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第89話 聖戦士たち(後編)

 白い闇、とも言えるほどの猛吹雪である。

 寒さはそれほど気にならないが、視界不良がいささか厄介ではあった。

 その白い闇の奥から、おぞましいものたちが現れ、群がって来る。

 肉片あるいは臓物が、集まり固まって人の体型を成したもの。その顔面に、真紅に輝く魔石が埋め込まれている。

 そんな生命体が無数、あらゆる方向から迫り寄って来ているのだ。口々に、声を発しながら。

「レグナードに刃向かう者、殺す……」

「レグナードに逆らう者、滅ぼす……」

「レグナードに従わぬ者、潰す……」

 抑揚に乏しい声に合わせて、彼らの顔面の魔石が赤い光を発する。

 それら光が、一直線に発射された。

 アゼル・ガフナーは、気合いを燃やした。

 他にやる事もなかったので、ひたすら武術の鍛錬を続けてきた結果、気力を物理的に発現させる事くらいは出来るようになったのだ。

 発現した気力が白い光となり、左右の手を包む。

 白く輝く両手が高速で動き、襲い来る赤い光をことごとく打ち弾いた。

 白い気力光で防護された両手に、バシッ、バシュッ! と熱い衝撃が伝わって来る。命中すれば人体を容易に破壊するであろう衝撃だ。

 それだけの破壊力を有する赤い光が、猛吹雪の闇を切り裂いて、間断なく襲いかかって来る。

「レグナードに楯突く者、消す……」

「レグナードを侮る者、斬る……」

「レグナードに叛逆する者、砕く……」

 言葉と共に発射されて来る赤い光をアゼルは、白い光をまとう両手で片っ端から防ぎ砕いた。

 そうしながら、駆け出す。小柄ながら筋骨たくましい身体が、低い姿勢で獣の如く、雪を蹴立てて疾駆する。

 魔石を埋め込まれた、この肉塊のような臓物のような生き物たちが、一体何者であるのか。アゼルは、聞いた事だけはある。

 レグナード王朝が本腰を入れて生産し始めた、魔獣人間とかいう兵器の失敗作。

 失敗作は失敗作なりに廃棄せず、こうして魔石など埋め込んで有効利用しているというわけだ。

「……人の命には、尊厳というものがあるらしいな」

 元々は人間であった者たちに、アゼルは語りかけながら襲いかかった。

 白く輝く右手が、赤い光を弾き砕きながら、刃の如く一閃する。

 魔獣人間に成り損なった肉体が1つ、埋め込まれた魔石もろとも砕け散った。

 ビシャッと派手に飛び散る肉片を、雪もろとも蹴散らして、アゼルは跳躍した。そして、あまり長くない足を空中から突き伸ばす。

「だから俺なりに、貴様らの命の尊厳とやらを守ってやろう」

 その飛び蹴りが、魔獣人間の成り損ないを1体、激しく粉砕した。

「……ああ別に、感謝してくれる必要はないからな」

 着地した足で、アゼルはすぐさま踏み込んだ。光まとう両手が、襲い来る赤い光をことごとく弾く。

 手で防御をしながら、アゼルは足で攻撃を行った。右足が弧を描き、左足が突き込まれ、元は人間であった者たちを次々と蹴りちぎる。肉片か臓物の残骸か判然としないものが、汚らしい体液の飛沫と一緒くたに噴き上がり、飛散し、雪原を汚す。

 声がした。

「アゼル……! 無事なのか、アゼル!」

 ローエン・フェルナスが、どこかで叫んでいる。

 敵の1体を魔石もろとも殴り砕きながら、アゼルはちらりと見回した。

 吹雪による視界不良の中、辛うじて見つける事が出来た。

 身なりの粗末な若者が1人、片膝をついてうずくまり、雪に埋もれてしまいそうになっている。血の滲む左肩を、右手で押さえながらだ。肩だけではなく額からも流血し、顔を赤く汚している。

 アゼルの武術を、そこそこ本格的に教え込んではある。が、さすがにこれだけの数の、それも飛び道具を持った敵と戦わせるのは、まだ10年ばかり早かったようだ。

「貴様は……無事ではないようだなっ」

 言葉を返しながら、アゼルは跳躍した。大量の雪が飛び散った。

 動けぬローエンに魔石を向け、赤色光を発射しようとしている敵の1体に、アゼルは飛び蹴りを叩き込んだ。

 グシャリと潰れ砕けた肉体を踏み台にして、小柄かつ筋骨隆々な身体が、さらに空高く跳躍する。

 ローエンに魔石の狙いを定めていた敵たちが、一斉に上空を向いた。そして、空中のアゼルに向かって光を発射する。

 跳躍の最高点でアゼルは身を捻り、竜巻の如く両手を振るった。白く輝く手刀が閃き、赤い光を片っ端から跳ね返す。打ち砕いたのではなく、跳ね返したのだ。

 跳ね返された赤色光が、魔獣人間の成り損ないたちに向かって降り注ぐ。かつて人間であった肉塊の群れが、ことごとく光に撃ち抜かれ、倒れてゆく。

 1体、それを免れて生き残った。

 その頭上に、アゼルは拳を打ち下ろしながら落下した。

 肉のような臓物のような身体が、潰れて散った。

 敷物の如く広がった屍の上にビシャッと着地しつつ、アゼルはローエンを睨み、言った。

「……助けて欲しければ、助けてくれと叫ぶものだぞ」

「すまん」

 血まみれの顔で、ローエンが微笑む。アゼルも、苦笑するしかなかった。

「まったく貴様は……弱いくせに、無茶をし過ぎだ」

「君に言われたくはないなあ。恐いもの知らず、痛み知らずのアゼル・ガフナーよ……君はたぶん死ぬ時も、痛みを感じる事なく逝ってしまうのだろうな」

 ローエンにそう言われて、アゼルはようやく気付いた。

 ズボンが裂け、ぐっしょりと血に染まっている。左太股に、裂傷を負っていた。

 右の脇腹からも、どくどくと血が流れている。

 左の僧帽筋も、ざっくりと裂けて鮮血を噴出させている。もう少しずれていたら、首筋を撃ち抜かれていたところだ。

 全て防御したつもりであった赤い光が、何発かかすめていたようである。

 ローエンに指摘されて、アゼルはようやく痛みを感じ始めた。

「くっ……貴様、黙っておれば良いものを」

「ふふ、それは悪い事をしたな」

 自分も傷を負っているくせに微笑しながら、ローエンがこちらに右手を向け、何かを念じた。

 アゼルの全身が一瞬、淡く白い光に包まれた。

 その光が消えた時には、太股、脇腹、僧帽筋、3ヵ所の傷が、拭い去ったかのように消え失せていた。

 唯一神教の、聖なる癒しの力。

 己の気力を物理的な力に変換出来るアゼルにも、これは真似が出来ない。

 自己満足でしかない武術鍛錬にアゼルが費やした時間を、このローエン・フェルナスという青年は、他者を救うための修行に注ぎ込んできたのだ。

 そのローエンが、ばったりと雪の中に倒れ込む。

「お、おい……!」

 アゼルは慌てて駆け寄り、自分より長身ながら筋肉の薄い親友の身体を抱き起こした。

「大丈夫……気力が、尽きただけだ……」

 助け起こされながらローエンが、弱々しい声を発する。

「しばらくは癒しの力を使えない……怪我をしても、治してやれない。だから無茶をするなよ、アゼル」

「馬鹿が……それなら自分の傷を治すべきだったろう」

「私などよりも、君に万全の状態でいてもらわねば……君が倒れたら、私も殺されるのだからな」

「……それも、そうか」

 アゼルは見回した。

 魔獣人間の出来損ないは1体残らず、雪原のあちこちで屍と化している。

 どうにか、ここで食い止める事が出来た。

「皆、無事に逃げ延びただろうか……」

 ローエンが、心配そうな声を漏らす。

 唯一神教徒の女たち子供たち老人たちが、ローエン程度には戦える少数の男たちに護衛され、落ち延びて行った。

 レグナード王朝の放った怪物どもが、それを追っていた。だからこの場で、とりあえずは食い止めた。

 結果、ローエン・フェルナスが傷を負ってしまった。

 アゼルは、ぎり……っと奥歯を噛み締めた。

(何をしている、俺は……!)

 アゼル・ガフナーなど、生きていようが死んでしまおうが、誰かに何か影響を及ぼす事などない。

 が、ローエン・フェルナスは違う。

 彼はレグナード魔法王国の腐敗と悪政から民衆を救うべく唯一神教を立ち上げた、志ある英雄なのだ。落ち延びて行った者たちの、心の支えなのである。こんな所で死なせてはならないのは無論、傷の1つも負わせてはならない身体なのだ。

「自分のせいで私が怪我を……などと考えているのだとしたら、思い上がりというものだぞアゼル・ガフナー」

 微笑むローエンを、アゼルはいささか強引に引きずり立たせた。

「自分で歩けるのなら、さっさと歩け。逃げて行った者たちには、お前が必要なのだ」

「君もだよ、アゼル」

 ローエンが、何やらこそばゆい事を言い始める。

「君には本当に、感謝している。平和を求めるからこそ、戦わなければならない……平和を願えばこそ、戦いから、暴力というものから、断じて目を背けてはならない。理想ばかりの頭でっかちだった私に、君はそれを強烈に教え込んでくれた。そして……手を汚すような事も、してくれた」

「やめろ。俺はただ、暇だから手伝ってやっただけだ」

 言いかけて、アゼルは息を呑んだ。

 周囲の白い闇の中に、チカチカと赤い光が灯ってゆく。魔石の光だった。

 整然と雪を踏む足音、そして声が聞こえて来る。

「レグナードに刃向かう者、殺す……」

「レグナードに叛逆する者、滅ぼす……」

「レグナードに従わぬ者、排除する……」

 魔獣人間に成り損ない、レグナード王朝の使い捨ての兵隊となった者たちが、吹雪の奥から群がり迫って来る。

「……暇潰しは、まだまだ終わりそうにないな」

 ローエンを背後に庇ってアゼルは立ち、左掌に右拳を打ち込んだ。良い音がした。

「待て、アゼル……」

「ここは自分に任せて逃げろ、などとは言うなよ。怪我人の分際で」

 アゼルは強い口調で、ローエンの言葉を断ち切った。

「貴様が今、出来る事はただ1つ……とっととこの場を去り、逃げた者たちと合流する事だ」

「いや、私などよりも君が」

「……なめた事をぬかすなよ、ローエン・フェルナス」

 自分の頭よりも高い位置にあるローエンの胸ぐらを、アゼルは掴み寄せた。

「てめえで立ち上げた唯一神教を、放り出して死ぬつもりか? おい」

「そ、それは……」

「何度も言わせるなよ。落ち延びて行った者たちには、貴様が必要なのだ」

 アゼルはローエンの胸ぐらを解放し、再び向き直った。白い闇の奥から迫り来る者たちに。

「泥にまみれて命乞いをしてでも生き延びる義務が、貴様にはある……まあ、唯一神教などというものを始めてしまった貴様が悪い。観念して、生き続ける事だな」

「アゼル……!」

 何か言おうとするローエンをもはや一瞥もせず、アゼルは歩き出した。吹雪の奥から姿を現しつつある、おぞましい兵士の群れへと向かって。

 心が燃えた。気合いが、燃え上がった。自分には戦いしかないのだ、とアゼルは思った。

 何かを守るための戦い、などと格好をつける資格は自分にはない。戦いが、純粋に楽しいのだから。

 白い闇の中で、無数の魔石が輝きを強めてゆく。

 アゼルは足を速めた。雪を蹴散らし、疾駆していた。

「アゼル……! こんな事をしても、君は喜ばないだろうけど!」

 ローエンが、何かを叫んでいる。

「私は唯一神教に、君の名を残す! 唯一神教アゼル派だ! これから先、大勢の人々に救いと安らぎと、そして戦う覚悟をもたらす、聖なる教えだ! 君の名は、ずっと生き続ける! だけど出来れば、君自身も生き延びてくれ!」

 戯言だ、とアゼルは思った。



 アゼル・ガフナーは、あの戦いで死んだのだ。

 屍がレグナード王朝に回収され、魔獣人間に作り変えられた。

 そうなってもしかし、やる事に違いはない。すなわち、戦うだけだ。

 どうせ戦うしかないならば、弱い者を助けて強い者を叩きのめすべきである。

 だから、わけのわからぬ青い甲冑に身を包んだ少女を助け、巨体のオークに飛び蹴りを食らわせたのだ。

 そのオークが、しかしすでに立ち上がり、大型の鎚矛を拾い上げて構え、闘志漲る眼光をこちらに向けている。

 攻撃魔法でも喰らったのであろう。その全身は焼けただれているが、手負いの巨体から発せられる闘気は旺盛極まりない。

「貴様……魔獣人間か」

 単なるオークではない手負いの怪物が、火傷で凄惨に彩られた顔面を不敵・獰猛に微笑ませて牙を剥く。

「なかなかの蹴りであったぞ。そのちっぽけな身体に、かなりの馬鹿力を秘めていると見えるが……惜しむらくは手負いよ。そのような状態で、このオークロードに挑むとはな」

「手負いは貴様も同じ……でかい口をきくなよ、オークの分際で」

 嘲弄を返しながらも魔獣人間ゴブリートは、己の胸板を軽く押さえた。包帯に、血が滲んでいる。

 あのジャックドラゴンが、腹立たしいほど巧みに心臓を避けて突き刺してくれた。ローエンがいれば、一瞬で治してくれるであろう傷である。

 あれから300年。どうにか生き延びたローエン・フェルナスは、レグナード魔法王国滅亡時の混乱を上手く利用して唯一神教を根付かせ、教皇だの法王だのと崇められながら天寿を全うしたという。

 もう、この世にはいない。

「俺は、こんな生き様を晒していると言うのに……な」

 苦笑しながら、ゴブリートは見回した。

 正面には、手負いながら戦闘態勢万全なオークロード。雑兵級のオークたちが多数、彼に獣じみた声援を送っている。

 ゴブリートの背後では、青い全身甲冑に身を包んだ少女が、杖を構えつつ呆然と立っている。

 少し離れた所では、同じような、しかし色は緑の鎧をまとった男が、屍の如く倒れていた。決して少なくはない量の血が、凹んだ面頬から地面へドクドクと流れ出している。

 さらに離れた所では、何人かの若い娘が、両手を縛られた状態で身を寄せ合い、怯えていた。

 どのような状況であるのかは皆目見当もつかない。が、魔獣人間に出来る事はただ1つ。戦いだけだ。

「ねえちょっと……あんた一体何なの」

 青い鎧の少女が、警戒心剥き出しで問いかけてくる。

 ゴブリートは答えず、質問に質問を返した。

「あの怪物に、あれだけの傷を負わせたのは小娘、お前か」

 全身焼けただれたオークロードの姿を、ゴブリートは軽く観察した。見たところ、並のオークであれば1部隊丸ごと焼き払っていたであろう火力である。

「なかなかのものだ……が、お前の力は正面切っての戦いで発揮するものではないな。恥じる事はない、これからは物陰からの狙撃に徹してみるがいい。大抵の敵には勝てるぞ」

「あんた魔獣人間のくせに……あたしらの事、助けてくれると。そうゆう解釈でいいわけ?」

「言ったはずだ。貴様を助けたわけではないとな……」

 少女を後方に残し、ゴブリートは踏み込んだ。

「ここから先は俺の戦い、手出しはするなよ!」

 姿勢低く獣のように駆けるゴブリートを、オークロードの鎚矛がブンッ! と迎え撃つ。

 豪快な横殴りの一撃を、ゴブリートは跳躍してかわした。そして空中から、斬撃の如く左足を振るう。

 その蹴りが、オークロードのこめかみを直撃した。

「うぬ……」

 脂肪と筋肉で肥え太った巨体が、よろりと揺らぐ。

 ゴブリートは間髪入れず全身を回転させ、右の翼を一閃させた。衝撃と共に、少量の血飛沫が散った。

 断頭台の刃の如き翼が、オークロードの首から上のどこかを直撃したのは間違いない。並のオークであれば2、3匹まとめて首を刎ねていたであろう一撃。

 だがこの全身焼けただれた巨体のオークは、微量の鮮血を飛び散らせてよろめいただけである。倒れもせず、即座に反撃を繰り出して来る。

 暴風の勢いで振り上がった鎚矛を、ゴブリートは羽ばたいて空中へと回避した。

 そのまま猛禽の如く急降下し、オークロードに襲いかかる。

 いや。襲いかかろうとしたゴブリートの身体がガシッと止められた。小さな身体が、捕獲されていた。

 オークロードの左手が、ゴブリートの首をがっちりと掴んでいる。

 太く力強い五指が、小柄な魔獣人間の細首を、声帯・気管・頸骨まとめて強烈に圧迫する。

「ぐぅっ……え……ッ」

 辛うじて声を漏らしながら、ゴブリートは暴れた。

 短い手足を、じたばたと暴れさせる。翼を、弱々しく羽ばたかせる。出来る事は、それだけだった。

「何度でも言うぞ……手負いの身で、俺に挑むべきではなかったな」

 オークロードが、猛々しい猪の牙をニヤリと剥き出しにする。

「このまま首をへし折ってやろうか……叩き付けて地面にめり込ませ、鎚矛で潰し広げてくれようか?」

「……ごめん。余計な手出し、させてもらうわよ」

 青い鎧の少女が、魔石の埋まった杖をこちらに向ける。

 手を出すな、という叫びを、ゴブリートは牙を食いしばって呑み込んだ。

 この状況、どう見ても自分の敗北である。偉そうな事を言う資格はない。

「……俺もろとも、灼き尽くせ……」

 オークロードの凄まじい握力の中から、ゴブリートは懸命に声を絞り出した。

「そのくらいの火力でなければ……この怪物を仕留める事は、出来んぞ……」

「……命の恩人の言葉だが、それは拒絶させてもらう」

 応えたのは、少女ではなかった。

 緑色の全身甲冑を着て死にかけていた男が、槍にすがりつくようにして、よろよろと立ち上がったところである。

「俺は……知っている……」

 左手で槍を握り、右手をこちらに向けながら、その男は言った。

「魔獣人間の中には……俺たち人間を、助けてくれる者が……決して、いないわけではない事を……」

 喋るのも辛そうな口調で戯言を漏らしながら、緑の鎧の男は、こちらに向けた片手をボォ……ッと淡く白く輝かせた。

 ゴブリートが、よく知る光だった。

「貴様は……」

「俺は……貴方を、信じても良いのだな……?」

 辛そうな戯言と共に、緑の手甲に包まれた右手が、輝きを強めてゆく。

「貴方が、人間に害をなす存在ではないと……傷が癒えた途端、人間に対して暴虐を働いたりはしないと……信じても、良いのだな……」

 オークロードの左手で吊られたまま、ゴブリートの小柄な肉体が一瞬、白い光に包まれる。あの時と、同じように。

 胸板を覆う包帯の内側で、激痛が疼いた。

 負傷し、様々な機能が衰えていた身体の中で、まずは正常な痛覚が甦ったという感じである。

「ぐうっ……ぉお……」

 オークロードの圧倒的な握力に抗うかの如く、ゴブリートは声を発した。それと共にゴボッと鮮血の反吐が溢れ出す。滞りかけていた血流も、回復しつつある。

 癒しの力。間違いない。この緑色の甲冑に身を包んだ男は、かつてのローエン・フェルナスと同じ力を有している。

 魔獣人間ゴブリートの、全てが回復した。

 修復を終えた胸の奥から全身へと、力が流れ行き渡る。そして、溢れ出した。

「おおぉ……うおおおあああああああああああッッ!」

 炎が、噴出した。

 小柄ながら筋骨たくましい全身が、激しく燃え上がっている。炎の、体毛だった。

「こやつ……!」

 焼かれそうになりながら、オークロードが慌てて左手を離し、後退りをする。

 燃え盛る身体を、ゴブリートはゆっくりと着地させた。

「ここまでだな、オークロードよ……」

 紅蓮の体毛を全身で揺らめかせ、言う。

「見ての通り俺は、万全の状態を取り戻した。貴様も、傷を癒してこい」

「チビの魔獣人間風情が……何をほざくかっ!」

 オークロードが聞く耳を持たず、突進して来る。そして鎚矛を叩き付けてくる。

 その重い一撃をかわしながら、ゴブリートは跳躍していた。

 短い左足が、炎をまといながら槍先の如く突き出される。

 燃え盛る飛び蹴りが、オークロードの顔面を直撃した。血飛沫が、炎熱で蒸発して生臭い霧となる。

 力強く肥え太った巨体が、突風に吹かれた木の葉のように吹っ飛び、岩壁に激突し、ずり落ちた。

「ぐうぅっ……ふ……ば、万全というのも嘘ではないようだな。少しは、やる……」

 強がりながらオークロードが、よろよろと身を起こす。

「虚勢を張るな。逃げる事は、恥ではない」

 ゴブリートは声をかけた。

「むしろ、このままでは俺の方が恥をかく。手負いを相手に武勇を誇る、などという恥をな」

「聞け魔獣人間……俺はな、オーク族を代表して戦っているのだ」

 ようやく立ち上がったオークロードが、巨大な鎚矛を重そうに構えた。

「オーク族の、誇りのため……地位向上のため……俺は、戦い続けなければならんのだ。力を、誇りを、示し続けねばならんのだ! 無様を晒すわけには、いかんのだ!」

「……ブタが、いっぱしの口きいてんじゃないってのよ」

 青い鎧の少女が、嘲笑った。

「誇りなんて言葉、あんたたちが口にしていいと思ってんの? ま、カッコつけながら死ぬ権利くらいは認めてあげてもいいかもね」

 その鎧の全身に埋め込まれた魔石たちが、光を発した。

 少女の周囲に炎が生じ、球形に燃え固まりながら、浮遊する。いくつもの、小さな太陽のようでもある。

「おい待て……」

 ゴブリートの声に、しかし少女は耳を貸そうとしない。

「あんたら魔物どもが今、この国で何をやらかしてんのか……少しは考えた事ある? 女子供だけ無事ならいいってもんじゃないのよ……ッッ!」

 いくつもの火球が、一斉に発射された。流星か隕石の如く燃えながら飛翔し、ゴブリートを迂回してオークロードを襲う。

 獣じみた悲鳴じみた声と共に、飛び込んで来た者たちがいる。

 雑兵級のオークたちだった。5、6匹、いや10匹以上がオークロードの周囲に立ち、両腕を広げて壁となる。

 そこへ、少女の放った火球たちが容赦なく激突する。

「お前たち……!」

 オークロードの声が、爆発の轟音に掻き消された。

 いくつもの爆炎の中、オーク兵士たちが一瞬にして焼死体に変わり、焦げ砕けてゆく。

 爆発が収まり、爆炎が消えた。

 呆然と膝をついたオークロードが、灰にまみれている。

「お……おお……お前たち……」

 両掌に降り積もった遺灰を見つめながら、オークロードが声を震わせる。

「何と……何という……」

 生き残ったオーク兵士たちが、ばらばらと彼の周囲に集まり、こちらを睨み、武器を構えた。今と同じ攻撃魔法が再び放たれたとしても、彼らはそこから1歩も動かないであろう。

 青い鎧の少女は、立ち尽くしていた。表情は見えないが、驚愕に打ちのめされているのは一目でわかる。

「な……何……?」

 面頬の内側で、少女はそんな声を漏らしている。

「何なの……? オークのくせに……」

「……オーク族の誇りと力、見せてもらった」

 呻くように、ゴブリートは言った。

「ここは退け、オークロード。貴様には、泥にまみれて命乞いをしてでも生き延びる義務が生じたのだ」

 俯き、灰を見つめたまま、オークロードは動かない。

 ゴブリートは、なおも言った。

「……灰となった者たちを無駄死にさせるつもりか、オークロードよ」

「…………」

 オーク兵士たちに囲まれながら、オークロードは立ち上がった。焼けただれた巨体のあちこちに遺灰をこびりつかせた、凄惨極まる姿で、よろよろと歩み去って行く。

 それを、雑兵オークたちが護衛する。

 夜闇の中へと退却して行く彼らを、青い鎧の少女は呆然と見送った。ここで容赦なく攻撃魔法をぶっ放せるようなら、それはそれで大したものなのだが。

 ガシャ……ッと甲冑の鳴る音がした。

 緑の鎧の男が、力尽きたように倒れている。

「マディックさん!」

 青い鎧の少女が駆け寄り、膝の上で抱き起こす。

 抱き起こされた男の身体から、キラキラと光が剥離して飛び散り始めた。緑色の全身甲冑が、光の粒子に変わってゆく。

 少女の膝の上で、外見的にはどうという事のない若い男の、生身の姿が露わになった。

 オークロードの鎚矛を、兜の上から喰らったのであろう。頭から流血しており、顔面が真っ赤に濡れ汚れている。

 そんな顔で、しかし男は微笑んだ。

「……世話になってしまったな、魔獣人間の方……」

「唯一神教徒か、貴様」

 ゴブリートが問うと、マディックと呼ばれたその男は、苦しげながら答えた。

「ローエン派の……マディック・ラザンと申す者」

 唯一神教の本流には、暇潰しの助っ人に過ぎないアゼル・ガフナーの名が残ってしまった。教祖ローエン・フェルナスの名は、分派した者たちが、こうして受け継いでいるらしい。

 すでにいない親友の名を口にした若造を、ゴブリートは睨み据え、言った。

「……俺などよりも、まずは自分のその怪我を治すべきだったであろうに」

「まずは貴方のような強い人物に、万全の状態になってもらわねば……」

 どこかで聞いたような台詞を吐きつつマディック・ラザンが、ゆっくりと意識を失ってゆく。

「貴方が倒れたら、俺も……殺されて、しまうのだから……」

「ちょっと、マディックさん!」

「心配するな小娘。そこそこは鍛えてあるようだから、この程度では死なん」

 意識が戻るまで、どこかで休ませてやる必要がある。意識さえ戻れば、自分で傷を治せる。

 両手を縛られ泣きじゃくっている娘たちを、元の村や町に送り届けてやるくらいの事は、ついでにしてやっても良いだろう。

 そう思いながらゴブリートは夜空を仰ぎ、語りかけた。

「唯一神教徒というのは阿呆ばかりだなあ、ローエンよ……」

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