第87話 魔獣剣舞
ゼノス・ブレギアスの全身で衣服がちぎれ、獣毛が、筋肉が、盛り上がって来る。
毒蛇の尻尾が牙を剥き、翼が、タテガミが、角とクチバシが、振り立てられる。
魔獣人間グリフキマイラが、そこに出現していた。
フェルディ王子、いやバルムガルド国王ジオノス3世が、マチュアに抱かれたまま嬉しそうにはしゃいでいる。
赤ん坊の声援に格好をつけて応えながら、ゼノスは言った。
「なあティアンナ姫、そろそろ変身の決め台詞とか考えた方がいいかなー」
そんな戯言を聞いている場合ではない。
魔獣人間サーペントエルフが今、信じ難い固有名詞を口に出したのだ。
「今……誰の名前を、口にしたのです」
彼が、やはりこの王国に来ているのか。彼独自に、魔族との戦いを始めてしまったのだろうか。
「ガイエル・ケスナー……そのように聞こえたのですが、気のせいでしょうか?」
「ふ……ふっふふふふ、ふははははは悦びなさい愚かなる小娘! お前を役に立ててあげます、あの怪物の弱点として!」
サーペントエルフが、顔の傷跡をおぞましく蠢かせて笑う。
「お前を、このトロルロード殿の体内に埋め込んで一体化させる! そうすれば、あの恐るべき竜の御子が絶対に反撃出来ない怪物が出来上がるのですよ。まさしく叡智! さぁーやっておしまいなさいトロルロード殿」
「うッギ……よ、よくわかんねぇが……」
巨大な胴体にバックリと開いた裂け目。そこから無数の、臓物のような寄生虫のようなものを溢れさせながら、トロルロードが剣を構えた。人間を何人もまとめて両断してしまえそうな、巨大な剣だ。
「そ、その小娘を手足ブッた斬って芋虫にしちまえばイイんだな? そんでコイツらでグッチュぐっちゅヤりながら取り込みゃイイんだなぁああああああオイ!」
臓物か、寄生虫か。とにかく醜悪な触手状のものたちが、トロルロードの絶叫に合わせて激しく暴れ蠢く。
「……おめえ恥ずかしくねえのか。男のくせに触手なんか生やしやがって」
ゼノスが、哀れむような声を出した。
「そんなウニュウニュくねくね男らしくねえモンじゃなくてよぉ、もっとほれ、こうガキーンと」
まさしくガキーンと音が聞こえて来そうなほど固く熱く膨張したものが、グリフキマイラの股間で猛々しく屹立している。
ティアンナのこめかみの辺りに、ピシッと血管が浮かんだ。
「魔獣人間に服を着ろとは言わないけれど……もう少し、どうにかならないかしら?」
「むっ無理だよう。だって俺、ティアンナ姫のお仕置きで……愛の力、注入されちまったから。隠しきれねえくらい俺、力漲っちゃってんのよ」
愚かしく勃起したものを晒し、愚かしい事を言いながら、魔獣人間グリフキマイラが剣を抜く。リグロア王家の剣。大型の刀身がギラリと物騒な輝きを放ち、構えられる。
風格すら感じさせる構えである。言動はどれほど愚かであっても、やはりこの男は一流の剣士だ。
「何と下劣な……やはりゴルジ・バルカウスの作品よ! 品性も美も叡智も望めぬ、残骸兵士以下の粗悪品が!」
サーペントエルフが激昂した。
それに呼応するかの如く周囲のトロルたちが、筋肉を凶暴に震わせ、大斧や鎚矛を振りかざす。
「トロルロードは言うに及ばず、この者たちとて普通のトロルではありませんよ! そこいらの魔獣人間を遥かに上回る力を、私が与えてあります。お前たちに勝ち目はない! にもかかわらず私に無礼を働いた罪! さあ思い知りなさぁあーいッ!」
その絶叫が終わるのを待たず、トロルたちが一斉に襲いかかって来た。ゼノスとティアンナ、のみならずシーリンとマチュア、ジオノス3世、それに半裸に剥かれた村娘までも、まとめて叩き潰してしまいかねない襲撃だ。
ティアンナは、攻撃を念じた。
魔石の剣に、魔力が流れ込んで行く。細身の刀身が、白い光を帯びた。
その剣をティアンナが振るう前に、しかしトロルの1体が真っ二つになった。
左右に両断された巨体が、続いて破裂し、肉片を、ちぎれた臓物を、大量に飛び散らせる。
斬られると同時に、粉砕されていた。爆砕と言っても良かった。
斬撃に込められた凄まじい破壊力が、相手を叩き斬っただけでは消滅せず、叩き斬られた肉体に流れ込んで、さらなる破壊をもたらしたのである。
まさに、魔獣人間の剣技であった。
「言ったろうが……今の俺は! 愛の力が! 漲りまくってンだよぉおおおおおおおッッ!」
歓喜の叫びを響かせながらグリフキマイラは、跳躍しながら剣を振るい、着地しながら剣を振るい、様々な方向へと踏み込みながら剣を振るっていた。
リグロア王家の長剣が、縦横無尽に閃いて多数の弧を描き、トロルたちを片っ端から薙ぎ払う。
薙ぎ払われた巨体の群れが、ことごとく真っ二つになりながら破裂し、もはや再生しようもないほど粉々に飛び散って降り注ぐ。
半裸の村娘が、悲鳴を上げた。
シーリンが、彼女とマチュアをまとめて抱き寄せ、肉片の雨から庇う。
寄り添う女性3人の中から、ジオノス3世が身を乗り出し、喜びはしゃいでいる。
赤ん坊の声援を受けて、グリフキマイラの巨体が躍動していた。魔獣人間の怪力に耐えられる剣を、竜巻の如く振るいながら。
それは、切断と粉砕を同時に行う、殺戮の舞いだった。
強化されたトロルたちが、再生する暇もなく斬り砕かれ、ビチャビチャと飛び散って雑木林全域にぶちまけられる。
ティアンナは息を呑んだ。
虐殺の舞いで周囲の敵をことごとく粉砕する若者を、自分はもう1人、知っている。
(この男……ガイエル様と、互角……?)
「こ……こやつ……!」
サーペントエルフが、後退りをしている。怯えながら、叫んでいる。
「な、何をしているトロルロード! お前に力を与えたのは、こういう時のため! 戦いなさい! 早く戦って、私を守りなさぁああああいッ!」
叫びながら、右手を振るう。一瞬の光と共に三又槍が生じ、くるりと回転した。
それと共に、いくつもの火の玉が生じ、燃え盛る流星となって飛ぶ。
三又の穂先から電光が発生し、激しく奔り出す。
襲い来るその電撃光を、長剣でバチッ! と受け止めながら、グリフキマイラは炎を吐いた。獅子、山羊、荒鷲、3つの口から紅蓮の吐息が迸り、飛来する火球の群れを迎え撃つ。
空中で、複数の爆発が起こった。
流星のような火球の群れが、3つの口から吐き出された炎と激突し、相殺し合い、大量の火の粉となって散る。
その間ゼノスは、バリバリと電光の絡み付いた剣を、地面に突き刺していた。以前グリフキマイラに重傷を負わせた電撃光が、そのまま地中へと逃がされてゆく。
そこへトロルロードが、巨大な剣で猛然と斬り掛かった。
「じっじじじじ邪魔しやがるかぁテメエ! 俺がその小娘を手足もいでグッチュグッチュやるのをよぉおおおお!」
「はっはっは、グッチュグッチュ出来ねえようにしてやんよ」
ゼノスは地に立てた剣を手放しながら、無造作に身を揺らし、トロルロードの斬撃をかわした。そうしながら左手を伸ばす。
猛禽の足そのものの形をした左手が、トロルロードの胴体の裂け目にズブリと突き込まれる。
臓物あるいは寄生虫に似た触手の群れが、猛禽の爪に掴みちぎられて体液をしぶかせた。
耳障り極まる絶叫が、トロルロードの口から迸る。
左手で掴みちぎったものを放り捨てながら、ゼノスが続いて右足を跳ね上げた。跳ね上がった蹄が、トロルロードの下腹部をグシャッと直撃する。
苔むした巨体が、前屈みに折れ曲がり倒れかかる。
それを迎えるかのようにゼノスは、リグロア王家の剣を、地面から思いきり引き抜いた。
大量の土が、噴出した。
大型の刀身が、引き抜かれた勢いをそのまま宿して、下から上へと一閃する。
前屈みに倒れかけていたトロルロードの巨体が、真っ二つになった。
真上に振り抜いた刃を、ゼノスが間髪入れず真横に構える。
グリフキマイラの巨体が、そのまま勢い良くティアンナの方を振り向いた。リグロア王家の剣を、横薙ぎに一閃させながら。
縦に両断されていたトロルロードの身体が、そのまま横一文字に叩き斬られ、計4つの肉塊となった。
そしてゼノスの背後でボンッ、バンッ! ババァンッ! と破裂する。
もはや再生しようもなく細かにちぎれた臓物や肉片を、グリフキマイラの翼がバサッと払い散らした。
「ひぃ……い……こ、こんな……」
サーペントエルフが怯え、背を向け、逃げようとしている。
ゼノスはそちらを一瞥もせず、ただ尻尾を動かした。グリフキマイラのたくましい尻から伸びた、1匹の毒蛇。
それがシャ……ッと微かな唸りを発しながら超高速でうねり、地を這う。
「ぎゃっ……」
サーペントエルフが悲鳴を詰まらせ、転倒した。その足首の辺りに、ゼノスの尻から伸びた毒蛇が噛み付いている。
転倒した魔獣人間の顔が青ざめ、白くなってゆく。
元々は美しかった容貌が、今や傷跡を走らせて蒼白に染まって歪んで引きつり、見る影もない。
「……駄目だよ、おめえ。せっかく命助かったんだから、そこでもう悪い事やめとかなきゃ」
ゼノスが振り返り、哀れむように声をかけた。
「性懲りもなく、今度ぁ触手生やしたバケモノとか連れて来て、しかも人の嫁さん手足もいでグチュグチュやるとか言ってるようじゃ……そりゃおめえ、ぶち殺すっきゃねえだろうがよ」
「ひっ……た……助けて……」
サーペントエルフが、声と身体を痙攣させている。発声も呼吸も困難な状態に、陥っているようだ。
「……解毒を……誰か……」
「……ごめんなさい。マチュアの癒しでは、毒消しまでは無理なのです。今、修行中ですぅ」
ジオノス3世を抱いたままマチュアが、本当に申し訳なさそうに頭を下げている。
ティアンナは言った。
「魔獣人間に、法の裁きは必要ないわね……楽にしてあげなさい、ゼノス王子」
「おいっす」
ゼノスが、リグロア王家の剣を振り上げる。動けぬサーペントエルフに向かって振り下ろす構えのまま、言う。
「……死に際の台詞、1秒で考えろ」
「ぎゃ……や、やめ……」
「ぎゃややめ、な。わかった、語り継いでやんよ」
言葉と共に、ゼノスが剣を振り下ろす。
その切っ先が地面を切り裂き、土中に埋まった。
倒れていたサーペントエルフが、有り得ない動きでかわしていた。
いや、自力でかわしたのではない。毒死寸前で痙攣している魔獣人間の身体に、何本もの、太いミミズのような触手が巻き付いている。それらが、サーペントエルフを高速で引きずり動かしたのだ。
「思った通り……うッふふふふ。1人じゃなぁんにも出来ないのよねェ、このお坊ちゃんは」
それら触手を生やした口が、そんな言葉を発している。
巨体の魔獣人間が1匹、そこに立っていた。その全身で、無数の茸が筋肉の形に盛り上がっている。
魔獣人間マイコフレイヤー。その口から生え伸びた何本もの触手が、サーペントエルフの身体を絡め取っていた。
ゼノスが、3つの顔面でそちらを睨む。
「てめえ……」
「おおっと、アンタたちとやり合おうって気はないのよん。アタシはただ、兵隊を確保しに来ただけだからぁ……ね? シナちゃん」
魔獣人間1体を触手の力だけで空中に持ち上げながら、マイコフレイヤーは言う。
「アンタには、アタシのために働く兵隊をじゃんじゃか作ってもらわなきゃいけないんだから……あの竜の御子ちゃんと戦う、兵隊をねえ」
「う……ぁああ……た、助けなさい私を早く、ぎっ! ぎぎぎぎぎぎゃややややあああああああああ」
死にかけているサーペントエルフの肉体が、何本もの怪力触手によって、雑巾の如くギリギリギリッと絞られる。
「んー? まだまだ元気じゃないのよォ……うふふっ、もっと元気にして、あ・げ・るっ」
マイコフレイヤーの全身から、何かがブファアッ! と噴出した。
黄色っぽく毒々しい、霧のようなもの……霧にしては、粒子が大きい。粉、と表現するのが最も近いか。
胞子だ、とティアンナは理解した。巨体を構成する無数の茸が、一斉に噴出させている胞子。黄色い煙のようなそれが、毒死しかけている魔獣人間を包み込む。
「ぐぎぃッ! や、やめなさい無礼者ぎゃうっ、げびぃいいいいいいいッ!」
触手に絞られ、胞子の煙に包まれながら、サーペントエルフが暴れ喚く。
雑巾のように捻られつつあるその身体が、激しく痙攣しながら突然、膨れ上がった。
膨れ上がったように見えるほど大量の異物が、甲冑状の青い鱗を押しのけ、生えて来たのだ。
無数の、極彩色の茸だった。
「毒をもって毒を制す、ってゆうじゃない? アタシの猛毒胞子ちゃんが、大抵の毒物はブッ潰してくれちゃうのよん。それ以外にもいろんなモノぶっ潰しちゃうんだけどぉー……アンタの脳みそだけは、潰さないどいてあげるわ。叡智叡智うるさいわりに出来悪い脳みそだけど、魔獣人間関係の知力だけは、まあ役に立つからねえ」
「がぶっ、ぐ……ッッ」
サーペントエルフの口からも、巨大な茸が生えて盛り上がり、悲鳴を潰してしまう。
「喜びなさいシナちゃん、アンタこれで大抵の事じゃ死ななくなったわよん。アタシに逆らわない限りはね」
「……! …………!」
叫ぼうとして叫べずにいるサーペントエルフの顔面で、傷跡がメリメリと裂けた。そこから血まみれの茸が何本も、押し出されるように生えて来る。
剥き出しの左眼球が、それら茸に囲まれたまま、激しく凶悪に血走った。
「って言っても、そこのゲテモノ坊やに勝てるくらい強くなったワケじゃないからぁ……ここは大人しく戦術的退却っとぉ」
「待てコラ……!」
サーペントエルフを触手で運び去ろうとするマイコフレイヤーに、ゼノスが容赦なく斬り掛かろうとする。
その襲撃を妨害する形に、
「アンタたちもぉ! シナちゃんのお仲間になってみるぅうー?」
大量の胞子が、こちらに向かって放出された。
それが黄色い毒煙となって猛然と押し寄せ、ティアンナのみならずシーリンもマチュアも包み込もうとする。
ゼノスが、3つの口から炎を吐いた。
獅子の顎が、山羊の口が、鷲のクチバシが、あらゆる方向に猛火を放射し、毒煙の如き胞子を1粒残らず焼き払う。
猛毒胞子で黄色く染まっていた空気が、炎によって洗浄され、綺麗になった。
その時には、マイコフレイヤーもサーペントエルフも姿を消していた。
「逃げやがったか……」
ゼノスが呻いた。
「今日のところはこれで勘弁してやるってワケかい。しぶてえ野郎どもだ」
「……うかつだったかも知れません、姉上」
ティアンナも、重い呻きを漏らしていた。
「この村が、魔物たちに狙われないはずはないのです。今のような襲撃が、これからも際限なく続くでしょう」
ゴルジ・バルカウスの居城であったゴズム岩窟魔宮が、今は魔物たちの本拠地となっている。
その近くにあるタジミ村に、こうして魔族への服従を拒む人間たちが集まり、バルムガルド新国王を擁立しているのだ。
魔物たちにしてみれば、喉元に刃を突き付けられているようなものだろう。
これまでも、トロルやオークの群体による小規模な襲撃は何度かあったものの、ゼノスがジオノス3世王の子守りをする片手間に撃退出来る程度のものばかりであった。
だが今回のように魔獣人間を加えた襲撃が、これからも頻繁に行われるようであれば。村人を1人も死なせずにタジミ村を守りきるのは、ゼノス・ブレギアスの力をもってしても難しくなるかも知れない。
これまで何度もティアンナを苦しめてきた思いが、またしても胸の内で疼いた。
(私に……ガイエル様かゼノス王子の、せめて10分の1程度の力があれば……!)
「今の魔獣人間は、この村を襲ったのではなく……ティアンナ・エルベット個人を狙っていたのではなくて?」
半裸で気を失っている村娘を抱き支えたまま、シーリンが言う。
「貴女を捕えて人質にする、というような事を言っていたような気がするわ。ガイエル・ケスナー、という名のどなたかと戦うために」
ガイエル・ケスナー。その名が、ついに姉の口からも出てしまった。
「……どのような人なの? そのガイエルという方は」
「それは……」
言い淀むティアンナを助けるように、何者かが声をかけてきた。
「その名はお忘れになった方が良い……この世にいてはならぬ者の名前です」
若々しく落ち着きのある、男の声。
複数、と言うより多数の人影が、あちこちの木陰で見え隠れしている。
今度は、トロルや魔獣人間の類ではない。人間、それもみすぼらしい身なりの女性や子供ばかりである。
タジミの村人ではない。どうやら、難民だ。皆、一様に憂いを帯びて疲れきった表情をしている。
声をかけてきたのは、この難民たちの引率者と思われる1人の男だ。体格の立派な身体を、粗末な雑兵の軍装で包んでいる。こんなものではなく豪奢な騎士の甲冑が似合いそうな、貴公子然とした若者である。
焦げ茶色の髪に整った容貌、にこやかながら鋭い両眼。
どこかで見た事のある男だ、とティアンナは感じた。
すぐには思い出せずにいるティアンナに、若者が微笑みかける。
「魔族の頭領デーモンロードは、本腰を入れてこの村を襲撃するほど、貴女がたを危険視してはおりません。眼中にない、と申し上げて良いでしょう……現在、魔族を脅かしているものは別にあります」
「貴方は……!」
シーリンが息を呑む。ティアンナも、思い出した。
レボルト・ハイマン。間違いない。
以前ヴァスケリア王宮に使者として現れた、魔獣人間である。
あの時と同じく端正な人間の姿を被ったレボルトが、今度はグリフキマイラに微笑を向ける。
「お見事な戦いぶりでございましたな、ゼノス・ブレギアス王子……されど御活躍が過ぎれば、デーモンロードの注意をこの村に向けさせてしまう事にもなりかねません。それだけは、お気を付けられよ」
「何だてめえ、俺の事知ってんのか。俺ぁおめえなんぞ知らねえがな……」
言いかけつつゼノスも、何か思い当たったようである。
「いや、はて……俺とおめえさん、どっかで会ったか? なぁんかそんな気すんだよなー」
3つの頭を捻る魔獣人間に対し、レボルトが名乗りはせずに言った。
「まあ、自力で思い出してみるがいい」
「うむむむむむ」
ゼノスが、考え込んでしまう。
リグロア王国を滅ぼしたレボルト・ハイマン将軍が、本当にこの雑兵姿の貴公子と同一人物であるならば、確かにゼノスの目の前で正体を明かすべきではないだろう。ゼノス自身、復讐などする気はないと言ってはいるのだが。
考え込んでいる元リグロア王太子に、それ以上言葉をかける事なく、レボルトはこちらを向いた。元ヴァスケリア王女2名をじっと見比べ、いささか口調を改める。
「バルムガルド新国王が、この村で即位なされたと聞く。王母シーリン・カルナヴァート殿下、及びその妹君たるエル・ザナード1世元陛下。現バルムガルド王政における実質的最高権力者は、貴女がたであると認識してよろしいか?」
「私は……今は、単なる流れ者です」
1歩、ティアンナは下がった。レボルトを、王母の眼前に導くような形になった。
導かれるまま進み出たレボルトが、シーリンの眼前で片膝をつく。
「では王母殿下にお願い申し上げる。この者たちを、預かってはいただけまいか」
この者たちというのは、彼が引き連れて来た難民同然の女子供たちの事であろう。
「この者たちは、魔獣人間の素材として岩窟魔宮に捕われておりました。身の安全と最低限の衣食住を、この村で保証していただきたい」
「貴方がその方々を救出した、という事ですか? 将軍」
シーリンの問いに、レボルトは微笑を歪めた。ぞっとするほど暗く重く、陰惨な笑みになった。
「救出……などとは言えませんな、あれは」
「将軍、貴方は……魔物たちの軍門に、降ったのですか」
責めるでも蔑むでもなく、シーリンが静かに言う。
「あ……あの……」
連れられて来た女性の1人が、弱々しい声を発した。
「どうか、責めないで下さい……将軍は、私たちを助けるために」
「……黙れ」
レボルトの声に、とてつもなく重い怒りが籠る。
「貴様らはただ、私を憎み恨んでおれば良い。私はお前たちの、夫を、息子を、兄弟や恋人を、魔物どもに売り渡した張本人なのだからな」
「……大方、読めました」
シーリンが言った。
「将軍、貴方は魔族に臣従する事で、その方々の解放を勝ち得たのですね」
「……私はデーモンロードに敗れ、降服した。ただ、それだけの事だ」
レボルトは立ち上がり、背を向けた。
「とにかく貴女たちには、この者どもを守る義務がある。バルムガルド新国王ここにありと、大々的に檄文など放ってしまった以上はな」
「おい」
歩み去ろうとするレボルトを、ゼノスがいささか剣呑な口調で呼び止めた。
「おめえが何者なのかは思い出せねえ、けど1つだけわかったぜ……今、とんでもなく胸くそ悪くなるような事が起こってやがる。それだけはなあ」
「わかったところで、どうするのだ。旧リグロアの王子よ」
レボルトが、嘲笑うように言う。
「貴様に、何か出来るとでも?」
「……要は、岩窟魔宮にカチ込んで魔物どもを皆殺しにすりゃあイイんだろうが」
「その間、この村が襲われたらどうする」
レボルトのその言葉に、ゼノスは言葉を詰まらせた。
「貴様とて、わかってはいるはずだゼノス・ブレギアスよ……魔獣人間1匹の力など所詮、村1つを辛うじて守りきれるかどうか、その程度のものだとな」
「てめ……」
言葉に詰まったまま、ゼノスが呻く。たたみかけるように、レボルトはなおも言う。
「思い上がるなよ小僧。貴様ごときが岩窟魔宮に殴り込んだところで、デーモンロードには勝てん……自覚せよゼノス・ブレギアス王子。今やこの村の民にとって、貴様の存在が唯一の希望なのだ。無駄に命を落とすような行いはせず、今はただ1人の村人も死なせず守り抜く事だけを考えておれ」
「希望……だと? 俺が……?」
ゼノスが呆然とする。
確かに、レボルトの言う通りではあった。
現実的に今、タジミ村を守っているのは、国王として即位したばかりの赤ん坊ではなく、その母親と叔母の姉妹でもない。
魔獣人間グリフキマイラ個体の、暴力である。
実際に暴力を振るえる者、戦える者のみが、戦えぬ者たちにとっての希望となり得るのだ。
それをティアンナに教えてくれた1人の若者が、この国に現れ、独自の戦いを始めている。
難民の女子供たちから逃げるように足取り強く立ち去って行くレボルト・ハイマンを、グリフキマイラが睨むように見送っている。
「ちっ……何言ってやがんだ、あの野郎……」
この男とガイエル・ケスナーが出会ったら、どうなるのか。
それをティアンナは、とりあえずは考えない事にした。