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第85話 守る力

 トロルを一撃で粉砕するガイエルの蹴りが、残骸兵士の1体を直撃する。

 臓物の塊のような身体が、グチャッと肉質の飛沫を散らせて吹っ飛び、樹木に激突してずり落ち、だがすぐに立ち上がって来る。元々潰れているような肉体が、いくらかでも損傷しているのかどうか、一見しただけではわからない。

 とにかく立ち上がって来た残骸兵士が、再びガイエルに挑みかかる。

「まっ、守る……私は! 子供たちを!」

「こやつ……!」

 迎え撃とうとするガイエルの、右腕に、左腕に、それぞれ1体ずつ残骸兵士がしがみついて来た。元々人間であったとは思えぬ怪力で、ガイエルの両腕を拘束する。

「あんたが強い奴で良かった……寄ってたかっての弱い者いじめに、ならずに済んだ……」

「恨みはないけど、死んでもらう……俺の、妹のために!」

「貴様ら……うぐっ」

 挑みかかって来た残骸兵士が、口と思われる裂け目を開いて牙を剥き、ガイエルの首筋に食らいついた。強固な首の筋肉を、残骸兵士の牙がガリガリと擦る。

 ガイエルは蹴り飛ばそうとしたが、両足も動かなくなっていた。

 赤い外骨格のブーツから竜の爪を生やした両足。左右それぞれに1体ずつ、残骸兵士がしがみついている。

 元は人間であった計5体の怪物に群がられ、動けなくなったガイエルを、他何体もの残骸兵士たちが取り囲んだ。皆、両手をキラリと鋭利に光らせている。きらめく刃のような、爪だった。

 全方向から一斉に切り刻む構えを見せている彼らに対し、ガイエルは鞭の如く尻尾を振るった。

 高速でうねる、大蛇のような一撃。

 それを、しかし残骸兵士たちが危なげなくかわす。

 耐久力、腕力、敏捷性、全てにおいて高度な怪物たちである。

 元々ただの人間であった男たちが、残骸兵士などという名にふさわしくない超生物へと作り変えられてしまったのだ。

 それを行った張本人たるシナジール・バラモンが、

「ふむ……出来損ないとは言え、そこそこは戦えるようですねえ。私の作品ならば当然ですが」

 そんな事を言いながらも、攻撃に加わろうとはしない。

「雑兵としてはそれなりの性能、という事がわかっただけで良しとしましょうか。さあ退却しますよ、トロルロード殿」

「ぐっ……に、逃げるってのかテメエ……」

 ガイエルに砕かれた顎も再生修復を終え、トロルロードは普通に声を発している。

 身動きの取れぬガイエルに、今にも大剣を叩き付けて来そうなトロルロードを、シナジールが優雅に嘲笑う。

「あれほど痛い目に遭って、まだわからないようですねえ。今ここにある戦力で竜の御子を討ち取る事など、出来はしません。我々が撤退するだけの時間を稼げるだけですよ……この怪物と戦うためには、さらなる戦力とそして策略が必要です。我が叡智に基づく、完璧なる策略がね」

 逃がしてはならない、とガイエルは思った。

 かつてムドラー・マグラがヴァスケリア国内で行っていた事を、このシナジール・バラモンは、バルムガルド王国内で行っている。

 生かしておけば、このような残骸兵士がいくらでも生み出される。

 その残骸兵士の1体が懸命に、ガイエルの首筋を噛みちぎろうとしている。鋭い牙がせわしなく動いて、強固極まる首の筋肉を少しずつ切り刻みにかかっている。

「やめておけ……」

 微かな痛みとくすぐったさを感じながら、ガイエルは声をかけた。

「俺に血を流させない方が、身のためだぞ……遅いか、すでに」

 微量の鮮血が、ガイエルの首筋から霧状に噴出し、残骸兵士の口を、顔面全体を、赤く汚す。あらゆるものを灼き溶かす、竜の鮮血がだ。

 焦げ臭い白煙を激しく立ちのぼらせながら、残骸兵士はガイエルの首筋から離れて倒れ込み、のたうち回り、表記不可能な悲鳴を垂れ流した。その口が、顔面が、いや頭部全体が、シューッ! と灼け溶けて煙を発し、原形を失ってゆく。

 目を背けたくなるほど悲痛なその死に様を直視しながら、ガイエルは思いきり身を捻り、上半身もろとも両腕を振るった。

 左右の腕にしがみついていた残骸兵士2体が、振りほどかれてよろめいた。

 両足にしがみついていた2体を強引に蹴り払いながら、ガイエルは両腕を左右それぞれの方向へと一閃させた。

 鋭利な爪で斬り掛かって来た残骸兵士が2体、赤いヒレ状の刃に薙ぎ払われ、叩き斬られ、鮮血と思われる体液を噴出させる。

 浅い、とガイエルは感じた。絶命の手応えではない。

 臓物の塊のような肉体にザックリと裂傷を負った2体が、しかし倒れず踏みとどまって爪を構え、気合いを燃やす。

「ぐぅッ……ま、負けん。我々は、負けるわけにはゆかぬ……」

「……待ってろフェリナ。お兄ちゃん、絶対にお前を守ってみせるからな……!」

 同じような思いを燃やしているのであろう他の残骸兵士たちが、斬撃の爪を振り立て、次々と襲いかかって来る。

 ガイエルは、両前腕の甲殻刃で応戦した。ヒレ状の生体凶器が右に、左に、それぞれ閃く。

 その斬撃が、しかし左右の残骸兵士2体に、ことごとくかわされた。

 かわされている間、別の1体が、姿勢低く踏み込んで来ていた。そして爪を振るう。

「うぬっ……!」

 ガイエルの胸板から、火花が散った。

 たくましい胸筋を鎧の如く覆う外骨格に、細かな傷が残った。

 この殺傷力、それに動きの俊敏さもさる事ながら、連携が先程のトロルたちとは比較にならぬほど巧みだ。

 人間をやめただけではない。この男たちは間違いなく、かなり過酷な戦闘訓練を受けている。

 シナジールが、冷ややかに言った。

「レボルト・ハイマン……伊達に将軍などと呼ばれていたわけではないようですねぇ。雑兵を訓練する事だけは、まあそれなりに上手であると認めてあげましょうか」

「おい、これなら勝てるんじゃねえのか竜の御子によォ!」

 喚くトロルロードに、シナジールは嘲笑混じりに言い聞かせた。

「トロルに理解力を求めるのは無理なのでしょうかねえ……そこそこ戦える、とは言っても出来損ないです。竜の御子が本気を出せば、ひとたまりもありませんよ」

(何だと……!)

 様々な方向・角度から襲い来る爪の斬撃を、辛うじてかわし、あるいは両腕で受け流しつつ、ガイエルは絶句した。

(俺が……本気で、戦っていない……だと? 馬鹿な……)

 躊躇う事など、許されない。躊躇い手加減したところで、この男たちを人間に戻してやる事など、少なくともガイエルには不可能なのだから。

 それは充分に、理解はしているはずなのだ。

「ですから、この場は逃げておくのですよ。逃げて、生き延びて……私に協力なさいトロルロード殿。竜の御子を倒し、魔族の帝王となるために」

 シナジールがトロルロードを、利用しようとしているのは明らかだった。

「無論、帝王の座は貴方にお譲りしますよ? 私がこの叡智をもって誠心誠意、帝王トロルロード様を補佐して差し上げますとも」

「その言葉……嘘じゃねえだろうな?」

「ふふ、私には今のところ貴方をだます理由などありませんよ。貴方と私は、手を結べるはずです。根底にあるものが同じなのですからね……憎いのでしょう? デーモンロードが」

「…………!」

 トロルロードは黙り込み、再生したばかりの牙をギリッと噛み鳴らした。

 シナジールも、微かに奥歯を軋らせたようである。

「そう、貴方はデーモンロードを憎んでおられる。私が、あの小娘を憎んでいるように……」

 顔の左半分を覆う仮面に指を触れながら、シナジールは呻いた。

 はっきりした言葉ではない。が、ガイエルは確かに聞き取った。

 その憎い小娘の名前を、シナジールは、有るか無きかの声で、しかし確かに呟いたのだ。それをガイエルの耳は、間違いなく捉えた。

「貴様……今、誰の名を口にした……?」

 残骸兵士の1体を殴り飛ばしながらガイエルは、殺意漲る問いを発した。

「ティアンナ・エルベット……俺には、そう聞こえたのだがな」

「……これは面白い。竜の御子ガイエル・ケスナーよ、貴方があの小娘の関係者であるとは」

 シナジールの美貌に、おぞましい笑みが浮かぶ。

 ガイエルは確信した。この男が、これまで自分が戦った中で最も醜悪な魔獣人間である事を。

「……私の叡智が今、素晴らしい策略を組み立てています。あの愚かな小娘を利用してガイエル・ケスナーよ、貴方を完璧に討ち取る手段……ふ、ふっふふふ、楽しみになさい?」

「待て貴様……!」

 残骸兵士たちを押しのけてガイエルは、シナジールに迫ろうとする。

 だが今、周囲にいるのは、容易く押しのけられてくれるような相手ではなかった。

「お前の相手は俺たちだ!」

「あんたを倒せば! 俺のおふくろと姉貴を、解放してもらえるんだ!」

 包囲の体勢を崩す事なく残骸兵士たちが、あちこちから斬り掛かって来る。

 ガイエルの全身、至る所で火花が散った。

 何発もの斬撃を食らってよろめくガイエルの視界の中、シナジールが自身の周囲に、生き残ったトロルたちを集めている。

「ティアンナ・エルベットを探しているのなら、すぐに会わせてあげます。手足をもがれた人質としてね……ふふ、感謝なさい? 竜の御子よ」

 優雅に醜悪に微笑みながら、シナジールが片腕を振るう。

 鱗粉のような光の粒子がキラキラと生じ、魔獣人間を、トロルロードを、それに他の雑兵級トロルたちをも取り巻き包み込んで、輝きを強めてゆく。

 その輝きが消えた時、包み込まれていた者たちの姿もなかった。シナジール・バラモンもトロルたちも、姿を消していた。

 ガイエルの周囲に残されたのは、一向に戦意衰えぬ残骸兵士の一団のみである。

「おい、わからんのか……捨て駒にされたのだぞ、貴様たちは」

 ガイエルが言っても動揺する事なく、残骸兵士たちは、あらゆる方向から挑みかかって来る。

「何でも構わん! 要は、俺たちがお前を倒せばいい!」

「俺たちが、手柄を立てさえすれば! レボルト将軍が、それにデーモンロード様が、女子供を保護して下さる!」

(これが……)

 彼らの攻撃と気迫に圧されながら、ガイエルは心中で呻いた。

(これが……何かを、誰かを、守ろうとする力……)

 爪の斬撃が、左肩を激しくかすめる。肩当ての形をした肩部甲殻が、火花を散らす。

 衝撃に耐え、ガイエルは自問した。

(……俺には、あるのか? 守るべきもの……)

 1人の少女が、ガイエルの脳裏で微笑んだ。母レフィーネに、よく似た笑顔。

 それをガイエルは、頭を振って払い消した。

(何としても守ってやる……などと俺が意気込んだところで、迷惑なだけだろうな。ティアンナ……)

 自嘲しつつもガイエルは、胸の内で激しく燃え盛るものを止められなかった。

 それが体内を激しく駆け、両腕両脚へと流れ込んで行く。

 左右の前腕で、刃のヒレが赤く熱く輝いた。

 両足でも、竜の爪が赤熱の光を発し、土をジューッ……と融解させる。

「……のぼせ上がるなよガイエル・ケスナー。貴様ごとき怪物が、誰かを守るために戦うなどと」

 己を叱りつけながらガイエルは、残骸兵士たちの襲撃の中、自ら踏み込みつつ身を翻した。

「吟遊詩人どもの謡う、勇者や英雄の類でもあるまいしッ……!」

 熱く輝くヒレ状の刃が、一閃して弧を描く。

 両足が、回し蹴りの形に連続して躍動し、赤熱する竜の爪で斬撃を繰り出す。

 残骸兵士たちが、爪を振りかざした襲撃の姿勢のまま硬直する。

「……貴様が戦うのは、ただ残虐だからだ」

 呟き、動きを止めるガイエル。

 その周囲で、硬直していた残骸兵士たちが次々と、横に、斜めに、滑りずれてゆく。

 全員、真っ二つになっていた。

 臓物の塊のような肉体の群れが、真っ赤に灼け輝く断面を晒している。

 それら断面から一斉に、炎が溢れ出した。

 両断された残骸兵士たちが炎に包まれ、サラサラと灰に変わってゆく。妻や息子や娘、姉や弟や妹、母親、恋人……口々に、守るべき者の名を呼びながら。

「何かを守るために戦う者が、ただ残虐なだけの怪物に殺される……それもまた良し、か」

 呟きながらガイエルは、背中の翼を1度だけ羽ばたかせた。

 粉雪の如く舞っていた遺灰が、バサッ! と吹っ飛んで散った。

「……お見事で、ございました」

 老ゴブリンが木陰から現れ、声をかけてくる。今の戦いに巻き込まれずにいたのは、まあ大したものではあった。

「偉大なる帝王の力と、レフィーネ・リアンフェネット様の慈悲深き御心を受け継ぎし御方よ……」

「よせ。それより貴様、俺のおふくろ様を知っているのか?」

「レフィーネ様は、私のような卑しきゴブリンにも、優しく接して下さる御方であらせられました」

 あの母ならそうだろう、とガイエルは思う。何しろ、得体の知れぬ赤い怪物を出産しながら動じず、それを己の息子として育ててしまうような女性である。人間ではない夫と息子に囲まれて平然と、妻で、母親でいられた女性である。

 ダルーハとは、恋仲ではあったらしい。

 だがガイエルは思う。赤き竜に嫁いだレフィーネ王女が、ダルーハに奪い返されていなければ。

 自分は魔族の王子としての運命を、疑問を抱く事なく受け入れていただろうか。

 今の自分は、魔族の側でも人間の側でもない、実に中途半端な位置に立っている。デーモンロードは、それが気に入らなかったようでもあった。

(……まあ知った事ではないな。魔物であろうが人間であろうが俺はただ、やりたい事をやるだけだ。殺したい者を、殺すだけだ。結果として助かる者が出て来る、事もあり得る。貴女のようにな、ティアンナ)

 顔面甲殻の内側でガイエルは、ぎりっ……と牙を噛み鳴らした。

 シナジール・バラモンが、ティアンナを狙っている。もはや一刻の猶予もない。

「老いぼれゴブリンよ、1つ訊く……ヴァスケリア前女王エル・ザナード1世を、貴様は知っているか? 名前くらいは」

「存じております……畏れ多くも竜の御子よ、貴方様を利用してダルーハ・ケスナーを亡き者とした、狡猾なる姫君でございましょう」

「そういう事に、なってしまうのか」

 ガイエルは少しだけ苦笑した。

「まあとにかく、その狡猾なる女王陛下を俺は捜しているのだ。バルムガルド王国内におられるのは、間違いないと思うのだが」

 シナジール・バラモンは、ティアンナの居場所を知っている様子だった。本当に、一刻の猶予もない。

「エル・ザナード1世……ティアンナ・エルベットが、バルムガルド王国内にどうやら入り込んでいるらしいとの情報は、確かに私どもも掴んではおりました」

 老ゴブリンが、跪いたまま恭しく言った。

「貴方様がお捜しとあらば……かの若き女王の動向と行方、詳細に調べ上げる事をお許しいただけましょうか?」

「出来るのか……」

 ガイエルは思わず、老ゴブリンの貧弱な身体を、掴んで揺さぶってしまいそうになっていた。

「この広大なバルムガルド王国全土から、たった1人の人間を見つけ出す事が……お前たちに、出来るのか」

「広大なるバルムガルド全土、至る所に我らの同志は身を潜めております」

 老ゴブリンは顔を上げ、血走った眼球をまじまじと見開き、ガイエルを見つめた。

「竜の御子よ、貴方様のお役に立つ事が……我ら魔族と人間の方々との共存の道に繋がると、愚考する事をお許し願えましょうか?」

「俺に出来る事は、させてもらう」

 ガイエルは片膝をつき、小さな老ゴブリンと目の高さを合わせた。

「頼む……一刻も早く、ティアンナを見つけてくれ」



「やめよ」

 デーモンロードの一声で、残骸兵士たちは動きを止めた。

 相手のデーモンたちは、動きを止めたと言うより、もはや動けぬ状態だった。

 25体から成るデーモンの1部隊。その全員が、負傷しあるいは体力を使い果たして、座り込んだり倒れたりしている。死亡者こそ出ていないものの、まあ全滅と言って差し支えない状態だ。

 対する残骸兵士40体の一団は、疲労の欠片も見せずに整然と隊列を組んでいる。レボルトの命令1つで、魔物の部隊をあと2つか3つくらいは相手に出来そうだ。

 ゴズム山中。岩窟魔宮近くの、開けた場所である。レボルトはここで、シナジール・バラモンの作り上げた兵士たちの調練を行っていた。今回は、デーモンの一団を相手とする、実戦形式の訓練である。

 高台の上からそれを見物していたデーモンロードが、惜しみない賞賛を口にした。

「うむ、実に見事であった。魔獣人間に成れなかった、言わば出来損ないの者どもとは言え……残骸兵士などという名は、もはやふさわしくあるまい。お前たちを魔人兵と呼称し、デーモン族よりも1つ上の待遇を与えよう」

「そのようなもの、要りませぬ」

 隊列を組んだ残骸兵士……いや魔人兵たちの中から、1名が進み出て言った。

「我らが貴方がたに望む事は、ただ1つ……」

「ふふ、わかっておるとも。お前たちの妻や子供は、このデーモンロードが責任を持って保護してやる」

 高台の上に立っているのは、青黒い巨体に包帯を巻き付けたデーモンロードと、歩兵鎧をまとう人間の若者の姿をしたレボルト・ハイマン、2名のみである。

(はた)から見ても、今の私は……この怪物の、忠実なる腹心か)

 レボルトは自嘲した。

 今は、この魔族の副将としての地位を最大限に活かし、バルムガルドの民を守り続けるしかない。

 そう思い定めつつデーモンロードに、ちらりと横目を向ける。

「いやはや、守るべき者を思う人間の力……やはり素晴らしきものよなあ、レボルト将軍」

 その言葉にレボルトは、無言で小さな一礼を返した。

 この隻眼の悪魔の役に立ち続ける限り、少なくとも女性と子供は守る事が出来る。

 高台の下では、負傷したデーモンたちが声を張り上げていた。

「デーモンロード様! 我ら、まだ敗れたわけではございませぬ! このような、このような者どもに……」

「お前たちは敗れたのだ。まず、それを認め受け入れよ」

 デーモンロードは、厳かに叱りつけた。

「敗北を認める……我ら魔族は、そこから学び直さねばならぬ。お前たちの中には、19年前の敗戦すら未だに受け入れておらぬ者がいるであろう? それでは勝てんのだよ」

 デーモンロード自身、己の敗北を認めざるを得ないところまで追い込まれたのであろうか。

 隻眼の悪魔の、傷跡が残る左半面を盗み見ながら、レボルトは思う。

 この傷を負わせた勇者が、今もまだ健在であるのなら、託さなければならないのであろうか。この恐るべき怪物の討伐と、バルムガルド王国の救済解放を。

「……デーモンロード殿に、1つお訊きしたい」

 今は忠実な腹心に徹するしかないまま、レボルトは問うた。

「竜の御子……ガイエル・ケスナーを討ち取った者に、魔族の統率者の地位を譲るという話。あれは本気なのか?」

 デーモンロードには今のところ、魔族の統率者であり続けてもらわなければならない。魔族にあって、バルムガルド国民を女子供だけとは言え保護してくれるのは、この隻眼の悪魔だけなのだ。

「無論、本気だ。我ら悪魔は契約を重んずる種族、嘘は言わぬ」

 デーモンロードは即答した。

「竜の御子を倒し、前帝王の血筋を断ち切った者が、魔族の新たなる帝王となる……そして私はそやつに叛逆し、討ち殺し、さらに新たなる帝王となる」

「……そういう事か」

 デーモンロードとしては、約束を破った事にはならないようである。

「要は、叛逆などさせぬよう私を力で押さえ付ける事が出来れば良いのだ。かの赤き竜のようにな」

「……そんな者が、いるとは思えんがな」

 魔族の帝王となるため奔走している者たちを、レボルトは思い浮かべた。オークロード、トロルロード、ギルマンロード。それに魔獣人間サーペントエルフ及びマイコフレイヤー。

 デーモンロードを力で押さえ付けられる者など、この中にはいない。

 ガイエル・ケスナーを倒せる者も、この中にはいない。

 もっともサーペントエルフあたりが何かしら奸智を働かせれば、どうなるか。

(何しろ貴様には……人質が効いてしまうのだからな、ガイエル・ケスナーよ)

 オーク兵士の集団がわらわらと現れて、苦痛と屈辱に呻くデーモンたちを担架に乗せ、運び去って行く。

 整然と隊列を組んだ魔人兵たちが、それを見送る。

 彼らを見下ろし、デーモンロードは言った。

「レボルトよ、貴様とて遠慮する事はないのだぞ? あの者どもを率いて、私に叛旗を翻してみてはどうだ」

「……悪い冗談は、やめていただこう」

 レボルトは、それだけを言った。

 さすがにデーモンロードを倒すのは無理であるにしても、並のデーモン1部隊を撃破する程度の力を持つに至った魔人兵たちを、レボルトは見やった。

 単なる人間の男たちをここまでのものに作り変えたシナジール・バラモンの力は、認めなければならない。

 そして女子供までもがこのような怪物とされてしまう前に、ガイエル・ケスナーとデーモンロード、双方を亡き者にしなければならない。

 そのためには。かつてゴルジ・バルカウスを利用しようとした時と同じく、シナジール・バラモンのこの技術にも、いくらか頼らねばならなくなるか。

 レボルトが思うと同時に、そのシナジール本人……魔獣人間サーペントエルフが、気取った歩調でこちらに近付いて来た。

「私の作品を御検分いただけたようですねぇ、デーモンロード様」

「見事な出来である」

 誉めながらデーモンロードは、隻眼で睨み据えた。

「人間どもを材料に、無尽蔵の精鋭兵士を作り上げる技術……それがあるからこそ、私は貴様を生かしておいてやっている。わかるな?」

「無論でございますとも……」

 表面上は恭しく一礼するシナジールに、レボルトは問いを投げた。

「……貴公、1人で戻って来たのか? 部隊を1つ、率いていたはずではなかったか」

「ふふん、あの者たちなら……私の役に立てる事を悦んで、死んでいきましたとも」

「何……っ」

「竜の御子……ガイエル・ケスナーとの戦いで、ね」

「貴様……私が調練した兵士たちを! 見殺しにして逃げて来たのか!」

 レボルトは激昂した。整った顔立ちがメキ……ッと痙攣し、人間の皮が剥がれそうになってしまう。

 シナジールは、冷ややかに言葉を返してきた。

「敵の力を知るために、兵士を使い捨てる……それもまた戦というもの。違いますか? レボルト将軍」

 半分だけ仮面に覆われた美貌が、ニヤリと醜悪に歪む。

「貴方は将軍として、1人の兵士も見殺しにした事がない……とでも?」

「…………ッッ!」

 レボルトは、怒声を呑み込まなければならなかった。

 西国境において、4000人もの自軍兵士を見殺しにしてしまったのは、他ならぬレボルト・ハイマン自身である。

「……なあシナジール大侯爵殿。貴公に1つ、訊きたい事がある」

 デーモンロードが、仲裁をするかのように言葉を挟んでくる。

「ギルマンロード及びトロルロード……一昨日あたりから、この両名と連絡が取れぬ。何かご存じではないか」

「さて、ギルマンロード殿の方は存じ上げませんが」

 シナジールは、どこか得意気に即答した。

「トロルロード殿は……実は先日、ガイエル・ケスナーとの戦いで、名誉ある戦死を遂げられてしまったのです」

「ほう……」

「御遺体は、このシナジールがお預かりしております……新たなる魔族の力として、生き返っていただくために」

「まあ、いろいろとやってみるのは悪い事ではない。だがシナジールよ、1つ忠告しておこう」

 全身に巻かれた包帯を無造作に引きちぎりながら、デーモンロードは言った。

「あまり他者を利用しようとせぬ方が良い。そうした策に溺れても、ろくな事にはならん……私は最近それを、ある人間どもに思い知らされた」

 包帯の下から現れたのは、強大なる筋肉でパンパンに張り詰めた、艶やかな青黒い外皮である。ガイエルとの戦いで負った傷など、今や跡すら残っていない。

 ただ1つ残った傷跡が、顔面を走って左目を潰している。

 その斬撃の痕跡をデーモンロードは、太い指でゆっくりとなぞった。

「己1人で戦い抜くだけの力がなければ、いかなる謀略も無意味……それを私に、強烈に教え込んでくれた人間どもがいる」

 デーモンロードの声に、押し殺しても殺しきれぬ怒りが宿る。

 シナジールが怯えて青ざめ、立ちすくんだ。

 それを一瞥もせずデーモンロードは、なおも重く低く、怒り呻く。

「礼をせねばならぬ……あやつらには、この私の手で……!」

 生きているのだ、とレボルトは確信した。

 デーモンロードにこれだけの傷を負わせた何者かが、今この世に、確かに存在しているのだ。

(見知らぬ勇者よ……私は貴公に、希望を抱いても良いのか……?)

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