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第8話 魔獣人間、強襲

 魔法による爆発である事は、音を聞いただけでわかった。

 王国正規軍の攻撃魔法兵士部隊が、何かしでかしたのか。ティアンナはまずそう思い、即座に否定した。

 今の爆発は、攻撃魔法兵士の微弱な魔力によるものではない。もっと強大な魔力を持つ何者か、の仕業だ。

 そう直感しつつ、ティアンナは駆けた。

 走り出してすぐ、その光景は視界に入った。

 本陣を囲む柵が、広範囲に渡って失われている。地面の一部もろともだ。

 危うく何かにつまずきそうになって、ティアンナは立ち止まった。

 王国正規軍兵士の、屍だった。それも上半身だけである。焼け焦げた断面から、生焼けの臓物が溢れ出して湯気を発している。

 同じような死体が、あちこちに散らばっていた。爆殺された、幾人もの兵士たち。

 生きている兵士らが陣中のあちこちから集まって来て、おっかなびっくり武器を構えながら、何も出来ずにいる。

「どけ、貴様たちに用はない……」

 言いながらこちらに歩み寄って来ているのは、黒いローブに身を包んだ、攻撃魔法兵士のような身なりの男である。だが魔石の類は、身に帯びていないようだ。

「用があるのはそなたにだよ、ティアンナ・エルベット第6王女殿……」

 攻撃魔法兵士、ではなく魔術師。魔石を必要としない魔力を持つ者。

 年齢のよくわからぬ、特徴に乏しい顔が、今は狂人の如く痙攣して目を血走らせ、ティアンナの方を向いている。

 黒いローブが、妙な感じに波打っていた。

 いや。波打っているのは、ローブの下にある肉体だ。

 男の細い身体が、めきっバキッと奇怪な音を発し、歩きながら蠢いている。

 この男が、とりあえず人間ではない事だけは、明らかだった。

 魔石の剣をすらりと抜きながら、ティアンナはまず声をかけた。

「……魔獣人間が、私に何の用があると?」

「おわかりか姫君。この私が、究極至高の生命体……魔獣人間であると」

 嬉しそうに声を震わせながら、魔術師がまた1歩、近付いて来る。

 ティアンナの左右で、兵士たちが動いた。

「お、おのれ化け物……!」

「姫様には、それ以上近付けさせぬ!」

 若い歩兵が2人、剣を抜き、槍を構えて、魔術師に襲いかかる。

「駄目!」

 ティアンナが叫んでいる間に魔術師が、いよいよ人間ではなくなっていった。

 黒いローブがちぎれ飛び、その下で波打っていた肉体の一部が、蛇の如く高速で伸びる。

「見知りおき願おう……私はダルーハ軍参謀、ムドラー・マグラと申す者」

 言葉を発してはいるが、口がどこにあるのかは、もはやわからなくなっている。

 兵士2人は、じたばたと暴れながら宙に浮いていた。

 彼らの身体に、蛇のようなものが幾重にも巻き付いている。全体にびっしりと吸盤のある、2匹の大蛇……と言うよりも、頭足類の触手。

 それらは、魔術師ムドラーの身体から生え伸びていた。

「……ティアンナ姫、そなたを迎えに参った。私と共に来い。その美しさを、永遠のものとするために」

 おぞましいほど流暢に人間の言葉を喋りながらも、ムドラー・マグラは今や完全に、人間ではないものに変わっていた。

 特徴に乏しかった顔面は丸く膨れ上がり、その肉に呑み込まれてしまったかのように鼻も口も見当たらない。灯火のような2つの眼球だけが、赤黒い肉に埋まりつつ禍々しく輝いている。

 口元か首か胸元か判然としない部分から、3本。太く長い触手が生えていた。人間の皮膚くらいなら容易く剥ぎ取ってしまいそうな吸盤を無数備えた、まさに生ける凶器と言うべき触手。

 同じものが背中からも3本、伸びており、尻尾の如くうねっている。

 計6本の、蛸の足。うち2本が、兵士2人を捕えているのだ。

 前方3本、後方3本の触手たちに挟まれ、まるで7、8本目の触手のように生えた左右の腕は、枯れ木のように細長く、肥満した胴体と比べて不気味なほど不釣り合いである。

 両足はぶよぶよと太く短く、見るからに動きが鈍そうであるが、足など動かす必要はなさそうなほどに、6本の触手がヒュルヒュルと俊敏にうねり続ける。

 赤黒い肉で醜く膨れ上がった巨体。どこに発声器官があるのかわからぬ、その異形が、なおも人間の言葉を発した。

「さあ私と共に来いティアンナ姫。さもなくば陣中の兵士全てが、このような死に様を晒す事となる……」

 触手に捕えられた2人の兵士が、痙攣した。

 彼らの全身あちこちに、いくつもの吸盤がバキバキッと、鎧を食い破り吸い付いている。

 吸い付かれた兵士2人の肉体が、痙攣しながら、急速に痩せていった。

 無数の吸盤によって、吸い取られている。血を、体液を、水分を。

「あぁ不味い不味い……姫君よ、そなたの血はさぞかし美味いのであろうなぁ」

 ティアンナに向けた眼球をギラギラと欲望に輝かせながら、ムドラーは触手をほどいて兵士2人を解放した。

 カサカサに干涸びた屍が2つ、地面に落下して砕け、粉末状に崩れてしまう。

「……だが耐えよう。そなたはなティアンナ姫、私の手によって永遠に生きる存在となるのだ。永遠に美しく、いかなるものより強い……自然には決して生まれ得ぬ、優れた叡智と技術によってのみ誕生し得る、最高の生ける芸術品! そんな存在に、なりたいよなあティアンナ姫? なりたいよなぁあああ」

 吸血能力を有する6本の触手が、凶暴にうねる。

 それらを掻き分けるようにして、細長い2本の腕が、ゆっくりと掲げられた。

「いや、ならねばならぬ。そなたは、そのために生まれたのだよ……」

 突然、空中に炎が生じた。人の頭ほどの大きさに固まって燃え盛る、火炎の球体。

 それが5つ、8つ、いや10個。ムドラーの周囲に浮かび、

「この私の! 創造主ムドラー・マグラの作品となるためになぁあーッ!」

 一斉に飛んだ。発射された。

 10個もの火球が流星のように飛び、あちこちに落下する。

 本陣の各所で、爆発が起こった。

 いくつもの天幕が吹っ飛び、兵士たちが火だるまになりつつ砕け散って宙を舞う。

「やめなさい!」

 ティアンナの凛とした怒声に合わせ、魔石の剣が白い光を帯びる。

 火球が3つ、こちらに向かって飛んで来ていた。

 白く発光する刃を振りかざしながら、ティアンナは踏み込んでいた。

 下着同然の鎧をまとう半裸の細身が、くるりと軽やかに躍動する。

 その周囲で、魔石の剣が超高速で弧を描く。白色の光が、弧形の軌跡となって空中に残る。

 その光の弧に触れた火球が3つとも、弱々しく砕けて火の粉となり、消えた。

「素晴らしい……素晴らしいぞ。その剣技、その魔力、その美しさ……」

 吸血触手を嫌らしくうねらせて、ムドラーが興奮している。

「その美しき強さを、至高の領域まで高めてくれようと申しておるのだ。さあ私と共に来い、ティアンナ姫」

「殿方の裸は綺麗、と思っていたけれど……貴方の裸は、とても醜くて無様」

 白い光の剣を両手で構えたまま、ティアンナは言い放った。

「そんな無様な生き物が、至高の美しさなどと口にするものではないわ。少しお黙りなさい、魔獣人間」

「ぐっ……そ、それで良い。大人しくついて来られたら物足りないと、私も思っていたところなのだよ実は」

 怒りか悦びか、よくわからぬ感情で、ムドラーの醜悪な巨体が激しく震える。

「健気に抵抗してみせるが良い。愛らしく暴れ怒り泣き叫ぶそなたを、じっくりと愉しみながら、人間ではないものへと造り変えてくれよう。この私が……この魔獣人間ヴァンプクラーケンがなぁあ」

「では俺も、そうさせてもらおうか」

 声がした。

 一斉にティアンナを襲おうとしていた6本の吸血触手がビクッ! と怯えたように硬直してしまう。

「醜く無様に暴れ泣き喚く貴様を、じっくり愉しみながら嬲り殺してやる」

 言葉と共に。1人の若い歩兵が、他の兵士らを押しのけるようにして、この場に歩み入って来た。

「……俺は、残虐なのでな」

 ガイエル・ケスナーだった。モートン王子もいる。

「ダルーハ軍の怪物! 我が陣中でこれ以上の好き勝手は許さんぞ!」

 などと威勢の良い事を言っているモートン王子に、魔獣人間ヴァンプクラーケンが、ぎろりと眼球を向ける。

 小さく悲鳴を上げながら、モートン王子がガイエルの背中に隠れてしまう。

 庇うように軽く片手を掲げ、ガイエルは言い放った。

「親父殿の腰巾着が、たった1人で敵陣に乗り込んで来るとはな。貴様にしては良い度胸であると、まあ誉めておいてやろう」

「ガイエル・ケスナー……間違ってこの世に生まれただけの、呪われし怪物めが」

 呻きつつヴァンプクラーケンが、細長い両腕をガイエルに向ける。枯れ木のような両手の五指が開き、左右の掌がボォ……ッと赤く発光した。

 その赤い光が、

「出来損ないどもを倒しただけで調子に乗るなよ……これが! 真の魔獣人間の力よ!」

 ムドラーの叫びに合わせ、一気に膨張し燃え上がる。

 丸まった人体ほどの大きさの、巨大な火球。それがヴァンプクラーケンの眼前に出現していた。

 出現と同時に、発射された。ガイエル及びモートン王子を狙って、赤い流星のように。

 モートン王子が尻餅をつき、悲鳴を上げる。

 そんな王子を守る形に立ったまま、ガイエルは左手で己の顔面を覆った。指と指の間で、両目が赤く輝く。

「悪竜転身……」

 呟きと共に、ガイエルの全身から、歩兵の甲冑が飛び散った。

 巨大な翼が広がり、長い尻尾が跳ねる。

 異形と化してゆく裸身に、巨大な火球が激突した。そして砕け、火の粉となった。

 それを払いのけるように左手を振るいながらガイエルは、甲殻と鱗をまとった赤い魔人の姿を、露わにしている。

「貴様……そう、その姿だ。その、おぞましき姿……」

 呟き、いくらか怯えながら、ヴァンプクラーケンが後退りをした。

「どこの誰が、私のように苦心して作ったわけでもない……ただ間違って生まれてしまっただけの化け物……そう、貴様の存在そのものが間違いなのだ!」

「……そうかも知れんな、確かに」

 背後で腰を抜かしているモートン王子を、ガイエルはちらりと一瞥した。そして言う。

「ティアンナ姫、貴女の兄君が実に素晴らしい事を言った。人は生まれを選べぬ。生まれてしまった場所で、環境で、精一杯生きてゆくしかない。とな」

 この兄が、そんな立派な事を言うはずがない。

 それより、この2人が妙に仲良くなっているように見えるのが、ティアンナは気になった。

「間違って、とは言え俺はこの世に生まれてしまった。だから、出来る事を精一杯やろうと思っている」

 言いつつガイエルは、甲殻類の節足のような人差し指をヴァンプクラーケンに向けた。

「……まずは貴様の処刑からだ、ムドラー・マグラ」



 少なくとも18年間、レドン地方は平和だった。

 竜退治の恩賞としてこの地を与えられてから18年間、ダルーハ・ケスナーは領主として、しっかり地方政治を行ってきたという事である。

 ……否。18年もの間レドン地方をしっかりと治めてきたのは、領主ダルーハではない。領主夫人のレフィーネ・ケスナー元王女の方である。とガイエルは思っている。

 ダルーハは、とにかく暴政をやりたがった。

 税を2倍にするなどと言い出した事もあるし、領民の些細な落ち度に怒って村1つを皆殺しにしようとした事もある。

 それらが実行されずに済んだのは、その度に妻レフィーネが止めていたからだ。

 我欲と暴力だけで領主の地位にまで上り詰めた男ダルーハ・ケスナーが、この妻の言う事だけは素直に聞いた。

 様々な暴虐や搾取を、ダルーハは常に、レドンの民衆に対して行おうとしていた。

 それは私腹を肥やすため、と言うより、民衆を虐げる事そのものを目的としている。ようにガイエルには思えたものだ。

 民衆、あるいは弱者という存在を、あの父は嫌っていた。憎んでいた。

 だからレドンの民に対しては様々な暴虐を試みようとして、その度に妻レフィーネに止められていた。

 ガイエルが見たところ、この両親夫婦は18年間ずっとそんな感じだった。

 レドン地方の民は、レフィーネ・ケスナー領主夫人に守られていた。と言っていいだろう。

 そのレフィーネが、病で死んだ。

 だからダルーハは、戦の、叛乱の、準備を始めた。金で兵士を集め、軍備を整えるのに1年を費やした。

 その1年の間の、いつ頃からであっただろうか。このムドラー・マグラという男が、ダルーハの近辺をうろつくようになったのは。

「……覚えているぞムドラー。その醜く無様な正体を晒しながら貴様は必死に、自分を親父殿に売り込もうとしていたな」

 ガイエルが嘲笑うと、ムドラー・マグラ……魔獣人間ヴァンプクラーケンは、いくらか怯えながらも傲然と言葉を返してきた。

「魔獣人間の研究に理解ある権力者を、私は探していたのだ。まあ持ちつ持たれつといったところであろうよ。ダルーハ様とて、私のもたらした魔獣人間という戦力がなければ、叛乱など起こせなかったのだからな」

「……貴様は、あのダルーハという男を全く理解していないようだな」

 そこそこ便利だから使っている。ダルーハ・ケスナーにとって魔獣人間とは、その程度のものだ。

「魔獣人間などいなければいないで、親父殿はたった1人でも叛乱を起こしていただろう。何しろ奴自身、貴様の作った出来損ないなど問題にならん力を持っているのだからな」

「がッ……! ガイエル・ケスナァアーッッ!」

 怒りの叫びを引きつらせながらヴァンプクラーケンが、6本もの吸血触手を一斉に伸ばして来た。

 ガイエルは、踏み込みながらユラリと身を揺らした。2本、3本。高速で襲い来る触手を、紙一重でかわす。

 だが4本目をかわした直後、左腕それと右脚にビシビシッ! と衝撃が巻き付いて来た。

「む……」

 吸血触手の5本目が、ガイエルの左の二の腕に。6本目が、右の太股に。それぞれ絡み付いていた。無数の吸盤がバキバキと鱗を破って肉に食い込み、吸い付いて来る。

「けっ汚らわしい怪物の血だが、耐えてくれよう吸い尽くしてくれよう! 干涸び砕けて死ぬが良い……ぎっ、ぎぃやあああああああああ」

 左腕と右太股から血が吸われ始める、のをガイエルが感じた瞬間。ヴァンプクラーケンの声が、悲鳴に変わった。

 左の二の腕と右の太股にそれぞれ巻き付いていた吸血触手2本が、煮立ったようにブクブクブクッと泡状に膨れ上がり、破裂した。

 悲鳴を上げてよろめく魔獣人間に、ガイエルは歩み寄り、声をかける。

「俺の身体に流れているのは、竜の血だ……」

 二の腕と太股に、微かな傷が残った。動きに支障が出るほどの傷ではない。

「ダルーハ・ケスナーでさえ、浴びただけで死にかけた竜の血液……貴様ごときに、耐えられるものか」

「ひ……!」

 表情のない、だが明らかに怯えているとわかるヴァンプクラーケンの顔面が、次の瞬間グシャアッと拳の形に凹んだ。ガイエルが、左拳を叩き込んでいた。

 間髪入れずに、右も。節足が5本丸まり固まったような拳が、横殴りに一閃する。

 肉を叩き潰す、したたかな手応えを、ガイエルは感じた。

 ヴァンプクラーケンの顔面がさらに歪み、2つの眼球が破裂し飛び散っていた。

 ぶよぶよに肥えた巨体が、ゆらりと回転しながら倒れ、土煙を舞い上げる。

「ムドラー・マグラ……魔獣人間などというくだらんものを作るのに、今まで一体どれだけの人間を殺してきた? この先どれだけの人間を殺すつもりだ?」

 問いかけながら、ガイエルは左腕を掲げた。刃物状のヒレが、ジャキッ……と金属的な音を立てる。

「貴様を生かしておく事は出来ん。何故なら俺は」

「残虐だから、でございますか」

 声がした。聞く者の腹にずしりと響く、重みのある男声。

「正義のため、弱き人々のため……と素直に口になされば良いものを。相変わらず心のひねくれた若君であられる」

 甲冑姿の、巨漢である。凄まじく高密度な筋肉の付き具合が、鎧の上からでも見て取れるほどだ。

 棘のような短い黒髪に、岩を彫り込んだような顔面。眼光は鋭く、表情は不敵そのものである。

 いつから、そこにいたのか。どこからどうやって、この陣中に入り込んだのか。とにかくその巨漢に、ガイエルは言葉を返した。

「ドルネオ卿……そうか、あんたも人間をやめたのだったな」

「羨ましかったのですよ、御大将が」

 ドルネオ・ゲヴィン。

 ガイエルが物心ついた頃には、この男はすでにダルーハの腹心に近い地位にいた。聞くところによると、父の竜退治に同行した戦士の1人であるという。

「この男を助けに来た、というわけか」

 何事か呻いているヴァンプクラーケンを一瞥し、ガイエルは言った。

「まさかとは思うが……こやつと2人がかりならば俺を倒せる、などと思っているわけではあるまいな?」

「御冗談を。2人がかりで若君に勝てるわけがございませぬ……が、1対1ならば」

 ドルネオの声が1段、低くなった。

 筋骨たくましい身体がメキッ、と痙攣する。

「足を引っ張る者がおらぬ、1対1の戦いならば……俺が、勝つ……ッ」

 甲冑がちぎれて弾け飛んだ。

 さらに隆々と盛り上がった筋肉が、固く、黒っぽく、変質してゆく。新たなる鎧が体内から生じつつある、といった感じだ。

 石の、鎧だった。

「邪魔する者のおらぬ1対1の戦いで……ガイエル・ケスナー! 貴公を砕き殺してくれようぞ」

 たくましい上半身はそのまま岩石の甲冑と化し、下半身では尻が巨大に膨れ上がって、そこから新たな2本の脚が生えてズシリと地面を踏んでいる。

 鎚の如き蹄を備えた、力強い4本脚……ドルネオの下半身は、岩石質の筋肉を有する、巨大な馬体と化していた。

「……この魔獣人間ケンタゴーレムが、な」

 岩を彫り込んだような顔面は、本物の岩石細工のようになって表情が一切失われ、両目だけが青く禍々しく発光している。

 そんな岩の兜・仮面と化した頭部が、どこからか声を発しているのだ。

「おいムドラー殿、くれぐれも手は出すなよ。貴殿の助力など、本当に単なる邪魔にしかならんのだからな」

「ぐっ……ど、ドルネオ貴様……」

 倒れたまま呻くヴァンプクラーケンにそれ以上は言葉をかけず、人ならざるものと化したドルネオが、4つの蹄で地面を蹴った。

 魔獣人間ケンタゴーレム。その岩石質の巨体が、突進して来る。

 ガイエルは跳躍しつつ、背中の翼で1度だけ羽ばたいた。

 宙に舞い上がったガイエルの足下を、ケンタゴーレムが凄まじい勢いで通過する。

 通過してすぐに、その巨体が立ち止まった。重い蹄で地面を削り、土を舞い上げながら、急停止。

 岩の仮面のような顔が、空中に逃れたガイエルを見上げ、睨む。

 その顔面に、ガイエルは蹴りを降らせた。

 刃そのものの爪を生やした左足が、しかし弾かれる。ケンタゴーレムの巨大な左手が素早く動き、ガイエルの蹴りを跳ね返したのだ。

 跳ね返されたガイエルの身体が、空中で1度羽ばたいて滞空状態を維持しつつ、回転。右の回し蹴りが、空気を裂いてドルネオを襲う。

 そして止まった。止められていた。ケンタゴーレムの右手が、ガイエルの右足をがっちりと掴んでいる。

 ブーツ状の甲殻の上から、凄まじい握力がメキメキッと食い込んできた。

「ぐ……っ!」

 次にガイエルが感じたのは、風だった。強風に吹かれた、と言うよりも、自分の身体そのものが風と化したかのような……

 続いて、衝撃。視界が暗転し、意識が一瞬だけ消し飛んだ。

 足首を掴まれ、まるで物のように振り回されたガイエルの身体が、そのまま地面に叩き付けられたのだ。

 ケンタゴーレムの巨体が、竿立ちになった。

 戦鎚のような両前足の蹄が、倒れたガイエルに向かって思いきり振り下ろされる。

 一瞬で意識を取り戻したガイエルが、転がってその場を離脱し、片膝をついて跳ね起きた。振り下ろされた蹄が地面を穿ち、深々と足跡を残す。

 片膝をついた姿勢のまま、ガイエルはドルネオと対峙し、睨み合った。

 そして気付いた。本陣全体が、騒然としている。

 敵襲、という叫び声が、あちこちから聞こえて来る。確かに王国正規軍は現在、魔獣人間2体による襲撃を受けているのだが。

 兵士が1人、血を噴いて倒れた。

 2人、3人と、首を刎ねられ、あるいは頭を叩き潰されて、死体に変わる。

 ダルーハ軍の1部隊が、本陣に突入して来たところだった。

 ドルネオの配下と思われる兵士たちが、槍を、剣を、戦斧や戦鎚を振るい、王国正規軍兵士をことごとく殺戮してゆく。

 完璧な、奇襲だった。

「安心なされ若君、我らの一騎打ちに介入させたりはせぬ」

 片前足の蹄で地面を引っ掻きながら、ケンタゴーレムが言った。

「見ての通り、今は我が軍が優勢……だが若君よ。貴殿が俺に勝ちさえすれば、たちどころに逆転するであろう」

 王国正規軍兵士が、そこかしこで反撃を試みてはいるが、弱々しいものだった。ダルーハ軍兵士の振るう剣に槍を叩き切られ、あるいは鍔迫り合いに負けて転倒したりしている。

 この場にいるダルーハ軍部隊は、間違いなく精鋭だ。ドルネオ自らが鍛え上げてきた兵士たちなのであろう。

 人数では圧倒的に勝る王国正規軍が、その人数差を、凄まじい勢いで縮められつつある。

「ドルネオ、貴様……!」

「非力なる者どもを守れないのが無念か……思い上がりだな、ガイエル・ケスナー」

 ずしりと腹に響く口調で、ドルネオが嘲笑う。

「強き者も弱き者どもも、結局のところ己の身は己で守るしかないのだ。己の戦いは、己でするしかないのだよ。戦いもせずに1人の英雄に甘えきって腐ってゆく。戦いもせず、1人の王女を人身御供に保身を図る……そんなクズどもしかおらんのが、この国だ」

 1歩ずしりと、ケンタゴーレムの巨体がガイエルに迫る。

「クズどもを守るなど、神でもなければ不可能な事。所詮1匹の怪物に過ぎぬ貴公は、より強大なる怪物に付き従って暴れておるのが、まあ身の程に合った生き方というものよ……共に来い、若君。お父上の下へ帰るのだ。このドルネオが取りなしてやるゆえ、な」


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