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第88話 聖戦士たち(前編)

 これまでに得た情報を、整理してみた。

 デーモンロードが魔物の大軍団を率いてバルムガルド王国を制圧し、国民を魔獣人間の素材として狩り集めている。ただし15歳を超えた男子のみで、女子供はどういうわけか除外されている、のみならず魔物たちによって保護されている様子さえ見られる。

 ゴルジ・バルカウスはすでに亡く、魔獣人間に関連する全てのものはデーモンロードによって奪われている。

 存命中の魔獣人間は、何体かいるようだ。例えばあの、茸が触手を生やしたような巨体の魔獣人間。あれを見ていると、魔物たちとの関係はあまり良好ではないと思える。

 整理するほどの情報など全く入手出来ていない事に、シェファは改めて気付いた。それでも、このバルムガルド王国で何が起こっているのか、大まかに把握する事は出来た。

 それをマディック・ラザンが、手頃な岩を机にして、羊皮紙に書き記している。

 岩の多い、いくらかは緑もある場所で今、シェファとマディックは野宿をしていた。

 2日前に、あの村を出た。目的地が、とりあえず決まったからである。

 ヴォルケット州のタジミ村という場所で、バルムガルドの新国王が即位したらしい。

 魔族を撃退し王国を再興すべく、志ある者はジオノス3世陛下の御下へ集うべし。そんな布告が、発せられたのである。

 バルムガルド再興の戦に、参加するかどうかはともかく。魔物たちへの反撃拠点たるタジミ村へ行けば、より詳細な情報が手に入るかも知れない。

 現時点での情報を書き記しているマディックに、シェファは焚き火越しに問いかけた。

「……手紙なんて、届くの?」

 報告の書簡も、サン・ローデルに届かなければ意味はない。魔物に制圧された国から、いかにして届けるのか。

「この国の唯一神教会機構が、まだ辛うじて生き残っているようだからな」

 書いたものを読み返しながら、マディックが答える。

「どこかの町か村の教会に、この書簡を託す。バルムガルドのディラム派とヴァスケリアのローエン派は、まあ仲が良いわけじゃないが教会組織としての繋がりはある。手紙のやり取りくらいは出来るさ」

「ローエン派と仲が悪いのは、むしろマディックさん個人なのよね」

 シェファは、少しだけ苦笑した。

「ローエン派には、この国からお金が流れてたのよね?」

「そのバルムガルド王国も、この有り様だ。クラバー大司教も、つまらない事はもう出来ないだろう……と思いたい」

 手紙を丸めて筒に入れながら、マディックが軽く溜め息をつく。

「教会の、本来あるべき姿に戻って欲しいもんだ。とりあえずは、この書簡をサン・ローデル侯に届けてもらわないとな」

 デーモンロードが、隣国の民を苦しめている。

 それを知ったサン・ローデル侯……リムレオン・エルベットが、どういう反応を示すのか、シェファは手に取るようにわかった。あの愚かな少年貴族は、領主としての地位も責任も放り出して、この国に乗り込んで来かねない。ブレン兵長あたりが止めてくれるとは思うが。

「リム様の馬鹿……」

 マディックに聞こえぬ声で、シェファは呟いた。

 僕が強くならなければ意味はないんだ。リムレオンは、そんな事を言っていた。

 領民を守る力がなければ領主とは言えない、そんな非力な領主は死んでしまった方が良い、などと1人で悲壮感を燃やしているリムレオンを、シェファはなだめようとして失敗した。そして、あんなつまらぬ言い争いになってしまった。

 他人に相談するような事ではないと、わかってはいる。それでもシェファは、つい尋ねてしまった。

「ねえマディックさん……リム様、何であんなふうになっちゃったのかな」

「あんなふう、とは……あんなふうか」

 マディックは腕組みをした。

「俺は君ほど、サン・ローデル侯との付き合いが長いわけじゃないが……彼とは1度、殺し合いの戦いをやった間柄だ。その俺に言わせてもらうなら、リムレオン・エルベットは別に何も変わってはいない。領主として、領民を守りたい。彼はそれだけさ。それだけなんだが……今はそれが、いささか強く出過ぎてるようではあるな」

「自分1人で熱くなっちゃってんのよ。ほんと馬鹿みたい」

 などと悪口を言ったところで、マディックとしては困惑するだけだろう。

 それよりも彼には1つ、訊いてみるべき事がある。

「マディックさんも、あの時……気ぃ失って、倒れてたのよね」

「黒薔薇夫人の城での、あの戦いか」

 マディックは夜空を仰いだ。

「俺も君も意識を失って、目覚めた時には戦いが終わっていた……誰かが、俺たちを助けてくれたらしい。わかるのは、それだけだな」

「あたしたちが倒れてる間、何があったんだと思う?」

 何かが起こった。何者かが、助けてくれた。

 その結果、シェファたちは助かったが、同時にリムレオンがあんなふうになってしまった。

「俺は……似たような経験をした事がある」

 マディックの口調は、まるで恐ろしい話でもするかのようだった。

「ダルーハ・ケスナーが討たれてから間もない頃さ。ヴァスケリアの北の方、今はローエン派が大きな顔をしている地域で、ダルーハ軍の残党が暴れてた。俺もレイニー・ウェイルも、それを止めようとして殺されかけた……が、助かった。助けてくれた人がいるんだ。ここでは仮に、人としておく」

 人ではないのか。人ではないものが、人助けをしたのか。

 それをはっきりさせぬまま、マディックは続けた。

「その人が、ダルーハ軍の残党を皆殺しにした。俺たちは、それを目の当たりにした……そのせいで俺は変わってしまったらしい、というのはレイニーの話だがな」

「変わった、ってどんなふうに?」

「自分じゃわからんよ。とにかくレイニーいわく、その時の俺の変わり方と、今のサン・ローデル侯の変わり方が、全く同じであるらしい」

 夜空を見上げていたマディックが、いささか俯き加減になった。

「君たちは同じものを見たのだ……とレイニーは言っていた」

「誰なの……」

 シェファは訊いた。俯くマディックの頭を無理矢理、掴んで起こして揺さぶって聞き出してやりたい。その衝動を、辛うじて抑え込みながら。

 同一人物、なのであろうか。マディックやレイニー司教を助けたという何者かと、今回シェファたちを助けてリムレオンを変えてしまった何者かは。

「その人って……誰? ねえ」

「それは……」

 言い淀みつつマディックは、ハッと顔を上げた。

 松明の光と足音が複数、近付いて来ている。

「男と女……女の方は、かなり上玉な娘っ子ですぜ」

 声も聞こえた。

「どうしやす、親分」

「いただくに決まってんだろうがよぉお」

 嬉しそうに鼻息を荒げて姿を現したのは、オークやトロルと見間違うほどに粗野で凶悪な、人間の男たちの一団だった。見ただけでわかる、強盗・追い剥ぎの類である。

 3、40人はいるであろうか。松明を持ち、武器を構え、シェファとマディックを取り囲んでいる。

「こんなとこでイチャつくたぁ、いい度胸してんじゃねえか兄ちゃん嬢ちゃん」

 親分と呼ばれた、特に凶悪な大男が言った。

「だが嬢ちゃんよ、そんな淡白そうな兄ちゃんじゃ物足りねえだろう? 俺らが満足させてやっからよおぉ」

「ねえマディックさん……あたしたち、イチャついてた?」

 シェファの問いに、マディックは軽く肩をすくめた。

「悪いけど、俺にサン・ローデル侯の代わりは務まらないよ」

「……何で、そこでリム様が出て来んのよ」

「言わなきゃわからんかな? とっとと仲直りをしてくれ、という事さ」

 溜め息混じりに言いながらマディックは立ち上がり、強盗団を見回した。

「君たちに言える事は1つだけだ……真面目に働け。そうすれば、人から物を奪うような暮らしはしなくて済む」

「俺たちゃ奪うのが仕事なんでなあ」

 強盗の1人が、至極もっともな事を言う。

「金なんか大して持ってねえのは見りゃわかる。だからよ、その嬢ちゃんをいただいてくぜぇえ」

「お前ら……!」

 マディックの眼光が、険しく鋭くなった。

 その眼光の先では、シェファと同年代の若い娘が10人近く、両手を縛られ、強盗たちに剣や槍を突き付けられている。全員おどおどと怯え、あるいは泣きじゃくり、こちらに視線で助けを求めている。

「……何だ? その子たちは……」

 マディックが、訊くまでもない事を律儀に訊いている。

 強盗たちに代わって、シェファが答えてやった。

「さらって来たに決まってんでしょうが……何しろ今は、町にも村にも男の人がいないから」

「よくわかってんじゃねえか嬢ちゃん」

 親分がニタニタと笑いながら、さらって来た娘たちに片手の親指を向ける。

「おめえも、こん中に入るって事……それも当然わかってんだよなあ?」

「売り飛ばすか、俺らの肉便所として飼ってやるかは、まぁじっくり品定めして決めねーとなあ」

 強盗たちが、オークやトロルの如く醜悪に笑った。

「お前ら……」

 マディックが震えている。強盗たちの目には、怯えているように見えるだろう。

「今こんな時だからこそ……お前らが女性や子供たちを守らなきゃいけないんじゃないのか? なのに、こんな……魔物どもの暴虐に、便乗するような事を……」

「馬鹿かおめえ。せっかく魔物の皆さんが、邪魔っけえ男どもをかっさらってくれてんだぜ? 残った女どもぁ俺らで美味しくいただくのが礼儀ってモンだろうが」

「あーホント魔族さまさまだぜぇ、俺らも好き放題出来るもんなぁー!」

「あの、マディックさん」

 シェファは、とりあえず確認をとった。

「あたし、こいつら殺すけど……まさか止めたりしないよね?」

「殺す? 殺すぅ? 殺すっつったか嬢ちゃん!」

 強盗たちが爆笑している。

「……何が……おかしい……?」

 マディックの身体が、ゆらりと前のめりになった。

 よろめくような、頼りない踏み込みだった。

「笑っている場合では、ないんだぞ……それが! わからないのかぁあーッ!」

 子供の喧嘩の如く振るわれたマディックの拳が、しかし強盗の1人を強烈に直撃していた。

 笑っていた強盗が、鼻血を噴いて派手によろめき、別の1人と激突し、もろともに倒れる。

「てめえ……!」

 笑いを止めて剣や槍を構えようとする強盗たちに、マディックは構わず素手で殴り掛かる。

「お前ら! 自分が何やってるか、わかってないのか!」

 叫ぶマディックの顔から、とめどなく涙が飛び散った。

 拳が、蹴りが、いささか不格好に振り回されながらも的確に、強盗たちの顔面や腹部に叩き込まれる。

 徒手空拳で暴れる聖職者の若者に、槍や戦斧を叩き付けようとしながら、強盗たちは微かな血飛沫を散らせてよろめき、うずくまり、2人3人と倒れてゆく。

 シェファは、しばらく見物している事にした。このマディック・ラザンという男、泣き出すと止まらなくなる。ブレン兵長ですら、いささか持て余すほどにだ。

「本当はわかっているんだろう? こんな火事場泥棒のような強盗行為が、どれほど醜く愚かしいものであるか! 心のどこかでは、わかっているんだろう! その心の声に耳を傾けなくて、どうするんだよおおおおおおおおっっ!」

 泣き喚きながら、強盗の1人をガスガスと踏み付けるマディック。

 他の強盗たちが、若干たじろぎながらも遠巻きに彼を取り囲む。

「て……てめえ、正気か?」

「トチ狂っただけで、俺ら全員に勝てるつもりでいやがんのか……」

 確かに、生身のマディック・ラザンはここまでだろう。ブレン兵長でもあるまいし、武装した多勢を相手に戦い続けられるほどの力は、マディックにもシェファにもない。

 生身であれば、の話だが。

「さっきシェファが、お前らを殺すと言った……」

 嗚咽混じりに言いつつ、マディックは右拳を掲げた。

 その拳の中指で、指輪が光る。

「はったりでも何でもないんだぞ……そうは見えないだろうが、俺たちにはあるんだ。お前ら全員を、殺してしまうだけの力が……」

 同じ指輪が、シェファの右手の中指で、光を放ち始める。

 竜の指輪。

 この中にある力を人間相手に使うのは、確かに禁忌とするべき事なのだろう。だが現実的にシェファにもマディックにも、生身の戦いでこれだけの人数を撃退するだけの力はない。それに、捕われている女の子たちも助けなければならない。

「もちろん、俺たち自身の力じゃあない。とてつもなく卑怯な、外付けの力さ……人間相手には、使いたくない……」

 言葉とは裏腹にマディックの右拳で、竜の指輪が輝きを強めてゆく。鮮やかな、緑色の光。

 シェファの右手から溢れ出しているのは、青い光だ。

 自分もマディックもすでに、魔法の鎧で大勢の人間を殺害している。今更、躊躇う必要もない。シェファはそう思うのだが。

「だから頼む……その女の子たちを解放し、立ち去ってくれ。そして2度と、こんな事はするな……頼むよ、本当に……」

「な……何言ってやがるテメエ!」

 マディックの願いなど聞き入れるはずもなく、強盗団の親分が激昂する。そして、大型の剣を振りかざす。

 そこで、親分の身体は砕け散った。

 大柄な肉体が破裂し、細かな肉の残骸となって、あちこちに散る。

 呆然とするマディックの眼前で、人体1つを粉砕したばかりの武器が、ゆったりと動きを止めた。

 ちぎれた臓物をこびりつかせた、巨大な鎚矛。

 それを右手だけでマディックに向けているのは、縦よりも横に大きな1人の巨漢である。大量の脂肪とそれを上回る筋肉で肥え太った巨体に、がっちりと甲冑をまとっている。

「いきがるなよ、人間……」

 そんな言葉を発する口からは、上向きに湾曲した牙が生えている。巨大な鼻は、豚そのものだ。

 いや。その猛々しさは、豚と言うより猪か。

「ダルーハ一党(いっとう)のおらん貴様たちに出来る事など、何もないのだからなあ」

「何だ、お前は……」

 右拳に光をくすぶらせたままマディックは、眼前に立つ猪の顔の巨漢を、じっと観察した。

 当然、人間ではない。どうやらオークである。オークにしては、しかし眼光の鋭さが尋常ではない。

 直立した巨大な猪のようなそのオークが、名乗った。

「俺はオークロード。見ての通り、オーク族を統べる者よ」

 見ての通り、という言葉通りと言うべきか。とにかく雑兵級のオークが多数、周囲の岩陰あちこちから猛然と飛び出し、人間の強盗団に襲いかかっていた。

 人間よりも秀でた腕力で振るわれる戦斧や戦鎚が、強盗たちをことごとく打ちのめし、叩き潰し、鮮血や脳漿を噴き出させる。

 シェファとマディックが、竜の指輪を中途半端に輝かせている間に、強盗たちは1人残らず屍と化していた。

 強盗たちだけである。さらわれて来た少女たちは、全くの無事だ。

 オーク兵士たちがニタニタと笑いながら、彼女らに欲望丸出しの視線を向けるが、手を出そうとはしない。

 助かったはずの娘たちが、しかし人間ではない者どものギラついた眼差しを浴びて、相変わらず怯えている。

「オークロード……その名は聞いている」

 涙を拭いながら、マディックが言った。

「人間の女子供を保護するような行動を取っているらしいな? 一体どういうつもりなのだ」

「デーモンロード様が、そうせよとおっしゃるのでな」

 鎚矛にこびりついた臓物を払い落としながら、オークロードが答える。

「だから保護してやっている。こういう者どもを取り締まりつつ、な」

 強盗の屍の1つを、オークロードは太い足で蹴り付けた。

「男どもは出来る限り捕えて送れと言われているが……面倒臭いので、つい皆殺しにしてしまった」

「俺は……お前たちに、感謝しなければならないのかも知れん」

 呻くように、マディックは言った。

「お前たちが来なければ俺が、この者たちを皆殺しにしていたかも知れないからだ……卑怯な、外付けの力でな」

「そんな事はどうでもいい。そこそこ頑健な人間の若造よ、我々と共に来てもらうぞ」

 言いつつオークロードが、ちらりとシェファを睨み、怯える少女たちを睨む。

「安心しろ小娘ども、貴様らには何もせぬ。元いた村なり町なりに帰って安穏と暮らすが良い。貴様たちの身の安全は、我ら魔族が保証してやる」

 それは、怯える娘たちを安心させるための言葉ではなかった。嘲笑である。

「男どもを犠牲にしながら、のんべんだらりと生き続けるがいい。王女を人身御供として身の安全を保った、20年前のヴァスケリア人の如く……貴様ら人間どもには、そういう生き様しかないのだよ。まったく、笑えるほどに哀れな者どもよなあ」

 オークロードが嘲笑い、周囲の雑兵オークたちも口々に不快な笑い声を発する。

 少女たちは、両手を縛られたまま俯き、震えていた。

 彼女らの中には、すでに父親・兄弟や恋人を魔族に奪われてしまった者もいるのだろう。

「俺1人を連れ去って……魔獣人間にでも、してくれるのか」

 マディックが言った。

「それで、お前たちと戦える力が手に入るなら……と思わなくもないがな。魔獣人間の力よりは、まだこちらの方が俺向きだ」

 彼の右拳でくすぶっていた緑色の光が、強まってゆく。

「人間を、保護するふりをしながら実は蹂躙している者ども。お前たちに感謝する必要は、なさそうだな……武装転身!」

「むっ……」

 微かに驚愕した様子のオークロードの眼前で、マディックの全身は緑色の光に包まれた。

 掲げられた右拳から光が伸び、それが槍の形に実体を得る。

 実体化した魔法の槍をブンッと振るい構えながら、マディックは緑色の全身甲冑を装着し終えた。

 魔法の鎧。その姿を目の当たりにしてオークロードが、多少は警戒をしたようである。

「なるほど、人間ごときが我ら魔族に向かって大きな口を叩く……その力があってこそ、というわけか」

「あんたたちこそ、オークのくせに人間に向かってどういう態度取ってんのか……ちょっと思い知らせてあげる必要、ありそうねえ」

 シェファは言った。辛うじて、冷静に言葉を発する事は出来た。

 腹の底は、煮えくり返っている。脳漿が沸騰するほど、頭に血が昇っている。

 そんなシェファをなだめるように、マディックが言った。

「シェファ、君はその子たちを連れて逃げろ。狙われてるのは俺1人」

「ねえマディックさん。女子供だけ無事ならいい、とか思ってる? もしかして」

 にっこりと表情をねじ曲げながらシェファは、マディックの言葉を遮った。

「だとしたら、このオークどもと大して変わんないわよ……あたし、許さないから」

「シェファ……」

「許せない……こいつらだけは、絶対に」

 シェファは右手を掲げた。竜の指輪がキラキラと、青い光をこぼし続ける。

「不味そうなブタ肉ども、こんがり調理してあげるわ……武装、転身」

 くるりと身を翻しながらシェファは、全身にその光をまとわりつかせた。

 軽やかに回り舞う少女の肢体が、青色にきらめきながら魔法の鎧に包まれる。身体の線をぴったりと際立たせる、薄手の全身甲冑。

 青く武装したその身体をシェファはオークロードに向け、魔石の杖を構えた。

「もちろん食べてなんてあげないからね。野犬の餌にでもなりなさいよ、ブタ野郎」

「ふん。非力な人間どもが、持ち慣れぬ力を手にして調子に乗る……よくある事よ」

 オークロードが不敵に笑い、鷹揚に身構える。

 雑兵オークたちが全員、1歩退いて遠巻きな観戦の体勢を作った。

 彼らの獣じみた歓声を受けながらオークロードが、マディックに巨体を迫らせる。

「魔獣人間の材料にしてやろうとおもったが、逆らうならば仕方ない。こけ脅しの甲冑もろとも、叩き潰してやろうぞ」

「こけ脅しの甲冑の力に、お前は討たれる事になる……我! 汝殺すなかれの破戒者とならん」

 マディックは激しく踏み込み、魔法の槍を突き出した。

「唯一神よ、罰を与えたまえ!」

「ほう。貴様、ローエン派の坊主であったか」

 巨大な鎚矛を軽く動かし、魔法の槍を打ち弾きながら、オークロードが言う。

「19年前、俺はアゼル派の尼と戦った事がある。恐るべき戦闘技術を持つ女であった」

 アゼル派の戦う尼僧ならば、シェファも1人知っている。

「あれに比べて貴様の技の、何と優しげな事よ……所詮はローエン派よなあ!」

 嘲弄と共に、オークロードが鎚矛を振るう。

 その重い一撃をマディックは、魔法の槍で辛うじて受け流した。

「くっ……」

 受け流しきれぬ衝撃に、マディックの身体がよろめく。そこへ巨大な鎚矛が、容赦なく殴り掛かる。

 その前に、シェファは攻撃を念じていた。

 青い魔法の鎧の全身で、埋め込まれた魔石たちが真紅の光を発する。

 小さな太陽のような火の玉が、いくつも周囲に浮かんで燃え盛り、一斉に飛翔した。オークロードに向かってだ。

「ぬ……っ」

 マディックを叩きのめす寸前であった鎚矛を、オークロードは即座に別方向へと振るい、シェファの火球を迎撃した。

 2つ、3つ、燃え盛る隕石のような火球が鎚矛に粉砕され、爆発した。

 爆風によろめくオークロードの全身を、4つ目以降の火球たちが次々と直撃する。力強く肥え太った巨体が、爆炎に包まれた。

 その炎の中オークロードが、爆発の轟音をも掻き消す雄叫びを張り上げる。

 苦痛の悲鳴を押し潰す雄叫び。爆炎に灼かれつつ、オークロードはまだ死んではいない。

 よろめいていたマディックが、踏みとどまると同時に踏み込んで行った。

 気合いと共に繰り出された魔法の槍が、炎に灼かれる巨体に突き刺さる。

 いや、炎はすでに消えていた。

 オークロードの全身で甲冑が破裂し、灼けただれた皮膚が剥き出しになっている。ブスブスと焦げ臭い煙を発生させながら、その巨体はしかし揺るぎなく立っていた。

 分厚い胸板の左側に、魔法の槍が深々と突き刺さっている。が、どうやら心臓には達していない。

「ダルーハ亡き今……俺にここまでの傷を負わせる者が、人間どもの中に存在するとはなあ」

 灼けただれた顔をニヤリと凶猛に歪めながらオークロードは、胸板に突き刺さっている穂先の根元を左手で掴んだ。

 マディックは渾身の力で踏み込み、魔法の槍をさらに深く突き入れようとする。

 突き入れられようとする穂先を、左手の力だけで止めたまま、オークロードは右手で鎚矛を振るった。

 グシャリと凄惨な音が響いた。

「うぐぅ……」

 緑色の面頬から少量の血飛沫を飛散させつつ、マディックは魔法の槍を手放し、倒れた。悲鳴を漏らせるという事は、死んではいない。

 だが直撃を食らった兜と面頬の一部が、いくらか凹んでいる。

「マディックさん……!」

 シェファの全身で魔力が膨張し、魔石の杖へと激しく流れ込む。オークロードに向けられた先端の魔石が、真紅の輝きを発し始める。

 逃げようともせずにオークロードは、胸板に突き刺さっていた魔法の槍を左手で引き抜いた。そしてシェファに向かって投擲した。

「くっ……?」

 射撃の形に構えていた杖を、シェファはとっさに眼前で跳ね上げた。

 恐るべき勢いで飛来した魔法の槍が、魔石の杖と激突し、地面に落ちる。

 杖が折れてしまったのではないかと思える衝撃が、少女の細い両手を震わせた。

 シェファが懸命に杖を取り落とすまいとしている間、オークロードが踏み込んで来る。肥え太った巨体が、しかし疾風の速度でシェファに迫る。

 猛々しい猪のような顔面が、醜く灼けただれながらもニヤリと獰猛に歪んだ。

 次の瞬間、巨大な鎚矛がシェファの細身を叩きのめす……いや、そうはならなかった。

 オークロードの獰猛な笑顔にグシャッ! と足型が刻印され、灼けただれた巨体が斜め後方へと吹っ飛んで行く。

 シェファを直撃する寸前だった鎚矛は、あらぬ方向へと手放されて地面に落ち、地響きを立てた。

 それ以上の地響きを起こしながら、オークロードは地面に倒れ転がり、だが即座に起き上がって来る。

「ぐぅっ……な、何奴!」

 それには応えず、小さな人影がシェファの近くに、くるりと着地する。

 この小柄な乱入者が、どうやらオークロードの顔面に飛び蹴りを食らわせて、シェファを助けてくれたらしい。

 いや本当にそうなのか、とシェファは疑念を抱いた。こんな小さな身体に、オークロードの巨体を蹴り飛ばす力があると言うのか。

「初めに言っておくぞ、小娘……」

 いささか苦しそうに、そんな声を発しているのは、白く鋭い牙を生やした口だ。顔面は、まるで肉食の猿である。

 毛髪の1本もないツルリとした頭からは、山羊の如くねじ曲がった角が左右一対、生えていた。

「貴様を助けたわけではない……俺は人間どもを、助けたりはせんからな」

「あっ……そう……」

 呆然と応えつつシェファは、間違いなく人間ではない、この小柄な生き物を観察した。

 身体の大きさは、10歳かそこらの子供並み。ただその全身で、岩のようにガッチリと筋肉が盛り上がり引き締まっている。

 その力強い胸板には包帯が巻かれ、血が滲んでいた。

 背中から広がった黒皮の翼は、小柄な肉体を包み込んでしまえそうに巨大である。

 翼と角を備えた猿、としか表現し得ぬ手負いの怪物が、地面に片膝をついたまま、なおも苦しげな声を発する。

「デーモンロードの手下どもが、俺の周りで胸くそ悪くなるような事ばかりをやらかしている……おちおち傷を治してもいられんではないか、ええおい?」

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