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第83話 調査開始

 マディック・ラザンの右拳から、緑色の光が左右に細長く伸びて固まった。

 光の棒を右手で握り込んでいる、ような感じである。

 そんなマディックに、オークとギルマンが数匹ずつ、様々な武器で斬り掛かり、突きかかり、殴り掛かって行く。

 彼らに向かって、マディックからも踏み込んで行った。光の棒を振るいながら。

 いや。光の棒は、槍として実体化を遂げていた。魔法の槍。それが振り回されてブゥーン! と激しい唸りを発する。

 穂先が、襲い来るオークたちの生首を2つ3つと刎ね上げた。

 長柄が、ギルマンたちの胴体をへし曲げて臓物を粉砕し、背骨を叩き折る。

 計10匹近いオークとギルマンが屍に変わって倒れ伏す、その光景のまっただ中で、マディックは槍を止めた。

「我……」

 その身体はすでに、魔法の鎧に包まれている。頭から爪先に至るまで一ヵ所の露出もない、緑色の全身甲冑。

「汝、殺すなかれ……の破戒者とならん」

 仮面のような面頬の内側で、マディックは祈りを呟いていた。

「……唯一神よ、罰を与えたまえ」

「汝殺すなかれ、の対象に入っちゃうわけ? こいつらも」

 同じく魔法の鎧を装着し終えて、シェファは言った。そこそこ自信のある身体の曲線をぴったりと際立たせる感じに、薄い青色の甲冑が全身に貼り付いている。所々に小さな魔石が埋め込まれた、魔法の鎧。

 体内で信じられないほど激烈に増幅されてゆく魔力を、シェファはほんの少しだけ、右手から杖へと流し込んだ。

 魔石の杖が、バチバチッ! と電光を帯びた。

「生きとし生けるもの全てを例外差別なく愛せよ……ローエン派では、そう教えている。たとえ魔物や怪物の類であろうとな」

 マディックは答えながら、魔法の槍をギルマンロードに向けた。

「右の頬を打たれたら左の頬を差し出すべし、とローエン派では教えている……たとえ相手が魔物や怪物の類であろうと、抗う事なく差し出せと」

「……ローエン派って、自殺宗教?」

「あくまで心構えさ。現実的にはそんな事やってはいられないと、わかった上での心構え。宗教ってのはそんなものだと、俺は思う」

 じりじりと包囲を狭めようとするオークやギルマンの群れを、槍先で威嚇しつつ、マディックは言う。

「俺もな、破門されたとは言えローエン派で学んだ身だ。この心構えに、出来る限りは忠実でいたい……だから大人しく立ち去れ、魔物ども。お前たちから得るべき情報は、すでに得た」

 デーモンロードが復活し、このバルムガルド王国に災厄をもたらしている。それがわかっただけで、調査の目的は果たしたと言えなくもない。

「人間ども……そんなものを身に着けただけで、我ら魔族と同格以上の力を得たつもりか」

 ギルマンロードが言いながら、魔法の槍に対して三又槍を構え直す。

「……ふむ、デーモンロード様が時折言っておられた魔法の鎧というものか。だがそんなもので、貴様ら人間ども生来の非力さを補う事など出来はせん」

 複数の魔法の鎧を相手に、1度は退却を強いられた。

 それをデーモンロードが正直に、配下の魔物たちに話しているのかどうかは、わからない。

 とにかくシェファたちは、退却を強いるところまでしか出来なかった。あの怪物を、討ち損じてしまった。

 そのせいで今、他国の人民が大変な迷惑を被っている。

 リムレオンがこの事を知ったら、自責の念に苛まれるだろう。大いに落ち込んで、うじうじと鬱陶しく悩み続けるに違いない。

 そしてサン・ローデル領主の地位と責任を放り捨て単身、バルムガルド王国へと乗り込んで来るに決まっている。

(デーモンロードは、あたしがきっちり仕留める……リム様になんか、何にもさせてあげないっ)

 シェファは声に出さず呟き、奥歯をキリッ……と噛み締めた。

 仲直り、などとマディックは言っていた。

 必要ない、とシェファは思う。今は、そんな場合ではない。

 わかっていながらも面頬の内側で、つい漏らしてしまう。

「リム様の馬鹿……」

 猛烈に腹が立ってきた。

 怒りの魔力が、電撃と化して魔石の杖に流れ込み、雷鳴を発する。

「お、おい……」

「馬鹿、リム様の馬鹿……リム様のばかぁあッ!」

 怒声を張り上げながら、シェファは駆け出していた。周囲で武器を構えるオークの兵団に、ギルマンの群れに、電撃の杖で殴り掛かって行く。

 戦斧で応戦しようとしたオークの、顔面がグシャッと歪んだ。電光をまとう杖の先端、魔石の部分が、叩き込まれていた。

 歪んだ顔面から電撃を流し込まれたオークが、奇怪な感電の踊りを披露しながら絶命する。

 その間、シェファは別方向に踏み込み、思いきり身を捻っていた。青く武装した細腕が、電光の杖を横殴りに振るう。風を切る音と雷鳴が、一緒くたに響いた。

 オークが1匹、ギルマンが2匹、叩きのめされ揺らぎながら電熱に灼かれ、焦げ臭さを振りまきながら死体に変わり、倒れ伏す。

 穏便に事を運ぼうとしていたマディックには悪いが、この怪物たちが、言われただけで大人しく立ち去ってくれる事など、まず有り得ない。戦いになるのは目に見えている。となれば、こうして先手を取るべきである。

「リム様のバカ! 人の気も知らないでっ!」

 攻撃対象である魔物たち、ではない相手に対して、シェファは怒りを燃やした。魔力を、燃やした。

 魔法の鎧の全身に埋め込まれた魔石が、赤い輝きを発する。

 シェファの周囲に、いくつもの火の玉が生じて浮かび、小さな太陽の如く燃え盛った。

 マディックが、慌てた。

「お、おいやめろ! ここは街中だぞ、人が大勢いる!」

「誤爆なんて、しないから……!」

 シェファが呻くように応えると、それを合図として、燃え盛る火球たちが一斉に飛んだ。ギルマンロード1体に向かって、まるで流星群の如く。

「む……」

 少しだけ驚愕した様子を見せつつギルマンロードは、落ち着いて三又槍を振るった。金属製の長柄が、唸りを発して弧を描き、襲来する火球をことごとく打ち砕く。

 剛力と技量を兼ね備えた、恐るべき槍術だった。

 流星のような火球たちが、唸る三又槍によって片っ端から粉砕され、爆発した。いくつもの爆発が、あらゆる方向からギルマンロードを襲う。

 複数の爆炎が、まとまって1本の火柱と化し、ギルマンロードを閉じ込めながら燃え上がり、噴き上がった。

 その内部で、ギルマンロードが消し炭に変わってゆく。そのように思えた。

 だが次の瞬間、爆炎の火柱は内部から粉砕され、火の粉と化して飛び散った。

 三又槍を振りかざし、火の粉を蹴散らし、ギルマンロードが飛び出して来る。焼け焦げた鱗を何枚か振り落とし、微かな焦げ臭さを引きずりながらだ。僅かな火傷くらいは、負ったのだろうか。

「その程度の火力で小娘! 水の将たるこのギルマンロードに、どれほどの痛手を与えられると思ったのだ!」

 勝ち誇った嘲笑に合わせて、三又槍がシェファを襲う。

 そこへ横合いからマディックが踏み込み、魔法の槍を突き入れて来た。

 火花が散った。

 シェファを襲った三又の穂先を、マディックが長柄で受け止めたのだ。

 魔法の槍と魔族の三又槍が、鍔迫り合いのような形に交わって震える。が、それも一瞬の事だった。

「非力!」

 ギルマンロードが一言だけ嘲笑しつつ、三又槍をグリッと回転させる。

 その回転に巻き込まれた魔法の槍が、マディックの両手からもぎ取られ、高々と宙に放り上げられた。

「あっ……ぐ……ッ」

 得物を失ったマディックに、ギルマンロードが容赦なく突きを喰らわせる。三又の穂先が、緑色の甲冑の胸板を直撃し、血飛沫のような火花を散らせた。

 魔法の鎧でなければ、本当に鮮血が飛散し、マディックの心臓は穿たれていたところだ。

 左胸を押さえてよろめきながらもマディックは、ギルマンロードのさらなる一撃を、後方へと跳躍してかわした。

 そして、檻車の近くに着地する。

 5台もの檻車に閉じ込められた男たちを、町の女たちが助け出そうとしている。

 それを妨害するべくオークが、ギルマンが、群れを成して襲いかかって行く。

「させるか……!」

 その襲撃を押しとどめようとするかのように、マディックは両手を前方に掲げた。

 それで、怪物たちの襲撃は本当に押しとどめられてしまった。何匹ものオーク兵が、ギルマンたちが、目に見えぬ壁に激突して揺らぎ、あるいは転倒している。

 見えざる防壁。

 聖職者マディック・ラザンによる、唯一神の加護の発現が、そこで起こっていた。

「ふん……小賢しきものよな」

 ギルマンロードが吐き捨てながら、三又槍をシェファに向ける。

「人間どもが、魔法の鎧でいささか強くはなっておるようだが……そんなもので! 魔族との力の差が埋まると思うかっ!」

 嘲笑を怒声に変えながら、ギルマンロードは踏み込んで来た。

 猛然と襲い来る三又の槍を、シェファは、よろめくように回避した。

 よろめく少女を容赦なく狙って、三又の穂先が、金属の長柄が、弧を描き、あるいは突き込まれて来る。

「くっ……!」

 唸りを発して自分の身体をかすめて行く、それら攻撃を、シェファは懸命に見据えた。

 ギルマンロードが繰り出して来る、穂先による刺突も、長柄による殴打も、直撃すれば少女の細身など1度で粉砕してしまいかねないものばかりである。魔法の鎧は無傷でも、中身の肉体は無事では済まない。

 傷1つない魔法の鎧の中で何度か死にかけた少年の事を、シェファはふと思った。

(リム様の馬鹿……)

 彼に対しては、そんな言葉しか出て来ない。

 あの若き侯爵は、民衆のために命を捨てるのが領主であると思い込んでいる。思い込むあまり、他人の話を聞く耳を失っている。

「かっこつけてんじゃないわよ……本当は戦いなんて、恐くてしょうがないくせにっ」

 怒り呟きながらも、シェファは見た。ギルマンロードの槍の動きが、はっきりと見えた。

 防戦一方の時でも、とにかく相手の動きをよく見て、慌てず怯えず反撃の機会を狙う。ブレン兵長に、徹底的に叩き込まれた教えである。

 襲い来る三又槍の、角度。速度。一瞬後には、その穂先がどこに達しているか。

 その全てを見極めながらシェファは、左側へと首を傾けた。三又の穂先が、顔面の右側を激しく通過する。

 それが引き戻されるよりも早く、シェファは杖を突き込んだ。その先端で激しく帯電する魔石が、ギルマンロードの鳩尾を直撃する。

「ぐえ……ッ!」

 衝撃と電撃を腹部に叩き込まれたギルマンロードが、パリパリと感電しながら身を折り、よろめく。

 今だ、とシェファは確信した。

 デーモンロードを退却に追い込んだ、真紅の魔力光の集束発射。あれを、今こそ行う時だ。

 シェファは魔石の杖を構えたまま、魔力の凝集・集束を念じた。

 ギルマンロードに向けられた魔石が、ボォ……ッと赤く発光しかけたその時。

「うぬっ……小娘がァアアアア!」

 パリパリとまとわりつく電撃光を振りちぎるようにして、ギルマンロードが反撃に転じた。

 凄まじい勢いで繰り出されて来た三又槍を、シェファは地面に転がり込んで危うくかわした。

 そして、起き上がると同時に後方へ跳ぶ。続けざまに襲いかかって来た三又の穂先が、シェファの足元をかすめて奔る。

 恐るべき高速の槍術である。見極めて反撃を狙えるような、甘い攻撃ではなかった。

 着地しながらシェファは、魔力の凝集・集束どころではなくなっていた。

 激しい回避運動をしながら、それを出来るようになる。これからの鍛錬の課題だ。

 距離を開いてシェファと対峙しつつギルマンロードが、殺意漲る声を発する。

「その魔法の鎧……我らがもらうとしよう。中身を叩き潰してなあ」

 三又槍が、威嚇の形に構えられる。

 そう見えた時には、ギルマンロードの動きは、威嚇から攻撃へと移行していた。

 粘膜状の皮膚に鱗を生やした水棲生物そのものの肉体が、しかし陸上においても支障のない速度で、三又槍を突き込んで来る。

 マディックは、雑兵級のオークやギルマンたちに拳や蹴りを叩き込んでいる。彼は彼で、捕われの男たちとそれを助けんとする女たちを、守らなければならない。シェファに加勢をしてくれるような余裕はない。

 自分1人の力で、戦うしかない。

 そう思い定めながらシェファは、魔石の杖を構えて応戦の体勢を取った。陸棲の猛獣の如く襲いかかって来る、ギルマンロードに対してだ。

(リム様になんか、頼らない……頼ってなんか、あげないっ)

 シェファのその思いが、砕け散った。

 思考が、粉砕された。

 脳が砕け散ったのではないかと思えるほどの激痛が突然、シェファの頭を襲ったのだ。

「あっ……くぅッ! うあああああああああッッ!」

 右手で辛うじて杖を手放さず、左手で兜を掴みながら、シェファは悲鳴を上げていた。

 マディックも、同じような様を見せている。

「ぐっ……! な、何だ……これは……っ!」

 両手で兜を押さえてうずくまり、苦悶の声を漏らしている。

 ギルマンロードが何かしら魔法的な攻撃を仕掛けてきた、わけではない事は明らかだった。

「うぐぅ……ぉぉぁああああッ! なっ何奴!」

 悲鳴と怒声を混ぜ合わせながら、ギルマンロードも己の頭を押さえ、苦しみ暴れている。

 雑兵ギルマンやオーク兵士たちも、同様だった。全員、頭を抱えてうずくまり、あるいは倒れ込んでのたうち回り、おぞましい悲鳴を垂れ流し響かせている。

 何の異変も見せていないのは、町の男たち女たちだ。平然と、そして呆然としながら、怪物たちや魔法の鎧を着た者たちの苦しむ様を、為す術もなく眺めている。何が起こっているのか全く理解していない様子だが、それはシェファたちも同じだ。

 とにかく原因不明の、頭蓋骨の中身を掻き回されているかのような頭痛が、この場の戦う者ら全員を襲っている。

「あッぐ! ひぎぃっ……な、何なのよォこれ……」

 シェファの頭の中で、激痛がガンガンと音を発している。

 それに紛れて、声が聞こえた。

「うっふふふ……そこそこは使えそうな兵隊ちゃんたち大量確保、って感じよねえ」

 野太い、男の声。頭痛による幻聴、ではないようだ。

 壊れかけた民家の上に、それは立っていた。堂々たる巨体である。

 筋骨隆々だが、よく見ると全ての筋肉が、無数の茸で組成されていた。

 頭部も茸の塊で、顔面らしきものはない。ただ、口と思われる部分から、何本もの舌が、ミミズの群れの如く伸びて蠢いている。

 その蠢きに合わせて、シェファの頭蓋骨の中で激痛がうねる。

 この場にいる者たちの脳を、距離を隔てて引っ掻き回すかの如く、触手状の舌を震わせうねらせながら、茸の巨漢はなおも言った。

「アンタたちの脳ミソ、ちょぉっとだけブッ壊して……アタシの言う事聞く以外は何にも出来ない、可愛い可愛い操りお人形ちゃんにしてあげるわよん」

「あがッ! ぐ……き、貴様……シナジール・バラモンの腰巾着が……!」

 ギルマンロードが、苦しみながら怒り喚く。

「魔獣人間風情がッ……! 我ら純粋なる誇り高き魔族に、このようなぐぅぁああああああああああああ!」

「なぁーにが誇り高き魔族よっ、やってる事ぁアタシらと対して違わないクセにぃ……あとね、アタシ別にシナ公の腰巾着ってわけじゃないから。あんまフザケた事言ってると、脳ミソどろどろにブチ砕いちゃうわよん?」

 言葉に合わせ、魔獣人間の口元で、触手舌の動きがウネウネと激しさを増す。

 脳を舐め回されているかのような激痛の中、しかしシェファは懸命に思考した。

 このバルムガルド王国で、一体何が起こっているのか。

 デーモンロードとその一党たる魔物たち、だけではない。魔獣人間まで動いている。

 ヴァスケリアにおける魔獣人間の元締めであったゴルジ・バルカウスは、デーモンロードに殺されたらしい。ならば、彼以外に魔獣人間の製造者が存在するのか。

 ジオノス2世王が魔獣人間の軍事実用化を企んでいる、という噂は確かにあったが、その産物なのであろうか。

 もはやそんな事も考えてはいられないほど、シェファの頭の中では激痛が荒れ狂っている。

 何かを考える事も出来ない状態のまま、シェファは呟いていた。

「リム様……」

 助けを求めているわけではない。助けなど求めてやるものか、と心に決めてサン・ローデルを出て来たのだ。

 なのに魔法の鎧の面頬の中、シェファの唇からは、苦痛の呻きと共にその名が漏れていた。

「リム……さまぁ……」

「うぐっ……ぅおおお……っ、ゆ……唯一神よ……」

 同じように頭を抱えて苦悶しつつもマディックが、リムレオンなどよりずっと頼りがいのある相手に助けを求めている。

「ま、守りたまえ……邪悪なる呪縛より御身の使徒を……」

 マディックの、そしてシェファの身体が一瞬、淡く白い光に包まれた。癒しの力と、ほぼ同質の光だ。

 その光が消えてゆくのに合わせ、シェファの頭でも、激痛がスゥ……ッと薄れていく。

「うっぐぅ……はあ、はぁ……っ」

 シェファは息をつきながら、痛みの消えつつある頭をゆっくりと上げ、睨み据えた。瓦礫の上に立つ、茸の魔獣人間を。

「何か、本当……どこにでもいるのねっ、魔獣人間って」

「あら? まあまあ……唯一神教のインチキ手品を使える奴がいたのねえ。あンもう、うざったいったら」

 魔獣人間が、口元の触手で舌打ちをする。おぞましいものを生やした口、以外には何もない顔面が、マディックに向けられる。

「ふぅーん……唯一神教徒が、堂々と外を歩ける時代になったのねぇ。あのメイフェム・グリムとかいう腐れゲテモノ女もそうだったけど、ちょっと大きな顔し過ぎじゃない? 魔法王国時代には地下で怯えるだけだったドブネズミちゃんたちが」

 シェファは、己の耳を疑った。この魔獣人間は今、誰の名を口にしたのか。

 メイフェム・グリム。そう聞こえたように思えたが、気のせいか。

「何をわけのわからん事を……!」

 地面に突き刺さっていた魔法の槍を回収し、構え直しながら、マディックは言った。

「魔獣人間が邪悪な者ばかりではないと、俺は知っている……が、お前は邪悪であると断定しても問題なさそうだな。唯一神の名のもとに討伐する。何やらアゼル派の言い種のようになってしまうが」

「ふん。アゼル・ガフナーの坊やなら今頃、どっかの崖下で死にかかってるわよん」

 魔獣人間が、謎めいた事を言っている。

「まあいいわ、アンタたち2匹は見逃しといてあげる。とりあえず今この場で手に入ったもの、ちゃんと確保しとかないとねえ」

「…………」

 ギルマンロードが、もはや悲鳴も怒声も発する事なく、三又槍をだらりと携えたまま人形の如く直立している。

 他の雑兵級のギルマンたちや、オーク兵士の群れも同様だ。全員ぼんやりと立って、まるで上官に命令されなければ何も出来ない新兵のような様を晒している。

 そんな怪物たちに、魔獣人間が命令を下した。

「さて、それじゃアタシについてらっしゃい兵隊ちゃんたち。あの竜の御子とかいうゲテモノ坊やをぶち殺す……捨て駒くらいの役には立ててあげるわよん」

 茸で出来た巨体が、軽やかに背を向けて瓦礫の上から路地裏へと飛び降り、姿を消す。

 それを追って怪物たちが、ギルマンロードを先頭に整然と隊列を組み、行進して行く。

 操り人形の動きだ、とシェファは思った。

 熟練の人形師に操られているかの如く、無言で整然と去って行くギルマンロードと怪物の集団。

 見送りながらシェファは、軽く頭を押さえた。頭痛の余韻が、まだ残っている。

 マディックがいなかったらシェファもまた、生ける操り人形と化していたところだ。

 魔獣人間も怪物たちも姿を消し、その足音も遠ざかって聞こえなくなりつつある。

 半ば廃墟と化した町の大通りに、5台もの檻車と、そこに詰め込まれて運び去られるところだった男たちが残された。彼らの母親や妻や娘、姉や妹や恋人である女たちもだ。全員、助かったにもかかわらず、まだ怯えている。

 その中から老婆が1人、おずおずと進み出て来た。

「あ……あのう……」

 最初にシェファが助けた老婆である。

「どうも……ありがとう、ございました。何とお礼を」

「あたしたち助けてないから。あいつらが勝手に、町から出てっただけ」

 面頬の内側で、シェファは唇を噛んだ。

 人助けをした、などとは口が裂けても言えない戦いぶりだった。あの魔獣人間が現れなかったら、自分は果たしてギルマンロードに勝てていただろうか。

 人助けをするどころか、自分が助けられた身である事に、シェファはようやく思い至った。言わなければならない事がある。

「……ありがとね、マディックさん。助かったわ」

「ん……ああ」

 生返事をしながらマディックは、何やら考え込んでいる。

「アゼル・ガフナー……あの魔獣人間、確かそう言っていたよな」

「唯一神教アゼル派……に、何か関係ある人なの?」

 シェファは訊いてみた。

 唯一神教が3つの宗派に分かれている事くらいは知っている。狂信的・戦闘的と言われるアゼル派、平和主義を掲げてそこから分離したローエン派、両者の中間たるディラム派。

 シェファが物心ついた頃から、教会の主流はディラム派であった。その腐敗ぶりは、幼い頃からシェファも何となく感じてはいた。

 ローエン派に関しては、マディック・ラザンやエミリィ・レアを見ていれば大体わかる。現在いろいろ言われている宗派ではあるが、まあ善良な聖職者の集団と評して差し支えなかろう。

 アゼル派の見本は、シェファの知る限り、あのメイフェム・グリムただ1人である。

(……あんなのばっかりなわけ? アゼル派って……)

「アゼル・ガフナーは……その名の通り、アゼル派の創始者とされている聖人だ。今から300年前、レグナード魔法王国時代の人物だよ」

 マディックが、説明をしてくれた。

「聞くところによるとアゼル本人は、宗教的思想を全く持たない、一介の武術家であったらしい。そんな彼が当時、レグナード王朝に弾圧されていた唯一神教徒の一派を助けた。そして身を守るための武術を教え込んだ」

「それが、アゼル派の聖なる武術……?」

「そういう事になるな。その一派はいたく感激し、やがて恩人の名を付けて唯一神教アゼル派を立ち上げた。ただアゼル・ガフナー本人はそれに加わる事なく、ひっそりと姿を消したらしい……その聖人アゼルが、崖下で死にかけている? 一体何の戯言だ」

「魔獣人間の言う事なんて、まともに考える必要ないと思うわ」

 魔獣人間が、バルムガルド王国内を徘徊している。それは、まともに考えなければならない問題であろう。

 ゴルジ・バルカウスは本当に死んだのか。だとすれば、彼に代わる何者かが魔獣人間を作り出し、使役しているのか。

 その何者かとデーモンロードの関係は、どうなのか。敵対しているのならば、利用出来るか。

 そこまで調べ上げてこその、調査任務である。

 手こずるようであればリムレオンやブレン兵長を加勢に行かせる、などとカルゴ侯爵は言っていた。冗談ではない、とシェファは思う。

(リム様になんか、何にもさせてあげない……かっこつけるしか能のない領主様は、安全なとこで偉そうにふんぞり返ってりゃいいのよっ)

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