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第84話 レッド・ドラゴン

 狩りで獣を仕留めた時、まず真っ先にしなければならないのは、血を抜く事である。

 血の回った肉は、生臭くて食えたものではない。少なくとも人間の食い物ではない。あんなものを食えるのは野の獣だけだ。お前は、人間の食い物を食えるようになれ。そして人間として生きろ。そうしなければ、レフィーネが悲しむ。

 父ダルーハはそう言って、狩りで仕留めた獣の、血を抜くやり方や解体の仕方、肉の焼き方まで、丁寧に教えてくれたものだ。

 教わった通りに焼き上げた猪肉をかじりながらガイエルは、己の手で殺した父親の、かつての言葉を思い返していた。

 ガイエルよ、貴様が人間であろうが化け物であろうが俺は一向に構わん。ただ1つ、レフィーネを悲しませるような事だけは絶対にするなよ。それをしたら、俺は貴様を叩き殺す……

「その言葉、そっくりそのまま返す事になってしまったな親父殿」

 苦笑しつつガイエルは、猪の太い骨から分厚い肉塊を食いちぎった。

 森の中である。

 出来るだけ樹々のまばらな場所を選んでガイエルは、焚き火をして肉を焼いていた。昼飯、には少々遅い時間帯である。

 こうして獣肉を食らっていると、人間の肉はこれと違う味わいなのであろうか、などと考えてしまわない事もない。

 これまで大量の人間を殺戮してきたが、殺したついでに食ってしまおうなどと思った事は、今のところ1度もない。

 人間を、捕食の対象とせずに済んでいるうちは、まだ辛うじて人間の側にいられるか。

 そう思いかけてガイエルは、己を嘲笑したい気分に襲われた。

「馬鹿な……人間の側にいたい、などと考えているのか俺は」

 今はこうして、旅用のマントと粗末な衣服をまとった赤毛の若者、という人間の姿をしていても、その下には醜悪な怪物の肉体が隠されているのだ。

 今さら思うまでもない。自分ガイエル・ケスナーは、人間ではないのだ。

 せめて心だけでも人間の側にとどめておきたい、などと願っているのだとしたら、お笑い種としか言いようがない。

 人間を守って、戦っているのか。レボルト・ハイマンから、そんな意味の問いかけをされた。

 それは違う、とガイエルは断言出来る。自分が守りたいものは、人間という種族そのものではない。そんな力はない。

 自分が守りたいものは、ただ1つ。ただ1人。

 母レフィーネと同じように微笑む1人の少女の顔が、脳裏に浮かぶ。

 ガイエルは頭を振って、それを払い消した。

 何かを、誰かを、守るために戦う。自分にこれほど似合わぬ言葉があろうか。

「俺が戦うのは、ただ残虐だからだ。それ以上でもそれ以下でもない……」

 似合わぬ思考を頭の中から追い出しつつ、ガイエルは森の一角を睨み据えた。

 不快極まる気配が、そちらから伝わって来る。

 茂みをガサガサと掻き分けて、小さな人影が木陰から転がり出て来た。

「ひぃ……お、お助けを……」

 子供、いや老人か。

 小柄で痩せ細った貧弱な身体を、辛うじて衣服と呼べるボロ布で包んでいる。赤茶色の皮膚は皺だらけで、それでも多少は筋肉を内包しているようだ。

 頭には1本の頭髪もなく、老いさらばえ痩せこけた顔は、まるで剥き出しの頭蓋骨である。ぎょろりと見開かれた両眼は、疲労と恐怖で血走っている。

 人間ではない。ゴブリンである。

 魔物とか怪物とか呼ばれている者たちの中では、オークと並ぶ最下級種族だ。腕力はオークに劣るものの知能は高く、立ち回り方も巧みで、魔族の中ではオーク族よりも上に立つ事が多いという。

 老いた1匹のゴブリンが、何かに追われている様子で、ガイエルの眼前に転げ出て来たのである。

「お助けを……どうかお助け下さい、そこの御方……」

「そこの御方、というのは俺の事か」

 ガイエルは、とりあえず会話に応じた。

「見ての通り食事中だ。面倒事を持ち込まれても困るのだがな」

「そ、そのような事をおっしゃらず……どうか、お助けを……」

 この老ゴブリンが何からの助けを求めているのかは、すぐ明らかになった。

 図体の大きな生き物が3匹、木々を押しのけるようにして姿を現したのだ。

「見ぃーつけたぁお爺ちゃん。駄目でしょお逃げたりしちゃあああ!」

「ほんっとゴブリンって連中はよぉ、こぉんなジジイでも逃げ足だきゃあ速ぇんだよなあ」

 食事中だと言うのに耳障りに喚きながら、それぞれ大斧・大剣・鎚矛を振り立てて老ゴブリンに迫る、3つの巨体。その筋肉も外皮も、まるで岩のようだ。

 トロルである。

 3匹ものトロルが、1匹の年老いたゴブリンを、寄ってたかって虐めにかかる。

「やっぱ老い先短え奴ぁ命知らずだよなあ。おめえ何つった? トロルロード様に向かって何つったよオイ」

「俺らの大将に向かって、どーゆう御立派な意見のたまいやがったのか、もいっぺん聞かしてくんねーかなァお爺ちゃんよお」

 トロルの1匹に巨大な剣を突き付けられ、老ゴブリンは腰を抜かしたまま言った。

「わ、私はただ、人間の方々への暴虐はおやめ下さるようにと、トロルロード様に申し上げただけで」

「すげえ! すげえよジジイてめえ。トロルロード様にそんな口きくなんて、おめえダルーハ・ケスナー並みの勇者だよ!」

 笑い喚きながらトロルが大剣を振り上げ、老ゴブリンに向かって振り下ろそうとする。

「だから殺す! 死んじまいやがれやダルーハみてえによォオオオオ!」

「おい」

 ガイエルは声を投げた。

 老いたゴブリンを叩き斬ろうとしていたトロルが、とりあえずその動きを止めてこちらを睨む。

「何だ、てめえは……」

「俺は、1人飯が大好きでなあ」

 訊かれてもいない事を、ガイエルは語った。

「それを邪魔されると、何と言うかこう、すこぶる残虐な気分になってしまうのだよ……人の食事時にやかましく喚き立てる輩は、黙らせる。そうしないと美味い肉が食えん。俺が殺した猪にも、申し訳がない」

「何言ってやがる……」

「わからんのか。貴様らを殺す理由を、わざわざ教えてやっていると言うのに」

 猪の骨付き肉に、ぱらぱらと岩塩をまぶしながら、ガイエルは言った。

 トロル3匹が、もはや老ゴブリンなど眼中にない様子で、こちらに向かって来る。

「殺す……っつったか今? 人間の分際で、俺ら魔族によォ」

「命知らずだなあテメエ。人間なんざぁ俺らがデコピンしただけで死んじまうんだからよぉ、もうちっと命大事にした方がいいんじゃねえのかい」

「ま、今さら命乞いしても遅ぇえけどなあ。男は別に殺してイイって言われてんからよ……今この国で人間がデケエ面しやがるとどうなるか、ちゃんと教えてやんねーとなぁあ」

 迫り来るトロルたちに対し、ガイエルはゆらりと立ち上がった。塩味のついた肉を、かじりながらだ。

「……ふむ、俺が人間に見えるか」

 綺麗なほど白く鋭い牙が、猪の肉も骨もまとめてバリバリと噛み砕く。

「野の獣は、こうして食える。だが貴様ら魔族という連中は、どう手間かけて調理したところで豚の餌にすらなりそうにないな……雑草の肥やしにでも、なるがいい」

「俺ぁテメーをハラワタから食らってやるぜェー美味そうな兄ちゃんよォオオオ!」

 3匹のトロルが、一斉に襲いかかって来る。大斧が、鎚矛と大剣が、それぞれ別方向から振り下ろされてガイエルを襲う。

 連携も何もない、力任せで乱雑極まる襲撃だった。こんなやり方で殺せる相手としか、戦った事がないのであろう。

 猪の骨をかじりながらガイエルは身を揺らし、かわした。マントと赤い髪が、大剣に、鎚矛に、大斧に、煽られて舞う。

 長髪とマントを翻しつつガイエルは、1匹のトロルの背後へと回り込んでいた。

「てめ……!」

 いくらか慌てて振り返りながらトロルが、鎚矛を叩き付けて来る。

 ガイエルは、かわさなかった。かわさなければならない位置に鎚矛が達する、その前に身を捻り、左足を離陸させていた。

 高速の蹴りが、トロルの腹をズドッ! と凹ませる。巨体がへし曲がり、悲鳴を漏らす頭部が、お辞儀の形に下がって来た。

 その頭をガイエルは両手で掴み止め、捻った。

 鈍い音が響いた。

 頸骨は折れたが、首の強固な筋肉をねじ切る事は出来なかった。

 もう2周、3周と捻ってから、ガイエルは両手を離した。

 骨が折れ、何周か捻られていたトロルの首が、ギュルルルッと反動回転する。呆れるほど強靭な、首筋肉である。

 そこを狙って、ガイエルは右の手刀を振り下ろした。

 断頭台の刃の如き一撃が、トロルの捻れた頸部を叩き斬った。生首がギュルルルッと回転を保ったまま、飛んで行く。

 頭部を失ったトロルの巨体が、ガイエルの足元にどうっと倒れ、首を探し求めるかのように重々しく這いずりつつ、ゆっくり力尽きてゆく。

 その大きな屍を踏み付けて、ガイエルは跳躍していた。

 呆然としている残り2匹のトロル。その片方に向かって、空中からまっすぐに右足を叩き込む。投槍にも似た飛び蹴り。それが、トロルの分厚い左胸板にめり込んだ。

 心臓を蹴り潰した感触をしっかりと踏み締めながら、ガイエルは後方へと宙返りを打ち、着地した。

 左胸にくっきりと足跡を刻印されたトロルが、汚らしい血反吐をゴバァーッと宙にぶちまけながら倒れてゆく。

 トロル特有の再生能力が働く前に心臓を粉砕された、巨大な屍。その近くで3匹目のトロルが、大斧を放り出しつつヘナヘナと膝から座り込んだ。

「わ……わかった、悪かったよ兄ちゃん。俺らの負けだ。ダルーハも死んだってのに、まさか人間どもの中にアンタみてえな強い人がまだいるなんて、しししし知らなかったからよぉ……」

 へらへらと笑いながら、その醜く卑屈な笑顔を引きつらせ強張らせ、トロルが命乞いを始める。

「ほ、ほんと悪かったって……たっ頼む、頼みます、お願いします! 命ばかりはお助けを!」

「貴様は、俺が残虐であるという事を知らんようだな」

 ガイエルはそれだけを言って右足をひょいと跳ね上げ、振り下ろした。

 振り下ろされた踵が、トロルの頭頂部から顔面にかけてをグチャリと押し潰す。眼球が、脳髄もろとも押し出されて涙の如く散った。

 ガイエルはそのまま、トロルの潰れた頭部を右足で踏み付けた。

 踏み倒された巨体が、地面でのたうち暴れる。砕けた頭蓋骨や脳や眼球その他諸々が、ガイエルの右足の下で激しく蠢いた。再生の蠢き。それが、徐々に弱まってゆく。

 ぐりぐりと容赦なく踏み付けながらガイエルは、まだ腰を抜かしたままの老ゴブリンをちらりと睨み、声を投げた。

「おい貴様……ゴブリンの分際で、先程は随分と興味深い事を言っていたな? 人間への暴虐はやめろ、などと」

「え……あ、はい……」

 老ゴブリンが、怯えながらも応対する。

「信じてはいただけませんでしょうが、魔族の中にも平和を愛する者たちはおります。そもそも人間の方々ヘの暴虐行為が、一体いかなる事態をもたらすのか、我ら魔族は19年前に教訓としておかなければならなかったのです」

「ふむ、それはそうだ」

 力尽きて動きを止め、屍となったトロル。その潰れた頭部から、ガイエルはようやく右足をどけた。

 19年前、ダルーハもこんなふうに、トロルやらオークやらゴブリンやらを大いに虐殺したのであろう。

「人間の方々との共存こそが、これからの魔族が歩むべき道。そう思う者は私だけではなく、オーク族やギルマン族にも少数ながらおりまして、声を上げてもいるのですが……デーモンロード様には、お聞き入れいただけず」

「だろうな。あの怪物が人間との共存の道など、選ぶはずがない」

 デーモンロード。恐るべき敵であった。今思い返しても、鳥肌が立つ。

 メイフェム・グリムがいなかったら、自分は果たして、あの戦いを生きて終える事が出来ていたであろうか。

 思い返しながらガイエルは、串に刺して焚き火にくべてあった猪肉の1つを、老ゴブリンに差し出してみた。

「食うか?」

「お気遣いなく。今や年老いて歯も弱く、柔らかな腐肉しか受け付けぬ身でございます」

 応えつつも老ゴブリンが、まじまじとガイエルを見つめている。

「それより、デーモンロード様をご存じでいらっしゃるのですか? よもや人間の方が……」

 言いながら、息を呑む。

「いや……貴方様は、人間でいらっしゃらない……?」

「……まあ、な」

 適当に受け流しながらガイエルは、串刺しの肉に岩塩をまぶし、かじりついた。

 味は悪くない。ただ、骨付きでないと歯応えが今ひとつという気はする。

 老ゴブリンの血走った両眼が、ガイエルに向かって、さらに見開かれてゆく。

「……! あ、貴方は……貴方様はもしや……!」

「何だ、見た事があるような口をきくな。俺は貴様など知らんぞ」

 そう言うガイエルに対し老ゴブリンは、弱々しく恭しく、跪いていた。

「い……偉大なる帝王の、御血筋……このような所で……」

「やめろ、おい……」

 辟易しかけたガイエルだが、すぐに眼光を鋭くして、周囲を睨んだ。

 取り囲まれていた。

 視界内、全ての木陰で、トロルたちが巨体を見え隠れさせている。20匹以上はいるであろうか。

 その中から特に大柄な1匹が、ずいと進み出て来た。

「俺に生意気なクチききやがった爺ぃゴブリンを、助けやがるたぁ……要するに俺にケンカ売ったと、そーゆう事でいいんだよなあ?」

 岩の如く盛り上がった、筋肉と外皮。そのあちこちに、暗緑色の苔が繁茂している。そんな苔むした巨体に鎖を巻き付け、大型の剣を背負ったトロルである。

「ったく、ダルーハの野郎は死んだってのに、まぁだこんなワケわかんねえ馬鹿がいやがんのか、人間どもの中にゃあ」

「口をお慎み下さい、トロルロード様」

 老ゴブリンが、怯えながらも毅然と言った。

「御無礼はなりません……こちらの御方を、どなたと心得ておられますか」

「何だぁ? トチ狂ってんじゃねえぞ雑魚ジジイ!」

「……食事中の礼儀というものを叩き込んでやる必要がありそうだな、貴様ら魔族には」

 溜め息混じりに、ガイエルは微笑んで見せた。

「なに、難しい礼儀ではない。1人飯の最中は静かにしていろと、ただそれだけの事だ。トロルどもの頭でも理解出来るよう、今から懇切丁寧に教え込んでやろう」

 20匹以上ものトロルが全方向から迫りつつある中、ガイエルは傲然と佇みながら、ゆらりと右手を掲げた。

「……静かに、させてやるとも」

「このガキ……!」

 激怒しかけたトロルロードを嘲るようにガイエルは、掲げた右掌をゆっくりと眼前まで下ろした。右手で、顔面を撫で覆うような仕草である。

 指と指の間からトロルロードを睨み据えながら、ガイエルは声を発した。

「……悪竜転身」

 全身から、マントと衣服がちぎれ飛んだ。また新しいものを購わなければならない。

 細かな布切れを蹴散らして翼が広がり、尻尾が伸びてうねる。

「おお……おおおお……」

 老ゴブリンが、跪いたまま興奮している。そのまま逝ってしまうのではないかと心配になるほどだ。

 トロルロードは、そんな声も出せぬくらいに驚愕し固まっていた。

 ゆっくりと、ガイエルは右手を顔面から離した。人の前腕の形をした甲殻生物、のような右手。仮面状の外骨格をまとう顔面。その中で、真紅の光を爛々と燃えたぎらせる両眼。

 レボルト・ハイマンが「赤き魔人」と呼ぶ怪物の姿が、そこに出現していた。

「なッ……」

 トロルロードが、ようやく声を発した。

「何だ、てめえ……ま、魔獣人間か……?」

「……まあ、似たようなものだ」

 訂正させるのも面倒になったガイエルの代わりに、老ゴブリンが嗚咽混じりの声を発する。

「この御威光……まさに、まさに帝王の証……偉大なる帝王と、慈悲深きレフィーネ・リアンフェネット様の御子よ……何と、御立派になられて……」

「……そうかい。噂に聞く竜の御子ってのぁ、おめえさんの事か」

 トロルロードが、いくらか狼狽しつつも牙を剥いて笑う。

「あんたを倒しゃあ、魔族のアタマは俺のもんだ……悪いが死んでもらうぜ御子ちゃんよぉお」

「ふむ、俺を倒した者が魔族の頭領か……光栄な話だ。迷惑なほどにな」

 ガイエルは軽く左手を掲げ、拳を握った。

 手首から肘にかけて生えた刃のヒレが、じゃきっ……と音を発して広がった。

「つまり貴様らのような輩が、この先も現れては俺の命を狙い続けると。そういうわけか」

「安心しろ、そんなコトにゃあならねえよ」

 トロルロードが、背負った大剣の柄を握る。

 苔むした巨体のその背中で、大型の鞘が棺の如く開いた。

 そんな仕掛けでもなければ抜けないであろう巨大な刃を、トロルロードが豪快に振りかざす。

「何しろテメエはここで死ぬ! てめえの首はここで獲る! 他のどいつにも獲らせやしねええ!」

 その叫びを号令として、20体以上ものトロルたちが一斉に襲いかかって来た。様々な大型武器が、様々な方向から降り注ぐ。

「地位と報酬に目がくらんだか……かわいそうに」

 その襲撃のまっただ中へとガイエルは踏み込み、身を捻った。

「……綺麗な死体には、ならんぞ」

 真紅の大蛇の如き尻尾が、横殴りに宙を裂いて弧を描き、トロルたちを打ち据えた。

 再生能力を有する巨体が2つ、3つ、再生しようもないほど粉々に破裂して噴き上がった。

 尻尾に続いてガイエルの左足が、後ろ回し蹴りの形に一閃し、さらに1匹のトロルを粉砕する。

 臓物のこびりついた左足を着地させつつ、ガイエルは右足を跳ね上げた。竜巻にも似た、回し蹴り。戦斧で防御の構えを取っていた1匹のトロルが、その戦斧もろともグシャアッ! と砕け散って再生不可能となる。

 振り切った右足を、ガイエルは着地させずに別方向へと突き込んだ。

 戦鎚で殴り掛かって来たトロルの胸板に、その蹴りが突き刺さる。

 心臓と肺が脊柱もろとも破裂して、そのトロルの背中から噴出した。

 凄まじい攻撃の気配が、後方から押し寄せて来る。

 トロルロードが大剣を振り上げ、猛然と斬り掛かって来たところだった。

 ガイエルは、振り向きながら右腕を振るった。ヒレ状の刃が、トロルロードの大剣と激突する。

 焦げ臭い火花が散った。

 弾き返された大剣が、しかし即座に別方向から、唸りを立てて襲って来る。

 確かに非凡ではある剛力と技量によって繰り出された斬撃を、ガイエルは左腕のヒレで受け流した。そうしながら、右足を高速離陸させる。

 竜の爪を生やした蹴りが、トロルロードの腹部に突き刺さった。

「あッが……ぐ……っ」

 苔むした巨体が倒れ込み、苦しげに腹を抱える。抱えきれないものがドプドプッと汚らしく溢れ出していた。

 臓物だった。

 それらが寄生虫の群れの如く蠢きながら、しかし凄まじい速度で、トロルロードの腹へと吸い込まれてゆく。

 ガイエルの蹴りによって生じた傷口が、臓物を吸い込むと同時に塞がって、痕跡もなくなった。雑兵級のトロルたちとは桁違いの再生能力ではある。

「へっ……無駄だってのよ御子様よォ。俺を殺すなんざぁデーモンロードにだって出来やしねえ!」

 魔族の統率者であるはずの怪物を呼び捨てにしながら、トロルロードが敏捷に起き上がり、大剣を構え直す。今度は、刺突の構えだった。

 突きかかって来られる前に、しかしガイエルは右拳を叩き込んでいた。

 なおも何か喚こうとしていたトロルロードの口元が、グシャリと歪んで潰れた。

 折れた牙が、鮮血と唾液の飛沫に混じって飛び散った。

 ちぎれかけた舌と砕けた下顎をだらりと垂れ下がらせて、トロルロードが再び倒れ込む。牙も舌も顎も、すぐに再生してしまうのであろうが。

「再生能力とは難儀なものだな。痛み苦しみが、際限なく続く……かわいそうに」

 ガイエルが声をかけると、トロルロードは表記不可能な面白い悲鳴を漏らした。

 下顎の潰れた顔面を青ざめさせ、立ち上がれぬまま尻を引きずって後退りする、苔むした巨体。

 ガイエルは1歩、迫りつつ、右腕を掲げた。刃のヒレが、赤く熱く、発光を始める。

「一撃で殺してやれなくて、本当にすまんな……今、楽にしてやる」

「ひっ……ぎ……」

 砕けた顎や舌をグジュグジュと再生させつつ、トロルロードが怯えている。

 それを、何者かが嘲笑った。

「まったく無様なものですねえ……貴方がた純粋なる魔族とやらの力など、所詮はそんなものという事です。受け入れなさい? 現実を」

 嫌味なほどに、優雅な口調。

 木陰からユラリと姿を現したのは、ガイエルにとって見覚えのある、1体の魔獣人間だった。

 甲冑のような青い鱗をまとう長身、左半分にだけ仮面を貼り付けた美貌。

「し……シナジール……バラモンてめえ……」

 辛うじて言葉を喋れるほどに再生回復した口で、トロルロードが呻く。

 優雅な歩調で進み出て来た魔獣人間に、ガイエルはとりあえず問いかけた。

「シナジール・バラモンというのか貴様……ちょうどいい、訊きたい事がある。貴様ら魔獣人間とデーモンロード、一体いかなる関係で結び付いている?」

「ふ……この私が叡智をもって魔族を利用しているだけの事。叡智なく美もなく力だけの、貴方のような怪物には到底、理解し得ぬ高度なる策略が今、動いているのですよ」

「まあ理解したいとも思わん。要は、貴様もここで死ぬという事……」

 言いかけて、ガイエルは見回した。

 不快な気配が、群がって来ている。まだ何匹か生き残っているトロルたち、ではない。

 何とも形容しようのない生き物が多数、シナジール・バラモンに付き従う形に、あちこちの木陰から姿を現していた。

 どれもこれも一応、人間の体型をしている。が、明らかに人間でも、それに恐らく魔族でもない。

 剥き出しの臓物か筋肉か、判然としない有機物が、集まり固まって人型を成している。

 そんな姿の生き物たちが、辛うじて聞き取れる声を発している。

「うぉお……ああぁあ……くっ苦しい、熱い寒い……」

「耐えろ……俺たち男が、耐えるしかないんだ……」

「や、約束……守ってくれる、のであろうなシナジール殿……私たちが戦えば、女子供は助けてくれるという……」

「俺たちの女房子供には一切、手を出さないという……」

 シナジールが、舌打ちをしながらも答えた。

「全ては、お前たちの働き次第……さあ戦いなさい残骸兵士ども。魔獣人間に成り損なった、その無様なる命を捨てて」

 半分だけ仮面に覆われた美貌が、ニヤリと醜悪にねじ曲がった。

「人間を守るために戦う竜の御子よ、この者たちを殺す事が出来ますか? そんな事をしたら苦しみますよ? この出来損ないどもではなく、貴方がね」

「貴様…………!」

 このシナジール・バラモンという男が何者なのか、ガイエルはこれ以上の会話の必要もなく理解した。

 かつてダルーハの側近に、同じような男がいたのだ。

 ガイエルは結局、その男を殺し損ねた。驚くべき事に、ティアンナが仕留めてくれたようである。

 今、ここに彼女はいない。ガイエルが殺すしかない。

「苦しい思いをしたくなければ、大人しく殺されなさい? 竜の御子よ」

 シナジールが言う。一刻も早く黙らせなければ、とガイエルは思った。

「そうすれば、魔族の帝王の地位は私のもの。この国の……否、この世の人間、老若男女全てが私の叡智によって、至高の魔獣人間となるのです。まあ時には、このような出来損ないも生まれてしまいますがね……失敗作もみだりに廃棄せず、こうして巧みに使い捨てる。これこそ、まさに叡智というもの」

 聞くに耐えぬ言葉を吐く魔獣人間を護衛する格好で、残骸兵士たちがのたのたとガイエルの眼前に進み出て来た。

「だ……誰かは知らんが頼む、俺たちに殺されてくれえぇ……」

「私は……妻と娘を、守らなければならないんだ……」

「俺の弟が、もうすぐ15歳になっちまう……その前に、俺が手柄を立てないと……弟も、俺たちみたいに……」

 耳を塞ぎたくなる思いに、ガイエルは耐えた。耳を塞ぐ事など、許されない。

 自分は今から、この者たちを殺すのだから。

(躊躇う資格など貴様にはないのだぞ、ガイエル・ケスナーよ……)

 己自身に、ガイエルは心の中で言い聞かせた。

 これまで殺戮しかしてこなかった自分に今更、躊躇う資格などないのだ。

(貴様は残虐なのだ、ガイエル……!)

 美味い肉など、もはや食えそうになかった。 

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