第90話 復讐の魔神
全身に包帯を巻かれたオークロードが、恭しく跪いている。
岩の玉座の上から、デーモンロードは鷹揚に言葉をかけた。
「災難であったな。よりにもよって、あのアゼル・ガフナーと戦う羽目に陥るとは」
「……不覚を取りました。魔族にあるまじき無様を晒した罪、万死に値するものと心得ております」
恐怖、ではなく屈辱と怒りで、オークロードの声は震えている。
「が……お許しいただけるならば、せめて汚名返上の機会を賜りたく」
「そう思い詰める事はない。1度や2度の敗北で万死に値するなどと言っていたら……まず私が死ななければならなくなってしまうではないか」
言いながらデーモンロードが、己の顔面を走る傷跡に、太い指先を這わせる。
ゴズム岩窟魔宮の一室。謁見の間として定められた、岩の大広間である。
玉座の傍、まるでデーモンロードの側近のような位置からレボルト・ハイマンは、跪くオークロードの姿を見やっていた。
アゼル・ガフナー……魔獣人間ゴブリートを、わざと殺さず崖下へと避難させたのは自分である。
オークロードにしてもデーモンロードにしても、レボルトに対し、言いたい事の1つや2つはあって当然であろう。
それをしかし口に出す事なくデーモンロードは、レボルトの方を向き、隻眼の異相をニヤリと歪めた。
「難儀な事よなあレボルト将軍。竜の御子にメイフェム・グリム、それにアゼル・ガフナーと、厄介者が次から次へと現れ出おる」
「貴殿ら魔族こそが、この世界にとっての厄介者……排除するための力が働いている、という事ではないのか」
レボルトがそんな事を言っても、デーモンロードは怒らない。
この世の厄介者。それは、この怪物に対しては賛辞にしかならないのだ。
「排除するための力、か……ふふふ、それを力押しで退けて歩むのが魔族の道。レボルトよ、貴様とて人間どもから見れば」
「……言われるまでもない、魔族の一員よ」
自嘲気味に、レボルトは言った。
今はこのように、粗末な雑兵鎧をまとった人間の若者の姿をしている。が、もはや人間には戻れない。
己の意志で、人間をやめたのだ。
そしてデーモンロードに挑み、敗れ、軍門に降った。今はこうして、人間という種族そのものに対する裏切りを働いている。
「貴様は実に役に立つ男だ、レボルト・ハイマンよ」
レボルトの胸中を知ってか知らずか、デーモンロードが褒め言葉を口にする。
「貴様のおかげで、あの魔人兵どもが日に日に精鋭と化してゆく……元は単なる人間であった者どもが、今や魔族の軍勢の中核となりつつあるのだ」
「私は、ほんの少しばかり訓練を施してやっているだけだ。あれらを作り上げたシナジール・バラモンを、もう少し褒めてやってはいかがか」
別に顔を見たい相手ではないが、魔獣人間サーペントエルフ……シナジール・バラモンとは、ここ何日か顔を合わせていない。実験房に籠りっきりで魔獣人間の製造に励んでいる、ようではあるが。
「シナジール・バラモン大侯爵か。確かに魔人兵の完成は、あやつの功績ではある。だが肝心の魔獣人間が1体も出来上がっておらぬようではな」
デーモンロードは、少し考えて言った。
「まあ、なまじな魔獣人間を上回る性能の兵士を大量生産する技術だけは、認めてやっても良いか……ふ、ふふふ。ものは考えようかも知れんな。突出した力を持つ魔獣人間少数よりも、そこそこの力を持った魔人兵の大軍の方が、力押しをするには都合が良い」
「……兵法としては正しい考え方だ、デーモンロード殿」
「それになあ。あの魔人兵ども、女子供を守りたい一心で、本来の性能を遥かに上回る力を発揮しおる」
本当に楽しそうに、デーモンロードは笑い語った。
「魔獣人間の材料として徴用するのは、15歳を超えた男子のみ……というのは正しいやり方なのかも知れんな。女子供に対しては一切の暴虐を禁ずる。これさえ徹底しておけば、男どもはいくらでも命を賭けてくれる。魔人兵として、我ら魔族のために戦ってくれる。なあレボルト将軍よ、あれほど執拗に女子供の保護を願ったのは、これを見越しての事か? であるならば貴公は素晴らしい戦略家だ。これからも魔族の軍師として、大いに活躍していただきたいものよなあ」
「そんなわけがなかろうが……ッッ!」
レボルトの全身が、メキッ! と震えた。人間の外見が、破けてしまいそうになった。
「私がどれだけ貴殿らを討ち滅ぼしたいと思っているのか……知らぬわけではあるまい!」
「やめよ、レボルト・ハイマン」
オークロードが鎚矛を持ち、立ち上がった。
「デーモンロード様への御無礼は許さぬ。我らが保護している、人間の女子供らのためにもならぬ。わかっていよう?」
「魔物どもが……!」
「そこまでにしておけ」
鷹揚に楽しそうに、デーモンロードは片手を上げて仲裁をした。
「レボルトよ、貴様を見ていると思えるのだがな、やはり突出した力を持つ魔獣人間とは危険な存在よ。貴様と言い、メイフェム・グリムと言い、アゼル・ガフナーと言い」
「……デーモンロード様。私とあやつとの戦いに関して今一つ、御報告せねばならぬ事が」
いくらか迷ったように、オークロードは言った。
「そのアゼル・ガフナーなる魔獣人間以外にも、我ら魔族と敵対する者がおります。念のためデーモンロード様のお耳に入れておく事、お許しいただけましょうか」
「聞こう」
「私は当初、その者たちと戦っておりました」
重い口調で、オークロードが報告を始める。
「単なる人間でございました。攻撃魔法兵士の小娘と、唯一神教徒の若造……その2名が、恐らくは何らかの魔法によるものであろう鎧をまとい、私とそれなりに戦える程度の力を身に付けたのです」
「鎧……」
デーモンロードの口調に、ただならぬものが宿った。
「攻撃魔法兵士の小娘と、聖職者の若造……そやつらが、力ある鎧を身にまとったと。そう言うのだな?」
隻眼が、ギラリと燃え上がる。まるで赤き魔人ガイエル・ケスナーと戦っていた時のように。
若干たじろぎながらも、オークロードは報告を続けた。
「私がそやつらと戦っている最中に、あやつが現れたのでございます。燃え盛る、炎の魔獣人間……確かに、恐るべき敵でありました。ですが私にこの傷を負わせたのは」
「アゼル・ガフナーではなく、鎧を着た小娘であると。そういうわけか」
デーモンロードの言葉に、オークロードは深々と頷き、そのまま顔を上げなくなった。
「もはや勝てぬ戦いでございました……私が、愚かにも退却の機会を見誤ったため……部下たちが……ッ!」
「安心せよ。私が仇を討ってやる」
デーモンロードが言うと、俯き震えていたオークロードが顔を上げた。
「は……で、デーモンロード様が?」
「私にとっても倒さねばならぬ相手よ。その鎧を着た者どもはな」
青黒い巨体が、岩の玉座から立ち上がる。闘気が、ゆらりと漂い出した。
オークロードが威圧され、たじろいでいる。
「お、お待ち下さい。不覚を取った私に言える事ではございませんが……デーモンロード様が直々に、お相手をなさるような者どもでは」
「私が相手をせねばならんのだ」
闘志が、怒りが、憎悪が、デーモンロードの口調には漲っている。
「確かに、あやつら1人1人は便利な鎧を着ているだけの雑魚……だが人数が揃った時の力は、竜の御子に匹敵し得るか、あるいはそれを上回るかも知れぬ」
左目を潰す顔面の傷跡を、デーモンロードは指先で抉るようになぞった。
「そのような者どもが、愚かにも人数を分けてバルムガルド王国に潜入し、各個撃破の機会を恵んでくれた……やはり、私が行かねばならぬ」
「そ、それならばデーモンロード様! 私に雪辱の機会を!」
オークロードが、巨体を投げ出すように平伏した。
「部下たちの無念を晴らす機会を、どうか賜りたく」
「オークロードよ、貴様はまず傷を治せ」
デーモンロードは厳しい声を発した。
「それとだ、配下のオークどもを今少しまともな戦力に鍛え上げる努力をせよ。貴様1人だけが頑張ったところで、種族全体の地位の向上など望むべくもないのだぞ」
「は…………っ」
オークロードは、平伏したまま動かなくなった。
「魔法の鎧の装着者どもは、私自身の手で討ち果たさねばならぬ」
デーモンロードは右拳を握った。
青黒い岩のような拳が、めらめらと炎をまとう。
「他者を利用して、あやつらを各個撃破せんとした事がある……結果は、無様なものであった。ゆえに今回は、私自身が力押しを実行する。アゼル・ガフナーもろとも、あやつらを討ち滅ぼす」
「貴公の、顔面の傷……」
レボルトは、殺されるかも知れない問いを口にした。
「それが、その無様な結果とやらか」
「ふ……ふっふふふ、ふははははははは!」
デーモンロードは笑い出した。
「貴様の考え、手に取るようにわかるぞレボルト・ハイマン! この傷を負わせた者どもを利用し、私を亡き者にせんとしておるのであろうが? だが無駄な事よ。我ら魔族への対抗手段……魔法の鎧は、中身もろとも叩き潰す。このデーモンロード自らの手でな」
巨大な翼をマントの如く翻し、デーモンロードは歩き出した。
「つまらぬ期待はせず、魔人兵どもの調練に励んでおれ。それが魔族の軍師たる貴公の役目であるぞ、レボルト・ハイマン将軍殿」
「……御意」
大広間の外へと歩み去って行くデーモンロードの後ろ姿に向かって、レボルトは恭しく一礼した。
(魔法の鎧……か)
それを着た者たちが、デーモンロードの顔面に、消えぬ傷跡を残したらしい。
とは言え、レボルト自身がその場面を目の当たりにしたわけではない。どの程度の力を持った者たちなのかは、まだ未知数である。
その者たちが、今はアゼル・ガフナー……魔獣人間ゴブリートと、行動を共にしているらしい。
デーモンロードが今、襲撃に向かった。それを1度でも退ける事が出来れば、その力は本物である。殺されてしまうようなら、所詮その程度であったと思うしかない。
「2度は助けぬぞ、アゼル・ガフナー……せいぜい派手に戦え」
この場にいない相手に、レボルトは語りかけた。
あのゴブリートのような者たちが派手に戦ってくれればくれるほど、魔族の目はそちらに向く。タジミ村には、向かなくなる。
あの村にデーモンロードの注意が向けられてしまう事態だけは、何としても阻止しなければならない。
痛みは、感じなかった。
感じられるのは、空を飛んでいる心地良さだけである。
10年近く前、あの先生に叩きのめされた時と、同じような感覚だった。
ぼんやりと懐かしさを感じつつマディック・ラザンは、瓦礫に激突し、その破片を蹴散らしながらなおも吹っ飛び、地面にぶつかって転がり倒れた。
緑色の全身甲冑に包まれた身体が、瓦礫の破片にまみれて動かなくなった。
やはり痛みはない。快感にも似た痺れが、全身を支配している。
魔法の鎧を着ていなかったら、痺れを感じる暇もなくマディックは砕け散っていたであろう。
身体が動かない。意識が、気持ちよいくらいに朦朧としている。
「……貴様ほど、武術の素質に乏しい奴も珍しい」
魔獣人間ゴブリートが、呆れながら歩み寄って来る。
「そんな奴を、しかし俺の一撃を喰らって死なぬ程度には鍛え上げた……貴様の師匠は、よほど忍耐強い男であったのだな」
「男……ではないよ」
立ち上がれぬまま、マディックは声だけを発した。
廃墟である。元々は、そこそこ大きな町だったのであろう。
魔族の襲撃によって瓦礫の集合体と化した町に、マディックとシェファそれに魔獣人間ゴブリートは滞在していた。
「……俺の師匠は、女性だった。男顔負けに戦える、ディラム派の尼僧さ」
「ほう」
興味深げな声を出しながら、ゴブリートは立ち止まった。マディックを助け起こす、ところまではしてくれない。
「奇遇だな。貴様などよりずっと強い唯一神教徒の女を、俺も1人知っている」
「本当か……!」
瓦礫にもたれかかるようにして、マディックは弱々しく上体だけを起こした。
1年間、辛抱強くマディックを鍛えてくれた先生。結局、名前を教えてくれる事もなく姿を消してしまった彼女と、もしかしたら再び会えるかも知れない。
マディックのそんな思いを、しかしゴブリートは容赦なく打ち砕いてくれた。
「おかしな期待はするなよ。その女は、お前より年下の若い娘だ。過去に弟子を持った事があるとは思えん」
「若い娘で……戦いの出来る、唯一神教徒……?」
ゴブリートとマディックの武術稽古を、瓦礫に座ってぼんやりと見物していたシェファが、そんな反応を見せつつ立ち上がった。
「ほんと奇遇ね……そういう女、あたしも1人知ってるわ。アゼル派の、頭のおかしい尼さんよ」
「アゼル派……か」
ゴブリートは苦笑した。表情のわかりにくい、凶暴な猿のような顔に、しかし明らかな苦笑いが浮かんだ。
そう言えば、とマディックは思った。あの先生だけでなく、この魔獣人間も、名前を教えてくれてはいない。
「……貴方にも、人間としての名前があるのだろう? 差し支えなければ、聞かせてはくれないだろうか」
「別に差し支えはないが……今更、偉そうに名乗るほどの名前でもない」
ゴブリートの全身で、炎の体毛が燃え上がった。
「今の俺は魔獣人間ゴブリート、ただ戦うだけの存在だ。それでいい」
「あの、かっこつけるのは自由だと思うけど……いちいち燃え上がるの、やめてくんない? 暑くてかなわないのよね」
シェファが言いながら、薄い衣服の胸元をパタパタとはだける。綺麗な鎖骨と意外に深い胸の谷間が、一瞬だけ露わになった。
マディックは、思わず目を逸らせた。
「その炎、消せないの?」
「見ての通り、俺は身体が小さくてな。こいつを燃やしていないと、みすぼらしくてたまらんのだ。大目に見ておけ」
「まったく……火事とか起こさないでよね」
再び瓦礫の上に腰を下ろしつつ、シェファは両脚を組んだ。形良い太股が、割と際どい所まで剥き出しになる。
マディックは、目のやり場に悩んだ。
(まったく何を考えているんだリムレオン・エルベット……他の男と2人っきりの旅をさせるなど)
シェファ・ランティとしばらく行動を共にして、マディックが1つ気付いた事がある。
この少女が、意外に美しい。そんな至極単純な事実である。
美しい女性と、行動を共にする。そんな経験が、マディックはこれで4度目だった。
最初は、あの先生。1年間、ほとんど1対1で容赦なくしごかれたものだ。
2度目はエミリィ・レア。もっとも2人きりの旅ではなく、ローエン派の同志3名が一緒だった。日に日に美しくなってゆく彼女に、アレン・ネッドなどはかなり狂おしい思いを抱いていたようである。
そして3人目はイリーナ・ジェンキム。
サン・ローデル地方教会の1室でマディックが目を覚ました時には、彼女はもういなくなっていた。
(イリーナ……君は一体、たった1人でどこへ行ってしまったんだ……)
空しい問いかけを口には出さずマディックは、己の全身を包む緑色の甲冑を見下ろした。
この魔法の鎧が、彼女からの餞別になってしまった、という事なのであろうか。
(俺ごときが、君の心配をするのは……放ってはおけない、などと思ってしまうのは……自惚れというものだろうか? イリーナ……)
「貴様程度の力で俺を相手に武術の稽古など、命知らずもいいところだ」
ゴブリートが、容赦のない言葉をくれた。
「何故、そこまでして強くなろうとする? ローエン派というのは、戦いを嫌う宗派ではないのか」
「だからこそ、戦いというものから目を背けてはならない……俺は、そう思う」
戦わなければ、守れないものがある。
ケスナー家の父子が、強烈に教え込んでくれた事である。
「……俺は、貴様のような男を1人知っている」
ゴブリートが言いながら、空を見つめた。
その男は、もうこの世にはいないのだろう。何となく、マディックはそう思った。
「ごめん。そんな事より、ちょっと訊きたい事あるんだけど」
シェファが、遠慮なしに言葉を挟んでくる。
「あんた魔獣人間なら、ゴルジ・バルカウスって奴の事知ってる?」
「知っている。だが小娘、魔獣人間全てがあやつの作品というわけではないぞ」
「そう、あんたは違うんだ……あいつがやってた魔獣人間の研究その他諸々、デーモンロードが完全に引き継いじゃってるのかどうか、それが知りたいんだけど」
マディックが忘れかけていた本来の任務を、シェファは見失ってはいないようであった。
「……そうだな。完全に引き継いでいると見て、間違いはないだろう」
ゴブリートが、親切に教えてくれる。
「俺がその場を見たわけではないが、ゴルジ・バルカウスがデーモンロードに殺されたのは、どうやら間違いない。魔獣人間の開発生産に関わる全ての物事は、今や魔族が完全に掌握している」
「それにしては、あれよね……魔物どもが魔獣人間を、自分らの手下として完璧に管理しているようには見えないんだけど」
「当然だ。我ら魔獣人間は、そもそも魔族と戦うために造り出された存在なのだからな」
ゴブリートのその言葉を聞いて、マディックは、自分の知るもう1人の魔獣人間に思いを馳せた。
人間を守ってデーモンロードと戦った、ギルベルト・レイン。彼こそが、魔獣人間の本来あるべき姿なのであろうか。
ゴブリートは、なおも情報をくれた。
「俺の知る限り、デーモンロード配下には魔獣人間が3人いる。うち2人は、まあ執念深さだけが取り柄の小物だ。もっとも貴様らの力で勝てる相手かどうかは、わからんな」
「残る1人は……」
マディックは訊いてみた。
「小物、ではないのか?」
「強い。少なくとも、俺と同じくらいはな」
答えつつゴブリートは、己の胸板に片手を当てた。
あの負傷は、その3人目の魔獣人間によるもの、だったのであろうか。
「……あんたは、どうなの」
魔石の杖をギュッと握り締めながら、シェファが問う。
「デーモンロードの手下……じゃあないのね? それ、信じてもいいのね?」
「さあ、それはどうかな」
言ったのは、ゴブリートではなかった。
何者かが、いつの間にか、瓦礫の上に悠然と腰掛けている。
「よくぞ生きていたなアゼル・ガフナー。せっかく拾った命、無駄に捨てる事もあるまい……私の配下に加われ」
巨体であった。凄まじい量の筋肉が、爬虫類的な青黒い外皮に包まれている。
広い皮膜の翼が左右一対、その巨体の周囲で、マントの如く揺らめいている。
猛獣あるいは猛禽や怪魚にも見える顔面では、一筋の傷跡が左目を潰していた。
残った右の眼球が、猛々しく禍々しく燃えたぎって、マディックとシェファを睨み据える。
何者だ、などと問いかける必要はなかった。
「デーモンロード……!」
恐怖に近いほどの驚愕で、シェファの声がかすれた。
マディックは、声を出す事も出来なかった。
ゴブリートだけが、落ち着いて会話を始めている。
「……何故、不意打ちを仕掛けて来なかった?」
「貴様はどうやら気付いているようだったのでなあ」
デーモンロードが牙を剥いて微笑む。
アゼル・ガフナー。この怪物は今、魔獣人間ゴブリートの事を、確かにそう呼んだ。
唯一神教の開祖ローエン・フェルナスの盟友。自身が聖職者ではないにもかかわらず、唯一神教史の原点にその名を残した人物。
伝説の戦う聖人と同姓同名であるらしい魔獣人間を、マディックは思わず見つめた。
ギルベルト・レインも、ブレン・バイアスもリムレオン・エルベットもいない今、彼を頼りにするしかないのか。
「愚かであったなシェファ・ランティ、それにマディック・ラザン」
憎悪と闘志で隻眼を燃やしながら、デーモンロードが凶猛に嘲笑う。
「揃わねば何も出来ぬ者どもが、人数を分けて行動するとは……な」