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第80話 魔将軍、陥落

 若い女が、1人で旅をしている。

 それが一体どういう事を意味するのか全くわかっていない輩が、いささか多過ぎるようではあった。

「うかつに手を出せば、こうなる……という事よ」

 イリーナ・ジェンキムは言い放ったが、聞こえているかどうかは疑わしい。

 男は、両手両足を切り落とされ、腹を裂かれて臓物を垂れ流し、白目を剥いてヒクヒクと痙攣しながら死体に変わりつつある。

 ゴロツキと追い剥ぎを足して割ったような男たちだった。それが10人以上、徒党を組んで木陰から現れ、イリーナを取り囲んだのである。

 そして今、血まみれになって倒れ散らばり、樹々や雑草の肥やしとなりかけている。

 中身のない鈍色の全身甲冑が3体、返り血にまみれた姿で、うろうろと歩き回っていた。うっかり仕留め損ねた者がいないかどうかを、調べているのだ。

 長剣、戦斧、鎚矛をそれぞれ携えた、動く鎧たち。

 魔法の鎧の、余り物の材料で作り出された兵隊である。

 魔獣人間の類が相手では少々頼りないものの、たかって来る無法者をこうして切り刻み叩き殺すくらいの事は、問題なくやってのける。護衛としては、まあ申し分のない戦力だ。

 こういう戦力を持っているからこそ、若い娘が1人旅などしていられるのだ。それを全く理解していない男たちが、野犬の如く群がって来る。

 サン・ローデル地方を出てから、これで4度目だった。

 全て、イリーナは皆殺しにしてきた。

 身を守るためなら、殺さず追い払うだけで良い。そう思っても、この鎧たちを魔力で操っているうちに、殺意が止まらなくなってしまう。

 大木にもたれたまま、イリーナは重い溜め息をついた。

 エヴァリア地方の平原の一部、森林と呼ぶにはいささか樹木の少ない場所である。

 行くあてもないまま、イリーナは旅を続けていた。

「私……何をやっているのかしらね」

 疑問を口にしてみても、誰かが答えてくれるわけではない。

 何をすれば良いのかわからぬまま、こうして行く先々で人を殺している。先日も、隣のガルネア地方で、少しばかり不愉快な言動を晒していた男たちを、この動く鎧たちで殺害してしまった。

 あの時イリーナの傷を治してくれた、確かアレン・ネッドという名の司祭には、いささか迷惑をかけてしまったかも知れない。何しろ教会の敷地内で、あのような殺人を行ってしまったのだから。

 ガルネア、それにエヴァリア。唯一神教ローエン派によって真ヴァスケリアなどと名付けられたこれら地方を、少し歩き回ってみただけで、イリーナは理解した。ローエン派の聖職者たちが、いかに救いようのない輩であるのかをだ。

 自分では何も出来ず、ただ綺麗事だけを口にしながら、バルムガルド王国からの援助を民衆にばらまいて救世主のような顔をする。

 その中でもアレン・ネッドは、比較的ましな聖職者ではあった。少なくとも、マディック・ラザンと同じくらいには。

 マディックから、北のローエン派に関してはいろいろと聞いていた。

 腐っている、と彼は言っていた。今のローエン派は、腐っていると。

 サン・ローデルを去ったイリーナが、こうしてローエン派の支配する北部4地方へと足を踏み入れてみたのは、マディックのそんな言葉が何となく脳裏に残っていたから、かも知れない。

 来なければ良かった、とイリーナは思い始めていた。来ても、つまらぬ人殺しくらいしか、する事がない。

「お父様……私、これから何をすればいいの……?」

 父ゾルカ・ジェンキムが生きてこの場にいたとしたら、穏やかに、それでいて厳しく、こう答えるだろう。

 イリーナ、それはお前が自分自身で決めなければならない事だよ、と。

 今になって、イリーナは理解していた。自分は結局、父がいなければ何も出来ないのだ。

 父に言われた通り学び、父の様々な研究を言われるままに手伝ってきた。生まれてから19年間、それ以外の事は全く何もしてこなかったような気がする。

 父に言われた事、以外で何かしたとすれば、姉妹喧嘩くらいであろうか。

「貴女も私と同じ、お父様がいないと何も出来ない子……そうよね? セレナ」

 この場にいない妹に話しかけながらイリーナは、ちらりと周囲を見た。

 遠巻きに、囲まれていた。

 軽めの鎧と槍で武装統一された男たちが、イリーナを包囲する形に近付いて来ている。その数、10名前後。

 兵隊である。

 たった今皆殺しにした男たちのような輩は、官憲の兵隊の中にも無論いる。だがこの兵士たちは一応、きちんとした軍人であるようだ。

 その皆殺しを実行した鈍色の全身甲冑3体が、イリーナを護衛するべく、兵士たちに長剣・戦斧・鎚矛を向ける。

「なるほど、これか……」

 兵士たちの隊長と思われる人物が、まずは言った。

「リュセルという村で、3人の村人が殺された。1人の魔女によって……そんな通報があったのだよ、お嬢さん」

 あれだけ堂々と殺したのだ。通報されて当然だろう、とイリーナは思う。

「その魔女はな、鎧を着た兵士の一団を召喚し、自在に操るという。何とも馬鹿げた通報だとは思ったが、人が殺されているのは事実なのでな。指名手配をさせてもらった」

「それはどうも……ご苦労様」

 イリーナは、とりあえず微笑みかけた。冷たい笑顔にしかならないのは自覚しているつもりだ。

 平和主義を看板とするローエン派は、少なくとも表向きの武力は持っていない。この兵士たちは、エヴァリア・ガルネアを含む5地方を統べる大領主ラウデン・ゼビル侯爵の配下であろう。

 切り刻まれ叩き潰された男たちの死体を見回し、隊長は言った。

「指名手配中のお嬢さんが、ここでも人殺しを行ったというわけだな……ああ、正当防衛だという事くらいは見ればわかる。この男たちから貴女は自分の身を守っただけなのだろう? その事、我々がラウデン・ゼビル侯爵閣下にきちんと申し上げる。だから一緒に来てはくれんか」

 口調穏やかに隊長は、イリーナを逮捕しようとしている。

「大人しく来てくれれば、罪は軽くなる。だから」

「正当防衛だなんて言い訳をする気はないわ。私は人殺しをした……ただそれだけ」

 言いつつイリーナは、軽く右手を掲げた。繊細な中指に巻き付いた蛇の指輪が、微かに光る。

「私ね、機嫌が悪くなると人を殺してしまうの。性分なのよねえ」

 この兵士たちは見たところ、今殺した連中と比べて訓練も行き届いており、若干は手強そうだ。

 イリーナがそう思うと同時に、蛇の指輪が光を発した。

 その光が円形の紋様となり、空中2ヵ所に投影される。

 そこから産み落とされるが如く発生したものが、ガシャ、ガシャッと鎧を鳴らして着地し、武器を構えた。

 中身のない、鈍色の全身甲冑。

 新たに生じた2体を加え、計5体となったそれらが、イリーナを取り巻いて護衛し、ラウデン侯の兵士たちに武器を向ける。

「だから、お願いよ兵隊さん……殺される前に、逃げて?」

 イリーナのそんな言葉を合図として、魔法の鎧の量産品5体が一斉に動いた。逃げて、という言葉に反する攻撃の動きで、兵士たちに襲いかかる。

「くっ……や、やむを得ん応戦! その娘を捕えろ!」

 隊長が号令を下しながらも自ら長剣を振るい、踏み込んで行く。他の兵士たちもそれに続き、中身なき鎧たちに挑みかかる。

 勝敗は、あっという間に決した。

 まだいくらか改良の余地があるか、と思えるぎこちない動きで、しかし鈍色の全身甲冑たちは力強く得物を振るい、兵士たちの槍や長剣を叩き折った。

 武器を失った兵士たちが、怯んで後退りをする。ある者は尻餅をついたまま腰を抜かして、仲間に引きずられて行く。ある者は片手を押さえ、苦痛に顔を歪めている。

 軽い怪我くらいは、させてしまったかも知れない。アレン・ネッドあたりに治してもらうしかなかった。

「大事な事だから何度も言うわよ。逃げて、兵隊さん」

 中身なき甲冑歩兵5体に威嚇の構えを取らせながら、イリーナは兵士たちに声をかけた。

「ただ真面目に仕事をしているだけの人たちに、これ以上、手荒な事はしたくないの」

「素晴らしいわ……手加減も、自在に出来るのね」

 声がした。涼やかに耳をくすぐる、若い女の声。

 怯え固まっていた兵士たちが、サッと左右に分かれた。

 優美な人影が1つ、ゆったりと進み出て来る。

「鎧歩兵を召喚する魔女……その報告を聞いた時、私は思いました。唯一神が力なき私たちを哀れみ、力ある御方を降臨させて下さったのかも知れない、と」

 イリーナよりいくらか凹凸のくっきりとした身体を、純白の法衣に包んでいる。その豊麗なる曲線を撫でるように、艶やかな金色の髪が腰の辺りまで伸びている。

 ローエン派の、若く美しい尼僧だった。美しい、としか表現のしようがない。年齢は、イリーナとそう違わぬように見える。

 そんな尼僧が、少しばかり痛い目に遭ってしまった兵士たちを、ちらりと気遣わしげに見回した。

「本当に、ごめんなさいね……貴方がたを、まるで道具のように使う形になってしまいました」

「構わんよ、ラウデン侯爵閣下の御命令だ。アマリア・カストゥール殿に出来る限り協力せよ、とな」

 隊長が、この尼僧の名前らしき単語を口にした。

 アマリア・カストゥール。イリーナも、名前だけは聞いた事がある。

 大司教クラバー・ルマンを美貌と肉体で籠絡し、いいように操り、ヴァスケリアの唯一神教会そのものを私物化していると噂されている女聖職者だ。真ヴァスケリア王国として独立予定であったこの地に住まう民衆は、クラバー大司教よりも、下手をすると唯一神よりも、このアマリア・カストゥールという尼僧を信仰崇拝の対象にしているという。

 そんな人物に対しイリーナは、敵意を隠さなかった。

「今の教会で1番偉い人が直々に、私を捕まえに来たというわけ?」

「ふふっ、そうね……貴女のような人材は、捕まえてでも確保しておきたいところ。私たちローエン派が自前の力を持つために……ね」

 自前の財力云々という話なら、アレンを相手に少しだけした。

 バルムガルド王国で何やら政変のような事が起こったらしく、ローエン派への援助は完全に途絶えてしまったという話である。

 この機に乗じてヴァスケリア国王ディン・ザナード4世が、独立せんとしていた計5つの地方を奪還すべく戦争の準備を進めているらしい、という噂も聞こえて来る。

 ローエン派にしてもラウデン・ゼビル侯爵にしても、真ヴァスケリアの独立を保つためには、何としても自前の力を持たなければならないところであろう。

「そのための……人材? この私が……?」

「そう。貴女の力が、今の私たちには必要なのよ。

 言いながらアマリアが、じっとイリーナを見つめる。

 霞がかかったような、どこか眠たげな瞳。真摯に助けを求めているようでもあり、何か企んでいるようでもある。

「偉大なる魔導師ゾルカ・ジェンキムの研究を受け継ぐ、貴女の力がね」

「……私の父を、知っているの?」

 己の両眼が、すぅっと険しく細まってゆくのを、イリーナは止められなかった。

 少し前の自分であれば、軽々しく父の名を口にしたという理由だけで、この女聖職者を殺しにかかっていただろう。

「この魔法の鎧を見れば、わかるわ。偉大なる研究が、ゾルカ・ジェンキム亡き後も続けられているという事が」

 油断なく身構える鈍色の甲冑兵5体を観察しながら、アマリアが言う。これらが粗製濫造品とは言え魔法の鎧であると、見ただけでわかってしまうようだ。

 警戒するべきかも知れない、とイリーナは考えた。

 この尼僧が何を言おうと聞く耳は持たず、早急にここを立ち去るべきなのかも知れない。

 そう頭で考えながら、しかしイリーナは思った。

(私の力が……必要とされている……?)

 魔法の鎧を装着した者たちに対しても、魔獣人間や黒薔薇婦人それにデーモンロードといった怪物たちに対しても、全く何の役にも立たなかった自分の力。それを、アマリア・カストゥールは必要としてくれるのか。

「命なき兵士……素晴らしいわ。命ある者の代わりに、戦ってくれる……」

 いつでも殺戮を行える姿勢で動きを止めている、鈍色の全身鎧。その1つを、アマリアは愛おしそうに撫でた。

「平和を愛する信徒たちを、戦場へ送り込まずに済む……まさしくローエン派のために有るべき力よ」



 魔界にしか生えぬ様々な薬草を、百年かけて煮込んだものである。

 それを全身に塗りたくった2匹のサキュバスが、嫣然と微笑みながら裸身を寄せて来る。

 白く優美な繊手が、豊麗な乳房が、形良い太股が、薬草液にまみれた状態でデーモンロードの全身各所に密着し、ぬるぬるムニュムニュと蠢いた。

 柔らかな女体の感触と薬草液の刺激が一緒くたとなって、デーモンロードの灼けただれた皮膚に、剥き出しの筋肉に、優しく塗り込められてくる。

 快感と激痛が全身を這い回るが、デーモンロードはそれに耐えた。

 ゴズム岩窟魔宮の、最も広い一室である。

 ここをデーモンロードは、とりあえず謁見の間と定めていた。

 竜の御子との戦いで負傷した巨体を、玉座代わりの岩に座らせ、サキュバス2匹に治療を任せながら、デーモンロードは今、あの戦いを脳裏で反芻していた。

 竜の御子。想定を遥かに超えた怪物であった。もう何年か鍛錬と実戦を経験すれば、父親を超える化け物へと成長するだろう。生ませの父親と育ての父親、両方を。

「ダルーハめが、敗れるわけよな……」

 デーモンロードは、牙を剥いて呻いた。

 ダルーハ・ケスナー。あの男だけは、デーモンロード自身の手で始末したかったのだが。

 赤き竜の死後、壊滅状態にあった魔族の軍勢を立て直すのに、20年近くかかってしまった。

 その間にダルーハは竜の御子に討たれ、魔族による赤き竜の仇討ちは夢と消えた。

 ダルーハ・ケスナー。魔族にとっての最大の脅威が失われた。そして、それをも上回る脅威が出現したのである。

 竜の御子、赤き魔人、ガイエル・ケスナー……様々な名で呼ばれる脅威が。

「……だが、あれを力押しで倒せぬようでは魔族に未来はない」

 右の拳を、デーモンロードは掲げて握った。掲げられた腕に、サキュバスが丁寧に包帯を巻いてゆく。

 竜の血を引く怪物だろうが何であろうが、障害となるものは全て力押しで排除する。魔族の進む道は、そのように切り開いてゆくものだ。

「そのためには私自身が……もっと、強大な力を手に入れなければ」

 無論、日々の鍛錬は欠かしていないし、このような傷を負う程度には実戦を重ねてもいる。

 だが鍛える事で手に入る力には限度がある。それは、魔族も人間も同じだ。

 デーモンロードはちらりと隻眼を動かし、視界に入ったものを凝視した。

 岩の台座に載せられた、生首ほどの大きさの壺。

 あれの中身を、どうにか使えぬものか。

 そう思案しかけたデーモンロードに、声をかける者がいた。

「そんな物を後生大事に取っておくのは、やめたらどうだ」

 柱の陰に、いつの間にか人影が佇んでいる。

 3匹ものサキュバスを引き連れた、若い男。がっしりとして均整の取れた長身に、雑兵用の粗末な鎧を着用している。そんなものではなく豪奢な騎士の甲冑が似合いそうな、貴公子然とした青年だ。

 立派な体格、上品に整えられた焦げ茶色の髪、端正な顔立ち……容姿の美しい、人間の若者である。少なくとも外見は。

「それが何らかの効果をもたらすのは、人間の肉体に対してのみ……ゴルジ・バルカウスは、そう言っていた。貴公ら魔族の役には立たぬ物、ではないのか」

「貴様の役には立ったようだな、レボルト・ハイマンよ」

 壺の中身を何滴か体内に流し込んだだけで、この男はデーモンロードとまともに戦えるほどの力を手に入れた。

 無論、容易い事ではなかっただろう。微量とは言え竜の血液に耐えられたのは、レボルト・ハイマンだったからだ。並の人間の肉体なら、灼き尽くされて終わりだ。

「……傷の具合は、どうなのだ?」

 デーモンロードは気遣った。

 体表面を灼かれただけの自分とは違う。レボルトは体内に電撃を流し込まれ、臓物破損の重傷を負っていたはずだ。

「貴様は役に立つ男……身体は大切にせよ」

「……魔族の総帥たる御仁に、気遣っていただけるとはな」

 レボルトの端正な顔立ちに、暗い笑みが浮かぶ。

 苦笑いも様になった、美しい人間の若者……の姿をした魔獣人間に、3匹のサキュバスが物欲しげにまとわりつく。

 鬱陶しそうにしながら、レボルトは言った。

「こやつらが手当てをしてくれたので、まあ大丈夫だ……そんな事よりデーモンロード殿、貴公には何が何でも聞き入れていただかねばならぬ話がある」

 サキュバスたちを振りほどいて詰め寄って来るレボルトに、デーモンロードはニヤリと微笑みかけた。

「わかっておる、そう慌てるな……女子供だけは助けてやれという話であろう?」

「まだそんな事を言っているのですか、この美も叡智もなき愚劣者は」

 サーペントエルフが、それにマイコフレイヤーが、別の柱の陰から姿を現した。

「ちょっと……アンタ何そんな綺麗な顔の皮ぁ被ってんのよ。中身カボチャのくせに」

「去ね」

 レボルトの整った顔が、メキ……ッと痙攣した。口調に、殺意が漲った。

「貴様たちに用はない。私は今、デーモンロード殿と話をしている。大人の話だ……妄想しか口に出来ぬ小僧どもは、向こうへ行っておれ」

「……また同じ目に遭いたいようですねえッ!」

 サーペントエルフの右手に三又の槍が生じ、その穂先がバチッと電光を帯びる。

「やめよ」

 デーモンロードは命じた。

 殺し合いを始める寸前だった魔獣人間たちが、辛うじて動きを止めた。

「レボルトよ、貴様の気持ちもわからぬではないが今しばらく、こやつらと顔を合わせておれ……今日はな、お前たちと顔合わせをさせておきたい者どもを呼んであるのだ」

「……魔族の、主だった者たちか」

 さすがにレボルト・ハイマンは理解が早い。

「我ら魔獣人間が貴殿の配下に加わるのを、快く思わぬ者もいるであろうな」

「使い物になりさえすれば良い。魔獣人間であろうが何であろうが、な」

 そんな言葉と共に巨体が1つ、鎧を鳴らしながら謁見の間へと歩み入って来た。

 返り血にまみれた、鋼の鎧。それをまとう肉体はでっぷりと横に大きく、腹は脂肪で膨らんでいるものの四肢は筋骨たくましい。

 その力強い腕が、大型の鎚矛を携えている。

 首から上で最も目立つ部分は、鼻と牙だ。巨大な鼻の左右で、鉄板をも穿ちそうな牙が上向きに湾曲しているのだ。

 一言で表現するなら豚、いや猪である。

 獰猛な猪の顔面を有する、人型の怪物……オークだった。だがその眼光は、オークとは思えぬほど鋭く猛々しい。

 並のオークよりも一回りは大柄な巨体が、デーモンロードの眼前で恭しく跪いた。

「……申し訳ございませぬ。バルムガルド王都ラナンディアは陥落せしめましたものの、国王ジオノス2世の行方は杳として知れず」

「ああ、それは気にせずとも良い。バルムガルド国王は、すでにこの世にはおらぬ。我ら魔族が手を下すまでもなかったわ」

 言いながらデーモンロードは、ちらりと隻眼を動かした。

 レボルトが、無理矢理に表情を消している。だが青ざめ強張った、その様子までは隠せるものではない。

 バルムガルドの将軍であったこの魔獣人間は、自分の仕えていた国王に、目の前で死なれているのだ。

(さぞかし無念であろう……私を殺したくて仕方があるまい? なあレボルト・ハイマンよ)

 そんな愉悦を胸の内で燃やしながらもデーモンロードは、跪くオークの猛将に、ねぎらいの言葉をかけた。

「ともあれ王都の攻略、御苦労であったな。オークロードよ」

「我らオーク族の、地位向上のためとあらば……」

 跪くオークロードの眼光が、ギラリと強まる。

 そこへ、何者かが嘲笑を浴びせた。

「はぁー無駄ムダ無駄! てめえらオークどもは何やったって下っ端のまんまなんだよぉ」

 オークロードと比べて横に小さく縦に大きな巨体が、ずかずかと歩み入って来たところである。

 その全身で盛り上がった筋肉は、まるで岩石のようだ。岩肌にも等しい皮膚のあちこちには、暗緑色の苔が生えている。

 そんな身体に鎖を巻き付け、巨大な剣を背負っているのだ。

 トロルである。その凶悪な顔つきから感じられる猛悪さ狡猾さは、並のトロルとは比べ物にならぬほど強烈だ。

「ブタがあんまイキがってんじゃねえぞ? おう」

「……貴様こそ、耳障りな声を発して狂態を晒すな。デーモンロード様の御前であるぞ」

 オークロードが、怯む事なく言葉を返した。

「死にたいのなら後で殺してやる……汚らわしいトロルの屍などで、デーモンロード様のお目汚しをする事もあるまい」

「ほぉーう、てめえオークの分際で言うじゃねえか……」

「やめておけ、トロルロードよ」

 デーモンロードは仲裁に入った。

「オーク族とトロル族は、軍事行動を共にする事が多いのだ。貴様たちにも今少し、連携を密にしてもらわねばならんぞ」

「……あんまり上から目線でモノ言わねえ方がいいんじゃねえのかい、デーモンロード様よぉ」

 トロルロードが、挑発的な声を発した。全身に包帯を巻かれたデーモンロードの姿を、じろじろと観察しながら。

「その様ぁ……誰かにブチのめされたって事、公言してるようなモンだぜえ? 魔族の大将としちゃどうなのよ、そいつぁ」

「なるほど。確かに最強ではない者に、魔族を率いる資格はあるまいな」

 デーモンロードは微笑んで見せた。トロルロードあたりがこういう事を言ってくるのは、まあ想定の内である。

「この機会に、下克上を実行してみるかね? 見ての通り私は手負いの身……貴公でも勝てるかも知れんぞ、トロルロード殿」

「……出来ねえと思ってるから、そーゆう冗談が出て来るんだろうけどよ」

 トロルロードも、牙を剥いて微笑んだ。

 不敵に笑って見せた、つもりなのだろうが、怯んでいるのが一目でわかる。

 デーモンロードがギロリと隻眼を向けただけで、トロルロードは1歩、後退りをした。

「……お戯れが過ぎまするぞ、デーモンロード様」

 いつの間にか柱の1つにもたれかかっている何者かが、言った。

「下克上を煽って遊んでいる場合ではござらぬ。バルムガルド王国を支配下に置いたとは言え、我ら魔族の体制は磐石にあらず……王族が、まだ生き残っておりまするぞ」

 ぬるりとした粘膜状の全身外皮。そのあちこちに、鎧の如き鱗と鋭利なヒレを備えた、人型の怪物である。

 体格は大柄ではないものの力強くしなやかで、肉食の怪魚そのものの面構えは醜くも猛々しい。

 携えている得物は、シナジール・バラモンが手にしているものと同じく、三又の槍だ。

 ギルマンである。陸戦の雑兵たるオークに対し、水の雑兵とも言うべき種族だ。

「バルムガルドの王族は、あらかた殺し尽くしたはずだがな……確かに国王は取り逃がしたわけであるが」

 オークロードが、いくらか攻撃的な口調で言った。

「俺の仕事に不手際があったと。そう言いたいわけか? ギルマンロードよ」

「そんな事は申しておらぬ。おぬしが王都を攻める前に、バルムガルド王宮より逃げ出した者がおるのだ。隣国ヴァスケリアより嫁いで来たる、何とやらいう王女よ」

 ヴァスケリアの王女と聞くと、デーモンロードはどうしてもレフィーネ・リアンフェネットを思い出してしまう。人間でありながら、赤き竜の血筋をこの世に残す事となった姫君。デーモンロードに対しても、全く怯える事なく物を言う娘であった。

「その王女が己の息子、すなわちジオノス2世王の孫を引き連れて、ここより近いタジミなる村に身を潜めておる……デーモンロード様、下手をするとこの岩窟魔宮の近くに、我ら魔族への反抗勢力が拠点を築いてしまう事になるやも知れませんぞ」

「捨て置け。バルムガルド王国の人間どもに、我らが目くじら立てるほどの反抗など出来はせぬ……この国に、ダルーハ・ケスナーはおらぬのだからな」

 言いつつデーモンロードは己の顔面、左目を断ち切って走る傷跡を、指でなぞった。

 ダルーハ亡き今、人間という種族の中で警戒を要する者たちは、ヴァスケリア人の5名のみ……リムレオン・エルベット、シェファ・ランティ、ブレン・バイアス、マディック・ラザン、イリーナ・ジェンキム。これに人間ではない者2名を加えた計7名を相手に、デーモンロードは戦って敗れた。敗れた、と認めなければならないだろう。

 その雪辱も済まぬうちに、竜の御子という新たな脅威が出現してしまった。

「……全て、粉砕する」

 幾重にも包帯を巻かれた巨体を、デーモンロードは岩の玉座から立ち上がらせた。

「お前たちに、伝えておかねばならぬ事がある……竜の御子が、我らの敵に回った」

「ほう。じゃ遠慮なくブチ殺せるってワケだなぁ」

 トロルロードが、出来もしない事を口にした。

 だがオークロードやギルマンロードにしても、考えている事は同じであろう。

 その考えを、デーモンロードは代弁してやった。

「竜の御子を倒す事が出来たなら、それは前帝王の血筋を滅ぼしたという事。すなわち新たなる帝王の資格を得たという事だ。そのような者がもし現れたとしたら……私はその者に、魔族の統率者の地位を譲らねばならぬ」

「竜の御子を倒した者が、魔族の頂点に立つ……と。そのような解釈でよろしいか、デーモンロード様」

 ギルマンロードが、息を呑みながら言った。

「二言は、ございますまいな?」

「我ら悪魔は契約を重んずる種族、嘘は言わぬ」

 デーモンロードは、力強く頷いて見せた。

「魔獣人間ども、貴様らとて遠慮する事はない。竜の御子を、出来るものなら討ち果たして見せよ。純粋なる魔族であろうがなかろうが、それが出来た者に私は今の地位を譲渡するであろう」

「……良いのかデーモンロード殿。そのような事、軽々しく」

 ここにいる者たちの中では最も激烈にデーモンロードの命を狙っているであろうレボルト・ハイマンが、整った顔をメキ……ッと震わせながら呻く。

「仮に私が、貴公の地位を譲り受けたとしたら……魔物ども全てを率いてバルムガルド王国から、いや人間の世界から撤退してしまうぞ。それでも構わんと言うのだな……」

「竜の御子を討てればの話だ。が、それよりも」

 答えながらデーモンロードは右手を掲げ、太い指をパチッと鳴らした。

 何体かのデーモンが、ぞろぞろと集団を引き連れて、謁見の間に入って来た。

 人間の群れ、である。おどおどと怯えている、女たちと子供たち。

 少数のデーモンに連行されて来たその集団を見て、

「こ、これは……私が実験房に捕えておいた者たちではありませんか!」

 シナジール・バラモンが、悲鳴じみた声を発した。

「デーモンロード様! これは、これは一体」

「うろたえるな。男どもは残してある」

 喚こうとするサーペントエルフをそう言って黙らせてから、デーモンロードはレボルトの方を向いた。

「アゼル・ガフナーを撃退し、竜の御子から私の身を守ったレボルト・ハイマン……こやつらは貴様への褒美だ。解き放つなり自身で面倒を見るなり、好きにせよ」

「デーモンロード殿……」

「バルムガルド全土の人間どもを、魔獣人間の素材として徴発する……ただし当面は、齢15を超えた男子のみに限定する。残った女子供への暴虐行為も、全て禁じよう。レボルトよ、貴様はそれだけの功績を成し遂げたのだ」

「デーモンロード殿……貴公は……」

 レボルトが、呆然としている。シナジールもだ。

「無体な……それは、あまりにも無体……女子供を嬲り切り刻む事にこそ、魔獣人間研究の美と叡智があると言うのに……」

「へっ……野暮は言いっこなしだぜデーモンロード様よォ」

 トロルロードが、幼い女の子の1人に迫り寄って手を伸ばす。

「人間は、こんくれえのメスガキが一番美味ぇんだからよぉお」

 女の子が、か細い悲鳴を上げた。

 レボルトがメキメキッ! と震えながら、トロルロードに殴り掛かる。

 いや、その前にデーモンロードは左手を振るった。

 炎の鞭が発生し、燃え上がりながら伸び、トロルロードを打ち据えた。

 苔むした巨体が、肉の焼ける不味そうな臭いを発しながら吹っ飛び、岩壁に激突し、床に転がり落ちてのたうち回る。

「耳が悪いようだなトロルロードよ……こやつらはレボルト・ハイマンへの褒美であって、貴様に与えたものではない」

「ぎゃあ……っ! ぐ……で、デーモンロードてめえぇ……」

「文句があるなら竜の御子を倒し、私に取って代わってみるがいい。手負いの私に挑む事も出来ぬ者に、それが可能とは思えんがな……シナジール・バラモンよ、貴様もだ。好きな事をやりたいのならば、まずは功績を示せ」

 転げ回って悲鳴を漏らすトロルロード。青ざめたまま固まっているサーペントエルフ。黙り込んでいる、他の者たち。

 とりあえず声を発する事が出来るのは、レボルト・ハイマン1人のようだった。

「デーモンロード殿、私は……貴公を、信じても良いのか……?」

「貴様が役に立ち続ける限りは、な」

 デーモンロードは再び、岩の玉座にどっかりと腰を下ろした。

 擦り寄って来るサキュバスを1匹、太い腕で抱き寄せながら、さらに言う。

「なあレボルト将軍よ。竜の御子と私の共倒れを狙うのも良いが、とりあえず今は……私のために働き続ける事が、バルムガルドの民衆を守る最良の手段と言えるのではないかな」

「どうやら……そのようだな……」

 助かった女の子が、母親らしき女にすがりついて泣いている。

 彼女らを背後に庇い立っていたレボルトが、やがて崩れ落ちるように跪いた。そして、声を発する。

「このレボルト・ハイマン……デーモンロード殿に、忠誠を誓う……」

 何もかもを押し殺した、重い呻きだった。

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