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第7話 竜と王族

 王宮という場所には本当に、顔の醜い人間たちしかいなかった。

 外見的な顔立ちは整っていても、それは汚らしい内容物を綺麗な皮で包み隠しているようなもので、端正なだけの顔面には腐臭を放つものが滲み出ている。

 王族・廷臣を問わず、王宮に巣食う人々は、誰もがそんな感じだった。

 汚いものを包み隠し、それを常に見え隠れさせている、彼ら彼女らの美貌と比べれば。

 ただ異形なだけのガイエル・ケスナーの素顔など、本当に可愛らしいとさえ思える。

 思いながらティアンナは、、広い天幕の中をちらりと見回した。

 王国正規軍・本陣の天幕である。

 総大将たるモートン・カルナヴァート第2王子を上座に、諸侯が一堂に会している。

 今のところ生存が2人しか確認されていないヴァスケリア王族に力を貸してくれている、8名の地方領主たち。

 皆、王宮にいた人々と比べると多少はましな顔をしているのだろうか。

「皆、御苦労であった」

 モートン王子が立ち上がり、偉そうな声を発した。

「卿らの勇戦が、憎きダルーハ軍をこの地より敗退せしめたのである。王都奪還の暁にはこのモートン、卿らの所領を大いに加増し、今日の勇戦に報いるであろう」

「いやいや殿下。我ら、そのような報賞のために決起したわけではありませんぞ」

 8名の諸侯のうちで1番目か2番目くらいに年嵩と思われる人物が、鷹揚に片手を上げて言った。

 小太りのモートン王子とは比べ物にならないほど体格が良く、豪奢な甲冑が似合った、初老の男性貴族。

「無道なる逆賊ダルーハ・ケスナーめを討ち滅ぼし、王国の民を安んずるため、我らはここに馳せ参じておるのでございます」

 王国西部サン・ローデル地方一帯を所領に持つ、バウルファー・ゲドン侯爵である。この場に集まった地方領主たちの中では、1番の大物と言っていい。

 彼の手勢が、今の王国正規軍兵力の4割近くを占めている。だけではない。肥沃なサン・ローデル地方を有するバウルファー侯爵の財力は、王国正規軍の経済的な要でもあるのだ。

 そんな侯爵に調子を合わせて、他の諸侯も口々に頼もしい事を言い始める。

「そうとも。王都奪還後の事など、今はお考えになりませぬよう」

「我らの目的は身の栄達にあらず、逆賊の打倒と王家への忠誠なり!」

「王国の平和と民の笑顔こそが、我らにとって最大の報賞でございます」

 などと皆、言ってはいるが。ダルーハ・ケスナー打倒に成功した場合、まさか本当に民の笑顔だけで報賞を済ませる、わけにはいかないだろう。

 ヴァスケリア王国全土の地方領主約50名のうち、ダルーハに恭順の意を示した者は、およそ20名。

 彼らは所領も財産もことごとくダルーハに没収され、平民同然の生活を強いられていると聞く。皆殺しにされた、という噂もある。

 そんな目には、遭いたくない。

 バウルファー侯爵以下、8名もの地方領主が王族に味方している理由は、まさにそれだけだ。王家への忠誠心などでは、断じてない。

 まあ当然であろう、とティアンナは思う。

 逆賊に敗れ、王都を追われ、権威も権力も失った王族に、忠誠を尽くせと言う方がむしろ無法である。

 そんなヴァスケリア王家に、しかし8名もの地方領主が、曲がりなりにも協力してくれている。

 それはダルーハの、諸侯に対するやり方が、あまりにも暴虐過ぎるからだ。

 所領を奪う。財産を奪う。何もかもを奪い取る。

 それがダルーハのやり方で、諸侯をことごとく味方に引き込んで王家を孤立させる、などといった政治的な手段を、あの竜退治の元英雄は決して取ろうとしない。ただ力で奪い取る。それだけだ。

 この政治力の欠如がダルーハ軍の弱点である、とは言える。

 王国正規軍としては、日和見をしている残りの諸侯を、1日も早く1人でも多く味方に付けて、数でダルーハ軍を圧倒するしかない。

 数の力。それは兵士の人数だけではない。民衆も、味方にしなければならない。

 兵糧の供出、新兵の補充、その他諸々。民衆に頼らねばならない事は、数多くある。

 民の協力なくして、戦に勝つ事は出来ないのだ。

 その事に関して、しかし今の王国正規軍は、1つ問題を抱えていた。

「卿らのその志、実に頼もしく思うぞ」

 モートン王子の口調は、相変わらず偉そう、だがどこか媚びへつらうような響きがあるのを、ティアンナは聞き逃さなかった。

 にこにこと、本当に必要以上ににこやかな兄王子の表情を見て、ティアンナは苦い気分に襲われた。

 明らかな、愛想笑いである。

 バウルファー侯爵らに対し、王族たるモートン王子が、毅然とした態度を取る事が出来ずにいるのだ。

 これではとても、あの話を切り出す事など出来ないだろう。

「兄上……いえ、第2王子殿下」

 だから、ティアンナが口を開く事にした。

「この場で1つ、特にバウルファー侯爵殿に対し、申し上げておくべき事がおありではないかと」

「なっ、何を言うか、このめでたき戦勝の席で」

 むくんだ顔を半ば青ざめさせて、モートン王子がうろたえる。

「ほう、特に私に……でございますかな? 第6王女殿下」

 言いつつ、いくらか横柄な視線を向けてきたバウルファー侯爵に、ティアンナはまっすぐ視線を返した。

 モートン王子ほどではないにせよ、バウルファー侯爵は狼狽した。

 この天幕に籠りっぱなしだった第2王子と違い、前線でダルーハ軍兵士たちを大いに殺戮していた王女の姿を、侯爵のみならず、この場の諸侯全員が知っている。

 強い眼差しで彼らを見回し、ティアンナは言った。

「方々には1つ、肝に銘じていただかねばならない事があります。今日の戦において我ら王国正規軍は、決して勝利を収めたわけではない、という事です」

 今日ダルーハ軍を退ける事が出来たのは、ガイエルが魔獣人間を倒してくれたからだ。

 つまりこれはガイエル・ケスナー1人の勝利であり、王国正規軍がダルーハ軍に勝ったわけではないのである。

「我らは今まで、ただの1度もダルーハ軍には勝っていない、という事です。ご存じのようにダルーハ卿は恐るべき相手、王国正規軍が勝利を得るには……何よりも、民衆の協力が不可欠なのです。故に我が軍は、民に対する略奪・乱暴狼藉を一切禁じてきました。全将兵に、です。例外はありません」

「な、何をおっしゃりたいのですかな、王女殿下は」

 バウルファー侯爵が言いながら、たらたらと汗を流す。

 皆の面前ではっきり言わねばならないのか、とティアンナが思った、その時。

「失礼する。バウルファー・ゲドン侯爵殿は、こちらにおいでか?」

 何者かが、ずかずかと天幕に踏み入って来た。

 若い男が2人。片方が、もう片方の首根っこを掴んで、引きずっている。

 引きずられているのは、着ている鎧だけは立派な、いかにも貴族の馬鹿息子といった感じの若者だ。

 青ざめ、今にも泣き出しそうな彼を、物のように引きずっているのは。歩兵用の粗末な鎧を着た、血まみれの若者……ガイエルである。

 この人は何故、会う度に返り血にまみれているのだろう、とティアンナは思った。

 バウルファー侯爵が立ち上がり、叫んだ。

「セリウス!」

「ち、父上……どうか、お助けをぉ……」

 ガイエルに引きずられた若者が、泣きそうな声を出している。

 セリウス・ゲドン子爵。バウルファー侯爵の20名近くいる息子たちの中で、特に出来の悪さで知られた1人である。それゆえにか、父侯爵には最も可愛がられているらしい。

「こ……これは、いかなる……」

「あんたがバウルファー侯爵殿か。いかなる事であるのか聞きたいか? 大方わかっておられるのではないのか? わからねば聞かせて差し上げよう」

 諸侯の眼前にセリウス子爵の身体を放り出しながら、ガイエルは言った。

「この子爵殿がな、手勢を率いて近くの村に押し入り、ダルーハ軍と対して変わらぬ事をしていた。俺が駆けつけた時には、村の若い娘たちを裸にして踊らせながら、宴会の真っ最中だったな」

「ガイエル様には、ご面倒をおかけしました」

 ティアンナは1度ぺこりと頭を下げ、すぐに上げながら言った。

「それで……セリウス子爵の手勢の兵士たちも、連行して来ていただけたのでしょうか?」

「いやまあ、それはその……」

 ガイエルが頭を掻いた。

 その兵士たちがどういう目に遭ったのかは、ガイエルの血まみれの姿を見れば、聞かずともわかる。

「連行して……は、いただけなかったのですね?」

「捨ててきた。あまり綺麗な死体にはならなかったものだから……すまん、申し訳ない」

 深々と、ガイエルが頭を下げる。

 ティアンナは溜め息をついた。

 その場にいたのが自分だったとしても、女の子に裸踊りなどさせていた兵士たちを、少なくとも口頭注意だけでは済ませなかっただろう。

「私もあまり偉そうな事は言えませんが……戦場以外では出来る限り力加減をしていただけると大変嬉しいです、ガイエル様」

「努力する」

 律儀に応える若者の、返り血まみれの姿を、諸侯が怯えた目で注視している。いや、目を逸らせている者もいる。

 ダルーハ・ケスナー討伐令の布告に応じて、この地方領主8名が馳せ参じて来た際、ティアンナは迷った。

 討伐対象たるダルーハの子息が、王国正規軍に与力してくれている。それを明らかにするべきか、隠すべきか。

 ティアンナが迷っているその場で、しかしガイエルは諸侯に対し、己の正体を明かしてしまった。自分は逆賊ダルーハの息子である。これからいささか派手な親子喧嘩をやらかすので、せいぜいそれを利用してくれれば良い、と。

 諸侯8人は驚愕し、当然ながら良い顔はしなかった。その場でガイエルを罵倒する者もいた。

 そうした声は、しかし次第に小さくなり、1ヶ月を経た今となっては、陰口すらほとんど聞かれない。

 この1ヶ月の間に幾度か起こったダルーハ軍との小競り合いで、ガイエルが常に前線で戦ってきたからだ。

 前線で、ダルーハ兵たちを大いに虐殺してきたからである。

 そして今日。ガイエルはついに戦場で、人ならざる己の正体を明らかにした。

 今や諸侯を含む王国正規軍全将兵にとって、ガイエル・ケスナーは完全に、恐怖の対象となってしまったのだ。

「さて。この子爵殿を、どう扱ったものかな」

 返り血に汚れた美貌を微かに傾け、ガイエルは言った。

「俺としては殺してしまいたい。こやつは俺の目の前で、実に不愉快な事をやらかしてくれたのだからな……だがティアンナ王女が殺すなとおっしゃるならば、我慢しよう」

「助かります。我慢をして下さい」

 言いながらティアンナは、腰に吊った魔石の剣をスラリと抜いた。

 抜きながら、一閃させた。

 微かな手応えと同時に、セリウス子爵の首筋から鮮血が噴き上がった。

「セリウス! おおおおおおおおおおおお」

 バウルファー侯爵が絶叫し、駆け出し、息子の身体を抱き止める。

 父親の腕の中で、しかしセリウス子爵はすでに絶命していた。

 血まみれの息子の屍を抱えたままバウルファー侯爵は、へなへなと座り込み、嗚咽を漏らす。

「おぉお……セリウス……何と、何という……」

「バウルファー・ゲドン侯爵殿」

 ティアンナは、冷ややかな口調と表情を作った。

「私のこの行いを許せぬとお思いならば、今すぐ兵を率いてサン・ローデルへお帰りになるか……あるいは、このままダルーハ卿に与力なされるか。いずれにせよ、お止めはいたしません。御自由に」

 他の諸侯が、モートン王子が、青ざめている。ガイエルでさえ、目を丸くしている。

 驚愕の視線を、様々な方向から受けつつ、ティアンナはなおも言う。

「それとも、この場で御子息の仇をお討ちになりますか? 受けて立ちますよ」

「……いえ……」

 王女の眼光を正面から受けられずバウルファー侯爵は、息子の屍を抱いたまま俯いた。

「逆賊を討ち、王国の民に安寧をもたらすべく、我らは馳せ参じたもの……その志を穢したるは愚息の方にございます。王女殿下が御手を汚される前に、私が罰するべきでございました……」

「御立派です。御子息の死も、無駄にはならないでしょう」

 魔石の剣を鞘に収めながら、ティアンナは諸侯を見回し、言い放った。

「民に害なす者を、王国正規軍は味方として認めはしません。方々も、どうかお忘れなきように」

 自分がとてつもなく暴力的な事をしている、という自覚がティアンナにはあった。

 自身の力で、ではない。ガイエル・ケスナーを近くに置いて、さりげなく諸侯を威圧しているのだ。

(私……ダルーハ卿よりも、たちが悪いわ……)

 自己嫌悪に陥りながらも、ティアンナは思う。

 王宮には、醜い顔をした人々しかいなかった。

 だが彼ら彼女らに劣らず自分は今、醜い顔をしているのかも知れない。



 森林、と言うほどには鬱蒼としていない、まばらな木立の中である。

 いつ見ても甲冑の似合っていない小太りな身体が、大木にもたれて座り込んでいた。

 モートン・カルナヴァート第2王子。

 逆賊ダルーハ・ケスナー討伐を掲げる王国正規軍の、総司令官である。少なくとも名目上は。

 兵糧の干し肉を不味そうにかじっているモートン王子に、ガイエルは無遠慮に歩み寄り、声をかけた。

「美食に慣れた口には合わんだろうが、まあ無理をしてでも食っておくのだな」

 モートン王子が、ビクッと震え上がった。

 そんな王子から少し離れた大木の根元に、ガイエルは腰を下ろした。

 今は人間の姿で歩兵の装いをしているガイエルだが、人間ではない正体をモートン王子も1度は目の当たりにしている。あまり近付いて恐がらせるのも、気の毒というものだ。

「いくらか不用心ではないのか。一軍の総大将ともあろう者が、このような場所で」

 同じ干し肉をかじり始めながら、ガイエルは言った。

「ダルーハの放った刺客や暗殺者の類が、うろついているかも知れんのだぞ」

「……私が暗殺されたところで、この軍の指揮権は、あのティアンナが握るだけの事。いや今とて、実質的にはそうではないか」

 怯えながらもモートン王子は、まともに会話の相手をしてくれた。

「……誰も、私の言う事など聞きはしない」

「まあ確かに、あんたの妹は実に恐い姫君だからなあ」

 諸侯の面前で、有力者の子弟を一刀のもとに斬殺してのけた、先程のティアンナの姿を。ガイエルは、思い返した。

 あの冷酷さは、確固たる信念に裏打ちされている。王国の民を救うという、言葉にしてしまうといささか安っぽくなってしまう信念に。

 ただ感情の昂るままに人を殺戮するガイエルの残虐性とは、全く異なるものだ。

「そのティアンナ姫に頼まれて、あんたを探しに来たのだよ第2王子殿下。総司令官たる者が護衛も伴わずに本陣を離れるなど言語道断、と怒っておられたぞ。あの姫君は」

「放っておいて欲しいものだな。どうせ本心では、このような兄王子など死んだ方が良いと思っているくせに……まあ確かに私など、いなくなったところで王国正規軍には何の不利ももたらさぬ。所詮は飾り物の総大将よ」

「そう思うなら、本当にいなくなってみるか?」

 睨むようにモートン王子を見据え、ガイエルは言った。

「その立派な鎧を脱いで、ひっそりと姿を消し、どこかで畑でも耕して慎ましく暮らしてみるか。そうすれば、税を搾り取られて生きる民の苦しみが、少しは理解出来るかも知れんな」

「……それが出来れば、とうの昔にやっておる」

 やや上目遣いながらモートン王子は、ガイエルの眼光を受け止めている。

「私はな、齢すでに30近い。30年近く、王族として生きてきた。正確には28年、民から搾り取ったもので贅沢三昧という生活に浸りきってきたのだ。今更、搾り取られる側になど回れるものか……畑を耕して生きる事など今更、出来るものか」

「それも、そうだな」

 固い干し肉だ、とガイエルは思った。民衆から搾り取ったもので贅沢三昧、の暮らしに慣れきった人間の口に合うものではなかろうが、モートン王子は我慢してかじっている。

 その不味そうな食いっぷりを眺めながら、ガイエルはさらに言った。

「王族として生まれてしまったその身は、今更どう変える事も出来んか……搾り取られる農民の家に生まれてしまった者が、農民にしかなれないように」

「貴様はどうなのだ、ガイエル・ケスナー」

 木の根元に座ったまま、ほんの少しだけ、モートン王子が身を乗り出した。

「逆賊の子として生まれながら、逆賊になろうとせんのか。何故、父親と袂を分かってまで我々に味方する?」

「親父殿と袂を分かつ、つもりはなかったのだ。最初のうちはな」

 ガイエルは空を仰いだ。少し雲のある、晴れた空。

 この晴天の下のどこかでダルーハ軍は今頃、非力な民に対して、また何かろくでもない事をしているに違いない。

「俺も、この度の叛乱には大いに乗り気だった。何しろ、あんた方ヴァスケリア王家の政治はひどかったからな。民衆から大いに税を搾り取っておきながら、それに見合った事を何一つやろうとせん。あれでは、うちの親父殿でなくても誰かが叛乱を起こしていただろう。下手をすれば他国の介入を招き、泥沼の内戦が何十年と続く……そんな事態に陥る前に、ケスナー家の力でこの国を立て直してみせる。と俺は勇み立って親父殿に従い、ダルーハ軍の兵士として戦った。戦い始めて、すぐに気付いた」

 まったく、愚かだったとしか言いようがない。

 生まれてから19年間、ずっとダルーハという男を見続けてきたのに、実際に戦が始まってしまうまで気付かなかったのだから。

「ダルーハ・ケスナーを支配者になどしたら、この国は滅ぶ。とな……例えばモートン王子。あんたが国王として即位した方が、まだましだ」

「……誉められている、わけではないようだな」

「それがわかるだけ、あんたは王侯貴族としてはましな方だ。これは、誉めているぞ?」

 微笑みながらもガイエルは、おぞましく忌まわしい記憶を甦らせていた。

 ダルーハは、兵隊による民衆への暴虐行為を、一切禁じないどころか奨励すらした。

 破竹の勢いで勝ち進むダルーハ軍によって、いくつもの町や村が焦土と化し、そこにあった物は奪い尽くされ、住んでいた人々は虐殺された。

 犯されかけていた女性や殺されかけていた子供、の何人かを、ガイエルは確かに助けた。そのために、大勢の自軍兵士を殺戮した。

 そんなやり方で、しかし軍に蹂躙される人々全員を救えるものではない。

 軍の暴虐そのものを止めるには、すなわち総大将ダルーハ・ケスナーを止めるしかなかった。母の遺言通りにだ。

 だからガイエルは、ダルーハの本陣に押し入り、言葉による説得を一応は試みた後、父親との戦いに突入した。

 そして、敗れた。

 完膚なきまでに叩きのめされた挙げ句、川に放り捨てられ、流されながら気を失っている間に王都エンドゥールは陥落。叛乱は、成功してしまっていた。

 母が危惧した通りダルーハは暴君となり、ヴァスケリアの人民を大いに苦しめている。

 ガイエルは思う。自分の責任だ、などと考えてしまうのは自惚れかも知れない。だが最初のほんの一時期とは言え、この叛乱に加担していたのは事実なのだ。そして、父を止める事が出来なかったのも。

「総司令官殿に、1度だけは申し上げておこうか」

 干し肉を2枚まとめて食いちぎり、咀嚼し飲み込んでから、ガイエルは言った。

「俺とダルーハは殺し合う間柄だ。あの親父殿は、とにかく俺の気に入らぬ事しかせん……だから俺は、ダルーハを殺す。奴の息子だからと言って、王国正規軍の不利を招くような事はしないつもりだ。まあ信じる信じないは勝手だが」

「……ダルーハの息子、か」

 信じるとも信じないとも言わずに、モートン王子は溜め息をついた。

「かつての竜退治の折、ダルーハ・ケスナーは竜の返り血を浴びて人間ではなくなった、と聞く。それは本当の事なのか」

「竜退治の現場をもちろん俺は見たわけではないが、あの男が人間をやめているのは本当だ」

「その息子である貴様も、だから人間ではないというわけだな」

「…………」

 ガイエルは黙り込んだ。モートン王子が、いくらか慌てた。

「なっ何だ、よもや気を悪くしたのではあるまいな。だが貴様が人間ならざる者であるというのは本当の事ではないか」

「気を悪くしたわけではないがな……」

 モートン王子は、1つ間違えている。

 ガイエルが人間ではないのは、ダルーハ・ケスナーの息子だから……ではない。

 ガイエルの母は、ヴァスケリアの王女だった。

 名はレフィーネ・リアンフェネット。モートン王子の、少し遠いが一応は叔母に当たる女性である。

 そのレフィーネ王女が、悪しき竜にさらわれ、若き日のダルーハ・ケスナーに助け出された。

 だが助け出された時。レフィーネ王女は、すでに子供を身籠っていた。

 竜の、子である。

 生まれた子供をダルーハは、実の息子として扱ってはくれた。

 ガイエルは物心つく頃より、大いにしごかれ、地獄のように鍛え上げられた。

「……単なる虐待だったのかも知れんなぁ、あれは」

「何だ?」

「いや、何でもない」

 ガイエルは微笑んで見せた。

「あんたの言う通りさ、モートン王子。俺が人間ではないというのは、否定しようもない事実だ」

 何の息子であろうともな、とガイエルは心中で付け加えた。

 母レフィーネは1度だけ、ガイエルに語った。

 あの方には感謝しているわ。私に、お前を授けてくれたのだから……と。

「……つまりは、こういう事か」

 1つ咳払いをしてから、モートン王子は言った。

「人は、生まれを選ぶ事は出来ぬと。私が王族に生まれてしまったように、貴様は人間ではないものとして生まれた。生まれてしまった場所で、環境で、人は懸命に生きるしかないと。そう説教でもしたいわけかガイエル・ケスナー」

「そんな立派な事を言ったつもりはないが……そう聞こえたのなら、それもいい」

 そろそろ、この王子を引きずって本陣に帰ろうか。とガイエルが思った、その時。

 轟音が、聞こえた。

 禍々しく空気を震わせる、恐らくは爆発音。本陣の方から、聞こえて来ている。

「何事……」

 モートン王子が、座ったまま身をすくませている。

 どうやら本当に、引きずって行く事になりそうだった。



 

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