に裂けた大口の中で、赤い宝石が光を発した。

 その光が、竜の血に灼かれる魔獣人間の全身を包み込む。

 白煙が失せ、赤い光も消えた。

 灼かれていたはずのリザードバンクルが、無傷で立っている。

「ごぼっガッ……み、見たでしょう私の叡智」

 口の中からしつこく生え続ける茸を、痛そうに引きちぎって捨てながらシナジールが、痛みに負けぬ悦びを叫んだ。

「キャリオンクローラーの麻痺毒! カーバンクルの癒しの光! その効果は元の怪物を遥かに上回るものとなっているのですよ我が叡智によって! ゴルジ・バルカウスなど足元にも及ばぬ、この大魔法貴族シナジール・バラモンの美しき叡智によってごぶッ」

 喚くサーペントエルフの腹に、ドッペルマミーが蹴りを入れていた。

「叡智叡智うるさいんだよ、あんたは……ま、俺たちにこの力をくれた事だけは感謝してやってもいい」

「そうだな。そいつと言いレボルト将軍と言い、ムカつく奴ばっかりだが……感謝は、しないとなあっ」

 クローラーイエティが、言いながら左腕を振るった。

 白い獣毛に覆われた剛腕。それがブゥーンッ! と唸ってガイエルに叩き付けられる。

 あのベヒモスワームにも匹敵し得るのではないか、と思えるほどの衝撃だった。

 ほんの一瞬だけ意識を失いながら、ガイエルは宙を舞った。

 地面にぶつかった衝撃で、辛うじて意識を取り戻した。

 麻痺した身体を、ガイエルは無理矢理に起き上がらせた。立つ事は出来ず、片膝をついてしまう。

「どれ、とどめと行くか……こんなのは、どうだい」

 身を折ってうずくまるサーペントエルフの近くで、ドッペルマミーが変化を始めていた。

 包帯の下で溶け蠢いていた肉体が、激しく震えながら隆起し、引き締まり、固まってゆく。

 その全身から、シュルッと包帯がほどけた。

 ほどけた包帯をどこかに収納しながら、ドッペルマミーが翼を広げ、尻尾をうねらせる。左右の拳を握り、前腕から生えたヒレ状の甲殻刃をジャキッと鳴らす。

「何……っ」

 ガイエルは呻き、息を呑んだ。

 つい今まで包帯姿の魔獣人間が立っていた場所に、もう1人のガイエル・ケスナーが出現していた。本物と違って無傷の、赤き魔人。

 その顔面甲殻がひび割れ、剥がれ落ち、唇のない牙だけの口が剥き出しになる。

 噛み合わさった牙が上下に開き、爆炎が迸った。

 片膝をついて立てぬままガイエルは、その爆炎をまともに喰らった。

「ぐっ……ぉおおおおッ!」

 悲鳴を怒声でごまかしながらガイエルは吹っ飛び、地面に激突し、今度は起き上がれなかった。

 真紅の甲殻が全身でひび割れ、それら亀裂が白い煙を発している。

 凄まじい熱量が、衝撃が、ガイエルの身体に叩き込まれたまま消え失せてくれない。

「何だ……殺せたと思ったんだがなあ」

 ガイエル・ケスナー、の姿をしたドッペルマミーが、残念そうな声を出している。

「所詮は偽物の力ってわけか……やれやれ」

「まあ、とどめは俺に任せとけ」

 リザードバンクルが歩み寄って来た。そして鋸のような剣を振りかざし、ガイエルに向かって振り下ろそうとする。

 そこへ、何者かが飛び込んだ。

「何だ……っ!」

 リザードバンクルが、跳び退って回避する。突き込まれて来た、鋭いものを。

 三又の槍だった。

 それを握っているのは、ギルマンロードである。

「させんよ魔獣人間ども……貴様らなどに、この獲物は渡さん!」

 マイコフレイヤーの死によって操り人形の状態から解放されたギルマンロードが、くるりと三又槍を構え直してガイエルの方を向く。

「魔族の帝王の地位、我らギルマン族がもらう!」

 気合いの叫びに合わせ、三又の穂先が襲いかかって来る。

 それをかわしながら、ガイエルは起き上がっていた。

 熱量、衝撃、麻痺毒。それらに支配された身体をガイエルは無理矢理に立ち上がらせ、だが上手く立てず前のめりになりながらも左腕を振るう。

 ヒレ状の甲殻刃が、ギルマンロードを叩きのめした。綺麗な斬撃の形には、ならなかった。

 手応えも、あまり良くない。豪快に叩き斬った感触ではない。

 それでもギルマンロードの身体は、大量の臓物をぶちまけながら吹っ飛んでいた。

「綺麗な死体には、ならなかったな……すまん」

 詫びながらガイエルは、よろよろと身構えた。

「何とまあ……聞きしに勝る化け物だな」

 無傷の魔獣人間3体が、口々に、呆れたり感心したりしている。

「さすがはヴァスケリア王国の切り札ってわけか」

「ああ……ヴァスケリアの連中は、こんな怪物を使って、この国を攻め滅ぼそうとしてやがったんだ」

 バルムガルド人に言わせれば、そういう事になってしまうらしい。

「だから今ここで、こいつを始末する……そうしてから今度は俺たちが、ヴァスケリアを攻め滅ぼしてやる」

「貴様ら……!」

 ガイエルは激昂した。

「魔獣人間の力を、戦争に使おうと言うのか……!」

「使うさ。せっかく手に入れた力だからな」

 鋸状の剣と大型の楯を構え直しながら、リザードバンクルが言う。

「俺はそもそもヴァスケリア人って連中が大嫌いなんだよ。あいつらがさっさとバルムガルドに降服していれば、戦争なんて起こらなかった。俺の弟だって死なずに済んだ……だから俺たちはヴァスケリアを滅ぼす。そうすればもう2度と戦争は起こらない」

「なるほどな……国を守るというのは、そういう事か」

 ガイエルは、否定しようとは思わなかった。

 暴力を否定する資格など、自分にはないのだ。

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