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第82話 光まとう者たち

 妹ティアンナは、戦場にいるだけで、味方の将兵を鼓舞する事が出来た。

 あの下着のような鎧も、士気高揚の効果を狙ってのもの、だったのかも知れない。

 あの姿で戦場を駆け、炎や光の斬撃を繰り出し、ダルーハ軍兵士を大いに殺戮していたティアンナの姿を、モートンは思い浮かべた。戦場こそが、あの妹の居場所なのではないか、と思える戦いぶりだった。

 自分には、あんな真似は出来ない。

 自分の居場所は、どこなのか。戦場ではない事だけは確かだ、とモートンは思う。

 なのに今、戦場にいる。小太りの身体に、似合わぬ豪奢な甲冑をまとってだ。

 戦場と言っても、危険はすでにない。最前線に向かって、本陣を少しずつ前進させているところである。

 最前線で戦っているのは、エルベット家の軍勢だ。カルゴ・エルベット侯爵が、国王直属の兵力として貸してくれたのである。

 今回、出撃した王国正規軍総勢1万人のうち、エルベット家の兵士は約2000名。彼らが、他8000人にほとんど何もさせないほどの戦いぶりを見せてくれた。

 実際に戦うのは、エルベット家の軍勢。であるにしても、国王直々の討伐戦であるという形は作っておいた方が良い。カルゴ侯爵は、そう言って国王ディン・ザナード4世を説得した。

 説得された結果、モートンは今こうして戦場にいる。

 親征である。

 ヴァスケリア王国南部デフリア地方の民から、訴えがあったのだ。領主ゼクトー・ファルゴ侯爵が、不当な重税を領民に課していると。

 調べてみたところ、ゼクトー侯爵は8公2民に近い搾取を行っていた。

 5公5民の税制に不満を抱く地方貴族は、大勢いる。と言うより、不満を持たぬ者を探す方が難しい。

 ゼクトー侯爵には、王宮から譴責の使者を送った。

 その使者の生首が、送り返されて来た。

 これ以上なくわかり易い、宣戦布告であった。叛乱と認定しなければならない。

 かくして国王ディン・ザナード4世を総大将とする総勢1万人の討伐軍が、王都エンドゥールを進発した。

 そしてデフリア地方へと向かう途中の原野で、3万もの敵軍に囲まれたのだ。

 一地方の軍勢ではなかった。

 5公5民の税制に不満を抱く王国南部の地方領主何名かが、ゼクトー侯爵を盟主として結託し、大規模な叛乱軍を作り上げていたのである。

 ヴァスケリア王国正規軍1万は、囲まれて先制攻撃を受けた。

 その攻撃を、エルベット家の軍勢2000名が、剽悍に戦場を駆け回って撃退した。

 3万もの叛乱軍は粉砕されて散り散りとなり、盟主ゼクトー・ファルゴ侯爵は本拠地デフリア地方へと向かって敗走した。

 現在、それを追っているところである。

 こういう場面での深追いは禁物であると、軍学の書物には書かれている。だがエルベット家の軍兵たちは構わず、追撃戦の先頭に立った。

 逃げるゼクトー侯の軍を捕捉して戦闘中である、という報告が先程、届いた。

 ゼクトー侯爵を、討ち取ったか捕えたか、あるいは惜しくも取り逃がしたか。いずれかの報告が、続いて届くはずであった。

 だが報告は来ず、エルベット家の軍勢約2000名本人たちが帰って来た。

 騎兵も歩兵も整然と隊列を組み、堂々たる足取りで本陣に歩み入り、国王の御前にやって来る。凱旋だ、とモートンは感じた。

 凱旋するエルベット軍2000人を率いているのは、筋骨たくましい身体に安物の甲冑をまとった、30代男盛りの騎士である。傷跡のある厳つい顔を、タテガミの如く繋がった頭髪と髭で囲んだ、まるで獅子のような男。

 カルゴ侯爵が貸してくれた、エルベット家の兵隊長である。

 返り血にまみれた、その獅子のような兵隊長の巨体が、軽やかに馬から下りて恭しく跪く。

 モートンは、鷹揚に声をかけた。

「御苦労であったな、ブレン・バイアス兵長」

「敵軍は潰走、叛乱軍首魁ゼクトー・ファルゴ侯爵は捕縛、我が軍の戦死者は6名……以上、国王陛下に御報告申し上げます」

 謹厳な軍人そのものの口調で、ブレンが言う。

 それに合わせてエルベット軍の兵士2名が、縛り上げられた捕虜を1人、国王の眼前に引きずり出して来た。モートンよりはいくらか甲冑の似合う、1人の中年貴族。

 デフリア地方領主、ゼクトー・ファルゴ侯爵である。

「この……暗君の息子の、無能王めが……!」

 怯えを虚勢で隠しながら、ゼクトーは呻く。

「暴虐なるエルベット家の武力に、頼る事しか出来ぬくせに……」

「それは頼るとも。何しろ頼りになるからなぁエルベット家は」

 モートンは微笑みかけた。

「陰謀と搾取しか能のない、そなたら有象無象の地方貴族どもと違って……な」

「何が搾取だ! 我ら地方領主が正当に得るべきものを、愚民どもより徴収しておるだけであろうが!」

 喚くゼクトーをとりあえず無視してモートンは、ブレン・バイアス兵長に改めて言葉をかけた。

「それにしても見事な戦いぶりであった……いやはやカルゴ・エルベット侯爵も実にずるい、このような人材を隠し持っていたとは。ダルーハ・ケスナー叛乱の際、そなたが将として王国正規軍を率いておればと思うぞブレン・バイアスよ」

「……私など、ダルーハ卿の前に立てば1秒も保ちませぬ」

「そう謙遜するものではない。何度も言うが、見事な戦であったぞ」

「烏合の衆でございましたゆえ」

 武功を誇る様子もなくブレンは言い、捕われのゼクトー侯爵をちらりと睨む。

「このような者どもよりも、ずっと恐るべき敵が、いくらでもおります」

「魔物や魔獣人間の類か」

 モートンは、ブレン兵長の右手に視線を向けた。

 太い中指に、小さな金属の竜が巻き付いている。力を宿した、指輪だ。

「……魔法の鎧、か」

 返って来る答えは、わかりきっている。それでもモートンは尋ねてみた。

「人間同士の戦では、それを使わぬ……信念のようなものか?」

「これは、人ならざる者どもと戦うための力でございます」

 思った通りの答えを口にするブレンに、モートンはなおも問いかける。

「戦死者が6名と言っておったな。無論、3万もの大軍が相手である事を思えば奇跡に等しい数字よ……だがな、そなたが魔法の鎧を装着して戦っておれば、その6名も死なずに済んだ、かも知れないとは思わんか」

「……そこが、悩ましいところでございます」

 ブレンの口調が、微かな苦渋を帯びる。

「ですが国王陛下、いかに人死にを防ぐためとは言え……人間同士の戦に、魔法の鎧を用いる。それを1度でも行ってしまえば、取り返しのつかぬ事態に陥るように思えてならぬのです。私の弁では、上手くお伝えする事は出来ませんが」

「いや、わかる。私とて、わかってはいるのだ。人間同士の戦に、魔法の鎧を用いる事。それは魔獣人間の実戦投入にも等しい愚行であるとな」

 言いつつもモートンは、その愚行を実際にやらかすところであった王国の事を、ふと思った。

「……あの者たちは、上手くバルムガルド国内に入り込んだようであるな」

「はっ……あまり事を荒立てず、潜入を果たしてくれたようで」

 ブレンは、安心しているようであった。

 バルムガルド王国で何が起こっているのかを、正確に知らなければならない。

 そこでエルベット家に属する魔法の鎧の装着者2名を、調査に向かわせたのだ。

 が、バルムガルドへ入るには、レネリア地方を通過しなければならない。ヴァスケリア王家にとっては現在のところ逆賊の筆頭とも言うべき、ラウデン・ゼビル侯爵の治める土地である。敵地と言って良い。

 もちろん、魔法の鎧の力で強行突破する事も不可能ではなかろう。

 だがその2名は、事を荒立てず穏便にレネリアを通過し、バルムガルド王国内へと忍び込んでくれたようだ。

 現在、レネリアを含む5つの地方に関しては、ラウデン侯及び唯一神教ローエン派を相手に、説得と恫喝を織り交ぜた外交工作を展開中である。真ヴァスケリアなどという名前で独立しかけていたレネリア・ガルネア・エヴァリア・バスク・レドン計5地方を、平和的に取り戻すためだ。

 軍事力を駆使して、直接的に奪還する。それは可能な限り避けたい、最後の手段である。

 唯一神教会を、武力で攻撃する事になるからだ。

 そうなれば、国内外から凄まじい反発が起こるだろう。

 バルムガルド王国という後ろ楯を失ったとは言え、宗教的権威が国民にもたらす影響力というものは、やはり絶大だ。

 教会は、ヴァスケリア王国全土に存在している。どれほど小さな村にも、1軒は立っている。国民は、そこで祈りを捧げながら日々を過ごしているのだ。

 それら地方教会に配属されている聖職者は、今や全てローエン派なのである。

 ディラム派が、ダルーハ・ケスナーに滅ぼされた。その機会を逃さず王国全土に自派聖職者を派遣し、地方教会全てを掌握したローエン派の政治的手腕は、実に見事なものであったとしか言いようがない。

 ダルーハ・ケスナーならば、とモートンはふと思った。国内外からの反発など意にも介さず、ローエン派の勢力を皆殺しにして5地方奪還を実行したであろう。

 あのヴァスケリア王国史上最悪の逆賊に、しかし国王として1つか2つは見習うべき点があるのかも知れないと、モートンは思わなくもなかった。

「ダルーハ・ケスナーの叛乱を……悪運で生き延びただけの、無能王が……」

 ゼクトー侯爵が、恨みの呻きを漏らしている。

「思えば、ダルーハ・ケスナーは英傑であった……暗愚なるヴァスケリア王家を、もう少しで滅ぼしてくれるところであった。貴様らは、滅ぼされるべきであったのだ……ダルーハに殺されておれば良かったのだ貴様など!」

「ダルーハが英傑、だと……」

 モートンの頭に、血が昇った。

「日和見をしていた者ほど、そういう事を言う……あの叛乱がどういうものであったのか、全くわかっておらぬ輩ほどなあ! 一体どれだけの民衆が殺されたと思っておるか!」

「…………!」

 ゼクトーが恨み言を止め、怯えて固まった。

 固まった頭に、ブレン兵長がそっと片手を置く。太く力強い五指が、ゼクトー侯爵の頭蓋骨をがっちりと掴む。

 掴みながら、ブレンは言った。

「国王陛下、処刑の御許可を……」

「うむ。手を汚してくれるか、ブレン兵長」

「すでに汚れきっておりますれば……」

 傷跡の走る厳つい顔をニヤリと歪めつつブレンは、もう片方の手をゼクトーの顎の辺りに添えた。

 そして、捻った。

 鈍い、凄惨な音が響いた。

 ゼクトー侯爵の首が、おかしな方向を向いたまま、元に戻らなくなっている。

 その屍を、兵士たちが運んで行く。

 見送りながらブレンは、ぽつりと言った。

「私は、サン・ローデル地方前領主バウルファー・ゲドン侯爵をも、このように殺害し奉ったのです」

「なるほど」

 現領主リムレオン・エルベットは、前領主バウルファー・ゲドンを殺害して、サン・ローデル地方を奪った。そのように言われている。

「あの少年に、人殺しが……それも親族殺しなど出来るわけがない、とは思っていた。やはり、代わりに手を汚している者がいたのだな」

「国王陛下は……現サン・ローデル侯と、お会いになった事が?」

「1度だけな。まあ何だ、悪口を言うわけではないが……人どころか、虫も殺せぬような少年であったな」

「……変わられました」

 ブレンは、口調重く言った。

「サン・ローデル侯は、変わられました。いささか頼もしくなられた、とは思います」

「ほう」

 頼もしくなった、と単純に喜べるような変わり方ではない事は、ブレンの様子からも明らかだ。

 1度だけ会った事のあるサン・ローデル侯リムレオン・エルベットの顔を、モートンは思い浮かべてみた。

 ティアンナの、母方の従兄。

 あの妹に似ている、と思えなくもない、美しい顔をした少年だった。活発な部分を全て従妹に取られてしまったのではないかと思えるほど、柔弱そうな少年でもあった。

「まあサン・ローデル侯とは、いずれまた会う事もあろう。どう頼もしくなったのかは、その時に……な。それよりブレン兵長」

 モートンは話題を変えた。

「バルムガルド王国で今、一体何が起こっているのか……そなたは、どう思う?」

「現時点では何とも……しかしながら陛下。かの国が何者かに乗っ取られる事態が発生している、と仮定いたしますれば」

 思案しながら、ブレンは慎重に己の考えを述べた。

「人間の逆賊の仕業……ではありませんな。恐らくは、魔物どもの仕業です」

「20年前の我が国のようにか。して、そう思う根拠は?」

「人間の貴族なり将軍なりが叛乱を起こして国を乗っ取ったのであれば、対外的な声明が出ると思うのです。我らは、こういう正当なる理由で旧体制を打倒し、民のための新たなる国を興した。諸外国におかれましては、よろしくこれを認め、今後ともお付き合いいただきたい……と」

 あのダルーハ・ケスナーも一応、声明は出した。ただ一言、ヴァスケリア王国を滅ぼした、とだけ。諸外国と上手く付き合ってゆこう、などという発想は全くなかったようである。

 今回バルムガルドで政変のような事態を起こした何者かは、どうなのか。

「何の声明も出さぬ……近隣諸国との付き合いなどどうでも良い、と言わんばかりではあるな」

「そこに私は、人間ならざる者どもの精神構造を感じてしまうのです。人間どもの国々と、対等に付き合うつもりはない。何かしら断りを入れる事もなく、ただ攻め滅ぼすのみ……という」

「そんな輩が我が国に攻め入って来たとしたら、その時は魔法の鎧を着てもらわねばならんぞブレン兵長」

「人ならざる者どもが相手であれば」

 ブレンは力強く応え、そして微笑んだ。

「1つ、御無礼を申し上げます……ディン・ザナード4世陛下は、私が思うよりずっと英明なる国王陛下であらせられました」

「……暗君、暴君と続いたから、そう思えるだけだ」

 前女王エル・ザナード1世も、ある意味では暴君に近かった。

 ブレン兵長が、なおも褒めてくれる。

「いえ、先程のお怒り……ダルーハ・ケスナーは英傑にあらず、単なる殺戮者。まさしく仰せの通りにございます。私など、ダルーハ卿を英雄視しがちなところがありますからな。いやはやまったく、身の引き締まるお怒りでございました」

「まあ、そなたのような武に生きる者たちにとっては、ダルーハは英雄であろうな。私のような武の欠片もない者たちにとっては……あのケスナー家の者どもは、災厄でしかないのだよ」

 災厄でしかない怪物が、ケスナー家には、ダルーハ以外にもう1匹いる。

 このブレン・バイアスやリムレオン・エルベットら魔法の鎧の装着者たちを、あの怪物と連携させる事も、国王としては考えておくべきかも知れなかった。



 魔族には、例えばあのブラックローラ・プリズナのように、元々は人間であったという者が少なくはない。

 彼女を魔族の同胞として扱ってやる事に、ギルマンロードはさほど抵抗を感じなかった。

 だが同じ元人間でも、あの魔獣人間という輩だけは、どうにも受け入れ難い。ただ使い捨ての兵隊としてならば、まあ存在価値を認めてやっても良いか、とは思える。

 だからギルマンロードは今、デーモンロードの命令に従って、大勢の人間どもを檻車に詰め込む作業に従事している。

「齢15を超えたる男子は1人残らずだ! 早くせよ!」

 ギルマンロードの怒声に応じ、オーク兵士やギルマンたちが、町の男たちを槍や剣で脅し、引き立てて来る。

 先日の魔族の攻撃で、半ば破壊された町である。

 その大通りに、小屋ほどの檻車が5台、止めてある。

 この町に生き残っている人間どもの中で、15歳を超えた男全員を、今から岩窟魔宮まで運ばなければならない。檻車5台で足りるかどうかはわからないが、まあ積めるだけ詰め込むしかないだろう。

 少年に若者、壮年の男、老人に近い者……15歳を超えた男たちが、オーク兵士やギルマンに長剣や三又槍を突き付けられ、暗い表情でぞろぞろと歩かされて来る。

 オーク兵は全て、オークロードからの借り物である。

 こういう単純な作業では、やはりトロルよりもオークの方が使い勝手が良い。トロル族は、なまじな馬鹿力に頼るあまり協調性に欠ける。

 部隊規模のオーク及びギルマンによって、檻車の中に押し込められてゆく少年たち、若者たち、中年や老人たち。

 彼らの母親や姉妹、恋人、妻や娘なのであろう女たちが、町じゅうから飛び出して来て泣き喚く。

「やめて! 兄さんを連れて行かないで!」

「ちょっと、やめてよ! うちのお父さん病気なの、寝てなきゃいけないのよおっ!」

「ラルク! ラルクを返してええっ!」

 泣き喚き、すがりついて来る女たちを、ギルマンロードは三又槍を振るって威嚇した。

「喚くな女ども……貴様らには危害を加えぬよう、命令を受けておる」

 デーモンロードの命令である。従わねば、ギルマン族全員の命がない。

「男どもを大人しく差し出すだけで、貴様たちの身の安全は保証されるのだ。大人しくしておれ……人身御供を差し出して身の安全を保つ。それが貴様ら人間どもの生き様であろうが?」

 20年前のヴァスケリアと同じである。あの時の人間どもは、赤き竜に王女を貢ぐ事で生き長らえた。

(帝王、赤き竜よ……御子を討たねばならぬ我らを、どうかお許し下さい)

 赤き竜は偉大なる帝王であった。だが1つだけ、致命的な愚行をやらかした。

 それは人間の王女に懸想し、これを娶り、子を産ませてしまった事である。

 人間という種族の中に、竜の血筋を残してしまったのだ。

 案の定、竜の力を受け継ぎながら人間の側に立つ怪物が誕生し、魔族にとって大いなる脅威となっている。

「魔族の脅威は、このギルマンロードが滅ぼす……帝王よ、御身の血筋を絶やす事をお許し下さい」

 前帝王の血筋を絶やし、ギルマン族が新たなる帝王として魔族の頂点に立つ。

 その時のために、魔獣人間という戦力を保持しておくのも悪くはない。

 魔獣人間の製造を担当しているのは、シナジール・バラモンである。

 あの男とて、デーモンロードに忠誠を誓っているわけではない。手懐ける事は可能だ。

 シナジールを味方に付ければ、今こうして檻車に詰め込んでいる人間の男たち全員を、ギルマンロードの私兵に作り変えさせる事が出来る。

「あ……あのう……」

 女たちの中から、1人の老婆が、よろよろと進み出て来た。

「ど、どうか、息子をお返し下さい……代わりに、この婆が参ります……」

「馬鹿めが。そんな事をしたら、この私がデーモンロード様に殺されるわ」

 ギルマンロードは舌打ちをした。

 女子供に危害を加えてはならぬ、などと言っているのは、正確にはデーモンロードではない。その腹心面をしている、1匹の魔獣人間である。確か、レボルト・ハイマンとかいう名であった。

 どういうわけかデーモンロードに気に入られ、魔族の方針にいろいろと口を挟んでくる。デーモンロードも、それを認めてしまう。

 あのような者を黙らせるためにも自分が竜の御子を討ち、魔族の帝王の座を得るしかない。

 そう思いつつギルマンロードは、軽く片手を上げた。

 1人のギルマンが進み出て来て、三又槍を老婆に向ける。

 女子供に対する暴虐を禁ずる。その命令は無論、守る。が、この老婆は暴虐によって殺されるのではない。魔族の任務にうっかり巻き込まれ、事故死を遂げるのだ。本人の不注意である。

 よたよたと歩く老婆に向かって、そのギルマンが容赦なく踏み込む。三又槍が、枯れ木のような老婆の細身を穿つ……

 否。そうなる寸前、ピッ……と赤い光が走った。真紅の、光の筋。一瞬だけ走り、消えた。

 老婆を突き殺そうとしていたギルマンが、三又槍を構えたまま硬直した。

 硬直した身体が少しずつ、斜めに食い違ってゆく。

 滑り落ちるような感じに、ギルマンは真っ二つになっていた。呆然とする老婆の近くに、その屍がドシャアッと崩れ落ちて臓物をぶちまける。

「何奴……!」

 赤い光の筋が発生した方向を、ギルマンロードは睨み据えた。

 人間の小娘が1人、そこに立っていた。

「人を大勢さらって、くだらない事に使う……そんな奴、1人知ってるのよね」

 凹凸のくっきりとした瑞々しい肉体を、薄手の衣服に包んでいる。剥き出しの両太股が実に美味そうだ、とギルマンロードは思った。

 明るい茶色の髪に囲まれた顔も、いささか攻撃的なほど生気に満ちていて美しい。年の頃は17、8歳か。

「ゴルジ・バルカウスって奴なんだけど……あんたたち、あいつの手下か何か?」

 こういう生意気そうな娘を、生きたまま貪り食らうのが、たまらないのだ。

 思わず両眼を血走らせてしまうギルマンロードに、その娘は杖を向けている。先端に魔石が埋め込まれた杖。

 攻撃魔法兵士の、武器である。

 雑兵級のギルマンを一撃で殺す程度の魔力を持った少女。そんな相手が戦いを挑んできたのだから殺して食らっても構うまい、とギルマンロードは思った。戦う力のない女子供に暴虐を働く事にはならない。デーモンロードとて、戦いまで禁じてはいないだろう。

「ゴルジ・バルカウス……そう言ったのか、小娘」

 ギルマンロードは、まずは会話の相手をしてやった。

「我らが、あやつの配下であると……ふん、何も知らぬようだな」

「だから調べに来たのよ。この国で一体、何が起こってるのか」

 こちらに向けられた魔石が、赤く激しく発光し始める。

 高熱量の魔力を、細く絞り込んで発射し、敵の肉体を滑らかに灼き斬る技術。まあ、人間にしては見事と言える。

「真っ二つになりたくなかったら答えなさいよね……ゴルジ・バルカウスが、今度はこの国でろくでもない事してるってわけ?」

「ろくでもない事など出来はせぬ。もはや何も出来んのだよ、あやつには」

 ギルマンロードはとりあえず、教えておいてやる事にした。

「ゴルジ・バルカウスはすでに、この世にはおらぬ。我らが総帥デーモンロード様の手によって、跡形もなく消え失せたのよ……貴様も跡形残さず食らい尽くしてくれるぞ、小娘」

「やれるもんなら……やってみなさいッ!」

 魔石の杖から、ピッ……と光の筋が奔り出す。

 それを、ギルマンロードは左手で受け止めた。

 細く絞り込まれた真紅の魔力光が、掌でバチッ! と弾けて消滅する。少しだけ、熱かった。

「ふん、なかなかの魔力……とは言え、ゾルカ・ジェンキムの攻撃魔法と比べれば、生暖かい微風のようなものよ」

「ふうん、あの人と比べてくれるんだ」

 攻撃魔法兵士の小娘が、不敵に生意気に微笑む。

 何かしら切り札のようなものを、まだ隠し持っているようだ。

 もう1人、人間が現れた。崩れかけた民家の陰から、駆け寄って来る。

「お……おい、あまり無茶をするなシェファ・ランティ」

 男である。見たところ20代半ばの、顔も体格も特徴に乏しい男。身に着けているのは、最下級の聖職者が着用する、作業用の法衣である。

 どうやら唯一神教会関係者らしいその男が、攻撃魔法兵士の少女を落ち着かせようとしている。

「お前の身に何かあったら、サン・ローデル侯がどれほど悲しむか」

「……関係ないわよ、あんな領主様の事なんか」

 シェファ・ランティと呼ばれた少女が、不機嫌そのものの声を発した。

「あんな……カッコつけるだけで人の話も聞かないような領主様なんか、知った事じゃないってのよ」

「……結局、仲直りしないまま出て来てしまったんだよな」

「そんな事どうでもいいのよマディックさん」

 シェファの両目が、ギルマンロードに向かって激しく敵意を燃やす。

「聞いてたでしょ? 今こいつの口から出た単語」

「デーモンロード……確かにそう言ったな、この怪物は」

 マディックと呼ばれた聖職者の男が、シェファを背後に庇う形に立った。

「奴が再び動き始めた……それもヴァスケリアではなく、この国で。そういう事なのか」

「貴様ら人間の分際で、デーモンロード様と因縁があるような口をきくものではないぞ」

 ギルマンロードが、三又槍をブンッと構え直す。

 配下のギルマン兵団と借り物のオーク兵士たちが、闖入者の男女2人をザッと取り囲んで武器を構えた。

 取り囲まれながらもシェファ・ランティは、不敵で生意気な態度を保っている。

「すぐに殺そうとしない……って事は、あたしらを生け捕りにするつもり?」

「男の方はどうでも良い。だが小娘、貴様は生かしたまま食らう。このギルマンロードがなあ」

「相手を知らずに、愚かな事を言う……」

 どうでも良い聖職者の男が、右拳を眼前に掲げながら言った。

 グッと握られた右拳。その中指で、何かが光を発する。

「このシェファ・ランティはな、お前たちが様を付けて呼ぶデーモンロードを……ヴァスケリアから撃退した、張本人なんだぞ」

 指に巻き付く小さな竜、といった感じの指輪。それが、世迷い言に合わせて輝きを強める。

 同じ指輪が、シェファの右中指にも巻き付いていた。同じように、光を発している。

「あたしは……弱ってるデーモンロードに、念のための一撃をぶち込んだだけよ。それでも殺せなかったわけだけど」

「そうだな、俺たち全員がかりで殺せなかった。責任を感じる、べきなんだろうか」

 マディックが、掲げた右手首を左手で掴む。竜の指輪がいよいよ激しく発光し、右拳全体が輝きに包まれた。

 緑色の、光だった。

「自分らの尻拭い、やらなきゃいけないみたいね。この国で」

 シェファの繊細な右手からは、青い光がこぼれ出ている。竜の指輪がキラキラとこぼす光。

「貴様ら……!」

 生かしたまま食らう、などと言っている場合ではない。ギルマンロードは、そう直感した。

 デーモンロードを撃退した、などというのが虚言か真実かはともかく、この2人は即座に殺さなければならない。

 それほど危険な切り札が今、発動しつつある。

 シェファは、凹凸の瑞々しい身体をくるりと翻しながら。マディックは、眼前に拳を掲げたまま。

 それぞれ、声を発した。

「武装転身……」

「武装……転身!」

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