第92話 バルムガルドに悪鬼が集う
胸板に突き刺さる光の矢を、デーモンロードは無造作に引き抜いて握り折った。
折られた矢が、光の粒子に変わってキラキラと散り消えてゆく。
デーモンロードの巨体に、これで計3つの傷が刻み込まれた事になる。
ゴブリートの翼に斬り込まれた首筋と、マディックの槍で穿たれた腹筋、それに光の矢を突き立てられた胸板。
3つの傷口から、しかし血はあまり流れ出ていない。出血が、筋力によって止められている感じだ。
「貴様……それは魔法の鎧か」
上下の端から刃を生やした長弓。そんな武器を携え歩み寄って来る黒騎士に、デーモンロードは声を投げた。
「何者かは知らぬが、まあ訊かずにおく。それを着ている以上、魔族の敵である事は間違いないのだからな」
「バルムガルド王国が、魔物どもに支配されている……」
黒い魔法の鎧をまとう何者かが、重厚な面頬の内側から声を発した。低く落ち着いた、男の声。
「……アマリア・カストゥールの言った通りよな。貴様が魔族の頭領デーモンロードか」
それほど若い男ではないだろう、とマディックは判断した。
ブレン・バイアスとほぼ同年代の、恐らくは軍人。黒い全身甲冑の上からでも、がっしりと鍛え込まれた体格は見て取れる。
そんな何者かが今、驚くべき人名を口にしたのだ。
アマリア・カストゥール。彼は今、確かにそう言った。
マディックは立ち上がろうとして失敗し、よろめいて地面に両手をついた。
全身に熱っぽい衝撃が行き渡り、手足が麻痺したかの如く動かない。
デーモンロードの炎の剣を、まともに喰らったのだ。
魔法の鎧は、その一撃で粉砕されて光の粒子となった。現在、竜の指輪の中で修復が行われている。イリーナの説明によると、丸1日はかかるらしい。
生身のまま立ち上がれずにいるマディックを、シェファが支え起こしてくれた。
彼女は一応まだ魔法の鎧を装着してはいるが、魔力は尽きているはずである。
マディックもシェファも、戦力としては脱落同然。健在なのは魔獣人間ゴブリート……アゼル・ガフナー1名のみだ。
一方、敵はデーモンロードと魔獣人間ジャックドラゴン。片や3ヵ所に傷を負い、片や左腕が使い物にならぬ状態であるが、両名とも戦う力は充分に残している。
この黒騎士が、果たしてどちらの味方をするのか。
デーモンロードに攻撃を加えたからと言って、マディックたちを助けてくれるとは限らない。
いや、それよりも。この人物は今、アマリア・カストゥールの名を口にした。
ヴァスケリア王国北部を唯一神教ローエン派の巨大な私領とし、そこに住まう民を、救済するかに見せかけて腐敗へと導きつつある、偽りの聖女。その名を、バルムガルド国内に耳にする事になってしまった。
マディックは、呻くように問いかけた。
「誰だ……貴方は、誰なのだ……?」
「ヴァスケリア人だ」
それだけを、黒騎士は言った。それ以外の事を教えてくれるつもりは、ないようだ。
「魔物どもがバルムガルド王国を完全制圧し、準備を整えてヴァスケリアへと攻め入る……そうなる前に、手を打たなければならないのでな」
黒騎士の左手に握られた長弓が、うっすらと白い光を帯び始める。マディックが用いる、唯一神教の加護の光……ではない。
リムレオン・エルベットが振るう光と同じ、精神力の物理的発現である。
装着者の気力を、攻撃力に変換する。リムレオンの白い甲冑と同じ機能を、この黒い魔法の鎧は有している。
白く輝く長弓を、黒騎士はデーモンロードに向けながら引いた。魔法の弓。それがキリッ……と引き伸ばされる。
白い光が棒状に凝縮して矢の形を成し、つがえられる。
「魔族の頭領……この場で討ち取る!」
気合いと共に、黒騎士は弦を手放した。
引き伸ばされていた魔法の弓が、激しい音を発して元に戻りつつ、光の矢を飛ばした。
デーモンロードが、炎の剣を一閃させる。光の矢が斬り払われてキラキラと消滅する。
その間に、黒騎士は踏み込んでいた。
長弓が、まるで長柄の武器のように振るわれる。上下の端から伸びた刃が、白い光を帯びながら、立て続けに閃いてデーモンロードを襲った。
その斬撃を、左右2本の炎の剣が迎え撃つ。
黒一色の甲冑姿と、青黒い悪魔の巨体。
両者の間で、白く輝く刃と赤く燃え上がる刃が何度も激突し、火花を飛ばした。
デーモンロードの首筋から、シューッと鮮血が噴き出した。胸板と腹部の傷口からも、どくどくと出血が増してゆく。
本来ならばもはや戦闘など出来る身体ではない、にもかかわらずデーモンロードは左右2本、炎の剣を振るい続ける。
マディックは、慄然とした。
この怪物は、ただ強いだけではない。信念などと呼べるものかどうかはともかく、精神的に揺るぎないものを、間違いなく持っている。精神的にも揺るぎなく、魔物たちの上に君臨しているのだ。
そんなデーモンロードを相手に黒騎士は、魔法の弓を巧みに操り続けた。
接近戦などという、本来の用途から遠く離れた操り方で、しかし炎の斬撃を防ぎ受け流し、上下両端の刃で反撃を繰り出す。短剣よりは大きめの刃2本が、白い気力光をまといつつデーモンロードに斬り掛かり、あるいは突き込まれる。
1歩、2歩。巨体を後退りさせながら、デーモンロードは辛うじてそれらを防ぎ、さばき、かわした。
手負いとは言え、この怪物を防戦に追い込んでいる。それも1対1で。
(何者なんだ……一体……)
頼もしさよりも警戒心が、マディックの中では勝った。
(アマリア・カストゥールの近辺に、これほどの手練が……そしてイリーナ、君も……)
あのアマリア・カストゥールが、イリーナを抱き込んだ。
もしそうなら、それはヴァスケリア王国のローエン派勢力が、魔法の鎧という暴力を入手した事を意味する。
あの歪み腐った平和主義を押し通すために、魔法の鎧の力が使われるかも知れないという事である。
「我ら……悪魔族を! なめるでないわ人間風情が!」
デーモンロードの気合いに合わせ、炎の剣が激しく燃え上がった。そして、炎上の轟音を立てて振り下ろされる。
それを、黒騎士は後方へ跳んで回避した。
重そうな黒い甲冑をまとう身体が、しかし軽やかに着地し、体勢を立て直そうとする。
そこへ猛然と斬り掛かろうとしたデーモンロードの巨体が、突然ズドッ! とへし曲がった。
ゴブリートの小さな身体が、火の玉と化して激突したところだった。魔獣人間の燃え盛る左掌が、デーモンロードの脇腹の辺りにめり込んでいる。
衝撃が、炎が、熱量が、そこから悪魔の体内へと激しく流し込まれる。
デーモンロードの身体が、吹っ飛んだ。首筋、胸板、腹部、3ヵ所の傷口から、鮮血ではなく炎が噴出した。
地面に激突したデーモンロードが、体内を炎に焼かれながらも即座に起き上がり、怒りの雄叫びを張り上げる。隻眼の中で、苦痛を上回る憤怒と闘志が燃え上がっている。
ゴブリートが息を呑み、舌打ちをした。
「化け物め……!」
「いや、良い攻撃であったぞ魔獣人間」
言いつつ黒騎士が、魔法の弓を引いた。光の矢が発生し、つがえられ、デーモンロードに向けられる。
「これでとどめだ、魔族の頭領……うぬっ?」
若干うろたえながら、黒騎士は跳び退った。その足元で、爆発が起こった。
ジャックドラゴンが、大量の火球を吐き出していた。
それらが、隕石のように降り注いで来る。流星の如く、飛翔して来る。そして黒騎士を、ゴブリートを、シェファとマディックを襲う。
ゴブリートが、跳躍した。
炎の体毛が、空中で巨大に燃え上がる。魔獣人間の小柄な身体が、まるで太陽のようになって様々な方向に炎を伸ばした。
紅炎の如く燃え伸びて荒れ狂う炎の体毛が、ジャックドラゴンの火球たちを片っ端から焼き払う。
空中のあちこちで、爆発が起こった。爆風が、地上に向かって吹きすさぶ。
生身のマディックを、シェファが抱き締めるように庇ってくれた。
2人まとめて庇うように黒騎士が両腕を広げて近くに立ち、上空からの爆風を身体で防いでくれている。
やがて爆発は失せ、ゴブリートが力尽きたように墜落して来た。地上にぶつかり、よろりと身を起こしつつ、呻いている。
「逃げられた……か」
その言葉通り、デーモンロードもジャックドラゴンも姿を消していた。
「魔物どもを力で束ねるデーモンロード……それに魔獣人間と化したレボルト・ハイマン将軍、か」
黒騎士が、溜め息混じりの言葉を漏らす。
「なるほど、一筋縄ではゆかぬ相手よ」
「貴様もな」
ゴブリートが油断なく黒騎士を睨み、言った。
「デーモンロードと、1対1でまともに戦えるとは……貴様、一体何者だ」
「ヴァスケリア人だ」
先程と同じくそれだけを、黒騎士は答えた。
マディックを抱き支えたまま、シェファが言葉を挟む。
「あたしたちもヴァスケリア人なんだけど……協力とか、出来る?」
「どうかな……」
黒騎士は、微笑んだようだ。
追及するかのように、シェファはなおも言う。
「貴方、デーモンロードの名前も知ってた。あのレボルト・ハイマンとかいう魔獣人間の事も、知ってるみたい……今のバルムガルドに関して貴方、あたしたちなんかより情報持ってんじゃないかって思うんだけど」
「魔物どもに支配されつつある……この国に関する情報など、それだけだ」
くるりと背を向けながら、黒騎士は言った。
「ヴァスケリアに禍いが及ぶ前に、魔物どもを討ち滅ぼす……するべき事は、それだけだ」
「待ってくれ……貴方は、ローエン派の関係者なのか?」
歩み去って行く黒騎士の背中に、マディックは声だけを追いすがらせた。
「貴方は、アマリア・カストゥールの……命令で、動いているのか?」
「私はただ、あの女に利用されてやっているだけだ」
振り返らず、歩みを止めず、黒騎士は答えた。
「……そうせねば、守れないものがある」
「あのジャックドラゴンめも、この国の民を守るために、デーモンロードへの臣従を強いられているようだ」
言ったのはゴブリートだった。
「貴様もあれか。何かを守るためだと言って、ろくでもない事をしでかしている口か」
「ふん……気をつけるとしよう」
遠ざかって行く黒騎士の声が、そろそろ聞き取れなくなりつつあった。
「誰かを守る、などと気負っている輩ほど、道を踏み外してしまいがちだからな……」
焼け野原の彼方へと消え行く黒騎士を見送りながら、マディックは後悔に身を苛まれていた。
肝心な事を1つ、訊きそびれてしまったのだ。
(貴方の、魔法の鎧……それは、イリーナ・ジェンキムの手によるものか?)
発する事の出来なかった問いかけを、マディックは心の中で空しく繰り返した。
(彼女は今……どこに、いるんだ……?)
風が強い。
安物の旅用マントと、長く赤い髪が、まとわりつくようにバタバタとはためいている。
そろそろ髪を切ろうか、とガイエルは思わなくもなかった。
周囲は切り立った岩ばかり。すぐ近くでは大地が裂けて断崖となっており、谷川の流れる音が微かに聞こえて来る。
ゴズム山脈で本当に険しいのは、しかしこの辺り一帯だけで、ここさえ越えてしまえば、人の住む村落まではそう遠くないという話であった。
そうした山間部の村々や集落を次々と併合し、急激に巨大化しつつあるのが、タジミという村だ。
バルムガルド王家の生き残りが、そこで亡命政府のようなものを作り上げ、魔族の討伐と王国復興を声高に叫んでいるらしい。
デーモンロードがそんなものを全く相手にしていない事は、傍目にも明らかであった。
その隙をつくようにタジミ村は、魔族に対する反抗拠点として要塞化が進んでいた。王国全土から、人が集まりつつもあるらしい。
そういった人々は、もう少し遠回りで安全な道を歩いてタジミ村を目指すのであろうが、ガイエルには遠回りをする気などなかった。険しくとも、この岩だらけの谷を無理矢理に突っ切って行くのが、タジミ村への一番の近道なのだ。
「そのタジミという村では、小規模ながら正式にバルムガルドの新国王が即位したという話だ」
傍に立つ老ゴブリンに、ガイエルは問いかけた。
「そんな所にティアンナがいる……ヴァスケリアの王族が、バルムガルドの王族に協力していると言うのか」
「新国王ジオノス3世は、ティアンナ・エルベットの姉シーリン・カルナヴァートが生んだ赤児でございます」
老ゴブリンが、岩の上に跪いて言った。
「国王の叔母という立場を利用し、ヴァスケリアの、バルムガルド新王制に対する優位性を確立しようとしているのではないでしょうか。何しろ竜の御子よ、貴方様をも利用するほどの、したたか極まる姫君でございます」
「……まあ、そのくらいの事は考えるかも知れんな。彼女なら」
ヴァスケリア国民の幸福と平和のためなら手段を選ばないようなところが、ティアンナには確かにあった。
(ヴァスケリアのために、貴女が何をしようとしているのか……)
タジミ村の方向を、ガイエルは睨み据えた。ここからでは、切り立った岩壁が見えるだけだ。
(何であれ、そんなものは俺が済ませてやる。そして、貴女を連れて帰る)
「むっ……」
この場にいない相手への語りかけを、ガイエルはとりあえず中断し、周囲を睨んだ。
不快な気配が、強風に乗って押し寄せて来ている。
悪臭にも似たその気配の、根源が1つ、岩壁の上で見え隠れしていた。
「あらぁ……見つかっちゃったのねえぇ」
茸の塊に、最初は見えた。
極彩色の茸が無数、集まり固まって人型を成している。そんな姿の怪物である。
以前、1度だけ戦った。魔獣人間マイコフレイヤーだった。
「大人しく不意打ちでも喰らってれば、楽に死ねたのにねぇ。かわそうなゲテモノ坊や」
「……御苦労だった。ひとまず身を隠しておけ」
ガイエルが命ずると、老ゴブリンは一礼し、
「御武運を……」
そんな言葉を残して、視界から消え失せた。年季の入った、逃げ足の速さである。
入れ替わるように、何者かが襲いかかって来た。
何者なのかを確認する暇もなく、ガイエルは後方へと身を揺らした。鋭いものが一閃し、視界を横切る。
三又の、穂先だった。それが再び、襲いかかって来る。
正確に心臓へと向かって来たその一撃を、ガイエルは跳んでかわした。
着地し、襲撃者の姿を確認する。
三又の槍を構え、3度目の襲撃を敢行しようとしているのは、1体のギルマンだった。オークやゴブリンと並ぶ、魔族の最下級種族。水の雑兵とも言うべき生き物である。
この襲撃者が、しかし並のギルマンではない事は、今の奇襲の動きからも明らかだ。
「はいそこまでよぉ、ギルマンロードちゃん。ここから先は、アタシらと連携しましょうねえ」
マイコフレイヤーが、岩壁の上から、そんな言葉をかけている。
「……寄ってたかってイジメ殺してあげちゃうわよん、竜の御子ちゃん」
「俺を殺せば魔族の頂点に立てる、のだったな。確か」
ガイエルは苦笑した。まったく光栄な話である。
「あまり自惚れたくはないが、以前の戦いで実力差くらいは思い知ってくれたと思う。それが、たった3匹で戦いを挑んでくるなど……トチ狂った、としか思えんのだがな」
3匹。そう、もう1匹怪物がいた。マイコフレイヤーの傍らに立っている。
一応は、人型をしていた。が、体型は妙に歪である。
骨格がねじ曲がった感じの身体は、元々は甲冑状の鱗に覆われていたのであろう。今は、それらを突き破って、無数の茸が生えている。
首から上も、半分以上が茸だった。毒性を感じさせる、小さな茸の群れ。それらの中から、ギラギラと血走った眼球が、憎悪そのものの光を発している。
シナジール・バラモン。魔獣人間サーペントエルフ。間違いない。だが、この変わりようは何とした事か。
「魔族の帝王には、アタシがなるの……」
マイコフレイヤーが口元の触手を蠢かせ、うっとりと声を発する。
「魔物どもを大いにコキ使って、この世界を征服するの支配するの! この世の可愛い男の子みぃーんなアタシの奴隷にするのオモチャにするの! だからねぇ死んでちょうだいゲテモノ坊や、大人しくしてくれれば楽に死なせてあげるからあぁ」
「おい貴様、ギルマンロードと言ったな」
岩壁の上で世迷い言を吐く魔獣人間に親指を向けながらガイエルは、目の前で三又槍を構える手練のギルマン戦士に問いかけた。
「魔族でありながら、あのような愚物に仕えているのか。貴様らの主は、デーモンロードではなかったのか?」
ギルマンロードは何も答えない。凶悪な牙を生やした口を静かに閉ざし、ただガイエルを見据えている。
操り人形の目だ、とガイエルは感じた。
「何言っても無駄よ無駄。その子はねえ、もうアタシの言う事しか聞かないのよん。ねえシナちゃん、アンタもそうよね?」
「……! ……!」
シナジール・バラモンが歪な身体を震わせ、何か叫ぼうとしている。が、口内に生えた茸が、その叫びを潰してしまう。
「ん〜何言ってんのかわかんなぁーい……けど、もしかして逆らおうとしてる? シナ公の分際でアタシに逆らうってのはどぉーなのかしらねェエエエエエエ」
マイコフレイヤーが、何かを念じた。
サーペントエルフの全身で、いくつかの茸が破裂し、黒っぽい血液が噴出した。
悲鳴を茸に潰されながら、シナジールが岩壁から転げ落ちる。
そしてガイエルの近くで地面に激突し、のたのたと起き上がった。破裂した部分から、血まみれの茸をニョキニョキと再生させながらだ。
「…………!!」
声にならぬ叫びを籠らせながらサーペントエルフが、右手からバチッ! 電光を発生させる。それと共に三又の槍が生じ、くるりと構えられる。
ギルマンロードとサーペントエルフ。
マイコフレイヤーの傀儡と化している2体の怪物が、左右からガイエルを襲った。2本の三又槍が、侮れぬ速度で突き込まれ、叩き付けられて来る。
ガイエルは地面に倒れ込んでかわし、距離を取って跳ね起きた。
その距離を、サーペントエルフが一気に詰めて来る。
骨格も筋肉も歪にねじ曲がった身体が、しかし恐るべき速さで槍を操り、ガイエルを襲う。おかしな茸を全身から生やす前と比べて、身体的な戦闘能力は明らかに向上している。
襲いかかって来た三又の穂先の根元を、ガイエルは右手で掴み止めた。
そうしながら左手で、もう1本の槍を、払いのけるように受け流す。ギルマンロードが、斜め後方から突きかかって来たところだった。
受け流され、前のめりに身体を泳がせながらも、ギルマンロードは即座に踏みとどまって姿勢を立て直し、三又槍を構えた。
右手でサーペントエルフの槍を掴み止めたまま、ガイエルは対峙した。
「傀儡、か。哀れなものよな……むっ」
微かな衝撃と痺れを、ガイエルは感じた。
シナジールが、電光を発生させていた。それがバチバチッと音を立てて、三又槍からガイエルの右手へ、体内へと流れ込んで来る。人間であれば、たちどころに感電死を遂げているところだ。
ガイエルは無造作に、槍を掴み寄せた。サーペントエルフの身体が、引きずられて前のめりになる。
そこへガイエルは、左足で蹴りを叩き込んだ。
いくつかの茸が破裂し、どす黒い血液が噴き上がる。
黒っぽい血飛沫をまき散らしながらサーペントエルフは身を折って倒れ、のたうち回った。悲鳴を茸によって塞がれたまま、眼球を苦しげに血走らせている。
本当に、哀れな姿だった。ガイエルがしてやれる事は、1つしかない。
「哀れな傀儡は、叩き壊す。あまり綺麗な死体にはならんが、まあそれは許せ……うぐっ!」
とっさにガイエルは、右に跳んだ。かわしたつもりだが、かわしきれなかった。
旅用のマントが大きく裂け、鮮血が噴き上がる。背中が、ざっくりと裂けていた。
異様な姿の生き物が1体、血に濡れた爪を振り立ててガイエルの方を向く。長剣のような爪。それが後方からガイエルを襲ったのだ。かわすのが一瞬でも遅れていたら、背中から心臓を貫かれていたであろう。
気配を全く感じさせなかった襲撃者。その姿は、人型を成した肉塊か臓物、としか表現のしようがない。
戦った覚えはある。確か魔獣人間の失敗作……残骸兵士とか呼ばれていた生き物だ。
それが、1体だけではなく10体、いや20体以上。周囲の岩陰から姿を現していた。全員、凶器そのものの爪を、ガイエルに向かって冷たく鋭く光らせている。
「貴様ら……」
「あんたを殺せば、俺たちの村の安全は保証してもらえる」
残骸兵士たちが、口々に言う。
「俺のおふくろも妹も、安全に暮らせるんだ。俺たちが戦えば」
「デーモンロード様は、少なくとも約束は守ってくれる。ジオノス2世なんかと違って、俺の家族を守ってくれる」
「こんな身体になっちまった以上、魔物の軍隊で手柄立てて出世するしかねえ……死んでもらうぜ、あんたには!」
元々は単なる人間の男であった者たちが、今や完全な、魔族の兵士と化している。ガイエルに気配を感じさせないほどの、手練の兵士にだ。
「ヘタレで役立たずなシナ公の……ただ1つの取り柄よねえ、この魔人兵ちゃんたちは」
岩壁の上でマイコフレイヤーが、自身は戦いに加わろうとせず嬉しそうな声を出す。
「調べはついてんのよぉ竜の御子ちゃん。アンタってばこの子たちが相手だと今イチ本気で戦えないのよねぇうっふふふふふ」
「魔人兵……か」
残骸兵士などという呼び名よりは、ずっとふさわしい。ガイエルは、そう思った。