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第76話 魔将軍の戦術と人間の戦略

 馬車の中で死んでいるのは、紛れもなくジオノス2世であった。

(陛下……どうか、目をお開きになって下さいますよう)

 高台の上から見下ろしつつレボルト・ハイマンは、死者への祈り、と呼ぶにはあまりにも重いものを、心の中で渦巻かせた。

(そして御覧下さい……レボルト・ハイマンは無様にも魔族の力に屈し、バルムガルドの敵となりました)

「おい、逃げろ」

 何名か生き残っている騎士たちを背後に庇いながら、魔獣人間ゴブリートが言う。

「人ならざるもの同士の戦いに巻き込まれて死にたい、のなら止めはせんがな……貴様たち、死せる国王より託されたものがあるのだろう?」

「貴方は……」

 侍女と思われる若い娘が、国王の遺体と馬車に同乗したまま言った。

「あたしたちを……守って、くれるんですか?」

「そんな余裕が持てる相手ではないから逃げろと言っているのだ!」

 ゴブリートが、苛立った。

「5つ数える間に消えて失せろ! さもなくば俺が貴様らを焼き払う。良いな? 5! 4! 3!」

 死せる国王と生きた侍女を乗せたまま、馬車が走り去って行く。騎士たちが馬を駆けさせ、それに続く。

 逃げ去って行く人間たちに、魔獣人間サーペントエルフが、ちらりと冷酷な視線を投げた。

「おやおや、私の美しさを目の当たりにする栄誉に浴しておきながら逃げ出すとは……虫ケラにも等しき人間どもとは言え、許せる無礼と許せぬ無礼がありますねえ」

 小さな太陽のようなものが3つ、サーペントエルフの周囲に浮かんだ。赤ん坊ほどの大きさの、火の玉だった。

「罰を与えてあげます、感謝なさい? ゆっくりと燃えて、消し炭に変わりながら」

 左前腕から広がる外骨格の楯。そこからレボルトは剣を抜き、サーペントエルフの喉元に突き付けた。

 左半分に仮面を貼り付けた美貌が、引きつり青ざめる。

「お、お前は……!」

「……くだらぬ事は、やめておけ」

 サーペントエルフに言葉をかけつつレボルトは、視線をデーモンロードに向けた。

「人間どもに情けをかける必要はあるまいが……たかが小物ども、面倒な思いをしてまで狩り殺す必要もあるまい。貴殿もそう思うであろう? デーモンロード殿」

「ふ……狩り殺して来いと私が命じたら、貴様はどうするかなレボルト・ハイマンよ」

 言いつつもそれを命じたりはせず、デーモンロードは左腕を掲げた。

 防御の形に掲げられた、力強い左前腕。そこに、ゴブリートの飛び蹴りが激突した。

 高台の下から跳躍して来たのか、翼で飛行して来たのか。とにかく小柄な魔獣人間の身体が、蹴りを弾かれつつクルリと回転し、着地する。

「誰を殺しに行くところなのかは知らぬ。が……」

 白く鋭い牙を剥いて、ゴブリートは笑った。激怒しているかのようでもある、獰猛な笑顔だ。

「魔族の頭領、自らが軽々しく外を出歩くとはな。自分が殺されるなどとは微塵も考えんのか」

「赤き竜もダルーハ・ケスナーもおらぬ今、私を殺せる者など……まあ、おらぬ事もなかろうが貴様では無理だな、小さき魔獣人間よ」

 同じような笑顔で、デーモンロードが嘲笑う。

「だから配下として使ってやろうと言っておる。貴様のその力、魔族の側で振るってこそ輝けるものよ。人間など守るな……あやつらが、いかに守るに値せぬ存在であるか、貴様は300年前に思い知ったはずではないのか」

「たわ言をほざくなよ。俺はな、人間どもを守っているわけではないのだ」

「……では、何のために戦う」

 レボルトは、会話に割り込んだ。

 確かめなければならない。この魔獣人間が、バルムガルドの民を魔族から守る力と成り得るか否かを。

「言わねばわからぬか。俺はな……俺を叩きのめし、這いつくばらせてくれた相手が、こうして大きな顔で外を出歩いている。それが気に入らぬから、戦うだけだ」

「私も貴様には、ずいぶんと痛い目に遭わされたのだがな」

 デーモンロードが言った。

「……おあいこ、という事には出来んのか」

「出来んなあ……」

 小柄だが力強い魔獣人間の身体が、炎の体毛を燃え上がらせながら、デーモンロードに向かって踏み込もうとする。

 猛々しい復讐の闘志に満ちていたゴブリートの表情が、しかし次の瞬間、苦痛に歪んだ。

「ぐっ! ……貴様……ッ」

「駄目よぉ? おイタはそこまでにしとかなきゃあ」

 口元の触手を、ゴブリートに向かって奇怪にうねらせつつ、魔獣人間マイコフレイヤーが言う。

「戦う事しか考えてない脳ミソ……ちょぉっとブッ壊して、大人しくさせてあげるわねえぇ」

「……なめているのか、俺を」

 言葉と共に、ゴブリートの姿が消えた。

 消えた、と思えるほど高速の踏み込み。いや、跳躍か。

 とにかく、マイコフレイヤーは吹っ飛んでいた。

「ぎゃ……びぃ……」

 無数の茸で組成された巨体が、悲鳴を漏らしながら錐揉み状に回転し、地面に激突する。

 ゴブリートの、拳か、肘打ちか、あるいは体当たりか。ジャックドラゴンの動体視力をもってしても、はっきりと見て取る事は出来なかった。

 この動きに、レボルトも大いに苦戦を強いられたものである。

 倒れ、起き上がれぬまま呻いているマイコフレイヤーの頭を、ゴブリートは片足で踏み付けた。

「貴様たちは、俺の力を知っているはず……こういう馬鹿はやらぬと思っていたのだがな」

「ひぃっ……や、やめて……ちょっとお茶目しちゃっただけじゃないのよォ……」

 そんな悲鳴を漏らすマイコフレイヤーの頭に、グリッと踏み付けを喰らわせながら、ゴブリートはこちらを見た。ジャックドラゴンとサーペントエルフを、一まとめに睨み据えた。

「で、貴様らはどうする……命懸けで俺を阻み、デーモンロードへの忠誠を証明してみるか」

「ま、待ちなさい……」

 怯えるサーペントエルフの喉元から、レボルトは剣を遠ざけてやった。その切っ先を、今度はゴブリートに向ける。

「貴様ごときを阻むのに、命まで懸ける必要はない」

「その言葉、取り消すなよ……!」

 ゴブリートの全身で、炎の体毛が燃え上がる。歩くだけで、町の1つくらいなら焼き滅ぼしてしまいそうである。

 そんな魔獣人間から、デーモンロードを護衛する形に今、レボルトは剣と楯を構えている。

「ほう、貴様……私を、守ってくれるのか?」

 デーモンロードが面白がっている。

 無視してレボルトは、ゴブリートと対峙し、睨み合った。

 強敵である事は間違いない。だがレボルトは思う。

(……駄目だな。こやつでは、デーモンロードには勝てぬ)

 自分とゴブリートが手を結べば、どうであろうか。2人がかりで、デーモンロードの不意をつけば。

 レボルトのそんな思いを読んだかの如く、デーモンロードは言った。

「私の命が欲しいのであろう? レボルト・ハイマンよ……無理をする事はない。この場でそやつと手を結び、2匹がかりで私を殺しにかかってはどうだ」

「貴様を討つのに、他者の手は借りぬ!」

 間髪入れず、ゴブリートが叫ぶ。

「貴様たちこそ、4匹もいるのなら寄ってたかって俺を仕留めてはどうだ? ええおい」

(馬鹿が……)

 ゴブリートの使い道は決まった、とレボルトは思った。このような協調性の欠片もない怪物と手を組んだところで、デーモンロードを倒せるわけがない。

 ならば、使い道は1つ。思い定めつつ、レボルトは言った。

「……貴様、本当にデーモンロードを倒せるつもりでいるのか。勝算は、あるのだろうな?」

「俺は勝つ! 言葉で言える事は、それだけだ!」

 ゴブリートが、一方的に問答を断ち切った。

「さあ行くぞジャックドラゴン、戦え! 戦わねばならぬ事情が、貴様にもあるのだろうが?」

「そんなものは、すぐになくなる……貴様がデーモンロードを倒してさえくれれば、な」

 言いながらレボルトは1歩、横に退いた。ゴブリートに道を譲る格好となった。

「やってみろ。デーモンロードを倒せるならば、倒してみるがいい」

「なっ……う、裏切るのですかレボルト・ハイマン!」

 サーペントエルフが喚く。

 デーモンロードは喚かず、動じる事もなく、ニヤニヤと牙を剥きながら事態を見物している。

 ゴブリートが両眼をギラリと燃やし、言った。

「何のつもりだジャックドラゴン……貴様、俺から逃げるのか」

「貴様がデーモンロードと戦って、相討ちにでもなってくれれば最も良い。私にとっても……この国にとっても、な」

 それはレボルトの、偽らざる心境だった。

「そうか……手段を選ばず、この王国を守り救わんとしているのだな。まあ貴様らしくはある」

 言葉と共にゴブリートは、デーモンロードに向かって一直線に踏み込んだ。何も疑う事なくジャックドラゴンの眼前を通過し、背中をレボルトに見せながら。

「いいだろう、デーモンロードは俺が討ってやる……」

「……無理だな、貴様ではっ」

 見せられた背中にレボルトは、躊躇なく剣を突き込んだ。

 強固な手応えが、柄から右手に伝わって来る。それを、レボルトは握り締めた。

「がッ……!」

 翼の付け根から胸板へと、片刃の刀身がゴブリートの身体を貫通していた。

 己の胸からズブリと現れた切っ先を睨みつつ、ゴブリートは呻く。

「きっ……貴様……ッッ!」

「……戦いとは、このようなものであろう」

 背後から、レボルトは語りかける。

 無理矢理に微笑むかの如く、ゴブリートは牙を食いしばった。

「確かに……な……ふっ、不覚を取った……か……」

 その牙を上下に押し開いて、ゴボッ! と血反吐が噴出する。

「このような手に引っかかっているようでは、デーモンロードを倒すなど到底無理……」

 言いながらレボルトは、高々と剣を掲げた。

 ゴブリートの小柄な身体が、刺し貫かれたまま高々と掲げられた。

「……少しは、汚い戦い方が出来るようになっておけ」

「貴様、何故……」

 何故、わざと心臓を外した。

 ゴブリートはそう問い叫びたいのであろうがレボルトは言わせず、そのまま思いきり剣を振るった。

 振るわれた刃が、ゴブリートの背中から抜けた。

 小柄な魔獣人間の身体が、近くの断崖に放り捨てられ、谷底へと消えてゆく。

「ふむ……やるものよ」

 デーモンロードが、感心している。

「まともに戦えば難儀極まる相手……それを、まともに戦わずに葬り去るか。人間どもの言う、兵法というやつか?」

「……このようなもの、兵法とは言わん」

 人間の兵法で、このデーモンロードを倒す事など出来はしない。

「それよりデーモンロード殿……この私が、それなりに役立つ男である事は証明出来たと思う。それなりの報酬を要求したいが」

「ふむ、何が欲しい?」

「言わずともわかっておろう、以前も申し上げた……!」

 ジャックドラゴンの頭部の中で光が燃え上がり、眼光となって溢れ出す。

「バルムガルドの民衆に対する暴虐を即刻やめよ! 拉致して魔獣人間に作り替えるなど……せめて、その対象とするのは齢15を越えた男子のみに限定していただきたい」

「その件か。まあ、そう慌てるな……」

 邪悪そのものの笑みを浮かべるデーモンロードに代わって、サーペントエルフが叫ぶ。

「愚かな事を! この国の人民は、男も女も子供も全て魔獣人間となるのですよ。この私の手によって! お前ごときに邪魔はさせませんよ、ちっぽけな手柄を言い立ててデーモンロード様に根回しをしようなどと小賢しい真似を!」

 左半分だけの仮面を顔に貼り付けた魔獣人間が、露出した右半面で血相を変える。

「そもそも、お前はアゼル・ガフナーを倒してはいない! 背後からなら、頭を叩き割る事も出来たはず! それをせず崖下へと逃がしたのは、いずれあやつを利用してデーモンロード様に刃向かうため! この私の叡智をごまかす事など出来ないのですよ、ゴルジ・バルカウスの作った粗悪品風情が!」

 アゼル・ガフナーというのが、魔獣人間ゴブリートの人間としての名であるらしい。唯一神教アゼル派と、何か関係があるわけでもあるまいが。

 シナジール・バラモンという人間名を持つ魔獣人間サーペントエルフが、喚き続ける。

「デーモンロード様、こやつを生かしておいてはなりません。アゼル・ガフナーめを生かして逃がした、それはすなわち貴方様への叛逆の種をまいたという事に他なりませぬ!」

「デーモンロード殿が、あやつを配下にと望んでおられたのでな。まあ生かしておいた……殺しておくべきだったと思うのなら殺してきてはどうだ、シナジール・バラモン大侯爵殿」

 ゴブリートを投げ捨てた断崖に、レボルトは右手の親指を向けた。

「あやつは今、谷底で死にかけている。とどめを刺してきてはいかがかと、申し上げているのだよ」

「お、お前は……!」

「もっとも死にかけとは言え、貴公の力で殺せる相手かどうかは私にもわからぬ……どうであろうなあ、果たして」

 美貌を滑稽な感じに引きつらせながら、サーペントエルフが後退りをする。

 デーモンロードが、にこやかに割って入って来た。

「まあ、そこまでにしておけ。我が配下に加わった経緯はどうあれ、お前たちは今や我ら魔族の同胞なのだ。仲間割れはいかん……団結せねばならんぞ?」

「団結だと……!」

 レボルトは思わず、デーモンロードを睨みつけた。

「魔族の頭領たる貴殿の口から、そのような言葉が出るのか」

「私は、痛い目に遭わされたのだ。団結した人間どもによってな」

 顔面の左半分を切り裂く傷跡を、デーモンロードは指でなぞった。

「これから我々が接触する相手……もし戦う事となったら、お前たちには嫌でも団結してもらわねばならんぞ。それほど恐るべき力を持った相手よ」

「竜の御子……貴公らは、そう呼んでいるようだな」

 レボルトは、赤き魔人と呼んでいた。

 このデーモンロードが現れる前は、何としてでもこの世から消し去らねば、と思っていた相手である。

「竜の御子が、一体いかなるつもりでいるのか……我ら魔族の、味方となるか敵となるか。それを、しかと確かめねばならぬ」

「敵となるならば、滅ぼす。そのために我らを伴うのだな」

 竜の御子……赤き魔人は、手負っている。今この場にいる魔獣人間3体そしてデーモンロードが、本当に団結する事が出来れば、とどめを刺すのは造作もない。それを妨害するゴブリートも、今は谷底で死にかけている。

 赤き魔人の最期。

 あれほど願い、志していた目標が達成されようとしているのに、レボルトの心に喜びはなかった。



 前々国王ディン・ザナード3世は、この謁見の間でダルーハ・ケスナーに殺されたらしい。

 父親としても国王としても、見習うべき所の見つからぬ人物であった、とモートン・カルナヴァートは思っている。

 無理矢理にでも何か見習うとしたら、それは民衆を決して甘やかさぬ政治を押し通した生き様、くらいであろうか。

 一国の支配者が国民に対し、絶対にやってはならぬ事。それは税を安くする、といった類の政治目標を軽々しく宣言する事である。出来もしない事を、公約するべきではないのだ。

 前国王エル・ザナード1世が、税は5公5民などと宣言してしまった。

 会議の段階では、あの妹女王は4公6民を主張していた。モートンが懸命に説得し、何とか5公5民で妥協させたのだ。

 ヴァスケリアの財政状況を考えれば、6公4民を最低でも2年間続けるのが望ましかった。そうすれば3年後以降には5民にも6民にも出来る。

 だが5公5民を政治目標として宣言してしまった以上、それを軽々しく変えるわけにはいかない。

 5公というのが民衆にとって大変な負担であるのは、モートンとて理解はしている。何しろ、生産の半分を搾取されてしまうのだ。

 今のところ民衆が叛乱も起こさず耐えてくれているのは、自分ディン・ザナード4世が明君であるから、ではない。それも、モートンは理解している。

 ディン・ザナード3世そしてダルーハ・ケスナー。暗君と暴君が、立て続けに出現したからだ。あれよりはましだ、とヴァスケリア国民が思ってくれているからだ。

 まあ何にせよ、民衆は5公5民で耐えてくれている。

 何だかんだと不平を言いながらも民衆とは、大抵の事には耐えてくれるものなのだ。甘やかす必要など、ないのである。

 なのに、甘やかしてしまった者がいる。

 今、モートンの眼前で跪いている男だ。小刻みに身体を震わせながら、頭を垂れている。屈辱の震えか。あるいは心労を重ねて、体調を崩しているのかも知れない。それでも、ここまで足を運んだ事は評価してやるべきであろう。

「お顔を上げられよ、クラバー・ルマン大司教猊下」

 玉座の上から、モートンは鷹揚に声をかけた。

 クラバー大司教が、言われた通り顔を上げる。

 もともと神経質そうな顔は大いにやつれ、血走った両眼の下にはドス黒い隈が生じている。

 そんな憔悴しきった様子を晒しながらも、クラバーは言った。

「国王陛下には……民を救う、義務がおありです……」

「無論ヴァスケリア王国の民は救ってみせよう。言われるまでもなく、国王の義務である」

 モートンは、尊大な物言いをして見せた。

「だが他国の民は……ううむ、困窮しているのならば救ってやりたいが、なにぶん他国ではなあ。下手をすると内政干渉になってしまう。軽はずみな事は出来んよ」

「北の民が、飢えているのですぞ……」

 クラバー大司教が、呪うような声を発する。

「見捨てるおつもりか……国王として恥じる心を、ディン・ザナード4世陛下はお持ちではないのか!」

「無礼はそこまでになされよ、大司教猊下」

 玉座の傍に控えた男が、怒りを露わにして言った。

 親国王派の最大勢力たるエルベット家の当主、カルゴ・エルベット侯爵である。

「国王陛下に対して、と言うよりも1人の人間として、貴方はこの上なく礼を失した言動を晒しておられる……頼み事をなさるのならば、今少し言葉を選んで乞い願われるべきであろう。人々に規範を示すべき高位聖職者の方が、そのような事で」

「まあ、そう申すな。カルゴ卿」

 モートンは、鷹揚な声を発した。度量の広い王者を演じるのは、気分が良い。

 が、やはり自分の理想は、玉座に縁のない場所で捨て扶持をもらい、安穏と暮らす事だ。

 その夢を叶えるためには、まず世の中を平和にしなければならない。

「大司教猊下よ、人の話はよく聞くものだ。私はな、他国の民に出しゃばって救いの手を差し伸べる事など出来ない、と申し上げているのだよ……真ヴァスケリアという他国の民には、な」

 ヴァスケリア北部4地方……ガルネア、エヴァリア、レドン、バスク。そこに東部レネリアを加えた計5つの地方が、一方的に独立を宣言して「真ヴァスケリア王国」を自称した。

 シーリン・カルナヴァートをそこの女王に立ててヴァスケリアを分裂させ、侵略併呑する。それがバルムガルド王国の戦略であった。

 かの国の国王ジオノス2世は、そのために唯一神教ローエン派への経済援助を行い、宗教方面からの懐柔工作も行ってきた。

 だが今のバルムガルド王国は、経済援助どころではなくなっていた。

「単刀直入にゆこうではないか、大司教猊下」

 モートンは、小太りの身体を玉座から乗り出させた。

「……金の援助が、欲しいのであろう? 何しろバルムガルドが、ご存じのような有り様であるからな」

 と言ってもモートン自身、かの国で何が起こっているのか、正確に把握しているわけではない。

 バルムガルド王国で、何かが起こった。それは間違いない。

 何が起こったのか、という事に関しては、情報が錯綜している。

 国王ジオノス2世が、臣下の者たちによる叛乱に遭って王都を追われた。あるいは命を落とした。あるいは亡命を希望し、密かにヴァスケリア国内に入り込んでいる。

 その叛乱の軍勢には、オークやトロルなど人間ではないものたちも兵士として加わっている、とも言われる。魔獣人間がいる、という話も聞こえて来ていた。

 本当に叛乱であるとしたら、その中心人物は誰なのか。

 先の敗戦で投獄されたレボルト・ハイマン将軍が、脱走して兵を集め、国王に叛旗を翻した。そんな情報も届いている。

 確かな事は、ただ1つ。現在バルムガルド王国では、国政が全く機能していない。

(まさか……貴様が何か、しでかしたわけではあるまいな? ガイエル・ケスナーよ……)

 この場にいない者に心の中で語りかけつつモートンは、この場にいる大司教には口で語りかけた。

「認めるしかあるまい、クラバー・ルマン殿……貴公ら唯一神教ローエン派は、後ろ楯を失ったのだ。後ろ楯に頼り切って民衆を甘やかしてきた、その付けが回って来たという事であろう」

「北の民をお救いなされよ、国王陛下……貴方には、その義務がお有りだ」

 クラバー大司教が相変わらず、邪悪な呪文の如く呟いている。

「余裕がないとは言わせぬぞ……5公5民などという、法外なる税を取り立てておるのだからな」

「その5公は、ヴァスケリア国民が納めてくれたものだ。ヴァスケリア以外の民のためになど、銅貨1枚とて使えはせぬ……真ヴァスケリア王国の大司教よ。貴国とて独立した国家を名乗る以上、自前の財源くらいは確保してあろう? 物乞いの如く他国にたからず、自力でどうにかして見せよ」

 言いながらも、モートンは知っている。

 真ヴァスケリアに、自前の財力など有りはしない。バルムガルドによる援助があってこその独立だったのだ。

 傀儡国家を使ってのヴァスケリア侵略併呑。その戦略を実行する前にバルムガルド王国は、壊滅に近い事態に陥った。

 そして、作りかけの傀儡国家だけが残ってしまったのだ。

 そこに住まう民は、唯一神教ローエン派によって守られてきた。否、甘やかされてきた。

 ローエン派に入信した者は、一切の税を免除された。バルムガルドによる援助が続いている間は、それが可能だった。

 その援助が失われた今、真ヴァスケリアと名付けられた地方には、税を納めぬ、納める意思も能力も失った民が残された。

「民衆を甘やかすとは、そういう事なのだ。最終的には国そのものが立ち行かなくなり、結局のところ民が困窮する事となる」

 偉そうな事を言っている、と自覚しながらもモートンは語る。

 呪うような口調を変えずに、クラバー大司教も言う。

「だから、困窮する民を救えと申し上げている……一国の王として、貴方にはその義務が」

「無論、救ってやるとも。ヴァスケリア王国の民として5公の税を納めるのならばな」

 玉座の上からモートンは、大司教を睨み据えた。

「真ヴァスケリアなどという国は、この世から消える。否、最初から存在してはいなかったのだ……ガルネア、レドン、バスク、エヴァリア、レネリアの各地方及びそこに住まう民は、ヴァスケリア王国に返してもらうぞ」

「お、横暴な……」

 クラバー大司教の声が、引きつり震えた。

「う……後ろ楯を失った、その弱みに付け込んで……何たる横暴を……」

「この程度の横暴さがなければ、国王など務まりはしないのでな」

 ケスナー家の父子が言いそうな事を自分は口にしている、とモートンは思った。

「貴方がたローエン派には、横暴さすらなかった……何もしなかったのだよ、貴殿らは。バルムガルドから餌を与えられるまま、民衆を甘やかしていただけだ。そんな事で国としての独立など、果たせるわけがなかろう」

 言いつつ、モートンは片手を上げた。

 屈強な近衛兵士が2人、進み出て来て両側からクラバー大司教を捕えた。

「な、何をする……!」

「大司教よ。まがりなりにも北の戦災地が現段階までの復興を成し得たのは、ローエン派の方々のおかげだ。思うように復興を進められなかったヴァスケリア王家にも落ち度はある……貴方がた唯一神教会を、王家としてはこれからも可能な限り厚遇して差し上げよう。まあ独立国家を築いて世俗の権力を得ようなどとは金輪際、考えぬ事だ。神に仕える方々には、迷える民の心の支えであり続けて欲しいものだな」

「ディン・ザナード4世……! 無能にして横暴なる暗君が!」

 兵士2名に引きずられて退出を強いられつつ、クラバー大司教は喚いた。

「ヴァスケリアの国王は、兄妹揃って悪逆無道なる暴君よ! 覚えておれ、そなたらには必ずや唯一神の罰が下ろうぞ! 我々が下して見せようぞ!」

 何も応えず、ただ見送りながら、モートンは溜め息をついた。

「あのような人物を大司教として崇め、ありがたがっておるとは……ローエン派の者どもの精神構造は一体どうなっておるのやら。私には全く理解出来ぬ」

「聞くところによりますと」

 カルゴ侯爵が言った。

「クラバー大司教の腹心あるいは秘書と言うべき女性聖職者が1人おりまして。ローエン派信徒に崇められているのは、大司教ではなく彼女の方であると」

「聖女などと呼ばれる尼僧がいるという話は、私も耳にした。名は確か……アマリア・カストゥール、であったかな」

 実質的にローエン派を動かしているのは、大司教クラバー・ルマンではなく彼女である、という噂だった。クラバー大司教に統率者が務まるとは思えないから、その噂もあながち嘘ではないかも知れない。

「バルムガルドで、何やら災厄と呼ぶべき事態が生じた……その災厄がヴァスケリアに流れ込んで来ないとも限らぬ以上、教会勢力はしっかりと国王配下に組み込んでおかねばならぬ」

 王として思うところを、モートンは語った。

「私はなカルゴ卿、癒しの力を使える人材を確保しておきたいのだよ。何しろ戦になるかも知れんのだからな」

「癒しの力の使い手……サン・ローデル侯の知り合いに、何人かおります」

「サン・ローデル侯……そなたの御子息か」

 リムレオン・エルベット。サン・ローデル地方領主。そして魔法の鎧の装着者。

 ゾルカ・ジェンキムが生前、魔法の剣というものを見せてくれた。ガイエル・ケスナーの力をもってしても、叩き折るどころか刃こぼれを起こす事すら出来なかった業物である。

 あれと同じ金属で鎧を量産し、軍団を編成する。そんな話にもなった。

 話でしかないうちに、ゾルカ・ジェンキムはこの世を去った。彼が遺したのは、魔法の鎧の試作品数点のみである。発明者が死んでしまった以上、量産など夢のまた夢だ。

 その試作品の装着者である、リムレオン・エルベット他数名。良く言えば、少数精鋭という事になろうか。

 少数なら少数で、やってもらうべき事はある。

「バルムガルドで何が起こったのか……まずは、それを知らねばならん。正確に、調べねばならぬ」

「陛下、それでは……」

「うむ……カルゴ卿よ、御子息たちにはバルムガルドへ赴いてもらわねばならなくなるかも知れん。一応、心しておいてくれ」

 すでにバルムガルドに赴いている妹の事を、モートンは全く心配していなかった。

(頼むぞガイエル・ケスナー……早くあやつを連れ戻し、私を玉座から解放してくれ)

 

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